アメリカの戦略態勢(ペリー報告)<America's Strategic Posture>

1.はじめに

 これは「アメリカの戦略態勢議会委員会」(the Congressional Commission on the Strategic Posture of the United States)が、2009年5月6日にアメリカ議会に対して提出した最終報告「アメリカの戦略態勢」の翻訳である。原文はサーチエンジンで『America's Strategic Posture』と入力すればすぐにPDF文書で入手できる。
<http://media.usip.org/reports/strat_posture_report.pdf>

 この文書の重要性に私が独自に気がついたというわけではない。ある人の強い示唆によった。一読してすぐにわかった事は、これはアメリカの「核政策」の今後の基本指針になるということだ。オバマ政権がこの文書の方向に沿った「核政策」を展開していくだろうことはほぼ間違いない。特に今年は2010年NPT再検討会議の年でもある。この文書の批判検討を通じて、アメリカが再検討会議にいかなる姿勢と方針で臨むかはほぼ明らかになろう。いやそのことよりももっと重要な事は、「核兵器のない世界」を標榜するアメリカのオバマ政権の「核政策」の本質が、この文書の批判検討を通じて暴露されるであろう。

 「再検討会議」を前にして被爆地広島ばかりでなく、日本の反核運動全体が勢いづいている。09年1月、アメリカ初の黒人大統領、バラク・フセイン・オバマの登場、彼の「プラハ演説」は、「核兵器廃絶」へ向けたアメリカのポジションを一変させた。特に日本ではそうである。広島では「オバマジョリティ」や「2020年のオリンピック招致」なども飛び出す始末である。

 われわれ市民は、何か大きな力に誘導されているのではないか、という疑いの目をもって世の中を眺めてみる事が先ず重要であろう。もしその誘導の行き先が、この報告書で結論づけている地点ならば、それは核兵器廃絶とはほど遠い、「アメリカによるアメリカのための核世界」に誘導されていく事になるだろう。オバマはそのための広告宣伝マンとして最適の人物である事も明らかになるだろう。

 一般市民がこの文書を読んで、色々な機会で、家庭や職場や、友人同士のおしゃべりの時間で、あるいは勉強会で話題に上らせることは重要な、「核兵器廃絶運動」の一貫だろうと私は、思う。日本語に翻訳して、誰でもいつでも、無料で読めるようにしておこうと一時は思ったのだが、この報告書の分厚さにたじろいだ。しかも私はどんな意味でも「専門家」ではない。当たり前の一般市民なのだ。専門家には当然の基礎知識や素養も私にとってはそうではない。悪戦苦闘するのは目に見えている。

 その後私のサイトで『オバマ政権と核兵器廃絶』というシリーズをスタートさせた。しかし、この文書の批判検討なしには、一歩も前に進まない事がよくわかった。そこで遅まきながら、翻訳する事にした。

 分厚な内容なので、順次掲載する。またこの報告書は議会にあてて提出されたものであり、決して一般アメリカ市民向けに書かれたものではない。アメリカの法律制定者やその執行者、あるいはそれらを取り巻く関係者に向けて書かれている。ましてや日本の市民に向けて書かれてはいない。当然書いてある内容を理解するに当たっては、大きな認識の乖離がある。基本知識や素養の乖離もある。それらを出来る限り補いながらこの翻訳を進める事にする。


2.報告書の成り立ち

 報告書の成立については、本文の中で詳しく説明されているが、この報告書作成にあたっての支援機関である米国平和研究所(United States Institute of Peace)のウェブサイトの中に簡潔に述べられている。
<http://www.usip.org/strategic_posture/index.html>

 それによれば、

 委員会は米議会に長期にわたる戦略態勢を検討、勧告を作成する仕事を与えられた。“戦略態勢”(Strategic Posture )の定義が進化発展するものであるが故に、委員会はあらゆる視点―抑止戦略、軍備管理の主導、不拡散戦略―からこの問題を検討した。これは、アメリカ及びその同盟国に対する軍事的脅威に対抗する戦略兵器及びその手段、ミサイル防衛を含め、のすべての役割を含んでいる。これに加えて委員会は、国家的軍事能力と軍備管理及び不拡散戦略との関係を検討した。』

 と述べ、核兵器ばかりでなく、すべての兵器と軍事的手段がこの検討の対象だったと述べている。もちろん決定的軍事的手段であり兵器である核兵器がすべての中心軸となった検討だったことは云うまでもない。さらに続けて次のように云う。

議会は委員会を、2008年の国家防衛承認法(The National Defense Authorization Act)の一部分として創設した。米議会下院軍事委員会が12名の委員のうち6名を、上院軍事委員会が6名を指名した。民主党、共和党はそれぞれ上院、下院において3名ずつを指名した。米国平和研究所は、この委員会を支援する機関として選ばれた。さらに防衛分析研究所(the Institute of Defense Analyses)が機密事項及び技術事項の面で委員会を支援した。米国平和研究所は機密事項を扱えないためである。』

 そして暫定報告を2008年12月15日、最終報告が2009年5月6日に提出された。現在オバマ政権は、核戦略態勢見直し(NPR)を行い議会の報告・承認の予定となっているが、最近の報道によると、10年2月1日提出の期限をほぼ1ヶ月延期し、3月1日とした模様だ。政権内部でコンセンサスが得られない点がいくつかあるとのことだが、その不一致点も実はこの報告書の中で述べられている。詳細な議論もされている。どちらにせよ、オバマ政権の基本的な核政策(核兵器政策を含めてすべての核政策という意味で私はこの言葉を使っている)はこの報告書の枠内で決定され現実に進められていくことだろう。


3.報告書の要約

 米国平和研究所のサイトは、この報告で述べられている、検討結果(findings)と勧告(recommendations)を要約している。ただわれわれが注意しなければならないことは、この報告書はあくまでアメリカ中心に検討され描かれていることだ。だからといってオバマ政権とスタンスが違うというわけではない。オバマのプラハ演説もまた詳細に検討して見ると、アメリカによるアメリカのための「核兵器のない世界」について述べている事がわかる。この点、オバマ政権とこの報告書は全く同じ立場に立っている。このサイトで述べられている要約は以下の通り。【註1】

『・ アメリカは、アメリカの抑止力、軍備管理、そして不拡散利益の間のバランスをとった核の危険を削減するアプローチを追求すべきである。
アメリカや他の諸国に対する核テロリズムは極めて深刻な脅威である。これはさらなる、アメリカが主導する国際的協調が必要である。
核テロリズムを防止するもっとも確実な道は、テロリストたちに核兵器や核分裂物質が入手出来ないようにする事である。【註2】
出来るだけ急いで世界でもっとも脆弱な核施設を閉鎖するかあるいは防備するキャンペーンを急加速させることは、国家最優先事項である。
相当な貯蔵削減がロシアとの間で双務的に行われる必要があるだろう。また同じレベルの削減が、他の核兵器保有国との間に行われる必要がある。
アメリカがグローバルに核の危険を削減することを考慮する時に、他の諸国と協力的にまたいろんな手段を複合して追求する事は基本である。
アメリカは、ロシアとの軍備管理に関して段階的なアプローチをとるべきである。そのことが09年末に終了期限を迎えるSTARTTの後継協定を確実にする道である。
もしアメリカが戦略軍事力を生存させその弾性を保存するなら、核兵器に対する依存を軽減し、その貯蔵のサイズをさらに縮小しても、アメリカは安全保障力を維持しうる。【註3】
委員会はアメリカの不拡散目的を達成するに際して同盟国に対して核抑止力を引き続き保証すると共にグローバルな核不拡散条約体制が、必要不可欠な構成要素と考えている。【註4】
アメリカは朝鮮半島全体における非核化に関する話し合いを目標として維持すべきである。また北朝鮮の核保有国としての地位を容認すると見られる言動を一切取るべきでない。
兵器用核分裂物質生産禁止に関して、これを交渉し条約を発効させることはグルーバルな核不拡散体制にとって価値の高い追加的措置である。
アメリカは、安全であり、確実で、信頼性の高いかつ依拠できる核兵器貯蔵体制が必要である。
アメリカは適切な場所において、地域的なミサイルの脅威に対するミサイル防衛を展開し実戦配備すべきである。そして北朝鮮やイランのような国からの長距離の脅威に対しても備えるべきである。これらの限定脅威からの防衛が、ロシアあるいは中国に、アメリカ及びその同盟国に対する脅威を増大させるような口実を与えることは避けるべきである。
アメリカは過去60年間の「核兵器不使用の伝統」を維持しなければならない。また他の核兵器保有国がそれを使用しないよう遵守させることは緊急の課題である。』


註1: これが報告書全体の要約、といわれるとどうも納得できないところがある。平和目的の核技術・核物質の管理・不拡散問題も相当な分量を割いて議論されていた。ここでいう「核不拡散体制」そのものが、核兵器ばかりでなく核平和利用技術や生産・製造能力などの「不拡散体制」を指しているのだと考えれば、要約として十分という事になる。しかしその場合でもあいまいである。
註2: 「核テロリズム」に対する脅威は、何度も報告書のなかで繰り返される「主旋律」である。「核テロリズム」に対する脅威をもっとも喫緊の脅威とする事で、各所で理論的な破綻が見られるが、ここはその破綻のもっとも鮮明なところであろう。核テロリズムを防止するもっとも確実な道は、「テロリスト」が核兵器を製造出来る能力を持たないのだから、核兵器廃絶しかない。こうした結論が導かれないのは、アメリカが依然として核兵器を所有し続けようとしているからである。
註3: わかりにくい文章であるが、要するに核兵器に対する依存の軽減に見合う通常兵力の増強を行うならば、核兵器に対する依存は軽減させるべきだ、が原文大意。しかし、この要約は少しあいまいだろう。報告書の中で議論されている事は、軽減は事実としても、その軽減の中身である。単に数量量的な問題なのではなく、核兵器の役割を「抑止力」に限定しようという質的な問題を含んでいる。
註4: 「核不拡散条約」の原文は“Nuclear Nonproliferation Treaty”である。「核不拡散条約」は「核兵器不拡散条約」であり、英語の名称は“The Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons”である。対象としているのはあくまで「核兵器の不拡散」である。条約の趣旨からして平和目的の核技術や核関連製造技術、運営ノウハウなどは不拡散どころかその普及を奨励しさえしている。そしてこうした「平和目的の核利用」は条約加盟各国が等しく享受し、「奪えない権利」だといっている。一方で、07年・08年の4人の元高官の論文、オバマの「プラハ演説」、オバマ政権核不拡散チームのゴッドモーラーの声明、スーザン・バークのスイスにおける講演、そしてさらにこの報告書では一度も「核兵器不拡散条約」(“The Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons")と正式に呼んだ事はない。「核不拡散条約」で一貫している。これは単にオバマ政権の認識と云うよりも、アメリカ歴代政権のこの条約に対する考え方を表している。2010年NPT再検討会議では、恐らくは「核兵器不拡散条約」を名実ともに「核不拡散条約」にしようという問題提起がアメリカからなされるであろう。そしてこれは一部核先進国の「核独占」としてロシアや中国を除く新興国・途上国から猛反発を食らうであろう。



4.報告書の全体内容


報告書の全体内容は目次を提示して概括しておきたい。この報告書の目次は以下の通りである。

Letter from the Facilitating Organization (支援機構からのあいさつ)
Chairman's Preface (委員長緒言)
Executive Summary (全体総括)
Introduction (導入部)
1. On Challenges and Opportunities (挑戦とその機会論)
2. On the Nuclear Posture (核態勢論)
3. On Missile Defense (ミサイル防衛論)
4. On Declaratory Policy (宣言的政策論)
5. On the Nuclear Weapons Stockpile (核兵器貯蔵論)
6. On the Nuclear Weapons Complex (複合核兵器論)
7. On Arms Control (軍備管理論)
8. On Nonproliferation (不拡散論)
9. On the Comprehensive Test Ban Treaty (CTBT)(包括的核実験禁止条約論)
10. On Prevention and Protection (防止及び防護論)
11. Closing Observations (結語的諸所感)
Compilation of Findings and Recommendations (検討の結果と勧告の一覧)

Appendices (追補)
1. Glossary (用語集)
2. Estimated World Nuclear Warhead Arsenals (推定世界の核弾頭保有量)
3. Enabling Legislation (権能賦与法)
4. Interim Report (暫定報告書)
5. Commission Plenary Sessions Schedule (委員会全体会議スケジュール)
6. Consultations (諮問)
7. Expert Working Groups (専門作業グループ)
8. Commissioner Biographies (各委員の履歴)
9. Commission Support Staff (委員会支援スタッフ)

 以上である。全体の分量はA4約200ページである。本来先頭から訳していくべきであるが、われわれの予備知識の整備と全体観の把握という点から、「追補」の中の、各委員の履歴及び委員会の推定する「世界の核弾頭保有量」を先に日本語にして、その後を続けるという体裁をとる。