米連邦政府の原子力エネルギー計画への投資


米エネルギー省歴史部(U.S.Department of Energy History Division ) 発行
「A History of the Atomic Energy Commission」 by Alice L.Buck July 1983より作成
(*原文は次:http://www.atomictraveler.com/HistoryofAEC.pdf)(27P)
米原子力委員会は1946年トルーマン政権時に議会の機関として作られ1974年フォード政権の時に、エネルギー研究開発局と新設の核規制委員会に分解してその歴史を終えた。エネルギー開発局の機能は後に米エネルギー省に一括統合され現在に至っている。
下記註は原文にはなく私がつけたもの。
単位はすべて百万USドル


1940年6月から1975年1月18日まで

連邦予算支出
 国家防衛研究会議 0.5
 科学研究開発局(1) 14.6
 陸軍省(マンハッタン工区を含む)(2)(3) 2,218.3
2,233.4
米原子力委員会(支出ベース)
 1965年以前の会計年度計(4) 34,643.8
 1966年会計年度 2,402.9
 1967年会計年度 2,263.7
 1968年会計年度 2,466.6
 1969年会計年度 2,450.4
 1970年会計年度 2,455.0
 1971年会計年度 2,274.7
 1972年会計年度 2,392.1
 1973年会計年度 2,392.1
 1974年会計年度 2,307.5
 1975年会計年度(1月18日まで) 1,512.6
57,562.4

(1) 科学研究開発局の局長は、暫定委員会のメンバーでもあったバニーバー・ブッシュである。同局はアメリカの軍産官学連携の扇の要であり、ブッシュは軍産業界の第一人者だった。同時カーネギー協会(カーネギー財団とは別組織)の理事長でもあった。
(2) マンハッタン工区(Manhattann Engineer District)はもちろんマンハッタン計画のこと。予算は42年9月から45年6月までで19億5000万ドルだったことが陸軍長官声明などから分かっているので、45年7月以降46年8月の原子力委員会設立までの予算支出は差し引き2億6830万ドルだったことが分かる。
(3) マンハッタン計画19億5000万ドルは33ヶ月間の予算だった。これを12ヶ月ベースに換算して見ると1年平均7億1000万ドルだったことになる。これはオークリッジ、リッチモンドなどの巨大工場の建設費、操業費、全米に散らばる研究所の運営費、維持費などすべての費用を含んでいる。それから考えると、以降の原子力委員会に与えられた予算がいかに巨大かが分かるだろう。
(4) この間は会計年度でちょうど20年間となる。1年平均は17億3200万ドルとなる。