2010.12.12
第13回 「人間の尊厳」を大切にする社会が核兵器廃絶を実現する

核兵器に頼らない日本の安全保障

平岡 ・・・核兵器に頼らない日本の安全保障・・・私はもう、そういう言い方をしてるんですがね・・・。

やっぱり核兵器に頼らない日本の安全保障、仕組みを考えるべきだ、日本政府は。米軍基地は要らんってことなんですね、要するに。だから核兵器に頼っていれば、どうしても米軍基地が要るんですよ。

その辺、やっぱり、私は平和宣言ていうのが、決意、広島市民の色んな情勢に対する意思表示だと思ってますから。それは毎年残っていくわけですからね。それをずーっと通して読むと、その時の時代の流れが、或いは限界ね。考えていることの幼稚さとかでもわかるわけですが・・・。私が年を取ってから、ですが、それは、きちっと残していくべきだ、と考えている。
哲野 私のサイトにこないだやっと、全部上げたんですが、91年からお辞めになる直近の98年までですかね、広島市の平和宣言、「8・6」の市長宣言を全部通して上げましたけども。通して読むと、もうこの頃から、こういうこと言っておられたんだな、ということがよくわかる。
平岡 その時代、その時の国際情勢に対しての広島の反応というかね、考え方をだいたい盛り込んだつもりなんですがね。
哲野 だけど、平岡さんは振り返ってそう言われるけれども、通して読むと、ちゃんと、今回のNPT再検討会議でも課題にされたような点がもう出揃ってる。
平岡 フーン。そう?
哲野 通して読めばですよ。非核兵器地帯だとか、核兵器の違法性や犯罪性だとか、核兵器禁止条約とか・・・。いや、あの時はこうだったからとか、この時はこうだったからこれ入れたんだ、いや思いついて入れたんだ、とおっしゃるかもわからんが、今振り返って通して読めば・・・。
平岡 そう?それはやっぱり時代の流れなんですね。ですからそれは核兵器廃絶と、NPTもそうなんだけど一応それを掲げているわけですから、それへ近づくための色んな問題点なりを挙げる、それともう一つは日本のあり方に対しての広島の考え方ですね。それは私も言ってきたつもりなんですけど。日本政府はこうあるべきだという。例えば非核三原則の法制化にしたって、あるいは核兵器禁止条約を作ろうとか、東アジアの非核兵器地帯を作ろうとか、その時々に思いついた言葉を書いちゃいるんですがね、それは全く間違いじゃない。
哲野 一つ一つが時代の反映ということは事実なんでしょうけれど、つまり断片的に見えるんでしょうが、通して読めば、一つのストーリーを持って、2010年に連なっている、と思う。
 平岡 ウン。そういう努力をして欲しいという注文ですかね。ところがそれは言いっぱなしというか、日本政府が、「ヒロシマの声」をきいてるわけじゃないですからね。気にはしてると思うんです。ヒロシマが何を言うかっていうのを。

「ヒロシマ」の特別な地位

哲野 いや。そこでですねぇ・・・まぁあの・・ホントに困っちゃうな・・要するに、あれ言えばこれ聞きたい、これ言えばあれ聞きたい・・・。2009年に、去年ですか、当時国連総会議長だった、ニカラグアのミゲル・デスコト・ブロックマンが広島に来て、8月6日に広島で演説をした。中で、「ヒロシマには特別な地位がある」と彼は言っている。それから「聖地ヒロシマ」という言葉も使っている。で、そのヒロシマには特別な地位があるというミゲル・デスコト・ブロックマンの見方に対しては平岡さんはどういう風にお考えになりますか?
平岡 ウーン・・特別な、というのはどういう意味かちょっと、よく解りませんけれども。

 09年8月6日の広島平和記念式典で、第63回国連総会議長として出席したニカラグアのミゲル・デスコト・ブロックマンは次のように述べた。

 『  私はこのこと(*核兵器の廃絶)は、技術的にも政治的にも複雑に絡まり合って、なかなかできない事(a tall order)だとは承知しています。しかしながら、もし私たちが最初の核の恐怖の犠牲者や生存者への誓いを守るならば、私たちは、ここからそしていまから、「完全な核軍縮」(*すなわち最後の1発を葬り去る事)という明瞭なゴールへ向けて、説得力に富む行動にうつることを決意しなければなりません。』『日本が核攻撃の残虐性を経験した世界でただ一つの国であり、かつその上に、日本が世界に対して「許し」と「和解」(reconciliation!)の意義深い実例をしめした、という事情を考慮するなら、私は、日本は、この象徴的な「平和の都市」、聖なるヒロシマに核兵器保有国を招集するもっとも高い道義的権威をもっており、世界に存在する核兵器に対する「ゼロ寛容」(*“Zero Tolerance”が原文で使われている言葉で、大文字始まりになっている。)の道をスタートすることによって、われわれの世界を正気に戻す先頭に立つプロセスを真剣に開始する国だと信じます。』
哲野 すみません、唐突な質問で。つまり、彼は核兵器国の首脳を広島に呼びつけて、「核兵器ゼロ」を誓わせる道義的権威があると言ったわけですけれど・・・。大手マスコミにはほとんど問題にならなかったですけど。
平岡 だから、核兵器の、人間として・・他に受けた人、たくさんいるんですよ、核実験なんかで。

 こうした被曝者を総称して「グローバル・ヒバクシャ」という言葉が今一般的になりつつある。各核兵器保有国の実験場近辺の放射能被害、あるいは実験に携わった兵士・作業員、その家族の放射能被害も深刻である。なかでも核兵器保有国の「プレイグラウンド」といわれた南太平洋諸国の被害はもっとも悲惨なケースの一つであろう。(例えば『隠されたヒバクシャ』 編著:グローバルヒバクシャ研究会 凱風社 2005年6月 など)

しかし、原爆攻撃を受けたという意味では、やっぱり広島と長崎っていうのはね、特別な地位でしょうね。その後緩慢なる被曝者とか、或いは劣化ウラン弾の被曝者はいるけれども、戦争原爆攻撃・・核攻撃よね。
哲野 ある意味、核被害の象徴的な・・・。
平岡 やっぱり人類最初に核攻撃を受けたと。そういう意味では新しい時代に入ったわけですね。広島・長崎の悲劇が。それが特別な地位を占めるというのが、いいのかどうか知らんが、やっぱりこれは特別ですよね。
哲野 国際社会が「ヒロシマ」に特別な地位があると認めてるというのはお感じになったことがありますか?
平岡 ウン。それはやっぱり広島と言えば、色んな意味を、それぞれの人が思ってるんでしょうけどね。広島という、カタカナにしろ、ローマ字にしろ、その言葉の中に秘められた人類の歴史みたいなものがですね・・・。
哲野 一つの分岐点だったと。
 平岡 ええ、ええ、ありますね、それは。そういう意味では感じますよ。広島市長っていうのは。それは非常に有名すぎると言っていいかもわからないけれども、どこへ行ってもだいたい広島って言えば子供たちでも知ってる国が多い。それはそういう教育をしている国も非常に多い。教科書に載せている国も多い。

ヒロシマは特権を活かしきっているか?

哲野 南アフリカだとか、ニュージーランドだとか、あとフィリピンなんかはそこいらへんの教育に力を入れてて、広島の記述が中心になっているそうです。僕は現物を見たことがあるけれども、そういう風な論文を読んだこともあります。で、もしそうだとしたら、(核兵器廃絶に向けて)「ヒロシマ」はその特権的地位を十二分に活かし切って来たと言えるだろうかという・・・。
平岡 (即座に)いや、それは活かし切ってないですよ。
哲野 そう、あっさり言われても・・・。(笑う)
平岡 歴代市長の一人として、怠慢だったかもわからないし、力不足だったかもわかりませんけどね。
哲野 それではその、広島の特権的地位を活かし切ってないとすれば、活かし切るとはどういう事をすることだったんだと思いますか?
平岡 私はやっぱり国際社会に対して政策提言をやっていくべきだったろうと思いますね。
哲野 だけど被爆者の悲惨な状況というのは、積極的に国際社会に向けて訴えては来た。
平岡 やってきましたね。ええ。
哲野 これは否定しないわけでしょ?
 平岡 ええ、それは必要な事なんですよ。
哲野 すべての出発点であり・・・。
平岡 生き証人としてね。そういうものをきちっと出していくというのは・・・目撃者ですからね。
哲野 だけど、そこで甘んじていたというお話でしたが、もうちょっとこう、政策提言・・・同じ話がまたこう・・やむを得ないんだけれども。そのために広島の平和研究所も作り、知恵と科学的な議論を集めようとされたというのは良くわかるんだけども。
平岡
ま、今、道半ばということで(笑う))・・・。だからその、キチッとしたね、理論体系が、私自身の中へまだ充分出来てないんで、あっち飛んだりこっち飛んだりするんだけれども、要するに・・特権的な地位という、さっき言われたけれども、そういうのがあるわけでしょ、ヒロシマにね。そうするとそこで生きているマスメディアも含めて、うまく利用っていうとおかしいんだけども、活かし切って来たかというと必ずしも活かし切ってないと思うんですね。

(しばし考えて)・・・「ヒロシマ」というのが、カナカナのヒロシマなんだけど、実はこの広島市、この広島市が・・・平和を象徴する都市だとするならば、「人間の尊厳」が護られるような、本当にそこで、はじめに言ったような、核兵器廃絶の、その先の社会、が実現しなきゃいけないですよね。

人権も、思想の話も含めて。もちろん病気・貧困とかそういうガルトゥングが言ってる平和を阻害する要因は当然視野に入るんですけど、同時に、異論を言うことが憚られるような空気とかね、そういうものも克服をしておかなければならない。

 ヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)。ノルウエィの政治学者・平和学者。
日本語Wikipediaでは『平和=戦争のない状態と捉える「消極的平和」に加えて、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない「積極的平和」を提起し、平和の理解に画期的な転換をもたらした。』としている。
(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%
8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%
AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%B3%E3%82%B0>

そのこと自体は誰しも異論のないことだ。英語Wikipediaでは「数学者・社会学者」として紹介され、現在の平和学(Peace and conflict studies)の原理の創設者として位置づけられている。
(<http://en.wikipedia.org/wiki/Johan_Galtung>)
いろんな批判もあるのだが、平岡の主張する言葉使いと重ね合わせると、ガルトゥングもまた「人間の尊厳」が保障されていることが「平和」の条件だと言っていることになる。どちらにしても「戦争のない平和な社会」という安直な「平和イデオロギー」は、平岡においても、ガルトゥングに置いても否定されている。

異論を許さないヒロシマの雰囲気

平岡 要するに、異論を許さない空気というのがあるんです、広島に。

例えば「被爆者の気持ちを逆撫でする」とかいう言い方するわけでしょ?で、「被爆者って誰?」って聞きたくなる。ある人が「わしは逆撫でされる」って言うのなら、これは解るんですよ?ある人は賛成するかもしれんし、反対するかもわからんけど。

要するに「被爆者は」と。一般的な言葉で、なんか一つの見方や意見を抑え込んでしまうっていう様なことはね・・僕はそれは嫌いなんですよ。

だから原爆ドーム一つにしたってこれを残せと言う人も居るだろうし、見るのも嫌だと言う人だっているんです、これは。しょうがない。しかし大きな意味では、これは残した方がいい、というのが大勢の意見でしょう。

「ヒロシマ」を語っていこうとする場合にああいうもの(原爆ドーム)が必要だ。

それと同じようにですね、一昨年かな、「広島の空にピカッ」という事件があった。

    
当時の朝日新聞の記事を引用する。

 『  2008年10月24日 

広島市の原爆ドーム上空で21日、東京の芸術家グループが飛行機から煙を出して「ピカッ」の文字を描いたことに市民から「原爆を連想させ、無神経だ」との批判の声が上がり、グループ代表が24日、広島市内の被爆者5団体に謝罪した。平和を追求する映像作品の撮影だったという。
  
グループ代表の卯城(うしろ)竜太さん(31)=東京都国分寺市=が広島市役所で5団体の代表者と会い、「事前にみなさんと話し合うべきだった」と頭を下げた。被爆者団体側は「平和を追求する作品をつくるなら、もっと広島のことを知ってからやってほしい」と苦言を呈した。
  
卯城さんによると、「ピカッ」の文字は21日午前、チャーター機から煙を出させてつくり、原爆ドーム付近から撮影した。「ピカッの字が突然現れることで、若い世代に平和を想像させたかった」と言う。完成作品は市現代美術館で11月に開かれる個展に出すつもりで、撮影現場に同館の学芸員も立ち会っていた。
  
広島市や同館には「不快だ」といった苦情が約50件寄せられ、同館の原田康夫館長も「学芸員が企画を知りながら、中止を助言しなかったのは不適切だった」と陳謝した。同館はグループと相談し、個展の中止を決めた。』
一昨年か。去年かなぁ。なんかね、「被爆者の気持ちを逆撫でするか」っていう。で、僕はちょっと腹が立ってね、中国新聞にこう・・電話してやったんですがね。初めてよ。僕は。中国新聞に電話したの。

 この時は、地元の中国新聞を含めて、この芸術家グループに対しては「チンピラの悪質な悪戯」扱いで袋だたきだった。もちろん平岡の抗議電話は「袋だたきにしてはいけない」というものだった。

一週間後にね、蔡國強かなんか言う、ヒロシマ賞を貰った中国の芸術家が、ボーンと、原爆ドームの上空に花火を上げたんですよ。

  同年10月25日に第7回ヒロシマ賞受賞者の蔡國強(ツァイ・グオチャン)が受賞記念の作品で、原爆ドームの上空に約1000発の黒い花火を打ち上げるプロジェクトを実施した。原爆の犠牲者への哀悼と鎮魂の意が込められている、と説明された。
(<http://nukohiroba.blog32.fc2.com/blog-entry-997.html>)
哲野 そうそう。
平岡 あれは良くて、こっちはなんで悪いのかっていう。被爆者の気持ちはわからん。こっち(黒い花火)のほうがよっぽど被爆者の気持ちを逆撫でするよと言うんですがね。

でもそういう事でね、抑えるわけですよ。被爆者の名を借りて。ああいう空気があると駄目なんだ。

私は、広島っていうのは、世界の中で特別な地位を占めた、「平和」のシンボルとするならば、みんながもちろん、当然、豊かに、優しく楽しく生活出来なきゃいけないし、そういう都市基盤を作るのが市長の仕事でもある。

同時に空気ですね、都市の空気がもっと自由でないといけない。その自由を阻害している問題がある。特に言論の自由という意味で言うならば、異論を許さない。

例えば、平和記念式典を批判する。あのあり方をね。僕らも踏襲して、何度か変えたりはしたんだけども、あれでいつまでもいいんだろうか、どうだろうかとかね。そういう議論をしなきゃいけないんです。総理を呼んでくる、それはまぁ、いいだろうと。しかしあそこで私達だけでいいんかいな、とかね。そういうことをやっぱり、やってなかったですね。私なんかも含めて。で、出来ない雰囲気が被爆者、特に被爆者の我儘って言ったらおかしいんだけども、彼らの気持ち・・・。被爆者って被爆者団体を称する代表者でしょ?
哲野 ま・・・坪井(直)さんとか。
平岡 そうそう。ね。彼らの言うことが絶対。
哲野 わかりやすく言えば。

批判こそ前進の条件

平岡 絶対視されるというね、そういう空気はやっぱり違うんじゃないかと思う。そういう空気がある間は、「ヒロシマの思想」、広島の考えは前進しない。運動自体も前進しない。

やっぱり批判されるということによって、組織も、或いは、運動も、思想も、私は前進するんだろうと思う。批判されないところに前進はないんだ。で、批判されずに来たんです、戦後、ずーっと。広島は。特に大江(健三郎)以後ね。
哲野 ウーン・・・大江以後・・・。(思わず吹き出し笑い)  
 平岡 (笑う)とにかくもう、広島は、被爆者の、聖なる被爆者。これはもう、絶対だと。
哲野 神棚に祭り上げられた。
平岡 それで若い人は全部それで、汚染されてるわけです。
哲野 いや、彼女(と網野を指す)はまさしくそういう世代で、今、38か9歳だけど。彼女あたりに聞くとですね、反発はあったようですよ。ずーっと。
網野 反発はありましたよ。
平岡 それは広島の人だから。東京の人なんかもう、みんなコレ・・・。(と『ヒロシマノート』を押し戴く仕草)
哲野 あ、なるほど。
平岡 コレ、持ってくるわけです。広島へ。
哲野 批判を許さない雰囲気ってあるわけですよね。
網野 怖いのは、私の従妹が二十歳台なんですけど、核兵器を受け入れていいじゃないっていう雰囲気がもう出てきてる。それが怖いです。無批判なんです。日本を守るために米軍があると言われたら、「日本を守るために米軍があるんだ」と言う風に、何の疑問もなくスッと受け入れちゃう。
平岡 だからその素地にはね、中国の脅威とか北朝鮮の脅威を言うわけです。昔はソ連の脅威だった。それがなくなったもんだから、今頃は北朝鮮の脅威ばっかり。「脅威」がなくなったら困るんですよ。基地が必要なくなるから。脅威を作らなきゃいけない。だから脅威を作っているわけよね。テポドンでもなんでも・・非常に針小棒大な事をやってるわけよ。

もちろん北朝鮮も核開発してる、それは何故かと言ったら戦争状態だし、日本とアメリカに挟まれてね、ガンガンやられる。それだから一生懸命核開発する。という状況があるんです。立場を変えてみたらすぐわかるんですがねぇ。どうもそれを言うと、あいつは親朝、北朝鮮だということでやられる可能性がある。
哲野 北朝鮮のスパイだって言われるから。(笑う)
平岡 だからそういうことを広島で自由に話できる雰囲気がないと。やっぱりそれは、一般の人も思ってますよ。「北朝鮮が攻めて来たらどうするんですか?」って言うから。「攻めてくると思うんか?」って、私は聞いてやる。「なんで攻めてくるの?」って。
網野 面白いことに今の若い人もそうなんですけど、北朝鮮が攻めてくるっていう人はあまりいませんよね、そこまでは思っていない。
平岡 いないでしょ?
網野 ただ単に、日本を守るからっていう言葉を、何にも考えずに「日本を守るんだ」で終わっちゃうんですよ。

守るに値する国を作ろう

平岡 今度は「一体、日本の守るものはなんですか」っていうね・・・。
網野 そうそう。
 平岡 かつては国体を守ったんだけど、今、守るのは何だろうか?

国民の、或いは庶民の生活・命と安全だということであれば、それを脅かしているものは、もちろん戦争もあるけど、この周辺にいっぱいある。たとえば、年間3万6000人も大人が自殺するっていうのはね・・・こんな国・・・。

これは戦争より酷いですよ、そりゃ。年間3万人以上って言うのはね。それはやっぱり、こういう国を守っていいのか?守るに値する国なのか。

やっぱり変えていかなきゃならん。守るに値する国にしようじゃないか。それが、僕が、ヒロシマが、「核兵器廃絶」の先に夢想するというかね、掲げなきゃいけない、守るに値する国を作らなきゃいけないの、同時に。

核兵器に反対するけれど、核兵器反対と言えば核兵器がなくなって、それで平和が来てね、それでいいかって言ったら、やっぱり、格差社会で呻吟してる人たちはね、どうにもならんですよ。そりゃ若い人たくさんいるわけですよね。自殺する人。

だから、守るんじゃないの、やっぱり作り変えていかなきゃいけないの、今の社会を。
網野 だから「核兵器廃絶問題」をきっかけにして、今、自分たちが置かれている状況を知り、そしてこれは変えて行かなきゃいけないという風に議論をしつつ、色んな意見を聞きつつ、自分たちの生活はこうしたいっていう思いを作っていくことが必要になるんですね。
平岡 僕は、「平和」を作るということを言ってるんだけど、「核兵器廃絶」は言うけれども、それだけ言ってたんじゃ駄目なんだ。今言ったようにね。本当、暮らすに値するような社会を作っていく・・・。
哲野 守るべき社会ね。
平岡 ね。作っていくことを同時に、やらないと、本当スローガン・・・お経じゃないけど、それは唱えてるばっかりでね、平和が来るわけないよと。平和というのは足元から・・・。
網野 そうですね。
平岡 作り上げていかなきゃいけない。そしてそれはやっぱり、基本的に僕は、地域の民主主義だと思っているんですよ。
網野 うん。ですね。

平和都市の条件は「地域民主主義」

平岡 そういう地域社会がね、本当に民主主義社会が出来て行くと。それがもし広島に実現してれば、やっぱり広島は平和都市だなということになるんだろうけど。まぁ、ボスが君臨し、市民の声というのが本当に上げられないというか・・ま、上げない方も悪いんだけども。
網野 上げても突っぱねられますね。
 平岡 届かないね。
網野 はい。
平岡 何か知らんけれども、行政が好きなことをやってると言うか。
網野 そうですねえ・・それもありますし、その親戚の集まりがあった時に、三菱関連に勤めている奴が2人いまして、憚られましたね。三菱は軍需産業よ、と言っても・・・。
平岡 そう日本製鋼もね。三菱もそうだし。そういうもので飯食ってるものがいる。
網野 私がポンポンいうものだから、最後は議論の雰囲気になってったんですけれども、言わなかったら本当に「いい会社に入ったね」でみんな、終わってたと思うんですよね。
平岡 それは今日本が今武器の輸出を解禁しようとしている。それは日本の経済活性化するためにはね・・・。「原子力技術協力」もそうだしね。今度はインドとやろうとか言っているじゃないか。アメリカを笑えるどころじゃなくて、日本自体がそうしたダブルスタンダードをやってますよね。

核兵器廃絶の前提が民主主義とい

哲野 結局、僕なんかが非常に勘違いというか、読み違いをしとったというのは、平岡敬の「ヒロシマの思想」とは、「核兵器廃絶」を実現した後の平和も視野に入れて・・・。
平岡 視野にいれて、核兵器廃絶を言おうと。
 哲野 核兵器廃絶を言ってるんだというのは、なかなか読み切れなかった。
平岡 あ、そう?
哲野 今日の話を聞いて初めて・・・。でも、エライ大風呂敷やなぁと思いながらも、聞いてたんだけども。広島市がまず、そうあらねばならん、我々の身近がそうあらねばならんという話を聞くとね、「核兵器廃絶の先の話」じゃないんだね。

つまり、我々がそういう社会に暮らしているから、核兵器廃絶という声も自然に出てくるし、政策化出来る力も、自由で民主主義的な議論も出来るかもしれない。

つまり、平和で民主主義的な社会の前提が、今度はさっきの冒頭の話とは逆に、「平和が核兵器廃絶を」、つまり平和がって言うか、「平和な町だから、人間の尊厳を大切にする町だから、核兵器廃絶を政策提言できる」ような力を生み出すともいえる。つまりどちらが先でどちらが後かということが、なかなかこれで判別しにくくなってきたというか、一体のモノだっていう話ですよね。ではないですかね?
平岡
ま、そうですね。核兵器廃絶だけが浮き上がったらダメなんだ、と、いう気がするんですよね。つまり核兵器というのは見たこともないし、手にとって、私たちの手の中にないわけですからね。

それがやっぱり一般庶民にとっては雲の上の話になるんだ。それで廃絶と言ってるけれども、それはやっぱりこの日本の国、身近な社会を作り直して行くことしか、それしかないじゃないか思う。今、核兵器を容認している・・今、容認しているんですよ、我々の政府は。それを存続させたのは、我々一人ひとりだ、と。それはやっぱり変えて行かなきゃね、世界に通用しないと。

そりゃまぁ、インドに行って笑われた、そんな事を言うならなんで日本政府に言わないのかと言われたのと同じ。

やっぱりそういうところに来たんじゃないかなぁ、戦後65年経って。

しかもアメリカの政策がどんどん変わってる。変わってる中で、核兵器廃絶の訴えも変わらざるを得ないですよね、これは。冷戦時代はね、それでよかった。しかし(冷戦終結の)91年以後、ソ連崩壊して以後、アメリカが一極体制になってきて、好きなことをやってる、そのアメリカに向かってモノ申すというしかないわけですよ、今はね。アメリカが変われば世界が変わるんだ。核状況も。
哲野 これは言えますね。これは言えます。

アメリカに対してキチッとけじめをつけよう

平岡 アメリカに対して、キチッとけじめをつけようじゃないかと。そうするとやっぱり、あの投下をどう思ってるの?という。それを問いただす権利が広島にある。

それはよその国も、そりゃまぁ言うだろうけど、やっぱり広島が言うのと違いますよ。
哲野 説得力がありますからね。
網野 実戦使用されたんですからね。
平岡 広島への原爆攻撃はどうなんですか、どう考えてますかって。行動する道義的責任はおっしゃいましたけれども、ね?投下した・・・政治的、法的責任はいかがですか、と。それをちゃんと言えば、つまり核兵器廃絶への第一歩はそれしかないと。それを言うことによってアメリカ自体が、今は本当はインチキなんだけれども、「核なき世界」って言ってるから。その第一歩を踏み出すためには、あれが(日本への原爆使用が)間違いだったと言うところから始めないとでダメですね、あれは良かったけど、核兵器はやめましょうよというのはスジが通らないんじゃないか。自分たちも過ちを犯したと。だからもうこれは、核兵器をなくすんだと、言うところからいかないとね、どうも話が・・・。で、それを言えるのは、僕は広島・長崎だと思うんです。

「原爆投下はあれはまちがいだった」と、アメリカに認めさせなければ、物事は始まらんわけですよ。広島への原爆攻撃は間違っていた、という認識こそ、「核兵器禁止条約」の法的根拠であり、条約づくりのスタート点にもなるし、アメリカの「原爆投下正当論」を打破する根拠はそこだろうと思うんですよ。

その点広島は、もういっぺんキチッとあれは間違いだった、といわなきゃいかん。そうしないと、それを基にした今のすべての国際的な核兵器廃絶への出発点が出来ない。

核兵器にウンザリしている非核兵器諸国

哲野 今回のNPTのいろんな文書を読んで強く思ったのは、原爆投下の問題と、NPTで指摘されている問題とは、本当に直結しているんだな、と。
平岡 NPT自体はね、やっぱり、もともと5カ国に核保有を認めるというところから、スタートしているわけですからね。
哲野 今でも、変わっていませんね。
平岡 そうそう。これを打破する根底にはやっぱり広島の原爆投下が間違っていたんだ、法的に間違っている、ということをはっきりさせなきゃいかん。
哲野 もちょっといえば犯罪行為だったんだ、と。
平岡 そうそう、犯罪行為。国際法にもまさしく違反をしている、というようなことをキチッと広島が指摘すべきだね。それを指摘する責任があるね。他の国が言うより、はるかに説得力があるからね。

そういう気がしてきた・・・。前からずっとそのことをいってたんだけど・・・。
哲野 私もそう思うんですよ。2010年NPT再検討会議で、非同盟諸国の演説を通して読んでみると、彼らが核兵器にうんざりしていることはよくわかる。核兵器は「犯罪だ」と直接「犯罪」という言葉を使ったのはイランのアフマニネジャドとベネスエラの代表ですが、他の国々も核兵器をほとほと嫌がっているのがよくわかる。

翻って広島の被爆者団体が政府や周りに遠慮する形で、原爆の犯罪性に触れないのは、いかにも21世紀的でないと思う・・・。

逆に言えば、だからこそ広島・長崎、特に広島に、アメリカは特別な手当をしてるのかもしれませんね。
平岡 うん!
哲野 証拠がないから何とも言えない。
平岡 そうそう。これはわからない。だけど、そう思わざるを得ないような状況がある。

でまぁ、アメリカの過ちを問い正すことはね、誤り、間違っているかの如く、我々はマインドコントロールされてる。戦後。
哲野 それは狭量なことであると言われたり、それは復讐心を持ってるからだと・・・。
平岡 そうそう。その復讐は復讐を呼び、それじゃ平和は来ない、と必ず言われる。憎しみから平和は生まれないとかね。しかし憎しみを全く捨象するというようなことはね、言葉の上だけであって。そういう憎しみがわからなくて、なんでイラクの人たちの憎しみが理解できるのか。イラクの人だって言われましたよね。3年・・4年前かな?誰か呼んだんですよ。

「広島市民は、なんであんなに簡単に忘れるんか」って言われたことがある。私が「忘れちゃおらんですよ」って言ったら、「でもあなた方、責任追及したことがあるんか」って言った。

だけど、本当言えば憎しみからなり、怒りからなり、なんなり、人間の感情から起こってくる話なんで、そうした感情を捻じ曲げちゃいかんな、という思いが、最近、非常にするんです。いわゆる「和解と寛容」に腹を立てるのはそういう意味なんで。

やっぱり、相手の反省なくして許すわけにいかん。それを明らかにすることは、核兵器をなくしていく第一歩やないか。

そこの根源まで行かなきゃ、やっぱり広島って今まで何言ってたんだということになりますよ。
哲野 彼女の言葉に(と網野を指しながら)・・・これは彼女のセリフを借りて言えば、「ヒロシマの罪は大きい」と。(苦笑い)
平岡 (苦笑い)
哲野 アメリカの広島・長崎への原爆投下の犯罪性を、不問に付してきたヒロシマの罪は・・・。
平岡 (苦笑いしながら)そうね。
哲野 これは、彼女の感想で、僕はそこまで「ヒロシマの罪」とまでは言いたかないけれども。ただ、責任を果たしてないという意味では、それは一種の罪かもしれないなとは思うんですけれどもね。

「ヒロシマの責任」と皆殺しの思想

網野 私からしゃべっていいですか?
哲野 もういい、いい。
 網野 さっきお話の中で原爆投下が必要なかった、必要だったという話がありましたよね。その話の中で気が付いたのは目的語がなくて、じゃ何をもって必要なかったと言ってるのか、何をもって必要だったと言っているのかという点に疑問を持った。その・・・「戦争終結のため」っていうキーフレーズがどうしても浮かんでくるんです。
平岡 ええ。
網野 それはちょっと、哲野が調べた通りであれば、1946年以後のプロバガンダ、もし作られたプロバガンダであれば、我々は、何故、原爆投下が必要だったかというのをきちんと第一次文書に当たって調べていかなきゃいけないと思うんですね。

で、それで出てくるものが、アメリカにとって投下が必要だったとされる理由だというようなものが出てくると思うんですよ。それを知って今度はヒロシマがそれを批判をするべきだと思うんです。その時、本当の怒り・・別な戦争終結のためというのが理由じゃなくて、別な理由であれば、ですよ。

それはやっぱり「人間の尊厳」を無視した理由だったはずですよ。だって戦争中だから戦争を終わらせるためだったとか、それじゃない、別な理由があるのであれば、それはこちらが本当に怒るべきものだと思うんです。それが「ヒロシマの責任」ではないでしょうか?

本当に憎しみ・・怒りをもって、アメリカにも日本政府にも、人々が納得する理由がここにたぶん出てくるはずです。その時に本当に「ヒロシマの声」っていうのが出てくるんじゃないかと思うんですけど、私はそう思うんですけど。戦争終結のためだなんだ、っていうのは、もう作られた話を、私達、聞かされてると、私の年代からするとどうしてもこう・・・。
平岡 まあね、その・・・どういうのかな。どういう理由であっても、やられたのはやられたんですよ。殺された側としてはね。だからね、どんな理由であっても、けしからんと、言わざるを得んわけよね。終戦のため、戦争を終わらせたという理由、そういったことを抜きにして、投下した事実というのがあるわけで、だからそこの理由がわかればいいけど、わからなくても、やられた方は、やっぱりけしからん。ずっと言いよるわけよね。戦争中だから我慢せえ、しょうがないじゃないかというのはやはり違う。というのは核戦争は、それまでの戦争の常識みたいなものと違うんですよ。

それまでの戦争の常識というのは、19世紀的な戦争観はまさしくそうなんですよ。戦う者同士がやる。それが20世紀に入って、第一次大戦以後、一般民衆が戦争に巻き込まれて行くようになってきて、皆殺しの思想がでてくる。その最たるものが原爆だと思ってるんだよね。

だけど、その思想っていうのは原爆だけじゃなくて、その前からずっとあって、日本の重慶爆撃もあったし、ゲルニカもあったし、それから東京大空襲のような皆殺し戦術ですよね。

これは人を殺すための戦術。ただ焼き払うだけじゃなくて、周囲に焼夷弾を撒いて、そしてその真ん中で民衆を焼き殺すというような。そういう皆殺しの思想のシンボルとして核兵器が出てきた。

 歴史学者荒井信一の『空爆の歴史−終わらない大量虐殺』(岩波新書 2008年8月)を見てみると、その流れは次のようある。第二次世界大戦直前のムッソリーニ・イタリアによるエチオピア侵略戦争。この時無差別爆撃と毒ガス散布を行った。やはり大戦前夜のスペイン内乱で、フランコを支援するヒトラー・ドイツはコンドル軍団を送り込み、バスクの古都、ゲルニカを無差別爆撃した。ヒトラー・ドイツのポーランド侵攻に伴うワルシャワ爆撃。天皇制ファシズム日本による南京爆撃、それから有名な重慶爆撃、成都爆撃。ヒトラー・ドイツによるロンドン大空襲。
 アメリカ・イギリスによる一連のドイツ各都市爆撃。( )内は死者数。ハンブルグ(42000人)、ドレスデン(35000−45000人)、ベルリン(49000人)、ケルン(20000人)、フォルツハイム(20000)。(同書73p)そしてアメリカによる日本の諸都市への無差別爆撃。もっとも有名なのが、45年5月10日の東京大空襲。推定死者10万人以上、負傷者40万人、被災者100万人。そしてこうした無差別空爆(戦略爆撃)の行き着くところがトルーマン・アメリカの広島・長崎への原爆投下であった。荒井は前掲書の中で、こうした無差別大量虐殺行為を「大量テロ」と断じている。

そういうものを発明するというのは、人間が人間を皆殺しにしようという考えを持つからそういうものを持つ。開発するのだろうと思うんです。安く、殺すために。本当は一人づつ殺していくのは大変。金がかかる。鉄砲玉を撃つ人。ただ、核兵器というのは一発で・・単価にしたら物凄い安いと、こう聞いたんだけど。
哲野  (笑いながら) いや、間違いないですよ、そりゃ。一人当たりの殺しのコストからすると核兵器が一番安上がり。

「核兵器廃絶」と足元の努力

平岡 殺す費用っていうのがね、安いんだと。そういうことを考えること自体が、「人間の尊厳」を、もう無視してるわけですよね。

それで虫けらの様に殺す。僕はいつも言うんだけど、要するに、人間を、どういうのかなぁ・・・。「人間の尊厳」を無視してしまう考え方。この考え方を、頭から否定していくという、それが「ヒロシマ思想」の根底にないといかんなという気がするんです。

核兵器廃絶を訴えるのは、ただ兵器の威力、こんなものは残酷だから、ではなくて、根底には、「人間の尊厳」を大事にしていく社会を作っていくために、核兵器は一番の敵なんだ、そのシンボルなんだ、という思想ね。

その「人間の尊厳」を大事にする社会は、なんていうか、単に願っていれば、実現するんじゃなくて、自分たちの毎日の日常生活の中でわずかではあるけれども、少しづつでも、そうした「人間の尊厳」大切にする、民主主義的な社会を作っていく努力を積み重ねる中で実現していく、そんな風に思うわけ。

その努力が、「人間の尊厳」を大切にする社会が、核兵器廃絶を実現する、と思うんですよ。

それを我々やってきただろうか、どうだろうかというのが、今度は「ヒロシマ」が、自分に問いかけないといけんわね。もちろん「核兵器廃絶」を言うと同時に。

自分たちは、そういう社会を作る。今そういう方向へ向かっているのか?

日本政府を見たらわかる。日本政府は核兵器を容認してるし、ちょっと恫喝されたらすぐ「ハイハイ」と言ってしまうような、そういうマインドコントロールを受けている人達で満ち溢れているような状態。それを変えていかなきゃいけない。

「核兵器廃絶」を実現するには、確かに保有国に様々な制約をつけ、そして廃絶へ向けて、国際的なリーダーシップをとっていかないきゃいけないのは確かなんだけども、やっぱり我々としては、日本の政府を廃絶に向けて動かす、そうさせるような努力を我々国民がしていかなきゃいけない。

それが、そうした努力が、同時にまた「平和」な社会を作るプロセスでもある。ただ核兵器廃絶だけして、平和が来るもんじゃないよというのが・・・。

それを言いたいんよねぇ。

(以下次回)