暫定委員会(非公式)議事録 1945年5月18日

 (* 文中青字は私の註である。アンダーラインは原文のまま。原文は以下:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/bomb/
large/documents/pdfs/38.pdf#zoom=100
 。
なお原文には、この日の会合は“informal meeting”としてあったので−非公式−とした。)  

暫定委員会議事録
1945年5月18日 金曜日
午後02:30〜午後04:30

出 席 者

委員会メンバー
ラルフ・A・バード閣下
ジェームズ・F・バーンズ閣下
ウイリアム・L・クレイトン閣下
ジェームズ・コナント博士
ジョージ・L・ハリソン氏  委員長代行

   (*委員会メンバーについては「暫定委員会について」を参照のこと)


招聘参加者
アーサー・ページ氏、レスリー・グローブズ少将
  (* この日の委員会は、委員長のスティムソン、バニーバー・ブッシュ、カール・コンプトンの3人が欠席している。 招聘参加者のアーサー・ページ(Arthur Page)はこの時期、陸軍省の外部広報担当者ともいうべき存在で、後に紆余曲折の末結局ページが、8月6日の「原爆投下直後の大統領声明」の下書きを作成する。) 


T. 顧問団との会合
 
5月31日(木)に開催予定の委員会に科学顧問団は招聘されるべきであると合意した。またもし可能であれば、軍事顧問団と産業界代表も同じ週末に、討論に招聘すべきであることにも合意した。
(* 結局、この軍事顧問団は設置されなかったが、この日の会合ではまだこの言葉が使われていた。5月14日委員会議事録参照の事。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Interim%20Committee1945_5_14.htm>)

  ユニオン・カーバードのラファーティ氏とイーストマン・コダックのチャップマン氏を、この問題を産業界の視点で委員会と討論するために招聘することに加えて、デュポンのカーペンター氏を、計画事業におけるその運用を促進するためにデュポンが直面している問題を討議するため、招聘されるかも知れない。以上勧奨する。


U.公式声明原稿

  委員会は、ローレンス氏が準備した声明原稿を熟考した。原爆実験の時に、この種のタイプの、アラモゴード空軍基地司令官からなされるかもしれない声明という観点から見て、 A方式及びB方式の内容に全体として合意する。C方式及びD方式は、新兵器の実験であることに触れているため、望ましくないと考慮された。

(* ローレンス氏は、ニューヨーク・タイムスの科学記者、ウイリアム・L・ローレンスのこと。この時期「マンハッタン計画」と、恐らく広報分野全般であろうが、秘密契約を結んでいた。ここでいう公式声明は、アラモゴードでも最初の核実験が失敗した場合の陸軍発表原稿のこと。この時はアラモゴード戦域の司令官が簡単な発表をすることになっていた。これで見るとローレンスは4種類の原稿を書かされたことになる。)

  実験が成功だった場合に、大統領によってなされる声明の提案内容に関しての委員会の一致見解は、大統領は、ラジオを通じての、あるいは可能的に議会に対しての、短い発表をすべきであり、兵器(原爆のこと)の一般的性格、軍事的あるいは国際的な意味に関する一般的性格に限る、というものである。

 この(短い大統領)声明は、計画事業の歴史、この計画事業の技術的段階に関する議論、イギリスとの協力関係を幾分示唆する内容、(原爆の)適切な管理を担保するために必要な法制化を採用する意図、などを含んだ、さらに完全な公式声明で後追いすべきである。

 これら当初の声明に続いて、さらにこの計画の詳細にわたるその他の声明を発する件については、熟慮される。

(* 結局、アラモゴードでの最初の原爆実験の後、この大統領声明は発表されなかった。それ自体、「日本に対する事前の警告」になるからだ、と私は判断している。アラモゴード付近の地域新聞に向けて小さな陸軍省声明が発表されたと読んだことがあるが、私はこの声明、あるいは地域新聞の記事を確認していない。)

 ページ氏とローレンス氏が、この種の声明の性格が、実験と「実際の使用」(actual use)の結果に、極めて大きく依存していることを念頭に置きつつ、示された一般的な表現と共に原稿に再度取り組むことで、(委員会)は合意した。またこの発表がなされる時に存在する国際的な状況に鑑み、後での変更が生ずるかも知れない、ことも合意した。

(* 極めて微妙な表現である。問題はここでいう大統領声明は、「実験」についてのみなのか、と言う点である。しかしここでは「実際の使用」と明確に云っている。つまりこれは「対日使用」のことだ。だからいつの間にか、「実験後」と「実際の使用後」に行われる大統領声明がセットになって議論されていることがわかる。つまりこの時点では「対日使用」は、すでに決定事項だったのだ。とすれば、「対日使用」を決定したのはいつか?そして誰か?そしてその政策意図は何か?) 

 

V. ブッシュ―コナント メモランダム

   「ブッシュ−コナント メモランダム」(Bush-Conant Memorandum)の中で、指摘されている諸点を議論する中で、ケベック合意のもとでのわれわれの義務に関して、疑問が提起された。この合意は、署名国一方の合意なしにこの兵器を第三国に使用できないことを要求している。従って、合衆国がいかなる国に対してもこの兵器を使用できる以前に、イギリスの同意を確保しておかねばならない。しかし、現地実験の場合においては、いかなる事前の同意も要求していない、との指摘があった。

 委員長代行は、イギリスが公式発表と国内管理の問題を研究するため、暫定委員会と似たような委員会の設立を検討している、と報告した。

 近い将来、イギリスのグループが、並行的な行動を調整するため、暫定委員会に接触したいとする事態は大いにありそうだ。しかしながら、これは委員長代行の考えであり、彼の考えが委員会の大勢を占めたのだが、今の時点でいかなる交流の調整を行うことは、賢明とはいえない。 

W. 次回会合

次回会合は、1945年5月31日(木)、午前11:00、陸軍長官の執務室で開催予定。


R. ゴードン・アーネソン (署名) アメリカ陸軍 少尉 書記