2005年ノーベル平和賞

プレゼンテーション演説
ノルウェイ・ノーベル賞委員会委員長 オーレ・ダンボルト・ミョース教授、
2005年12月10日、オスロ

(原文:http://nobelprize.org/peace/laureates/2005/presentation-speech.html
<本文>
国王ならびに女王陛下、皇太子殿下、ノーベル平和賞受賞者の皆様、お集まりの閣下ならびに皆様。
ノルウェイ・ノーベル委員会(ノーベル平和賞委員会)は2005年ノーベル平和賞を国際原子力機構とその事務局長(Director General)であるモハマッド・エルバラダイ氏に対等共同で授与することに決定しました。受賞理由は原子力エネルギーを軍事目的の使用から守り、そしてできるだけ安全な方法で核の平和利用を担保しようとしたその努力を評価したものです。
 核兵器の脅威が再び大きくなりつつあるまさにこの時、ノルウェイ・ノーベル賞委員会は、この脅威に対してできる限り広範な国際協力を通じて立ち向かわなければならないという点を強調したいのであります。この原則(核兵器に対する脅威には広範な国際協力をもって立ち向かうと言う原則-訳注)は、国際原子力機構とその事務局長において、今日最も明確に見出すことができます。核不拡散(the nuclear non-proliferation)時代の今日にあって、核エネルギーの軍事目的誤使用を制御管理しているのは国際原子力機構(IAEA)でありますし、核不拡散時代の新しい方法論を揺るぎない確信のもとに主唱しているのは、事務局長その人なのであります。軍縮への努力が暗礁に乗り上げ、核兵器が世界の国々やテロリスト・グループへ拡散せんとしているまさにこの時、また原子力が、再び重要な役割を演じようとしているこの時、この仕事(IAEAとその事務総長のなしている仕事-訳注)は数値化することができないほど重要であります。
 IAEAのベースに横たわるビジョンは、ドワイト・D・アイゼンハウワー大統領(第34代アメリカ大統領。直前の33代がトルーマンであり、直後の35代がケネディである。-訳注)に由来します。1953年12月、同大統領は国連の場において例の有名な「原子力の平和利用」(Atoms for Peace)と題する演説を行いました。そのビジョンは驚くほどに具体的でした。すなわち原子力は、通常埋蔵ウランから核分裂物質に至るまで国際原子力機構に共同供出すべきである、IAEAの最も重要な仕事は、人類の和平追求にとって役立つよう、かかる核分裂物質を割り当てるべくその方法論を案出することになるだろう、いいかえればIAEAは、原子力からその潜在軍事的核物質を受け取り、その必要性に応じて各国に平和利用エネルギーとして配分するのであります。こうして1957年7月29日、原子力の軍事利用の排除及び平和利用を目的に、国際原子力機構が設立されたのでした。

 IAEAの成文上は明確に書かれずいわば暗黙の了解事項であった項目が、1970年の核不拡散条約(NPT)では明確な成文となりました。この成文はIAEAにとっても大きな意味を持つものでした。すなわち5種類の基本的核兵器は「世界的に削減さるべきであり、究極的には全面廃棄される」ことを義務化する、と言う項目です。この最も重要なポイントはその後もいろんなケースで折に触れ繰り返し強調されています。ところがいくつかの軍縮協定が締結されたにもかかわらず、この究極のゴールに近づくことすら難しいと云われています。世界中に配備された核兵器が削減されたことは事実ですが、依然として何万もの核兵器が残っています。何万もの核兵器というのは核不拡散条約が発効した当時と変わらない数量なのです。そればかりではありません。新しいタイプの核兵器に対する開発意欲も引き続き根強いものがあります。不拡散努力をさらに推し進めて行かなくてはならない主要な理由がここにあるのです。真剣に核兵器を核不拡散条約の制約の下に押しとどめておかなくてはなりません。他者が核兵器を獲得することを妨げつつ、自分は自身の核兵器開発を続けるなどといったことは偽善的と言わざるを得ません。いみじくもエルバラダイはこういっています。「自分はタバコを美味しそうにくゆらせながら、他人には禁煙を説くようなものだ」と。

 世界の核兵器保有国も増加しています。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加えて、イスラエル、インド、パキスタンが今日核兵器を保有するに至っています。恐らく北朝鮮もそうでしょう。しかし明るい兆しがまったくないというわけでもありません。南アフリカは(核兵器保有)プログラムを非継続としました。かくして南アフリカは、廃棄のためだけに核兵器を開発した最初の国となりました。高得点はすべて南アフリカに帰せられたのです。ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナは旧ソ連が残していった核兵器を正式に放棄しました。リビアは政策を方向転換しました。アルゼンチン、ブラジル、台湾、韓国、トルコは野望のプログラムを断念致しました。いうまでもなく核拡散は今も続いています。止めなければなりません。

 IAEAは、核兵器拡散を防止するという課題について成功と不成功の両面に遭遇しています。イラクはその象徴でしょう。IAEAは1980年代、サダム・フセインが進めてきた広範囲にわたる核兵器開発プログラムを明らかにすることに失敗しました。あらたな手順が必要でした。その一方で、イラクに関する国連特別委員会(UNSCOM)及び国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)の両委員界の協力を得て、IAEAはかつて確実に存在した大量破壊兵器をイラクをして破壊せしめました。1990年代の成果です。

 2003年に起こったイラク侵攻以前の時期、IAEAと国連監視検証査察委員会では、イラクにおいて正しいやりかたで全く独立して検証しようと云う仕事自体が大変なプレッシャーに晒されました。イラク侵攻の後明らかになったように、そのような兵器はイラクに存在していなかったことが証明されたのです。

 北朝鮮においては、IAEAは核兵器開発プログラムに関し北朝鮮がウソをついていたことを明らかにしました。しかしながらそれ以降、当然必要であるにもかかわらず、北朝鮮における査察の機会は訪れておりません。イランに関しても同様にIAEAは行きつ戻りつを経験しています。イランはここ18年間その核兵器開発計画をなんとかひた隠しに隠してきています。しかしながらここ2年間、IAEAはイランにおいて極めて重要な仕事を推し進めて来ました。そしてそれは一定の成功を収めています。イランにおける緊迫した情勢は、必要な査察をIAEAが実施するということによってのみ解決がもたらされるのであり、そのステップは尊重されなければなりません。

 ここ2−3年、IAEAは極めて大胆なチャレンジを行い、そのペースを崩していません。その任務において管理の締め付けを厳重にし、また極短期通告による特別査察を実施しています。極めて難しい複雑な文脈の中で、よくやっている(done a good job)と言わざるを得ません。各国際機関がいろんな面で厳しい批判に晒されている今日、IAEAはその力をよく維持しているばかりでなく、その立場を強めてすらいます。またその安全管理能力は、各国政府の下にあったいろんな実務機能をIAEAの中に取り込むようにもなっています。ある意味これは国家主権を浸食することではありますが、IAEAが管理を強めることに関する限り、事態はあらたな地平を迎えることになります。核分野において国家主権を完全に確立すると云うことは、とりもなおさずその国をのぞくその他の世界にとっては「安全でない」ことを意味します。

 IAEA権能強化の中心人物は、エルバラダイ事務局長であります。エルバラダイ氏は目標に向かって数多くの施策を立て自ら邁進しています。また不拡散時代という未来に関する討論への行動する参加者でもあります。前任者たちが、特にハンス・ブリックス(Hans Blix-スエーデンの外交官で2000年-2003年まで国連監視検証査察委員会の委員長だった。-訳注)の名前を挙げておきたいのですが、重要な仕事を構築した後を引き継いで、エルバラダイ氏はIAEAとその事務局長の地位をさらに強固なものに仕上げました。最近エルバラダイ氏は三期目の事務局長再選を果たしたのですが、このことは氏自身とIAEAの双方にとって新たな展望を切り開くことになるでしょう。本日の賞はこのようなエルバラダイ氏個人への賞賛であると同時に、現在90カ国から参集した2300人のIAEAスタッフ及びかつてIAEAで働いたことのある人々への賞賛でもあることを強調したいのであります。この会場に出席しているスタッフの人も数多くいます。みな様方におめでとうと申し上げます。そしてみな様方のなした仕事にありがとうと申し上げます。

 さてIAEA委員長は核エネルギーの平和目的利用の分野で、世界の貧困諸国を助けていくという仕事において非常に重要な役割を果たしています。(核エネルギーの)軍事利用を廃止すると云うことは、そうした国々での非軍事利用を可能とし、そうした国々を援助することになります。しかしながら原子力の平和利用自体が多くの国で、論議の対象となっています。そのため最近は原子力の平和利用が全く進んでいません。現在世界の電力生産のうち16%が核エネルギーによって産出されています。しかしそのほとんどすべてが、高度先進国においてなされています。また今日伸びを見せているのは、主としてロシア、中国、インド、ブラジルと言った諸国です。この伸びの主たる理由は、エネルギー不足、石油価格高、二酸化炭素の排出規制への必要性、操業安全性の確保といったところです。

 確かに原子力エネルギーの民間利用(非軍事的利用)に関しては、いろいろ異にする意見があることは事実ですが、安全性の確保が最重要課題であるという点においては誰しも異論のないところであります。もしこの分野での更なる成長を私たちが望むなら、安全管理に関する協定がもっとも基本的なことになります。この分野でもAIEAの仕事が最も主要な部分を形成することになります。付け加えて云えば、医療分野、特にガン治療における核エネルギーの重要な役割について、また産業、環境、農業に関連した核エネルギーの重要な役割についても、私たちの多くが立ち止まることなく考えて続けています。

 IAEAとエルバラダイに対する今回の授与は、ノーベル平和賞の歴史の中で、またアルフレッド・ノーベルの遺言に照らしても、考え方の上で明確に位置づけられています。その考えとは「常備軍の削減乃至廃止」です。これは3つの平和賞選定基準の一つであります。ノーベルがもし生きていたなら、常備軍の問題に対して核兵器を巡る問題の方がより緊急な課題だという考え方に賛成してくれるものと思います。

 IAEAとエルバラダイに対する今回の授与は、ノーベル平和賞の歴史を通して一貫して貫く2つの主要な思想と関連しています。何度も何度も同じことを繰り返すようですが、
ノルウェイ・ノーベル委員会(平和賞委員会)は、よりよき秩序をもった世界の必要性を強調してきました。この考え方は第一次世界大戦以前には列国会議同盟(The Inter-Parliamentary Union 各国議会の国際的なあつまり。戦争を避ける手段について話し合うことが目的。1889年にパリで最初の総会が開かれた。-訳注)から多くの受賞者が、大戦の期間中は国際連盟から受賞者の多くが、第二次世界大戦後は国連から多くの受賞者がでていることにもつながっていきます。2001年はノーベル賞が制定されてから100年の節目にあたる年でした。この年、平和賞が国際連合とコフィ・アナン事務総長に授与されたのは極めて自然な流れでした。この年は国連ができて60年目の年でもあります。IAEAは優れて国連のシステムの一部であり、従ってノーベル平和賞の歴史の中で、とりわけ特色をもったこの考え方に従ったわけです。

 2つ目の思想は、ほとんど一つ目と変わらぬ重要性をもった思想ですが、軍縮と軍事制御にどれほど貢献しているかという点です。総体的にいえば受賞者は軍縮と平和を主唱しています。核分野においても多くの受賞者がでています。核実験禁止協定に力を尽くした1962年受賞のリーナス・ポウリング(アメリカの化学者。1954年のノーベル化学賞も受賞している。単独の個人ではただ一人ノーベル賞を2回受賞している。-訳注)、1975年のアンドレイ・サハロフ。核軍縮運動及び民主化運動が受賞理由でした。1982年のアルヴァ・ミュルダール(スエーデンの社会運動家・軍縮運動家)は核不拡散への探究が受賞理由でした。また同年共同受賞のガルシア・ロブレス(メキシコの外交官-訳注)も同様です。1985年の核戦争防止国際医師の会はその東西にまたがる活躍によって、1995年のバグウォッシュ会議(科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議。ラッセル-アインシュタイン宣言の呼びかけに応えて1957年カナダのノバスコシア州のPugwashで第1回会議が開かれた。-訳注)とジェセフ・ロートブラット(ワルシャワ生まれのイギリスの核物理学者。-訳注)は、核軍縮についての重要な仕事、特に専門家レベルの仕事が受賞理由でした。

 ノルウェイ・ノーベル委員会は10年ごとに核兵器廃絶を探究する人に平和賞受賞者を授与しているというふうなことが云われております。1975年、1985年、1995年の受賞が念頭に置かれているものと思われます。委員会としてはその嫌疑を晴らすのはちょっと難しいかと思います。しかし、このような受賞は、みなさんすでにお聞き及びとは思いますが、10年に1度よりももっと頻繁に授与されるようになっています。

 2005年に関しては、委員会としては全くこのようなことはなく、白紙の状態で専攻に臨みました。長い討論の後、199の候補者の中からようやくIAEAとエルバラダイを選んだと申し上げた方が、より真実に近いと思います。そして選んだ後で、国際政治情勢の中で、核兵器削減に努力する人たちが受賞することになったんだと気がついた次第です。

 60年前広島と長崎に原爆が投下されました。以来世界は、このようなことが二度とあってはならないという思いで心を一つにして参りました。そのような兵器はあまりに破滅的で、実際の戦争においても兵器として無意味なのです。当然と言えば当然ですが、日本では、原子爆弾の記憶が強烈に残っております。その日本では2つの原爆生存者の人々を今もなお見出すことができます。この生存者の人は特別な名前、ヒバクシャ(Hibakusha)という名前をもっており、彼らの組織ニホン・ヒダンキョウ(Nihon Hidankyo)もあります。私どもはこの被爆者の方々にもおめでとうといいたい。というのは全くの偶然とはいえ、駐IAEA日本大使であり、IAEAの理事会議長である天野之弥氏が出席しており、IAEAを代表して平和賞の一方を本日ここで受け取ることになっているからです。

 ここでみなさん一緒に佐々木禎子という少女の話を思い起こしてみましょう。彼女は広島の原爆で放射線を浴びた子供です。12歳の彼女は死に至る病である白血病に苦しみました。1000羽の鶴を折れば、どんな願いでも叶うという伝説を耳にしたサダコは、白血病の全快を願って1000羽の鶴を折りはじめました。一般に伝えられている話しでは、彼女は644羽を折ったところで息絶えました。残りの356羽は同級生が折りました。サダコは花輪のような、1000羽となった折り鶴と共に葬られました。サダコの同級生やその友達は、広島の平和公園の中に御影石でできた彼女の立像を作りました。(像そのものはブロンズ製。石碑が御影石。-訳注)その像は若き乙女となったサダコを表現し、両手を拡げ、その両手には折り鶴を捧げ持っています。今でも毎年何千もの折り鶴がこの像の周りにおかれています。

 多くの人たちは、核兵器のない未来を夢見ています。私たちは核兵器に代表されるような人類の存在自体を脅かす脅威からやがて脱却することでしょう。核兵器のない未来を夢見ていない人たちもいます。そういう人たちは核兵器の開発は不可避的だったのだ、いったん戦争になれば核兵器を再び開発しようという圧力を維持して行かざるを得ない、と云っています。こういう云い方に対する答えは、1995年の平和賞受賞者、ジョセフ・ロートブラット、-昨日ロンドンで彼の追悼式がありました-がすでに出しています。
 :私たちの長期的なビジョンは、戦争それ自体を終わらせることでなくてはなりません。私たちは戦争を消滅させねばなりません。これまで奴隷制度を消滅させることにほとんど成功してきたように。

いくつかのノーベル賞が核兵器に反対する多くの人たちに授与されてきました。云うまでもないことですが、成功は僅かです。逆に多くの挫折があります。IAEAですら失望を味わってきました。しかしあきらめることはできません。私たちは依然として基本的な挑戦に直面しているのです。1955年のラッセル-アインシュタイン宣言(核兵器廃絶と科学の平和利用を訴えた。宣言が発表される3ヶ月前にアインシュタインは亡くなっており、アインシュタインの遺言とも見なされている。日本からは湯川秀樹がこの宣言に署名している。-訳注)に次のような言葉あります。
:ここにみなさん方に突きつけられた問題があります。死のように硬直した、空恐ろしい、また到底逃げ切れない問題です。人類を終わらせるかそれとも戦争を終わらせるか、これが問題です。
 人類を終わらせましょうか?それとも戦争を終わらせましょうか?


 ここにノルウェイの作家、ノルダール・グリークの「若者へ」と題する詩があります。

   戦争は命を辱める
   平和は創造的だ
   全能力を傾けて
   死を打ち負かしてやろうではないか


 モハメド・エルバラダイ、 お祝いを申し上げます。
 IAEA、お祝いを申し上げます。
 今年のノーベル平和賞受賞、おめでとうございます。
 そしてなされた仕事に感謝いたします。
 そして私たちみんなを活気づけ、
 みなさんのさらなる発展を希望してやみません。