(2010.2.22)
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<参考資料>厚木から岩国にやってくるもの―米軍再編 太平洋艦隊第5空母航空団 (United States Pacific Fleet, Carrier Air Wing Five -CVW-5)

◆第2回◆

恒常的な空母艦載機離発着訓練施設のための移駐

 ええと、話はどこまででしたっけ?

 ああ、そうそう、「湾岸戦争」が始まるとほぼ同時に、CVW−5(アメリカ海軍第5空母航空団)の艦載空母が「ミッドウエイ」から「インディペンデンス」に交代し、またCVW―5の「上陸訓練」場所が厚木周辺地域から、1000Km以上も離れた硫黄島に、変更になった所までした。

 そして「硫黄島」は、あくまで暫定訓練地域に過ぎず、そのうち本格的な「訓練地域」が決定される予定だ、という所までした。

 いま私もやっと気がついたのですが、CVW−5が厚木から岩国にやってくる2014年が、恐らく「本格的な訓練地域」実施の時期に違いないでしょう。基地周辺地域で日常業務である「訓練」ができないとなると、これはCVW−5にとって大きな痛手でしょうから。別な言い方をすれば、CVW−5が厚木から岩国に移ってくる目的は、一つには、「ロシア」や「北朝鮮」を警戒する必要がなくなって、台湾海峡や中東地域がさらに大きな軍事警戒対象となったことは事実としても、近間で「日常訓練」ができる基地が必要になったという要素も結構大きいのではないかと思います。

 そう言う目で、「米軍再編ロードマップ」(「再編実施のための日米のロードマップ−仮訳」<http://www.mofa.go.jp/mofaJ/kaidan/g_aso/ubl_06/2plus2_map.html>)を読み直してみると、なるほどありました。

・訓練空域及び岩国レーダー進入管制空域は、米軍、自衛隊及び民間航空機(隣接する空域内のものを含む)の訓練及び運用上の所要を安全に満たすよう、合同委員会を通じて、調整される。
・恒常的な空母艦載機離発着訓練施設について検討を行うための二国間の枠組みが設けられ、恒常的な施設を2009年7月又はその後のできるだけ早い時期に選定することを目標とする。』

 英語正文では

Training airspace and Iwakuni RAPCON airspace will be adjusted to fulfill safely the training and operational requirements of U.S. forces, Japan SDF, and commercial aircraft (including those in neighboring airspace) through coordination by the Joint Committee. A bilateral framework to conduct a study on a permanent field-carrier landing practice facility will be established, with the goal of selecting a permanent site by July 2009 or the earliest possible date thereafter.』

 となっている部分です。(同英語正文<http://www.mofa.go.jp/region/n-america/us/security/scc/doc0605.html>

 とここまで書いてきて、私はアレ?と思いました。日本語仮訳と英語正文が若干違うような気がするからです。

 英語正文を忠実に訳してみましょう。

 訓練空間及び岩国レーダー進入管制(RAPCONと呼ばれている部分です。)訓練区域は、アメリカ軍及び日本の自衛隊、民間航空機(その近隣空域を含む)の安全な訓練上及び作戦上の要求を満たすべく調整される。(その調整は)合同委員会のコーディネイトを通じて行われる。恒久的な「空母艦載機離発着訓練」施設に関する研究は二国間の枠組みにおいて主導されるが、この枠組みは2009年7月またはそれ以降のできるだけ早い時期に恒久的(訓練)場所を決定することを目標として設立される。』

 まず問題は、日本語仮訳では、「訓練空域」を、米軍、自衛隊、民間航空機全体の安全を考えて調整しなさい、と読める箇所です。しかし、英語正文ではかならずしもそうなっていません。「米軍の訓練及び作戦上の要求」を満たすために、自衛隊、民間航空機の空域を調整しなさい、と読めます。わかりやすく言えば、「訓練空域」の設定にあたっては、自衛隊機や民間航空機空域が「米軍」のジャマにならないように「安全に」設定しなさい、という事になります。

 次に、この記述に従えば、この恒常的な「訓練施設」の場所は2009年7月までに決定することを目標にしています。またそれに間に合わない場合でも「できるだけ早く」決定することを謳っています。今は2010年2月です。ですからすでにこの候補地は「岩国から200Km以内」ですでに決定されている可能性が高いと思います。それはどこなのでしょうか?

 200Km以内(正確には100海里以内)というと日本近海でしょう。これが発表されれば一悶着あることは確実です。

 この際ついでに白状しておきますが、この文章を読み比べて、始めて自分がとんでもない誤訳をしていることに気がつきました。

 第一回目で私は、

1991年8月、航空母艦「インディペンデンス」が「ミッドウエイ」と交代した。また同時に、1991年、日本においては「NLP」として知られる、現場航空機上陸訓練が、地域社会の環境への配慮から、基地と650マイルも離れた硫黄島に暫定的に移された。これは基地から100海里以内で上陸訓練ができる場所が決定されるまでの処置である。』

 と書き、「上陸訓練とは何かわからないが、ともかく大事なものであるらしい。」と書きました。この「上陸訓練」に相当する英語は「Landing Practice」でした。これは上陸訓練のことではなく、「空母艦載機離発着訓練」(field-carrier landing practice)のことだと始めて気がついた次第です。

 ならばわかります。スーパーホーネットは、全天候型の超音速機です。それがわずかの長さしかない航空母艦の甲板上で離陸・着陸します。離陸そのものも危険な行為です。十分な揚力をえられないまま、甲板の外に出てしまうとそのまま海に頭からつっこんでしまいます。着陸となるとそれはもうそれだけでアクロバット芸です。何しろ音速、場合によれば超音速で巡航している戦闘機を、急減速・急降下させて、わずか300m程度の航空母艦の甲板上で停止しなければならないのですから。スーパーホーネットのパイロットから見ると、まるでマッチ箱の上に着陸する気分ではないでしょうか?

 着陸時には甲板上に何条か張ってある太いワイヤロープに、スーパーホーネット前方から突出させたフックをうまく引っかけ、やっと停止するという具合です。いったん甲板上の着地しておいてからすぐに飛び立つ、いわゆるタッチ・アンド・ゴーになるとその危険度はさらに増します。

 日常の神経をすり減らすような訓練なしに、そうした瞬時の動作を体にたたき込むことはできません。頭で考えている時間などないのですから。彼らが訓練に励むのはむしろ当然といえましょう。

 どちらにしても、われわれの暮らしに大いに関連するこの2つの政府間の取り決めの正文が英語であり、日本語正文が存在しないことが大きな問題です。そして、この日本語への訳がいつまでも「仮訳」であることが大きな問題です。

 これらを越えた最大の問題は、外務省がこれらを「二国間の取り決め」としている点です。「二国間」の取り決めというのなら、ちゃんと「両国の国民議会―すなわち日本の国会とアメリカ議会」で批准してからそう言わなくてはなりません。いまのままでは、単に時の小泉政府とアメリカのブッシュ政府の取り決め、すなわち「時の政府間の行政協定」に過ぎません。これを金科玉条のように、絶対動かすことができない約束扱いするのが変梃リンなのです。


中東・西アジア軍事展開のためのCVW−5

 もう一つ、先ほどの記述から面白い事実が窺えます。それは湾岸戦争が始まるとすぐにCVW−5(アメリカ海軍第5空母航空団)の艦載空母が「ミッドウエイ」から「インディペンデンス」に交代したことです。

 「ミッドウエイ」は、1945年就役の老朽船です。最後の華は「ベトナム戦争」の時ではなかったでしょうか?湾岸戦争にも参加しますが、すぐに「インディペンデンス」に交代します。航空母艦「インディペンデンス」も決して新型船とは云えません。しかし就役が1959年と「ミッドウエイ」に較べれば一世代以上も新しい航空母艦です。いずれも横須賀を母港としていましたが、このことは、アメリカ海軍やCVW−5にとって、中東地域が、東アジア地域よりもさらに重要性を増してきていることを意味しています。つまり、私たちは、日本のアメリカ軍を通じて、知らず知らず中東地域の戦争に深く関わって来ていることも意味しています。私たちはそのことにもっと関心を持つべきでしょう。

 かつて私たちは、やはりアメリカ軍を通じて、朝鮮戦争に関わり、ベトナム戦争に深く関わっていました。しかし、それは言ってみれば、多くの日本人にとって無自覚なままでした。

 やはり同じく無自覚なまま、中東地域の戦争に深く関わる愚だけは避けねばならないと思います。そうした事実に無自覚なまま、広島や長崎から「核兵器廃絶」とか「平和」、「ノーモア・ヒロシマ」を訴えるのは、もはや偽善であり、戦争で苦しめられている他の地域の人々、たとえば、パレスティナ、イラク、アフガニスタンの人々からみれば、もはや「裏切り行為」と言わなければなりません。

 ついつい柄にもなく熱くなってしまいました。CVW−5を続けましょう。

航空母艦インディペデンス(CV62)は、1992年の半ば、アラビア湾において実戦配備に就き、「南方監視作戦」(the Southern Watch operation)を開始した。その任務は(北緯)32度線以南の「飛行禁止区域」("no-fly zone")をイラクが遵守していることを監視することだった。1995年8月、インディペンデンス及び第5空母航空団は「南方監視作戦」のためアラビア湾で3度目の実戦配備に就いた。』

 湾岸戦争では、クエートに侵攻した「多国籍軍」といっても、アメリカ軍主体ですが、クエートから追い払ったイラク軍を閉じこめて、イラク国内に飛行禁止区域を設け、これにイラク軍が「侵犯」しないように監視した、という記事を新聞で読んだことがありましたが、この任務に厚木のCVW−5が実戦配備されていたことは知りませんでした。

 しかし、よく考えてみれば、これは言われなくても当然なことで、日本のアメリカ軍の受け持ち範囲は、幅広く「アジア太平洋(ハワイ以西)から南アジア、西アジア・中東地域」であれば当然のことで、それだけ広い地域を受け持っているからこそ、日本にアメリカ海軍国外唯一の「実戦配備航空団」が置かれているわけです。

1998年1月23日、就航39年の航空母艦(インディペンデンスのことです。)は、日本前線母基地、横須賀を離れ、アラビア湾へ向けて新たな任務のため出発した。

 空母「インディペンデンス」(CV−62)、ミサイル駆逐艦「ジョン・S・マケイン」(DDG−56)(同じく母港は横須賀)、ミサイル巡洋艦「バンカーヒル」(CG−52)(母港はサンディゴ)、原子力潜水艦「シャーロット」(SSN−766)(母港はパール・ハーバー)は、1998年2月5日、アラビア湾に終結した。』

 1998年2月といえば、中東地域・西アジア地域で何があったのでしょうか?湾岸戦争は1991年には一応の終結を見ていますし、アメリカ軍のアフガニスタン侵攻は2001年のことです。イランとの緊張関係、パレスティナの紛争などいろいろ考えられますが、大規模な戦争はなかったと思います。この年(平成10年)は、ケニアのナイロビ、タンザニアのダルエスサラームのアメリカ大使館で「同時爆破テロ」と称する事件がありましたが、これは8月のことです。また「サダム・フセイン殺害」狙ったと見られるアメリカとイギリスのイラク空爆もありましたが、これは12月のことです。

 ここの記事の書き方も、書き出しの荘重さの割には、また航空母艦、ミサイル駆逐艦、ミサイル巡洋艦、原子力潜水艦が終結しての大作戦を思わせる割には、なにをしたかがさっぱり書かれていません。なにか肩すかしにあったような感じです。もともとしっかりした記述があって、それがすっぽり削除されたような印象を受けます。

 ここで気がついたのですが、おそらく、実際には表立つような作戦ではなく、この時何かが計画されていたのではないでしょうか?考えてみれば私たちが知らされていることは、ほんの氷山の一角で、水面下ではもっと恐ろしいことが計画されていることでしょう。その中には不発のことだってあるでしょう。これもその一つではなかったのではないでしょうか?

 それと、

空母「インディペンダンス」(CV−62)、ミサイル駆逐艦「ジョン・S・マケイン」(DDG−56)(同じく母港は横須賀)、ミサイル巡洋艦「バンカーヒル」(CG−52)(母港はサンディゴ)、原子力潜水艦「シャーロット」(SSN−766)(母港はパール・ハーバー)は、1998年2月5日、アラビア湾に終結した。』

 という記述は、煩わしいかと思います。しかし「CV−62」「DDG−56」「SSN−766」という言い方をしないと、その兵器を特定できないのです。アメリカ海軍には同じ名前の違う軍事艦船が同時に存在することがあります。また同じ名前を持っていても、それが初代や二代目を意味することがあります。それらを特定することは大いに意味があり、煩雑さを承知でこうしていわば「艦船コード」を併記しているわけです。

 この記事を読む防衛省や外務省の東大出の役人がいたとしましょう。彼らはいうでしょう。この記事は全く信憑性のないアメリカの、聞いたこともないWebサイトの記述を使って書いたまったくデタラメな記事だと。おまけの英訳は間違いだらけだ、と。(あるいは無視を決め込むかも知れません。)

 その時、私は反論できます。たとえば「それでは、1998年2月5日、空母インディペンデンス(CV−62)はどこにいたのか?CVW−5はどこにいたのか?」と。

 アメリカ海軍のCV−62もCVW−5も一つしかありません。

 このことは小さからぬ意味を持ちます。というのは、防衛省も外務省も厚木から岩国へCVW−5がやってくることを、「日本を守るため」が第一義であり、大前提だと説明しているからです。そして今回の米軍再編を、沖縄の普天間基地が危険な状態にあるため、その危険な状況を解消するのが今回の米軍再編の出発点だ、と説明しているのです。

 しかし、これまで見てきたように、少なくとも厚木のCVW−5も横須賀の航空母艦も、別に「日本を守るため」に存在しているとは思えません。そうではなくて、あとでも詳しく見ていきますが、明らかに「中東地域・西アジア地域」に対する軍事的威嚇、イラク侵略、アフガニスタン侵略の、前線拠点として機能してきたことは明らかです。厚木から岩国へCVW―5がやってくるのは、その侵略の前線拠点が厚木から岩国に移動する、という意味以上ではありません。これは「防衛省」や「外務省」の説明する「日本を守る」ためという説明と、厚木なり岩国なりが、アメリカに取っての中東地域・西アジア地域への軍事的威嚇前線拠点、場合によっては侵略前線拠点の歴史を持ってきたという事実とは真っ向から対立します。


「防衛大臣は日本を守る防衛大臣なのか?」

 日本のアメリカ軍は日本を守っているのか?なかなか興味深い問題です。

 つい先日2010年2月20日(土)、岩国市で「米軍再編と岩国」を考えるフォーラム、というのが開かれました。現職防衛相、民主党の北沢俊美もやってきて、岩国を中心とする米軍再編問題を市民と話し合うというので、広島からも近いので勉強がてら行って見ることにしました。もしかして、いい席(なにしろ私は、相手の表情を見るために、いつもかぶりつきの席をとることにしています。)が取れないかも知れないと思って、午後6時15分開演の1時間前に会場の岩国シンフォニアに到着しました。ところが私の目論見は全く外れて、会場に到着して、並んで前を見ると、すでに目の子で300人近い人が並んでいました。時間が迫るにつれ、後には次から次へと行列ができて、ついにはフロアで折り返す始末。会場は大ホールではなくて多目的ホールなので収容人員が400席足らず。金属探知機のゲートをくぐり抜け、持ち物検査を終えて、会場に入った時には最後列を覚悟していました。ところが、ギリギリになって最前列の二列の「関係者席」に現れない関係者がいた関係上、私はラッキーにも前から2列目に座ることができました。入りきれない岩国市民はどうしたのでしょうか?別室のテレビ中継会場に入ってこの集会に参加したのでしょうか?岩国市民の熱気にはほとほと圧倒された次第です。

 この時の模様を長々描くのが目的ではありません。フォーラム(でも、あれフォーラムというんでしょうかね?壇上には、「防衛大臣・副大臣」そのとなりには、防衛省の地方協力局長井上源三を始め関係幹部が3人、上手には民主党の地元選出参議院議員の藤岡光信、同じく衆議院議員の平岡秀次がどっかり腰を落とし、岩国市民代表などは一人もいません。いいたいことを一方的に喋ってあとは市民との質疑応答という案配。まずは株主総会の会場仕立て、前列に総会屋が座っていないのがせめてものめっけものでした。)での最後の印象的な質問を引用するのが目的です。

 この日の防衛省側の説明は私には興味深いものでしたし、岩国市民の質問もオブラートに匕首を含んだような質問でなかなか鋭く面白いものでした。しかし最後に立った比較的若い男性の質問は、切実で本質を鋭くついた哲学的質問でした。

 私は岩国基地のすぐ近くに住んでいます。毎日米軍に苦しめられている私にとって、アメリカ軍が私たちを守ってくれているとはどうしても思えません。それどころか私たちの暮らしを危険なものとしています。こうした状態を何とか打開してくれると思って、「米軍再編見直し」を公約に掲げた民主党に票を入れました。(この時民主党の代議士平岡秀次の目が一瞬宙に泳いだのを私は見逃しませんでした。)そして、民主党政権が誕生し、その民主党政権の防衛大臣が、今日ここにこうやってきて下さっています。ところが、お話を聞いていると、その防衛大臣は私たちを守って呉れる防衛大臣とは思えません。防衛大臣は私たちを守ってくれるのでしょうか?』
  
 大要、以上のような質問だったと思います。

 日本の防衛大臣は、日本の市民を守っているのか?言葉のもっとも正しい意味で防衛大臣なのか?』 

そうです。これが何よりもまして根源的な問いなのです。
 防衛相の北沢の表情には、一瞬怒気のようなものが走ったと思います。そうして次のように一気にまくし立てました。
 
 今度ハイチ大地震に自衛隊が行く時、自衛隊は自前の空輸手段を持たなかった。日本の自衛隊は、日本近辺を守るように軍事設計されている。だから足の長い空輸手段は持っていないのだ。たとえば、朝鮮半島で動乱が起こったらどうなる?現地邦人2万人(確かに2万人といったように思います。)の生命財産はアメリカ軍に守ってもらわなければならない。』

 この答えは先の質問からするとまるで答えになっていません。さらに日本での当たり前の市民生活の話を、朝鮮半島で動乱が発生するという仮定の問題にすり替え、すり替えた上でアメリカ軍は日本を守っているとする答えは支離滅裂ですらあります。多分この時の北沢は冷静ではなかったと思います。ですから、武士の情けで「日本の防衛大臣は近い将来、朝鮮半島に戦争が発生すると考えているのか?その根拠は何だ?」などという野暮なツッコミはやめにしましょう。

 ただ北沢が、「日本を守る」というキーワードで、「海外居留法人の生命財産の確保」を連想する人物だと知ったことは収穫です。

 ご存じのように、台湾出兵の時も、義和団事件の時も、シベリア出兵の時も、朝鮮「甲申の乱」の時も、満州軍事駐留も、上海事変も、あの時も、この時も、日本は「在留邦人の保護」を名目に出兵し、海外侵略のきっかけとしました。

 2010年1月、日本防衛装備工業会の賀詞交換会で「武器輸出三原則の基本的な考え方を見直していくべきだ。」と発言したように、「頼もしい」防衛大臣であることは間違いないようです。


2001年アフガニスタン侵攻

 さて、それでは、1998年アラビア湾に終結したCVW−5は、どんな経過をたどるのか、それを見ておきましょう。

 1998年7月、CVW―5は、その艦載航空母艦が、キティ・ホーク(KITTY HAWK −CV-63)に交代します。これはインディペンダンスが退役するのに伴った措置でした。2000年からアフガニスタン戦争が始まるまで、キティ・ホークとCVW−5は、タイ海軍との合同演習や日本の海上自衛隊、韓国空軍などとの演習に従事します。

 そして、2001年のアフガニスタン侵攻となります。

2001年9月11日の悲劇的な事件のため、アメリカ海軍は第5空母航空団の「強度」試験を行った。アメリカで唯一の「911」空母航空団として、CVW−5は即座に補強され、「テロ戦争」(“War on Terror”)を主導する準備を整えたのである。』
   
 「911」空母航空団とはなんでしょうか?「9/11事件」という意味ではないと思います。アメリカでは警察の電話番号は「911」です。日本で言えば「110番」です。CVW−5は、確かにアメリカが国外に置く唯一の空母航空団ですから、自分を世界の「警察」に擬えたのではないでしょうか?

 CVW−5の要員と航空機からなる独立部隊(a detachment)が編成され、航空母艦「キティ・ホーク」に乗り組んだ。「キティ・ホーク」は「不朽の自由作戦」(Operation "Enduring Freedom")を支援する合同アメリカ軍の前方展開基地(Afloat Staging Base)として機能するのである。』
  
 「不朽の自由作戦」は、国際テロ組織「アルカイダ」を隠匿している疑いがあるとして アフガニスタンのタリバン政権打倒の戦争をブッシュ政権が開始した、いわゆるアフガニスタン戦争の「軍事作戦名」です。
ついでに言えば私は個人的には、この「アルカイダ」なるテロ組織の実在を疑っています。もしアルカイダが、多くの人々と共に私が疑っているように、アメリカの諜報組織が作り上げた架空の存在だとするならば、アメリカのアフガニスタン侵略の目的は選挙によって合法的に成立したアフガニスタンのタリバン政権を倒して、親米政権を作ることが目的だった、という事になります。そのさらに奥の目的がどこにあったのかは、極めて興味深い話ですが、いまそこに逸れているわけにはいきません。ただ、未だに首謀者とされる「オサマ・ビン・ラディン」の行方を、その生死を含めて、アメリカが公式に確認していないのは何故かと訝しく思います。執拗に追い続けついに身柄を確保したサダム・フセインの時とは大違いです。)


 しかしながら、「キティ・ホーク」に乗り込んだCVW−5の独立部隊のみが、粉骨砕身したCVW−5のメンバー、というわけではない。その4ヶ月間(不朽の自由作戦は2001年10月の開始時点から、タリバン政権を打倒するまで4ヶ月間続きました。)CVW−5は、8つの異なる場所でその作戦を展開したのである。すわなち、空母「キティ・ホーク」、バーレーン、グアム、沖縄、ディエゴ・ガルシア、シンガポール、岩国、そして日常作戦業務に就いていた日本の厚木である。』

 バーレーンはペルシャ湾に浮かぶ小さな王国で、湾岸戦争後アメリカが軍事協定を結んで、アメリカ軍が基地を置いています。南部は25%が軍事基地だ、と日本語Wikipedia(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3
%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3>
)は書いています。アメリカ海軍も4箇所施設を置いています。(<http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_United_
States_Navy_installations#Bahrain>


 またこの文章で、何度も「アラビア湾」という言葉が出てきましたが、これはペルシャ湾のことです。英語では「the Persian Gulf」が一般呼称ですが、アラビア語圏では「アラビア湾」と呼んでいるようで、アメリカ軍もこの呼称に従っているという事でしょう。

 ディエゴ・ガルシアは、インド洋に浮かぶ小さな島です。イギリスのテリトリーになっています。(British Indian Ocean Territory) 1971年、イギリスは島全体をアメリカに貸与し、現在インド洋上に浮かぶアメリカ海軍の最大の基地となっています。島には民間人は一人もいなくて、全島文字通り「基地の島」です。
(以上 <http://en.wikipedia.org/wiki/Diego_Garcia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3
%82%A8%E3%82%B4%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%82
%B7%E3%82%A2%E5%B3%B6
>)


 しかし、考えても見てください。この島にはアメリカ軍が要塞化する前に、人が住んでいなかったのでしょうか?そんなはずはありません。ちゃんと住んでいました。アメリカが基地を作る前に、イギリスが島の市民を追い出し、モーリシャス島へ追っ払ってしまったのです。

 「冷戦」は終結した、と言われます。しかし本当にそうでしょうか?このディエゴ・ガルシアもそうですが、南太平洋には、旧日本軍が占領していた地域を、アメリカが国連信託統治領とかテリトリーと称して、軍事的価値のあるところは未だに占拠しています。いや、第一にお隣の朝鮮半島では、未だに南北が分断されたままです。しかも日本の主要なメディアや旧自民党や現民主党政権は、この南北分断を煽るような論調や政策をずっと続けています。いや現に日本には夥しいアメリカ軍の基地が存在しているではありませんか?かつて佐藤栄作は「もはや戦後ではない。」と大見得をきりましたが、とんでもない話です。日本や朝鮮半島の市民にとって「戦後」と「冷戦」は未だに延々と続いているのです。

 アメリカにとっての「冷戦」は終わったかも知れません。しかし、日本の市民や多くの地域の市民にとって、「冷戦」は未だに続いています。

 ああ、また横道に・・・。(哲野イサクをやめて横道逸男にしましょうか?)ええい、逸れついでに。今民主党政権で高校授業料無償化政策が開始されました。大賛成です。授業料無償で他に通学費用が要らなくなるわけではありませんが、まず第一歩でしょう。第一歩が最後の一歩にならないようにしなければなりませんが、中井某というラチ大臣が「北朝鮮は拉致問題解決に積極的でない。だから日本の北朝鮮系高等学校は適応外にすべきだ。」とラチもないことをいったそうです。昔から「江戸の仇を長崎でとる」といういいかたがありますが、これは長崎をはるかに通り越して、東シナ海あたりで「坊主憎けりゃ袈裟まで」を地で演じています。今日本にいる在日朝鮮人がいかなるいきさつで日本にいるのかを忘れたわけではありますまい。ましてやそこに通う高校生になんの落ち度があるというんでしょうか?

 勝海舟が生きていたらなんと言うでしょう?「およしよ、了見の狭いこたぁ。伊藤(博文)も山県(有朋)も随分小粒だったが、何だえ、平成の政治家は。小粒どころか芥子粒みたようなもんだ。」とでもいうでしょう。


アフガニスタン上空で100回以上の攻撃出撃

 話を元に戻さなくては。

 (空母)キティ・ホークとCVW−5のチームは、9月11日の事件の後の極めて短い通告に続いて、海上試運転(sea trials)と稼働性能適格性確認(carrier qualifications)を加速させ、わずか24時間のどんでん返しの後、2001年10月1日出発した。』
 
 「不朽の自由」作戦の開始、すなわちアメリカ・イギリス連合軍のアフガニスタン戦争は、2001年10月7日のアフガニスタン爆撃で開始したとされています。

緊急事態体制のCVW−5は、VFA−192飛行大隊、VFA−27飛行大隊、VFA−195飛行大隊からそれぞれ選抜された8機のF/A18ホーネットとパイロット、VS−21飛行大隊から3機のS−3バイキング、そしてHS−14飛行大隊から2機のSH−60シーホークから成り立っていた。』

 VFA−195、VFA−192、VFA−27はそれぞれ第5航空団傘下の戦闘攻撃飛行大隊、VS−21は海上制圧飛行大隊、HS―14は対潜水艦ヘリコプター飛行大隊のことです。それぞれの装備のことはあとでまとめて勉強する機会があろうと思います。

 ここで、私はすべて「飛行大隊」としてきました。というのは、英語の資料はすべて「squadron」と書いてあるからです。ところが日本語で書いてある資料をみると、ほとんど「飛行隊」としています。間違いではないと思います。アメリカ海軍航空隊(the US Naval Air Force)の構成を見てみると、この直下に9つの艦隊航空司令部(Commander Fleet Air)が配置され、その直下に飛行隊が配置されています。この飛行隊には様々なレベルがあり、大平洋艦隊司令部に所属する第5空母航空団のレベルは“the Wing”で、結構大規模な組織になります。空軍の場合だと、この下に“group”があってこれは普通「航空群」と訳されています。航空群の下のレベルが“squadron”で「飛行大隊」と訳されています。“squadron”の下が「飛行中隊」で“flight”と訳されています。

 ですから、“squadron”をあいまいな「飛行隊」ではなしに「飛行大隊」としておいた方がいいと考えています。

 ・・・CVW−5は特別任務を遂行する能力があったので、自らを(防衛的任務ではなく)より攻撃的任務に就くこととして位置づけた。』

 具体的に「攻撃的任務」が何であったのか、語ってもらった方がよりわかりやすかったのでしょうが、そこから先は軍事機密という奴でしょう。

 CVW−5は、アメリカの「テロ戦争」支援のため、アフガニスタン上空で600回の出撃任務に就き、うち100回以上の戦闘攻撃を行った。』

同時に、VRC−30飛行大隊第5班の2機のC−24グレイハウンドは、バーレーン沖に駐留する4隻の航空母艦すべてに対する兵站業務を支援した。』

 VRC−30は同じくCVW−5所属の艦隊兵站支援飛行大隊です。この大隊から2機が選抜されて、兵站業務にあたったということでしょう。なお、VRC−30は第1班(detachment)から第5班まであり、この時任務に就いたのは、第5班の2機とその要員、という事だと思います。

 この4隻の航空母艦とは、キティ・ホーク(母基地:横須賀)、エンタープライズ(the USS Enterprise-CVN-65)(母基地:バージニア州ノーフォーク海軍基地)、セオドア・ルーズベルト(USS Theodore Roosevelt-CVN-71)(母基地:バージニア州ノーフォーク海軍基地)、カール・ビンソン(the USS Carl Vinson-CVN-70)(母基地:バージニア州ノーフォーク海軍基地)であった。VRC−30第5班は、この地域で唯一夜間作戦遂行可能なC−2A飛行大隊であった。そしてその任務を立派に遂行できることを証明したのである。「供給するもの」はその名の通り、4隻の航空母艦に対して1500名の要員と35万ポンド(約17万トン)の資材貨物を送り届けたのである。』

 「供給するもの」(The Provider)は、VRC−30飛行大隊のニックネームです。またC−2Aは、アメリカ海軍の輸送機で、グラマン社(=当時)が製造しました。最大搭載量は4.5トン。また、4隻の航空母艦が終結したわけですから大規模な作戦だった、ということができましょう。この4隻を前方展開基地として、アフガニスタン空襲が行われたのだと思われます。

 2001年10月30日から11月16日まで、CVW−5の攻撃部隊は、沖縄の嘉手納空軍基地の兵器訓練班に参加した。CVW−5は、3週間の間毎日50回の出撃を行い、出撃率98%であった。合計640回の出撃回数で総飛行時間は1040時間、そして250トン以上の爆弾を投下した。』

 これは実戦出撃ではなく、訓練だったと思われます。(でも250トンの爆弾を一体どこに投下したんでしょうかね?)

 この「グローバル・セキュリティ」の記述は、その後、傘下飛行大隊の入れ替えの記述や、実戦訓練の記述や受賞などが続いて、2003年で終わっています。つまり「イラク戦争時」の記述がありません。記事が更新されていないのか、あるいは、これ以降は一種の「軍事機密」に属することだからなのか、それは私にはわかりません。

 ただ、「イラク戦争」でも大活躍したろうことは容易に想像がつきます。また厚木に構える太平洋艦隊第5空母航空団の主要な軍事機能が、アメリカの前線基地に存在する攻撃航空団として、グアム以西・中東地域の間で戦争を現実に戦っている戦闘集団であることも以上の記述で十分窺えます。


井上のウソと触れなかったこと

 ここで思い出すのが、前にも触れた2月20日の「米軍再編」を考えるフォーラムで登場した、防衛省地方協力局長の井上源三の説明です。井上は、聴衆に向かって、厚木から岩国への「空母艦載機移駐」について説明し、その大前提として次のように説明しました。

 わが国周辺の安全保障環境は近年まことに厳しいものがあります。北からは北方領土問題、竹島問題、南北朝鮮統一問題があり、中国は核・ミサイル戦力や海・空軍の近代化を進めています。またご承知のように、北朝鮮は核実験を行いました。昨年はわが国上空を超えるミサイルの発射を致しました。こうした中で、厚木の空母艦載機は岩国に移駐するわけであります。どうか皆様のご理解を賜りますようにお願いいたします。』

 つまり井上の言わんとすることは、まわりの国が軍事力を強化しており、日本は脅威にさらされている、アメリカ軍の駐留はこうした脅威から日本を防衛するのに必須なのだ、だから岩国市民の皆さん、よく理解の上、協力してくれ、ということでしょう。

 ただ井上はウソをついています。昨年北朝鮮が打ち上げたのは、ミサイルではなくて人工衛星ロケットだった、という点です。北朝鮮は国際条約に基づいて、人工衛星を打ち上げることを通告し、その通り実施しました。だから当時麻生政権の正式発表でも、これをミサイルと呼ぶことができずに、「飛翔体」などという余り聞き慣れない言葉を使わざるをえませんでした。アメリカの発表を見ても「ミサイルとすることもできるロケット」という言い方をしていました。

 大体、ミサイルかロケットなのかは、先端に何が装着されているかで決定されます。先端が、弾頭であれば弾道ミサイルだし、人工衛星を積んでいればロケットです。日本だって種子島から打ち上げるロケットを、「日本はミサイルを打ち上げました。」と言われれば怒るでしょう。

 日本国内向けに、「北朝鮮はミサイルを打ち上げた。」と言うことはできても、井上なり防衛省が、国際会議の場で同じことを言えば、不見識だとして批判を浴びるでしょう。問題は、井上なり防衛省なりが事実を枉げて、岩国市民にウソをつき、恐怖心を煽ろうとしている点にあります。

 また井上は日本が脅威にさらされて事例として、中国が核・ミサイルの戦力や軍事力の近代化を進めていることを挙げました。すると井上は中国を日本の軍事的敵対国として認識していることになります。同じことを国際社会、たとえば国連の場で討議できるかと言うことになります。もし、同じことをいったら国際問題になるでしょう。国際問題になりかねない危ないことを、国内向けには平気でしゃべりちらし、日本の愚かな大衆を扇動して(こういうウソに簡単に煽動されてしまう大衆はやはり愚かだという他はありません。)、アメリカ軍の日本駐留を正当化しようとする井上の論法は、卑劣というほか言葉が見当たりません。

 ただ当日集まった人々には、この井上の論法はまったく通用していなくて、たとえば、私の後ろに座っていた人は軽く失笑していましたし、私も舌打ちしました。

 しかし、井上は厚木の太平洋艦隊第5空母航空団の役割については、結局なにも言いませんでした。湾岸戦争に出撃したこと、アフガニスタン侵略の尖兵だったこと、なによりアメリカ海軍国外唯一の、攻撃空母航空団であること、いや何より厚木がアメリカ海軍にとって横須賀と共に、前方展開前線基地であることなど、一切触れようともしませんでした。

 厚木から岩国に何がやってくるのか?これが今回私が勉強してみようと思いたったテーマでした。ところがこのテーマは、今や私の中では、一体日本の中に何が置いてあるのか、一体日本はこれで安全なのか、という疑問に替わりつつあります。

 朝鮮戦争やベトナム戦争の時にそうだったように、厚木なり岩国なりは(ということは日本という国が、ということですが)、アフガニスタン戦争やイラク戦争の当事者であるということを意味しています。これはインド洋に給油艦を出そうが出すまいが、われわれは戦争当事者なのです。戦争当事者は決して安全で居ることはできません。安全でいるためには、戦争から遠ざかっていなければならないのです。

 「厚木から岩国にやってくるもの」は、もっと具体的に、もっと詳細に検討されねばなりません。私たちはその正体をよく知り、見極めなければなりません。それを次回でトライしてみます。


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