トルーマンと原爆、文書から見た歴史
           編集者 Robert H.Ferrell(ロバート・H・ファレル)


第13章 サミュエル・マクレア・カバートから大統領へ 
8月9日 大統領の返信 8月11日

 新しい核兵器に関する声明で米議会のメンバー及び米国民がその存在を知った直後から、トルーマンのもとには大変な反響が寄せられた。太平洋戦争の慌ただしい最後の数日の間、ほとんどのアメリカ国民は大統領を支持し、核攻撃を支持した。大統領は自分お手元に寄せられる手紙や電報すべてに、賛成であれ反対であれ、返事を出すわけにはいかなかった。しかし、次の、著名なプロテスタントの聖職者からの抗議の電報には、返事を出した。


  注 記

1. C・ブロムリー・オクスナム司教はメソディスト派のリーダーの一人である。ジョン・フォスター・ダレス(アイゼンハウワー政権時の国務長官 1953年―1959年)は長老派教会の有力信徒の一人。
2. ラッセル上院議員に対する返事とこの返事の間には大きなコントラストがある。恐らくは和平を巡って次から次へと生起する出来事、ヒロシマ、ソ連参戦、長崎、それからあと5日間(8月10日から14日まで)、日本がポツダム宣言を受諾するまで、ほとんど毎日の様に生起する出来事に、希望がふくらんだり凋んだりするその気持ちの揺れ、と言ったところからしか説明し得ない。