<参考資料>ヒロシマ・ナガサキ2009資料

(2009.8.11)


広島平和記念式典におけるミゲル・デスコト・ブロックマン 第63回国連総会議長のあいさつ(広島、2009年8月6日)
(拙訳版)

追加*
(2009.8.12)
広島市で配布された挨拶に最後のパラグラフが抜けていた件について、広島市の平和推進課に問い合わせを出したところ、以下のような返事だった
「同議長あいさつの英文及び仮訳については、、外務省総合外交政策局国連企画調整課が国連と調整・作成をされ8月3日に広島市に送付があり、8月4日に記者クラブへ情報提供を行い、8月6日配布の式典パンフレットに折り込んでいます。
(英文・仮訳については、本市は関与しておりません)
(※広島市は知らない、外務省に問い合わせてみるとのことだった。)

また、式典で同議長が当初予定していた原稿以外に追加であいさつされたので、急きょ、外務省国連企画調整課が訳を作成され、国連広報センターからプレスリリースされました。
なお、この内容は、あいさつの追加文を加えたのみであり、その前のあいさつ文は、式典で配布しましたチラシと同じ内容となっております。

[平和記念式典担当課]
広島市市民局市民活動推進課」

この資料の出典は次。<http://www.unic.or.jp/unic/press_release/1260>。広島市は現在「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」と呼んでいる。英語の表記は単に“Hiroshima Peace Memorial Ceremony”なので、この国連プレスセンターのサイトの訳<広島記念式典>は英語名称をそのまま日本語に直していることになる。なお国連プレスセンターの註では、この日本語訳は「広島市の仮訳」をそのまま掲載したというが、広島市が当日会場で配布した資料では、冒頭の「親愛なる兄弟のみなさん、」という呼びかけが削除されている。また当日会場配布広島市資料では、表題は単に「ミゲル・デコスト・ブロックマン第63回国連総会議長あいさつ」となっている。

この「あいさつ」は、2009年の広島・長崎「平和式典」全体を通じて、私がもっとも感銘を受けたスピーチである。特にデスコトが「解放の神学」(Liberation Theology)を熱烈な支持する「闘う神父」であり、ニカラグア・サンディニスタのダニエル・オルテガ政権の外務相を務めた人物であり、アメリカ帝国主義を昂然と批判した恐らく最初の国連総会議長であることを下敷きにこのスピーチを聞いてみれば、彼の痛烈な批判と核兵器廃絶への真摯な思いが切々と伝わってくる。彼は国連総会議長として広島を訪れ、本当に国連を代表して謝罪したかったのだ。そして「ヒロシマ・ナガサキ」に謝罪し、その誤りを認めることが「核兵器廃絶」の第一歩であることを本当によく理解している・・・。

後で、広島市配付の翻訳資料を読んで見たが、どこかしっくりこない。意味が間違っているとか誤訳があるとか、そういうことではない。もし誤訳といえる箇所があるとすれば、「世界がかつて目にした事のない最大の残虐行為」(広島市仮訳)としている箇所であろう。私は、デコストがこんな不見識なことを云うはずがない、これでは大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」の視野狭窄の世界ではないか、と思って英語原文を探したら、国連プレスセンターのサイトに英語原文があった。それではちゃんと“one of the greatest atrocities”(最大の残虐行為の一つ)となっていた。以下拙訳である。

 親愛なる兄弟、姉妹のみなさん、

 このもっとも厳粛なる機会をみなさんと共に過ごせて名誉に思い、また深く感動しています。この機会は世界がかつて目撃したもっとも残虐な行為の一つを記憶に止めるためのものです。

 私は、今日この場に私たちの国際連合総会の議長として来ています。しかしそればかりではなく、私個人としても(in my personal capacity)ここにきています。

 1人のローマ・カトリック教会の聖職者として、またナザレのイエスの弟子の1人として、私は、心の底から、日本の兄弟姉妹からの許しを求めます。(seek forgiveness)というのは、あの運命的なB-29エノラ・ゲイの機長、今は故人のポール・ティべッツはローマ・カトリック教会の信者だったからです。あの出来事の後、カトリック教会の従軍聖職者だったジョージ・ザブレッカ神父が、これは(*広島に対する原爆攻撃)は、イエスの教えに対する、想像しうる最悪の裏切り行為の一つと認めた事は、せめてもの私の慰めではあります。ローマ・カトリック教会の名において、私はみなさんの許しをお願いします。(ask your forgiveness)

 64年の後、原子による破壊という身の毛もよだつ現実は、悲しみと恐怖、そして正しい怒り(righteous anger )を喚起する力を全く失っておりません。

 この地球上から核兵器を廃棄するまで、またそうしないなら、そして核兵器を製造する能力を信頼のできる、また永続性のある国際管理の下に置くまで、核兵器が再び使用される危険を除く事はできませんし、これまでも成功しなかったし、これからも成功しないでしょう。

(*  ある意味オバマの「プラハ演説」に対する痛烈な批判でもあろう。問題は核兵器が現に存在していることにある。テロリストの危険や「核疑惑国」の危険なのではなく、現に核兵器保有国が、核兵器を保有し、実戦配備までしているこの現実が危険なのだ。オバマはその現実は、突き詰めた所、容認している。)

 私はこのこと(*核兵器の廃絶)は、技術的にも政治的にも複雑に絡まり合って、なかなかできない事(a tall order)だとは承知しています。しかしながら、もし私たちが最初の核の恐怖の犠牲者や生存者への誓いを守るならば、私たちは、ここからそしていまから、「完全な核軍縮」(*すなわち最後の1発を葬り去る事)という明瞭なゴールへ向けて、説得力に富む行動にうつることを決意しなければなりません。

(* 以下は国連プレスセンターのテキストではちゃんと日本語に翻訳されていたが、広島市が当日参加者に配布した資料からは、日本語の翻訳が抜け落ちている。)

 日本が核攻撃の残虐性を経験した世界でただ一つの国であり、かつその上に、日本が世界に対して「許し」と「和解」(reconciliation!)の意義深い実例をしめした、という事情を考慮するなら、私は、日本は、この象徴的な「平和の都市」、聖なるヒロシマに核兵器保有国を招集するもっとも高い道義的権威をもっており、世界に存在する核兵器に対する「ゼロ寛容」(*“Zero Tolerance”が原文で使われている言葉で、大文字始まりになっている。)の道をスタートすることによって、われわれの世界を正気に戻す先頭に立つプロセスを真剣に開始する国だと信じます。

ありがとうございました。

(* この最後のパラグラフは特に重要である。デスコトは「ヒロシマ」がなすべき事を強く示唆している。また広島にはそれを主催する道義的権威があるともいっている。われわれとして深く考えてみなければならない示唆であり、提案であろう。またデスコトは、「核兵器の存在する世界」は「狂気の世界」だと強く暗示している。全く同感である。そして広島はそれを正気の世界に戻す仕事の先頭に立て、といっている。デコストとともに、核兵器を保有している国は、世界を狂気に導いている、という当たり前の認識を今確認しておく事が重要だろう。

最後に。ここでデスコトは「ゼロ寛容」(“Zero Tolerance”)という耳慣れない言葉を敢えて使っている。この言葉は、昨年来はやりの「グローバル・ゼロ」だの「ゼロの論理」だのといった主としてアメリカ支配階級の使い始めた「核兵器ゼロ」や「核兵器のない世界」というプロバガンダを強く意識した言葉使いだろう。彼らは「核兵器のない世界」や「ゼロの論理」や「グローバル・ゼロ」を云いながら、現実には「核兵器廃絶」に向かおうとしていない。「核兵器の抑止論」もいまや無効だといいながら、「核抑止」の理論をもって世界を眺めている。オバマのプラハ演説を読んでも彼はちゃんと「核兵器抑止論」を展開している。そうした「欺瞞のゼロ」に対してデスコトは、核兵器に対する「容認」や「寛容」をゼロにすべきだと、と云っている。核兵器に対する「ゼロ容認」は、欺瞞の「核兵器のない世界」を言い出したアメリカの支配階級に対するデスコトの反論であろう。)



REMARKS BY H.E. MIGUEL D'ESCOTO BROCKMANN, PRESIDENT OF THE UNITED NATIONS GENERAL ASSEMBLY, AT THE HIROSHIMA PEACE MEMORIAL CEREMONY, HIROSHIMA 6 AUGUST 2009
Press Release 09-038-E 07/08/2009

Dear brothers and sisters,

I am honoured, and deeply moved, to be with you on this most solemn occasion, in which we remember one of the greatest atrocities the world has ever witnessed.

I am here today as President of the General Assembly of our United Nations, but also in my personal capacity.

As a Roman Catholic priest, and a disciple of Jesus of Nazareth, I want also, from the depth of my heart, to seek forgiveness from all my brothers and sisters in Japan for the fact that the captain of the fateful B-29 Enola Gay, Paul Tibbets, now deceased, was a member of my Church. I am consoled, to a certain degree, that Father George Zablecka, the catholic chaplain of the mission, recognized, after the event, that this was one of the worst imaginable betrayals of the teachings of Jesus. In the name of my church, I ask your forgiveness.

Sixty-four years later, the gruesome reality of atomic destruction has lost none of its power to inspire grief and terror - and righteous anger.

We cannot, have not, and will not succeed in eliminating the danger of nuclear weapons being used again, unless and until we have eliminated nuclear weapons from the face of the earth and until we have placed the capacity for making those weapons under reliable and lasting international control.

I understand that this is a tall order, full of technical and political complexities. Yet, if we are to keep faith with the victims and survivors of the first nuclear terror, we must resolve, here and now, to take convincing action to begin working toward the explicit goal of complete nuclear disarmament.

Taking into account that Japan is the only country in the world that has experienced the atrocity of nuclear bombardment, and that furthermore, Japan has given the world a magnificent example of forgiveness and reconciliation, I believe that Japan is the country with the most moral authority to convene the nuclear powers to this emblematic City of Peace, holy Hiroshima, and begin in earnest the process to lead our world back to sanity by starting the way to Zero Tolerance of nuclear weapons in the world.

Thank you.