平成20年4月14日

  K先生への手紙:哲野イサクより


K先生


哲野イサクでございます。
早速丁寧なご返事ありがとうございます。

ジーメス神父は私のサイトからでしたか、ちっとも気がつきませんでした。
先生の論文の別なところに気を取られていました。

私は自分のサイトで、自分の著作権を全く主張していません。ですからお使いになるのは全く自由です。

先生が「互いの論点がずれている」というのは興味深い指摘です。

「拝啓、河野衆議院議長殿」の@、A、Bでは次のことを論証しようとしています。

(1)
原爆投下は、冷戦を作り出すために使用されたこと。
(2) その目的は、戦後も原子力エネルギー分野に連邦予算を、「残虐な原爆」について説明をしないまま、使いたかったこと。
(3)
その役割は戦後米原子力委員会に引き継がれたこと。
(4)
従って、トルーマン政権中枢がもっとも恐れたのは、「残虐な原爆」の実態が米市民に知られることだったこと。
(5)
その役割は戦後米原子力委員会に引き継がれたこと。
(6)
原爆投下後、暫定委員会のメンバーを中心に「原爆は対日戦争終結のために使われた」とする大キャンペーンがはじまったこと。(トルーマン回想録はこのキャンペーンの一部としても機能しました。)
(7)
原爆投下は対日戦争終結を幾分(一週間から10日)はやめた、という歴史的事実もあって、上記キャンペーンは大成功を収めた、つまり「世界はみごとにひっかかった」こと。
(8)
「原爆は対日戦争終結のために使われた」は全く創作された論点だったために、この論点をめぐる論争はすべて「先決問題解決の要求」を満たさない、同義反復に終わっていること。
(9)
これを延々60年以上にもわたって続けていること。(大きくいえば、久間発言とそれに対する批判もこの一部です)

先生のいう「互いの論点がずれている」という指摘は、「原爆は対日戦争の終結のために使われた」とする論点がもともと創作された論点だったことに関係しているのではないかと想像します。

私の論証が客観的に十分な説得力を持っているのかどうか私の知りたいところです。(もちろん、主観的には十分な説得力を持っていると思うのですが)

というのは、この論証による結論が従来の通説と少しく異なっているからです。といって、この結論が全く私独自のものかというとどうもそうでもないようです。

たとえばロシアの歴史学者アナトリー・コシキンもよく似た見解を出しています。(氏の見解はノボースチ通信の日本語電子版のサイトで読めます。また私はそっくり「哲野イサクの備忘録」にコピーしておきましたので、そちらでも読めます。)

また「夜と霧」を書いたヴィクトル・E・フランクルも別な本で同じような見解を出しているそうです。この本は「戦争研究」というタイトルの本で、ブラケット・E・フランクルの名前でみすず書房から翻訳出版されたそうです。
みすず書房の現在の編集長の話では、すぐ絶版になったそうです。

私が出した結論が、どちらかといえば突飛な結論となった理由は、主として依拠した資料に拠るのではないかと思います。

私は、戦後学者が研究した資料に全く依拠せず、同時代・同時進行資料に依拠しました。これら学者の資料は、戦後出された「原爆は対日戦争終結のために使われた」とする創作された論点に汚染されている可能性があるからです。

これは例のサブプライムローンを潜り込ませたデリバティブ商品と同じことで、全体のどの部分が汚染されているかを見極めることが非常に難しく、結局は捨てざるを得なかったという事情もあります。

(と、いえば格好いいですが、本当の理由は私がルンペン・ジャーナリストで こうした資料を買えなかった点が大きいですね。)

こうした資料の中で、もっとも重要だったのが、暫定委員会の議事録とフランクレポートでした。あえていうとスティムソンが丹念に書いておいてくれた日記やメモランダムを加えておかねばなりません。

これらは従来研究者があまり重要でないとして丁寧に読んでこなかった資料でもあります。

つまり私の突飛な結論は、依拠した資料による違いとその違いに由来する問題意識によるのではないかと思います。


それにしてもアメリカは偉大な国です。

「文書は人民のもの」という思想が体の芯にまでしみこんでいます。
従ってトルーマンを始め、克明にドキュメントとして残そうとしていますし、残した文書はいつかは公表する仕組みができあがっています。また民間の研究者も優秀です。ジーン・ダネン、ダク・ロングなどという人たちが一銭の金にもならないのに、名声にも頓着せず、こうした資料を丹念に整理・分類し、解説を加えて残してくれています。

こうした思想や社会の仕組み、人々の存在がアメリカの民主主義を底で支えているのだと思います。

私も大いに学ばねばならないと思っています。

だから、インターネット1本でこれらの資料が収集できたのだと思います。
ということはインターネット社会が革命的だ、ということにもなりましょうか?

先生、ここまで書いてきて、このメールを私のサイトに掲載したくなりました。K先生へのメールと題して掲載したくなりました。

ご了承ください。


広島にて
哲野イサク