<参考資料> 南満州における2つの障害末広重雄談
1915年 大阪朝日新聞



1915年5月14日・15日両日にわたって、大阪朝日新聞に掲載された末広重雄の談話である。末広重雄は京都帝国大学教授で専門は法学。国際政治評論家のはしりとする見方もある。(http://www.s-ito.jp/home/research/maida/bunka1.pdf
当時の新聞のスタイルとして、句読点がない。だから句読点を入れた。
行替え、段落替えも少ない。だから入れた。
不十分ながら調べてみると、ポーツマス条約によるロシア権益の継承は期限が25年しかない、という事実は、「21ヶ条要求」事件まえには、一般向けの言説では余り触れられていなかった。だから一般の共有認識にはなっていなかったのではないかと思える。(なにかで確認が必要だ。)いわゆる21ヶ条条約後に急にこの言説が一般向けに増えたように思える。この末広の談話などが好例だろう。
21ヶ条要求で南満州を手に入れた日本帝国主義の、満州に対する期待が沸々として語られた記事として読んでも結構面白い。時代の雰囲気を伝えている。
(*青字)は私の註である。
資料の出所は神戸大学・新聞記事文庫である。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10024088&
TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

(以下本文)


満洲発展の障碍去る (上・下)

法学博士 末広重雄氏談

(上)

 日露戦争の結果南満洲は我が勢力範囲となったが、従来其実を挙ぐる事の障害となったものが二つあった。

 其一は南満洲に於て有する我が重大な権利、精力範囲の根帯ともなる可き権利の薄弱なる事であった。関東州は日露講和条約第五条に依って、露国より租借権を譲受けたものである、露国は此地を千八百九十八年(*1898年)、即ち去る明治三十一年三月の露清条約に依って、調印の日より二十五年を期限として、租借して居たものであって、我が国は露国の権利を其儘、継承したのであるから、千九百二十三年(*1923年)即ち大正十二年に租借期間が満了となる筈であった。

 南満洲に於ける我が最大の利益たる、南満洲鉄道及該鉄道に属し、又は其利益の為に経営せらるる一切の炭鉱は、日露講和条約第六条に依って露国より譲受けたもので、露国が支那より該鉄道の敷設権を得た東清鉄道会社設立に関する支露条約第十二条に依ると、該鉄道は運転開始の日より、即ち明治三十六年七月より起算して、三十六年の後支那政府が、代金を支払うて之を回収するの権利があり、八十年後には代金を支払う事を要せずして、支那の有に帰する事となって居た。

 財政貧弱なる支那の事であるから、代金を払うて回収することは実際あるまいが、其権利丈は疑なく存して居った。

 更に日露戦争中我が国が、軍事上の目的の為安東県(*現在の丹東)奉天間に敷設した狭軌鉄道(*安奉線)は、明治三十九年一月の満洲に関する日支条約の附属条約第六条に依って、我が国は此の鉄道を各国商工業の貨物運搬用に改め、引続き経営するの権利を得たのである。該鉄道は工事完成の日より起算して十五年、即ち大正十五年(*1924年)に支那政府に売渡すべきものであった。
以上説明するところに依って明かなる如く、関東州の租借期間は余すところ僅に八年、安奉鉄道は十一年、南満洲鉄道は二十四年後に期限が来るのである。 

 即ち関東州と之に附帯して二つの鉄道の期限は、何れも久しからずして到来することになって居たから、南満洲に於ける我が国の地位は甚だ不安のものであった。

 欧洲列強が支那に於て有する租借地を観るに、独逸の膠州湾は明治三十年より、仏国の広州湾英国の九竜は明治三十一年より起算して、何れも向う九十九年の期間であって、還附の問題は容易に起って来ない(威海衛は英国が明治三十一年に、露国が旅順口占領の期間という約束で租借したのであるが、露国が其租借権を日本に譲った後と雖も、尚還附せずして今日に至った)

 我が国が露国から継承した、関東州のみが二十五年の短期の租借となって居た事は、我が国に取って大なる不利である。最も此の露清条約の第三条に依れば、満期の際は両国の商議により、租借を継続することを許すべしとあれど、場合によっては支那が如何なる異議を挿むやも計り難いが、日露戦争という大戦争を為し、大犠牲を供して漸く獲得したる権利を、むざむざ返すことは国民の忍ぶ能わざるところ、好機会に乗じて租借継続の交渉を為すべき事は、関東州を得て以来我が当局者が寸時も注意を怠らなかったところである。

 関東州許りではない、同じく戦争の獲物である南満洲鉄道及安奉鉄道も失ってはならぬ。此れ亦何人も期間延長の必要を感じて居たのである。

 十年目にして待ち構えた機会は到来した。列強は今や未曾有の大戦争の為、到底極東を顧みるの暇がない、若し此の大戦争起らざりせば、或は我が国は関東州租借期間満了の時迄に、交渉の好機会を得なかったやも知れぬ、実に我が国は天佑なりと云わねばならぬ。

 今回の対支交渉(*21ヶ条の要求に関する交渉のこと)の原案第二条第一項に、旅順大連租借期限並に南満洲安奉両鉄道に関する、各期限を更に九十九箇年間延長することとなったが、交渉の結果此の九十九年を、既往に溯って起算することとなった様である。

 即ち右年数は関東州租借はハブロフ条約(*露清条約のこと)調印の日より、南満洲鉄道は運転開始の日より、安奉線は改線工事完成の日よりすることとなった様である。

 然れば原案よりは期間は少しく短縮せる事となったが、夫れでも尚関東州は現在に比すれば、七十四年租借期間を延長されし訳である。鉄道の方もそれそれ延長となった。而して膠州湾、広州湾、九竜等と租借期間満了の時を同うし、租借に就て支那に対し、利害を一にするの利あるに至ったのである。此他今回の交渉に依って、吉長鉄道借款契約は益我に有利となり、他国人に対し南満洲に於ける鉄道の敷設権の許与、又は借款に関しては予め我が同意を得べき事となし、南満洲の政治財政軍事警察に関する顧問教官の招聘は、必ず我が政府に協議すべきことと為し、他国の勢力侵入を予防し得ることとなった。

 是に於て我が国の南満洲に於ける地位は、極めて鞏固のものとなった。南満洲に対する我が国民の不安を省き、其発展に対する障害は除去された。

 日露戦争によって着手せし対南満洲政策は、十年後の今日日独戦争及び世界大戦争の結果として、稍完成された次第である。

(* いやはや、列強帝国主義イデオロギーむき出しの“国際評論である”。現在の田母神的「被害妄想史観」の学者・研究者と違って、帝国日本は侵略国ではない、と主張しないところがせめてもの救いか。)


(下)

 南満洲に於ける我が発展の第二の障害たりしものは、此の地方に於ける日本人の権利の薄弱なることであった、南満洲は我が勢力範囲とはいえ、日本人は二百十八方里の関東州と五千万余坪の鉄道附属地と、居留地内で活動し得たのみであって、日本人が経済上十分に活動して、勢力範囲たるの実を挙ぐるには、南満洲全部を我に開放せしめて、至る処自由に居住往来し、各種営業の自由を得、商工業及び農業経営のため、必要なる土地を賃借又は購買することを得なければならぬが、今回の交渉に依って其目的を達することになった(住居用の建物に関しては不明の点がある。条約には之に関する規定が出来ることであろう)

 此くて南満洲に於ける日本人発展の為に、膳立は成ったのである、今後之を利用し得ると否とは、結局日本人の手腕如何にあると云うことになったのである。

 昨年三月の調査に依ると、南満洲に在住する日本人の数約九万人、之を五年前に比すれば、約三万五千人の増加であって、大なる発展といわねばならぬ。 

 尤も此等の人々の多数は、種々なる事情殊に日本人が、上述の事情に本き南満洲の一小部分に於ての外、居住営業の自由を得ざりし結果、都督府等の官公吏南満洲鉄道会社等に関係ある会社員、及彼等に依って生活する人々等であったが、今後は愈南満洲に於て、自由活動の天地が開かるる事になった。南満洲に於ける日本人の将来は、果して如何なるものであろうか。

 南満洲は到底我が年々非常に増加する人口の、捌け口とする訳には行かぬ。我が人口問題解決の場所は、更に之を他に求めなければならぬ、満韓集中は一の空論に過ぎぬ。

 南満洲の支那人は生活程度極めて低く、而も中々勤勉の徒である。加うるに山東省方面より毎年多数の出稼苦力が来るが、此等の苦力たるや一日僅に三十銭内外の、低廉なる労銀を以て満足する者であるから、内地より不熟練労働者を移住せしむる見込は全くない。

 我の彼に対する殆んど、米国に於て白人が我が移民に対する関係に似て居る。米国に於て労働者として白人を凌ぐ日本人は、南満洲に於ては到底劣者たるを免れぬ。然らば小売商売は如何であろうこれ亦覚束ない、日本人は天性商人としては不得意である。南満洲に於て余の見聞した事であるが、比較的生活費の不廉なる日本人の経営する商店は、概じて支那人の商人の経営する店よりも品物が高価である。

 在住日本人は民族を同じくする関係上、始めの中は高きを忍びて日本人の店舗に就て、品物を購求するけれども、滞在久しきに及び、支那語を解し少しく勝手が解かる様になると、日本人の店舗を去って、支那人の店に赴くものがある。

 支那人が日本人の店に、客として来る事は殆ど稀である。小売商人としても日本人は残念ながら、生れながらの商人たる支那人と競争して勝利を得る見込がないのである。

 南満洲に於ける日本人の将来は、工業か或は農業かにあらねばならぬ。工業に欠くべからざる石炭は、質良好にして価の安い撫順炭がある。工業発達の一要素は具備して居る。工業の原料としては塩があり、高梁があり、大豆がある。

 工業の将来必ずしも有望でないことはない。農業に関しては、米作の有望なるを伝えて居る。日本人は米大陸に於ては、農業家としては非常に成功した。

 南満洲東欧洲の農業国より来る移民と競争して彼等に打勝ち、殊に加州に於ては日本人の耕地は、全体の耕地の四十分の一に上り、其農産物の価格は農産物総価格の六分に当って居る。其勢い実に凄じく、今後の発展測る可からざるものがあるを以て、終に加州土地法を設けて日本人排斥を行うに至った次第である。

 加州に於て成功せる日本人は、南満洲に於て、果して同様の成功を為し得るであろうか。南満洲の地は加州の如く肥沃でない。其農業の将来は楽観することが出来ぬ。今や日本人侵入の道は開かれた。其の発展の障碍は除き去られた。

 然し南満洲は或者が考うる如き富源を蔵めて居らぬ。我に有り余った資本は無い。土地の支那人は経営上、寧ろ我に優った人民である。南満洲に於ける日本人の前途は頗る有望とは云い難い。
南満洲を我物とするには今後非常なる努力を要する。