【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ
 (2011.5.14)
※訂正2011.11.15
<参考資料>欧州放射線リスク委員会(European Committee on Radiation Risk-ECRR)2010年勧告(ECRR2010翻訳委員会)“There is no safe dose of radiation(放射線に安全な線量はない).”
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  <お詫びと訂正> 
 ECRR2010年勧告第3章の日本語訳本文に訂正があります。
 訂正箇所は、第3章「科学的原理について」第3.1節の文中です。最初に該当箇所を引用します。

放射線リスクモデルを作り上げるためには、歴史的に形づくられてきている科学的な方法論の基礎を検討することが、教育的にも有効であると本委員会は考える。

科学あるいは演繹的方法の古典的解釈は(元はオッカムのウイリアム(William of Occam)による:訳注1)、現在ではミルの規範(Mill’s Canons)と呼ばれている。それらのもののうちで最も重要とされる2つは次のものである:

 一致の規範(Canon of Agreement)。これは、あるひとつの現象に先行する諸条件の中に常に共通するものがあるとすれば、それはその現象の原因、あるいは原因に関係するものであると考えてよい、としている。

 相違の規範(Canon of Difference)。これは、あるひとつの効果が生じる諸条件とそれが生じない諸条件の中に何かの違いがあるとすれば、そのような違いはその効果の原因、あるいは原因に関係しているものであるはずである、としている。

 これらに加えて、その方法論は、科学的知識は独立した法則の発見によって加算的に増大するという、蓄積の原理(Principle of Accumulation)、および、その法則が真実であることの信頼性の程度は、その法則に合致する実例の数に比例するという、実例確認の原理(Principle of Instance Confirmation)に信頼をおくものである。

 最後に、その演繹的理由づけの方法に、我々はメカニズムの妥当性(plausibility of mechanism)という議論をつけ加えるべきであろう。』


上記の文章で、
 『 科学あるいは演繹的方法の古典的解釈は(元はオッカムのウイリアム(William ofOccam)による:訳注1)、現在ではミルの規範(Mill’s Canons)と呼ばれている。』 
とあるのは
 『 科学あるいは帰納法的方法の古典的解釈は(元はオッカムのウイリアム(William ofOccam)による:訳注1)、現在ではミルの規範(Mill’s Canons)と呼ばれている。』
と訂正。また、
 『 最後に、その演繹的理由づけの方法に、我々はメカニズムの妥当性(plausibility of mechanism)という議論をつけ加えるべきであろう。』
とあるところは、
 『 最後に、その帰納法的理由づけの方法に、我々はメカニズムの妥当性(plausibility of mechanism)という議論をつけ加えるべきであろう。』
と訂正します。


 該当箇所をECRR2010年勧告の英語原文から
 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ECRR_2010_recommendations_of_
the_european_committee_on_radiation_risk.pdf
引用しておきます。

The Committee believes that it is instructive to examine the scientific basis of the method which has been historically developed to create the radiation risk models.
The classical exposition of the scientific, or inductive method (originally due to William of Occam) is what is now called Mill’s Canons, the two most important of which are:

•The Canon of Agreement, which states that whatever there is in common between the antecedent conditions of a phenomenon can be supposed to be the cause, or related to the cause, of the phenomenon.

•The Canon of Difference, which states that the difference in the conditions under which an effect occurs and those under which it does not must be the cause or related to the cause of that effect.

•In addition, the method relies upon the Principle of Accumulation, which states that scientific knowledge grows additively by the discovery of independent laws, and the Principle of Instance Confirmation, that the degree of belief in the truth of a law is proportional to the number of favourable instances of the law.

Finally, to the methods of inductive reasoning we should add considerations of plausibility of mechanism.』

上記文章で、『The classical exposition of the scientific, or inductive method (originally due to William of Occam)』とあり、この「inductive method」を「演繹的方法」と訳出しており、正しくは「帰納的方法」でなくてはなりませんでした。(“inductive”帰納法的に対して演繹法的は“deductive”)

同様に上記引用文の最終パラグラフ、『Finally, to the methods of inductive reasoning we should add considerations of plausibility of mechanism.』では『the methods of inductive reasoning』は、『最後に、そうした一連の帰納法的推論の方法論に、「もっともらしさのメカニズム」に対する考慮を付け加えなければならないだろう。』(哲野訳)とすべきでありましたが、誤って「演繹法的」と訳出したものです。

この箇所は、ECRRとICRPの科学的推論の立て方の対蹠的立て方の違いに論究しようとするちょうど導入部にあたるところであり、いずれも致命的な誤訳をそのまま掲載し、訂正すると共にお詫びを申し上げます。

ただこの誤訳のために、ECRR2010年勧告「第3章」原文全体と日本語訳の価値が大きく損なわれた、ということはできません。

この章におけるECRRの、ICRP批判のポイントの一つは、低線量被曝の人体への影響は、現実に生起してきた事実から判定し、仮説を立て、それを検証していくべきなのであって(帰納法的アプローチ)、決して最初に原理・原則を立て、その原理原則から、現実に生起している事実を解釈・判定す(演繹法的アプローチ)べきではない、ICRPのアプローチは科学的方法論ではない、とするところにあります。この批判は全く正しく、ICRPのアプローチは医学的・科学的というよりもむしろ政治・経済的アプローチだというべきでしょう。

私個人の見解を申せば、このECRRの批判もまだ生ぬるいくらいであります。実際のところ、ICRPのアプローチは、「演繹的」というのも褒めすぎの似非科学と考えています。

「帰納法的」といい、「演繹法的」といい、いずれも科学的推論の方法論に過ぎません。そこで得られた仮説は決してまだ科学的真実ではありません。ECRRの科学者はそのことをよく理解し、その仮説を裏付けるべく研究を行っています。

しかしICRPの学者はそうではありません。たとえば、ICRPの主張「線形しきい値なし理論」はまだ科学的真実ではなく、仮説の段階に止まっています。しかし、ICRPの学者たちは、この仮説を検証しようとしないばかりか、それをあたかも「科学的法則」のように扱い、この「法則化された仮説」の上に彼らの理論と精緻極まるモデルリスクを構築しております。

まことにECRRがこの章で、『最後に、そうした一連の帰納法的推論の方法論に、「もっともらしさのメカニズム」に対する考慮を付け加えなければならないだろう。』と皮肉たっぷりにからっている通りであります。

私から見れば、ICRPの体系は、演繹法・帰納法という以前に、「先決問題解決の要求」すら満たしていない、「詭弁の体系」という他はありません。

 ( なおスコラ哲学者であったオッカムのウイリアムのアプローチが、今日から見て帰納法的だったかどうかと言う点については、様々な議論があるだろうと思われます。私もこれは視点が違っているのではないかと思います。ウイリアムは、マルクス主義哲学でいう「観念論」から「唯物論」(物質主義とか「唯心論」に対置する唯物論ではありません)にその認識論の軸足を移しつつあった過渡期の哲学者という理解をしております。)



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フクシマ危機の防護指針

   欧州放射線リスク委員会の2010年勧告(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/
ECRR_2010_recommendations_of_the_european_committee_on_radiation_risk.pdf
>)
が「美浜の会」(美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会)のECRR2010翻訳委員会の努力で全文日本語訳が発表された。(<http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_dl.htm>)
 
 前回2003年勧告に比べると異例とも言える翻訳のスピードだが、これはもちろん現在進行中の福島原発事故(フクシマ危機)による、放射線影響、特に日本の将来を担う子供たちを放射線影響から護るために、この2010年勧告がその力強い指針となっているからに他ならない。ECRR2010翻訳委員会の努力に敬意を表すともに一人の日本市民として心から感謝したい。
 
 2003年勧告では、

 『 本委員会は、放射線への低線量被曝がもたらす健康影響を最初に明らかにした科学者である、アリス・メアリー・スチュワートの思い出にこの書を捧げる。 
 スチュワート教授は、欧州放射線リスク委員会の初代委員長に就任されることに同意されていたが、彼女がこの最初の報告書の完成を生きて見ることはかなわなかった。』

 という献呈辞が記述されていたが、2010年勧告では、このアリス・スチュアートに加えて、

 『 本委員会はこの版をエドワード・ピィ・ラドフォード教授(Prof. Edward P Radford)の思い出に捧げる。』

 とエドワード・ラドフォードにも触れている。

 『 Prof. Edward P Radford、物理学者/疫学者
“There is no safe dose of radiation(放射線に安全な線量はない).”

ラドフォードは全米科学アカデミーのBEIR III(電離放射線の生物学影響 III)委員会の議長に就いていた。彼による1979年のBEIRレポートは、当時から現在に続くリスクモデルの不備な点に注意を喚起した。それは取り下げられ押さえつけらたが、彼は辞職し異議を唱える報告書を公表した。彼の経歴は破壊された。』

 この記事の表題に使った「“There is no safe dose of radiation.”(放射線に安全な線量はない)」はエド・ラドフォードの言葉である。

 『 2009年にECRRは、合衆国に住む彼の未亡人であるジェニファーとラドフォードの家族によって寄贈された、彼のエドワード・ラドフォード記念賞(Ed Radford Memorial Prize)をユーリ・アイ・バンダシェフスキイ教授(Prof. Yuri I  Bandashevsky )に贈った。

Prof. Yuri I Bandashevsky 物理学者/疫学者
 バンダシェフスキイは、彼の研究と自身の英語による発表を通じて、ベラルーシーの子供たちの健康にチェルノブイリからの放射能の内部被ばくが与えている影響に注意を喚起し、逮捕と収監という報いを受けた。』

 と2010年勧告は書いている。バンダシェフスキイの逮捕は、日本流に言えば「流言蜚語の科」ということだろう。警察や軍隊という暴力装置を含めて圧倒的な国家権力の中枢を握る「原発推進派」の産業界は、議会・学界・言論界・司法界などを味方につけている。学者一人をひねり潰すことなどわけはない。赤子の手をねじるより簡単なことだ。しかし学者一人をひねり潰すことはできても、その学説や研究までは潰せない。精々出来て闇に葬る程度だ。学説や研究が真摯で有効である限りそれは永遠に生き残る。

 この2010年勧告を作成するために、学者たちは2009年にギリシャのレスボス島に集まり討議を行った。この討議に参加した、あるいは寄与した各国の科学者たちの名簿も記録されている。その中に名古屋大学名誉教授の沢田昭二の名前も見いだせる。唯一の日本人だ。沢田は、残留放射能と内部被曝が実質的争点となった「被爆者集団訴訟」で、原告側(日本国に被爆者認定を求める側)の証人として「広島原爆」における「内部被曝」や「残留放射能の影響」に関する医学的データを提出し、また「広島原爆」のヒバクシャの一人として証言を行い、「集団訴訟27連勝」に導いた立役者の一人でもある。


自信と確信を示すECRR

   2010年勧告と2003年勧告との大きな違いは以下の通りである。

1.「緒言」(Preface)の新設
 2003年勧告を発表して以来、各国から大きな反響を受け、多くの支持や支援が寄せられた事に対する欧州放射線リスク委員会の自信と確信に満ちた意気軒昂たる宣言文となっている。

 『 この新しい改訂版によって、政治家や科学者が彼らの電離放射線の健康影響についての理解を変えようとする圧力は今では無視することが不可能なほど大きくなってきているのは明らかである。』
 とこの緒言を結んでいる。

2.第1章「欧州放射線リスク委員会」
 2003年度版(以下03版)では「第1章 欧州放射線リスク委員会設立の背景」に相当する章。基本的には大きくは変わらないが、欧州放射線リスク委員会設立の背景がやや詳しく記述され、わかりやすくなっている。それでも欧州議会や欧州原子力共同体、あるいはヨーロッパにおける「緑のグループ」の政治的影響力の伸張などについて基本的素養を欠いている日本人読者には別途解説記事が必要かも知れない。

 また2003年以降の欧州放射線リスク委員会(ECRR)の諸活動、諸展開にも当然のことながら言及し、ヨーロッパ主要政府の放射線規制当局にもその影響力を拡げつつあることを十分にうかがわせる内容になっている。また2003年以降の内部被曝に関する新たな研究成果や発見もごく簡単に触れている。(詳しくは本文中)

 『 グリーングループ(緑のグループ)は基本的安全基準指針96/29に著しい影響を与えることはできないが、彼らは第6.2条を次のように修正することができるだろう:“加盟諸国は新しい重大な証拠が現れた場合には、全てのクラスにおける被ばくを含む実行の正当化を見直さなければならない。“

疫学的な基礎においても理論的な基礎においても、これこそが今や真実なのである。』
 とヨーロッパで急速に影響力を拡大しているECRRに自信を示している。

3.第2章「本報告の基礎と扱う範囲について」
 03年版では「第2章 本報告の基礎と扱う範囲」に相当する。構成や内容はほぼ変わらないが、当然のことながら03年以降の研究成果や報告を幅広く含んだ内容が提示されることを示唆した記述となっている。


「人道に対する普遍的な犯罪と見なすべきである。」

  4.第3章「科学的原理について」
 ICRPモデルに対決させる自身のECRRモデルを03年版では「急進派モデルであり、反核運動やそれに協調する科学者によって信奉されている。」としていた部分を「憂慮する独立系の誰もが参加できるパブリックドメインにある組織やそれらと結びついている科学者によって支持されているモデル」と定義し直している部分が注目される。03年以降の広範な支持の拡がりを背景に、ECRRの自信が感じられる。なお、03年以降の展開については当然追加されている。それに伴い第2節「科学と政策のインターフェースとバイアス:CERRIE」、第3節「ICRP2007年報告の科学的基礎」、第4節「ピア・レビュー査読と研究資金及び科学的合意」が新設されている。

5.第4章「放射線リスクと倫理原理」
 ICRPのよって立つ哲学的・倫理的基盤を鋭く批判し、それに自らの「個としての人間尊厳の哲学」を対置させた章。内容的には大きくは変わっていないが、第4節の5「放射線感受性におけるレベルの違いを考慮にいれること」では「日本の原爆被爆者寿命調査(LSS)に基づいた放射線防護の基準は、異なった人種グループに適用できない。その集団において変化している放射線感受性をひとたび考慮に入れるならば、最も影響を受けやすい市民の健康リスクに基づいてリスクモデルを開発する以外に、道徳的に受け入れることのできる代替案について考えることは困難である。その問題は、第9章で再び検討されるだろう。」と新たに述べ、日本における最近の「内部被曝問題」に関する新たな進展を取り入れていることを窺わせている。

 そして、
 『 ・・・子供達が放射能放出の結果として白血病で必然的に死んでいくのに、因果関係は否定されるだろうし、いかなる場合も彼らの人数は「絶対少数」である、したがって考慮する価値はない、という政策において暗黙理に示されている結論によって明らかになっている。そのような正当化が道徳的に破産していることは直感的にも明らかである。もしも我々が、我々の価値観を、経済成長駆動世界体制(economic growth-driven world system)中に存在するそれを乗りこえて広げるならば、民生原子力は、あまりに安すぎて計測できないどころか、実際のところ、あまりに費用がかかりすぎて容認できないということが明らかになるだろう。』

 という03年版にも見られた文言に続いて、10年版では、
 『 軍事関連の活動(核兵器実験、ウラン兵器)に由来する中間的および非常に長寿命の放射性核種が環境中に組織的に増大している問題は、決して正当化されておらず、したがって功利主義を含むあらゆる倫理体系の枠組みの外部でしか扱われることができないだろう。国境線を超えた、無差別的な汚染の性質ゆえに、放射能汚染は、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判で議論されたタイプの人道に対する普遍的な犯罪と見なすべきである。』

 という文言を追加し、兵器と言わず原発と言わず核の汚染(放射能汚染)はすでに「人道に対する犯罪」とまで踏み込んで激しく糾弾し、この章を結んでいる。


「WHO はIAEA に追随する、健康は原子力に従属する」

   6.第5章「リスク評価のブラックボックス 国際放射線防護委員会」 
 03年版同様、国際放射線防護委員会(ICRP)の科学的独善性、傲慢さを批判した章。構成に大きな変化はないが、03年以降収集した新たなデータが参照事実としてそこここにちりばめられている。たとえば―。

 『 ・・・ここで重要なポイントは、各国政府が科学的合意の議論について依存している全ての機関が完全に内部でつながっており、ひとつのリスクモデル:ICRP のリスクモデルに頼り切っていることである。ICRPはそこからの証拠に依存しているそれらの機関から独立しておらず、それらの機関はICRPから独立していない。その体系は内部無撞着であり危険な科学の回勅文書に支えられる要塞都市である。

 放射線被ばくと健康について関わると合理的には期待される他の国連機関、世界保健機関(WHO)はどうか?WHO は1959 年にIAEA との間で放射線の健康影響に関する研究をIAEA に任せるというIAEA との合意を強要された。この合意は今でも有効であり、WHO だけでなくFAO(国連食糧農業機関)にも及んでいる。2001 年にキエフで開催されたチェルノブイリ事故の健康影響に関する会議で、WHO 議長のエイチ・ナカジマ教授(Prof H Nakajima)は公のインタビューのなかで次のように述べた;「放射線影響の研究ではWHO はIAEA に追随する、健康は原子力に従属する」。IAEA の権限は原子力の平和利用の展開である、しかし現在では、むしろアメリカ合衆国と他の核保有国以外に核兵器が広がることを制限することを目的とした国際的な警察官である。』

 ( しかし、そのIAEAも核兵器保有国以外への核兵器拡散を制限する国際的な警察官であることに専念できなくなった。それを強行しようとすると核兵器不拡散体制の要である核兵器不拡散条約そのものが空中分解の恐れが出てきたからである。それを2010年再検討会議最終文書は如実に示している。こうして非核兵器保有国の結束に、アメリカ・フランスをはじめとする核兵器保有国とそれを支持する西側諸国は核兵器廃絶の日程決定を迫られ、最後の瞬間に、「中東非核兵器地帯創設」を約束することによって危機を脱したのである。しかしそれは同時に「スローガンとしての核兵器廃絶」から「政治課題としての核兵器廃絶」へ転化した瞬間でもあった。2010再検討会議における、IAEA事務局長・天野之弥、国連事務総長・潘基文の無能・無力ぶりを見よ。彼らは成り行きに任せるほかはなかったのである。)

7.第6章「電離放射線:ICRP 線量体系における単位と定義、およびECRR によるその拡張」

 第1節から第10節までは、それぞれ新たな知見が加えられているが構成は変わらない。が、10年版では新たに11節として「2次的光電子効果(Secondary Photoelectron Effect)」が追加されている。

 『 大きなZ を持つ元素で構成された物質による光子放射線の膨大な吸収は、その物質近傍の生体組織に対して線量の増強を引き起こす。そのため、放射線防御における問題は、大きなZ を持つ元素が生体組織に取り込まれるときに発生する。この問題は1947年に骨のX 線に対する関係として初めて述べられ(Speirs 1949)、人工器官に対する関係としてかつて研究されてきた。さらに最近では、大きなZ をもつ物質を、光子を用いた腫瘍の放射線治療に効果的に利用することに興味が移ってきている。金のナノ粒子は放射線治療の効果を上げるのにうまく用いられ(また特許がとられ)ている。

 (Hainfeld et al 2004)このような知見にもかかわらず、大きなZ を持つ汚染物質による光子放射線の増強効果は放射線防御では語られてこなかった』

 大きなZ、すなわち大きな原子番号を持つ物質か体内に入った時、細胞にとって極めて有害な光子放射線を照射する。これが2次的光電子効果である。昔から知られていたにもかかわらず、ICRPは、自らの仮説に合致しないとしてこれを無視してきた。放射線内部被曝のリスク要因として「2次的光電子効果」に着目したのがこの11節である。


歴史的・政治的いきさつを含めての全面的なICRP批判

  8.第7章「低線量における健康影響の確立:リスク」
 放射線の健康一般に対する影響を論じた章であり、「放射線影響=ガンリスク」とICRPによって刷り込まれた頭には極めて新鮮に響く章であり、また「広島原爆」の後発生した様々な奇怪な病気に関する経験的知見ともよく合致する内容になっている。構成・内容は03年版と大きくは変わらない。が、ところどころ差し込まれた言葉が、03年版より理解を促進する要素となっている。例えば―。 

 『 (放射線被曝による様々な疾病が原因の)生活の質の損失はガン以外の死因をも含むので、放射線によるガンだけに焦点を当ててしまうと、死因を見誤り疫学的に間違った結果を与えるかもしれない。もしあなたが(放射線被曝による)心臓発作ですでに死んでしまっているとしたら、もはやガンで死ぬことはできないのだから。』

 また10節「胎児における被曝影響とその他の影響」は節だけが設けられていて記述が行われていなかったが、10年版では「アリス・スチュワートのオックスフォード調査データは10 mSv のX 線線量を胎内で受けた子供たちのガンが40%増加した事を示した。」など記述が行われている。

9.第8章「低線量における健康影響の確立:疫学」
 03年以降の新たな知見、特にチェルノブイリ事故による放射能影響に関する新たな知見が追加されている。全体構成に大きな変化はない。

10.第9章「低線量被ばく時の健康影響の検証:メカニズムとモデル」
 第4節にこれも新たな知見である「ファントム放射能:二次光電効果 SPE」に関する記述が追加されており、そのため03年版に比べるとその後の節がひとつづつ繰り下がっている。5節「 集団内部と個体の感受性」は節立てはかわらないが、内容は大きく「集団」や「個体」における感受性の差が大きいという結論にまで踏み込んでおりさらに充実した内容になっている。ここには最近の「チェルノブイリ研究」の成果、最近の動物実験の成果が大きく取り入れられているほか、日本の肥田舜太郎の研究も取り入れられている。

11.第10章「被ばくに伴うガンのリスク、第1部:初期の証拠」
 03年版では1節は「扱う範囲」という短い節だったが、10年版では「ECRR リスクモデルの基礎」という名称に変更されており、

 『 ECRR2003 の出版の後、フランスのIRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)や他の機関はECRR のモデルをその科学的な基礎を説明することに失敗しているとして批判した。
  
本委員会の新しいリスクモデルの基礎として使用している証拠は、第一にヒトの疫学調査であり、次にヒト、動物、細胞についての数多くの研究であり、最後に、細胞レベルの放射線と分子との間の相互作用の性質に関する、物理化学及び生物学の知識である。それは、第一義的に物理学的基礎に基づくものではなく(そしてこの点が本質的にICRP と異なる点である)、その代わり帰納法的に疫学的証拠から始まり、それからこれらを放射線と生体組織の間の、稀釈した溶液中の生物現象としての分子レベルの相互作用として説明している。』

 というように主としてIRSNとの論争を通じて、積極的にECRRモデルを確立する方向性を鮮明にしている。この節の内容は、歴史的・政治的いきさつを含めての全面的なICRP批判となっている。また2003年以降の諸研究を取り入れて説得力を増した内容になっている。


新たに「ウラン 劣化ウラン兵器」の章

  12.第11章「 被ばくにともなうガンのリスク、第2部:最近の証拠」―準備中

13.第12章「第12章 ウラン 劣化ウラン兵器」
 03年版の章立てではなかった全く新しい章である。03年版では第11章7節で「劣化ウラン」の項目を設けており、「微粒子がもたらす被曝線量(particle doses)の影響が、劣化ウランに対する最近の異常な応答の原因であろう。劣化ウラン兵器は、極めて大量のミクロンサイズで長寿命の放射性微粒子を大気中にもたらす。イラクの諸地域におけるガンや出生児欠損(birth defects)の増加、さらにごく最近のサラエボ市民やコソボとボスニアの平和維持軍の間でのガンの増加はこれの結果であろう。本委員会はこの問題についてまた別の機会に報告を行う予定である。」と述べていたが、この予告通りの報告が実現したのが10年版第12章だということができる。

 『 ウランは放射線リスクに対する物理学ベースのアプローチがもたらすECRR2003が注意を喚起してきた問題についてのひとつの完璧な例であると結論する必要がある。
  
 ICRPにしたがって吸収線量の見地から線量が計算される時、環境中に通常見つかるウランの量は、自然のバックグランド放射線と比較すると非常に低い線量を与える、そして原爆の被ばく集団のガンに関連するレベルと比較してもかなり低い。しかしこのアプローチでは誤りが膨大なものになるのは明らかであり、というのはそれは次の学問を避けている、より正確には、化学についても、生物学についても、生理学についても、薬理学についても何も知らないからである。
  
 このような科学は、ある深く哲学的で情緒的であると感じられる流儀において(何れにしても物理学者によって)、歴史的に物理学や数学よりも重要性が低いと見なされてきた。これは合理的な分析における欠陥である:それはそのデータと同じくらい優れているだけであり、そうだとしても、問題を解くためには、解が主張することのできるレベルを下げなければならず、その答えはしばしば間違っている。』
(同5節「結論」より)

14.第13章「被ばくのリスク:ガン以外のリスク」
 03年版では第12章として扱われていた。私が2003年度版を通読して、第4章のECRRの哲学的基盤とともに、この報告は真実だ、と直観したのもこの章があったからである。放射線の人体への影響とは、必死で生きようとするものに対する、その「生きる力」「生命力」そのものへの攻撃能である。「生命」そのものへの破壊効果である。従ってそのエンド・ポイントが「ガン」だけであるはずがない。ECRRはその放射線の本質をよく見抜いている。従って「被ばくのリスク:ガン以外のリスク」という章が設けられたのである。ヒロシマ・ナガサキでの経験的知見ともよく一致する。それら証言や手記がもし彼らが読める状態になっていたらもっと大きな示唆を与えるに違いない。
  その意味でも広島・長崎の被爆者の証言や手記ももっと精査されなければならない。感想とも推測とも当てずっぽうや又聞きともつかぬ粗雑な“証言”や手記が余りにも多い。南京大虐殺生存者の証言や手記と比較してみるとその第一次資料としての価値の違いは余りにも明らかだ。話が横道にそれかけている・・・。)

15.第14章「応用の例」
 03年版では「ICRPモデルは、内部アルファ線被曝の場合だけは区別するが、外部被曝であっても内部被曝であっても、同位体がもたらす全エネルギーの平均値に基づいて健康影響を予測しようとする。他方において、ECRRモデルは、内部被曝と外部被曝との区別を決定的に重要な基礎としている。」と書き始めていたのが、10年版では「ECRRモデルは内部被ばくと外部被ばくとを峻別する。」とのみ書き始めている。ECRRが次第にICRPモデルを批判の対象としては問題にならない、と見始めていることを示している。

 この章の構成は大きくは変わっていないが、なによりチェルノブイリ事故による放射線の影響に関する03年以降の最新研究や報告がふんだんに盛り込まれている。 


日本からは沢田昭二

  16.第15章「リスク評価方法のまとめ、原理と勧告」
 2節からなる短い章だが、「原理と勧告」では、「公衆の構成員に対する年間の最大許容線量はECRR モデルを使った計算で0.1mSv よりも低く維持されるべきであると勧告する。」は03年版とかわらないが、「本委員会は原子力労働者に対する被曝限度は、年間2 mSvにすべきであると勧告する。原子力産業労働者は彼らと彼らの子孫に対する損害について完全に知っていなければならない。」と03年版勧告の「原子力労働者に対する被曝限度5mSv」からさらに引き下げ、また原子力労働者には、子孫に対する影響まで含め十分にその影響を知らされてなければならない、としている。また、勧告の最後には「12.本委員会は世界中の全ての政府に対して現行のICRPに基づくリスクモデルを緊急の課題として破棄し、ECRR2010リスクモデルに置き換えることを呼びかける。」という文言を追加している。

17.第16章「欧州放射線リスク委員会のメンバーとその研究や助言が本報告書に貢献した諸個人」
 『 ECRR とその分析モデルへの新しいメンバーや支持者は旧ソビエト連邦出身の科学者である。これらの諸個人が内部放射性核種の低線量被ばくの影響について最初に取り組み研究したという位置にあり続けたからであり、驚くべきことではない。』

 リストから日本人をさがしていくと、沢田昭二一人であるのはいかにも淋しい。日本は「唯一の被爆国」であり、放射線影響研究のトップランナーではなかったか?

18.勧告の概要
 03年度版では「実行すべき結論」と訳されていたが、恐らく10年度訳「勧告の概要」(Executive Summary)の方が原意に近いだろう。03年と比較すると以下の2項目が追加されている。

 『  13. 本委員会はその2003年モデルの公表からそのモデルによる予測を支持する疫学的研究があったことを指摘する、すなわちオキアノフによるベラルーシにおけるチェルノブイリ原発事故の効果であり(Okeanov 2004)、トンデルらによって報告されたスウェーデンにおけるチェルノブイリ原発事故の影響である(Tondel et al 2004)。
  14.  本委員会は以下を勧告する。公衆の構成員の被曝限度を0.1 mSv 以下に引き下げること。原子力産業の労働者の被曝限度を2 mSv に引き下げること。これは原子力発電所や再処理工場の運転の規模を著しく縮小させるものであるが、現在では、あらゆる評価において人類の健康が蝕まれていることが判明しており、原子力エネルギーは犠牲が大きすぎるエネルギー生産の手段であるという本委員会の見解を反映したものである。全ての人間の権利が考慮されるような新しい取り組みが正当であると認められねばならない。放射線被曝線量は、最も優れた利用可能な技術を用いて合理的に達成できるレベルに低く保たれなければならない。最後に、放射能放出が与える環境への影響は、全ての生命システムへの直接・間接的影響も含め、全ての環境との関連性を考慮にいれて評価されるべきである。』

19.付録A 放射線学上重要な主要な同位体についての線量係数
 「摂取及び吸入による、低線量被曝に対する線量係数」の一覧表。同位体別に、乳幼児(0-1才)、子供(1-14才)、大人の3段階で表示してある。胎児は乳幼児の係数をさらに10倍した係数を使用と明記してある。

20.欧州放射線リスク委員会
   (European Committee on Radiation Risk-ECRR)
   レスボス宣言(The Lesvos Declaration)- 2009年5月6日


 前述のごとく、2010年勧告を作成するため、委員会は2009年にギリシャのレスボス島に集まった。その時にECRRが出した宣言である。

 『 ICRP のリスク係数は時代遅れであり、そのような係数の使用は放射線リスクの著しい過小評価を招くと主張する。』
 『 身体内に取り入れられた放射性核種の健康影響についての研究の即刻の開始を要求する。特に、日本の原爆被ばく生存者やチェルノブイリやその他の被害を受けている地域を含む、数多くの歴史的な被ばくした集団に対する疫学研究を再訪問することを要求する。被ばくした公衆における体内に取り込まれた放射性物質の独立したモニタリングの実施を要求する。』
 放射線被ばくを引き起こしている全ての責任者とともに、責任ある政府当局が、放射線防護の基準を定めリスクを管理するに際して現在のICRP モデルにこれ以上頼らないことを求める』(福島原発事故を想起せよ)
特に心血管や免疫、中枢神経、生殖系といった、放射線被ばくによるガン以外の疾患の発生率は有意に増加しているが未だ定量化されていないと主張する。』
被ばくした放射線のレベルを知るということ、またその被ばくがもたらす潜在的重要性についても正確に知らされるということは、個々の人々の人権であると考える。』

21.参照文献
 英語原文では第16章の後に記載されているが便宜上最後に置いた。

以下ダウンロード・コーナー参照の事。 



欧州放射線リスク委員会 2010年勧告 (英語原文) 

<※お詫びと訂正>ECRR2010年勧告第3章の日本語訳本文に訂正があります。
欧州放射線リスク委員会 2010年勧告 (日本語全訳)
内容とダウンロードファイル
表紙 ・ECRR執行役員・奥付け・寄与者一覧 
目次 ・献呈辞
緒言 
  第1章  欧州放射線リスク委員会
 第2章  本報告の基礎と扱う範囲について
 第3章  科学的原理について
 第4章  放射線リスクと倫理原理
 第5章  リスク評価のブラックボックス 国際放射線防護委員会
  第6章  電離放射線:ICRP 線量体系における単位と定義、およびECRR によるその拡張
第7章  低線量における健康影響の確立:リスク
 第8章  低線量における健康影響の確立:疫学
 第9章  低線量被ばく時の健康影響の検証:メカニズムとモデル
第10章  被ばくに伴うガンのリスク、第1部:初期の証拠
第11章  被ばくにともなうガンのリスク、第2部:最近の証拠
第12章  ウラン 劣化ウラン兵器
第13章  被ばくのリスク:ガン以外のリスク
第14章  応用の例
第15章 リスク評価方法のまとめ、原理と勧告
第16章 欧州放射線リスク委員会のメンバーとその研究や助言が本報告書に貢献した諸個人
勧告の概要 
  付録A 放射線学上重要な主要な同位体についての線量係数欧州放射線リスク委員会(ECRR)レスボス宣言- 2009年5月6日  

参照文献
上記英語原文(PDF)の199Pから238Pまで。研究者名の「姓」別アルファベット順に配列されている。(共同研究の場合は筆頭研究者名の姓別)ICRP派から独立派まで、またABCC(原爆障害調査委員会)時代の論文、研究報告まで参照文献として網羅されている。なかなか壮観である。