暫定委員会議事録 1945年5月14日
(*青字は私の註)
原文は以下:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/large/documents/pdfs/
37.pdf#zoom=100


暫定委員会議事録
1945年5月14日 月曜日
午前10:00〜午後12:30

出 席 者

委員会メンバー
ラルフ・A・バード閣下
バニーバー・ブッシュ博士
ジェームズ・F・バーンズ閣下
ウイリアム・L・クレイトン閣下
カール・T・コンプトン博士
ジェームズ・コナント博士
ジョージ・L・ハリソン氏 委員長代行(陸軍長官は欠席により)

   (*委員会メンバーについては「暫定委員会について」を参照のこと)


招聘参加者
レスリー・グローヴズ少将



T..顧問団(*PANELS)
 
1.科学顧問団のメンバーは以下であることに(*委員会は)同意した。
アーサー・H・コンプトン博士
アーネスト・O・ローレンス博士
J.ロバート・オッペンハイマー博士
エンリコ・フェルミ博士
 さらに、委員会は、陸軍長官、あるいはその代理として、ハリソン氏がこれら4人の科学者に科学顧問団のメンバーとなるよう招聘する手紙を書くことに同意した。
 J・B・コナント博士及びバニーバー・ブッシュ博士の提言に関していえば、科学顧問団が技術的な問題だけでなく、委員会に出席して政治的な問題に関するその見解を自由に述べることは、顧問団の良識である。

2.軍事顧問団 (*Military Panel)
 幾分かの討議の後、委員会は、陸軍、軍事顧問団設置の要求性と、暫定員会委員に関する提言性を確保するため、長官はマーシャル陸軍大将及びキング海軍大将と議論すべきである、と結論した。委員会は、もし科学顧問団が設置されるなら、そのメンバーは陸軍、海軍のハイレベルのメンバーであることが望ましくまた効果的であるとの意見に落ち着いた。
 メンバーは以下であることが望ましい。

陸軍側
ジョージ・C・マーシャル陸軍元帥
トーマス・T・ハンディ陸軍中将
レスリー・R・グローヴズ陸軍少将
海軍側
アーネスト・J・キング海軍元帥
リチャード・S・エドワーズ海軍大将
ウイリアム・R・パーネル海軍少将
(* マーシャルは陸軍参謀総長。アメリカには平時元帥制はないが、戦時元帥制はある。
 この文書でのマーシャルの肩書きは、General of the Armyなので元帥とした。ハンディは陸軍参謀本部次長、時には参謀総長代行―Acting Chief of the Staffの肩書きを使うこともあった。グローヴズはマンハッタン計画の総執行責任者。キングはこの時、海軍総司令官兼海軍作戦部長(Chief of Naval Operations)。この文書での肩書きはAdmiral of the Fleetなので、マーシャルの時と同様、海軍元帥とした。エドワーズはこの時、海軍作戦部次長。ウイリアム・R・パーネル海軍少将については分からない。シカゴ・ポートというアメリカの海軍雑誌の電子版に、原爆開発に携わった海軍将官として名前が出てくるが、よく分からない。なおパーネルの肩書きはRear Admiral。
 なお、この軍事顧問団は、スティムソンの反対で結局設置されなかった。)

3.
 他の国における、この分野での産業流動性の潜在性に関するアドバイスをするため、産業顧問団を設置するかどうかについての問題が提出された。委員会は、現時点でこのような顧問団を設置しない、という見解を取った。しかし、ユニオン・カーバイド社のジェームズ・A.ラファーティ氏(*社長)、イーストマン・コダック社のA・K・チャップマン氏(*社長)などは、この問題を討議するため委員会に招いて、落ち着いて討議すべきである。
(* 他の国云々の持って回った言い方は、当然ソ連の核兵器開発の状況を知るために、産業人の見解が知りたい、と言うことだろう。)
 
 

U.公式声明 (Public Statement)

 公式声明の包摂性は、7月に予定されている実験の結果如何に関わるように感じられる。もし実験において、貧相な結果しか得られないようであれば、爆発した高性能爆発物を廃棄する役割を担った地域作戦司令官(*theater commander)による、簡単な発表だけで十分であろう。しかしながら、もし、野外核実験が、当初の自信のように成功裏に終結した場合には、もっと完全な形での公式声明が必要となるかもしれない。そのような声明は大統領によってなされるべきであり、また一般的なその兵器の性格に言及するばかりでなく、その開発のいきさつとこれから熟考されるべき統御などについても跡づけるべきであろう。これは国内的にも国際的にも必要だ。
(* しかし結局、アラモゴードの実験成功のニュースは、いっさい伏せられた。これは、後の暫定委員会で決定した「無警告で使用」という決定と呼応する措置の様に思われる。実験成功の詳細な知らせは、事実上、警告ともなる。)

 ニューヨーク・タイムズの科学部編集者、ウイリアム・L・ローレンスは現在、「マンハッタン区」(*マンハッタン計画のこと)と契約下にあり、彼にこの2つの声明(*実験成功の時の声明と実験失敗の時の声明)の原稿を書かせた上で、検討のための委員会プレゼンテーションに前に、アーサー・ページに事前チェックさせることで委員会一同は合意した。




V.国際的な情勢

 この計画を国際的な視野からみた議論が、相当な長さで行われた。特に「ケベック合意」及び「(*イギリス及びカナダとの)共同開発トラスト」に力点がおかれた。
(* ケベック合意:ケベック合意:1943年8月19日カナダのケベックで、イギリス首相チャーチルとアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの間で行われた、一種の核不拡散合意。要点は1.この兵器をお互いに相手国に対して、使用しない。2.お互いの合意なしには、第三国に使用しない。3.お互いの合意なしには原爆開発に関する情報を第三国に提供しない、の3点を合意した。)

 ブッシュ博士とコナント博士のこの問題に関するメモランダムのコピーが、バーンズ氏、バード氏、クレイトン氏、グローヴズ将軍の手元に、委員会終了後、さらに研究する場合に備えて、配布された。またアーサー・コンプトン博士の科学的見解のメモランダムのコピーも、今後の研究のためにバーンズ氏とバード氏に配布された。


W.法制化のコントロール(LEGISLATIVE CONTROLS)
 そのようなコントロール(*原爆開発計画をめぐる様々な法制的制御のこと)や法制化が、コントロールを実効化させる案件について、一般論として議論された。しかしいかなる最終結論をももたらそうとするものではなかった。


X.シカゴの科学者
 グローヴズ将軍とブッシュ博士はシカゴ・グループで進めている仕事の性格を概要説明し、その今後の地位に関して疑念を呈した。
(* シカゴ・グループとは、マンハッタン計画の主要研究機関の一つである、シカゴ大学冶金工学研究所で働く科学者グループである。原爆完成が近づくにつれ、これを実戦使用することに明白な反対姿勢を表明していた。アーサー・コンプトンは、その冶金工学研究所の所長でもあった。)
 委員会一同は、シカゴ・グループは、現在のところ、そのまま働かせ、その兵器の攻撃的使用が終了してのち、将来の問題としてその地位を検討する、ということで一致した。


Y.委員会書記の指名

   委員長代行(*ジョージ・ハリソン)の提案として、バンディ氏(*ハーベイ。陸軍長官補佐官)の補佐官、R・ゴードン・アーネッソン陸軍中尉を委員会書記とすることに同意した。


Z.次回会合
  次回委員会会合は、1945年5月18日(金)の午後2時30分からにセットした。

<R・ゴードン・アーネッソン> 署名