(2009.7.27)
ゼロの論理( The Logic of Zero)
核兵器のない世界へむけて(Toward a World Without Nuclear Weapons)


フォーリン・アフェアーズ誌の08年11月―12月号に掲載された「ゼロの論理」
<http://www.foreignaffairs.com/articles/64608/ivo-daalder-and-jan-
lodal/the-logic-of-zero>
はオバマ政権の「核政策」を先取りした論文として読むことができる。
インターネットで日本語全文を読むことができないので訳出することにした。
フォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)、はアメリカの外交問題評議会(Council on Foreign Relations―CFR)の機関誌的国際政治誌である。
外交問題評議会は日本語Wikipedia<http://ja.wikipedia.org/wiki/外交問題評議会>でも紹介されているとおり、アメリカ政治中枢の政治家、官僚、学者等をメンバーとした、民間シンクタンクである。日本語Wikipediaが触れているように「影の世界政府」という見方もある。
またアイゼンハワーが離任演説で警告した「軍産複合体」の頭脳集団という見方をしてもあながち外れとは云えまい。このフォーリン・アフェアーズ誌が提言した政策がその後アメリカの正式な諸政策化することもしばしばある。
(参考:外交問題評議会<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/00.htm>
私が、この論文に注目したのは、ブッシュ政権末期から、アメリカの支配階級の中から出てきた「核のない世界」「核兵器のない世界」という主張、代表的には07年、08年に連続して発表された、ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、ヘンリー・キッシンジャー、サム・ナン共同論文、オバマの「プラハ演説」、09年5月に発表されたいわゆる、「ペリー・シュレジンジャー報告」などとの類似性ないしは同心性のゆえである。私にはこの人たちのいうことを決してまともに受け止めない習性ができあがっている。テロリストの危険性を声高に叫びながら、この人たちはなにを狙っているのだろうか、という素朴な疑問である。07年から作り上げられた(としかみえない)、“オバマ人気”を看板にして、いまどんな核戦略をすすめようとしているのか・・・。
この論文の共同執筆者、アイボ・ダールダー(Ivo Daalder)はブルッキングス研究所(Brookings Institution)<http://en.wikipedia.org/wiki/Brookings_Institution>の上席研究員(Senior Fellow)である。同研究所は、超党派の伝統と実績のある政策シンクタンク。実績のあるというのは、同研究所の政策提言がしばしば、アメリカの政策となって採用されてきた事を指す。
もう一人の共同執筆者ジャン・ローダル(Jan Lodal)は、やはり政策シンクタンクの合衆国アトランティック・カウンシル(Atlantic Council of the United States)
<http://www.acus.org/>の前理事長で、ニクソン政権、フォード政権、クリントン政権で国防省やホワイトハウスの高官をつとめた。
この論文は、「核兵器廃絶」の道筋を示した論文というよりも、他に目的のある「プロバガンダ的文書」である。
文中(*青字)があれば、それは私の註かコメントである。
文中(緑)があれば、原文( )である。
文中黒字の見出しは原文の見出し、番号青字の見出しはあとで検索のためにつけた私の見出しである。

(以下本文)



ゼロの論理(The Logic of Zero)

核兵器のない世界へむけて(Toward a World Without Nuclear Weapons)

1.核兵器の存在理由

 アメリカの核兵器はほぼ65年前に、ナチス・ドイツと帝国日本との世界規模の戦争に勝利することを目的として誕生した。核兵器は、全ヨーロッパに侵攻・制圧しようとする厖大なソビエトの軍事力を抑止することをために成長した。

(* のっけから強烈な、アメリカの核兵器保有正当化論である。核兵器はドイツ、日本との戦争に勝つために生まれ、ソ連を抑止するために成長した、という議論である。歴史的事実に当たってみると、このいずれも正しい歴史認識ではない。これは帝国主義アメリカの核保有正当化イデオロギーである。このイデオロギーは、「アメリカの核兵器保有は正義であり、アメリカに敵対する勢力の核兵器保有は悪である」というほとんど宗教的信仰に近いドクトリンとなって現在も彼らの議論の大前提にある。彼らの科学的外観を一枚はぎ取って見ると、こうした信仰が基底に横たわっていることを強調して強調しすぎる事はない。従って、この信仰の欺瞞性を暴露していくことが、核兵器廃絶を思想的に準備することになる、ことを忘れるべきでない。)


 ほぼ20年前に、その脅威(*ソ連からの脅威)は消え去り、核兵器はその新たな使命を模索する中間的な時代に入った。その模索は今日でも続いている。あるものは、核兵器は、核兵器や大量破壊兵器に対する抑止力として、あるいは相手の機先を制するものとして必要だとすらいう。またあるものは、核兵器は敵対国家の地中深く存在する攻撃目標を破壊するために必要だという。しかし現実は、アメリカが核兵器を残すたった一つの現実的な目的しかない。それは他国が核兵器を使用する事を防止する目的である。

(*  核兵器が別な目的で誕生し、使用され、成長し続けたことを自ら認めるような文章である。核兵器の存在理由がなくなったのなら、核兵器もまた歴史的役割を終え消滅するはずである。しかし消滅しない。消滅しないのは別な理由があるからである。しかしその理由は公然とは議論できない。だから公然と議論できる理由探しを行っている。)


2.アメリカへの脅威の変化

 アメリカが直面する脅威が、劇的に変化した今でも、この現実は、冷戦の影響が色濃く残り、まだ合衆国の核政策全体に浸透していない。今日もっとも危険な脅威(the gravest threats)は、核兵器の力を借りて、アメリカに破壊をもたらそうと企んでいるテロリストの可能性に由来している。この脅威は、核拡散(*核兵器拡散でないことに注意)の危険との複合している。さらに多くの国々が、それぞれの地域において、核爆弾を製造する能力と資力(wherewithal)を獲得することで、「潜在的な負の発展」に対して防禦しようとするようになった。
(* 事実関係は全く逆の進展を見せている。)


 それから核エネルギーに対する地球的な需要の増大がある。それは、必要な核分裂物質の製造インフラは拡大するであろう。簡単に言えば、世界は核兵器保有国家の増大、核物質の増大、貧弱な防禦しかもたない核施設の増大の時代に突入しつつあるということだ。これは核爆弾を模索するテロリストたちの仕事を容易にする事であり、核兵器が広汎に使用されるだろう確率が高くなる事でもある。

 増大するこれら脅威の危険な性格は、アメリカの核兵器に対するアプローチを世界的規模で再考(rethinking)させる契機になっている。もっとも劇的な例は、元国務長官ジョージ・シュルツ、元国防長官ウィリアム・ペリー、元国務長官ヘンリー・キッシンジャー、元上院軍事委員長サム・ナンが2007年、ウォール・ストリート・ジャーナル紙のオピニオン欄で詳述した「核兵器のない世界」(a world free of nuclear weapon)構想であろう。彼らの構想は、現在生存している元国務長官、元国防長官、元国家安全保障会議アドバイザーの2/3以上の賛同を得ている。またバラク・オバマ(民主党イリノイ州選出)、ジョン・マケイン(共和党アリゾナ州選出)の両名も支持を表明している。こうした超党派的な注目すべき支持を背景にして、次期大統領はすべての核兵器の除去をアメリカの核政策の中で基本原理として織り込むことになるだろう。

(* この原稿が書かれた時期は、08年大統領選挙直前だったろう。だから、オバマ、マケインに言及し、次期大統領にどちらが就任しても、「核兵器のない世界」政策は、アメリカの基本政策になっただろうといっている。もちろん旗振り役は、マケインよりオバマの方が圧倒的に適任だ。)



3.4つのステップ

 このような構想を措定する事は重要である。しかし、それだけでは不十分だ。同時に必要なものは、いかに世界が“ここから向こうへ”到達するかに関して説明しうる戦略的論理だ。この問題は、4つの主要なステップを含んでいる。その一つ一つは困難かも知れないが、実現可能だ(feasible)

第1:  ワシントンはアメリカの核兵力の限定された目的に関する公式な政策を確立しなければならない。(*その限定された目的とは)他者からの核兵器の使用を防止する(prevent)ことである。これ以外の目的はアメリカにとって、非現実的であり、不必要である。その他の目的はもはや現実的ではない、あるいはアメリカにとって必要ではない。

第2: その核兵器にこの限定された目的を与えるならば、アメリカはその核兵器の兵器敞を1000発を越えない程度にまで削減すべきである。アメリカが保有する核兵器としては、いかなる形での破壊的効果を伴った核兵器の使用に対する対応能力として、これは(*保有量1000発)は、十分以上の規模である。

(* このあたりから、基本的に核兵器抑止論者であるこの論文の執筆者たちの、論理構造はおかしくなっていく。それは核抑止論そのものが詭弁論法だからだ。詭弁論法を一つのベースに使って論理を進めていけば、当然辻褄が合わなくなる。従って彼らは、「論理の牛若丸」たらざるを得ない。ここと思えばまたあちら、である。

ここでは1000発で十分だということを論証しようとするカ所だが、その論拠は、「もしアメリカが核兵器攻撃」を受けても、いかなる相手であろうが、1000発あれば、十分に相手を叩き潰すことができる、といっている部分だ。

ここで私はおかしいな、と思う。

その前段でこの論者は、アメリカが核兵器を保有する唯一の目的は、「いかなる相手であれ核兵器の使用を防止する(prevent)するため」だと、云いきったばかりではないか。その論者にとって、「誰かかがアメリカに核兵器を使用する」という仮定自体がありえない仮定だ。
誰かがアメリカに対して核兵器を使用すれば、「アメリカの核兵器保有は他者が核兵器の使用を防止する」ことが目的なのだから、誰かが核兵器を使用した時点で、目的の達成に失敗することを意味している。

すなわちこの「目的」は目的として破綻することになる。この目的を掲げ、この目的が唯一正しいものだと論証しようとすれば、「1000発あれば、攻撃に対して対応できる。」ことを論証するのではなく、「1000発あれば、絶対にだれも攻撃しない」ことを論証すべきなのだ。)


第3:  アメリカは「包括的国際的核管理体制」(a comprehensive international nuclear-control regime)を確立するために注力しなければならない。その体制は、核物質を説明し監視する現在の核不拡散体制よりもはるかに抜きんでたものでなくてはならない。それはすべての核分裂物質を含みかつ世界が、数千の核兵器から数十の、そして究極的にはゼロとなるような方向に動くことを可能とする、水も漏らさぬ(airtight)査察制度を提供しなければならない。

(* 第2と第3には直接の関係がなく、ステップになっていない事に注意。従って、「全ての核分裂物質」を国際的一元管理の下におくことが、なぜ「核兵器ゼロ」を実現するのか、がこの論文の最後まで論証されない。)


最後に:  ワシントンは「ゼロ論理の世界」を確信させるべく活発な外交努力を打ち上げなければならない。そしてそこに至るに必要で、この困難なステップの利益についても確信させなければならない。この努力はアメリカのもっとも緊密なそしてもっとも重要な同盟国からスタートすべきであろう。それから、こうしたイニシアティブを長い間要求してきたそのほかの「非核国」を含め、究極的にはすべての核兵器保有国を包囲する。

 この国際的努力におけるアメリカのリーダーシップは決定的なものとなろう。核兵器に対する依存状態を大胆に削減し、自身の核兵器庫を劇的にカットすることは、ワシントンにこの成功に必要な信頼感を付与する事ができるであろう。

(* この段落と前段とを合わせて解釈すると以下のようになる。世界に散らばる核分裂物質をアメリカ及びその同盟国がすべて取り上げ管理する。この方向へのリーダーシップはアメリカが取るべきだ。しかし、そのアメリカに対する信頼感を醸成するためには、アメリカ自身が核兵器を思い切って削減すべきだ、ということになる。すなわち、「核兵器削減」はそれ自体が目的ではなく、信頼感を獲得するための手段だと、云っている。「核兵器のない世界」を標榜するオバマの真の役割は、アメリカに対する信頼感を獲得する事にある、と考えて差し支えなかろう。オバマは今世界中を駆けめぐっているが、それは「正義と人道主義国家アメリカ」への信頼感恢復にある。)



核の遺産(nuclear Legacy)

4.「核姿勢再検討」(Nuclear Posture Review)

 この挑戦の衝撃は極めて大きいものがあろう。それは単にこの世界が核兵器に満ち満ちているからばかりではなく、核兵器を製造しうる核分裂物質にも溢れているからだ。世界には2万5000発以上の核兵器がある。ロシアとアメリカでその95%以上を占めている。3000トンに近い核分裂物質もある。25万個の核爆弾を製造しうる量で、40カ国以上に貯蔵されている。この核の遺産は単に冷戦の結果ばかりではなく、後続したアメリカ歴代政権の核政策の失敗の結果でもある。過去20年間アメリカ軍事姿勢、実戦配備の状況は大きく変化してきた。しかし、核政策やその思考は、基本的には変わらずに来た。

 1990年代、ソビエト連邦が崩壊した時、核政策に関する新思考があらわれるかも知れないといういささかの希望があった。ジョージ・H・W・ブッシュ(*父ブッシュ)大統領は、滅び行く敵の消滅が核兵器の役割を小さくしている事を理解していた。彼はヨーロッパとアジア及び海軍の海上艦船で実戦配備していた5000発もの短距離核ミサイルの一方的廃棄を命じた。彼はまたアメリカの地上基地に実戦配備していた戦略兵器の数を削減した。これらの中には、警戒態勢にない爆撃機の核兵器も含まれている。ソビエトそして後にはロシアの指導者たちはこれらの削減に対応した。それからモスクワとワシントンは戦略兵器の大規模な削減に合意したのである。

 ビル・クリントンが大統領になった時、アメリカの核政策に関する根本的な再思考(rethinking)を実施する舞台が整ったかのようだった。その手段はトップダウンの「核姿勢再検討」(Nuclear Posture Review)のはずだった。不幸なことに再検討は失望を証明しただけだった。アメリカの戦略(*核)軍事力の削減は可能だったにもかかわらず、国防省は、ロシアにおける戦略的かつ政治的転換の可能性に備えて大量の非実戦配備核兵器が必要だと結論したのである。その上さらにクリントン政権は、さらに限定された核兵器の目的を宣言するのではなくて、はじめて、核兵器はアメリカ及びその同盟国に対する化学兵器や生物兵器による攻撃に対して対応するか、その抑止のために使用する、と明確に述べたのである。

(* 「Nuclear Posture Review-NPR」について。先日朝日新聞の09年7月17日付け『「グルーバル・ゼロ」への道程』を見ていたら、「NPR」を「核戦略見直し」と訳していた。日本ではこう訳すのが普通なのかもしれない。がpostureの意味に引っかかって、「核姿勢再検討」と訳した。どうでもいい事だが、朝日のこの特集記事は、タイトルだけでなくその内容まで驚くほどこの「ゼロの論理」に類似している。朝日は外交問題評議会となにか特殊な関係にあるのかしらん?)
 

5.ブッシュ政権の再概念化

2000年の大統領選挙期間中、ジョージ・W・ブッシュ(*子ブッシュ)は「冷戦を後ろに押しやり、核抑止の要求を見直す。」と約束していた。しかしいったん大統領に就任すると、ブッシュはその、アメリカの国家安全保障戦略の中での核兵器の役割に関する見直しを「縮小」ではなく「拡大」の方向でやってしまった。彼の政権は、永年続いてきた核兵器と通常兵器の間にあった“防火壁”(firewall)を捨ててしまった。長く続いてきた、「地対」「空対」「海上ベースの足」といった三点セットの区別を再概念化し、「核兵器及び通常兵器による攻撃システム」、「防衛システム」、「再活性化された防衛インフラストラクチャー」の3つから構成させることにした。「攻撃の足」を支援するために、ブッシュ政権は、新しいタイプの核兵器、すなわち地中深く存在するサイトを攻撃し、二次的損害を削減する核兵器の開発を模索した。

(* 第二次世界大戦の末期、原爆は日本との戦争を終結させるために必要だと説明された。―もっともその説明がされたのは1946年以降だが。−冷戦時、核兵器はソ連に対する抑止力のために必要だとされた。冷戦が終わると、核兵器は、生物化学兵器による攻撃の抑止力として必要とされた。そして最近では、テロリストの危険から守るために必要だとされるようになった。しかしここで、彼らは自らの論理矛盾に気がつく。詭弁論法としても「抑止力」は、相手が確証できるから「抑止力」なのであって、相手が確証できなければ、「抑止論」は完全に破綻である。従って、テロリスト相手に「抑止力」は、説得力を持たない。この論文全体を貫く主張の一つは、「テロリストの手にわたらないように、核兵器のみならず全ての核分裂物質を制限管理しよう、彼らの言葉を使えば「不拡散」、というものだ。こうした彼らの主張の流れを概観すると、そこに一定の規則性があることが見て取れる。「1.相手がどう変わろうが、核兵器は常に必要だ。2.理屈がどうあれ、相手がどう変わろうが、核兵器及び核分裂物質の独占管理はアメリカが中心。」の2点である。このことは良く記憶しておいた方が良かろう。)


 そしてブッシュ政権は、作戦中の実戦配備(*核)兵器(operationally deployed weapon)をアメリカの戦略兵力の中で1700から2200発のレベルにまで削減したものの、同時にアメリカは、更に数千発もの核兵器が実戦配備以外の軍事力として必要だと主張したのである。

 今、核兵器の数は削減されたものの、冷戦終了後ほぼ20年経過している今日において、アメリカは冷戦の期間中において基本的に特徴的だったポイントを全て備えている核軍事力の姿勢を依然としてとり続けている。数千発の核兵器が実戦配備され、その多くは一瞬の通知で使用準備ができている。また備蓄にはそれを上回る数量が確保されている。公式のドクトリンでは、国家防衛において、核兵器には“決定的役割”を与えられている。また、核兵器は“大量破壊兵器や大規模通常軍事力”を含む極めて幅広い脅威に対する「抑止力」として信頼するに足るオプションだとして描き出されている。


6.繰り返されるテロリズムの脅威論

 この政策の問題は、アメリカが今直面する真の脅威に対応できていないことである。真の脅威とは、すなわちテロリズムであり核兵器やその技術の拡散である。もしあれば、これらの脅威はますます危険となる。テロリストたちがたった1個の核爆弾を手に入れてそれを使用しようとする時、数千発の核兵器敞は、テロリストたちを抑止するために何の役にも立たない。実際のところ、この世界に核兵器が多ければ多いほど、テロリストがその中の一つを手に入れる可能性は大きくなる。

(* ここが彼らの論理の矛盾に満ちているところだ。後にも出てくるがこの論文の執筆者たちは、テロリストは自力で核兵器を作る能力はないという前提に立っている。テロリストは核兵器を盗むしかない、だから世界に核兵器が多ければ多いほど、テロリストがその中の1個だけを盗んで、使用する可能性も大きくなる、という理屈だ。仮にこの立論が正しく、真実を突いたものだとしよう。ここから、彼らが導き出す結論は、だからアメリカのリーダーシップの下に全ての核兵器と核分裂物質を一元管理下におこう、と云うものだ。私が導き出すとすれば、こうした結論にはならない。「だから、核兵器の存在や兵器級核分裂物資の存在そのものが危険なのだ。従って、直ちにすべての核兵器及び兵器級核分裂物質の廃絶の仕事に取りかかろう。」という結論になる。同じ前提を正しいものと認めて何故こうも違う結論になるのか?それはもう明らかだろう。この論文の執筆者たちは、アメリカが核兵器を保有し続けることを前提にしているからだ。この前提がある限り、「核兵器廃絶」は一歩も進まない。)

 また最近のアメリカの核政策は、これ以上の核拡散を止めるものでもない。結局のところ、アメリカ自身が、国家安全保障にとって“決定的”(critical)と高らかに謳っている、まさにその能力(*すなわち核兵器のこと)を、それなしに済ませなさい、と他の国々にどうやって説得しようというのか?“核の地位”(nuclear status)は明白に筋の通らないことだ。アメリカはその“核の思考と政策”を変える必要がある。そしてそれらを今われわれが直面している脅威に対して、その線上にキチッと載せる必要がある。


アメリカは主導しなければならない (The United States Must Lead)

7.抑止と防止はどう違う?

「ゼロ」に至る最初のステップは単純にアメリカの核政策は変化しなければならないということを認識する事である。次期大統領はこれから以降、アメリカの核兵器のたった一つの目的は、他者(others)の核兵器使用を防止することにある、と宣言すべきである。

(* この「他者」には「他国家」が含まれていることは明白だが、テロリストが含まれているのかどうかは不明確だ。)


 多くのアメリカ人はすでに、アメリカが核軍備を留保しているのは、核戦争を防止するためだと推測している。しかし、現実に、そのような声明を発する事は根源的な出発となる。

(* 抑止=deterrenceと防止=preventionは何がどう違うのか?この論者は最後までこの用語の違いについて説明しない。)


 核時代を通じて、アメリカはその他の追加的目的をもって核軍事力の実戦配備をしてきた。曰く:戦争に勝利するため、困難な標的を破壊するため、卓越した通常軍事力を抑止するため、核兵器の拡散を防止するため。

 しかし冷戦の終結と新たな通常軍事力の技術的発展は、これらの諸目的をだんだんと的外れなものにしてきた。アメリカはもはや、かつてソ連と対峙した時のような安全保障上の、現に存在している脅威には直面していない。アメリカの近年の通常軍事力は、他者の通常軍事力を抑止するのに十分以上である。

 他の諸国(other countries)の核兵器の使用を防止(preventing)することは、アメリカの核兵器にとって取るに足らぬ目的どころの話ではない。敵対国家による航空機やミサイルからの核兵器攻撃を完全に防衛する道はない。そのような攻撃は破壊報復の確実性によってのみ、抑止しうる。従って、他者(others)が核兵器を持つ限り、アメリカは実際効果のある核抑止力を維持しなければならない。

(* ついに、「核抑止論者」の姿を現した。前段でロシアはもう脅威ではない、といっている。だからロシアはもうここで云う「他者」ではない。中国か、北朝鮮か、イランか。しかしアメリカを核兵器攻撃しようという国は現実にはあり得ないだろう。もしそうだとすればここは「テロリスト」を想定している事になる。さてここからが「論理の牛若丸」だ。正体不明のテロリストには「核抑止」はまったく有効ではない。)


 しかし核攻撃に対する抑止には、核戦闘(nuclear war-fighting)に必要な核兵器よりはるかに少なくて済む。核戦闘には、奇襲攻撃に生き残る(*核)運搬システムが提供されなければならない。実際のところ、もしアメリカが核兵器を、他者の使用を防止するという極めて限定された目的に明確化したなら、現在の7000発程度からすべてを含んで1000発程度で済むだろう。この合計は全ての核兵器を含んでいる。実戦配備であろうが貯蔵であろうが、また長距離ミサイルであろうが短距離ミサイルであろうが、高出力であろうが低出力であろうが、一切合切含んでいる。これらの区別にかかわらず、このうちのたった1発がもし発射されれば、世界の歴史のコースに対する結果は極めて重大であり、計り知れない。

(* この論者の論理展開についていけない。もしそれほど“重大で、計り知れない影響”を与えるものであれば、何故即時廃棄とならないのだろうか?1000発の1発は、7000発の1発より、より安全で危険が小さいとでも云うのだろうか?)


8.何故1000発なのか?

 なぜ1000発であって、その他の数字ではないのだろうか?1000発は、もしアメリカが核攻撃を受けた場合、報復破壊能力を保持するのに十分な数字である事は誰しも異論のないところだろう。冷戦時代にそうであったように、もっとも重大な意味をもたらす可能性はロシアからの攻撃であろう。しかし冷戦時代ですら、ソ連の軍事的、経済的潜在力を完全に破壊しつくすのに400−500発の兵器がそれぞれの目標を攻撃すればよい、ということは広く合意されていた。今日1000発―おそらくはそのほぼ2/3が、それぞれの現場で実戦配備されていればよく、また攻撃に生き残れる数量であろうがーは最大限そのような報復能力を確保するだろう。

 アメリカは同時に核兵器を使用する計画プロセスを再考しなければならない。そしてその核作戦をも再考しなければならない。長い間アメリカとロシアの間の一触即発的(hair-trigger)警戒態勢、瞬時の通告で発射の準備が完了している状態、は大きな関心事だった。たしかにこのことは偶発的使用や誤計算を排除できないという点で危機的状況である。しかしその警戒水準は、危機の間中、素早く核攻撃を行う計画に較べて問題が大きいとはいえない。核攻撃計画の中には、軍事の生存能力を確かなものとするため、あるいは敵の次の攻撃能力を否定するための、「攻撃警告」を受け取った時も含まれている。

 状況が完全に明らかになる前に核兵器を発射する決定を下す必要性を排除するために、アメリカの大量の核軍事力は海上に実戦配備されている。海上ではパトロールやいかなる攻撃においても、核軍事力は脆弱ではないからだ。またアメリカは爆撃機でいくらかの核兵器を運搬している。爆撃機はミサイルより核兵器で、柔軟にかつ素早く攻撃目標をねらえるためでもあるし、またアメリカ以外の国の安全保障にアメリカがコミットし続けていることを示すためでもある。しかしアメリカはもう地上基地ベースのミサイルは必要ない。それは、地上基地独特の脆弱性のためでもあるし、アメリカの大統領が必ず直面する「使うか失うか」ジレンマ(a use-them-or-lose-them dilemma)のためでもある。攻撃に直面した時、あるいは素早い報復攻撃の時、警告時核発射の準備をする代わりに、アメリカの大統領は選択において報復攻撃の決断を迫られる。アメリカはそのことを可能とする軍事力と計画が必要である。アメリカの大統領はその決断をする際、数分とか数時間の余裕しかないよりも、数日とか数週間の時間があった方がよい。

 ワシントンは、ロシアが同じ道を採るかどうかにかかわらず、「核軍事力の姿勢」(nuclear force posture)を変えるべきである。ロシアは、残忍なグルジア侵攻などの最近の行動にもかかわらず、アメリカにとって軍事的脅威ではない。ロシアの通常兵力はアメリカの技術力に較べて数年も遅れている。そして緊張関係を誤って計算したもっとも深刻な場合でも、1000発の核兵器は力強い抑止力とアメリカの能力を強化するのに十分な時間を提供する。冷戦時代には、優越したソ連の通常兵器力によるヨーロッパ攻撃を抑止し、攻撃をひるませると言う点で、核の同等性(nuclear parity)にはそれなりに意味があったのかも知れない。今日では戦略的にまったく意味はない。


体制の変化(Regime Change)

9.狙いは信頼感の恢復

 アメリカのこのような劇的な核兵器政策の変化は、核兵器と核分裂物質の拡散との闘い対するワシントンの努力に対する信頼感の恢復に大いに役立つだろう。

(* 恐らく上記2行ほど、アメリカの核兵器政策の変更を端的に説明したカ所はないだろう。アメリカが核兵器と核分裂物質を廃棄しない限り、その「拡散への闘い」とは、アメリカの「独占」を意味する。しかしブッシュ政権で信頼が傷ついたアメリカにはそのリーダーシップを取る事はできない。しかし核兵器政策の大幅な変更を世界に示せば、信頼感は恢復するかも知れない。この論文執筆後の事になるが、オバマ政権が成立し、その信頼感恢復には絶好の舞台がしつらえられた。結局狙いはここにある。)


 この新たに見いだされた信頼感は、「不拡散のアジェンダ」(the nonproliferation agenda)に必要な進展を達成可能とするだろう。すなわち、兵器級核分裂物質の生産に関する検証についての交渉、包括的核実験禁止条約を発効させるための早期批准を保証すること、そしてIAEA(国際原子力機関)による国際的セーフガード合意条項に関する検査の強化である。依然、これらのステップが同時に採られたとしても、「ゼロ」への道には十分ではない。世界は包括的核管理体制(comprehensive nuclear-control regime)を確立させる必要がある。この体制においては全ての核分裂物質や兵器級物質(それが軍事目的で使用されようが民間目的で使用されようが)が効果的に供給されかつ監視されるそのような体制だ。そしてそれから全ての核兵器が廃絶されるだろう。

(* 「ゼロの論理」のポイントは、「包括的核管理体制」の確立が「核兵器のない世界」へとつながる、と言う点だ。要するにこの体制では、兵器級に限らずすべての核分裂物質を一元管理しようという事だ。そうすれば全ての核兵器はゼロになるといっている。しかし全ての核分裂物質の一元管理と核兵器廃絶がどのような関係にあるのか、ついに最後まで有効で説得力のある説明はない。)


 核不拡散条約(*NPT。ここはthe Nuclear Nonproliferation Treatyと表記して、正式にthe Treaty of Nonproliferation for Nuclear Weaponとしていない。この2つの表記には微妙なニュアンスの違いがある。)はこの役割に役立つように意図されたものだが(*ここも若干不正確)、多くの観点から不適切である事が証明されている。インド、イスラエル、パキスタンはこの条約を受け入れた事はないし、彼らは比較的容易に国際核管理の枠組みの外に居る事ができる。

(* これは条約としてNPTが不適切だからではなく、主としてアメリカが、これら国々がNPTの枠外に居る事を容認乃至黙認してきたからではないか。少なくとのNPT外の核兵器保有国として、たとえばこの3カ国に対して国連非難決議を上げた、という話は聞いた事はない。イスラエルが核兵器の保有をするに際して、アメリカとフランスの果たした役割は今日では公然の秘密以上のものがあるし、インドが核兵器保有をするに際してアメリカが全く関係しなかった、ということは証明されていない。少なくともアメリカは、インドに対して、NPT外の核兵器保有国であるにもかかわらず、米印原子力協定を調印し、事実上容認の先鞭をつけている。)


 北朝鮮とイランはこの条約に調印した。しかし核爆弾を製造する能力の開発に当たって、核研究計画と原子力計画にこれらセーフガードを使ってきた。ピョンヤンは2003年に条約から脱退し、核兵器装置の実験という短期間の跳躍をとげた。テヘランは核兵器開発にずっと固執し続けている。そしてそのウラン濃縮を凍結するようにというIAEAと国連安全保障理事会の要求を侮っている。2−3年後にテヘランが核兵器を開発する能力を獲得するだろう事はまず疑いない。

(* この言い回しは巧妙である。2−3年後かどうかは別として、この論者は、イランが核兵器を獲得するだろうとは一言も云っていない。核兵器を開発する能力を獲得するだろうと云っている。イランに核兵器開発の証拠がないことは今日明白だ。だからこのことはいえない。しかし「核兵器を開発する能力」となると話は別だ。世界にはこの能力を持っている国は日本を始めとして30カ国はくだらないだろう。北朝鮮は核兵器を持っている。イランはもっていない。この2つの全く異なる話を同じレベルに見せる言い回しだ。)


 NPTの根本的弱点は参加国に、それが平和利用目的である限り、濃縮ウランやプルトニウムの製造を許している点であろう。この2つの物質からのみ核兵器は作る事ができる。

(* もしこれが根本的弱点であることを認めるなら、話は簡単だ。参加国平等の原理の下に直ちに濃縮ウランやプルトニウムの製造を、アメリカを含め今すぐやめる事だ。そしてIAEA管理の下に世界的濃縮ウラン工場やプルトニウム製造工場を建設し、全ての国はここから供給を受けるべきだ。アメリカは他国のウラン濃縮やプルトニウム製造を問題とするが、自国のそれらは問題としない。それは、NPTの下の参加国平等の原理を全く認めておらず、アメリカは、あるいはアメリカの認める国のそれは承認するが、そうでない場合はこれを非難する。参加国平等の原理を信じて参加した各国は、不満を募らせるだろう。)


 長い間、これは受け入れられる考え方であった。というのはこれまで、民間利用の核エネルギー技術から核兵器を製造する技術に移行するには相当な開きがあったからだ。(また既存の確立された原子力の秘密も多くは保たれていた。)しかし今や全てが変わってしまった。ウランの遠心分離器による濃縮や原子力工場における核廃棄物からプルトニウム分離は今やかなり広く理解されており色々出版物も出ている。

(* こうした科学的知見自体はマンハッタン計画時代からさほど秘密があったわけではない。だから今まで秘密であった事が今や秘密ではなくなったとするこの論者の主張にはかなりこじつけがある。核兵器開発に必要なのは、それを作ろうとする意思とそれに必要な厖大なマンパワー、すなわち資金である。この論者の云いたい事はNPT発足時、すべての国に平等に認められていた核エネルギー技術にアクセスする権利は、かつては適切だったがいまは不適切になった、と云いたいのだろう。しかし、当時=1970年頃と現在とさほど大きく情勢が変わった訳ではない。)


 いったん数キロの必要な物質、それが濃縮ウランであれプルトニウムであれ、が手に入れば破滅的な結果をもたらす爆発物を製造する事は、そうした資源にアクセスできる個人のグループの能力を超えた事ではない。

(* 随分まどろっこしい言い方だが、このまどろっこしさは、この論者がウソとまでは行かないが、随分誇張を使っているためだろう。全ての濃縮ランが核兵器の原料になるわけではないし、全てのプトニウムがそうなのでもない。しかしこの論者はそういう印象を与えようとしている。“すべての火薬は爆弾の原料になる、だからマッチ棒の頭も規制しなければならない。”)



10.全ての核分裂物質の一元管理

 生産されるあるいは入手可能な核分裂物質を管理することあるいはそれを一手に供給することは、従って新たな核爆弾が開発されないことを確かなものとする唯一の安全な手段である。そしてこれは更に困難なものになりつつある。増大する環境汚染、ガソリン価格の高騰、石油供給の減少、そして地球温暖化は原子力エネルギーの増大する需要に火をつけている。これは長い間反原子力感情を持ってきた多くの国々を含めての話だ。国際エネルギー機関
(*International Energy Agency -IEA。
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/energy/iea/iea.html>
事務局長は日本の田中伸男)
は2050年までに1400基の原子力発電炉が必要だとしている。新たな原子炉が建設されれば、ますます多くの国が自国の需要を満たすためにウラン濃縮を行い核燃料サイクルの開発を主張するだろう。民間用原子炉に必要なレベルのウラン濃縮設備を建設するのは基本的に兵器級ウランを製造する設備と同じである。プルトニウムは核爆弾製造に必要なもう一つの物質だが、核エネルギー生産に自然と発生する副産物である。そしてそれは核廃棄物一定の処理過程を経て分離される。このプロセスはIAEAのセーフガードに沿って行われる限りNPTの下で許されている。

(* NPTの下でというのなら、それは許されている、のではなく参加加盟国の権利なのだが・・・。)


 いったん高濃縮ウランを製造するのに必要な施設を手に入れてしまえば、許されている平和目的の核能力から核兵器能力へと転換するのに必要なのはたった一ヶ月だ。

(* この論者の、言葉の言い換えには時々戸惑う。

たとえば、高濃縮ウランは濃縮度20%以上のものを指す。20%未満は低濃縮ウランと呼ばれている。原子力発電に必要なのは3−5%の濃縮度だからこれは低濃縮ウランだ。

一方兵器級ウランの濃縮度は90%以上だから高濃縮ウランには違いない。

しかしこの論者の云うように高濃縮ウランから核兵器ができる、といってしまえば、これはウソということになろう。高濃縮ウランは、実験用の原子炉や原子力艦船の燃料として使われているが、それでも兵器級ウランとは別物だ。この論者は高濃縮ウランは核兵器の原料になるという印象を振りまきたいらしい。一ヶ月の根拠は一体何だろうか?)



11.最も危険な9つの核兵器保有国

 最近、NPTの付託を受けている国際的な説明及び査察システムは、民間施設から核爆弾物質へのどんな小さな転換をも検知することができる。このことは1991年の湾岸戦争の後、イラクにおける国連兵器検査官の成功によって示された。その1年以内に、高度に洗練された核兵器転換計画を彼らは明るみに出した。もっと最近では、高ウラン濃縮の顕微鏡的痕跡を彼らは北朝鮮から提出された書類の中に検知した。推測するにこれは(*核分裂)物質の近接性がわずかに書類の中に示された結果であろう。

 しかし、どんなに彼らの技術が優れていようと、IAEAは人手不足である。また悲惨なほどの財源不足である。疑わしいサイトを査察するについて権限は限られており、世界の核分裂物質のそれに対しては司法権に欠けており、平和的使用から“暴露する”(breakout)する能力を管理する権限委譲もない。5つの核兵器保有国(中国、フランス、ロシア、イギリス、アメリカ)は、相当量の核分裂物質を保有しているが、国際的査察の下に置かれていない。(イギリスとアメリカは自主的にIAEAのセーフガードの下でいくつかの民間施設の査察に応じている。)NPT体制を受け入れていない4つの核兵器保有国(インド、イスラエル、北朝鮮、パキスタン)の核開発計画もまた適切にセーフガードをもっていない。

(* おもしろいことに、この論者が、いかに現在世界が危険な状況にあるかを説明しようとすればするほど、もっとも危険な存在は、NPT体制の下での5つの核兵器保有国とNPT外の4つの核兵器保有国であることを証明する結果となっている事だ。危険なのは彼ら「核兵器保有国」なのであって、正体もいまだにはっきりしないテロリストではない。)


 イランの核開発計画は技術的にはセーフガードのもとにある。しかし、テヘランは完全にIAEAに協力的とはいえない。また核兵器そのもの中に大量の核分裂物質が残っているし、少量ながら医療用や研究用の核分裂物質も存在する。これらはIAEAのセーフガードの外にあるものだ。

 核兵器を保有している国が喜んで核兵器を放棄する地点に世界が近づくためには、地球を取り巻く全ての核分裂物質を説明し監視する、水も漏らさぬシステムの確立が基礎的要素なるだろう。どこにあろうがいかなる目的で使われようが、だ。いかなる形であれ、核分裂物質を管理し一手に供給する普遍的な体制は、濃縮施設や彼ら自身の再処理施設をもたないテロリストたちが、核兵器を製造するのに必要な物質を入手する可能性を大幅に削減するという利点がある。

(* テロリストたちが、濃縮施設や核燃料の再処理施設をもたないと措定するのは何故か?

それは兵器級のウラン濃縮にしても核燃料サイクルから兵器級プルトニウムを取り出すことにしても、莫大な費用のかかる国家的事業だからだ。だから彼らはこうした施設を持てない。

その彼らが、核爆弾を製造する施設や技術を持てると措定する事の矛盾は今おくとして。そうするとテロリストの手に渡る核分裂物質の中で一番心配しなければならないものは、兵器級ウランや兵器級プルトニウムだけとなる。

いうまでもなくこれらは世界中にあるわけではなく、核兵器保有国、とりわけアメリカが大量に保有している。こうした兵器級燃料だけを管理しておけばよいという事になる。

―本当に心配ならば、廃棄してしまえばよい。
にも関わらずこの論者は、世界中の核分裂物質を、研究用や医療用まで含めて一元管理し、一手供給する体制を作らなければならない、と主張している。

この主張はおかしくはないか?彼らは、理由はどうあれ、全ての核分裂物質を一元管理・一手供給する体制を作りたいのだ。それは何故か?

これから今世紀の半ばに向けて厖大な市場に成長する原子力発電市場の根幹を握って独占したいからだ。彼らは必至になってこの目論見を正当化するプロバガンダを世界中に垂れ流そうとしている。)



12.核兵器廃絶との関連性?

 いったんそのような体制と運用が確立すれば、はじめて全ての核兵器が廃止されるプロセスの最終段階が実現可能となるだけでなく比較的まっすぐな道筋が見えてくる。この体制では全ての核分裂物質を、それがすでに核兵器に含まれようがあるいはこれから核兵器の材料になろうが、一手供給するだろうから、全ての核兵器の貯蔵、現実的にも潜在的にも、に関して完全に透明性が保たれるだろう。

 もしある国が核兵器を廃棄し、核分裂物質を安全な形に変換することに失敗すれば、査察官はそのことを知る事になるだろう。最終段階での削減をごまかしたとしても、いったん全ての核兵器が廃棄された体制においては、法令遵守の検証はまったく同じプロセスをたどるだろう。

 確認しておこう。この体制はかつて世界が試みようとしたものとは全く違っている。(確かに化学兵器に関する地球的禁止の検証プロセスは非常にこれと近いものだが。)この体制で実務の実施を担当する国際組織の運営コストは(恐らくはIAEAの中に作られようが)、今日のセーフガードや検査業務にかかっている費用の数倍に上るだろう。この体制は、宣言した核施設をもっている国々ばかりでなく、全ての国をカバーしなくてはならない。核兵器を持っているかどうか、核分裂物質を製造する施設をもっているかどうか、原子力発電所をもっているかどうか、何ももっていないかどうか、に関わらずだ。そしてこの体制は、公共機関の施設、私有の施設の両方に適用されなくてはならない。その検査機構は既存の「秘密への期待」や「行動の自由」などの諸権利を、一般企業部門においても政府部門においても深刻に侵犯するだろう。(基本的諸権利は保護され得るしまたそうでなければならないが。)遵法にかかるコストや知的財産に対するリスクに関して産業からは強い不満が出されるだろうし、核兵器保有国からは核兵器に関する秘密を保護するべく主張が基本的になされるだろう。

 しかしこれらの反対も、包括的体制のもつ利点に較べれば小さなものだ。直接経済コストですら核兵器廃絶によって生ずる経済的節約に較べれば低いものとなろう。圧倒的不可避的に核兵器が使用されるリスクが排除されることに較べれば、(*これらコストは)ないも同然だ。

 この体制の確立はアメリカがその条項を受け入れることからスタートすべきだ。アメリカは核兵器の数を削減するしその目的も限定するのだが、これに透明性をもたせたところで、アメリカの安全保障になんの害もない。イギリスはここ最近、核軍縮を促進する行動的なステップを経てきている。そのイギリスもこのプロセスを喜んで開始するパートナーになってくれそうだ。技術的能力や運営上の流れは開発できうるし、試す事もできる。最初は2−3の国で開始して改善もしうる。


普遍的受容性を達成すること(Achieving Universal Acceptance)

13.核兵器は残したままの「包括的核管理体制」

 究極的にみて、「包括的核管理体制」(Comprehensive nuclear-control regime)が効果をあげるかどうかは、普遍的にこの条項が守られるかどうかにかかっている。

(* すべての国際管理体制は、そこで決めたことが遵守されるかどうかにかかっている。なにも包括的核管理体制ばかりではない。NPT体制そのものも参加各国がそれぞれに振られた義務を遵守するかどうかにかかっている。)


 その体制は参加者全員が平等であってはじめて機能しうる。(核不拡散体制=nonproliferation regimeの主要な問題は普遍性の欠如である。)4番目の主要なステップは、従って、アメリカの核政策の変換を使うことである。そして、世界全体がその構想(*核兵器のない世界)と「ゼロの論理」を下敷きにして結集し、活発な外交努力を基礎にしてテロリストたちの手から核兵器を取り上げることを不可避とする事である。


(* この論者の問題の立て方はどこかおかしい。

「核兵器の脅威」という観点からは、最大の「脅威」は、これまでも確認したように「核兵器保有国」そのものである。この現在的な「脅威」は、この論者にとって「もはや脅威ではない」事になる。

替わって登場する「脅威」はテロリストの「脅威」だという。しかもテロリストたちは「核兵器を製造する能力」はあるが「兵器級核分裂物質」を加工・製造する能力はない、だから「原子力発電用、研究用、医療用までも含めたすべての核分裂物質」を国際的に一元管理体制におこうという。そしてこの体制を従来の「核不拡散体制」に対して「包括的核管理体制」と呼んでいる。この「包括的核管理体制」の確立が「核兵器のない世界」への大きなステップだと主張する。

もしこの論者の云うように「核兵器保有国」はもう現在的な「脅威」ではないなら、アメリカが核兵器を保有する理由はなくなるだろう。他の諸国にとってもそうだ。―この核兵器保有国の中には北朝鮮も含まれている。

ならば、核兵器保有国同士が集まって核兵器廃絶の話し合いができるだろう。核兵器の中に含まれている兵器級核分裂物質やすでにアメリカをはじめとする各国がしこたま貯め込んでいる兵器級核分裂物質を解体してすべて平和利用の核分裂物質に転換すればよかろう。

すなわち、兵器級核分裂物質だけを国際一元管理体制の下において、順次平和目的用に転換すればよい。「核兵器製造能力だけはある」テロリストたちの手に兵器級核分裂物質が絶対にわたらないようにすればよい。と、まあ、こうした論理展開になると思うのだが、この論者の展開はこうならない。1000発だかなんだかわからないが、核兵器は残したまま、「すべての核分裂物質」を国際的一元管理におこうというのだ。)


 核兵器の廃絶はNPTの第6条で要求している。だからそれは新たなゴールというわけではない。

(* この論者の勘違いであろう。第六条は「[核軍縮交渉]各締約国は、核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する。」であり、誠実な核軍縮努力は謳っているものの核兵器廃絶は謳っていない。「核兵器廃絶」は1995年の再検討会議での参加国決議で決まった。)



14.これまでの2つのアプローチ

 伝統的には(*核兵器廃絶のゴールへ向けて)2つのアプローチが強調されてきた。一つは期限を切った核軍縮を世界の各国が関係する条約について交渉することである。このアプローチは今から20年前にインドの首相ラジブ・ガンディによって主導された。そして軍縮に関する国連会議で長い間多くの支持者を獲得してきた。(*ついでに云えばインドはこの時すでに核兵器保有国になっていた。すなわち核兵器保有国の主唱する核軍縮は縮小均衡的核兵器独占に他ならない。)そのような努力は規範的意味においては有益とはいうものの、実際上は馬を車の前に置くようなものだ。問題は「核兵器のない世界」を可能と行動する国々を説得する事だ。

 2つめのアプローチはロシアに照準を合わせる方法だ。ロシア単独で世界の核兵器の半分以上をもっている。(*残りの半分はアメリカだが。)もしワシントンとモスクワがその核兵器在庫の削減に同意し究極的な廃絶に同意することは可能だ。議論のあるところだが、そうすれば、他の核兵器保有国も追随するのではないか、ということだ。しかしロシアは「ゼロの論理」をもっとも説得しにくい国である。最近モスクワは、いろんな方面で逆の方向へ向かっている。だからロシア−外交戦略はほとんど最初からの努力であることが運命づけられている。ロシアとアメリカの間の対話に力をいれることはもちろん有益だ。しかし成功への第一の状態ではないに違いない。

(* この論者は、2つのアプローチがあると云った。一つは国際的な軍縮努力であり、もう一つは、ロシアとの2国間軍縮交渉である。

しかし、これはよく考えてみると一つのアプローチである。すなわち「核軍縮」である。核軍縮が核廃絶につながるかどうか、この論者は疑問に感じた事はなさそうだ。あたかも証明不要の絶対真理のように扱っている。

もしこれが真理ならば、1970年以降40年も経つのに、何故核兵器廃絶は日程にすら乗っていないのか?後30年必要なのか?50年なのか?誰か「核軍縮」が「核兵器廃絶」につながる事を証明する必要がある。逆に「核軍縮」が「核兵器廃絶」にはつながらないことの証明は不要の様だ。現実が証明している。)



15.「ゼロの論理」の3つの原理

 そうではなくて、ワシントンの国際外交は「ゼロの論理」を受け入れる国々による息の長い連合体の創設に照準をあてるべきだ。これに成功するためには3つの原理を遵守する国々をできるだけ多く必要とする。(*3つの原理とはすなわち)

:「核兵器のない世界」を実現する事のみがそのような兵器を2度と使わせない保証となる。

:それまでの暫定期間においては核兵器の唯一の有効な目的は他からの使用を防止することだ。

:すべての核分裂物質は国際的包括供給管理機構の下に置かれなければならない。

(* ここで指摘されている3つの原理は、お互いに助け合っていないことに注意を払うべきである。

 第一の原理『「核兵器のない世界」を実現する事のみがそのような兵器を2度と使わせない保証となる。』は誰しも異論のないことだろう。従って第一の原理から導き出される第二の原理は『直ちに核兵器全廃のための日程作りと方法論の検討に入ろう』となるだろう。そして第三の原理は『それまでの暫定期間として全ての兵器級国際一元管理体制を作ろう』となるだろう。

 第一の原理からは決して『暫定期間においては核兵器の唯一の有効な目的は他からの使用を防止すること』は導き出されないし、ましてや『すべての核分裂物質は国際的包括供給管理機構の下に置かれなければならない。』とはならない。この3つの原理はお互いに顔を背けあっている。論者がこの3つの原理の中でもっとも重視するのはまるでとってつけたような原理『すべての核分裂物質は国際的包括供給管理機構の下に置かれなければならない。』であろう。恐らくは、オバマがプラハ演説で強調した「国際核燃料バンク」の構想はこれであろう。)


 いったん一つの国家がこれら原理を承認すれば、それは「ゼロの原理」を受け入れた事であり、それはすべて他の国がそうするのであれば、自国も喜んで核兵器を捨て去る事を意味する。


16.3つのグループ

 いささか異なる外交的アプローチが以下の3つのグループの国々には必要であろう。

:アメリカとその同盟国。その多くはその安全保障や防衛についてワシントンの関与に依存している。

:「核兵器のない世界」を長い間待望してきた非核国。

:宣言、非宣言にかかわらず核兵器保有国。

 最初の外交的ステップはアメリカの同盟国に対してその核兵器政策に変更を加えないよう説得することである。(ゼロに達する前に)核兵器政策に変更がなければ、ワシントンの基本的コミットメントは、その同盟国が核攻撃された時に、壊滅的な核対応をもって、その攻撃に対して対応するという風に変更する。同様に非核攻撃、たとえば化学兵器とか生物兵器などを含むが、がアメリカの同盟国を攻撃して得られる結果よりもはるかに重大な結果となるような対応の引き金を引くに過ぎない事を明白にしておく必要がある。

(* なんとも、持って回った言い方だ。要するに同盟国を“核の傘”で守るということだ。なぜこんなややこしい言い方をするのか。

恐らくは冷戦時代の“核抑止力”“核の報復”とは違うという印象を持たせたいのだろうが、内容は寸分変わらない。核兵器が当面必要という前提に立つ限り、「抑止」を「防止」と言い換え、「報復」を「対応」と言い換えてみたところで、何も変わらない。

この同盟国を日本としよう。日本が核攻撃されたら、あるいは生物兵器や化学兵器で攻撃されたら、核兵器で相手を攻撃してあげますよ、ということだ。しかしちょっと待ってくれ。もっとも危険な「脅威」はテロリストの筈ではなかったか?だとすれば、一体どこに報復して呉れるというのか?いや、その前に、アメリカの同盟国でいるために、攻撃されるのであれば、いっそ同盟国でない方が安全という事になる。

もう馬鹿馬鹿しいからやめるが、この論者の云っている事は、要するに屁理屈なのだ。ニュージーランドの「ロンギ政権」と共に、「核兵器などという危険なもので守ってもらわなくて結構」というべきなのだろう。)


 いったんアメリカが引き続き同盟国の安全保障にコミットすることの明白性と確実性が明らかになれば、アメリカの非核兵器同盟国はワシントンが描く道筋の論理を受け入れるだろう。事実上、これらの国々はすべて核兵器を製造する能力をもっている。しかしかれらは、より多くの核兵器保有国よりもより少ない核兵器保有国の方がこの世界は安全だとして決断している。また彼らは強くNPTを、核兵器廃絶を謳った第6条を含めて支持している。(*NPT第6条は前に引用したとおり。)彼らにとって「ゼロの論理」の背景をもつ3つの原理を受容し、また「核兵器のない世界」へ向けた取り組みに参加することはさほど大きな飛躍にはならないはずだ。

 いったんアメリカの同盟国が軌道に乗れば、ワシントンの外交的注意はこれまでさらなる核軍縮をやかましく要求してきた非核兵器諸国へとシフトすべきである。ブラジル、インドネシア、アイルランド、メキシコ、南アフリカそしてスエーデンといった国々は国際的軍縮の分野では重要な役割を演じている。そして長い間「ゼロの論理」を受け入れてきた。そして彼らはこの取り組では自然な同盟国である。これらの国の中にはこれまで真剣に(*核兵器の保有を)考慮してきたものもある。(実際南アフリカは保有していた事もある。)そして、核兵器保有国と正式な同盟関係をもっていなくても、またもし彼らが核兵器を持たないとしても、かえって彼らの安全保障は強化されると結論した。同様に提案している包括的核管理体制は、これらの国々、すなわち現在の核不拡散体制の差別的性格について不平を言い続けてきたこれらの国々を引きつける筈だ。

(* この論者は大変な誤解をしている。あるいは意図的に知らん振りを決め込んでいる。NPT体制に、これらの国々が不満を持っているのは、NPT体制そのものが仕組みとして差別的だからではない。アメリカを代表とする核兵器保有国が、NPTの精神を無視して勝手に振る舞ってきたからだ。体制が差別的なのではない。二重基準、三重基準をつかった運用が差別的なのだ。だから「包括的核管理体制」なるものが体制として差別的でないとしても、運用において差別的であればおなじように不満が出るだろうし、包括的核管理体制は、仕組みとしても差別的だと思える。)



17.核兵器保有国への対応

 アメリカの同盟国やその他の非核兵器諸国が軌道に乗れば、ワシントンは広い基盤を持った、多様で、そして地球的連合を創設していることになる。それは極めて幅広い世界の多数派を形成している。最終的な外交ターゲットはコンセンサスの背景のない核兵器保有国ということにある。これらの国のうち最低でも2カ国、あるいは3カ国は最初からこの取り組みに参加している事だろう。イギリスは、色々なやり方ですでにこの論理(*ゼロの論理)をもたらしている。中国とインドは、核兵器を使用する最初の国にならない事を公式な立場としている。これは本質的に、もし他の国が彼らを攻撃する核兵器をもたない場合、彼らの核能力は不必要だと宣言しているに等しい。

(* 意外というか当然というか、アメリカはフランスよりも中国の方が与しやすしと見ている。これはインドとともに「核兵器の先制不使用」宣言をしているためなのか、それとも私たちの知らない事情があるのか?)


 さらにチャレンジングなのは、長い間確立している4つの他の核兵器保有国を説得する事だろう。すなわちフランス、パキスタン、イスラエル、そしてもちろんロシア、である。フランスはこれまでいかなる脅威に対しても彼らの利益を守るために核兵力を保持していると主張してきた。「ゼロの論理」よりも「核抑止の論理」を断固として受け入れてきた。しかし他の核保有国が異なる方向へ動き出せば、パリの抵抗を続ける力は弱くなっていくだろう。このことは1990年代、最後の2回の核実験の後、フランスが最終的にはNPTに署名したのを見ても、また包括的核実験禁止条約に署名したのを見ても明らかだ。フランスの様な民主主義国は、そんなに長く国際的はみだしものとしてとどまる事はできない。

 パキスタンは第一義的にはインドの核兵器群に対する抑止力として核兵器を開発した。(インドが最初にその核能力を誇示したのは1974年の“平和的核爆発”の時だった。)イスラマバードはまたその隣国の通常兵器に対する抑止力としてその核能力に依存した。しかしもしインドが核兵器を廃棄したら、これは非現実的とはいえない、そしてもし中国がそれに同意したら、パキスタンが核兵器を保持する必要性は大幅に消えていくだろう。もちろん、インドには伝統的に利点がある。しかしもし両国の関係が改善され、違いが平和的に解決され、自信と信頼か構築されるなら、パキスタンはインドの例に習う様に思える。しかし根本的には、核を取り巻く環境の変化がそのような進展をもたらし得るだろう。

 イスラエルはもともと、その軍事力が、その地域において圧倒的に大きいアラブの軍事力に侵攻されるのではないかという恐怖から逃れるために、核兵器を開発した。今日では、イスラエルは同時に核武装時代の予想に直面している。イランは大ピらにイスラエルの破壊を要求している。核抑止力を維持する決定的な理由だ。しかし強い圧力をイランにかける事によって、その核政策を変更させることに成功するなら、イスラエルの核兵器に対する必要性は減少するだろう。

(* これはどうだろうか?イスラエルはアラブ世界に対する抑止力として核兵器を保有した、現在はイランからの圧力のために核抑止政策がますます必要になっている、イランの核政策を変更させれば、イスラエルの核兵器に対する必要性が減少する、という趣旨だ。イスラエルには核兵器がある。イランにはない。これが現実だ。イスラエルが核兵器を保有する限り、イランは『核兵器保有はイラン国民の権利だ』というだろうし、『イスラエルには核兵器を製造する能力がある』とも云うだろう。つまり意思さえもてばいつでも核兵器を持つ事ができる、という姿勢は変えないだろう。イランの立場に立てば、イスラエルが核兵器を放棄する事がすべての出発点であって、『イランの核政策を変更させる』ことが出発点なのではない、という事になる。イスラエルは核兵器をもっている、イランにはない、これが現実だ。)


 イスラエルのヨルダンとエジプトとの和平条約は、彼ら自身が失望しているが、イスラエルの生存に対する通常軍事力による脅威を大きく排除した。そしてイスラエルの通常軍事力はアメリカの継続した並々ならぬ援助によって、今や地域において圧倒的となった。イスラエルは今年もそうだが、ずっと一貫して中東地域を核兵器及び大量破壊兵器のない地帯とする事が望ましいと言い続けている。イスラエルは、パキスタンもそうだが、もし他の国からの核兵器の脅威に直面しない保証が得られれば、核兵器を廃絶するグローバルな取り組み参加する利点を説得することができるだろう。こうしてテロリストたちが核兵器を手に入れる事を否定することになる。

(* この論者は、テロリストたちが、中東のどの国から核兵器や兵器級核分裂物質を手に入れると想定しているのだろうか?核兵器にしても兵器級核分裂物質にしてもなければ奪えない。中東においてそれが存在する国はイスラエルだけである。ならばイスラエルこそ中東における最大の脅威であり、イスラエルに全ての核兵器計画を放棄させる事が、もっとも安全な道だ、と素直に考えれば、そうなる。が、そうならないのは何故か?)


最後のチャレンジはロシアであろう。ロシアは世界の核兵器と核分裂物質の半分以上を保有している。不幸にして、ここ最近ロシアはその核兵器の重要性を再び強調し始めている。その強大な力を誇示する手段としてもまた通常兵器能力の大きな弱みを補強する手段としても。モスクワはその核兵器を近代化するための資源を開発しているしその運用を増大させてもいる。また、様々に異なった状況の中で核兵器を使用しなければならない、と公然と宣言もしてきた。

(* 私はロシアの状況がまったくわからない。こう云われればそうなのかな、と思う。想像では、アメリカの近代的核兵器体系に相当後れを取っているので、近代化を急ごうとしている、あるいはそう言う内部圧力があるのかな、と思う。)


 しかしロシアのたどるコースを逆転させることはできる。新たな道にコミットする圧倒的多数の国々とともに、またグローバルな関与をしていこうとするアメリカやその他のキーとなる核兵器保有国と共に、この決定的な課題(*核兵器を廃絶していこうという課題)を蚊帳の外に置いておこうとすることは、特にそれがロシアの利益と密接に関わって居る場合には、ロシアにとって今後更にその難しさを増してゆく。一方において、モスクワとワシントンは、核問題について相当量の対話をすべきだ。それも冷戦時代に見られたように他の問題の多い課題と絡ませるのではなくて、この問題に特化して対話すべきだ。彼らは(*モスクワとワシントンは)定量的に核兵器の貯蔵を削減する合意と核の透明性と査察を強める合意に焦点を合わせている。このことはゆっくりとではあるがモスクワを「ゼロの論理」を受け入れさせるのに成功するだろう。時間はかかるが、アメリカや他の国がそうするであろう様に、モスクワも完全に同意する事の利点を理解するようになるだろう。

 アメリカが国際的な連合体を創設する努力を重ねれば、核のオプションを選ぼうとする新たな国や核を手に入れようとする国に対して説得をする事によって国際的なコンセンサスを形成できるだろう。イランや北朝鮮に対して積極的な外交はもちろん続けなければならないが、必要な時には別な圧力をかけて、核兵器を持ったりそれを建造したりすることよりもその計画を終わらせたり、あきらめたりすることの方がはるかに利点が大きいことを悟らせることで、(*外交努力を)バックアップする必要がある。

(* 北朝鮮は明確に核兵器を保有している。イランはそうではない。イランに核兵器開発の証拠があるのかと云えばこれもない事が明白になっている。そのイランに核兵器開発をあきらめるようにどうやってこの論者は説得しようというのか。)


もしアメリカやその他の核兵器保有国が、イランや北朝鮮その他の核兵器を手に入れようという国にその等しく非核兵器国の地位や核分裂物質の監視に固執している事を示威的に行えば、(*ゼロの論理の)成功の見込みを強化することになろう。


ゼロの不可避性(The imperative of Zero)

18.戦後核兵器は使われていないか?

 60年以上も前に核時代が明けてから核兵器は一度も使われていない。

(* 良く言われる事だが、この認識はもう改めた方が良かろう。南太平洋での狂気のような核実験、セミパラチンスク=現セメイでの一連の実験、こうした実験はすでに「核兵器の使用」と云うにふさわしい。だから正確には「実戦で使用されたことはないが実験では大量に使用された。」と言う方が適切な表現だろう。恐らくは核兵器を軍事・政治的存在とのみ捉えている論者の認識だろう。核兵器を歴史的に捉えた場合には『20世紀、核兵器は大量に使用された。それは核大国の犯罪行為であった。』ということになる。)


 これは特筆すべき事実である。ニューメキシコ州アラモゴードで最初の核爆発を目撃した数少ない人たち、それからヒロシマとナガサキを経て、だれがこの事態をかんがえただろうか。比較的効果的だった核不拡散時代の責任ある核管理と大きな幸運がこの業績を説明するだろう。

(* 曲がりなりにも実戦で、ヒロシマとナガサキ以降、一度も核兵器が使われなかった理由を説明している。幸運だったことは誰しも異論がないだろう。インドシナ戦争の時に核兵器の使用をダレスに勧められてこれを断ったフランス、キューバ危機でケネディに核兵器の使用を思いとどまらせた要因はなんだったか?ヒロシマ・ナガサキの記憶と経験ではなかったか?どちらにしても、核兵器の実戦使用が一度もなかった事の説明として、この論者の捉まえ方は非常に興味深い。)


 しかし世界は幸運を当てにし続けることはできない。核不拡散システムはすりきれてぼろぼろ(fray)になり、さらに多くの国がこの爆弾の製造能力を獲得しようとしている時、世界は各国が責任ある行動をとり続けることもあてにはできない。

(* 「核兵器保有国は増大し続ける。」これは歴代アメリカの支配階級がもつ、もう一種の脅迫観念みたいなものだろう。ほっておけば核兵器は拡散し続ける。これはフランク・レポートがすでに指摘している。

核兵器は拡散する。しかし、戦後人類の知恵はこれを拡散しない方向へ向かっていった。歴史的にいえばそうである。

ケネディ政権の時、核兵器保有国は4カ国か5カ国しかなかった。この時アメリカの予測は、将来核兵器保有国は15−25カ国に増えるだろうと云うものだった。NPT成立時核兵器保有国は5カ国、冷戦が終わるまでにインドとイスラエルが核兵器保有国となり7カ国。終了間際にパキスタンが核兵器をもった。「冷戦終了後核兵器保有国増大し続けている。」というアメリカの流すプロパガンダにもかかわらず、増えたのは北朝鮮一カ国だけである。

ケネディ政権の予測は外れた。核兵器などという馬鹿馬鹿しいほど危険な武器を保有しているのはわずか9カ国でしかない。「核兵器は拡散し続ける。」という原理から見ると人類全体は良くやっている。)


 そして、ニヒルなテロリズムの時代にあって、他者に対する憎悪で個人のグループは結合し、できるだけのダメージを他者に対して当てようと決意して、いつの日かその手に彼らの夢を地球的な悪夢に変えようと機会を窺っている。単純にいってその機会はあまりに大きすぎる。だからこそ核テロリズムに対する闘いと核不拡散は今やワシントンにとって最高の優先事項でなければならない。「ゼロの論理」はこの脅威に突き動かされている。

 最高のレベルでまたアメリカを始めとして、「ゼロの論理」を実際的な現実に変えることは、リアルな関わり方であろう。この道には多くの困難が残っている。しかしワシントンがこの旅をしつらえることは真に重要である。ここに示した諸段階、すなわち、核兵器の目的を他者の使用を防止することに限定する事、アメリカの核兵器の保有を1000発にまで削減する事、世界の全ての核分裂物質を監視し一手供給する包括的核管理体制を交渉する事、「ゼロ」に理解を示すできるだけ大きい連合体の建設を模索して戦略的外交を追求する事、は達成に時間がかかるであろう。それぞれ(*の段階)は、それ自身の性質上、有益である。またできるだけ早く実行される事は実際的でもある。これら(*4つの段階)は、一緒になって成功への道に有益な基盤を提供するであろう。この道には多くの困難が残っている。段階的に、今これをはじめなければ、やがてもう一つの核兵器の使用という、増大する悲惨な危険を受け入れる事を意味する。

(了)

(* この論文は、プロバガンダ的文書である。ポイントは「テロリストの脅威」を理由にして、すべての核分裂物質を国際一元管理体制、論者の用語を使えば「包括的核管理体制」におこう、と言う点だ。もちろん狙いは原子力発電用の核燃料の一手管理、一手供給だ。これはオバマ政権の核基本政策ともなるのだろう。)