(2010.8.22)
【ヒロシマ・ナガサキ関連】

 <参考資料> 非核三原則の法制化を求めるヒロシマ・ナガサキ声明

▼「ヒロシマ・ナガサキ声明」に飛ぶ
 
 
 大手マスメディアはほとんどまともに取り上げなかったが、今年(2010年)3月1日、ヒロシマ・ナガサキの有識者が、共同で「日本政府が非核三原則を厳守・法制化し、核兵器廃絶の先頭に立つことを求める声明」(非核三原則の法制化を求めるヒロシマ・ナガサキ声明)を出している。

 2009年、総選挙に圧勝して民主党政府が成立し、外務相岡田克也が『平成21 年9月,岡田克也外務大臣は就任直後の臨時省議において大臣命令を発し,いわゆる「密約」問題に関する調査を命じた。』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pdfs/ketsuraku_hokokusyo.pdf

 この大臣命令に基づいて、まず外務省の内部調査チームが「調査報告書」を提出したのが2010年3月5日<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/hokoku_naibu.pdf>、続いて北岡伸一を座長とする「有識者委員会」が報告書を提出したのが3月9日<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/hokoku_yushiki.pdf>だ。この「ヒロシマ・ナガサキ声明」は、それらに先だって出されている。

 この声明が危惧するところは、外務省の「密約調査」騒動が、核兵器の日本への「一時持ち込み」だけは認めようとするいわゆる「非核2.5原則」に市民権を与えようとする狙いを持つものではないか、という点にある。

 はたして有識者委員会の最終報告は、

 『  これらいわゆる「密約」問題の根源にあるのは、日本が軍備を持たず、その安全保障をアメリカに依存しており、他方アメリカは冷戦のさなかにソ連と激しい競争の中で、アジアでは日本以外のいくつかの国々にも防衛義務を負っており、そのために日本の基地は重要だったという事実である。
 自衛隊が必要最小限度の自衛力として合憲とされたのちも、日本国外での活動は厳しく制約された。日本のような大国が周辺の地域の安全にコミットしないというのは、やや異例なことである。したがって、地域の安全に対する日本の貢献は米軍基地を通じて行うこととなった。日本の防衛のため、また東アジアの安定のため、日本は米軍に基地を使用させることを認めた。このような複雑な背景を持つがゆえに、基地使用の権限の範囲をめぐり、いくつかの密約ないしそれに類似する事態が生じたのである。』
(最終報告書「おわりに」。執筆は座長の北岡伸一) 

 と書き、密約の存在を弁護したばかりでなく、続けて、

 『  その前提としてあらためて強調しておきたいのは、広島長崎の惨禍を受け、日本には強い反核感情があったことである。それは多くの日本の首脳にも共有されていた。米軍の一部には、この国民感情が軍事的に合理的でないと見るものがあったが、少なくともアメリカの国務省や大統領は、この感情を無視することは極めて困難であることを理解していた。』(同)

 と書いて「ヒロシマ・ナガサキ」を「反核感情」と決めつけ、遠慮がちではあるがこれを「軍事的には合理的ではない」とした。さらに、

 『  冷戦が終わって20 年、日本をめぐる国際環境は、かつてと大きく異なっているが、変わっていない面も少なくない。そのような時代における日米両国の安全保障問題における協力関係の在り方を考察することは、本委員会の委任の範囲を超える。いずれにせよ、1960 年前後からの安保条約の根幹に関する今回の検討が、今後の日本の外交安全保障を考える一つの素材となれば幸いである。』(同)

 と、非核三原則の見直し、すなわち「非核2.5原則化」を強く示唆する内容でこの報告書を結んでいる。
 
 一方この有識者委員会報告書に先立つ約一週間前の2010年3月1日に出された「非核三原則の法制化を求めるヒロシマ・ナガサキ声明」はこの報告書の結論を見透かすように、

 『  東西冷戦が終結した今日、核兵器・核抑止力に依拠する安全保障政策の危険性に対する認識は国際的に高まっています。−中略−しかし、伝統的な権力政治の発想は国際的に根強いものがあり、ヒロシマ・ナガサキを教訓とする日本発の核兵器廃絶の主張がアメリカをはじめとする核兵器国の政策の根本的変更を主導するまでには至っていません。』

 と、北岡伸一が「反核感情」と決めつけた「核兵器廃絶の主張」を、国際政治を主導する現実的な原理として位置づけ、北岡が「軍事的に合理性がある」とする考え方を「伝統的な権力政治」と逆に決めつけている。そして北岡が弁護する「核密約」とは、

 『  その政策の矛盾を露呈させず、国民的な認識を妨げるための歴代日本政府の工夫がいわゆる核密約であったことはいうまでもありません。』

 と「国民的な認識を妨げるための工夫」だった、と断定し、そして、

 『  日本政府が、寄港・立ち寄り・通過を含め、いかなる状況・形態においても核兵器の「持ち込み」を認めないことを明確にする内容での非核三原則を厳守し、法制化することを求めます。
(下線は本来、二重線で原文)

と外務省・北岡伸一の「非核2.5原則化」の狙いを見事に粉砕している。

 今2010年8月も終わりに近づくこの時期に、この「ヒロシマ・ナガサキ声明」をあらためて読んでみて、この文書の歴史的意義を痛感せざるをえない。というのは、この文書に示された考え方は、あきらかに長崎市長・田上富久の2010年8月9日「長崎平和宣言」に影響を与えたとみられるからだ。

 『  長崎と広島はこれまで手を携えて、原子爆弾の惨状を世界に伝え、核兵器廃絶を求めてきました。被爆国である日本政府も、非核三原則を国是とすることで非核の立場を明確に示してきたはずです。しかし、被爆から65年が過ぎた今年、政府は「核密約」の存在をあきらかにしました。非核三原則を形骸化してきた過去の政府の対応に、私たちは強い不信を抱いています。さらに最近、NPT未加盟の核保有国であるインドとの原子力協定の交渉を政府は進めています。これは、被爆国自らNPT体制を空洞化させるものであり、到底、容認できません。
 日本政府は、なによりもまず、国民の信頼を回復するために、非核三原則の法制化に着手すべきです。また、核の傘に頼らない安全保障の実現のために、日本と韓国、北朝鮮の非核化を目指すべきです。』

 広島と長崎が、これまで「共に手を携えて」来たかどうかは、やや疑問が残るものの、田上の論調は昨年の「オバマ賛美」「おざなりな核兵器廃絶呼びかけ」とは打って変わって、日本にとっての現実的な「核兵器廃絶」の道筋を示し始めた。そしてこれまでの「非核三原則」に露骨な不信感を示し、「国民の信頼を回復するために、非核三原則の法制化に着手すべきです。」とまで踏み込んだ。
 
 また広島の「オバマジョリティ」の旗頭、秋葉忠利も、オバマ賛美のトーンを色濃く残しながらもついに『非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱』に触れざるを得なかった。(しかしどう読んでみても、『非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱』の部分はあとからとってつけたようだ。秋葉の2010年平和宣言批判はまた別な機会にできるだろう。)
 
 「非核三原則の法制化を求めるヒロシマ・ナガサキ声明」という文書の歴史的意義は、実はもう一つある。それは「ヒロシマ」と「ナガサキ」が、初めて「共に手を携えた」仕事だ、と言う点だ。もちろんまだ「ヒロシマ・ナガサキ連携」は全市民レベルのプロジェクトには発展してない。だが、「非核三原則の厳守・法制化を求める広島・長崎連絡会」は恐らくその発展性を秘めている。「核兵器廃絶」へ向けて、ヒロシマとナガサキの力が大きいものだとすれば、それは「ヒロシマ・ナガサキ連携」を軸にした時にその力が発揮されるだろうからだ。随分能書きが長くなったが以下が「ヒロシマ・ナガサキ声明」の全文である。


 
内閣総理大臣 鳩山由紀夫 様
外務大臣   岡田 克也 様
防衛大臣   北沢 俊美 様
官房長官   平野 博文 様
2010年3月1日
非核三原則の厳守・法制化を求める
広島・長崎連絡会
日本政府が非核三原則を厳守・法制化し、
    核兵器廃絶の先頭に立つことを求める声明


 日本の領域において核兵器を「持たず、作らず、持ちこませず」という非核三原則は、広島及び長崎に対する原爆投下の惨禍を経験した私たちが二度とその惨禍を繰り返さないことを決意し、そのための根本的保証として確立した国民的総意の結晶です。日米間の安保体制・軍事同盟関係に対する国民的な合意が形成されなかった東西冷戦期においても、「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ヒバクシャ」を原点とする非核三原則は、「国是」として広範な国民的合意によって支えられてきました。

 私たちはまた、いかなる国際環境のもとにおいても、地球上のいずれの地においても第二、第三のヒロシマ・ナガサキを生んではならず、人類は核兵器と共存できないことを確信して、核兵器の廃絶を一貫して主張してきました。しかし東西冷戦期においては、この確信・主張は必ずしも国際的に受け入れられず、核兵器国及びその同盟国においては核抑止理論が政策の中心にすわり、大量の核兵器が地上に存在し続けてきました。
 
 東西冷戦が終結した今日、核兵器・核抑止力に依拠する安全保障政策の危険性に対する認識は国際的に高まっています。核テロリズムという新たな危険性に対する国際的な警戒の高まりもまた、核兵器・核抑止力を肯定する政策の見直しを迫る要因となっています。核兵器廃絶が国際的に提唱されるに至ったのは、このような認識及び警戒を客観的に反映しています。しかし、伝統的な権力政治の発想は国際的に根強いものがあり、ヒロシマ・ナガサキを教訓とする日本発の核兵器廃絶の主張がアメリカをはじめとする核兵器国の政策の根本的変更を主導するまでには至っていません。

 そもそもヒロシマ・ナガサキが、アウシュビッツのように人類共通の負の遺産として国際的に受け入れられるに至っていない根本原因は、歴代日本政府が核兵器廃絶を唱えながらアメリカの核抑止力に依存するという矛盾を極める政策をとり、しかもそのことに対して国内世論がしっかりした異議申し立てをおこなってこなかったという異常さにあります。つまり、ヒロシマ・ナガサキの原点がおろそかにされてきたということです。その政策の矛盾を露呈させず、国民的な認識を妨げるための歴代日本政府の工夫がいわゆる核密約であったことはいうまでもありません。

 民主党を中心とする連立政権が登場して、核密約の真相究明に着手したことは、この矛盾を解消するための重要な第一歩となる可能性があります。核密約の存在が明確にされた暁には、私たちは、日本政府が、寄港・立ち寄り・通過を含め、いかなる状況・形態においても核兵器の「持ち込み」を認めないことを明確にする内容での非核三原則を厳守し、法制化することを求めます。同時に私たちは、日本政府がヒロシマ・ナガサキの原点を踏まえ、アメリカの核の傘に依存する政策をきっぱりと清算し、地球上から核兵器を廃絶する人類的課題の実現に率先して取り組む真摯な外交的努力を行うことを要求します。 

○広島を代表する呼びかけ人
 坪井  直(広島県原爆被害者団体協議会理事長)
 金子 一士(広島県原爆被害者団体協議会理事長)
 品川  勉(財団法人広島市原爆被爆者協議会事務局長)
 姜 文 熙(韓国原爆被害者対策特別委員会委員長)
 李 実 根(広島県朝鮮人被爆者協議会会長)
 神ア 昭男(広島県労働組合会議被爆者団体連絡協議会会長)
 米田  進(広島被爆者団体連絡会議事務局長)
 豊永恵三郎(韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長)
 片山 春子(原水爆禁止広島県協議会代表委員)
 大森 正信(原水爆禁止広島県協議会筆頭代表)
 岡本 三夫(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表)
 森瀧 春子(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表)
 河合 護郎(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表)
 舟橋 喜恵(非核の政府を求める広島の会)
 浅井 基文(広島平和研究所所長)

○長崎を代表する呼びかけ人
 土山 秀夫(核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表)
 朝長万左男(核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表)
 芝野 由和(核兵器廃絶ナガサキ市民会議)
 森口  貢(核兵器廃絶ナガサキ市民会議)
 升本由美子(核兵器廃絶ナガサキ市民会議)
 山川  剛(核兵器廃絶ナガサキ市民会議)
 平野 伸人(核兵器廃絶ナガサキ市民会議)
 谷口 稜曄(長崎原爆被災者協議会会長)
 前道 光義(長崎原爆被災者協議会副会長)
 坂本フミコ(長崎原爆被災者協議会副会長)
 山田 択民(長崎原爆被災者協議会副事務局長)
 内田  伯(長崎の証言の会代表委員)
 広瀬 方人(長崎の証言の会代表委員)
 濱崎  均(長崎の証言の会代表委員)