【NPT 関連資料】 (2011.8.21)


イラン・イスラム共和国国連代表団演説
イラン・イスラム共和国大統領 マフムード・アフマディネジャド

2010年核兵器不拡散条約加盟国再検討会議
2010年5月3日 ニューヨーク国際連合

(全訳)
 原文:http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/NPT/pdf/12.pdf


 (アッラーと預言者マホメットに対する賛辞の後)

 議長、栄えある代表団、そしてご参集のみなさん。

 共通の憂慮であるグローバルな鍵となる課題の一つについて語りかける機会を与えたもうた神に感謝します。疑いようもなく、この核不拡散条約再検討会議はもっとも重要な国際会議の一つであります。

 私はまたこの重要な会議に選出された議長(フィリピンの駐アラブ首長国連邦大使・リブラン・カバクチュラン)にお祝いを申し上げたいと思います。

 友人諸君。

 継続して安定する安全保障の“追求”は、人類が持って生まれたそして本能的部分であり、歴史的な探究でもあります。いかなる国と雖もその安全保障を無視することはできません。両方の世界における安全で静謐な生活を確かなものとするため、神性を有する予言者たちや義人たちもまた、神と神性(God and Divine)の教えに忠実な光の下で、その指針を模索して参りました。

 彼らにとって、理想的な社会とは、ただ一人おわす神(the monotheism−普通は一神教と訳すべきだろう)と正義と十全なる安全保障と厚情と兄弟意識に根ざした地球規模での社会でありましょう。またそうした社会は、イエス・キリスト(P.B.U.H-Peace be upon him=this expression follows after naming any prophet other than Muhammad, or one of the archangels=彼に平安あれ)やその他の義人たちとともに神の高貴なるしもべたちによって主導されてきました。

 継続して安定する安全保障(sustainable security)が存在しないうちは、発展や福祉に関する包括的な計画を立てることは不可能でありましょう。

 今日、国家資源の主要な部分が国家的安全保障確保に割かれているにもかかわらず、体で感じる脅威という点に関する限り、その状況に完全の兆しすら見えません。

 残念なことに、神聖なる預言者たちの教えとはかけ離れたいくつかの国の故に、核爆弾の脅威の影が全世界を覆っており、誰一人として安全だと感じておりません。

 いくつかの国は彼らの戦略の中で核爆弾を安定と安全保障の要素だと定義しており、またこれが彼らの大きな誤りの一つでもあります。核爆弾の製造と保有は、いかなるもっともらしい弁解を並べ立てようとも、極めて危険な行為であり、真っ先にその製造や貯蔵をする国を被爆させるでしょう。

 みなさん憶えていらっしゃるかもしれませんが、アメリカである空軍基地から別な空軍基地へ核弾頭ミサイルが、爆撃機で意図に反して輸送されましたが、いかに危険なことか。
この事件はアメリカの人たちの大きな関心事の一つとなりました。

 第二に、核兵器の唯一の機能というものはすべての生きとし生けるものを皆殺しにし、環境を破壊するところにあります。(to annihilate all living beings and destroy the environment)またその放射線は次世代に影響を与えうるものであり、その否定的な影響は数世紀にわたって続くものであります。

 核爆弾は防衛の兵器というよりもむしろ人類に対する攻撃(fire)なのです。核爆弾の保有はなんら誇れるものではありません。;それはとてもおぞましく恥ずべきことなのです(rather disgusting and shameful)そしてさらに恥ずべきは、使用すると威したりあるいはその兵器を使用することです。これは歴史を通じて行われた犯罪の中で比肩するものがないほどです。

 (2010年にアメリカが発表した核態勢見直しの中で、オバマ政権はイランと北朝鮮を名指しで、アメリカが核攻撃するかもしれない国とした。また実際使用は明らかにアメリカの日本に対する原爆使用を指している。)

 最初に原爆攻撃を犯したものは、歴史の中でもっとも憎まれるものとみなされます。60年以上も前、国連、特に安全保障理事会は継続して安定した安全保障を確立することができませんでした。また国際関係の中で安全保障の“センス”を確立することもできませんでした。そして直近の国際状況は過去数十年のそれらよりもはるかに困難性に満ちていると見えます。

 戦争、攻撃そしてとりわけ核武装の蓄積と脅威の影、そして何よりもまして最悪なのは、2−3の拡大主義国により採られている政策は全員にとっての国際的安全保障の見通しを危ういものとしています。

 今日、社会の思考態度(mindset)は暴力的な威しと保障のない安全環境に大きく毒されています。

 核軍縮と核不拡散はいまだ実現していません。そしてIAEAはその委任事項の遂行に成功していません。過去40年間、幾つかの国は、シオニスト体制含みますが、核兵器を装備してきました。

 (シオニスト体制=the Zionist regime。これはイスラエルを指す。イランが出す公式の英語文書で私は「イスラエル」とか「ユダヤ人国家」とか表現した文書を見たことがない。常に「シオニスト体制」あるいは「シオニスト」である。ユダヤ人一般と区別した言葉使いなのだと感じている。)

 実際のところその原因はなんなのでしょうか?この疑問に答えるためには、NPTの柱の不均衡と無効力とともにある諸国の政策とその実践をよく見てみることが必要でしょう。

 それらの幾つかを以下に列記して述べます。

 1.支配の追求

 神の預言者の視点、また正義の視点、また全人類の観点から見れば、人類の崇高性、幸福、そしてその成熟度は、同胞たる人類に対する道徳性、敬虔さ(piety)、謙虚さ(modesty)そして献身によって推し量られるものと思います。

 不幸なことに、生存競争(struggle for survival)の原理に依拠して、幾つかの諸国は他の国を威嚇し圧迫する力を通じてその優越性を追求しております。そして国際関係の中で憎悪、対立、軍拡の種を蒔いています。彼らの最大の過ちは、“力”は“正義”なりとするその仮定にあります。

 2.核兵器製造と使用の政策

 最初の核兵器はアメリカによって製造され使用されました。このことは、明白に第二次世界大戦においてアメリカおよびその同盟国を優勢に立たせたと見えました。しかしながら、そのことによって 核兵器は他の国による開発・核拡散の中心となりました。そして核軍拡競争を招いたのです。核兵器保有国における核兵器の製造・貯蔵、そして核軍備の質的改善は、他国がそれ自身の核兵器敞を開発するもっとも都合の良い自己正当化として機能していました。これはNPTで設定した義務に対して過去40年間一貫して行われた義務違反の流れであります。

3.核抑止の手段としての核兵器

 この政策は核軍拡競争の主要な原因です。というのは核抑止は核兵器の質と量の両方において優位に立つことを要するからです。それ自体が核軍拡競争に油を注いでいます。世界中で約2万発の核弾頭があると云われており、その半分はアメリカに属しています。その他の競争相手の諸国もまた核抑止を口実にして核兵器の開発を続けています。両方ともNPTの定める違反を犯しています。

4.核兵器を使用すると威嚇すること

 残念なことに、アメリカ合衆国政府は核兵器を使用しただけでなく、他国に対して核兵器を使用すると威し続けています。こうした国にはイランを含みます。ヨーロッパのもうひとつの国(これはフランスのこと)も、2−3年前のことになりますが誤った口実のもとに似たような核の威嚇を行いました。シオニスト体制もまた、間断なく中東諸国を威嚇し続けています。

 (アフマニネジャドの指摘は直近では、2010年4月の「核態勢見直し」発表時に、イランと北朝鮮を名指しで、アメリカが核攻撃するかも知れない国としたことを指すだろう。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_25.htm>などを参照の事。この発表を読んで私は驚いた。ブッシュ政権の時も核の使用を匂わす発言があったように記憶している。しかし国名を名指しで核威嚇をする政権は近年あまり思い当たらない。オバマ政権は焦っている、というのが私の印象だった。私個人にとってもうひとつの驚きは、ごく少数の人をのぞいて、ヒロシマとナガサキがこのあからさまな核威嚇政策に対して無反応・無表情だったことだ。もしかするとヒロシマ・ナガサキの核兵器廃絶の声は偽善のスローガンなのかもしれない、と思った。)

5.国連安全保障理事会とIAEAを道具として利用すること

 最高度の地球規模での安全保障に関する意志決定機関やIAEAにおける特別な権利を享受しつつ、ある種の核兵器保有国は、非核兵器保有国に対して幅広くこれらをずるがしこく利用(exploit)しています。これはNPTの精神に反しています。この不正な行為は何度も繰り返し使われ、パターン化するに至りました。

 これまでのところ、非核兵器保有国のうちどの国も、圧力と威嚇に直面することなしに、核エネルギーの平和利用に関する、その奪い得ないまた法的な権利を行使することができていません。条約第6条やIAEAの付属文書(The Statute)に明確にしてあるにもかかわらず、アメリカやその同盟国にある核施設に関するIAEA査察官の報告は提出されて事はありませんし、その軍縮計画も出されたことはありません。決議は、そのまさに同じ諸国の圧力のもとに、また誤った口実のもとに、また明白にそれら法的権利を否定する意図をもって、非核兵器保有国に対して行われてきたのです。

 6.二重基準の使用

 シオニスト体制が数百の核兵器を貯蔵しているにもかかわらず、また中東地域で多くの戦争を遂行しているにもかかわらず、そして恐怖と侵略とともに中東の人民と諸国を帷幄し続けているにもかかわらず、アメリカ合衆国政府とその同盟国の無条件の支援を享受しています。またその核兵器開発計画に必要な助力を得ています。

 その同じ国が、IAEAのメンバーに対して、その平和的核活動への(軍事開発への)蓋然的な転換という誤った口実のもとに様々な種類の圧力をかけ、その攻撃を証明するたった一つの証拠さえ提示しないでいるのです。

 7.核兵器と核エネルギーの同一視
 
 核エネルギーは、エネルギー源の中でもっともクリーンで安価です。化石燃料に起因する深刻な気温変動と環境汚染は核エネルギーの使用の拡大の必要性を強めています。1年間に1000メガワットの電気を継続的に発電するにはほとんど700万バレルの石油が必要であり、今日の原油価格で5億ドルを越えます。同じ電気容量のコストは核エネルギーであれば6000万ドル程度です。

 一般的に云って、原子力発電所を建設し操業するコストは、稼働期間全体を通じて見れば化石燃料を使って操業する発電所に比べ半分をはるかに下回ります。核技術は効果的かつ幅広く、生命を脅かす病気の治療や診断のための医療用アイソトープの製造にも、また産業分野や農業分野、その他の分野でも応用できます。

 核兵器保有国が犯しているもっとも悲しむべき不正義の一つは、核軍備と核エネルギーを同一視している事であります。実際のところ、彼らは核兵器も平和的核エネルギーも独占したいのであります。そしてそうすることで、国際社会に彼らの意志を押しつけたいのであります。これらくだんの議題は、NPTの精神に全面的に反しておりまたその条項に対する甚だしき侵犯(flagrant violation)なのであります。

 (ブッシュ政権の一つの特徴は、核エネルギー技術を手に入れることは核兵器を手に入れることだ、という教条を世界中に植えつけようとしたことだ。オバマ政権もそのものの言い方をそのまま踏襲している。これはアフマディネジャドのいう、核不拡散政策、核エネルギーの独占の一つの理由付けになっている。
つい先日の話であるが、広島にも拠を構えたアーサー・ビナードという詩人−中原中也賞を受賞した、というから詩人なのだろう。私にはそうは思えなかった。マディソン街ばりの広告宣伝マンの言葉遣いだと思った。−の講演を聴いたが、その中でビナードは、『原発と核兵器は同じものだ。日本は原発があるから核兵器保有国だ』と主張した。私はブッシュと同じことを云うヤツだなと思った。原発と核兵器は確かに同じ理論と技術体系と使っている。放射線の危険という点でも全く同一だ。しかしそれでも違うものだ。これを同一視すると、核兵器が固有にもつ危険が全くぼやけてくる。また原発が固有に持つ危険も見えなくなってくる。ブッシュもビナードも狙いはそこなのだろうと思う。言葉遣いが粗雑という点でも共通している。

 しかしフクシマ危機の後でも、アフマディネジャドは同じ主張をするだろうか?イラン・イスラム革命後、急速な経済成長を遂げ、人口が約2倍半に増え、しかも生活水準向上の要求に応えなければならないイラン政権の、原子力発電にかける期待の大きさは理解できる。またイラン・イラク戦争で、イラク側が使用した毒ガス兵器のため多くのがん患者を出している現状をアイソトープ治療で何とか打開したいと考えていることも理解できる。しかしそれでも原発の選択は間違っている、と云わざるを得ない。核エネルギーが普段に放出する電離放射線は、確実に人間を「老化」させる。)


 8.NPTの三本柱とIAEAの任務の中の不均衡

 NPTはその鍵となる任務として、核軍拡競争を防止、核軍縮、核不拡散、そして参加か各国の核エネルギー使用の奪い得ない権利などの使命を帯びているにもかかわらず、核エネルギーの平和的利用を追求する各国にとって最も困難な状況がそのメカニズムと規則に存在し続けました。その逆に核兵器の実際の脅威を是正するための見直しをしようという有効なメカニズムは存在しませんでした。実際のところ核兵器の脅威を是正することは、IAEAのもっとも重要な使命でなければなりません。

 IAEAは、非核兵器保有国に対して核拡散のリスクを口実にあらゆる可能な圧力をかけ続けました。その一方で核兵器を保有しているものは完全な義務免除と排他的権利を享受してきました。

 友人のみなさん。

 核兵器の製造と貯蔵、そして幾つかの核兵器保有国によって実践されている政策は、NPTの条項の弱点および不均衡共々、不安定(この場合は安全保障の反対要因という意味だろうと思われる)の原因となり続け、核兵器開発を促進する要素であり続けました。

 今日、核軍縮、核の脅威を取り除くこと、そして核の不拡散は、継続的な平和と安全保障、友好を確立するもっとも大きな仕事とみなされています。

 しかしながら、問題はIAEAの中で核兵器保有国に賦与されている極めて特別な権威と核軍縮問題の決定的議題に関する核兵器保有国に対する信頼が果たして適切なものかどうかという事です。核軍縮と核不拡散に向けて、効果が期待できる形で自発的イニシアティブを期待するのは、非合理的でナイーブというものでしょう。それは単純に彼らが核兵器を優越性の要素と考えているからです。

 あるイランのことわざは、「ナイフは決してその柄を切らない」と云っています。主要なディーラーが安全保障確立に向けて取り組むと期待するのは、非論理的な期待というものでしょう。

 アメリカ合衆国政府は、核兵器製造、貯蔵、その使用、および使用すると威嚇することに置いては主要な容疑者ですが、NPTの見直しに関して主導的な役割を演ずるのは当然なことと主張しています。アメリカ政権は、最近発表した核態勢見直し(NPR)の中で、アメリカは新たな核兵器を製造しないだろうし、核兵器で非核兵器保有国を攻撃しないと声明しました。

 アメリカはその約束を決して重んじたことはありません。アメリカはその約束を守るにということに関して諸国はどの程度信頼するだろうか?、と問うて見られるがよろしい。その約束を実行するという保証がどこにあるのでしょうか?そして、その独立した(アメリカ自身に依存しない)検証を行うに際して何がツールになるのでしょうか?

 過去数十宇年にわたって、アメリカはかつては友人だった諸国との間の戦争と紛争の主要な当事者だったことを想起して見るべきでしょう。

 (この演説の最中、アメリカ代表の国務長官ヒラリー・クリントンはあまりに不当かつ下品な演説だとして国連総会場を、抗議を込めて退席した。またクリントンは、このアフマニネジャドの演説の後、自らの演説の中で、「今日の午前中、イランの大統領は、あいも変わらぬ退屈で、間違った、そして時として粗野な攻撃をアメリカとこの会議の他の諸国に対して行いました。」と述べたが、このアフマディネジャドの演説のどこが、退屈で間違っていて、粗野なのだろうか?アフマディネジャドは真実を語っている。第63回国連総会議長の元ニカラグア外相、ミゲル・デスコト・ブロックマンは、国連での公式演説の中で、アメリカを「戦争中毒の国」と呼んだ。これは少なくとも非同盟運動諸国の中では共通認識だ。)

 その上さらに、その同じNPRの中で、幾つかのIAEAの加盟諸国を、それは同時にNPTの参加国でありますが、核の先制攻撃の目標であると威嚇しました。

 アメリカ政府は、人を誤解に導く課題に焦点を当てることによって、その非遵守かつ不法な行動から世論の注意を常に転換させようとしてきました。最近では核テロリズムの問題を、自らの手の内にある核兵器敞の維持向上の取り組みの一部分として取り上げています。そして核軍縮問題から世論の注意を逸らし、胡散臭い問題に導こうとしてとしています。その一方で、テロリストを核兵器で武装させる、などという事態は、当の核兵器を保有し、またそれを使用し、またテロリストを長く支援してきた記録をもつ諸国によって(なされる)、というのが唯一考えられることです。

 (核兵器を保有し、かつそれを使用し、かつテロリストを支援してきた実績を持つ国と云えば、アメリカしかない。要するにアフマディネジャドは、テロリストが核兵器で武装する事態とは、アメリカがテロリストに核兵器を持たせるという事態以外には考えられない、と云っている。ここまで聞いた国連総会場の諸国代表の中には、特にNAM諸国の代表は、アフマディネジャドはイスラエルのことを云っている、と思ったものも居たに違いない。日本に住んでいるわれわれが、どれほど切実に考えるかどうかは別にして、“中東の狂犬”であり核兵器保有国のイスラエルを、中東非核兵器地帯構想の中に組み入れるかが、NAM諸国にとっていかに切実な政治課題であるかに思いを致すべきであろう。2010年NPT再検討会議での最大の成果の一つは、中東非核兵器地帯創設が国連社会で政治日程化されたことだが、この意義は大きく評価されねばならない。)

 NPRではアメリカはある核兵器保有国に対する核攻撃に関しては依然として沈黙を守ったままでした。それはある独立性を保持した諸国に対するプロバガンダ圧力を強めるためでした。これは、ある主要なテロリストネットワークが、アメリカの諜報機関と“シオニスト体制”によって支援されているためです。もし必要であれば、これからテヘランで開催予定の「テロリズムに対するグローバルな闘い」会議の期間中に、このコネクションについて信頼に足る証拠が公表されるでしょう。

 NPRでは、アメリカは新たな核兵器を開発しないと明記しています。しかし、彼らは質的に核兵器改善は継続するとしています。核兵器の質的改善は、核兵器の殺傷力や破壊力の増加と同じ価値を持ちます。その事自体、垂直的な核拡散を意味しています。加えて云えば、それらの政策は検証不能です。というのは、アメリカとその同盟国の核計画に対して、独立した権威機関の監督は存在しないからです。

 ワシントンで開かれた「核安全サミット」とテヘランで開かれた「核軍縮および核不拡散会議」とを比較してみましょう。前者の主催国(アメリカのオバマ政権のこと)の努力は核兵器の独占の保持と他諸国に対する優位性の保持にその狙いがありました。一方で後者の会議では、すべての参加国が核兵器のない世界(a world free from nuclear weapons)を探究しました。テヘラン会議でのモットーは「みんなのための核エネルギー、だれのためでもない核兵器」("Nuclear Energy for all, Nuclear Weapons for no one")でした。

 NPT再検討会議直前の2010年4月、アメリカ・オバマ政権主催の「核安全サミット」が開かれた。核テロ対策を口実にした核不拡散が中心テーマだった。これをアフマディネジャドは「核兵器独占保持の狙い」と形容したわけである。一方で、イラン主催の、テヘランで核軍縮・核不拡散」会議が開かれた。完全核軍縮(すなわち核兵器廃絶)と核エネルギーの平等な利用を強調した。「たった一つの核犯罪国が存在する」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/iran/tehran_01.htm>)などを参照の事。

 議長、栄えある代表団のみなさん。

 核軍縮、核不拡散、そして核エネルギーの平和利用という人類の努力を実現するために、私は次の提案をなしたいと思います。

 1.NPTの見直しと成就
 NPTは「核軍縮と核不拡散条約」(Nuclear Disarmament and Non-Proliferation Treaty −D.N.P.T)に進化すべきであります。そして核軍縮が、単一の国際的保証に裏打ちされた透明で法的拘束力をもつ効果的なメカニズムを通して、その委任事項(mandates)の中心に据えられなければなりません。

 2.核軍縮と拡散防止を完全かつ計画的に管理監督することを含めて、NPT第6条を運用するガイドラインを設定する準備を行う会議から完全な権限を受けた、独立の国際的グループの設立

 このグループは、ある決められた期限をもって全ての核兵器の完全廃絶のためのデッドラインを設定し、全ての独立国が実効的な参加をしてその仕事を主導すべきであります。

 (ここまでお読みになって、アフマディネジャドの提案が、2010年NPT再検討会議におけるNAM諸国全体の提案と意志だったことに気づかれるだろう。そしてこの提案をめぐって、会議の最終日の午後5時の最終文書合意期限ぎりぎりまで、アメリカ・フランスを中心とする核兵器保有国と西側同盟国と、NAM諸国全体の間でつばぜり合いが演じられたわけだ。)

 3.核兵器保有国の側で完全核軍縮が成就されるまで、差別や前提条件抜きの、法的に拘束された包括的な安全保障の保証を導入すること。

 4.全てのタイプの、核兵器やその関連施設の改良や研究、開発を即時停止すること。そして前述のグループによる検証体制の導入。

 5.核兵器の使用、維持、拡散、改良、貯蔵、製造を完全に禁止する法的に拘束力のある機関の採用。

 6.核兵器を使用したり、使用すると威嚇する核兵器保有国のIAEA理事会メンバー資格を停止すること。

 これら諸国の現在のそして政治的影響力は、今までのところ、IAEAがその委託事項を遂行することを妨げています。特にその第4条と第6条に関してそのことが当てはまります。そしてこのことは、IAEAがその認められた使命を統括推進することから逸脱させております。特に、日本に対して原爆を使用したばかりでなく、イラク戦争で劣化ウラン弾を使用したアメリカが、IAEA理事会メンバーにいかにしてなっていられるのか?

 7.NPT非参加国とのあらゆる核協力の停止。そして非参加国との協力を継続する諸国に対する罰則的手段の採用。

 8.いかなる形でも核兵器を使用すると威嚇したり、あるいは平和的核施設を攻撃したりすることは国際平和と安全保障に対する侵犯行為であることを考慮すること。またそうした威嚇国/攻撃国と全てのNPTメンバー国間の協力停止および国連の速やかな対応。

 (実際、アメリカもイスラエルもやりたい放題だ。)

 9.1995年再検討会議で、採択された中東非核兵器地帯創設に関する決議の即時のそして無条件の実施。

 10.アメリカの軍事基地、およびドイツ、イタリア、日本そしてオランダを含むその他の同盟国に常駐している核兵器を廃棄すること。

 (イランは日本のアメリカ軍基地に今でも核兵器が常駐している、(配備ではないにせよ)と見ている。これはNPT再検討会議の一般討議の席での公式発言だ。事実に反するなら日本政府は、イランに正式抗議し謝罪を求めるべきだ。当日日本政府代表団はイランに抗議して、アメリカなどとともに退場したが、その後は何事もなかったかのようだ。日本の報道も単に「無礼な発言」としてその詳細を伝えなかった。あるいは発言内容をしらなかったのかも知れない。どちらにせよ、イランもこれだけの発言をするわけだから、なにがしかの根拠を持っていよう。日本政府が抗議しないのはおかしい。「非核三原則」という内閣方針をイランは公然とウソだ、少なくとも信じてはいない、と発言したのだから。)

11.安全保障理事会の構造的改革へ向けての集団的取り組み
 現在の(国連)安全保障理事会の構成は極めて不公平かつ非効率的です。そして主として核兵器保有国の利益のために働いています。NPTを見直し成就することとあわせて理事会の構造を改革することは、IAEAの目的を実現するにあたって基本的要素であり、内的関連を持っています。
 
 聡明なる代表団のみなさん。

 偉大で文明化しまた豊かな文化をもつイランを代表して、またイランは常に神の信仰のさきがけであり、また正義と世界平和のさきがけでありましたが、私はイラン・イスラム共和国がこれら提案や核軍縮と核不拡散、そしてクリーンな核エネルギー使用へ向けての正しい計画を具体化する側に立つものであることを声明します。

 フェルドスィー、ハーフェズ、サナイー、バッシュ・バフギー、イブン・スイーナー(ヨーロッパでアビセンナ)、アブルーイハン、シャリアール(いずれも古代ペルシャから近代ペルシャまでイランが生んだ詩人、哲学者、科学者など。軍人や皇帝、あるいは征服者は一人もいないことに注意)やその他の独立と自由の探求者、またイマム・ホメイニーのような知識人・賢人を育んだイラン、彼らを人道主義に授けた国イラン、人類に常に愛と友好と平和を要求してきた国イラン、国際連合の中で燦めく詩、「"Of one Essence is the human race, Thusly has Creation put the Base"」を書いたサアディーの詩の国(サアディーは中世ペルシャの詩人。私は浅学にしてこの一節を日本語に訳すことが出来ない。)、2500年前に奴隷制を廃止した国、私は偉大なる国イランのことを云っているのですが、そのイランを代表して、核爆弾を開発する必要性は全くないこと、核爆弾は名誉や威厳の源泉では少しもないことを宣言します。

 イラン国民の論理と意志は、世界の全国民の論理と意志の反映であります。すべての諸国民は、平和と同胞と神性をこよなく愛しており、また差別と不正義に苦しめられています。

 私の同僚の多く、国家の首脳、そして多くの思いやりのある人や正義の探求者、高僧、論評家などは私との話の中で、地球規での軍縮とクリーンな核エネルギーの平和的使用の拡大が死活的に必要だという見解を共有しています。また、前述の提案の中で示したような、この分野での独占を打ち破ることの必要性も共通した認識です。

 これは、多くの独立した諸国民と国家の心からの要求です。すなわち「みんなのための核エネルギー、誰のためでもない核兵器」 従いまして、このまさに会議の中での私の発言の真意と私自身の存在は、それらの人々の存在と要求の、単なる代弁に過ぎないのです。

 賢明なる同僚のみなさん。

 さて、核兵器の製造と貯蔵は力と威厳の源泉だと依然として維持する人たちに向かって、今少し云いたいことがあります。

 彼らは、核兵器に頼る時代はすでに過ぎ去ってしまっていることに気がつかねばなりません。兵器を使用すると威すこと、とりわけ核兵器ですが、製造、貯蔵は人々を、一貫した論理と賢い態度の欠如として特徴づけます。現代は諸国民と思慮と文化の時代です。国際関係において兵器に依拠することは、賢明でない時代錯誤の国家の遺産です。 

 覇権主義の政策(the hegemonic policy)は、失敗しておりまた新たな帝国建設を夢見ることは、儚い望みです。決して実現することはないでしょう。これは明々白々なことであります。

 前任者が失敗した政策を続けるのではなく、諸国民と独立国家と人間の知恵と文化の清明で広い大海に参加する事の方が、より優れています。これが彼らの最良の利益にかなうことです。

 安全保障、平和、正義は世界中の正しい人たちや完璧な人の手によって成立するでしょう。「論理の力」は「力の論理」に打ち勝ちます。(”The power of logic would prevail over the logic of power.”)

未来には威張り散らしたり傲慢に振る舞う事への余地は全くありません。神性と正義に基づく基本的改革に向かって世界中の諸国民の共通した運動は、すでに国際関係の中で開始されています。

 (このコメントと2010再検討会議の結果とを重ね合わせてみると興味深いだろう。)

 私は、アメリカの大統領、オバマ氏をこの人類運動に招待します。もしまだ彼がそのモットーである「チェンジ」に関与しているのであれば、ですが。というのは“明日”はこのためには遅すぎるからです。 

 私はこの会議の議長、栄えある聴衆、そして平和と正義の確立に骨折る人たちの努力を評価したいと思います。

 親愛なる友人のみなさん。

 協力と連帯と調和を通じて、正義と平和に祝福された世界を確立しようとするわれわれの努力は、達成可能です。そして「みんなのための核エネルギー、誰のためでもない核兵器」のモットーは、人間と自然との間におけると同様、人類の間の相互行動の基礎となります。

 正義が実現する日、誰も怒り狂わない日、を希望しましょう。たとえそれが起こったとしても、再び、いかなる兵器もそれを満足させないことがわかることを希望しましょう。

 人間、
 正義と自由を歓迎
 愛と厚意を歓迎
 思いやりの学派の追随者と愛する人間を歓迎

 みなさん方に成功と繁栄あれ。