【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ
 (2011.5.11)
 

<参考資料>福島原発危機:山内知也 文科省への申し入れ書 2011年5月11日
『国際機関は内部の慢性被曝に目をつぶっています。』

 福島原発事故は、「フクシマ危機」へと発展しつつある。「フクシマ危機」という言葉には3つの要素を含んでいる。一つは「事故」そのものの拡大を防ぎ鎮圧(冷温停止状態にすること)するという課題にむけての危機状態。2つ目は仮に放射能放出が現状レベルで止まったとしても、放射線の健康被害はすでに相当深刻である。この対処が危機的状態にある。3つめは現在の政権(看板は民主党政権であるがその中身は自民党政権の亜流に過ぎない)をシャッポにいただく官僚・財界など日本の伝統的支配層が機能不全に陥っており、全般危機に対して増税・値上げといった姑息な手段しか考えつかないなど有効に対処しえない政治的危機を指している。(伝統的支配層がこれまでのそれぞれの既得権益を確保したまま危機に対処しようとしているところに根本問題の一つがある。)

 山内知也の申し入れ書は、上記「フクシマ危機」のうち、放射能の影響、特に日本の将来を担う子供たちの健康に対して強い危機感を示し、政府の放射線防護に対する態勢や放射線防護に関する現在のリスクモデルに対する根源的問題提起を含んでいる。以下本文。


2011年5月11日
児童・生徒の被ばく限度についての
申 入 書 (4)

文部科学省学校健康教育科 電話 03-6734-2695
FAX 03-6734-3794
原子力安全委員会事務局 電話 03-3581-9948
FAX 03-3581-9837

山内知也 神戸大学大学院海事科学研究科 教授

 大学で放射線を教授している者として申し入れます。

 セシウムによる被ばく影響について、その実例としてはチェルノブイリ原発事故があります。国際放射線防護委員会ICRPは2007年に新しい勧告(ICRP Publication 103)を出していますが、そこには同原発事故に関する記述が見当たりませんでした。国連のUNSCEAR2000等の報告書では子供の甲状腺がんについては事故との因果関係を認めていますが、ガンや他の疾患については放射線被ばくとの関係はないとしていました。

 ところが2004年には次のような論文が公表されています:

 
[1] A. E. Okeanov, E. Y. Sosnovskaya, O. P. Priatkina, “A national cancer registry to assess trend after the Chernobyi accident”, SWISS MED WKLY, 134, 645-649.  (2004)
[2] Martin Tondel, Peter Hjalmarsson, Lennart Hardell, Goersn Carlsson, Olav   Axelon, “Increase of regional total cancer incidence in north Sweden due to the Chernobyl accident? Journal of Epidemiology & Community Health, 58, pp.  1011-1016. (2004)

 論文[1]は、ベラルーシのガン登録について記述しており、1976年から1986年までのがん発症率と事故後の1990年から2000年までのそれが比較されています。ブレスト33%増、ビテプスク38%増、ゴメリ52%増、グロードゥノ44%増、ミンスク49%増、モギリョフ32%増、ミンスク市18%増、そして、全ベラルーシ40%増となっており、ガンは確実に増えています。

 論文[2]は、スウェーデン北部における疫学調査で、数100 mの区画という高精度のセシウム-137の汚染マップと同国ならではと言える詳細な国民の生活記録に基づいています。調査は1988年から1996年までの期間ですが、汚染レベルとガンの発症率との間に有意な相関が出ており、100 kBq/m2の汚染地帯に暮らす発がんのリスクは11%増という結果です。この汚染レベルで年間に受けるセシウム-137からの外部被ばくは3.4 mSv程度です。これは極めて高いリスクであって、ICRPのリスク係数0.05 /Svでは全く説明できません。

 365日休みなく放射線被ばくを受けつづける場合については、原爆や医療被ばくのような一回の外部被ばくとは異なる健康影響が表れているという事実に国際的な機関が目をつぶっている可能性があります。

まずは、子供に対しては法令のいう年間1 mSvの基準を厳格に下回るように対処することを申し入れます。そして避難計画の一からの見直しを申し入れます。今回に震災の復興を担うのは若い世代です。そのような世代の健康を第一に考えるのは最も優先すべき課題かと存じます。

以上

 山内が抱く危機感を理解するためには若干の解説が必要かも知れない。現在日本が採用している放射線防護に関する基準は、国際放射線防護委員会(ICRP)が提出している勧告に基づいている。今世界で主流となっている放射線防護の考え方であり、リスクモデルである。ICRPは2007年に最新の勧告を出した。そしてこの勧告に基づいて日本の放射線防護行政の中にどう取り入れ、どう行政指針の中で更新していくかという議論が延々と行われている。(たとえば、「国際放射線防護委員会<ICRP>2007年勧告<Pub.103>の国内制度等への取り入れに係わる審議状況について−中間報告− 2010年1月 放射線審議会 基本部会」http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ICRP2007kankoku_Pub103_shingi.pdfなどを参照の事)

 ところがそのICRPの2007年勧告には「チェルノブイリ事故」での放射線影響に学んだ後が全くない、同じくICRPモデルを基準としている国連のUNSCEAR2000(<http://www.unscear.org/unscear/publications/2000_1.html>)も、「チェルノブイリ事故」での放射線影響には触れているものの、子供の甲状腺がんには有意な影響があるが、その他のがんや疾患では全く影響がなかったとしている。ところがICRP系学者の中で、チェルノブイリ事故を現地調査した人たちの中には、広島原爆の後生存者の中で見られたいわゆる「原爆ぶらぶら病」に非常によく似た症状が現れていることを確認報告しているが、ICRPの2007年勧告やUNSCEAR2000では全く問題にした形跡がない。そうした勧告や報告、あるいはリスクモデルをベースに本当に日本の子供たち、なかんずく福島の子供たちを放射線から護れるのか、というのがこの短い申し入れ書における山内の真意であろう。

 実際チェルノブイリ事故における放射線影響評価は、世界的に見れば混乱を極めている。

 欧州放射線リスク委員会(ECRR)が2003年勧告を作成するにあたり、第11章「被曝に伴うガンのリスク、第2部:最近の証拠」で「核事故」という一節を設けているが(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ECRR2003_11.pdf>を参照の事)、その中でチェルノブイリ事故における放射線の影響を評価するにあたり、影響調査の基礎とした研究及び概説として以下のものを上げている。(なお備考はECRRによる記述) 

報告書/評価  備 考
IAEA:1994年
重度の健康損害があること、あるいは、甲状腺ガン以外には重大な影響がほとんどないことのどちらかを示した諸報告によって特徴づけられる、ウィーンにおける公的な原子力機関の会議。報告集は未だ発行されていない。
IPPNW:1994年
IAEAの会議と同時にウィーンで開催された独立した会議、科学者らは著しく悪い健康影響を報告した。
サバチェンコ(Savchenko):1995年
ベラルーシの科学アカデミー会員サバチェンコ(Savchenko)によるUNESCO の書籍、甲状腺ガン、固形腫瘍、先天性疾患の増加を報告している。
ブルラコバ(Burlakova):1996年
ロシアの科学アカデミー会員ブルラコバ(Burlakova)による編集、さまざまなガン、白血病、生化学的そして免疫系示標の変化に関連する病的な健康状態、そして放射線への新奇な線量応答についても報告している。
ネステレンコ(Nesterenko):1998年
ミンスクのBELRAD機関によって出版された書籍、甲状腺ガン、白血病、そして固形腫瘍がベラルーシ出身の子供らの間で増加していることを報告している。
UNSCEAR:2000年
放射線による病的健康状態の深刻な増加が甲状腺ガンだけであることを示唆する解説を持った公表された研究の選択したものを総合的に示している。甲状腺ガンについてでさえも、結果がICRPモデルに従っていることを示そうとしたぶざまな試み。
WHO:2001年
重度の健康損害があること、あるいは、甲状腺ガン以外には重大な影響がほとんどないことのどちらかを示した諸報告によって特徴づけられる、キエフでの会議。リスクモデルの再評価を求める会議決議。
京都:1998年
国際共同研究の報告書「放射線影響の公的な報告書」と、影響を受けた地域における実際の結果の間にある不一致の説明を含めて報告している。
バンダシェフスキィ(Bandashevsky):2000年
ベラルーシ出身の子供たちにおいて、測定された内部汚染に関連する心臓疾患の増加を示している書籍。
ポーランド、ブルガリアなど
ポーランドとブルガリアからのさまざまな報告書は、チェルノブイリ直後にはじまる、小児におけるガンや病的健康状態、そして出産異常が急速に増加したことを報告している。
バスビー(Busby):2001年
ベラルーシにおけるガンの発生率からの新しいリスクモデルについてのデータと予測についての概説を伴うベラルーシ大使への報告。
小児白血病
胎内被曝した集団において、6カ国における幼児白血病に関する報告。ICRPリスク係数が100倍かそれ以上の誤りを有していることを確定する。
ミニサテライト突然変異
さまざまな研究論文が、高被曝線量地域出身の子供たちや、リクビダートル(liquidators: 精算人)の子孫においてミニサテライト突然変異の発生率の増加を報告している:ICRPモデルに最大2000倍間違いがあることを示唆している。
IARC
様々プールされたデータベースを用いたヨーロッパにおける白血病の「公的な」調査は、チェルノブイリに帰因する増加をまったく示していない:欠陥のあるアプローチ。
ロシア語によるベラルーシならびにウクライナの報告
ベラルーシ、ウクライナ、そしてロシア連邦からの多くの報告書は、被曝に続き、かつそれに帰因する、白血病、固形腫瘍、甲状腺ガン、先天性奇形(congenital malformation)そして全般的な重度の健康損害における増加の証拠を含んでいる。報告書は翻訳されていないか、または公的な概説には含まれていない。

上記報告や概説のうち、IPPNW( International Physicians for the Prevention of Nuclear War)は、日本では特に有名な核戦争防止国際医師会議である。基本的には彼らも原発容認派である。「京都」とあるのは、京都大原子炉実験所の今中哲二らを中心と原子力安全研究グループのメンバーが中心になった研究のこと。(<http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/index.html>)また、IARCは「 International Agency for Research on Cancer」で国際ガン研究機関http://www.iarc.fr/のこと。

 こうした報告書や概説を精査して、ECRRの2003年勧告は、

1986年のチェルノブイリ原子炉爆発事故は、事故による環境への放射性物質の最も大きな放出であり、北半球にあるほとんどの国々に汚染をもたらした。影響を受けた国々における健康に関する数多くの研究が公表されてきており、あるいは会議において発表されてきている。現れているそれの全体的な様相は、混乱したものである。一方においてはガンや白血病そして遺伝的疾病における増加を報告するが、他方においてはその被曝に関連するいかなる有害な(adverse)健康影響をも否定する、互いに相容れない報告書になっている。』

 と述べている。

 ECRRの提出している結論や勧告が正しいかどうかは別として、自分たちのリスクモデルや仮説に合致しない研究や報告はバッサリ切り捨てているICRPやUNSCEARの報告や勧告と、先行研究や報告を精査して、評価・批判を加えながら自らの見解を構築しようとしているECRRと、どちらが医科学者として真摯な姿勢を保っているかは一目瞭然だろう。

また、山内は、

365日休みなく放射線被ばくを受けつづける場合については、原爆や医療被ばくのような一回の外部被ばくとは異なる健康影響が表れているという事実に国際的な機関が目をつぶっている可能性があります』

 と指摘し、ICRPモデルが、体内被曝による「慢性被曝」状態の危険に、目をつぶっている状況、それを盲目的に信頼することの危うさをこの申し入れ書で警告している。

 山内はこうしたチェルノブイリ事故における放射線影響調査や報告のうちから、2本だけを選りだして、ICRPモデルに対する手放しの信頼に対して警鐘を鳴らしている。そして少なくともそのICRPモデルを基礎にして成立している日本の法令、「年間1mSv以下」だけは守らなければならないとし、

まずは、子供に対しては法令のいう年間1mSvの基準を厳格に下回るように対処することを申し入れます。そして避難計画の一からの見直しを申し入れます。今回に震災の復興を担うのは若い世代です。そのような世代の健康を第一に考えるのは最も優先すべき課題かと存じます。』

 とこの申し入れ書を結んでいる。