(2011.2.3)
【アメリカ経済 関連資料】

ロン・ポール:連邦準備制度と雇用創設

 共和党下院議員(テキサス州選出)で今年のアメリカ議会下院の金融業務委員会の国内金融政策小委員会委員長に就任したばかりのロン・ポール(Ronald Ernest "Ron" Paul)が自らのWebサイト(<http://paul.house.gov/>)の巻頭ページに掲載した論文「連邦準備制度と雇用創設」(“The Fed and Job Creation”)の翻訳と解説である。

写真はテキサス州選出共和党下院議員ロン・ポール。英語Wikipedia“Ron Paul”からコピー・貼り付け。

 ロン・ポールについては日本ではまだ「変わり者議員」「偏屈議員」という扱いをしている向きがある。たとえば日本語Wikipedia「ロン・ポール」(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB>)などにもその傾向が感じられる。しかし、ロン・ポールは至極まともである。そのリベタリアンとしての主張は首尾一貫しているし、アメリカ憲法徹底遵守の立場もまったくブレがない。確かに「銃砲規制反対」、自由市場主義の経済的立場(それも新自由主義の経済のような強者の自由主義経済ではなく、まったく平等な自由主義経済=資本主義経済の本質からしてありえないのだが)、金本位制度への回帰など私には賛成できない論点も多い。しかし彼のまともさは、自分の信条・哲学に忠実であり首尾一貫しているところに由来している。確かに彼の首尾一貫した主張からすれば、アメリカは他国のことに口を挟むべきではないし、その立場から、彼は一貫してイラク戦争にもアフガニスタン戦争にも反対してきた。(英語Wikipedia “Ron Paul”<http://en.wikipedia.org/wiki/Ron_Paul>や彼自身のサイトの“Who is Ron Paul?”<http://paul.house.gov/index.php?option=com_content&view=article&id=1009&Itemid=50>などを参照の事。)

 彼の主張はあまりにまともすぎてあっけに取られるほどである。現在のところロン・ポールに注目しておきたい理由は、彼が徹底的な「反連邦準備制度」反対論者であり、その彼が前述のごとく金融政策委員長に就任したからである。つまり議会から徹底的に秘密主義の連邦準備制度に対して掣肘を加えることのできる立場についたからである。まかり間違えば、ロン・ポールは連邦準備制度(ということはその背後の東部を中心とした独占金融資本家グループであり事実上のアメリカの支配階層なのだが)に致命傷をおわしかねない。(私の期待も相当入っている)以下彼の論文である。私のコメントは青字の小さめのフォントにしている。



連邦準備制度と雇用創設(“The Fed and Job Creation”)

 失業はわが国経済を苦しめ続けている。われわれは経済回復のコーナーを回ったところだ、と常に主張されてはいるが、雇用に関する報告は、依然として厳しいものがあり、改善の兆しすら見せていない。

 実際そうなのである。アメリカ政府の公式統計によってもアメリカの失業者約1500万人前後に張り付いている。これがどれほど厳しい数字かは、2008年6月末にはこの数字は約860万人だったことを考えてみればわかるだろう。リーマン・ショックを挟んでアメリカの失業者は倍増したといっても過言ではない。(「失業者数1500万人前後で推移するアメリカ経済」を参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/02.htm>)しかも、外交問題評議会理事長のリチャード・ハースの表現を借りれば、1500万人の失業者は統計上の話で実際の数字は2200万人から2300万人だというのだ。(「50年のアメリカと日本:基調講演」前編の「アメリカの失業率は実質15%」の項参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/06.html>)今のアメリカ経済にとって、失業者が多い事ぐらい致命的な現象はない。仕事を持ち、安定した収入を確保している普通の、大多数のアメリカ大衆こそ、税金を払い、年金の掛け金を負担し、自動車ローンや住宅ローンを支払い、子供の教育費を負担し、スーパーマーケットやデパートで買い物をして国内消費を支える存在だ。アメリカ経済にとって「仕事を持って定収のある一般大衆」の厚い層こそ、最後のよりどころなのだ。それが蝕まれているところにアメリカ経済の病巣がある。

 ケインズ主義エコノミストと「大きな政府」擁護者は、政府が経済に対して前例のない「投資」を行うにもかかわらず高い水準の失業のままであることについて頭を描いているが、自由市場主義経済エコノミスト(新自由主義者とは異なっていることに注意)は問題を完全に理解している。手短にいってしまえば、大きくは連邦準備制度自身が創りだした「失業危機」を解決するにあたって、連邦準備制度をあてにしているということを彼ら(自由市場主義経済エコノミスト)は理解しているのだ。

 例えば、連邦準備制度はその「2つの要求」の半分だけで完全雇用が維持されると想定している。

  「2つの要求」は“Dual Mandate”(デュアル・マンデート)。「マンデート」とは第一義的には「選挙民から議会や議員に対する指令や要求のこと」(研究社英和大辞典第6版)であるが、ここでロン・ポールのいう「デュアル・マンデート」とは連邦政府に課せられたミッション、すなわち「完全雇用」(full employment)と「安定物価」(stable prices)のことを指す。この場合連邦政府でこの任務を担当するのは連邦準備制度とされているのでロン・ポールは上記のように書いた。「デュアル・マンデート」については“Fed: We can do two jobs, but if you want to change ... ”と題するロイターの記事(<http://www.msnbc.msn.com/id/40992635/ns/business-stocks_and_economy/>)や“Fed's Dual Mandate On Jobs, Prices Is Appropriate -Spokeswoman”と題するダウ・ジョーンズ・ニュースの記事(<http://jp.advfn.com/news__45267505.html>)などが参考になる。日本語のものでは、産業経済研究所の「中央銀行の政策目標は透明性の原点」(<http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0217.html>)がある。また「アメリカ中央銀行のDual Mandate」(<http://d.hatena.ne.jp/skullsberry/20090104/1231082044>)と題する記事も相当斜に構えているが結構正鵠を射ている。


 しかし連邦準備制度はこれを為すに当たって単純に間違ったツールを使っている。実際のところ、その信用拡大政策と利子率操作(連邦準備制度基準貸付利率の操作のこと)、彼らが経済を“助ける”際に、害悪の原因となっている。住宅ブームとその破綻を見てみよう。連邦準備制度の創りだしたインフレは有害な結果をもたらさずには維持することが出来なかった。

 連邦準備制度の人工物であるブームは今日われわれが苦しんでいる「失業」(the unemployment)を導いた。連邦準備制度は価値創造を行う、あるいは実際雇用の成長を持続させる生産性を増やす製造業者でもなければ中小企業でもない。

 ここは極めて例示的言い方だが、アメリカの連邦準備制度の本質を言い当てている。ものごとを単純にするために乱暴な言い方をすれば、アメリカの連邦準備制度(中央銀行)とはすなわちアメリカの独占金融資本グループという理解が正しいのだろう。従って連邦準備制度の政策はアメリカの独占金融資本グループの利益を代表している。ここでロン・ポールが指摘していることを、立場も違い、表現の仕方も全く違うが、中国の国際信用格付け会社、大公国際信用評価公司は同じことをいっている。その報告書は次のようにいう。

信用拡大政策(より具体的には、量的緩和政策に代表される厖大なドル通貨市場供給政策など)は、アメリカの経済的ファンダメンタルズ(経済基盤といってもいいだろう)と経済的メカニズムの両方を変えてしまった。アメリカにとって「信用拡大」は経済発展のエンジンとして、基本的国家政策である。』
高度に発展した国内信用政策の結果、「貸し手」と「借り手」の信用関係は、社会構成員の間の基本的経済関係となった。』
これに加えて、国際的な信用システムは、これはアメリカを中核とするのだが、国際的な信用拡大を基礎において構築されていった。そして国際的な信用関係は、アメリカと他の国際社会のメンバーとの基本的な経済関係となった。』
このようにしてアメリカの経済基盤は変化していった。そして「信用関係」は経済発展および社会発展の支配的駆動力となっていった。信用関係のパラドキシカルな動向は、アメリカの経済的、社会的発展を決定した。』
(「アメリカ経済に対する臨終宣告にも等しい報告書 第1回」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/
dagong_20101110.html
>を参照のこと)

 連邦準備制度はさらなる紙幣を印刷することによって価値(これはバブル価値のことではなく実質価値)を文字通り破壊している。そしてドルを、密接に繋がった銀行と企業(外国銀行も含んでいる! 原文カッコ)に対して恋人取り引き(sweetheart deals)を通じてばらまいているのだ。

 完全雇用で連邦準備制度が維持した唯一の成功はウォール・ストリートである。そこでは、連邦準備制度は気の置けない仲間の銀行や投資会社を倒産しないようにつっぱり支えている。本来彼らは倒産する筈なのだ。そのかわりに(倒産するかわりに)、重役共がジャックポットで当てたようなボーナスでほくほく顔の一方、またいつの日か不正な投資をするために彼らは生き残っている。

やや八つ当たり気味である。が、「いつの日か不正な投資をするために生き残っている」はすでに始まっている。実体経済が凋んでいる以上、彼らの資金の向かう先は「投機」しかないのだ。株価はもう実体経済の先行指標ではない。連邦準備制度の創出した「バブル・マネー」はアメリカ連邦政府を通じて世界中にばらまかれている。そしてインフレと負債を輸出している。(「負債の輸出」を参照の事<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/016/016.html>)

 連邦準備制度は持続できない住宅需要を創出するために人工的なほどの低金利をもって住宅業界に雇用を送り込んだ。金融が緩和されバブルが膨らんでいった時に数百万人がこの分野に飛び込んでいった。払いきれない住宅を購入し今やフォークロージャーに直面している多くの人々以外に、住宅関連の分野で雇用を得た人々もまた存在した。

 フォークロージャー(foreclosure)は、抵当流れ物件、差し押さえ物件としても良かったのだが、日本でいう住宅差し押さえ物件とは内容が異なるのでフォークロージャーとした。貸し手(多くは銀行)は裁判所にフォークロージャーを申請すると住宅を担保として差し押さえることが出来るが、同時に融資額が保証される。50万ドル融資して、物件を差し押さえた場合、差し押さえ物件は50万ドルの価値があるとみなされる、ということだ。しかし実勢価格はその1/2、1/3に下がっていてとても融資額を回収できるような状況ではない。しかし銀行はこれを通常の貸し出しとして扱っているので実際には厖大な不良資産を内部に抱え込むことになる。しかもこうしたフォークロージャーによる融資を債権として買い集める投資会社もあり、またその債権を細切れにして商品化し販売している。当然架空の価値に基づく金融商品だからそれ自体が不良債権化する。サブプライム・ローンで破綻したあともフォークロージャー制度を使ってこうした不良債権が再生産されているという構造になっており、とても私などには理解がつかない。ただ想像できることは、それは恐らく底なしの沼であろうということだ。先ほどの大公国際信用評価公司の報告書は次のように書いている。
『2009年には140件の銀行が倒産した。2010年前半だけで86件の銀行が倒産した。問題を抱えている(倒産予備軍の)銀行は直近の数字で500行ある。2010年末には、中小規模の銀行の新たな倒産ブームを目撃することになりそうだ。』
(「第3回」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/
dagong_20101110_3.html
>の「住宅ローン破綻率11.4%」の項参照の事。)

 これらの人々は、不動産、住宅ローン、建設や請負などの分野で自分の専門性を確立するため、何年にもわたって訓練し、時間とお金を投資した。その専門的職業経歴(キャリア)は、バブルがはじけると共に、すべて空中に消え去ったのである。今、彼らの生活はかなりな壊滅状態にある。失業状態、あるいは雇用されていても、あるいは異なる職歴に向けて再訓練するかどうか決断に直面するかの違いはあれ、生活は壊滅状態である。

 もし自然な市場需要に従って住宅業界が進展していたとしたら、こうした厖大な量の不必要な無駄は発生しなかった。

 雇用は喜んで額に汗を流し、計算されたリスクを喜んで取ろうとするアントレプレヌールたちによって適切に創造される。

 アントレプレヌール(entrepreneurs)とは思いもかけず懐かしい言葉を聞くものだ。絶えて聞かれなくなった。アルフレッド・ノーベルとか「ジョージ・ウエスティングハウスとその仲間たち」とか資本主義がまだ健全だったころ、その牽引者だった企業家たちを総称する言葉だ。銀行もバンク・オブ・アメリカの創設者のジャンニーニのような健全な、商業銀行家、産業銀行家も存在していた。と、思っていたら 、念のためインターネットで調べると、この言葉は今復活しつつあるのだそうだ。ただし、ベンチャー・ビジネスに関連して自ら企業を興そうという意味で「起業家」と訳されているのだそうだ。(例えば「早稲田大学アントレプレヌール研究会」<http://www.weru.co.jp/>など)

 雇用はまた、生産の実際の増加を通じて創造される。利益の再投資の結果、あるいは市場金利で地道に借りた金による再投資の結果なのだ。しかし連邦準備制度はこうしたリスクの計算を不可能にしてしまった。借金を人工的なまでに安くしてしまったのである。その結果、経済成長は凍り付いてしまった。一方で失業は青天井に上昇した。

 ここでロン・ポールが言っている「経済成長」というのは、実体経済の成長という意味であって、アメリカのGDPという時の「経済成長」のことではない。ロン・ポールの言う「経済成長は凍り付いてしまった。」という内容を、たびたび引用する大公信用評価の報告は次のように述べている。

・・・これに加えて、高度な経済の金融化のため、実体経済から生ずる利益の半分以上は金融活動から発生している。(よい例はGEだろう。GEは今や実体経済の側に属する製造会社なのか、あるいは金融サービス業に分類すべきなのか判別しがたくなっている。)もし我々が2009年のアメリカGDPから仮想経済的要素を除外してみると、実際のGDPは、およそ5兆ドルであり、一人あたりのGDPはおよそ1万5000ドルとなる。その一方で、アメリカの国内総消費額は10兆ドル、そして政府の支出は4.5兆ドルに上る。国家経済における実際価値の生産能力は社会的分配と消費を準備する物質的基盤である。アメリカ政府は仮想価値を含んだGDPに対応して年間予算を設定しているため、その歳入は支出に対して不足に陥らざるをえない。従って、負債が社会全体に広がり常態化することは経済発展の環境を悪化させるだろう。これから以降3年から5年の間、アメリカの年間平均実際GDPは6兆ドルに達する事はなく、一人あたりのGDPは年2万ドル以下であろうと予測される。』
(同「第3回」の「実際GDPは実は5兆ドル」の項参照の事。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/
dagong_20101110_3.html
>)


 権力をもった彼らが中央経済計画にいかに害悪をもたしているかを理解するまで、経済は後退し、雇用は失われ続けるだろう。連邦準備制度は雇用創設の仕事全体から手を引く必要がある。そして連邦政府はその憲法上の義務に集中する必要がある。連邦政府に手を引いて欲しいまさにその時に、さらなる財政支出という形で連邦政府が経済にさらなる干渉を行うと聞く。その財政支出を、単に彼らは「投資」だ、と言うのだ。それは「害意のある投資」(malinvestment)と呼ぶ方がより適切だ。政府の政策によって産業界に注ぎ込まれる資源(直接には経済再生のための政府財政支出)は長期的に見れば、雇用を損なうだけとなるであろう。

 チュニジア、エジプト、レバノンで発生している民衆革命は、恐らく後で振り返れば中東・アフリカ・アラブ諸国固有の現象ではないとみなされるだろう。大きな歴史のうねりは、100年以上続いた伝統的な支配層による支配への市民社会レベルデの戦いは、恐らくは21世紀初頭の、世界全体の、特徴的な現象として歴史の教科書に記述されるであろう。アメリカの「ティー・パーティ」運動もまたそうした現象の一つなのかもしれない。日本もこのままでいいはずがない。チュニジア、エジプト、レバノンの民衆はある意味幸運かも知れない。倒すべき支配層が目の前に見えやすい形で存在するから。日本やアメリカなどでは、倒すべき支配層が社会と政治体制の中に自分を深く韜晦している。