2012.1.1
追加2012.1.2
 人口が激減するウクライナ

 チェルノブイリ原発事故でもっとも放射性降下物(フォールアウト)を被った国は、ベラルーシとウクライナだといわれている。この2カ国は現在急激な人口減少に直面している。

 先に下図を見てみよう。ウクライナとベラルーシはちょうど南北分かれて国境を接している。旧ソ連のチェルノブイリ原発は両国の国境のウクライナ側に位置している。

 

(以上2つのマップはgoogle mapをコピーして加工したもの。縮尺はgoogle mapに正確に準拠)

 チェルノブイリ原発は、現在のウクライナ(首都:キエフ)とベラルーシ(首都:ミンスク)を合わせた地域のほぼ中心からやや北よりに位置していることになる。

 ウクライナの人口統計から見てみよう。引用するのは英語Wikipedia“Demographics of Ukraine”である。


 表1 ウクライナの人口統計

* 出典は英語Wikipedia”Demographics of Ukraine”。なおこの人口統計は”United Nations. Demographic Yearbooks”と”State Statistics Committee of Ukraine”をもとに作成されている。
* 生児出生はその年生まれた新生児で新生児死亡を含む。
* 自然変化は移民や引っ越しなど社会的変動を含まない。
* 粗出生率は普通出生率のこと。その年の出生をその年年央の総人口で割ったもの。単位は1000人当たり。
* 粗死亡率は普通死亡率のこと。その年の死亡をその年年央の総人口で割ったもの。単位は1001人当たり。
* 出生と死亡の自然変化の単位は1000人当たり。
* 出生率(しゅっしょうりつ)は、年間出生数を、15歳から45歳の(つまり出産年齢の)女性の総人口で割った数。 単位は該当女性1000人当たり

  対象年 平均人口 前年増減 生児出生 前年増減 死 亡 前年増減 自然変化 粗出生率 粗死亡率 自然変化 出生率
  1946 753,493 2.81
  1947 712,994 -40,499
  1948 757,783 44,789
  1949 911,641 153,858
  1950 36,905,000 844,585 -67,056 314,000 530,585 22.8 8.5 14.3
  1951 37,569,000 1.8% 858,052 13,467 321,000 7,000 529,000 22.8 8.6 14.2
  1952 38,141,000 1.5% 856,434 -1,618 318,000 -3,000 523,000 22.2 8.4 13.8
  1953 38,678,000 1.4% 795,652 -60,782 315,000 -3,000 476,000 20.6 8.2 12.4
  1954 39,131,000 1.2% 845,128 49,476 316,000 1,000 526,000 21.6 8.1 13.5
  1955 39,506,000 1.0% 792,696 -52,432 297,000 -19,000 499,000 20.1 7.5 12.6
  1956 40,082,000 1.5% 822,569 29,873 289,000 -8,000 535,000 20.5 7.2 13.3
  1957 40,800,000 1.8% 847,781 25,212 302,000 13,000 548,000 20.8 7.4 13.4
  1958 41,512,000 1.7% 873,483 25,702 286,000 -16,000 587,500 21.0 6.9 14.2
  1959 42,155,000 1.5% 880,552 7,069 308,000 22,000 572,600 20.9 7.3 13.6
  1960 42,469,000 0.7% 878,768 -1,784 296,171 -11,829 587,597 20.7 7.0 13.7 2.24
  1961 43,097,000 1.5% 843,482 -35,286 304,346 8,175 539,136 19.6 7.1 12.5 2.17
  1962 43,559,000 1.1% 823,151 -20,331 331,454 27,108 491,697 18.9 7.6 11.3 2.14
大気圏内核実験禁止条約発効  1963 44,088,000 1.2% 794,969 -28,182 323,556 -7,898 471,413 17.9 7.3 10.6 2.06
  1964 44,664,000 1.3% 741,668 -53,301 315,340 -8,216 426,328 16.5 7.0 9.5 1.96
  1965 45,133,000 1.1% 692,153 -49,515 372,717 57,377 349,436 15.3 7.6 7.7 1.99
  1966 45,548,000 0.9% 713,492 21,339 344,850 -27,867 368,642 15.6 7.5 8.1 2.02
  1967 45,997,000 1.0% 699,381 -14,111 368,573 23,723 330,808 15.1 8.0 7.2 1.96
  1968 46,408,000 0.9% 693,064 -6,317 374,440 5,867 318,624 14.9 8.0 6.8 1.99
  1969 46,778,000 0.8% 687,991 -5,073 404,151 29,711 283,840 14.7 8.6 6.0 2.04
  1970 47,127,000 0.7% 719,213 31,222 418,679 14,528 300,534 15.2 8.9 6.4 2.10
  1971 47,507,000 0.8% 736,691 17,478 424,717 6,038 311,974 15.4 8.9 6.5 2.11
  1972 47,903,000 0.8% 745,696 9,005 443,038 18,321 302,658 15.5 9.2 6.3 2.13
  1973 48,274,000 0.8% 719,560 -26,136 449,351 6,313 270,209 14.9 9.3 5.6 2.04
  1974 48,571,000 0.6% 738,616 19,056 455,970 6,619 280,646 15.1 9.4 5.8 2.04
  1975 48,881,000 0.6% 738,857 241 489,550 33,580 249,307 15.1 10.0 5.1 2.02
  1976 49,151,000 0.6% 747,069 8,212 500,584 11,034 246,485 15.2 10.2 5.0 1.99
  1977 49,388,000 0.5% 726,217 -20,852 517,967 17,383 208,250 14.7 10.5 4.2 1.94
  1978 49,578,000 0.4% 732,187 5,970 529,681 11,714 202,506 14.7 10.7 4.1 1.96
  1979 49,755,000 0.4% 735,188 3,001 552,094 22,413 183,169 14.7 11.1 3.7 1.96
  1980 50,044,000 0.6% 742,489 7,301 568,243 16,149 174,246 14.8 11.4 3.5 1.95
  1981 50,222,000 0.4% 733,183 -9,306 568,789 546 167,394 14.6 11.3 3.3 1.93
  1982 50,388,000 0.3% 745,591 12,408 568,231 -558 177,360 14.8 11.3 3.5 1.98
  1983 50,573,000 0.4% 807,111 61,520 583,496 15,265 223,615 16.0 11.6 4.4 2.08
  1984 50,768,000 0.4% 792,053 -15,058 610,388 26,892 181,697 15.6 12.0 3.6 2.12
  1985 50,941,000 0.3% 762,775 -29,278 617,584 7,196 145,227 15.0 12.1 2.9 2.06
 チェルノブイリ事故発生 1986 51,143,000 0.4% 792,574 29,799 565,150 -52,434 227,424 15.5 11.1 4.4 2.10
  1987 51,373,000 0.4% 760,851 -31,723 586,387 21,237 174,464 14.8 11.4 3.4 2.05
  1988 51,593,000 0.4% 744,056 -16,795 600,725 14,338 143,331 14.4 11.6 2.8 2.03
  1989 51,770,000 0.3% 690,981 -53,075 600,590 -135 90,391 13.3 11.6 1.7 1.94
  1990 51,891,000 0.2% 657,202 -33,779 629,602 29,012 27,600 12.7 12.1 0.5 1.85
 ソ連崩壊・ウクライナ成立 1991 52,001,000 0.2% 603,813 -53,389 669,960 40,358 -39,147 12.1 12.9 -0.8 1.77
  1992 52,151,000 0.3% 596,785 -7,028 697,110 27,150 -100,325 11.4 13.4 -1.9 1.67
  1993 52,179,000 0.1% 557,467 -39,318 741,662 44,552 -184,195 10.7 14.2 -3.5 1.56
  1994 51,921,000 -0.5% 521,545 -35,922 764,669 23,007 -243,124 10.0 14.7 -4.7 1.47
  1995 51,513,000 -0.8% 492,861 -28,684 792,587 27,918 -299,726 9.6 15.4 -5.8 1.40
  1996 51,058,000 -0.9% 467,211 -25,650 776,717 -15,870 -309,560 9.2 15.2 -6.1 1.33
  1997 50,594,000 -0.9% 442,581 -24,630 754,151 -22,566 -311,570 8.7 14.9 -6.2 1.27
  1998 50,144,000 -0.9% 419,238 -23,343 719,954 -34,197 -300,716 8.4 14.4 -6.0 1.27
  1999 49,674,000 -0.9% 389,208 -30,030 739,170 19,216 -349,962 7.8 14.9 -7.0 1.12
  2000 49,177,000 -1.0% 385,126 -4,082 758,082 18,912 -372,956 7.8 15.4 -7.6 1.11
  2001 48,663,000 -1.0% 376,479 -8,647 745,953 -12,129 -369,474 7.7 15.3 -7.6 1.08
  2002 48,203,000 -0.9% 390,687 14,208 754,911 8,958 -364,224 8.1 15.7 -7.6 1.13
  2003 47,813,000 -0.8% 408,591 17,904 765,408 10,497 -356,817 8.5 16.0 -7.5 1.17
  2004 47,452,000 -0.8% 427,259 18,668 761,263 -4,145 -334,004 9.0 16.0 -7.0 1.22
  2005 47,106,000 -0.7% 426,085 -1,174 781,964 20,701 -355,879 9.0 16.6 -7.6 1.21
  2006 46,788,000 -0.7% 460,368 34,283 758,093 -23,871 -297,725 9.8 16.2 -6.4 1.31
  2007 46,510,000 -0.6% 472,557 12,189 762,877 4,784 -290,220 10.2 16.4 -6.2 1.35
  2008 46,258,000 -0.5% 510,588 38,031 754,462 -8,415 -243,874 11.0 16.3 -5.3 1.46
  2009 46,053,000 -0.4% 512,526 1,938 706,740 -47,722 -192,214 11.1 15.3 -4.2 1.48
  2010 45,871,000 -0.4% 497,689 -14,837 698,235 -8,505 -200,546 10.8 15.2 -4.4 1.44
  2011 45,665,281 -0.4%

註1 2011年の人口は2011年10月1日現在。出典は”State Statistics Committee of Ukraine”
註2 死亡のうち1950年から1959年までは推定


 激減する新生児と激増する死亡

 この英語Wikipediaの項目は一切コメントや分析を省いており、淡々と統計的事実関係と数字を羅列するだけだ。これは、定説や合意がない場合によくWikipediaが使うやりかただが、かえって奇異な感じがする。

 というのは、1990年代以降の人口の減少の仕方は尋常ではなく、もっとも人口の多かった1993年の5217万9000人と比較すると2011年10月の人口、4566万5000人は、実に650万人の減少であり、その比率は12.5%ということになる。20年足らずの間に1割以上の人口が減少したことになる。

 これだけの減少で分析もコメントもない、というのはいかにもおかしい。

 さらに特徴的には、 生児出生(新生児数)が確実に減っており、死亡者数が確実に増えている。生児出生は、1950年代、ほぼ年間80万人台だった。60年代になると、70万人台に落ちるのだが、ほぼ80年代これを維持している。それがドラスティックに下がるのは、90年代に入ってから、ちょうど1986年のチェルノブイリ事故から4−5年たってからである。60万人台、50万人台、40万人台、30万人台とちょうど坂を転げ落ちるように減り続け、2001年には過去最低の約37万6000人となった。その後、何故か回復を見せ始め、2000年代の終わり頃には50万人に戻りつつある。

 死亡者は出生とちょうど逆の軌跡をたどっている。チェルノブイリ事故の1986年には、56万5000人だった年間死亡者数は、90年代に入ると劇的に増え始め、ピークの1995年には80万人に達しようとしていた。その後増勢は一応止まり、2009年からは減少に転じはじめたといっていいだろう。

 こうした趨勢をグラフにすると表U「ウクライナ人口の自然増減」のようになる。



 ウクライナの放射線食品防護行政の変遷
 
 さらにこのグラフに、ウクライナ政府(旧ソ連時代を含む)の、食品防護行政の変遷を重ね合わせると極めて興味深い結果となる。

 チェルノブイリ事故は1986年の4月に発生した。翌月の5月6日ソ連政府(当時はまだ崩壊前)は、食品の放射能汚染制限値を次のように決めた。
 
全ての放射線核種が含む放射性物質の合計に関して:
飲料水: 3700ベクレル(1リットルあたり)
牛乳: 3700ベクレル(1リットルあたり)
チーズ: 74000ベクレル(1kgあたり)
バター: 74000ベクレル(1kgあたり)

これは、事実上制限値がないも同然である。これはマズイと思ったソ連政府は同じ月の5月30日に新制限値を決めた。

全てのベータ線核種総放射能の合計に関して:
飲料水: 370ベクレル(1リットルあたり)
牛乳: 370ベクレル(1リットルあたり)
チーズ: 7400ベクレル(1kgあたり)
バター: 7400ベクレル(1kgあたり)

 ソ連政府が「ベータ線核種」に絞ったのは正解である。ガンマ線核種・中性子線核種では、よほど一時に大量に摂取しない限り内部被曝による健康損傷は発生しないからである。またこの時は他の食品もきめ細かく制限値を決めた。しかしこの時はまだもっとも電離放射線の影響を受けやすい乳児用食品については制限を決めていない。

 翌年1987年12月15日になってはじめて、「セシウム137」という特定の核種に狙いを絞って新制限値を決めた。

飲料水: 20ベクレル(1リットルあたり)
牛乳: 370ベクレル(1リットルあたり)
チーズ: 370ベクレル(1kgあたり)
バター: 1110ベクレル(1kgあたり)

 ソ連政府が「セシウム137」に的を絞ったのはここでも正解である。発電用原子炉から大量に放出された200にのぼる放射線核種のうち、もっとも深刻な内部被曝による健康損傷をもたらし、もっとも半減期が長く(セシウム137は30.1年)、また大量に出てくる核種はセシウム137だからである。(ストロンチウム90やプルトニウム238、239も極めて危険な核種であり、半減期も非常に長いが、セシウム137に比べれば量が少ない)

 だから今日本政府が、137と134を合わせて「セシウム」というカテゴリーで制限値を設けているがこれではダメなのだ。137は134に比べてはるかに危険であり、半減期も長い。

 この時の制限値は、普段に大量に摂取する水の制限値を1リットルあたり20ベクレルとした点で大きな前進だったが、依然として乳児用食品の制限を設けていなかった。

 さらにその翌年1988年10月6日、ソ連政府は新たなセシウム137の制限値を設けた。しかしこの時は、下記4品目について大きな変更はなかった。また乳幼児食品の制限もなかった。

飲料水: 20ベクレル(1リットルあたり)
牛乳: 370ベクレル(1リットルあたり)
チーズ: 370ベクレル(1kgあたり)
バター: 1110ベクレル(1kgあたり)

 1991年1月22日、ソ連政府は、セシウム137について新たな制限値を設けた。ソ連が崩壊し、ウクライナが独立するのは91年の8月24日だから崩壊直前である。しかし、この時も下記4品目についてはバターが370ベクレルに変更されただけで大きな変化はなかった。乳児用食品についても制限がなかった。この程度の規制では飲料水・食品摂取による内部被曝で深刻な健康損傷は防げなかったのである。

飲料水: 20ベクレル(1リットルあたり)
牛乳: 370ベクレル(1リットルあたり)
チーズ: 370ベクレル(1kgあたり)
バター: 370ベクレル(1kgあたり)

 ウクライナが本格的な制限を行うのは、独立後、自分のことは自分で決められるようになってからである。しかし、それも1997年6月25日のことである。なにに手間取っていたのかはわからないが、遅きに失した感がある。しかし飲料水をセシウム137について2ベクレル(1リットルあたり)としたのは画期的だった。またこの時乳児用食品の制限が決められた。

飲料水: 2ベクレル(1リットルあたり)
牛乳: 100ベクレル(1リットルあたり)
乳幼児食品: 40ベクレル(1kgあたり)

 2006年5月3日、ウクライナ政府は新たな制限値を設けたが、この時は大きな変更はなかった。ハーブ類の600ベクレル(1kgあたり)を200ベクレルに変更したり、品目ごとにさらに詳しく制限値を設けていった程度だった。
(以上ウクライナの放射能汚染食品制限値データの出典は『フードウオッチ・レポート』の「あらかじめ計算された放射線による死:EUと日本の食品放射能汚染制限値」の付属文書1「ウクライナの期限付き許容食品・飲料水放射能汚染制限値」−2011年9月ベルリン−による)

 2000年代後半から改善の兆し
 
 以上のデータのうち、飲料水の制限を前出表U「ウクライナ人口の自然増減」に重ねてみよう。



 特に飲料水は毎日大量に摂取する「食品」である。この飲料水に厳しい制限を設けることは極めて重要である。この効果がどれほどの寄与をしたかはまだ詳細な検証を要するものの、1997年の本格的な制限のほぼ10年後、ウクライナの出生、死亡にやっと歯止めがかかり、僅かながら改善に向かったことは明るい希望である。

 話は変わるかも知れないが(全然変わっていないが)、2011年10月広島市内の若い母親の母乳から放射性セシウムが1リットルあたり数ベクレル検出された。母乳は乳児にとって「飲料水」であり「食品」だ。ここから数ベクレルのセシウム137が出たということは、ウクライナの事例から見ていかに深刻なことであるかはおわかりだろう。

 このことを伝えた広島地元の中国新聞は、『測定に協力した広島大は「授乳には問題ない値」としている。(赤江裕紀)』とし、『(広島大学)原爆放射線医科学研究所の神谷研二所長は「健康に影響はない程度。心配だろうが母乳を与えても問題ない」と話す。』とほぼ無批判にICRP派の学者の言い分を読者に取り次いだ。これは、神谷とともに中国新聞も犯罪行為である。
(『「母乳から放射性物質検出」報道に見る中国新聞の姿勢 厚労省、神谷研二、地元中国新聞の犯罪』<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/031/031.html>を参照の事)


 ウクライナの人口減少の特徴

 ウクライナの人口減少には大きな特徴がある。それは事故現場のチェルノブイリを中心にほぼ人口減少の盆地ができているということだ。この記事でテキストに使っている英語Wikipedia“Demographics of Ukraine(「ウクライナの人口統計」)の中の「人口変化の地域的違い」という項目から引用する。

 『  1989年のソ連国勢調査と2001年のウクライナ国勢調査の間、ウクライナの人口は5170万6600人から4845万7020人へと、292万6700人あるいは5.7%減少した。しかしながら、この人口減少の傾向は極めて非均一的でありまた地域のよって違いがある。ウクライナ西部の2つの地域リウネ(Rivne)やザカルパチア(Zakarpattia)といった地域ではそれぞれ0.3%、0.5%の人口増加が見られる。ウクライナ西部第三番目の地域ヴォルィーニ(Volyn)ではその減少は0.1%以下である。

 89年から2001年の間、西部7地域(これは行政組織としての州のことだと考えていい)での人口減少は16万7500人あるいは1.7%だった。これらの地域の人口は2001年現在959万3800人だった。

 89年から2001年の間、首都キエフの人口は0.3%増加した。これは人口純流入のためである。』 

 「これは人口純流入のためである。」(due to positive net-migration)という記述はこの「ウクライナの人口統計」という英語ウィキペディアの項目全体の中で出てくる極めて数少ない分析らしい記述である。面白いことにこの記述に「傍証が必要」([citation needed])という英語ウキペディア編集委員会の注意書きがついている。確かにこの記述では引用出典がない。それは事実だが、それでは編集委員会はこの僅かな増加を「自然増」のためだとでもいうのであろうか。キエフ首都圏の人口は約400万人。事故を起こしたチェルノブイリ発電所とは南北にほぼ100kmしか離れていない。距離や他地域の急激な人口減少から見ると、「人口減少の盆地」にぽっかり浮いた丘という感じがする。自然増があるはずがない。職や教育、その他の都会的魅力で首都だけは人口流入があって、自然減を補って0.1%の増加を見せた、と見るのが妥当だろう。

 私の感じだが、この英語ウィキペディア編集委員会はウクライナの人口減少は「チェルノブイリ事故の放射能」のためだと匂わせる記述は、細かく注文をつけて排除しているのだと思う。この点は改めて後述するのだが、英語ウィキペディアの世界でも、日本語ウィキペディアの世界でも全体的に見て、「チェルノブイリ事故による放射能影響」を小さく見せようという大きな力が働いている感じが、私にはする。

 たとえば日本語ウィキペディア「キエフ」は次のように書いている。

 『  1986年4月26日、キエフの北130km(これは100kmの間違いだと思う。直線にして測るとほぼ100kmだ。前出地図参照の事)にあるチェルノブイリ原子力発電所で原子力事故が発生した(チェルノブイリ原子力発電所事故)。直後にソビエト連邦上層部によって全住民350万人の疎開が検討されたが、風向きの関係で健康への影響は無いと判断され、疎開は中止された。現在はキエフを起点としたチェルノブイリの観光ツアーが存在し、事故を起こした4号炉を間近に見ることも可能である。』

 まるでチェルノブイリ事故での健康影響は現在では全くないかのような書きぶりだ。


 中央部、南部、東部の激しい減少

 さて「人口変化の地域的違い」の記述を続けよう。

 『  首都の外側の中央部、南部、東部は激しい人口減少に見舞われている。89年から2001年の間、ドネツィク(Donetsk)地域(ウクライナ東部)は49万1300人あるいは9.2%が失われた。その隣のルハンシク(Luhansk)は11%が失われた。チェルニーヒウ(Chernihiv)地域(チェルノブイリ原発のすぐ東隣の州である)はキエフの北東、ウクライナ中央部にあるが、17万人または12%を失い、ウクライナ全地域で最大の減少を見せた。

 南部においてはオデッサ地域が17万3600人または6.6%を失い、クリミアの人口は2万9900人または1.4%の減少でしかなかった。しかしこれは、約20万人にものぼるクリミア・タタール人の流入のためである。1989年のクリミアの人口の約10%に相当する。彼らは1989年以降、クリミアに流入しその地の(クリミア・タタール人)の人口を3万8000人から2001年の24万3400人に押し上げた。これは6.4%の押し上げ効果に相当する。』

 クリミア・タタール人は、スターリン時代対独協力者の嫌疑をかけられ、中央アジアに強制的に移住させられていた。スターリン時代以降徐々に故地クリミアに還ってきたが、この記述によれば1989年以降、大量帰還があったものと見える。
日本語ウィキペディア「クリミア・タタール人」を参照の事)

 またこの記述によれば、クリミア地域がわずか1.4%の減少で済んだのは、クリミア・タタール人の大量帰還があったためで、もしこの要素を外して考えてみればクリミア地域でも8%近い人口減少があったことになる。

 『  集団的にみれば、最西部地域を外したウクライナの人口純減は、89年から2001年の間、275万9200人あるいは6.6%である。』

 これだけの報告をしながらなおかつ、急激な人口減少の要因分析や解説を行わないこの英語Wikiの記述の異様さが目立つのであるが、以上を図にしたのが、下記の「ウクライナの地域別人口変動 1989年―2001年」である。


 人口増加を示す緑色系が目立つのは、西部地域と黒海沿岸の諸地域である。ただし、南部クリミア半島の人口増は、先ほど「クリミア・タタール人」の項で説明したとおりだ。恐らくはもっと細かく見れば様々な要因がでてくるのだろう。社会とは極めて複雑な動因がお互いに絡まり合って動いているものだ。

 チェルノブイリ原発のある周辺諸地域および風下となった東部地域は人口減少が甚だしい。国境のそのまた東はロシアの領土になるが、ロシアでも同じような現象が起きているものと、私は思う。

 中央部にポッカリ「浮島」のように緑色の地域があるが、これはわずかな人口増を見せたキエフ首都圏地域である。


 2000年代にはいるとさらに悪化、しかし希望が

 これが「1989年から2010年の地域別人口変動」となるとさらに事態は悪化していることが見て取れる。


 この間ウクライナの人口は約11.1%も減少し、その地域も減少率も、「1989年−2001年」に比べて広く大きくなっていることがわかる。特にチェルノブイリ原発を中心とした中央北部の近辺は、「−20%以上−30未満」、「−30%以上」などの地域が多く見られる。

 しかし、先ほど述べたように、1997年6月、飲料水の制限を2ベクレルとするなどの抜本的な食品放射能汚染制限値を設けてからは、時間はかかったが、人口減少に歯止めがかかったように見える。

 「生児出生」は2002年、2003年には悪化に歯止めがかかり、2002年の最低値39万0687人から2003年には40万8591人と早くも上昇傾向を見せた。2008年には51万0588人と50万人台を回復した。

 もちろん社会現象だから、様々な要因があるに違いない。ウクライナ国民全体の中流層移行に伴う少子化などの要因も大きく影響しているだろう。

 また、放射線に対する科学的知識の普及に伴い、食品による内部被曝の危険が国民全体に浸透し「被曝の最小化」(被曝は避けられないとするならその最小化を図ろう、という考え方)が、社会文化の一つになってきたことも考えられる。最近の報道や報告によると、ウクライナでは手軽に放射線汚染が計測できる器機や社会的仕組みが普及してきたとも伝えられる。

また「粗出生率」(その年の全出生を総人口で割った指標。単位は1000人あたり)も、2001年の7.7人を底に緩やかだが改善の兆しを見せている。2007年には10.2人と10人台を回復した。これらは明るい希望である。


 「放射能問題」ではない、とする主張

 問題の中心は事故を起こしたチェルノブイリ原発であることは容易に見て取れる。

 これだけの大きな社会的問題について、この英語ウィキの記述は一切なぜこうなったかの分析を行っていない。

 この疑問に答えようとするのが、やはり英語Wikipedia“Health in Ukraine”(ウクライナの健康問題)である。

 この記述は、CIA世界実情報告や国連の報告などを基に書かれており、その意味でこれはアメリカやいわゆる「西側国際社会」の見方や見解を代表していると考えてもいい。

 この記述は次のようにいう。

 『  ウクライナはその高い死亡率と低い出生率のため、人口統計学上の危機にあると考えられている。最近のウクライナの出生率は1000人当たり11人であり、死亡率は1000人当たり16.3人である。比較的高い死亡は、労働年齢にある男性の高い死亡率が一つの要因である。これらは酒毒や喫煙といった防止可能な原因のためである。』

 なかなか納得しがたい説明であるが、というのはアルコールの過剰摂取や喫煙はなにもウクライナに特有の現象ではないし、第一先にも見たチェルノブイリ原発を中心にして東方向へ広がる深い人口減少の「盆地」を説明しないからだ。この箇所の記述は、世界銀行の「ウクライナにおける外国のアドバイスは何が間違ったか?」("What Went Wrong with Foreign Advice in Ukraine?")という論文を根拠にしている。

 『  2008年、ウクライナの人口は−5%の減少であり、世界で最も早い人口減少の国の一つだった。国連はもしこの傾向に改善が見られなければ、2050年までに1000万人の人口減少が見られるだろうと警告している。』

 続く記述は、ウクライナの人口減少の理由をさらに分析し、「高血圧と肥満」、「喫煙」、「エイズ(HIV)」の3つにその理由を求めている。

 『  高血圧と肥満:
世界銀行の「ウクライナにおける高い死亡の主たる理由」("Main reasons for the high death rate in Ukraine")という2010年12月に公表された研究によれば、ウクライナの18歳から65歳の人口の1/3、また18歳から25歳までの人口の1/5は高血圧である。29%が体重オーバーに苦しんでおり、20%が肥満である。』

 この記述も前出の世界銀行の報告を論拠としている。

 『  前出の世界銀行の研究では、ウクライナ人のうち36%が喫煙の習慣を持っている。(ヨーロッパの平均は28.6%)うち31%が毎日喫煙している。高等教育を受けた男性、高い教育を受けた女性は喫煙の傾向がある。毎日喫煙の習慣を持つもののうち80%が男性。喫煙開始からの平均年数が減少しているが、現在は16年である。若いグループの喫煙者は年配グループの4倍に上る。喫煙者の割合の小さい地域はウクライナの西部(24.6%)であり、最も大きいのは東部だ。(34%)

 人口減少が地域的に異なっているのは、地域的な喫煙者の割合の違いのせいにしたいようだが、実際には地域的な死亡率はチェルノブイリ原発を中心に、ほぼ同心円状に東側よりに広く分布し、チェルノブイリに近づくにしたがって、大きくなっている。このことを全く説明していない。また、「ウクライナの人口動態」の表でも示されているとおり、問題は人口減少というよりも、出生数が激減していることなのだ。また適齢期女性(15歳から45歳)1000人当たりの出生率も激減している。

 『  ウクライナは世界でももっともエイズ患者が急速に増加している国の一つである。国際連合エイズ合同計画によれば、2007年、ウクライナの成人の1.6%あるいは約75万6300人がエイズ・ウイルスを持っていると推定されている。2005年にはこの数字は68万5600人あるいは1.46%だった。』

 この英語ウィキペディアの記述は、頑なにウクライナの放射能汚染、特に食品放射能汚染に触れようとしない。あくまでアルコールの害、喫煙、肥満、心臓病、エイズのせいにしようとしている。誰が見ても不自然な説明である。

 しかし、考えてみればこの英語ウィキペディアの説明もあながち的外れとは言えないかもしれない。というのは、チェルノブイリ原発事故の放射性物質の長期的影響は、セシウム134、セシウム137、ストロンチウム90、プルトニウム238の4核種に絞られる。いずれもベータ崩壊かアルファ崩壊する核種である。特に影響の大きいのは前に見たように、セシウム137であろう。言い換えれば低線量内部被曝の健康影響である。

 これら健康影響は、呼吸器系、循環器系など幅広い臓器や組織に機能低下が見られる。また基本的には、電離放射線は全般的に免疫低下やストレス耐性低下をもたらす。これらが喫煙やエイズなどで増幅された形で、健康に影響を与え、結果として人口の激減をもたらしていると考えることもできるからだ。どちらにせよ基本的には食品摂取による内部被曝を最小化することが必要である。それは、ウクライナ政府が飲料水の摂取限度を1リットルあたり2ベクレルとするなど、本格的な規制を実施した1997年6月から約10年後から出生率、出生数、死亡者数、死亡率、人口数など徐々に改善の兆しがあらわれていることでも明白だと、私は思う。

(以下そのAへ)