No.29-3 2010.6.13
岩国への連帯:「聖地ヒロシマ」は問題を深めているか?
第3回 日本の核兵器廃絶運動の道筋と広島市長の役割

被爆者の悲惨を訴えることが核兵器廃絶運動?

 第2回では、「核兵器とは何か?」という問題と真剣に取り組み、それぞれの定義を与えつつ、自国から核兵器を追放した諸国を見、もともと核兵器保有国にとっては核兵器独占のツール、言い換えれば核兵器不拡散条約という典型的な不平等条約の補完的機能しか持たなかった「非核兵器地帯」を逆手にとって、核兵器実戦配備のネットワークに風穴をあけつつ、核兵器保有国を包囲しつつある多くの地球市民の粘り強い努力を見てきた。そしてこれが、彼らの核兵器廃絶運動であることを見、ここが日本における核兵器廃絶運動との決定的違いであることを見てきた。

 日本の「核兵器廃絶運動」は「ヒロシマとナガサキ」の悲惨を世界に訴える、という形で進んできた。それは、「ヒロシマとナガサキ」で起こったことを世界が知れば、自動的に核兵器廃絶が行われる筈だ、という一種非科学的な信念に基づいていた。現在もそれは基本として変わっていない。

 世界が被爆者の悲惨を知れば、それは確かに核兵器実戦使用の歯止めにはなってきたであろう。核実験や原子力発電所事故で、世界中に生じた「ヒバクシャ」(これは現在ではグローバル・ヒバクシャと呼ばれている。)とは異なった一種の迫真性と説得力があるからだ。しかしそれは、基本的に「核兵器廃絶」とは関係ない。「核兵器製造と保有」「核兵器実戦配備による威嚇と世界支配」は全く異なる原理とメカニズムで動いているからだ。

 しかし、1945年8月以来、核兵器体系とそのメカニズムの調査、研究と思索を怠り、ここに単に「ノーモア・ヒロシマ」「ノット・エニイモア・ナガサキ」と呟くのみで、歴史的・政治的思考停止状態に陥ってきた「聖地ヒロシマ」や「ナガサキ」には、もう「被爆者の悲惨」しか語るべき内容はなくなってしまっている。


再検討会議は被爆体験を語る場か?

 例えば、2010年NPT再検討会議5月7日はNGOグループの一般討議だったが、その日の3番目は日本原水爆被爆者団体協議会(日本被団協)の演説だった。演説に立ったのは長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄(すみてる)だった。彼の演説は次のサイトで読める。
 (<http://www.un.org/en/conf/npt/2010/pdf/japanconfederation.pdf
また日本語では次の朝日新聞のサイトで読める。
http://www.asahi.com/national/update/0508/SEB201005080009.html>)


 一読しておわかりのように、彼の演説は100%被爆体験である。NPT再検討会議は、自分の被爆体験を語る場ではなかろう。自分の被爆体験を通して、なぜ今も核兵器がなくならないのか、なにが障害になっているのか、そして核兵器廃絶を達成するためにはどんな取り組みを行わなければならないのか、を語り、もって地球市民の参考に供するべきだろう。にも、関わらず谷口は100%被爆体験に終始した。これは被爆体験を語ることが、すなわち核兵器廃絶に直結するという、根拠のない谷口の信念に基づく、と云わざるを得ない。

 また「広島と長崎の被爆者」は自分の被爆体験以外に語るべき内容をもたない、ということでもある。彼らには自分の被爆体験が何に由来し、それがどんな戦後世界を構築し、被爆者として何を為さねばならないか、という課題を全く見失っている。そして自ら考える能力を全く失っている。今は1950年代でも、60年代でも、70年代でもない。21世紀なのだ。にも関わらず彼らは(広島と長崎の被爆者は)、ひたすら自らの「人間的悲惨」の世界に沈倫してしまっている。またそれを助長する既成マスコミ(それはもうジャーナリズムですらないだろう。ちんどん屋であり、良く言ってPRジャーナリズムだ。)とそれを「聖域」に祭りあげてしまった「学者」や「研究者」が存在している。

 それを象徴するのが、2010年NPT再検討会議における日本被団協代表谷口稜曄の演説だ。朝日新聞が大いに持ち上げているので、もう一度谷口の演説をよく読んでおいて欲しい。

 これまで見てきた地球市民の核兵器廃絶問題に関わる、それぞれ自分の立場からの深く考察した、思慮深い取り組みとは、はっきり一線を画している。

 第2回で紹介した、NPT最終文書の第T部第82項の「非核兵器地帯創設」に関わる市民社会とそれに支えられた各国政府への言及は、決して日本の被爆者や日本政府のことではなく、日本の被爆者とは一線を画す地球市民のことを述べている。


秋葉忠利の無内容

 2010年5月7日、NGOグループ一般討議の15番目は広島市長として特別な資格を与えられた秋葉忠利の演説だった。

 秋葉の演説は英語で書かれたもの
原文は次。<http://www.un.org/en/conf/npt/2010/pdf/mayorakiba-final.pdf>)だった。広島市に確認すると、現在翻訳中で、翻訳ができあがったら広島市のサイトに掲載する、という事なのでそれを待っていたら、掲載されたのは演説の要約と称する文章だった。
(<http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/
1275460671593/index.html
>)

 こんな短い演説の要旨も要約もないものだが、秋葉はこの大事な会議で次のようにのべた。

 『閣下、またお集まりの皆さん、広島市民を代表して、特に被爆者を代表して、また平和市長会議に属する世界中の約4000人の市長を代表して、ここに一言述べさせていただくのを名誉に思います。
 厳密には、秋葉の演説は平和市長会議を代表したものではない。というのは平和市長会議を代表して演説したのは、次の16番目の長崎市長の田上富久だったからだ。秋葉のNGOとしての資格はあくまで「広島市長」の資格だった。)
 
 2週間前、「インターアクション・カウンシル」(日本語でいうOBサミット)が広島で第28回総会を開きました。そこでは15人の元国家元首や政府首脳、19人の特別ゲストが参加し、いかに人道主義が「核のない世界」を実現すべきかについて議論しました。

 最終共同声明で、彼らは、世界のリーダーたち、特に核兵器武装国が広島を訪れ、核兵器による苦しみと破壊について理解を深め、核兵器の危険について人々に知らせることを、鋭い緊急性をもって、勧奨いたしました。

 世界中のほぼ4000人の市長も同意しています。(それらの)都市や市長たちは、私たちのほとんどが、何度となく、戦争やその他の悲劇に起因する、痛み、苦しみ、苦闘を経験しているがゆえに、過去を記憶しておくことの重要性を理解しています。 

 一つの厳粛なる事実は、私たちすべて、市長や市民すべてが「二度と再び起こってはならない」という結論に、一致して達していると云うことであります。

 被爆者の言葉に、“私たちが経験した苦しみは他の誰も味わってはならない”。

 どうか、“誰も”という表現は文字通り、私たちが敵だと見なしている人々も含んで“すべての人が”という意味なんだ、ということを特筆しておいてください。

 それが和解の精神(the spirit of reconciliation)であり、報復を為さない精神であります。

 ローマ法王、ヨハネ・パウロU世はこのメッセージを神聖化しました。1981年広島の平和公園で行った演説で彼は、「過去を記憶することは自ら未来に関与することである。」と主張しました。(assertedが原文で使われている!)

 しかし、決定する力をもった人たちのすべてが、ある決められた時間内に核兵器のない世界に導く交渉を、即座に開始することを選択しない限り、未来は決してやってきません。

 平和市長会議は、2020年までにそのゴールに達することができると信じています。

 2020年という年は、被爆者の平均年齢を考えると自然から与えられた期限(limit)であるがゆえに、基本的であります。被爆者の平均年齢は75歳です。

 被爆者が生きている間に核兵器廃絶を行う義務を私たちは負っています。私たちはそうすることを被爆者に負っています。被爆者はその苦しみと犠牲を通して、核兵器は絶対悪であることを我々に示してきました。

 もし私たちがこの被爆者の希望を否定するなら、それは「他の誰もその苦しみを味わってはならない」とする彼らの希望をも否定することになります。

 時間は基本要素です。私たちがよく知っているように、肝心なタイミングを外しては、すべてがダメになるという事態が時に起こりえます。飢えている人に餓死してから食べ物を持っていっても遅すぎます。私たちのケースでは人類の生存がかかっています。

 結論的に云って、核兵器の廃絶はより良き未来の創造に関わるすべての機関、特に国連にとってトップの議題であります

 核兵器のない世界を要求する市長たちの一致した声は、それぞれの市民の心に根差していることに加えて、世界の著名な指導者たち、被爆者の緊急性の意味を共有している指導者たちも軍縮への新たな潮流を作りだしています。

 オバマ大統領はこのゴール達成へ向けて疲れも知らずに努力しています。潘基文国連事務総長もそれに関わっています。NAM(Non-Aligned Movement=非同盟運動諸国)のパートナーやその他多くの諸国もこの再検討会議ですでに支持の声をあげています。

 要求されていることのすべては、被爆者の生きているうちに「核兵器のある世界」から脱しようとする政治的意志であります。あなた方はその政治的意志を生み出す権力を持っています。どうか将来のすべての世代のためにその権力を行使してください。

 私たち、世界中4000都市の市民は、とりわけ広島と長崎の被爆者は、私たちの望みが実現するようあなた方とともに全力を尽くします。共に核兵器を廃絶することが出来ます。“イエス、ウイ・キャン” ご静聴ありがとうございました。』

 秋葉の演説はこれだけである。なにも云っていないに等しい。というのは、NPT再検討会議自体は1995年の延長会議での結論と2000年の最終合意で核兵器の完全軍縮(すなわち廃絶)を決定し、その具体的政治課題を議論するために集まっている。ここで秋葉が述べていることは、この会議の目的の一つを単に、舌足らずに同義反復しているに過ぎないからだ。


秋葉の論理矛盾

 しかも2020年という時間的期限は、政治日程を詳細に積み上げた結果ではなく、単に現在の被爆者の平均余命から割り出した、一方的希望であることも自ら暴露している。

 被爆地広島市長として、核兵器や核兵器体系に関する独自の研究や考察、思索からなされている提言は一つもない。

 どころか、核兵器廃絶の期限を切ろうとした非同盟運動諸国の努力を過少評価し、再検討会議の場においてもオバマ賛美を繰り返すことで、核兵器保有国を免罪すらしてやっている。

 さらに、しかも、この短いステートメントの中で、秋葉は致命的な論理矛盾を犯している。2020年、すなわち「被爆者の平均余命の上限」内に核兵器廃絶を行うことが何よりも重要なことだというなら、決してオバマを支持出来ないはずだ。論理的にはそうなる。なぜならオバマはプラハ演説で「核兵器廃絶は私の生きているうちは実現できないでしょう。」と明確に述べているからだ。そしてオバマは「核兵器の廃絶のその日まで、アメリカは有効で信頼の出来る核兵器軍事力を維持し、核抑止力であなた方を守ります。」とプラハ市民に向かって約束もしている。

 この演説を聴いた人たちは、秋葉の真意がどこにあるのか、彼の主張の矛盾をどう評価すべきなのかを図りかねて戸惑うばかりだろう。


マイケル・ホンダの“和解”と秋葉の“和解”

 もうひとつ私が、どうしても見逃せない秋葉の言葉使いがある。それは「和解」(reconciliation)という言葉だ。

 秋葉によれば、「和解」とは、“私たちが経験した苦しみは他の誰も味わってはならない”とする被爆者の精神のことであり、相手に報復しない精神のことだ、ということになる。

 言い換えればこれは「ノーモア・ヒロシマ」の思想であり、「繰り返しません、過ちは」の思想だろう。相手を恨まず、すべて水に流しましょう、ということでもある。

 これは「和解」なのか?

 つい最近、全く同じ言葉を使って、「和解(reconciliation)」を定義した人間を私たちは知っている。それはアメリカの下院議員、マイケル・マコト・ホンダだ。

 2007年、カリフォルニア州選出アメリカ議会下院議員マイケル・マコト・ホンダ(彼は日系2世でもある)は、自ら提案者の一人となって「旧帝国日本軍性奴隷制度非難決議案」を議会に上程した。

 ホンダ議員は、2007年2月15日、同決議案を審議する「アジア・太平洋・地球環境に関する外交小委員会」(Foreign Affair Subcommittee on Asia, the Pacific and Global Environmental)において、提案者として同決議案を支持する証言を行った。
「マイク・ホンダ議員の米下院小委員会での証言」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/comfort_women/mike_honda.htm>)

 この証言の中で、ホンダは「この決議案は、戦後日本とアジア社会との和解を準備するものであります。」とした上で次のように述べている。

 私は米国下院の議員諸君に次のことをお願いしたい。謝罪に歴史的意義があるのであり、対立を和解(reconcile)するにせよ、過去の行為に対して贖罪を行うにせよ、まず謝罪がどうしても必要な第一のステップであることを理解して頂きたいと言うことです。
 われわれの政府も過ちを犯してきました。しかし、われわれの知恵で、誤った行為を認めるという困難な選択をしてきたではありませんか。』

 ここで、ホンダが云っているアメリカ政府の過ち、というのは戦時中の「日系人強制収容」のことを言っている。またそれを認めたというのは、1988年、法案H.R.422「市民自由法」(The Civil Liberties Act 通称:日系アメリカ人補償法と呼ばれることがある。)を議会通過させ、当時の大統領ロナルド・レーガンがこれに署名して、きっぱりした曖昧さのない形で日系社会に対して謝罪し、補償したことを指している。


「和解」の段階とその定義

 そしてホンダが執筆したこの決議案には次のように書かれている。
「2007年1月31日に上程された「旧日本帝国陸軍性奴隷制度非難決議案」
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/018/hinanketugi.htm>)

日本政府はー、
(1) 日本政府は公式に、1930年代から第二次世界大戦の期間中、アジアおよび太平洋の諸諸島の植民地的占領地域における日本帝国軍隊が強制した、世に「コンフォート・ウーマン」として知られる若い女性の性奴隷制度の存在を、明確にまた曖昧でない形で、確認し、謝罪し、責任を取るべきである。
(2) 日本の首相は、かの公的な権能をもって公的な声明の形で謝罪を表明すべきである。
(3) 旧日本帝国軍隊の「コンフォート・ウーマン」の人身密売や「性奴隷制度」は二度と起こらないことを明確にかつ公的に述べ、その誤りを明らかにすべきである。
(4) 「慰安婦」問題に関して、現在や将来の世代に対しその犯罪性について教え、また国際社会に対してもそうすることを勧奨すべきである。』


 この証言と決議案の文面から読みとれる、ホンダの「和解」(reconciliation)の定義は明確だろう。すなわちホンダにおいては、和解とは次の段階をたどる。

1. 曖昧さのない形で事実関係を確認すること。
2. 事実関係を認めた上でのきっぱりとした謝罪(補償を含む)
3. 謝罪した上でそれが2度と起こらないことへの保証。
4. 2度と起きないような次世代への教育、国際社会への勧奨。

 これが、ホンダの云う「和解の定義」である。

 もし、1945年の原爆投下に対してアメリカ政府がこの「和解」へのステップを取っていたとしたら、「核兵器廃絶」などはとうに実現していたはずだ。

 だから正しい和解は、豊かな未来を約束する。

 だが、秋葉の和解は全く同じ日本語と英語を使っていても、その内容において天と地の開きがある。秋葉の和解は、その実和解ではなくて、問題の後世への先送りである。先送りをしていては、いつまでも「核兵器廃絶」は実現しない。


秋葉と谷口の共通性

 さて、この秋葉の演説と被爆体験一本槍の日本被団協代表谷口稜曄の演説に共通性があることにもうお気づきだろう。

 それは「核兵器廃絶問題」をそれぞれの立場から、真剣に調査研究したり、思索したり、そこから具体的な政治的提言を全くおこなっていないということだ。「核兵器廃絶」の「スローガン化」といっても構わないし、「無内容化」といってもいい。

 そしてこのこと(すなわち核兵器廃絶の「スローガン化」あるいは「無内容化」)は、現実の政治的課題に対して全く無力である。その無力であることの証拠が、冒頭に引用した広島市長・廿日市市長連名の「要請書」であろう。

 もし秋葉や谷口が、「ヒロシマ・ナガサキ」以後の世界の核兵器問題を丁寧に研究し、核兵器が今も、世界市民威嚇の道具として使われ、そのためにこそアメリカが日本に前線基地を置いていることを理解したとしたら、NPT再検討会議でとてもあのような、無意味で無内容なことは語らなかったろう。

 もし、秋葉や谷口が(ついでに長崎市長の田上富久も加えておこう。田上の演説は次。<http://www.un.org/en/conf/npt/2010/pdf/mayortaue.pdf>。なお田上の演説は日本語で書かれており、英語の演説はその英語翻訳である。日本語の演説は次。<http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/mayor/teirei/nptsiryou.pdf>。この日NGO全体の演説は次。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/NPT/2010_speaker_list_NGO.htm>。NGO全体の演説と合わせよめば、この3人がいかに無内容なことを語ったかがさらに際だつであろう。)、世界の多くの市民と共に、現在の「核兵器」あるいは「核兵器体系」について理解をし、「非核兵器地帯」を実現した世界の多くの市民と共に、「自分たちの暮らしている空間」に一切核兵器などといったものの存在を許さない、と固く決意し、それへの具体的な政治的取り組みが、実は「スローガン」でなく、また「無内容化」されない、「核兵器廃絶運動」なのだ、と理解し、そして真に「和解」の精神を理解していたとすれば、例えば秋葉は、NPT再検討会議のNGOセッションで次のように述べたかも知れない。

その職責にふさわしい手腕と見識を持った市長

 『日本政府とアメリカ政府は、日本の議会に諮ることもなく、また選挙で我々日本市民の意志を問うこともなく、2006年日本に駐留してアメリカ軍の再編計画を承認、決定しました。(<http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_aso/ubl_06/2plus2_map.html>)

 この再編計画に従えば、広島からわずか20マイルしか離れていない地、岩国という所にあるアメリカ軍海兵隊基地に、アメリカ海軍第5空母航空団が2014年までに移駐して来ることになります。

 第5空母航空団の主力は3つの飛行大隊からなる、37機のスーパーホーネットであります。

 スーパーホーネットはここにいらっしゃる皆さんが良くご存じのようにB61という核爆弾を搭載できる核兵器搭載戦闘爆撃機であります。いいかえれば、私たち広島市民は、スーパーホーネット自体が核兵器体系の重要な実戦配備軍事力だと断ぜざるを得ません。

 またこの核兵器が、アメリカ・オバマ政権が云うところの核の3本柱(Triad)の重要な一つであることは明白であります。

 また、再編計画に従えば、岩国から半径100海里以内で、このスーパーホーネットの恒常的航空母艦離発着訓練場を設定することになっております。そこがどこに決まろうが、「聖地ヒロシマ」がスーパーホーネットの日常的行動範囲内に入ることは明白であります。

 議長、そしてここにお集まりの皆さん。

 皆さんがよくご承知のように今から65年前広島は長崎と共に、核兵器の辱めを受けました。その時、一瞬にして多くの市民が殺されました。その後もそれが原因で多くの市民が亡くなり、また生きていても、バーチェットが「原子の伝染病」と呼んだ「病気」で苦しんでいます。

 またこの問題に関し、広島市民はアメリカ政府と歴史的和解を遂げていません。

 歴史的和解を遂げないまま、またそれはある意味当然のことだと云わなければなりませんが、今また、広島は、スーパーホーネットという核兵器に辱めを受けようとしております。

 私たち日本の市民は、こうした状況を回避しようと2009年日本の下院(衆議院)選挙で、アメリカと約束した旧自民党政権からその権力を奪い、民主党に政権を委ねました。

 ところが、アメリカのオバマ政権は、この民主党政権に露骨な圧力を加え、アメリカ大統領オバマは日本の首相鳩山に対して「晩餐会の屈辱」とも云うべき叱責を加え、彼をクビにしました。

 跡を継いだ管内閣はオバマ政権に対して、すでに全面的に白旗を掲げ、従順を誓いました。

 日本の国内政治の上では万事休すであります。

 しかし、私は広島市長として、65年前の屈辱をもう一度広島市民に味合わせるわけにはいきません。

 幸いにして私は、今日広島市長として、このNGOセッションで特別な資格を与えられて発言を許されています。

 ですから、私は皆さんに訴えたい。広島市長としての特権を行使して皆さんにお願いしたい。

 もし皆さんが、今でもヒロシマを「聖地」だと見なしていてくださるなら、最終合意文書に一行だけ書き加えていただきたい。

 「いつ、いかなる条件においても“聖地ヒロシマ”が核兵器体系の辱めを受けることは許されない。それが辱めに相当するかどうかは広島市長と広島市議会の判断に全面的に委ねる。」と。

 もちろん、この辱めを受けないように広島市民は全力を挙げることをここに誓います。それが今広島市民が取り組むべき「核兵器廃絶」への道筋なのだと信じます。』

  しかし、秋葉は以上のようには述べなかった。無内容な同義反復をした上で、オバマ賛美を行って、非同盟運動諸国の失笑を買った。

 ならば、我々は、その職責にふさわしい見識と手腕を持って広島市民を守る新たな市長を選び直すまでだ・・・。  

(了)