(2012.2.7)
No.038

「放射能に負けないために」-お話し会




 2012年2月7日、広島市内でお昼過ぎから市民の小さな目立たない茶話会があった。

 この集まりを主催して呼びかけたのは、これもまた広島市内の小さな市民グループの「ボイス・オブ・ヒロシマ」(増田千代子代表)だった。

 このグループの代表の増田千代子は考えた。そして私に言った。

 「偉い先生を呼んで中規模・大規模な講演会を開いて低線量放射線の影響について勉強をするのもいいが、どうも違うような気がする。一方的に聞きっぱなしにするのではなくて、市民レベルでもっと自分の頭でこの問題を考えたいのだが、私たちは勉強不足だ。勉強不足を補う意味で何か話をしてくれないか。」

 私は彼女に言った。

 「増田さん、私たち一般市民が勉強不足なのは当たり前じゃないか。放射線や内部被曝を勉強して金をもらっているわけじゃない。まして職業にしているわけじゃない。勉強不足は当たり前のことだ。何ら恥じることもなければ引け目に思うことはない。

 大体朝早く起きて旦那や家族のために朝食の支度をし、送り出せばやれ洗濯だ、掃除だと忙しい。年老いた両親の体のことを心配し、家計のやりくりをして、一日きりきり舞いをする。夕方になれば買い物に行って夕食の支度、後片付けをしてほっと落ち着いたらもう明日のために寝る時間だ。そんな生活をしていて、放射線や内部被曝についていつ勉強するんだ?

 勉強不足なのは当たり前だ。恥じることも引け目に感じることもない。でも私たちには健全な生活者としての常識がある。名もない一市民として、家族や子どもや孫たちの健康を心から願い、気遣う立派な良識がある。この良識や常識こそ私たちが誇るべき財産であり、武器じゃないか。

 その常識や良識から、放射線や内部被曝について考えたい、自分たちの問題として考えたい、ボクはこれが一番大切なことだと思う。

 大体そのために国立大学の偉い先生の給料をボクたちは払っているんじゃないか。その先生方がちゃんと仕事をしないから、ボクたちが彼らに替わって心配し、考えなきゃいけなくなっているんじゃないか。」
それをそばで聞いていた網野沙羅。

 「そうよ、私たちが税金で給料を払っている国立大学の先生たちが、私たちの命と健康を守るために一生懸命に勉強してきたわけでしょ。生活で忙しい私たちの替わりによ。ところが“フクシマ放射能危機”で、私たちの命と健康を守るために働いているんじゃない、ということがわかったわけよ。で、しかたなく私たちが自分たちを守るためににわか勉強をはじめたわけじゃない?勉強不足は当たり前じゃないの、わからなくて当たり前!

 恥じたり引け目に感じることは何もない。恥じなきゃいけないのは、私たちを放射能から護ることができない専門家や大学の先生よ!税金返せ、給料返せ、とこういう話よ。」

 「そうよね。私たちが勉強不足なのは当たり前よね。偉い先生方がまったく信用できないから、自分たちで勉強しよう、という話だもんね。」と増田千代子。

 「そうだよ、増田さん。でも私たちには生活者として、自分たちの命と健康を守ろう、とする真剣な思いだけはある。これは偉い先生方にはない。(正確にはほとんどの偉い先生にはない、というべきだった。というのは私たち一般市民の命と健康を守ろうとする優れた学者や研究者も少数ながらいるからだ)

 健全な生活者としてこの思いだけはホンモノだし、何にもまして強い武器なんだと思う。この武器さえ正しく使えば正しい判断と決断はできるんじゃないか」と私。

 「それでね」と増田千代子。「私ね、少人数でいいから真剣にこの問題を考え合う場を作りたいと思うのよ。偉い先生にきてもらって聞きっぱなしにするんじゃなくてね。でもね、やっぱり愚痴を言い合う場ではなくて、なんて言うのかしら、科学的に事実にもとづいて考え合いたいのよ」

 「正直、大賛成」と網野沙羅。「私はもうその時期が来ていると思う」

 私は二人のやりとりを聞きながら、たまたまその日転送されてきたメールの文面を思い出していた。

現在福島市から山形に夏から避難し、現在福島をたびたび往復している者です。最近福島に流れる異様な雰囲気に恐怖を感じます。

これは最近益々強くなったと感じています。

医者や病院、役所や学校あらゆるところで福島は安全だとのメッセージが流れ、同じ方向に進まないと生きていけない空気を感じます。放射能を気にする発言をすると、放射能を気にし過ぎることで子供の健全な成長が阻害される、母子避難することで家族崩壊が招かれる、との情報で「もう子供の心の健康と家族を思い、放射能の事はもう考えません」と言い出す方達があちこちででてくるようになりました。

国や自治体からの発表に疑問を持つと過激な反体制と疑われ、避難を口にしようものなら、地元を見捨てるエゴの塊と見なされる。狭い狭い偏狭な方向へと導かれているように感じるのです。

今この場がどんな状況で、何が起こっているかを何の偏りもなく、ただ冷静に知りたい、過去の事実から学んで活かしたいとの思いは、危険と見なされる不思議さ。肌で感じ取り、目で見て、情報を分析して考えること、異なった考えを議論することその全てを一切禁止されているような感覚があります。

福島を襲った災難を県民一致団結して乗り越えようとの思いは分かるのですが、ただその方法が正しいのか?との疑問の声を上げられない空気を感じます。

私はこの異常な雰囲気に対し、放射能汚染以上に恐怖を感じます。ある人々はこの恐怖に屈して、これに同調しているか、または全く疑問を感ずることなく、これと一体となり生活しているように思われます。』

 政府・原子力利益共同体・福島県は、人々を放射能汚染の土地に縛りつけよう、そのためには被曝を強制しよう、と躍起になっている。そのため、「ただ冷静に知りたい、過去の事実から学んで活かしたいとの思いは、危険と見なされる不思議さ。肌で感じ取り、目で見て、情報を分析して考えること、異なった考えを議論することその全てを一切禁止されているような感覚」を福島で定着させようとしている、その雰囲気を作り上げようとしている。そのため、自由に調べ考え学ぼう、そして自分たちや子どもたちや家族や親しい友人たちの、自らの「命と健康」を守ろうとする健全でまっとうな思いを奪おうとしている・・・。

 「そうだ!増田さん、ボクも大賛成だ。是非やろう。」

 「そう、賛成してくれる?ありがとう、哲野さん。それでね、そのお話し会で使える話題資料を作って下さらない?」

 というわけで急きょ作った話題資料が以下の「放射能に負けないために チェルノブイリ原発事故と私たちのこれから」である。

 ちなみにこの日考え合おうと集まった人は、約20人だった。多いのか少ないのか私には判別しがたい。ただ私は、今日みたいな生活者としての一般市民が「放射能」や「低線量被曝の危険」について考え合う小さな集会が、日本全国で無数に開かれれば、放射能から「命と健康を護る」日本が、本当に実現するのだ、とそんな風に思った。



(お話会の様子)

(子ども連れのお母さんの姿もありました)

(お話会資料)

(添付資料)