(原文:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/large/documents/index.php?documentdate=1945-07-18&documentid=2&studycollectionid=abomb&pagenumber=1


1945年7月18日

 甥のハリーと朝食。彼は野戦砲兵隊の軍曹である。いい兵隊でナイスボーイだ。
グラスゴーからクイーンエリザベス号に乗ってここに到着した。金曜日には故国に帰る。1時30分にはP.M.(Prime Ministerの頭文字。チャーチルのこと)との昼食に出かける。イギリス軍の司令部にぶらっと歩いていく。門のところでチャーチル氏に会った。儀仗兵を閲兵。立派な体格の男たちだ。スコットランドの儀仗兵。軍楽隊が米国国歌(The Star-Spangled Banner)を演奏した。護衛兵を査察して、そのまま昼食に行った。P.M.と私だけで昼食を摂る。マンハッタンについて議論(成功だ)。スターリンにこれを伝えることに決める。スターリンはこれに先立って日本の天皇から和平を求める電報を受け取ったことをP.M.に伝えていた。

 またスターリンはこれに対する回答を私に読んでくれた。満足のいくものだった。ロシアが来る前に日本が音を上げるだろうと確信する。マンハッタンが日本本土を覆えば日本は音を上げることは間違いない。適当な時期を見てスターリンにこのこと(マンハッタン)を話しておこう。

 スターリンとの昼食会は最高に満足のいくものだった。彼を米国に招待した。もし来るなら戦艦ミズーリを派遣するのでそれに乗ってきてはどうか、とも云った。スターリンは戦争でアメリカと協力関係にあるのと同様平和でも協力関係を持ちたいと云った。またアメリカについて大きな誤解をしていたとも云った。私もロシアについて誤解していた。私はお互いの国の状況を救済するためにお互い助け合おうではないか、私は自分の国で自分の役割を果たすつもりだと、スターリンに云った。
   スターリンは実に誠意あふれる笑顔を私に返して、自分は自分の役割を自分の国で果たす、と云った。

 それからわれわれは会議に臨んだ。大臣たちのの要請する議題を、会議に提案するのは私の役どころだ。私は手短に、バンバンっと片づけてしまった。驚いているチャーチル氏。スターリンはこの上もない上機嫌だ。体勢を立て直したチャーチル氏もまた上機嫌だった。演説に単に耳を傾けるためにこの夏中、こんな酷いところにいるつもりはない。国に帰って、上院に行こう。