<参考資料> 転換期に当面せる労務問題 満州日日新聞 1942年


* この記事の引用元は神戸大学図書館新聞記事文庫である。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.j
sp?METAID=00805745&TYPE=HTML_FILE&POS=1
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* この記事は満州日日新聞が1942年(昭和17年)、すなわち太平洋戦争勃発の翌年4月に(上・中・下)と連載した記事である。執筆者は、満州日日新聞・新京支社の前田記者である。満州日日新聞が、満鉄の機関紙存在であったことを考えると、この記事は、満鉄の「満州国政府」に対する痛烈な批判と読むこともできよう。また満鉄と「満州国政府」がこの時点で一体のものだったと考えれば、日本政府批判ともとれよう。ともかく前田記者の記事は、満州における労働力不足に対して悲鳴が上がっている。しかもこれほどの「労働力不足」は、おかしなことに予想する人は少なかった。(数年まえから予測する人もいるにはいた。)
* 当時の新聞記事のスタイルから読点のみで句点がない。また段落替え、行替えも少ない。従って読みやすくするために、句読点、段落替え、行変えをいれた。漢字や仮名遣いは、神戸大学・新聞記事文庫のテキストのままである。また記事タイトル、中見出しもテキストのままである。
* 青字(*)は私の註である。

転換期に当面せる労務問題 (上・中・下)
(上) 立遅れた労働計画 第一次計書最大の障碍

一、労務問題の地位

我が満州国が大東亜開放の先駆として牛駆して以来茲に十年、いまや東亜共栄圏の中堅として、親邦日本の力強き一翼として、未曾有の大戦完遂のための力強き援護生産基地として、新たなる重大使命の下に、更に大いなる第二建国への逞しき発足を見たことは意義深きことと云わねばならない。
草創期十年(*1932年から41年まで)の間は、国家建設に経済建設に血の滲むような荊棘(*けいそう。いばらのこと。麻生さん、読めるかなぁ。)の道が辿られたが、第二建国の前途には更に幾多の克服すべき困難が横はることが予測されねばならない。
今、この国が当面せる問題の中最も緊急且つ重要なるものの一つは労務の問題ではなかろうか。数年前の過去にあっては持てる国、満州にあって最も豊富なものは労働力であるといわれた。
北支(*華北地方)の農村から洪水の如く北上する工人(*当時の言葉で苦力のこと。工労ともいう。注意しなければならないのは工場労働者のことを指すのではなく、農業労働者を含めた単純労働者のことである。)の季節的流動は満州労働資源の無尽蔵を想わせるものがあった。
嘗ての大東公司(*台湾の「南国公司」を参照して、外国労働者取扱機関である「大東公司」が1934年に満州に設置された。それ以後、大東公司が発行した査証を持たなければ、入満はできなくなった。また仕事自体もこの査証を提示しなければ得られなくなった。つまり大東公司は、満州への労働者制限機関であった。)は、北支より流入する労働者を制限することを以て目的とした程であったが、然るに今日は数千万円の募集費を以て北支からの労働の勧誘するも、なお足らない状態である。
第一次五ヶ年計画(*満州経済5カ年計画のこと。1936年にスタート。)の策定に当って先ず第一に、取り上げられたものは資金計画だけであった。
情勢の推移は次いで物資の計画化を余儀なくし、それは物動計画となって現れた。かくて第一次五ヶ年計画の実施は金と物との両面からのみ検討が続けられたのであった。
労働計画が問題となったのはこの物動計画より更に後のことである。このような労働計画の立遅れが第一次五ヶ年計画の完遂の上に最大の障碍となったことは明白な事実である。
建国に次ぐ支那事変(*1937年)の勃発、更に大東亜戦の宣戦と急転せる情勢の推移に伴ってわが国の経済問題の中心も金から物へ、物から人への過程を辿ったのである。
そして嘗ては一顧だにされなかったこの国(*満州国)の労働問題は、今や産業満州が焦眉の急を告げる最大の問題として取り上げられるに至ったのである。
例を列強諸国に徹するでもなく世界の自由通商が断絶して幾つかの国家群が自給経済圏建服のために凄絶な戦いを続けている現在、黄金の昔日の光を失い、労働こそ価値の根源として珠玉の光を認められているとき、共栄圏北方の拠点として高度国防国家建設を標榜するこの国の労働問題を取り上げることの何ぞ遅きと怪しまれるのも無理からぬことである。

一、労工協会の解消

(* 労工協会とはこの場合満州労工協会のこと。労働事情逼迫に伴い、「満州国」は1938年=昭和13年、満州労工協会を発足させた。<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?M
ETAID=00731142&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA
> 目的は満州に労働力を流入させることにあった。満洲側による入満労工の募集は満洲労工協会の統制下で統制団体による統制募集となったが、各業者は把頭の募集に頼ることが殆どであったため、統制政策の実施は全入満者の三分の一しか掌握できなかった。これは、炭鉱など重要国防産業における労働力不足の重要な一因であり、華北労工に対する労働統制は失敗したといえよう。)

わが国産業開発の第二段階ともいうべき第二次五ヶ年計画(*1941年からスタート)の樹立に当って、政府は石炭部門並びに農産部門に重点を置くことを明確にしたことは、日満支を一環とする計画経済への一段の前進を示したものであるが、これが原動力となる労働部門においても、昨年九月十日の国務院会議において労務新体制確立要綱を可決し今後の嚮ふ所を明示したのであった。
労務新体制要項は、政府における労務行政機構の刷新整備と業者側における相互協力機構の設立とをその二大眼目とするものであるが、ここに四ヶ年に亘って労働統制実行機関としての役割を終えた満州労工協会は発展的解消を遂げて、右の両機構に分散吸収されるに至ったのである。
満州労工協会は康徳五年(*1938年=昭和13年)一月労働統制実行機関として設立せられたものであるが、その設立の趣旨とするところは、

一、 産業開設、特に五箇年計画に対欧し労働力の円滑なる供給を図り以て之が計画達成を期す。
二、 一朝有事の際における国民総動員の要請に関し現施設に於て、人的資源の円滑なる育成を図り以て之が完成を図る。
三、 労資関係を調整し労働者保護及び扶助の途を講じ、其他社会政策の実現の途を講じて労働大衆の生活の安定を期す。
四、 労働者の統制(労働登録及び労働票の配給)により犯罪捜査模索を授けて以て治安の粛清を期す。

以上の四点であった。その後康徳六年(*1939年=昭和14年)六月には、外国労働者の導入統制機関である大東公司を統合し、更に関東州労務協会を同化し、ここに満州及び関東州に亘る唯一の労働行政補助機構として複雑にして困難なる労働統制の一元的実施に乗り出したのであった。
然しながらその実績は必ずしも輝かしいものではなかった。労働情勢の深刻化に伴い、労働力の不足はあたかも労工協会の責任の如くに非難せられ。或る場合においては政府労務行政の責任転嫁機構となり、また或る場合には業者の計画未遂行の責任転嫁の対象ともなったのである。然し現下の労務情勢下にあって、誰かよくこれを好転することが出来たであろうか。そもそも労工協会の脆弱性は協会自体の性格に起因するものであった
労工協会は政府の補助機構として設立せられ、労働者の団体でもなく、事業者の団体でもなく、政府と民間との間に介在する中間的存在に過ぎないものであった。
新しき理念の下に複雑困難なる労務問題を解決せんとする労務問題を解決せんとする労務新体制はこの満州労工協会の批判検討の上に打ち樹てられたものである。
即ち新体制下の労務指導機構は満州労工協会の仕事のうち行政的機能の部分、即ち労働票の発給、職業紹介、労働市場の管理及び保有、施設の経済等は之を政府または地方団体に移管し、一方事業者のための斡旋事務に属する部分は事業者の自治統制機関を新に設立してこれを処理することになったのである。
ここに満州労工協会の持つ二つの機能は、一は政府の労務行政機構である民生部労務司の拡充整備となり、一は事業者の自治統制機関である満州労務興国会並びに各省労務興国会の誕生となったのである。

北支依存性脱却へ 労務興国会設立の意義

一、労務新体制の確立

戦時下における労務対策の根本課題は労働力の合理的計画的配置と、その合理的保全培養の二点に要約し得る。
そして之が為めには強力なる国家的統制が行われなければならない。第一次産業開発五ヶ年計画を終え、第二次五ヶ年計画の初年度を控えて、政府は全産業の焦点にまで浮かび上った労務対策の方向を明示し、戦時下労働力の総動員体制を確立するため、昨年九月勤労尊重、国民皆労、勤労興国を根本基調とする労務新体制確立要綱を決定し、ここにわが国の労務対策は漸く本格的発展段階の第一歩を踏み出したのである。この劃期的要綱中、労務体制の刷新及び調整に関しては次の八項が挙げられている

一、 勤労を伸長し国民皆労の美風を作興し以て国家興隆の根義を確立せんがため、挙国勤労興国運動を振興助長し、これを指導統制し、又労働力の計画的配置と合理的活用に資するため、賦役及び勤労奉仕の統制を強化、民生部は各部及び関係機関の協力によりその事務を管掌し、開拓地及び開拓団に関する勤労奉仕は現行の通り開拓総局においてこれを管掌す。
(* ここで国民、と呼んでいるが、戸籍法をもたず、「満州国国民」すら確定しえない国に「国民」など存在しようがない。従ってここはあくまで擬制としての国民である。実態は華北からの出稼ぎ労働者であった。)
二、 労働力を伝統的北支(*華北)依存の度を軽減せざるを得ざる、客観的の情勢にあるに鑑み、国内労務動員を強化し労力の配置を規正すると共に労働者の保護及びその家族の援護を確保し、以て国内労力自給体制を確立しこの間行政の滲透を図り、且つ女子労働力を活用するものとす。
三、 労需の適正なる配給は労務管理及び移動防止の根本なるのみならず賃金統制の徹底及び国内労働者募集円滑化の前提なることを確認しその配給を確保す。
四、 労働統制は自治的統制より行政的統制に転換し、募集統制より雇傭統制にまで高度化せしめ、殊に商業部門における使用人の数、性及び年齢等に制限を加え、他面事業者並びに労働者の道義心を喚起し以て労働資源の節減と労働能率の向上を促進す。
五、 下級技術工の不足を克服することを目途とし、その事務の刷新向上を期し関係部管掌範囲を調整す。
六、 満洲労工協会の管掌せる労働票の発給、職業紹介、労働市場の管理及び保有施設の経営等は政府又は地方団に於てこれを行う。但し保有施設は事業者が業とするその福利施設は経営することを妨げず。
七、 満洲労工協会はこれを解消しその業務のうち性質上行政事務に属するもの、又は行政事務にして協和会において代行せるものは政府に於て、事業者のための斡旋事務に属するものは新たに設立せらるべき事業者の自治的統制機関において処理するものとす。
八、 政府、協和会は一体となり全国的勤労興国運動を展開する。
以上の外労務行政機構の整備、労務興国会の新設、事業体における労専務機構の整備の三が挙げられているが、これは飽くまでも基本要綱であって、その示す所に従ってこの国の労働政策は、或は急速に或は徐々に、この半歳の間に展開しつつあるのである。
その最初の顕現として満洲労務興国会並びに各省労務興国会が十一月初旬を期して全満に設立せられたのである。


一、労務興国会の設立

満洲労工協会は、その中間的存在の故に過渡的役割を終えて発展的解消を遂げたのであるが、労務新体制確立要綱の示す所により新たに設立せられた満洲労務興国会並びに各省労務興国会は、労工協会の批判検討の上に打ち立てられたもので、事業者の自治的統制機関たるところに新たなる性格と使命とを有するものである。
人を対象とする労務統制は単に政府の労務行政のみによってはその完璧を期し得ない。これに配するに事業者並に労働者の自主的翼賛体制が樹立されねばならない。
各事業者が興国会々員となって単なる受身の態度を揚棄し能動的に自己の責任に於て労務統制に参画協力すとるころに新しき意義が見出されるのである。
而してその形態は地方の特殊性を考慮し各省を単位とする省労務興国会を設け、更に省労務興国会及び全満組織を有する会社又は団体中政府の指定するものをもって構成する中央機関として満州労務興国会が設立せられたのである。
省を単位とする労働統制機関の設置は将来におけるこの国の労働力の北支依存性を脱却し国内労働力動員により労働力の送出を意味するものであろう。
ここに問題となるのは別個の法人である、省労務興国会と満州労務興国会の連関を如何にするかということである。もとより統制の劃一性と個別性との総合的遂行を所期せる劃期的新機構と考えられるが、この問題は第一回の理事長会議においても論議の中心となったということであり、今後その使命たる一元的労務興国運動展開の実際的運営に当って障碍とならなければ幸いである。
さて以上の如き性格と形態の下に設立せられた労務興国会の課せられたる使命は、

一、 労務興国運動の振興に関する事項
二、 全国労働統制規定の設定及びこれが励行に関する事項
三、 国内又は国外労働者の募集又は招致の斡旋に関する事項
四、 労働者の福利厚生に関する事項
五、 労働者生活必需品の配給斡旋に関する事項
六、 労働科学の研究及び科学的労務管理の指導に関する事項
七、 民生部大臣より特に命ぜられまたは委任された諸事情

以上の七項であるが、さきに満洲労務興国会の発表せるところによれば、本年度は事業の重点を、
一、 政府の労働□募集の協力
二、 労需物資の適正なる配給
三、 労賃昂騰の防止
四、 労働者争奪の防止
に置き、当面の問題解決より第一歩を踏み出すことになったが、一面消極的に見られるこの発足は現下の実情に即応せる堅実なる第一歩と云うことが出来よう。


(下) 国民皆労法制化 奉仕制創設要網決定の運び

一、政府の諸施策

曖昧の域に低迷を続けていた我が労務対策に劃期的一大転換を断行し、国民皆労体制確立に敢然と乗り出した政府は、その第一看手として叙上の如く労工協会を解消して業者の自治的統制機関たる労務興国会を創設し、一応民間における総動員体制の基礎を築いたのであるが、政府自体としての諸方策は如何に展開されつつあるであろうか。
労工協会の行政的分野を吸収しより強力なる国家的統制体制を整えるため、昨年十二月民生部労務司の拡充強化を行った、即ち従来の労務、動員、輔道の三科を新たに労務、第一動員、第二動員、養成、輔道の五科及び管理官、調査の二室とし、勤労奉仕に関する事項ほか二項は第二動員科、技術工の養成並びに配分に関する事項ほか二項は養成科、労務管理の指導及び監督に関する事項は管理官室、労働事情及びこれに関係ある調査に関する事項は調査室がそれぞれ管掌することとなり、中央機構としての形態を整えたのである。
就中、新たに設けられた管理官制度は、従来あまりにも業者の自由に放任されて来たため、労働生産性を阻害する労働者移動の根本要因と見られる労務管理に関して科学的検討と国家的指導を加える新部門の開拓として、調査室における基礎的調査と共に今度の適切なる運営が期待されるのである。
ここに中央機構整備とこれに伴う地方労務行政制度の強化を見た政府は、新体制要綱中最大の眼目ともいうべき国民総勤労働奉仕体制を確立するため、国兵法(*満州国独特の徴兵制。国民が存在せずに徴兵するわけだから、矛盾に満ちているが、この国兵法実施によって、中国人労働者の離満が増加し、労働力不足に拍車をかけた。)にも比すべき劃期的制度として勤労奉仕制の法制化に着手した。
同制度方策の適否は直に国民生活に影響するところ少くないので、政府はその立案に当っては極めて慎重なる態度をもって臨み、政府、協和会、民間の首脳者を網羅する勤労奉仕制審議委員会を組織し、昨年十二月五日第一回委員会を開催して以来籔次に亘って委員会、幹事会を開催、審議を続けて来たが、来る五月五日の委員会において国民勤労奉仕制創設要綱を正式に決定する運びとなった。
その骨子とするところは国民にして十九歳に達したるものは国兵検査と同時に肚丁登録を受け、登録肚丁のうち国兵として国家の義務に服するもの及び不具廃疾の者はこれを除き、残余の者は二十一歳より二十三歳迄の間において数ヶ月を国家及び省市県旗のために勤労奉仕をなすものとみられているが、こ□□□□□□□□の精神を体得せしめ□□□□□□民錬成の機会を青年□□□□□□るもので国民皆兵の□□□□□真に劃期的制度となるであろう、この場合学生は特別の勤労奉仕隊を編成し、また労務管理は国家の責任において行われるものであり、奉仕作業は国防建設、国防的生産力の拡充維持に向けられることは勿論である。
この外、三月一日には昨年七月制定せられた国内労働者募集緊急対策要網を法制化したる緊急労働者就労規則を公布実施し、国内労働力の緊急動員体制を確立し、次いで之が保護法としてその使用準則が制定せられた。
一方労働力の合理的計画的配置を行う基礎的資料として尨大なる労働者の全国的需給調整調査を行ったことは、行わるべき当然のこととはいえ、その労作に手を染めたことは不明確であった実体を或る程度把握するものとして大きな意義がある。
又四月一日には適正なる賃金の規則により労働力の計画的配置と労働者の浮動防止の徹底を期するため鉱工、土建、交通、林業の各業種の労働者に適用する賃金統制規則を公付施行した。
同規則の施行は近く公布の運びとなっている日傭農業労働者の賃金統制規則と相俟って、従来の労務統制を一歩前進したものであるが、示された基準がどの程度まで妥当なるものであるかは今後の運用によって明らかにされるものであろう。また同じく一日には重要産業部門たる炭鉱鉄鉱業の労働者募集地盤の設定が決定公布された。
国外労働者の依存を脱却し、国内労働力の培養確保する為には、重要鉱工業地区の背後地培養が必要とされているが、無統制なる事業者間の協定により募集地盤の重複を防ぎ、民生政策と労働者供出の調和を図るため、県を単位とする募集地盤が明確にされたもので、業者の自覚的協力によって無益に浪費されていた手敷と募集費が今後その背後培養に振向けられることが期待される。

一、労務対策の将来

昨年十一月労務新体制がその緒に就いて以来半歳に過ぎず、この複雑多岐にして而も未だ曖昧の藜明期を脱せざるこの国の労務対策を批判することは時期尚早といわねばならないであろうが、その前途に横わる諸問題は必ずしも楽観を許さざるものが少くない。
而も事態は一刻の容赦もなく多量の労働力とその質的向上とを要求している。
而して労務の問題はあらゆる経済部門との関連において解決されねばならない。
国内労働力の供出については、直に営業部門との協調均衡を必要とし、労需物資の確保に関しては直に軽工業部門との関連において考究されねばならない。
しかも一般産業部門と農業部門との間の労働移動は、満州労働移動の大きな特色をなしているのである。更に婦人労働力の誘致、労務管理の改善、幼年少年工の保護対策、技術工の養成等々幾多の難問題がその早急なる解決を迫つているのである。
これらの事態に処するに、現在の行政機構を以て果して充分と云えるであろうか。
従来の生産力拡充の目標は物的資源の拡充にのみ偏して人的資源の重要性を閑却するの傾向にあった。
しかしながら物的資源は人的資源との結合において初めて資源としての機能を発揮し得るものである以上、労務対策こそ刻下の急務中の急務といわなければならない。
しかも、今なお技術員の賛成は経済部において、交通、土木の労務に関しては交通部において、農村労力の問題は興農部においてそれぞれの機能と有為なる人材を有していることは、緊急を要する労務全般の上から見て、これを一つのものに集結してより強力なるものとすることが必要ではなかろうか。
これがためには現在の労務司を独立せしめて、外局的のものにまで拡充強化することも強ち無用の論議とは云われないであろう。そして複雑怪奇なる労務の実体を把握するためには、多年の経験に磨かれた民間人の意見に徴することが施策の適切を期する上から必要なることは亦論を俟たないところである。

(* いやはや、なんとも。官僚の作文で問題が解決できるという典型的なケースである。ところがその官僚の作文政策をだれも信用していない。現実に1945年には必要労働力の10%も確保できない、という状況がついに発生するのである。)