【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ
 (2011.4.19)
<参考資料>福島原発事故:東京消防庁・ハイパーレスキュー隊
記者会見 2011年3月19日深夜


 ハイパーレスキュー隊記者会見の背景

 2011年3月17日(木曜日)、午前7時内閣総理大臣から東京都知事に対して、福島第一原発への東京消防庁ハイパーレスキュー隊派遣要請があり都知事が受諾。翌18日午前3時、東京消防庁から特殊災害対策車を含んで30隊139名が出動。翌19日午後2時5分からハイパーレスキュー隊は巨大な放水能力をもつ消防車(スーパーポンパー)で連続放水を開始。この連続放水は翌20日午前3時40分まで約14時間弱続いた。総放水トン数は約2,430トン。
(以上原子力災害対策本部発表の「2011年福島第一・第二原子力発電所事故について」の4月15日17:00現在版 49/64pから50/64pによる。以下単に「報告書」と表記。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/201104151700genpatsu.pdf>)

 ほぼカラカラに干上がっていた約1,500トンの貯水容量を持つ3号機の使用済み核燃料プールはほぼ満水状態になったことだろう。3号機の使用済み核燃料プールは、危険な徴候を示していた。3月14日、原子炉建屋で原子炉から大量に放出された水素が原因の大規模な水素爆発を起こした後、翌15日午前6時14分煙が発生、午前10時22分建屋付近で400ミリシーベルト(0.4シーベルト)という高濃度の放射線量を検出した。ほぼ人は近寄れない。3月16日には午前8時34分、10時と連続して大きく白煙が噴出。この時点では格納容器爆発の恐れも懸念された。10時45分、共用の中央制御室から作業員に対して退避命令が出された。「報告書」9/64pから10/64pによる
 
 11時14分、白煙については原子炉からのものではなく、使用済み核燃料プールからの蒸発が多いものと判定されたが、このことは3号機使用済み核燃料プールが危険水域(人が近寄れなくなるほど危険な放射線量の充満)に近づきつつあることを示していた。
 
 3月17日午前9時48分、陸上自衛隊ヘリコプターが、3号機使用済み核燃料プールに散水を実施したが10時までのわずか12分の散水量はわずか50トン。これもみなさんテレビで派手に取り上げられたのでご記憶だろうが、3号機使用済み核燃料プール容量1,500トンから見れば文字通り焼け石に水だし、大体散水そのものが空中で広く拡散し、プールに命中しているとは思えなかった。誰の目にも自衛隊宣伝のためのパーフォーマンスであることは明らかだった。19時35分、やはり自衛隊の消防車が3号機の使用済み核燃料プールへ放水したが、おもちゃみたいな自衛隊の消防車から放水された量は約30トン。これも焼け石に水である。これも20m以上離れた地点からこわごわ放水する映像がテレビで派手に流されたのでこのシーンをご記憶の方も多いと思う。
 
 翌18日、午後2時自衛隊が放水したがこれも約40トン。午後2時42分東京電力が在日アメリカ軍から借りた高圧放水車で放水したが、これに至ってはわずか2トン。冗談みたいな放水量である。(以上「報告書」10/64pによる)これもアメリカ軍が福島原発事故鎮圧に協力したと大々的にテレビで宣伝した。そして既成マスコミもこれに協力した。自衛隊を投入してもなんの役にも立たない、災害対策の専門部隊を投入せよ、と批判した既成マスコミは一つもなかった。
 
 菅政府が「福島原発事故」を利用して、自衛隊とアメリカ軍の宣伝に汲々とする間に、3号機使用済み核燃料プールは、刻々と危険水域に近づいていった。こうしてもっとも危険な状況の中で、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が投入されたのである。
 
 ハイパーレスキュー隊は、「核事故」鎮圧のために組織された部隊といっても過言ではない。装備も訓練も「核事故」対策を念頭に置いてなされている。それはこの記者会見のテキストを読んでいただければ、納得されよう。
 
 この記者会見は極めて重要な内容をいくつか含んでいる。

1. 「安全」と宣伝してきた原子力発電に対して東京消防庁は重大事故を想定し、高度な装備と訓練を施している部隊をもっていたこと。
2. 「核事故」対応部隊は、もっとも危険な被曝は「体内被曝」であることを認識していたこと。これまで政府の公式見解は、体内被曝による放射線障害を一貫して無視し続けてきたのと好対照をなしている。
3. ハイパーレスキュー隊員の証言は、放射能は怖くない、危険ではないとCTスキャンやレントゲン撮影まで持ち出して宣伝してきた東大の教授陣や専門家、一連の御用学者、それに連なる大手マスコミ(その筆頭はNHKだが)の主張を生々しく裏切っている。
4. 菅政府は福島原発事故を利用して、自衛隊と在日米軍の宣伝を行おうとしているが、この記者会見はその動きを一部裏付けている。(この問題はこの記事の一番最後でやや詳しく触れておく。)

 この記者会見は、ユーチューブなどの動画で広く紹介された。だから私もいつでも入手可能とタカをくくっていた。ところが今回記事を起こそうと調べてみて慌てた。NHKが著作権をたてにしてユーチューブに削除を要求し、ユーチューブは当然のことこの削除に応じていたのだ。

(たとえば、<http://www.youtube.com/watch?v=7gzRFR-w6uU&feature=related>を参照の事。)

 しかし、NHKが単独で著作権を主張するのはおかしな話だ。この記者会見は恐らく既成記者クラブの取り決めでNHKのテレビカメラだけが持ち込まれたものだろう。彼らの言葉で云えば「代表取材」である。他のテレビ局はNHKからライブ映像の供給を受けて、自社の電波に乗せたものだろう。その際他社はNHKの単独著作権を認めなかったろう。代表取材なのだから、その内容を利用する権利は他社にもある。だからNHKが著作権者としてユーチューブに削除を申し入れるには事前に他テレビ局の了解をとったことだろう。

 記者会見のうち、質疑応答部分は削除されていない。それは、質問者が「出演者」扱いになり、NHKが単独著作権を主張できないからだ。そもそもこうした記者会見は多くの国民の知る権利に属する内容であり、無理な形でNHKが一部著作権を主張し、ユーチューブに削除させるのは極めて不自然である。多くの国民に知られたくない内容を含んでいるから、と推測するほかはない。

 なおこのテキストは、「honyaku」さん(<http://honyakusimasita.blog69.fc2.com/blog-entry-8.html>)がテキスト起こしをした内容にニコニコ動画に残っている映像を参照して若干の訂正を加えたものだ。(ニコニコ動画にNHKが削除申し入れをしていたのかどうか私は知らない。)

 従ってこのテキストは「honyaku」さんの努力にほぼその全てを負っている。「honyaku」さんは自分のブログに次のように書いている。

 『 福島第一原発で3号機への放水をした東京消防庁による記者会見を書き起しました。ただ美談として記憶するのではなく、今後、私たち日本国民がどういう政策を支持するかは、いざというときに、誰かにこういうことを強いていいのか、という視点を忘れてはならないと思いました。』

 「honyaku」さんは優れた翻訳家らしく、この記者会見の内容を英訳して自分のブログに公開している。(<http://honyakusimasita.blog69.fc2.com/blog-entry-16.html>)

 この記者会見は、東京消防庁総括隊長・冨岡豊彦(画面向かって左)、東京消防庁警防部長・佐藤康雄(中)、東京消防庁総括隊長・高山幸夫(右)の3人が対応した。記事中に私のコメントや解説を入れているが、読み飛ばしやすくするために、青字で小さめのフォントにした。見出しは私が後で検索するために入れた。以下本文。

 放水開始まで

佐藤 ・・・大型のポンプと(口径)150mmのホースを延長できる放水車、この2台からなっています。このポンプの部分の水中ポンプを海の中に投下して、先ほどの1、2、3、4号機と並んでいる3号炉(正確には3号機原子炉建屋)の脇に屈折放水塔車、これを上げてここから毎分約3トン、3000リットルの水が注入できるので、それに接続して冷却作業を行うというものです。

 部隊は巨大なポンプ車と屈折放水塔車を主力装置として現場に臨んだ。ポンプ車は海水を汲み上げて放水車に送る。放水車は毎分3トンの水が放水できる。たとえば、3月18日(ハイパーレスキュー隊出動の前日)、自衛隊が自身の消防車で午後2時頃から2時42分までの約40分間放水したが、この量は40トンだった。(「報告書」10/64p)。分当あたり放水量は1トンである。しかもわずか40分で終わった。これは水を供給し続けるポンプ車を接続していなかったからである。

私ども、初めに(前日の3月18日)7時5分、第一回目に正門進入したのは、ここにある特殊災害対策車、私どもでは CSと言っておりますが、この特殊災害対策車に私の右側にいる冨岡隊長が乗り、まずこの車は放射線濃度が車の四方で全部測定できます。そして防護処置も施していて、ほぼ我々がこの後で使う屈折式放水塔車(PL)、そしてあるいはスーパーポンパー(巨大なポンプ車)とほぼ同じ大きさですので、車が入れるかどうか、そして(放射能の)濃度がどれくらいあるんだろうかということを確認しました。
        
そうした所、はじめの計画はかなり道がよくて、海の方にも水中ポンプを降ろせるという情報で行ったのですが、この敷地内の道路は幅こそあるが、津波の影響でほとんどのところがこのような大きないわゆる大型車両の入る余地がなかった。

そこで、冨岡隊長はその周辺を全部調べて、海にポンパーがついて、水中ポンプを降ろせる場所はないだろうか、屈折式放水塔車は設定位置が重要になります。風向きとタンクまでの位置、その辺がどこに一番停車すれば効率いいのだろうか、その他、通れる道、通れない道というのを確認してまいりました。

ところが予想では、初めの情報では海にすぐに水中ポンプを降ろせるということだったのですが、この敷地ではほとんど水中ポンプを降ろせない、なおかつ大型車の通行できる道路が少ないということが分かりまして、皆様のお手元にある活動図のこの一番上、これ北側になりますけれども、北側の海のところ、ここで初めて水中ポンプを降ろせるということが分かりました。そしてここの3号機のちょうど北側に道路があるのですが、その道路の位置にPL、いわゆる屈折放水塔車を設置すれば放水できるだろうと判断して、それでは、この屈折放水塔車とこのポンプをどのような形で、この車びろめの車、このような形で後ろから、150mmの、ここにありますこのように太い給水管を、このホースを、1本50メートル、約100キログラムあります、これを車で降ろしていけるだろうかと検討した。

  事前の情報ではかなり楽観的な話だった、しかし富岡が実際前日の朝、現場下見をしてみると話が大きく食い違う。特にポンプ車−海に近く設置しなければならない−と放水車−3号機原子炉建屋の出来るだけ近くに設置しなければならない−の位置が大問題になる。特にこの間のホースの敷設が大問題になる。というのは先にも紹介したように標的とする3号機原子炉建屋付近は一時400ミリシーベルト/時といったほとんど人が近づいてはいけないような放射能濃度だった。恐らくはこうした情報は知らされておらず、富岡が特殊災害対策車に乗って放射能濃度を計測した時は、びっくりすると同時に怒りにうちふるえたに違いない。これではまるで「決死隊」扱いではないか、と。

危険な「手びろめ」を決断

佐藤 ところが、瓦礫が非常に多くて、車では(ホースを)降ろせないと分かったので、この道の外側にずっと道があるので、その道を通してまたもう一度放水塔車に入ってくると全部で2.6km(!)、ホースを伸ばさないといけないことが分かりました。

そして、もう一つはここの1号機、2号機の海側の反対側の道路を通ると、約800メートルある、ホース15本(1本は50m長)伸ばすうちの、8本くらい伸ばしたところで、ここで屋外タンクが転がっていたり、瓦礫が散乱しているので、車はここのポンプと屈折放水塔車を結べないということとで、この間、ポンプと瓦礫の間、約7本分、 350メートルくらいは手びろめでこの太いホースを伸ばさないといけないということが分かった。

 2600mのホース延長距離のうち、最低350m(7本分)は隊員が車から降りて、手でホースを拡げつつ接続延長していかなければならないことがわかった、というくだり。現場の放射能濃度は公表していないが、恐らくミリシーベルト単位だったろう。「報告書」別添2の「モニタリングデータ」を見てみると、この話に一番近い「事務本館北」で、前日18日午後4時30分で、4.419ミリシーベルト、19日当日放水前の午前11時40分、3.95ミリシーベルトが計測されていた。現場はさらに原子炉建屋に近いところなので、もっと大きな値だろう。(「報告書」の「モニタリングデータ一覧」の「モニタリングカー」の項目参照のこと)

佐藤 そこで一度本部に戻って、皆様のお手元にある活動時系列で(3月18日の)17:05に正門進入してから19:30に戦略再構築、とありますが、一番初めに予想していた、できるだけ人が(放射線に)曝露しないように、車両から下りないで、機械でホースを延長して水を出せるかという戦略から、今度は、人力で放射線の中でホースを延長しなくてはいけないということで、検討を始めました。その検討に19:30から、準備できるまで23:30までかかった。

そして、今、申し上げたように、3号棟(原子炉建屋のこと)の北側の道路に屈折放水塔車をつける、そして低い海の東側の、北東の海の側にポンプを設置する、それを手びろめも含めて、効率よく延長するのには何人の人手がいるだろうか、そしてここは放射線が非常に充満しているのか、CSという放射線濃度を測定する車、そしてその隊員たちを活用して、隊員の安全のための濃度を測定していながら、どうやって一番早く人を配置してこのホースで延長するかということを計画した。

その計画は2つの方策でございまして、第一班、私の左側にいる高山隊長の班でありますが、高山隊長の班には先ほどの屈折放水塔車、PL、これに3人乗車して、3号炉の北側の道路につけてもらう、計画通りの位置です。そしてそこにホースを延長する車、先ほどご覧いただいたこのホースを延長する車をつけて、その後さらにマイクロバス、これに作業が終わったら、即、現場を離脱できるようにマイクロバスということで、ここに手びろめの要員10人を乗せて、合計で屈折放水塔車に3人、マイクロバスに10人、そしてなおかつ、濃度を測定する係がいると言いましたが、その5人が乗って、マイクロバスには合計15人が乗りました。なおかつ、ホースを延長する車には2人ということで、高山隊長以下20人の者が3号機の脇につけて、車でホースを延長できるというところまで延長しました。

もう一方、私の右側にいます、冨岡隊長と同じく六本部【東京消防庁第六方面本部】の者ですが、鎌仲隊長がポンプの方、この車2台ありますが、この放水車と書いてあるこのポンプの方の車を、これを中心としてマイクロバスに12人、このポンプに3人そして、CSという濃度測定をする車、これを安全管理のためにつけて、こちらも3台で、全部でこちら【CS】に5人載っていますので、鎌仲隊長以下20人。ということで両側から2班に分けて20人、20人。3台ずつに分乗して20人、20人の計40人で攻めて行きました。

活動図にあるようにこのPL側から、車の延長で8本伸ばして、ここに瓦礫があるので、ここからこのホースを20人で人力でひっぱりだして、残りの7本を手びろめでポンプに接続しました。この接続が終わったのが0時15分で、ホース延長完了という報告が入りました。

 放水開始

佐藤 そしてこの時点から、放水開始まで0時30分と言うことですが、この屈折放水塔車、上の方で非常に、この辺りでは60ミリシーベルト(毎時)くらいの放射線濃度でありましたので、下の方でもともとある程度、ノズル角度を設定しておいたものを3号棟の方に向けて、白煙が上がっていたので、そのあたり、一番開口部があってプールがあるところ、ということで、放水を開始しました。

 放水開始は日が変わって、3月19日午前0時30分となった。つまりそれまでとっぷり暮れた中で作業は行われていたのである。放射能が濃く漂い、暗がりの中での手探りの作業である。想像してみて欲しい。

ここで時刻が合わないと思われた方もあるかも知れない。「報告書」50/64pを見ると、「3月19日 00:30」の項目に、『【放水】福島第一原発3号機に対して、緊急消防援助隊(東京消防庁)の消防車(1台)による連続放水(約60t)を実施(〜00:50)』と記述されている。

佐藤はこの時のことを説明しているものと見える。この時の放水はわずか20分で終わった。いわば小手調べである。本格的放水は、同日午後2時30分から始まっている。この放水は前述のごとく20日の午前3時40分まで連続して行われた。この時の放水量は2,430トン、と報告されている。

産業経済大臣の海江田万里が「連続放水を続けないと処分する」と言った、言わないと問題になったのはこの時のことである。都知事の石原慎太郎はこれに派手に抗議して見せて、ちゃっかり自分の選挙運動に利用した。ファシストはいつも人の心をつかむのがうまい。出番を心得ている。下らない連中である。下らない連中は、人の高い志が理解できない。理解できないばかりかこれをたくみに利用する。いや、またこれは余計なことを・・・。

佐藤 (放水は)1分間で3800リットル、最高で出るのですが、長時間放出するということで、約3000リットル強、毎分3トンぐらいの水量を放出しました。私の聞くところによると、この時、東電の方たちも一緒に行って、安全管理等していただきましたが、この放水をした直後に放射線の濃度レベルがほぼゼロに近いくらいメーターが下がったということも聞いておりますので、あ、プールの方に命中しているなと隊長が判断したということも聞いております。

以上の様な形ですが、安全管理として、先ほどのCSの部隊、こちらのポンプ側で5人、こちら側の屈折放水塔車側、この3号棟に近い方で5人、5人が活動をしている隊員の周辺で放射線濃度を測って危険がないかということを確認して行動をとりました。

以上が行動の概要の大きなところですが、今回、私どもが活動するに当たり、実は皆様、お手元に白黒で申し訳ないのですが、白黒の写真があります。

これはこの活動を行う前日、16日に荒川河川敷で行ったものでありますけれども、私ども、東京消防庁としては3月11日に地震が発生してから、やはりここの福島第一原子力発電所でこのような災害が起きているという認知をしまして、消防総監以下、私どもがまず11日は東京都内で51か所の火災が発生したので、そちらの方に専念して終息しましたが、12日からはこのような災害、特にニュークリア、N災害では私ども専門部隊を持っているので、どのような戦術で行こうかということを12日から・・・。

 <スタジオからの解説画面に変わり、記者会見中継は、一時中断>

 テレビ画面はスタジオに戻って解説者の解説シーンになって、記者会見中継は中断したようだ。恐らくここの佐藤の話は、一般に聞かせたくない話であった、と私は想像している。

 攻撃作戦計画立案の説明

佐藤 ・・・状況の中でいろいろ梯子車を伸ばしていたりする状況でありますが。(写真を指して)、現地に着きましても、現地で全隊員で何度も、(3月18日)17:05に門を入るまでの間、それぞれの隊で細部を検討した。

初め、はしご車を使って攻める予定だったが、当日、非常に風が強くて、はしご車の1100リットル毎分位の水量では風に流され、先の方が噴霧のようになってしまうので、3800リットル出せる屈折放水塔車(を使うことを検討した。しかし屈折放水塔車)は、40メートルの高さはなく、22メートルしかないが、まとまった太い水量をプールに送りこめるということで、各隊長が協議して、最終的に屈折放水塔車を使った案で攻めることになった。以上が説明の概略であります。

もうひとつ大事なことに、一番注意したのは大きく二つある。
  
一つは呼吸管理であります。

放射能の汚染で一番恐ろしいのは体内被曝と言われているので、門を入るところ、さきほど原子力発電所の門があるが、これが約2キロ強ある。その手前、私が指揮本部、Jビレッジにつけましたが、ここからすでに呼吸器を着装して、すべての作業を終えて戻ってこるようにということで11型呼吸器、約2時間使える呼吸器を全員に装着させました。

そして、(放射性物質を)付着させないように防護服を着装させていきました。
呼吸管理が一番大事です。

 この佐藤の話は極めて興味深い。日本の放射線防護の思想や線量限度の決め方は基本的に国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を基礎にしている。その国際放射線委員会の勧告は、特に外部被曝(放射線を外部から浴びること)と内部被曝、佐藤のいう体内被曝を特に区別していない。別な言い方をすると、外部被曝と内部被曝ではほぼ同じ線量限度を適用している。
(例えば、「国際放射線防護委員会−ICRP−2007年勧告(Pub.103)の国内制度等への取入れに係る審議状況について」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/
ICRP2007kankoku_Pub103_shingi.pdf
>などを参照の事)

だから、日本で定式化されている放射線防護の思想からは佐藤の言う「放射能の汚染で一番恐ろしいのは体内被曝と言われている」という考え方は特にでてこない。そうすると、少なくとも東京消防庁は、ICRPの勧告に基づく放射線防護教育ではなく、別な基準に基づく放射線防護教育を受けてきているのではないか、という疑問が湧く。

実際「呼吸管理」が大事だ、というのもそうなのである。呼吸をして空気中の放射性物質(100万分の1メートル単位の大きさである)を吸い込めば、これは内部被曝の問題だ。放射能汚染された食品を摂取するのも内部被曝の問題だ。そして内部被曝が一番怖い、というのもその通りなのである。私の疑問はこの考え方は、日本の正統放射線防護の思想からは異端の考え方だ、なぜ佐藤は異端思想を持っているのか、ということである。

佐藤 2番目に大事なのは蓄積された放射線を被ばくした総量です。

もともと東京消防庁では一般の活動最大10ミリシーベルトまで、普通の活動最大でも30ミリシーベルトになったら脱出しなければならないとなっています。よほどのことの場合、これは一生のこと、100ミリシーベルトを許すという基準です。

今回、先ほどの作業をして戻った後、除染をして、その後、私どものもとで災害アドバイスしてくださる先生が何人かおりまして、今回は東大【間違い。のちに杏林大学と訂正】の山口先生に同行していただき、山口先生に調べていただいたところ、線量計、ポケットのところどれくらいの線量を浴びたかの線量計を調べたところ最大で27ミリシーベルトの者が一人おりました。CSという全体を調べる、濃度を調べる車があると言いました。そこに石井という隊長がやはり、長時間いろいろとあちこちの状況を確認したので27ミリシーベルトの被ばくがありました。

それぞれの活動の同じ活動の核となる隊長にも線量計をつけさせたけれども、14から15ミリシーベルトが3人、10ミリシーベルト以下45人ということになって、なので概ね、私どもの基準、10ミリシーベルト以下を満足し、超えた者も先ほど申し上げたように消防活動の基準、30ミリシーベルト以下と言うことを幸いにして満たすことができました。

東大【杏林大学の間違い】山口先生に再度、ご確認いただいたところ、定量的に計った放射線濃度の図、CSという測定車で活動前に計った測定ポイントの図、そして、各隊員がつけていた線量計の3つの図を比較したとき、山口先生からは非常に妥当性のあるしっかりしたデータなのでこの被ばく量はほぼこれにまちがいないでしょう、この被ばく量でしたら隊員にそれほど健康被害がないでしょうと現地で言われました。山口先生は現在も、現地でとどまっていただいて、明日以降の活動、隊員とともに見守っていただいております。

今日、さきほど139名が第一陣、参りましたが、できるだけ被ばく量を少なくするということで、第一陣で入らなかった隊員のうち、申し送りをする数人を残して、この第一陣は私を含め、こちら【東京】に戻ってまいりました。

これも山口先生の指導で、消防学校で先生方に待機していただき、お医者さん1人、看護婦さん2人で、全部採血していただき、血液を調べて放射線の被ばくを調べて、これから、山口先生に確認していただきます。もしある程度の被ばくの恐れがある場合には、再度、二次検診をするという体制で臨んでいますが、今の段階では30mSv未満なのでほぼ安全は確認できたかなと考えています。

石原知事が「国家の危機であるから、精いっぱい頑張ってこい」というご指示をいただいていって参りましたが、幸い139人の隊員の安全を確保しつつ、初期の目的であるという連続的に大量の水をプール内に注入できるミッションを達成できたと思っております。以上がはなはだ簡単ではありますが、私どもの行動概要です。

 辻褄の合わない記者会見

 佐藤の話は、この隊員の被曝線量の話になるととたんにわかりにくくなる。「一般の活動最大10ミリシーベルトまで」、「普通の活動最大でも30ミリシーベルト」、「よほどのことの場合、100ミリシーベルト」が東京消防庁の許容上限であることはわかるが、これが1時間あたりの値なのか、活動中の被曝総量なのかという疑問がまず湧く。話の前後の関係でこれは「活動中の被曝総量」の話、ということはわかる。

 そうすると「石井隊長が27ミリシーベルト」、「14から15ミリシーベルトが3人」、「10ミリシーベルト以下45人」というのも1時間当たりの被曝線量ではなく、「活動中の被曝総量」の話だろう。先ほど3号機建屋付近に設置した屈折放水車上部の放射能濃度が「毎時60ミリシーベルト」と報告した。この屈折放水車の上部にだれも上がらなかったのか。もし上がったとすれば、30ミリシーベルトを総量上限とすれば、その人は30分しか現場にとどまれなかった筈だ。10分いてもすでに10ミリシーベルトだ。

 現場付近の平均濃度はどれくらいあったのだろうか?先ほど事務棟北あたりで4ミリシーベルトの濃度だった、それより近い3号機建屋付近はもっと高い濃度の筈だ、と書いた。また16日には毎時400ミリシーベルトというおよそ人が近づけない濃度が出ていたことも紹介した。いろんなところで作業したはずだから、平均濃度を4ミリシーベルトとしよう。そうすると石井隊長は27ミリシーベルトだから、単純に6時間45分しか現場にいなかったことになる。また15ミリシーベルトの隊員は4時間弱、10ミリシーベルト以下の隊員はわずか2時間半しか現場にとどまらなかった、ことになる。

 「報告書」のモニタリングデータと参照すると、佐藤の「隊員総被曝線量」報告はにわかには信じがたいのである。悪意ではないにしろ、またはっきり意図的ではないにしろ、佐藤は嘘を言っている、と解釈すればこの記者会見全体のつじつまはあうのである。

 というのはこの後質疑応答になるのだが、「一番大変だったのは?」と聞かれた総括隊長の冨岡豊彦−彼は前日朝早くから現場に入り長時間かけて「攻撃作戦立案」のための現場情報収集を行っている−は途中声を詰まらせながら、「隊員は非常に士気が高いので…、みんな一生懸命やってくれました。えー、残された家族ですね・・・、本当に申し訳ないと、この場でお詫びとお礼を申し上げたいです。」と述べた。「非常に妥当性のあるしっかりしたデータなのでこの被ばく量はほぼこれにまちがいないでしょう」と太鼓判を押した杏林大学の山口の報告とは全く好対照をなしている。警防部長佐藤が隊員の被曝線量については嘘を言っている、と考えた方が記者会見全体の辻褄があう。

 もうこの記者会見は、日付が変わって3月20日になっていた。午前0時30分から質疑応答に入った。



 驚くべき事実を暴露

質問 任務を終えた現在の心境、放水塔車何メートル接近したか、現在の隊員の様子はどうですか?
冨岡 私の率直な感想は非常に難しい危険な任務ではありましたけれども、国民の皆さんの期待するところをある程度達成できたかと充実感でほっとしています。
高山 私も同じですが、われわれの活動が普段、(東京)都民(が対象)ですけれども、福島県民、さらには全国の国民のため、安心と安全を与えたのかという気持ちで達成感で一杯です。
冨岡 屈折放水塔車の接近位置、若干訂正あります。実際に停まったのは、2号機と3号機のほぼ真ん中(となっていますが)、実際の位置は車両の横から3号機の棟舎(原子炉建屋)まで約2mです。東京電力のここの社員の方たちのお話ですと、私たちが止まって水を出した車から(使用済み核燃料プール)まで約50m離れているという話でした。

  ここで冨岡は驚くべき事実を暴露する。屈折放水塔車の位置は公式には2号機と3号機の中間、と発表された。しかしこの位置からだと、22mの高さしかない屈折放水塔車のアームはピンポイントで、3号機使用済み核燃料プールを狙えない。放水しても恐らくプール手前でだだ洩れになるだろう。だから建屋壁面から2mの位置まで近づけたと冨岡は言うのである。

しかし前にもご紹介したとおり、3号機建屋は3月14日に水素爆発をして高濃度の放射能が充満していた。さらに、3月14日、15日、16日と立て続けにプールから濃い放射能を含んだ白煙(要するに水蒸気である)をあげていた。19日の建屋付近の放射能濃度は公表されていないが、100ミリシーベルト以下ではなかったろう。その位置は直線で使用済みプールまで50mしか離れていなかった、と云うのである。

放水車を設置するのも隊員がそばにいなければならない。放水をはじめれば離れることは出来ただろうが、セットする間は現場にとどまらなければならない。佐藤の言うように、「隊員の安全は確保された」どころの話ではない。

佐藤 隊員の健康ですが、活動を終わると除染という行動があります。これはどの程度各隊員が積算の線量計で浴びているかということの他にガイガーカウンタのようなものを使って測定をします。そして汚染されていると思う物については全部ビニル袋に一括にしまいますが、その時に合わせて一時的な健康チェックを行います。その中では高山隊長がちょっと気分がすぐれなかった。すぐ、私どもの緊急車で山口先生のところにお連れしまして、山口先生に診察してもらった。そうしたところ、やはり極度の緊張状態の中での気分がすぐれない、ということであってこれは汚染による影響ではないという診断をいただきました。

今のところ、隊員については、全員が特に健康上の問題を訴えている者はありません。

 声を詰まらせる冨岡

質問 (各隊長)今の健康状態は?
冨岡 健康状態は極めて良好です。
高山 全く問題ありません。
佐藤 山口先生は杏林大学と言うことで訂正お願いします。
質問 任務と現場で大変だったことは?
冨岡 私の任務は、私どもの警防部長から話があったように、一番最初に現場について、この現場でどういう危険性があって、どういう活動があるかを確認することでした。

その中で私に強いられた一番の任務は今までやってきた訓練のようにこの現場は活動ができるかどうか、これが一番のポイントでした。実際に見たところ、非常に訓練のときとは違いましたが、まぁ通常の訓練とは違うけれども、このメンバーであればなんとかクリアできるという確信を持って帰ってきました。
質問 一番大変だったことは?
冨岡 一番大変だったことは隊員ですね。・・・(どういう意味ですか?と促され) ・・・隊員は非常に士気が高いので・・・、みんな一生懸命やってくれました。えー、残された家族ですね・・・、本当に申し訳ないと、この場でお詫びとお礼を申し上げたいです。以上です。(これは非常に有名なシーンだ。)
高山 はい。通常の活動ですと普通の動きができるんでしょうけれども、今回の場合は目に見えない敵と戦うわけです。ですから通常、恐怖心と言うものが走るわけですし、その中でいかに隊員を短い被曝時間で活動させるかということに非常に細心の注意を使いました。何よりもご覧になっているこの重たい100キロ弱のこのホースを通常でしたら車両で延ばせるんですけども、さきほど説明あったように車が通れないということで約350メートル近くを、これはたった10メートルのホースですが、通常これ50メートルです。50mの150mmの径のホースを隊員総出で、瓦礫の中を手作業で一生懸命延ばした。

それも、時間に限りがあるのでその中で一生懸命やってもらったことが非常に大変でした。何よりも、我々の安全を確保していただいた三本部(東京消防庁第三本部)機動部隊、通常、 NBC【nuclear, biological, chemical】対応部隊ですけれども、その隊員たちが常に我々のそばにいて常に測定をして今、どのくらいだ、今どのくらいだ、とアピールをしてくれた。仲間のバックアップがあったからこそ、この任務は遂行できたんだと、つくづく感じております。
質問 出動される前、家族とどんな話をされたか、家に帰ったら何をしたいか。
高山 家族に派遣命令だから福島県原発事故現場に行ってくると、必ず帰ってくるから安心しろと、このように仕事場から直で出動だったので妻にメールしました。
質問 奥さんからは?
高山 信じて待ってます、とメールで返ってきました。
質問 今、何をしたいか?
高山 今、何をしたいか?ゆっくり眠りたいですかね。
冨岡 私はちょうど家におりましたので、私の妻、娘、長男にこの場所に行くという話をして、安全が確保されない限り仕事をしないからということで家を出ました。今、何をしたいか、一緒に家族でいればあれですけれど、だいぶ深夜ですので、私、お酒も好きなのでお酒を飲みながら反省会を一人でやってみたいと思います。
佐藤 3月17日、都知事から派遣の要請があったということを知り、その時は震災対策の作戦室に詰めていましたので、私の方もメールで妻に対して、これから福島原発の方に出動してくるよとメールを出したところ、家内の方からは、日本の救世主になってくださいと一行がメールで参りました。
質問 今何をしたいですか?
佐藤 ゆっくり寝たいです。・・・


 何故ハイパーレスキュー隊出動が遅れたか?

 以上がこの記者会見の、中断された時間を除けば、ほぼ全容である。「報告書」1/64pに記載されている「使用済み燃料プールへの注水」という表によれば、3号機は4月15日午後5時現在、累積水量5,263トンである。プールの容量はほぼ1500トンである。

 うち
  実施 水量計  割合
自衛隊  3月17日、18日  100トン  1.9%
警察機動隊 3月17日  44トン 0.8%
緊急消防援助隊 3月19日、20日、22日、25日 4,224トン 80.3%
東電 計延べ13日 892トン 16.9% 
 である。

 特に3月14日の水素爆発の後、3号機は原子炉、使用済みプールはいずれも危機的状況を迎えていた。原子炉に関しては今でも危機的状況はかわらないが、プールについては3月19日から20日未明にかけての東京消防庁・ハイパーレスキュー隊の出動で、危機的状況を脱しつつあるという言い方ができるだろう。

 ここで誰しも思う疑問は、何故ハイパーレスキュー隊をもっと早く出動させなかったのか、ということである。この記者会見を読んでも佐藤の証言で、事故発生の翌日12日から、当然自分たちに声がかかるものと手ぐすね引いて作戦を立てていたことがわかる。

 報告書によれば、総理大臣が東京都知事に出動要請があったのは3月17日午前7時。都知事はただちに受諾したことになっている。これを受けて、消防庁長官から東京消防庁にハイパーレスキュー隊を緊急消防援助隊に派遣要請したのが3月18日午前0時50分。(以上「報告書」49/64p、50/64pによる)

 なぜこの間17時間以上もかかったのか疑問が残るところだが、総理大臣の要請がある前の3月16日には、ハイパーレスキュー隊は東京の荒川河川敷で、立案した作戦に沿ったシミュレーション訓練を実施している。

 なぜもっと早く出動させなかったのか?

 実は事故の起こった翌日の3月12日午後6時02分、原子力安全・保安院は消防庁長官に派遣要請をしているのである。「報告書49/64p」の「消防庁の動き」の項の記述を引用すると、

『18:02 原子力安全・保安院から施設を冷却するための装備を持った部隊を派遣して欲しいとの要請があり、消防庁長官から、東京消防庁のハイパーレスキュー隊及び仙台市消防局の特殊装備部隊を緊急消防援助隊として派遣要請』

 そしてこの派遣は、

 『原子力安全・保安院の要請取り消しにより、中止』

 となるのである。原子力安全・保安院がすぐさまハイパーレスキュー隊に出動要請したのは極めて当然のことだ。ハイパーレスキュー隊は「核事故」や「大量破壊兵器事故」に特化した部隊として、必要な装備を持っている上に、隊員はそのための訓練や知識を備えている。今回の事態でいち早く出動しなくていつ出番があるというのか。だからこのことにはなんの疑問もない。

 従って今の疑問は、「なぜもっと早く出動させなかったのか?」ではなくて、「なぜ原子力安全・保安院は派遣要請を取り消したのか?」という疑問になる。報告書はこの疑問に答えて呉れないばかりか、要請取り消しの時刻も記述していない。

 だからこの後は合理的推測にたよる以外にはない。

 菅政府の犯罪行為

 「報告書」38/64pの「防衛省の動き」の項目を追っていくと、3月13日の記述に、

『 17:57 福島原発での空中散水を目的とした放射線モニタリングを16:15から実施する予定であったが、3号機の水素爆発の危険性を考慮し、モニタリング及び空中散水を一時中止 』

 とある。ヘリコプターで空中から水をまこうという計画があったことがこれでわかる。だれが立てた計画か知らないが、非常識にもほどがある。ヘリコプターが運べる水は1回精々2トン。10機がいっぺんに飛び立ったとしても20トン。ところが必要とする水は数千トン単位だ。土台、ケタが違う。明らかに原発事故を全く知らない、シロウトが立てた作戦計画だ。現実に風に流されなからよろよろと飛び上がった自衛隊のヘリから申し訳程度の水がばらまかれ、それも風に流されあさっての方へかかっていた映像をご記憶の方も多いだろう。

 そしてこの記述から、ハイパーレスキュー隊の派遣要請を中止して、自衛隊に出動命令が下ったという事も推測できる。また菅政府は14日の3号機水素爆発も十分予測していたことも窺える。

 翌3月14日の記述。

『 9:42 安全性の確保が出来たため、ポンプ車両7両で第一原発3号機に向かう。』

 これでいよいよはっきりしてきた。3号機使用済み燃料プールの鎮圧は自衛隊にやらせ、見せ場を作ろうとした、そのため菅政府は原子力安全・保安院に圧力をかけ、ハイパーレスキュー隊への派遣要請を取り消させた、と云う推測が成り立ってくる。

 3月16日の記述。

『 16:00 福島第一原発3号機への放水のため、CH-47(ヘリ)1機が離陸。モニタリング結果により中止の可能性があり
17:20 3/16はヘリによる放水作業は実施しない。』

 3月15日、16日は先ほども見たように3号機の使用済み核燃料プールは盛んに白煙を上げ、大量の放射能を含んだ水蒸気をまき散らしていた。危険水域に近づいていたのである。一刻も早く大量の水を注入し、核崩壊熱による温度上昇を抑える時期であった。ジルコニウム被服がとけ炉心が損傷していることは明白である。しかしまだ燃料棒の本格的溶融は始まっていない。これが溶け出すと手がつけられなくなる。この時菅政府は、たった1機のヘリコプターに冷却作業を任せようとしていた。そのヘリコプターも放射線濃度が高い、と云う理由で散水を中止してしまった。

3月17日
『09:48 【散水】 第一原発3号機に関し、陸自ヘリにより散水(1回目)を実施
09:53 【散水】 第一原発3号機に関し、陸自ヘリにより散水(2回目)を実施
09:56 【散水】 第一原発3号機に関し、陸自ヘリにより散水(3回目)を実施
10:00 【散水】 第一原発3号機に関し、陸自ヘリにより散水(4回目)を実施 』

 これでヘリコプター・ショーは終わった。前述の如く、この4回の出動でまいた水はほとんど空中へ流されていった。テレビで自衛隊の活躍を印象づける目的のこのショーは二度と行われなかった。余りにも子供だましだったからである。ただ、この3月17日の時点で菅政府は、今回の福島原発事故をまだ甘く見ていた、という事だけは言えるだろう。でなければこのようなヘリコプター・ショーにうつつを抜かしている余裕はなかったはずだ。

 同じく3月17日
『19:35 【放水】 第一原発3号機に関し、消防車により放水(1回目)を実施
19:45 【放水】 第一原発3号機に関し、消防車により放水(2回目)を実施
19:53 【放水】 第一原発3号機に関し、消防車により放水(3回目)を実施
20:00 【放水】 第一原発3号機に関し、消防車により放水(4回目)を実施
20:07 【放水】 第一原発3号機に関し、消防車により放水(5回目)を実施 』

 この「自衛隊放水」の光景はテレビを通じて、自衛隊の活躍として、派手に全国に流された。が、この水が到底プールに届いたとは思えない。というのは、消防車は建屋から20mも離れた地上にいた。ハイパーレスキュー隊総括隊長・冨岡豊彦の証言によれば、彼は建屋から2m離れたところにいて、プールとの直線距離は50mだった。それはそうである。使用済み核燃料プールは、地上約20mの上空にあるのだから。建屋から20m離れた地上から打ち上げた水がプールに届くはずがない。そもそもテレビ画面では、やや斜め上に打ち上げていた。使用済み燃料プールを狙った角度ではない。

 これも結局は自衛隊ショーだった。

 東京消防庁ハイパーレスキュー隊への要請を断ったのは、自衛隊にショーを演じさせ、日本の国民に自衛隊の活躍ぶりを印象づけ、宣伝するためだった。直接証拠はない。しかし状況証拠からする合理的推測ではある。もしこの推測が当たっているなら、これは菅政府による犯罪行為である。