(2010.2.8)
アメリカの戦略態勢<America's Strategic Posture>


導入部(Introduction)


 導入部では主として、「アメリカの戦略態勢」議会委員会に課せられた任務とその主たる課題が要約されている。説明が長くなる場合あるいは批判的検討部分はこれまで同様、本文の外に(註)の形で出してある。ここでは特に中見出しはない。

以下本文。


 アメリカの戦略態勢議会委員会は、「合衆国の長期的戦略態勢について調べ、勧告をする」とするアメリカ議会の認許を受けて設立された。その法律(ここでいう認許―charterのこと)では、「態勢」を単に核抑止のことだけではなく、もっと幅広く定義している。委員会は結論を引き出し、その結果を発展させ、勧告を作ることが任務とされた。この最終報告書は2008年12月の暫定報告書をもととし、それを発展させる形で構築された。われわれは、国家のために働くこの機会を喜ぶと同時に引き続きこうした課題に関われることを楽しみにしている。

 委員会は次の列記する特に示された疑問を解く作業を中心に構成された。

外部的安全保障の環境の中で、どんな要素がアメリカの政策と戦略にとって大切な情報なのか?
冷戦終結後、アメリカの核政策と核戦略(註67)はいかなる進化を遂げたのか?
アメリカの軍事戦略と国家安全保障政策の中で、核兵器とアメリカの戦略的軍事力は、より一般的には(ミサイル防衛を含んでいるが)、今日どんな役割を演ずるべきなのか?
アメリカの軍事力はいかに構えるべきなのか?どのくらいの数の核兵器が“充分”なのか?
安全保障環境を形作るのに政治的手法(註68)はいかに使用されるべきなのか?軍備管理に何が貢献できるのか?いかに核不拡散を強化できるのか?
安全で安定し信頼するに足る核抑止にとって、何が、もっとも効率的かつ有効な道なのか?(註69)

 この最終報告書は委員会によって達した合意を文書化したものである。委員個々人は、総体的な結果とそれぞれの結論及び勧告に賛意を表明した。ただし特記した異議のある箇所がいくつかある点は例外である。しかし委員会は論争の生じたそれぞれの点に関する厳密な言葉使いについては、全幅の合意を敢えて求めようとしなかったし、よって委員個々人が、この報告書のすべての、あるいはどの箇所をとっても完全に基軸を合わせているとはいえないかも知れない。

 この報告書は次のように進行している。まず、安全保障環境の見直しから始まる。第1章は、ここ数十年いかにアメリカが知っておくべき安全保障環境が進化してきたかについて叙述する。ここで展開した鍵となる論争は、この環境がそれぞれ独立に異なる段階で進化してきていること、そしてそれぞれ(の段階が)「挑戦とチャンス」をセットで有していることだった。アメリカの政策と戦略は、直近の時期の、それ独自の「挑戦とチャンス」に合わせて仕立てられなければならない。バランスの取れたアプローチ(註70)が必要とされている。それは、アメリカの国家力における軍事的手法と政治的手法が包括的アプローチの中で統合され、核の危険に対応しかつ削減できるものであろう。(註71)

 この報告書の残りの部分は、ここ数年先までいかにこれを達成すべきかについて詳述されている。第2章から第6章までは、アメリカの戦略態勢のそれぞれ異なる視点に力点がおかれている。これには核軍事力構造、ミサイル防衛、宣言的政策、核兵器貯蔵、核兵器複合施設(核兵器複合体)などを含んでいる。第7章から第9章まではアメリカの国家目的を支援する政治戦略について述べ、それぞれ異なる視点に力点がおかれている。これには、軍備管理、不拡散などが含まれている。またこの領域では、別途に包括的核実験禁止条約について論じられている。第10章は、追加的な防止手段および防護手段に力点がおかれる。(註72)この報告書は、われわれのいくつかの委員会が達成した合意そのものの性質に関するいくつかの所感で締めくくられている。追補は委員会作業に関する補足的情報を提供している。

註67 「核政策と核戦略」の元の言葉は“nuclear policy and nuclear strategy”である。この報告書では「核」と「核兵器」あるいは「核軍事力」を非常にしばしば、厳密に使い分けている。「核」も「核兵器」も同じこと、という言葉のセンスでは、報告書の行間は読み取れないと思う。
註68 「政治的手法」の元の言葉は“political instruments”で当然のことながら複数形になっている。
註69 ここは彼らの問題意識が読み取れて非常に興味深い。オバマの「プラハ演説」やこの報告書のペリーの「緒言」における強調を裏切って、「核兵器廃絶の条件とはいかなるものか?」とか「長期的に核兵器廃絶のためにはいかなるステップをとるべきか?」「いかなる技術的、政治的問題が生ずるか?」とか「廃絶を拒否する国があれば、いかなる手段を採るべきか?」とかといった、私に取ってはとびきり重要な問題意識が全く含まれていない。
註70 「バランスの取れたアプローチ」とは「挑戦」と「チャンス」の間のバランスがとれたアプローチのことである。
註71 ここの一連の記述は、いかにも尻切れトンボで抽象的である。もともともっと具体的に叙述してある箇所があって、最終的にその部分が削除された、という感じがする。(私の思い過ごしかも知れないが・・・)この報告書そのものが宣言的政策文書であることを片時も忘れるべきでない。
註72 この報告書では「防止」(prevention)は「あることが起こらないように手当てする」という意味で使われている。その意味では「予防」と訳すべきなのかも知れない。それに対して「防護」(protection)は「あることが起こった時に、その危険や被害から守る」という意味で使われている。たとえば、「核戦争は核抑止力で防止できる。しかし核抑止力も完璧ではない。もし核抑止に失敗したときのことを考えて、その防護策も同時に考えておかねばならない。」という風に。