No.1 平成17年11月22日
被爆都市ヒロシマ
商売上手な「ヒロシマ」
 アメリカから広島に戻って20年近くなる。まだニューヨークで暮らしていた頃のことだが、初対面の人だとどうしても、お互い「Where are you from?」から話が始まる。こっちだってお上りさんだが、相手だって結構お上りさんだ。ここいらへんは東京と変わりはない。

 こちらが「I was born in Hiroshima.」と答えた時の相手の反応がおもしろい。あまり知的なタイプでなければ、「それはどこにあるんだい?」となるし、「人が住めるの?」とまじめに問い返す人もいる。

 ちょっと、知的なタイプで国外にも出かけたことがある人だと、「ヒロシマね、君たちは商売上手だ」と反応してくる人が意外と多い。「ヒロシマは商売上手だ」と云われると、こちらとしては面食らってしまう。しかしその主張はこうだ。

  「ヒロシマは最初の被爆都市だ。確かに多くの人が亡くなったけれど、ヒロシマはこのことを上手に使って世界中に宣伝した。いろんなモニュメントも作った。イベントも数多い。今や世界中にヒロシマの名は知られ、莫大な観光収入を得ている。だからヒロシマは商売上手なんだ」いわば「原爆売物論」である。

  被爆都市ヒロシマの市民感情とは、大きくかけ離れるものの、云われてみれば一理ある。確かにヒロシマは原爆によって世界に有名になった。訪れる外国人も多い。そのため観光収入も多いだろう。

背景には原爆売物論
 「原爆売物論」の背景には、一つには原爆の恐ろしさについての理解不足があろう。なにしろベトナム戦争の時、「核兵器を使ってベトナム戦争を終結させろ」と大まじめに主張した上院議員がいたほどのお国柄だ。「大したことないのに大げさに言いつのって名前を売った。被害者の数から云えばアウシュビッツの方がはるかに多い」というわけだ。しかしどうもそれだけではない。アメリカ人一般の日本への反発感情が横たわっているような気がしてならない。原爆投下をさほど悪かったと思っていない所から来る反発感情といっていい。大体日本へ原爆を落としたことに対して、「やむを得なかった」と思っているアメリカ人が意外と多い。「原爆が戦争終結を早め、多くのアメリカ将兵の命を救った」とする論調が代表的なものだろう。
 もっとわかりやすく云えば、「原爆投下は自業自得。その被害を大げさに言い立てて、観光資源としている」といった反発が、「ヒロシマは商売上手」という云い方の奥底に流れているような感じがする。いい方がどこか好意的ではなく、冷ややかなのだ。

アメリカを責めないヒロシマ
 ヒロシマの側も「原爆」に対しては激しく糾弾するが、「原爆投下をしたアメリカ」に対してはあまり責め立てない。厳しく責めたいのだが、どこか我慢をしてぐっとこらえているといった感じだ。
ぐっとこらえて弱々しく「ノーモアヒロシマ」と呟いている。

 一つには「原爆投下」の原因が日本の行ったアジア・太平洋に対する侵略戦争にあった、という引け目があるのだろう。アメリカに正義があったとまでは云わないが、少なくとも説得力のある理由があったという認識が横たわっている。

 ニュールンベルグ裁判は史上初めて、戦争に関する個人責任を追及した裁判として歴史に残る裁判だ。勝者が敗者を裁くと言う側面があったことは事実だし、「体裁のいい復讐」といった偽善性も含まれている。しかし「戦争の狂気」でもって十把一絡げに個人責任をも免罪しなかった。その点歴史的意義は大きい。
 
 ニュールンベルグ裁判の精神からすると、人類史上初めて核兵器を実際に使うことを決断した大統領ハリー・トルーマンなどは、さしあたり「第1級の戦争犯罪人」だ。トルーマンの前任者、フランクリン・ルーズベルトが去った後の大統領執務室のデスクの上には、「原爆を実戦で使用しないで欲しい。人類史上、重大な結果を招くことになる」とするアインシュタインの手紙がおいてあったそうだが、ことの重大性は大統領トルーマンにも分かっていたはずだ。いわば確信犯である。

 しかし「ヒロシマ」も、こうした「アメリカの戦争犯罪性」「人道に対する罪」に極力触れないようにしている。これは一種の暗黙のなれ合いと見られないこともない。

暗黙のなれ合い
 平和都市「ヒロシマ」「核廃絶運動」は、こうした暗黙のなれ合いの上に成り立っている。「ヒロシマを純被害者」と認める代わりに「アメリカの戦争犯罪性」を追求するな、という黙契である。

 この黙契が、「ヒロシマを中心とする核廃絶運動」の迫力を夥しく殺いでいる。本気で核廃絶運動に取り組むなら、アメリカの戦争犯罪性をとことん追求しなければならない。原爆開発のいきさつから、その投下の政策決定のいきさつ、責任を追及しなければならない。

 ナチスドイツの戦争犯罪は時効がなく、ドイツ敗戦から今日までその戦争犯罪の追及、ナチスに対する戦争犯罪捜査は今も連邦予算を使って行われている。そのことが、ドイツを再び「戦争犯罪国家」にしない歯止めになっているし、その責任追及の過程で明らかになってくる事実ひとつひとつが、歴史の教訓として人類共通の財産となっているのだ。

 ところがヒロシマには、いや日本にはこれができない。「アメリカの戦争犯罪性追及」をとことん追及していくと、それはすぐに自分にも降りかかって来る火の粉だからだ。「南京大虐殺」「中国大陸における毒ガス兵器使用」「大久野島における毒ガス生産」「捕虜虐待」「従軍慰安婦問題」など、日本が清算しなければならない「戦争犯罪」「人道に対する罪」はあまりに多いし、その追及はどれ一つとして十分ではない。もちろんこれらは「ヒロシマ」が犯した罪ではないが、日本人として世界に向かって「私は知りません。私は単に広島に生まれた人間として核兵器廃絶を訴えるだけなのです」と云ってすましているわけにいかない。少なくともナチスを今なお執拗に糾弾し続けるドイツのような説得力を持ち得ないことは明らかだろう。

 原爆投下から60年経た今日、これまでのヒロシマを中心とする核兵器廃絶運動が曲がり角に来ていると言われて久しいが、こういう風に見てくれば、「ノーモアヒロシマ」と呟いている運動は、はなっから曲がり角だったのだ。

 日本の戦争責任、人道に対する罪を徹底的に追及して行きながら、「原爆投下」を行ったアメリカの責任を追及し、事実関係をひとつひとつ明らかにしていく、そしてそれを人類共通の知的財産化していく、核兵器廃絶運動とはそういうものであらねばならないだろう。

 人間が人間に対して犯した罪という地平線では「南京大虐殺」も「原爆投下」も「アウシュビッツ」も等量ではないにしろ等質である。

 「その他の戦争犯罪や人道に対する罪のことは知りません。私は被爆したヒロシマとして、単に核兵器に反対しているだけであり、ノーモアヒロシマを叫んでいるだけなのですから・・・」と云っている運動が歴史の試練にどれほど耐えられようか・・・。