【NPT 関連資料】 (2010.6.23)


2010年5月7日NGOグループ一般討議
広島市長 秋葉忠利 演説
<原文:http://www.un.org/en/conf/npt/2010/pdf/mayorakiba-final.pdf
広島市に確認すると、現在翻訳中で、翻訳ができあがったら広島市のサイトに掲載する、という事なのでそれを待っていたら、掲載されたのは演説の要約と称する文章だった。
(<http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/
1275460671593/index.html
>)


 閣下、またお集まりの皆さん、広島市民を代表して、特に被爆者を代表して、また平和市長会議に属する世界中の約4000人の市長を代表して、ここに一言述べさせていただくのを名誉に思います。
 厳密には、秋葉の演説は平和市長会議を代表したものではない。というのは平和市長会議を代表して演説したのは、次の16番目の長崎市長の田上富久だったからだ。秋葉のNGOとしての資格はあくまで「広島市長」の資格だった。)
 
 2週間前、「インターアクション・カウンシル」(日本語でいうOBサミット)が広島で第28回総会を開きました。そこでは15人の元国家元首や政府首脳、19人の特別ゲストが参加し、いかに人道主義が「核のない世界」を実現すべきかについて議論しました。

 最終共同声明で、彼らは、世界のリーダーたち、特に核兵器武装国が広島を訪れ、核兵器による苦しみと破壊について理解を深め、核兵器の危険について人々に知らせることを、鋭い緊急性をもって、勧奨いたしました。

 世界中のほぼ4000人の市長も同意しています。(それらの)都市や市長たちは、私たちのほとんどが、何度となく、戦争やその他の悲劇に起因する、痛み、苦しみ、苦闘を経験しているがゆえに、過去を記憶しておくことの重要性を理解しています。 

 一つの厳粛なる事実は、私たちすべて、市長や市民すべてが「二度と再び起こってはならない」という結論に、一致して達していると云うことであります。

 被爆者の言葉に、“私たちが経験した苦しみは他の誰も味わってはならない”。

 どうか、“誰も”という表現は文字通り、私たちが敵だと見なしている人々も含んで“すべての人が”という意味なんだ、ということを特筆しておいてください。

 それが和解の精神(the spirit of reconciliation)であり、報復を為さない精神であります。

 ローマ法王、ヨハネ・パウロU世はこのメッセージを神聖化しました。1981年広島の平和公園で行った演説で彼は、「過去を記憶することは自ら未来に関与することである。」と主張しました。(assertedが原文で使われている!)

 しかし、決定する力をもった人たちのすべてが、ある決められた時間内に核兵器のない世界に導く交渉を、即座に開始することを選択しない限り、未来は決してやってきません。

 平和市長会議は、2020年までにそのゴールに達することができると信じています。

 2020年という年は、被爆者の平均年齢を考えると自然から与えられた期限(limit)であるがゆえに、基本的であります。被爆者の平均年齢は75歳です。

 被爆者が生きている間に核兵器廃絶を行う義務を私たちは負っています。私たちはそうすることを被爆者に負っています。被爆者はその苦しみと犠牲を通して、核兵器は絶対悪であることを我々に示してきました。

 もし私たちがこの被爆者の希望を否定するなら、それは「他の誰もその苦しみを味わってはならない」とする彼らの希望をも否定することになります。

 時間は基本要素です。私たちがよく知っているように、肝心なタイミングを外しては、すべてがダメになるという事態が時に起こりえます。飢えている人に餓死してから食べ物を持っていっても遅すぎます。私たちのケースでは人類の生存がかかっています。

 結論的に云って、核兵器の廃絶はより良き未来の創造に関わるすべての機関、特に国連にとってトップの議題であります

 核兵器のない世界を要求する市長たちの一致した声は、それぞれの市民の心に根差していることに加えて、世界の著名な指導者たち、被爆者の緊急性の意味を共有している指導者たちも軍縮への新たな潮流を作りだしています。

 オバマ大統領はこのゴール達成へ向けて疲れも知らずに努力しています。潘基文国連事務総長もそれに関わっています。NAM(Non-Aligned Movement=非同盟運動諸国)のパートナーやその他多くの諸国もこの再検討会議ですでに支持の声をあげています。

 要求されていることのすべては、被爆者の生きているうちに「核兵器のある世界」から脱しようとする政治的意志であります。あなた方はその政治的意志を生み出す権力を持っています。どうか将来のすべての世代のためにその権力を行使してください。

 私たち、世界中4000都市の市民は、とりわけ広島と長崎の被爆者は、私たちの望みが実現するようあなた方とともに全力を尽くします。共に核兵器を廃絶することが出来ます。“イエス、ウイ・キャン” ご静聴ありがとうございました。

 秋葉の演説はこれだけである。なにも云っていないに等しい。というのは、NPT再検討会議自体は1995年の延長会議での結論と2000年の最終合意で核兵器の完全軍縮(すなわち廃絶)を決定し、その具体的政治課題を議論するために集まっている。ここで秋葉が述べていることは、この会議の目的の一つを単に、舌足らずに同義反復しているに過ぎないからだ。

 しかも2020年という時間的期限は、政治日程を詳細に積み上げた結果ではなく、単に現在の被爆者の平均余命から割り出した、一方的希望であることも自ら暴露している。

 被爆地広島市長として、核兵器や核兵器体系に関する独自の研究や考察、思索からなされている提言は一つもない。

 どころか、核兵器廃絶の期限を切ろうとした非同盟運動諸国の努力を過少評価し、再検討会議の場においてもオバマ賛美を繰り返すことで、核兵器保有国を免罪すらしてやっている。

 さらに、しかも、この短いステートメントの中で、秋葉は致命的な論理矛盾を犯している。2020年、すなわち「被爆者の平均余命の上限」内に核兵器廃絶を行うことが何よりも重要なことだというなら、決してオバマを支持出来ないはずだ。論理的にはそうなる。なぜならオバマはプラハ演説で「核兵器廃絶は私の生きているうちは実現できないでしょう。」と明確に述べているからだ。そしてオバマは「核兵器の廃絶のその日まで、アメリカは有効で信頼の出来る核兵器軍事力を維持し、核抑止力であなた方を守ります。」とプラハ市民に向かって約束もしている。

 この演説を聴いた人たちは、秋葉の真意がどこにあるのか、彼の主張の矛盾をどう評価すべきなのかを図りかねて戸惑うばかりだろう。

詳しくは『岩国への連帯:「聖地ヒロシマ」は問題を深めているか?』を参照のこと
http://www.inaco.co.jp/isaac/back/029/029-3.htm