クロード・ロバート・イーザリー少佐について


 1945年8月6日未明、北マリアナ諸島のテニアン島北平地を飛び立った「特別ミッション13」のB−29戦闘爆撃機は、エノラ・ゲイ(Enola Gay)を含め7機だった。
小倉気象偵察を任務としたジャビット三世(Jabit III)、長崎気象偵察のフルハウス(Full House)、爆発計測のザ・グレート・アリステ(The Great Artiste)、爆撃観測と写真撮影の「必要悪」(Necessary Evil)、不測事態発生時リトルボーイを回収しテニアン島の基地まで持ち帰る役目を負ったトップ・シークレット(Top Secret)、そして第509混成航空群の司令官であり、この航空群の生みの親であるティベッツ大佐自ら機長兼操縦士として乗り込んだエノラ・ゲイ。この時広島気象偵察の任務を負ったのが、ストレート・フラッシュ(Straight Flush)であり、その機長兼操縦士はクロード・ロバート・イーザリー少佐だった。イーザリー少佐は、戦後陸軍航空隊を除隊し、犯罪に手を染めた。一方、広島への原爆投下に激しい罪の念をもったとされている。しかし広島原爆投下の任務を負った「特別ミッション13」7機、要員合計71名の中で、「原爆投下」に激しい罪の念をもったと伝えられる人は、このイーザリー少佐一人だ。

 イーザリー少佐とはどんな人物だったのか?
 以下英文Wikipediaの記事を紹介する。
 (Claude Eatherly:http://en.wikipedia.org/wiki/Claude_Eatherly )

(以下本文)


 クロード・ロバート・イーザリー(Claude Robert Eatherly テキサス生まれ。1978年死亡)は第二次世界大戦中、米国陸軍航空隊の士官であった。(*投下時の階級は少佐-Major)気象偵察機ストレート・フラッシュの操縦士(*機長兼務)として、1945年8月6日の広島原爆投下を支援した。


広島への原爆投下

 ストレート・フラッシュは、第二次世界大戦中10ヶ月の激しい訓練を行った第509混成爆撃群の第393飛行大隊で、広島ミッションを担った7機のB−29の中の1機である。
 
(* 第509混成航空群はユタ州ウェントオーバー基地で、1944年12月9日に編成された。テニアン島で正式に作戦開始となったのは6月30日であるから、この間を訓練期間と見れば約7ヶ月の訓練期間となる。また広島・長崎原爆投下後も訓練を続けており、1945年8月22日にその訓練ミッションを終了し、活動停止に入っているから、この期間を訓練期間とみれば約9ヶ月弱となる。)
(* 広島ミッションは、米国陸軍戦略航空隊内の言い方では「特別ミッション13」)

 ストレート・フラッシュがテニアン島を飛び立ったのは1945年8月6日、ほぼ午前1時37分だった。原爆を格納したエノラ・ゲイの出発に先立つこと約1時間弱である。
その役割は広島の上空に飛んで現地の気象状況を報告することだった。なお、イーザリーはこれに続く長崎ミッションには参加していない。
(* 長崎ミッションは、米国陸軍戦略航空隊内の言い方では「特別ミッション16」)

戦後の余波
 ジェローム・クリンコウィッツ(*Jerome Klinkowitz:ノーザン・アイオア大学の英語・英文学の教授で、歴史ノンフィクションも書いている。)は、彼の著書「太平洋の空に:第二次世界大戦中のアメリカの空の戦士たち」(In the Pacific Skies: American Flyers in World War U)の中で次のように書いている。

 
1947年、イーザリーは空軍を除隊したが、まもなくキューバ政府を転覆することを望んだアメリカの冒険家たちによるキューバ爆撃の準備活動に加わった。この元気象操縦士の役どころは、戦争余剰品として出てくる爆弾搭載爆撃機「P−38 ライトニング」の飛行に関わることだった。この陰謀はばれて、イーザリーは逮捕され起訴された。そしてこの罪状で刑務所に入ることになった。」

 数年の後には、イーザリーは、広島の爆撃に参加したことで恐怖を持つようになったと訴え、意図的に多くの生命を抹殺しまた多大な苦しみをあたえたことの許しを得るかまたはそれを懺悔する可能性に関して絶望的になった、と訴えた。

 イーザリーは平和主義者グループと虚心坦懐に自分の考えを話そうとしたり、支払い小切手の一部を、謝罪の手紙とともに広島に送ったり、1度か2度は自殺を図ったとも見られる。

 ある時点で彼は、自分にはなんの利益にもならないちっぽけな犯罪を犯すことで「戦争の英雄」という一般に膾炙していた「神話」を傷つけることを始めた。

 小さな金額の偽造支払い小切手を作って金をだまし取り、その金を広島の子供たちの基金に送った。
 銀行強盗や郵便局へ押し入り、結局なにも取らなかった。
 
ルイジアナ州ニューオーリンズでの偽造事件、西テキサス銀行の強盗事件で有罪となり1954年から55年の1年間、刑務所へはいった。

 あるものは、統合失調症か破滅欲求症のために、シーザリーはそういう行動を取るのだろうと考えて、シーザリーはテキサス州ワコにある退役軍人病院に収容された。

 ウィーンの哲学者で平和主義者のギュンター・アンデルスと文通を始めたのは、このワコの退役軍人病院にいた時のことである。シーザリーとアンデルスは、核兵器廃絶との戦いの中でお互いに友人同士となる。
 
 イーザリーはこう書いている。
 「宗教的な熱狂あるいは政治的な熱狂は決して何の意味もありません。私はそう思いたい。一方で、現在私たちが直面している危機は、従来の価値体系や忠誠の枠組みに対する全面的な見直しへの、やむにやまれぬ衝動なのだと確信することが時にあります。
 過去においては、人間にとって、考え慣れた方法や行動し慣れた方法に対して数多くの自問自答をしないまま、“安全航行”することはあるいはできたかもしれません。しかしわれわれの時代は、もうそんなことが可能な時代ではないことは、妥当にも明らかでしょう。
 しかしながら全くその反対に、われわれの社会的な機構、たとえば政治政党、労働組合、教会、国家においたものですが、そうした社会機構に向けたわれわれの行動や思想に関する責任を、喜んで放棄するよう強制されるような状況にわれわれが急速に近づいている、と私は信じます。
 こうした社会的機構のいずれもが、民主的で人道主義的な規範に関する提言を行うにあたって適切にはその機能を備えていません。従って(そのような課題に関する)提言とかれらが称するものは、疑問視されねばならないのです。」
(Wilson, Edmund The Cold War and the Income Tax: A Protest Farrar, Straus and Giroux, 1963)
 
(* この訳は大筋意味をとっていると思うが、日本語としては全く自信がない。どなた
がこなれた日本語にしていただくと、助かる。参考に原文をコピーしておく。
なお最初のWhilstは古語か南部方言で“while”の意味である。

Whilst in no sense, I hope, either a religious or a political fanatic, I have for some time felt convinced that the crisis in which we are all involved is one calling for a thorough reexamination of our whole scheme of values and of loyalties. In the past it has sometimes been possible for men to "coast along" without posing to themselves too many searching questions about the way they are accustomed to think and to act - but it is reasonably clear that our age is not one of these. On the contrary, I believe that we are rapidly approaching a situation in which we shall be compelled to reexamine our willingness to surrender responsibility for our thoughts and our actions to some social institution such as the political party, trade union, church or State. None of these institutions are adequately equipped to offer infallible advice on moral issues and their claim to offer such advice needs therefore to be challenged.               
しかしどちらにしても狂人が書いた文章とはとても思われない。)

 ウィリアム・ブラッドフォード・フイエ(William Bradford Huie)は、「広島の操縦士」(The Hiroshima Pilots)という本の中で、イーザリーの話に疑問を呈している。フイエは、平和主義者や反核論者は、プロバガンダが目的で、イーザリーの話の主要部分を誇張するかあるいは創作している、という。そしてイーザリー自身は、名声欲かあるいは自分に注意を引きたいがために、この「神話創作」の協力しているのだと主張している。ロニー・ダガー(Ronnie Dugger)は、著書「暗い星」(Dark Star)の中で、フイエの示す懐疑主義に反駁している。

 広島の原爆投下に参加した人の中にはイーザリーのような「罪の意識」を表明した人はほかにはいない。広島の操縦士のポール・ティベッツは、原爆投下の時にその場に居合わせもしなかったイーザリーが、なぜそれほど罪の意識を感じるのか理解できないと述べている。


よくある誤解の訂正

 イーザリーは第509混成航空群の司令官ではない。
 イーザリーは長崎原爆投下の一員ではない。


参考文献・資料
 Gunther Anders and Claude Eatherly, Burning Conscience: The case of the Hiroshima Pilot, Claude Eatherly, told in his letters to Gunther Anders (1961)
William Bradford Huie, The Hiroshima Pilot: The Case of Major Claude Eatherly (1964)
Ronnie Dugger, Dark Star: Hiroshima Reconsidered in the Life of Claude Eatherly of Lincoln Park, Texas (1967)
Jerome Klinkowitz, Pacific Skies: American Flyers in World War II (2004). ISBN 1-57806-652-2
Maurizio Chierici, The Man from Hiroshima essay from an interview with Eatherly
Marie Luise Kaschnitz, 'Hiroshima' (German poem about the Hiroshima pilot)
Wilson, Edmund The Cold War and the Income Tax: A Protest Farrar, Straus and Giroux, 1963 [1]
 
なお日本語では次のような資料がある。
  『ヒロシマわが罪と罰 -原爆パイロットの苦悩の手紙』
Joint Work:クロード・イーザリー(Claude R. Eatherly) ・ギュンター・アンデルス(Gunther Anders)(1902-1992) 篠原正瑛(Seiei Shinohara)訳 ちくま文庫 1987 堀田善衛 「審判」)