(2011.3.12)
 【関連資料 ヒロシマ・ナガサキ】

浅井基文・山田拓民・平岡敬を中心に広島市民と討論会

  広島市立大学広島平和研究所・所長、浅井基文がこのほど、6年間に及ぶその任を離れるに当たり、広島のジャーナリストや研究者、市民と討論会を開催する。日取りは2010年3月12日(土)午後1時30分から午後5時まで。場所は広島市中区地域福祉センター5階大会議室。詳しくは「広島を去る浅井基文さんを招いて 第21回 ヒロシマ基礎講座」の案内状(網野沙羅作成の案内状http://www.inaco.co.jp/sarah/temp/20110312chirashi.jpgをご覧いただきたい。大会議室といっても収容人数は80人だ。

 案内状にもあるとおり、この討論会は日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部(JCJ広島)がここ数年間連続的に開催してきた「ヒロシマ基礎講座」の一環として開催される。ごく一部の例外を除いてこの基礎講座は広く私たち市民にも開放されてきた。今回の基礎講座も市民・学生に開放される。

 面白いのは今回の討論会(基礎講座)の趣向と顔ぶれと問題提起だ。メインゲストは浅井基文だが、しゃべる時間はわずか30分。テーマは「広島への『挑発的』問題提起」。浅井は広島平和研究所の所長として着任以来、精力的に広島の被爆者や平和運動関係者、一般市民と対話を重ねる一方で、広島・原爆関連の著作を批判的に検討し、「平和問題」に関する思索を深めていった。そして21世紀の日本が当面する問題を分析しながら、広島と長崎が果たすべき政治的・社会的役割を次第に浮き彫りにし、政治課題として提示しようと苦闘してきた。その思索と研究は彼の著作や平和研究所の各種発刊物からも窺えるが、私たち市民にとって手っ取り早いのは、浅井のWebサイト「21世紀の日本と国際社会」だろう。このサイトを読んでいくと思索と研究を深めるにつれ、浅井が現在の「広島」のあり方に批判を強めていっていることがわかる。しかもしばしば根源的批判であることが多い。その浅井のテーマが「広島への『挑発的』問題提起」だというのだから興味深い。浅井は一部から煙たがられながらも、よそから来た学者でこれほど広島市民に愛され尊敬、尊重された学者も珍しかろう。それほど浅井の残した足跡は大きいということでもある。

 この会にすぐさま反応したのが長崎原爆被災者協議会・事務局長、山田拓民である。私は山田の纏まった著作を読んだり、講演を聴いたことはないが、新聞や雑誌での発言、あるいは長崎での「原爆被災者協議会」の活動ぶりから推測すると、「被爆者団体」の中では極めて数少ない、「スローガンとしての核兵器廃絶」ではなく「政治課題としての核兵器廃絶」に取り組むだけの政治的素養と見識をもった人物ではないか。その山田が今回会合に参加を決めたということは、現在時点で広島と長崎が共通の問題意識と現状認識を共有することの重要性をはっきり認識しているのではないかと私は推測している。その山田のテーマは「長崎から連帯する」だという。

 もう一人の発言者は前広島市長の平岡敬。現市長の秋葉忠利が次期市長選に出馬しない、としているのでまもなく「元広島市長」になる。平岡は広島地元の地方紙中国新聞の記者として出発「原爆問題」に大きな関心をもった。そして韓国人被爆者に対する取材と思索を通じて、広島原爆の被害者が日本人ばかりではないことに気がついた。その考察の中から、「広島原爆」は、「アメリカが広島に投下した」という側面ばかりではなく、国家権力が全く無防備な一般市民を殺戮したより普遍的・根源的な犯罪行為であったことに気づいていく。広島市長としての行政上の業績については私は評価するだけの勉強をしていない。ただ、経済高度成長期に続いて金融経済成長モデルを導入した日本(この時期ソニーが金融業界に進出したことはその象徴的な出来事であった)が、そのモデル形成に失敗(いわゆるバブルの破綻)した直後に広島市長となったことが特徴的であろう。「世界の平和問題」に意識的・積極的に発言し、行動する、その意味で「広島市長には他の都市の市長にはない特別な役割と責任がある」とはっきり自覚した初めての広島市長ではなかったか。そういう立場から、1995年オランダ・ハーグの国際司法裁判所で、外務省の圧力をはねのけて長崎市長伊藤一長とともに「核兵器は国際法違反の非人道的兵器」と陳述した。また毎年8月6日の広島の平和宣言では「世界の人びとと連帯して核兵器使用禁止国際条約の実現を目指し、国内では非核武装の法制化を強く求める。」(1996年の平和宣言)と述べ、早い時期に日本における核兵器廃絶問題を「スローガン」や「文学的思弁」の問題から抜けだし、政治課題として提出している。市長を辞めたあとは、積極的に市民との対話を繰り返し、「ヒロシマの思想」を完成させようとしている。テーマは「広島がいま考えるべきこと」。

 この3人がそれぞれ20−30分を使ってしゃべり、いわば問題提起をする。これが第一部。第二部はこの3人の問題提起を受けて会場との質疑応答。コーディネイトし議論を交通整理するのは、広島大学名誉教授の舟橋喜恵。被爆者支援に力を尽くした人でもある。通常質疑応答はいわば講演のつけたり扱いだが、今回の「質疑応答」には90分とたっぷり時間をとってある。対話を大事にし、誰からも学ぼうとする3人の性質をよく考えた企画と言えなくもない。私がこの記事のタイトルを「討論会」としたのも、この企画のゆえである。

 私はといえば、このエキサイティングな企画を楽しみにしていると同時に、これ以上ない浅井基文の「送別会」だ、と考えている。