(2010.3.5)
アメリカの戦略態勢<America's Strategic Posture>


第1章 挑戦と機会論 (On Challenges and Opportunities)

「導入部」に続く第1章である。「挑戦」とは、アメリカに対する「脅威」に立ち向かっていく事を意味し、「機会」とは、アメリカを取り巻く「危険」や「脅威」を削減することを意味している。ここでのテーマは、アメリカを取り巻く安全保障環境に対する評価である。冷戦時代を振り返り、1989年から2009年、すなわち冷戦後から今日までを分析している。その上で直近の「挑戦」と「機会」を論じている。そして「アメリカは、核抑止力、軍備管理、核不拡散の3つの要素の間のバランスをとりつつ、核の危険を削減していかなければならない。」と「核兵器が廃絶できる条件が整うまでアメリカは核兵器を保持しなければならない」の2つの主要な結論を引き出し、これをアメリカ議会に対する勧告の柱としている。またこれは、つづめていえば、この報告書全体の結論でもある。特徴とすれば、「先に結論ありき」の論理展開になっていること、「アメリカの核兵器保有は正義だ。」とするイデオロギーに基づく、あるいは公式のプロバガンダに基づく歪んだ世界観や認識を描出していることだろう。現在の核兵器を巡る世界の状況を根本から把握するという意味では、この報告書の中でもっとも重要な章であるといえる。ただ歪んだ世界観から、核兵器を巡る情勢分析を行っているため、多くの箇所で論理的破綻や、事実関係の「ご都合主義的解釈」が随所に現れている。たとえば枕言葉のように使われる「過去60年間」といった表現がそうであろう。原爆が登場したのは1945年であるから「過去65年間」としなければならない。しかしそうするとこの報告書は「広島」「長崎」に触れなくてはならない。そうすると「アメリカが核兵器を使用しないことを一貫した政策として取ってきた。」と云う記述は、吹っ飛んでしまう。しかもアメリカは唯一の「核兵器実戦使用国」なのだ。しかしそうした歪んだ世界観を修正しながら読んでいくと、ここの記述には学ぶ事も多い。逆にプロバガンダに洗脳されたわれわれの頭の中の「核兵器を巡る歪んだ世界観」を修正してくれる。
長くなる注釈や説明は(註67)、(註68)・・・の形で外に出した。本文中には(青字)の形で短い説明を加えたところもある。また原文の中見出しは大きめの黒字ゴシックで、私が検索用につけた中見出しは小さめの青字ゴシックで表示してある。

以下本文。

 政策と戦略の公式化は、国際的安全保障環境を健全に評価することから開始すべきである。その場合の評価は、アメリカとその同盟国の安全保障にとって、及びより広くは国際的安全保障にとって、の両方の観点から核兵器によるどんな個々別々の危険があるのかを明確に特定しなければならない。またそうした危険に関連して挑戦する政策とはなんであるかをはっきり特徴付けなければならない。また同時にそうした評価は、核兵器の危険を削減するどんな良き機会があるのかを明確に特定しなければならない。当然予測されるであろうが、国際環境の変動につれて、この挑戦と良き機会は何度なく進化を遂げている。
 簡単にこれまでの歴史を振り返っておくことは、最近の数十年間に、アメリカの政策と戦略とともに、いかに国際的安全保障環境が進化したかをあらためて確認する助けとはなろう。またそれは同時に、安全保障環境とアメリカの政策及び戦略の両方に、脈々と続くいくつかの重要な要素があることを確認することにもなろう。

冷戦(The Cold War)(註73)

 第二次世界大戦の最中、極めて多くの人的損失発生させる原因となる敵を倒すことになったアメリカの原爆の使用(註74)のその直後の大混乱の間、核競争を避け、また核兵器のための国際的管理体制を創出しようという小さな機会があったかに見える。(註75)

 しかし、ソ連が1940年代後半、ヨーロッパやその他の地域で地政学的な優位性を増大しようとする意図があったために、この機会が逃げたことが証明されている。(註76)従ってアメリカの核政策ための挑戦が多くなり、一方(核兵器の危険を削減するための)良き機会はほとんどなくなったかのように見える。(註77)

 冷戦時代を通じて、核への挑戦の基本原理は、核抑止機能を効果的に保証することだった。(註78)何十年にもわたって、アメリカとその同盟国はソ連とワルシャワ条約機構からの、その存在そのものに対する脅威に直面してきた。(註79)

 この期間を通じて、ヨーロッパにおけるソ連とワルシャワ条約機構の通常軍事力の優位性は圧倒的と見なされていた。これらは、ソ連の厖大な核兵器の製造と西側社会に対する戦略的優位性を増強しようとするその努力とによって事実上強化されていた。従って、ソ連は、基本的には熱い戦争から冷戦のまま止めようとする核抑止力を形作っていった。(註80)

 アメリカはその核兵器を第一義的には、西ヨーロッパの同盟国に対するソ連とワルシャワ条約機構からの攻撃を抑止するために構築された。またそうすることによって、アメリカの同盟国をより安全にし、また彼ら(西側の同盟国)が自ら核兵器を獲得しようという圧力にも対抗したのだっだ。(註81)モスクワには核兵器を使用する脅威がみてとれそれを保証するために、アメリカに配置するアメリカの核兵器軍事力を抑止的攻撃(註82)に焦点を当てなければならなかった。

 アメリカの核抑止力を維持することは、その軍事作戦上の有効性を保証する、技術上は野心的な諸国家計画を要求した。核抑止力へのはっきりとした必要性から、大きくて多様な核兵器敞の開発へと進んでいった。そのピーク1967年には、アメリカの兵器敞には、約3万2000の核兵器があった。この中には、戦略的ミサイルの核弾頭、戦術的空中投下型爆弾、核砲弾、核地雷、核魚雷、対弾道弾ミサイル核弾頭などを含んでいた。ソ連の核兵器敞は最終的に4万5000を越えていた。他の諸国、特にフランス、イギリス、中国もまた核兵器を開発、保有した。しかしはるかに小さな数字であり、数百も下の数だ。

 この時期の鍵となる挑戦は、戦略的安定性を維持することだった。仮に米ソの両国がそれぞれの戦略的核兵器敞の近代化を推進し、またソ連が優位性を獲得しようとしていたにせよ、である。アメリカは核競争を力で抑えつけようと模索する一方で、そのコストとリスクを制限しようというやり方で、なんとか管理しようとした。この時期の軍備管理は、核兵器の建造を制限するという役割を果たした。(戦略兵器制限協定のもとで。)

 冷戦期の主たる「良き機会」は不拡散体制の創出だ。1950年代、60年代には多くの国々が国家的核兵器計画の選択と自前の(核兵器製造)能力獲得の選択に直面していた。そしてその道を選ばなかった。また多くに国々が、原子力科学の平和的利用の利益を追求していた。それは主としてエネルギー生産の道だった。しかし彼らは、国家から非国家関係者まで、犯罪者からテロリストまで、正当な民間原子力科学利用の動きを違法な原子力科学の利用に転換することに関心を持っていた。従って、この時期、核不拡散体制を構築することが可能だった。 

 これは段階ごとに行われた。最初は1950年代に国際原子力機関(IAEA)(註83)の創設となって実現し、同時にまた原子力科学の民間利用についての警察力でもあった。それから1960年代の遅くに、核拡散防止条約(NPT)(註84)の交渉があった。NPTは、この交渉以前に核装置の実験に成功していた5カ国(アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国)を核兵器保有国と確認し、そしてこの5カ国はNPT第6条の規定に基づいて、核競争に終止符を打ち、究極的には総体的かつ完全な地球規模の軍縮という意味合いにおいて、自らの核兵器を放棄することに責任を負ったのである。(註85)この5カ国はまた同時に国連安全保障理事会の常任理事国である。(これ以降P−5と省略する。)

 冷戦の歴史を短く振り返ったが、このことはひとつのキーポイントをわれわれに気付かせてくれる。すなわち:

 その最も早い時期の基礎構造からして、アメリカの核戦略は2つの不可避的な鍵によって導かれていたと云うことだ。最初の鍵は、強力で効果的な抑止力で核の危険性を削減したということ。2番目の鍵は、これら危険性を、軍備管理と核不拡散を使いつつ、更に削減していったという事だ。これらのもの(抑止力、軍備管理、核不拡散)は、自らそれ自身を強化する。そしてそれらを達成する段階は、さらに広がる可能性をもって、互いに補うべきである。

註73  東西陣営の対立、という意味で「冷戦」という言葉を最初に使ったのは、1947年4月、ある会合のスピーチで「今、冷戦の真ただ中にあることをごまかさずに受け容れよう。」とした、金融家のバーナード・バルーク(Bernard Baruch)である。バルークはウイルソン大統領、F・ルーズベルト大統領の金融政策担当の顧問でもあった。同年、ジャーナリストのウォルター・リップマンが「冷戦」(「the Cold War」)と云う題名の本を出版し、一躍人口に膾炙されるようになった。しかし「冷戦」という言葉そのものを最初に使ったのは、1945年10月、トリビューン紙に「あなたと原爆」というエッセイを寄稿したジョージ・オーウェルである。オーウェルはこのエッセイの中で、「核兵器時代は、核兵器を保有する一部一握りの大国が世界を分割支配する時代。」と規定し、大国同士核兵器をお互いに使用しないとの暗黙の了解のもとに、他に報復手段を持たない小国や人民を核兵器の威力で支配する時代となる、それは「平和のない平和」という「安定」の時代であると論じた上で、こうした状態を「冷戦」と呼んだ。もしオーウェルの意味で「冷戦」という言葉を使うとすれば、「冷戦」はまだ終わっていないことになる。
(ジョージ・オーウェルの「あなたと原爆」は次<http://www.inaco.co.jp/
isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/George_Orwell.htm>
。)
註74  「第二次世界大戦の最中、極めて多くの人的損失発生させる原因となる敵を倒すことになったアメリカの原爆の使用」。やはりここから始めなければならないだろう。そしてここにすべて戻っていく。この議論がアメリカの現在の核兵器保有正当化論の出発点の根拠だからだ。そこへ行くと、ロシアはもっとまともに核兵器保有の正当化ができる。大国アメリカが保有している以上、ロシア(ソ連)もやむを得ず持たざるを得なかった、しかし、ロシアはアメリカと違って一度もこれを実戦で使用したことはない、という事が出来る。結論から云って、アメリカが戦争末期、原爆を使用したのは、スターリンを恐怖させ、原爆開発に駆り立て、2大核兵器大国時代を現出し、終末を迎える第二次世界大戦に替わる「準戦時体制」を作るためだった。そしてこの体制はすぐに「冷戦」と呼ばれるようになった。
註75  「また核兵器のための国際的管理体制を創出しようという小さな機会があったかに見える。」代表的には45年11月、当時陸軍長官だったヘンリー・スティムソンのトルーマンに対して提出された。「原爆管理のための行動提言」が上げられるだろう。この中でスティムソンは「ただちにソ連と交渉に入り、お互いにこれを使用しないと協定した上で、原爆を封印してしまおう、これ以上の開発をやめよう。人間の文明にとって、原爆は革命的に危険だ。」と主張している。(次「http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/stim-memo/stim19450911.htm」)またマンハッタン計画に参加した科学者からも、「原爆は技術的、科学的な手法をもっては人間が管理できない。唯一これを管理する手段は政治的手法による管理だ。国際的な管理機構を作って、必要とあれば国家主権を制限してでも、これを国際的管理機構に移管すべきだ。」という主張が、原爆が完成する以前に出されている。(「フランク・レポート」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/flanc_report.htm>)その意味では、この「戦略態勢議会委員会」は多くの歴史学者、政治学者が見落としている、現在の核兵器時代の出発点を的確にポイントとして把握していることになる。ただそのポイントの解釈と扱いが私とは違っているだけだ。重要ポイントであることには変わりない。
註76  「しかし、ソ連が1940年代後半、ヨーロッパやその他の地域で地政学的な優位性を増大しようとする意図があったために、この機会が逃げたことが証明されている。」。これは事実と違うだろう。ソ連が原爆の核実験に成功するのは、1949年。45年から49年までは、アメリカが唯一の核兵器保有国だった。だから、前述のスティムソン提言の中で、「原爆に関する交渉にロシアは応じると思う。仮にロシアが応じないとすれば、原爆を持っているのはアメリカだけなのだから、威しを使ってでもできるはずだ。とにかく原爆を封印してしまうことが人類文明を救う道だ。」と述べている。この時が、スティムソンの云うように核兵器廃絶の最初の実現可能性のあるチャンスだった。しかし、トルーマン政権とアメリカの支配層は、スティムソンのような大きな視野に立てず、核兵器を根本に置いた「準戦時体制」を選択した、というのが歴史の真実だろう。第一、この時すべてのカードを握っていたのはアメリカなので、ソ連には何の切り札もなかった。だから「原爆の国際一元管理体制」がこの時成立しなかったのをソ連のせいにすることはできない。すべてアメリカの政治的選択だったのだから。
註77  「良き機会はほとんどなくなったかのように見える。」従って、「良き機会」(opportunity )はなくなったのではなくて、アメリカが政策的に選択しなかったのである。この認識は比較的重要である。この報告書では「良き機会」はしばしば「核兵器の脅威」を削減する「機会」として言及しており、「核兵器廃絶」の「良き機会」という意味では一度も使われていない。「核兵器廃絶の客観条件は現在はない。」と前提しているのだから。しかし、45年から49年は「核兵器廃絶」の「良き機会」だった。つまりこの報告書では、「核兵器廃絶」の良き機会と、「核兵器脅威の削減」という全く異なる対象物に同じ「良き機会」という概念をつかって叙述している。この意図的な混同は、この報告書の目指す方向が、たとえ将来のこととしても、「核兵器廃絶」を目指す考えのないことを隠蔽するために使われている。この意味でペリー(民主党)とシュレジンジャー(共和党)の違いはない。違いがあるとすれば、表現の仕方だけだ。
註78  「戦略的安定性」はstrategic stability。ペリーらが「戦略的安定性」と呼んでいるものの本質を考えることはとても重要だと思う。ペリーが戦略的安定と呼んでいるのは、核兵器保有国同士に核抑止力が働いてお互いがお互いの報復を恐れ、いわば相互牽制(mutual containment=これは私の今作った英語である。)の状態から発生する相互攻撃のない状態である。たとえば、アメリカとロシアの場合であれば、これは生ずるかも知れない。アメリカと中国の場合でも生ずるかも知れない。アメリカと北朝鮮の場合だと、同じ核兵器保有国同士でも生じない。もっている核兵器の質と量が全く違うからだ。アメリカと非核兵器保有国の間ではどうだろうか?これは理論上は生じない。しかし、実際には生じている。が、核兵器保有国の側からいとも簡単に一方的に破ることができる。非核兵器保有国からみると、戦略的安定性は存在しない。この不安定を「安定」させようとすれば、一方的に核兵器保有国の支配を受け容れなければならない。言い替えれば、「奴隷」の安定性だ。しかし、これはなにも核兵器に特有な現象ではない。圧倒的な軍事力をもった国同士の間には相互牽制が働くが、そうでない場合には支配−被支配の関係が生まれる、といっているに過ぎない。核兵器が絶対破壊的兵器で地球自体を滅ぼす可能性を持っている点が違っているだけだ。デスコトは「相互恐怖」が「安定」と呼ばれている(mutual terror is called "stability.“)といったが、確かにこれがペリーのいう「戦略的安定性」だ。というのは、この「相互恐怖」は戦略的にもたらされたものだからだ。すでにオーウェルは1945年10月にこれを「平和のない平和」(peace that is no peace)と呼び、古代の奴隷帝国のような、空恐ろしい「安定」(as horribly stable as the slave empires of antiquity)と呼んだ。やはりこれが、ペリーの「戦略的安定性」の本質なのだろう。
註79  ここもどうか?歴史的経緯からすると、軍事同盟「北大西洋条約機構」(NATO)が成立するのは、1949年4月4日である。これに対抗する形で東欧相互防衛援助条約機構(ワルシャワ条約機構)が1955年に成立した。ここの一連の記述は、社会科学的記述というより、「アメリカ王朝」の「正史」として読まなければならないのか?
註80  おもしろい記述である。考えて見なければならないだろう。
註81  基本的に「核の傘」の本質を衝いている。「核の傘」の目的は同盟国を核攻撃から守ることより、同盟国に核兵器をもたせないことが目的だった。また地政学上同盟国が核兵器を保有することが必要と考えた場合は持たせた。たとえば、イスラエルの場合、またパレービー王朝下のイラン帝国の場合。アパルトヘイト下の南アフリカ共和国の場合はどうだったのだろうか?
註82  戦略的兵器制限協定は「the Strategic Arms Limitations Treaty」と表現されている。
註83  国際原子力機関(IAEA)は元来、1957年アメリカ原子力委員会の国際版として設立された。初代事務総長はアメリカの下院議員だったスターリング・コール(W. Sterling Cole)だった。英語Wikipediaもこの人物には触れたくないようで、記述は短い。<http://en.wikipedia.org/wiki/W._Sterling_Cole>
註84 核拡散防止条約(NPT)は“Nuclear Non-Proliferation Treaty”と表記されている。
註85 「自らの核兵器を放棄することに責任を負ったのである。」ここは驚くべき記述である。アメリカが、核兵器不拡散条約を、「究極的に核兵器廃絶を謳った国際条約」であることを認めたのは初めてではないか。オバマのプラハ演説でも、「核軍縮義務」があることを認めるにとどまっている。


1989年から2009年まで

一連の核兵器削減交渉

 中央ヨーロッパ及び東ヨーロッパにおける共産主義政権の崩壊そしてソビエト連邦の消滅は、アメリカの核政策とその戦略と極めて深い密接な関係があった。「挑戦」はより後退的な要求となり、「機会」は比較的意義深いものとなった。同時にいくつかの「挑戦」が緊急性を帯びてきた。

 ソビエト連邦を核抑止し、ワルシャワ条約機構を攻撃するという「挑戦」は明白に消滅した。「核の対決」から手を引き、軍事競争を終わらせ、共通の核の危険削減を実施するという劇的ともいえる段階を、(ロシアとの)2国間においても、(アメリカ単独で)単独でも迎えている。戦略的核軍事力の、大いに有意味な削減は、1991年合意された。それは戦略的軍備削減協定(註86)(the Strategic Arm Reduction Treaty-START T)の下での合意であった。さらに2002年、「モスクワ協定」(the Treaty of Moscow)の名前で知られる「戦略攻撃能力削減に関する条約」(註87)(モスクワ条約)(the Strategic Offensive Reduction Treaty-SORT)の下でも合意された。「SORT」では、2012年末までに、アメリカとロシア両国の運用中の実戦配備核弾頭を2200から1700の間に削減することを義務づけている。実際の所アメリカは2008年の後半までに、この条約の上限を下回るところまで削減を完了している。これは、アメリカの実際運用配備核弾頭としては、アイゼンハワー政権以来最低のレベルである。

 冷戦の終結は、また同時に、非戦略的核能力の大幅な削減ももたらした。おおよそ1万4000の戦術核兵器が、1991年のジョージ・H・Wブッシュ大統領とミハイル・ゴルバチョフ大統領との間の、そして1992年にはボリス・エリツィン大統領との、それぞれ大統領核イニシアティブ(註88)(the Presidential Nuclear Initiative)の下で、実戦配備から撤収された。また、アメリカは核砲弾及び短距離弾道ミサイル用の核弾頭、海軍水上艦、攻撃型潜水艦、陸上ベースの海軍航空隊のすべての核弾頭を引き上げた。これらのイニシアティブは(軍事上の問題と)政治上の問題と抱き合わせているだけでなく、その性格上、相互補完的でもある。

 同時にロシアも、その貯蔵施設で少なくなった残った非戦略的核弾頭の能力を引き上げることを約束した。これらのイニシアティブはまた、戦略的軍事力を警戒態勢から解き、また様々な(核兵器の)近代化計画から遠ざかっておくという、いくつかの段階をもふくんでいる。


註86 日本語Wikipediaの比較的客観的な記事<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%A
C%A1%E6%88%A6%E7%95%A5%E5%85%B5%E5%99
%A8%E5%89%8A%E6%B8%9B%E6%9D%A1%E7%B4%84>
はつぎのように述べている。
第一次戦略兵器削減条約は、米ソ間で1982年にSTART(STrategic Arms Reduction Talks 戦略兵器削減交渉)としてはじめられた交渉の中で結ばれた。 なお、1987年には同様の軍縮条約として中距離核戦力全廃条約が調印されている。」「1991年7月31日に調印された。米ソは保有する戦略核弾頭数の上限を6,000発、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)や爆撃機など戦略核の運搬手段の総計を1,600機に削減されることとなった。さらに、弾道ミサイルへ装着した核弾頭数も4,900発に制限された。」
2001年までに米ロ両国は、弾頭数の削減が終了したことを宣言している。」
2009年12月グリニッジ標準時5日午前0時(日本時間同日午前9時)、START Iは次の条約を締結することなく失効した。」

註87  「the Strategic Offensive Reduction Treaty-SORT)」アメリカとロシアの戦略核弾頭の配備数を2012年までに1700〜2200発まで削減することを定める。廃棄義務はない。「軍備管理Org」の「SORT一瞥」<http://www.armscontrol.org/factsheets/sort-glance>を見ると、この条約は2002年5月に発効し2012年12月31日に失効する。アメリカ政府は2004年6月この条約に基づいて、「2012年までに実戦配備及び非配備合わせて大ざっぱにいって1万にまで削減する。」と発表した。この時のアメリカの大統領はジョージ・ウォーカー・ブッシュであり、ロシアの大統領はウラジミール・プーチンである。
註88  「大統領核イニシアティブ」“the Presidential Nuclear Initiative”―PNI。「軍備管理Org」の「PNI一瞥」<http://www.armscontrol.org/factsheets/pniglance>によると、「冷戦終了後、アメリカとロシアは、核兵器の上限と削減を確約しあった。ほとんどは、戦場で使用する戦術かくへきであり、核砲弾を主体とする。」アメリカ大統領ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュの確約は1991年9月27日行われ、ロシア大統領ミハイル・ゴルバチョフの確約は1991年10月5日に行われた。1992年1月29日ロシア大統領ボリス・エリツィンはゴルバチョフの確約を再確認した。


冷戦の終結とロシアとの関係

 冷戦の終結はまた、ソビエト連邦の前構成国の一部分の国々でいまや独立国、すなわち、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシにおける核兵器とそれに関連した諸能力の運命に関して重要な疑問を提起した。政治的説得(持たないようにとの説得)、安全保障の保証、そしてその他の手段の注意深い調和の取れたプロセスを通じて、これらの国々(ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシ)は、核兵器能力を放棄した。

 冷戦の終結はまた、旧ソビエト連邦の中にある核複合施設における安全性と安全保障に対する「挑戦」に力点をおいた、ワシントンとモスクワとの協力関係を拡大するという「機会」を開いた。このいわゆる「だらしない核兵器」(loose nukes)問題は、ロシアやその他の地域における核兵器、核分裂物質や施設を安全化するため、「共同脅威削減計画」(註89)のもと、かなりのアメリカが持つ資源を必要とした。

 もっと敷延していえば、アメリカはロシアとの関係の基礎として、核抑止力から遠ざかるこの時期を通じて、継続する「挑戦」に直面したということであり、安全保障関係がシフトしたということでもある。この努力(すなわち「挑戦」)は幾分複雑なものである。ロシアが、共通する国際的安全保障問題において、西側のより強力なパートナーになろうとしているのか、あるいはなることができるのか、この課題が引き続き不透明なためである。さらにこの問題は、軍備管理的手法が(ロシアとの)パートナー関係を更に深化させるものになるのか、それとも手に負えない、その性質として敵対的なものとなり、意図とはまったく逆の結果をもたらすのかと言う点で、異なる見方があるため、さらに複雑な様相を見せている。

 従って、アメリカの政策における力点は、核抑止より持たないよう説得することへ多くシフトしていった。そのことは、戦争を防止しロシアが(核兵器を)使用するのに消極的にすることに焦点を合わせることから、政治的優位性を追求して核競争を新たにすることへ(移行した)という言い方もできる。しかし、お互いが相手を破滅させる実戦配備能力を保持している限りは、核抑止は2国間の関係において一定の役割を演じている。さはさりながら、核抑止は冷戦時代のそれとははっきり一線を画している。


註89 「共同脅威削減計画」“Cooperative Threat Reduction Program”。1992年に当時上院議員だったリチャード・ルーガーとサムエル・ナンが主導して、旧ソ連に残存した大量破壊兵器(核兵器及び核兵器搬送手段が主体)を廃棄または安全化する計画。「ナン−ルーガー計画」とも呼ばれる。この時対象となった旧ソ連諸国は、ロシア、ウクライナ、グルジア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、ウズベキスタン、カザフスタン。この計画で廃棄または安全化またはロシアに引き渡された核兵器及びその搬送手段は次の通り。
核弾頭6,312、大陸間弾道弾537、大陸間弾道弾サイロ459、移動型大陸間弾道弾発射装置11、爆撃機128 bombers、空対地核ミサイル708、潜水艦ミサイル発射装置408、潜水艦発射ミサイル496、原子力潜水艦27、地下核実験トンネル194など。
(以上英語Wikipedia<http://en.wikipedia.org/wiki/Nunn%E2%80%93Lugar
_Cooperative_Threat_Reduction>
による。)

核不拡散体制の強化

 この時期は、もう一つの重要な「機会」をももたらした。「核不拡散体制」の強化である。この体制強化の取り組みは、イラクと北朝鮮における不正な核兵器活動の暴露に続いてその緊急性を、特に見ることができた。そうすることの(不拡散活動に取り組むことの)「機会」は、諸大国がそうすることに重要な役割を果たさなければならないとする見解が、その点に収斂してきていることは強調されなければならない。中国とフランスが1992年、喜んでNPTに参加したことは特筆に値する。1995年のNPT再検討会議では、参加各国はその条約(NPT条約)の将来に関して決断を要求されていた。すなわち、NPTは延長されるべきか、もしそうだとすればいつまで延長されるべきか、そしてどのような条件においてか、といった問題である。参加各国はさらに効果的な運用を実施するという文脈の中で、決定は無期限に延長する、というものだった。この決定にいたるにあたってアメリカは主導的な役割を演じた。(註90)

 冷戦終了以来のこの時期、3つの大きな「挑戦」が渾然一体となった。そのうち2つは冷戦時代を通じての「挑戦」だったが、過去20年間の間にその新たな重要性を増した。「核拡散」と「核テロリズム」である。3つめは、戦略的環境の新たな不透明性という性質である。

 冷戦時代、アメリカの確立した拡大核抑止力の関係によって(そしてまたソビエト連邦によって)、また「非拡散体制」の創出によって、核拡散は強く禁止されていた。

 上記で触れたように、冷戦時代の拡散の「巻き返し」(以前の地位に戻すこと。"roll back")の例すら見られたのである。とりわけ南アフリカの例がそうだ。しかし、冷戦の終結以来、イラクの核兵器計画や1998年のインドとパキスタンの核実験、2006年北朝鮮の核実験に見られる如く、また拡散は続いている。(註91)今日イランは核兵器能力へ後もう少しの所へ立っている。このような拡散はさまざまな理由によって問題の種になっている。ある種の国々の中では、核不拡散体制の「生存可能性」に疑義が生ずる結果になっている。また周辺諸国の間での核兵器利益を刺激することになっている。これらの国々での確立される核兵器敞や核兵器に関する安全性や安全保障性について疑念が上がっている。また既存の国際的管理機構の枠外での新たな供給ネットワークもできている。

 アメリカ、あるいは既存のままの状態としての地域に対する交戦国への核拡散はいろいろな理由によって特に問題を起こす。それはある種の政治的指導者を、近隣国を威圧する目的で核兵器の威嚇を使用できると信じさせることになるかも知れない。あるいは、近隣諸国から発生する国際的紛争や、アメリカを抑止する目的で、そうすることができる、と信じさせるかも知れない。このことは、交戦国を積極行為に向けて大胆させるかも知れないし、均衡を取り戻すために極めて危険な努力を要求するような国内的犯罪行為(transgression)に駆り立てるかも知れない。(註92)そのような核拡散は同時に核兵器がテロリストグループの手に陥るような危険を増大させる。

註90  国際政治学者浅井基文(現広島平和研究所所長)によれば、1995年NPT再検討会議の特徴は次の如くである。「@NPTの無期限延長決定、A運用検討会議の5年ごとの開催を決定、B核不拡散・核軍縮のための原則・目標の決定」これは「大国の核兵器独占体制を永久に固定化し、核拡散防止に力点を置く<アメリカが主導>@」。そして@に対する核大国の譲歩としてAとBがあったという。核大国(特にアメリカ)がなした譲歩はこればかりではない。「会議に先立って行われた、非核兵器国に対する核兵器不使用の個別声明」(消極的安全保障)などを出した。中でも最大の譲歩は、核兵器不拡散条約を究極的に核兵器廃絶を目指す国際条約と認めたことだろう。これはこのペリー報告でも『そしてこの5カ国はNPT第6条の規定に基づいて、核競争に終止符を打ち、究極的には総体的かつ完全な地球規模の軍縮という意味合いにおいて、自らの核兵器を放棄することに責任を負ったのである。』(註85参照の事)ことを明確に述べている。(なおこの註中「」は、浅井の作成したある勉強会のレジュメからの引用である。)
註91 この報告での認識は、冷戦中は核兵器の拡散はなかったが、冷戦後急速に拡散した、というものである。この見方を支持するため意図的な事実のねじ曲げを行っている。冷戦終結を1990年とみれば、インドの核実験は1998年が最初ではなく1974年の「Smiling Buddha」が最初である。またこの時期にはイスラエルはすでに核兵器保有国になっていた。また南アフリカ共和国は「冷戦中」に核兵器保有国となって実戦配備していた。南アフリカが核兵器を廃棄してNPT・IAEAに加盟するのは1991年、まさに冷戦終結のエポックメイキングだった。冷戦時5核大国に加えて3カ国が核兵器保有国になっていた。冷戦終結後、南アフリカ共和国が非核兵器保有国となり、パキスタンと北朝鮮が核兵器保有国となった。だからペリー報告の認識は歪んでいる。そればかりではなく、冷戦終結後は、ブラジル、アルゼンチンなどの潜在核兵器保有国が核兵器放棄を宣言したばかりでなく、世界中の多くの国が「核兵器保有国」にならないことを宣言した。また、旧ソ連崩壊後、旧ソ連の残存核兵器のために一時的に「核兵器保有国」となった諸国のうち、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、カザフスタンの3カ国は、他の中央アジア諸国と共に2009年中央アジア非核兵器地帯を発効させ、自国領土内からの核兵器放棄を宣言した。いまや核兵器を完全放棄している諸国の方が、国連加盟約200カ国のうち圧倒的多数を占めるまでになっている。アメリカは「核兵器独占体制」の進展として自らの努力を評価するだろうが、これは歴史のパラドックスである。アメリカの「成功」は、やがてそれ自体が「敵対物」に転化するであろう。
註92 ここは明らかにイランを指している。

核テロリズム

 2番目に重要な新たな「挑戦」は核テロリズムである。先ほども触れたように、核テロリズムに関する心配そのものは、核時代とともに古くからあった。しかし、それが顕著な問題となったのは、ここ10年かそこらである。オサマ・ビン・ラディンが核兵器を入手することは「聖なる義務」であると明確に声明して以来である。それ以来、アルカイダのその意図やそうする(彼らの)努力の明白な証拠が挙がって来ている。その上さらに、その他のグループもこれに興味を示している。このことも予測するのが極めてむつかしい深刻な脅威である。

 われわれ委員会の見解では、テロリストによる核兵器の計画的使用は、主権国家による計画的使用よりもはるかにありそうなことだ。(「計画的」“deliberate”という言葉は、主権国家による「意図的」な、という意味であり、事故や不法な使用とは明確に区別される。)(註93)

 核テロリズムによる危険は、テロを支援する国家に対する核兵器の拡散や核の処理に責任のある管理(体制)の外にある供給ネットワークの登場などにより、さらに増大している。(註94)これは、核抑止力がうまく当てはまらないが故に問題である。例外的に支援国家に対して報復への脅威を課す場合を除けば。(この後議論するように「継続の拒否」による核抑止力はこの問題と関連性があるかもしれない。)核テロリズムはまた国際的な対応を要求する課題でもある。というのは、それらが世界のどこでであれ、核テロリストが核兵器、核分裂物質、核専門技術の入手を防止することを要求するからである。

 3番目に重要な新たな「挑戦」は、安全保障環境の予測不可能な性格そのものである。冷戦においては、その環境は予測可能なものだった。二極秩序、高度な利害関係、長く続いたイデオロギー上の対立は、それを観測するものをしてこの環境は早急には変わらないという結論を出さしめた。(その予測は結局根拠のないことが証明された。)今日世界ははるかに複雑である。様々な潮流の混合物である。あるものは肯定的であり、他のものは否定的である。中国とロシアの国際的役割の未来については、かなりの程度不確定である。彼らは責任ある利害関係者として登場するだろうか、それとも秩序の挑戦者となるだろうか?様々な“新興大国”、その幾つかは核兵器とミサイルを自前で持とうと狙っているが、彼らの将来の役割についても、また不確定である。(註95)これら全部の要素が最善に転化しないかもしれない、またアメリカの核戦略にとっての新たな「挑戦」として立ち現れてくるかも知れない、実際突然立ち現れてくるかも知れないなどの可能性に予め防護しておく必要性については、特筆しておく必要がある。

 要約すると、冷戦が終結して以来のその間、アメリカはその戦略と政策を更新しつつ核の危険を削減してきた。実際の所、包括的かつ均衡のとれたアプローチの必要性は、この期間に進められてきた2回の核態勢見直し(the Nuclear Posture Review-NPR)に反映されてきた。1994年のNPRでは、クリントン政権はこの議題を包含する用語として「主導するが防護する」(“Lead but Hedge”)を方針として堅持した。「主導する」ことに対する関わりは、協力的な手法を通じて核の危険を削減する取り組みを具体化した。「防護する」(“Hedge”)することに対する関わりは、異なる環境に応じて核抑止力を変容させ、しかしもしロシアにおける政治的推移が劇的かつ突然に悪い方向へ変化したら、迅速に核軍事力を再拡張できるだけの軍事力を保持することにとって、その取り組みを具体化した。クリントン政権は、また大量破壊兵器で武装した「地域的攻撃者」の軍事的実行計画に重点をおいて特にそれを目的として「防衛対拡散イニシアティブ」を苦労して作り上げた。

 2001年のNPRでは、ブッシュ政権もまた「主導するが防護する」コンセプトを、「挑戦と機会」に対する政権独自の評価を、政権独自で反映した政権独自の言語と必要な均衡を政権独自の見解をもって、堅持した。(註96)ブッシュ政権は、冷戦時代の軍備管理交渉を、本来の敵対者としてまたロシアとの関係改善における潜在的な障害として見なした。

 しかし、ブッシュ政権は核兵器を必要最低数に削減したいという意欲、また核抑止力、保証、また(持たないようにとする)説得などの革新的なアプローチを通じての核の危険の削減に極めて意欲的だった。ブッシュ政権はその初期の対拡散問題の課題を拡張した。それは、出来事を予測して行う軍事行動と外交的ツール通じての大量破壊兵器に対して闘う戦略を伴っていた。外交的ツールというのは、たとえば、核兵器物質やその技術の不正な取り引きや移転に関する国際的対応を改善する努力などがそうである。また、大量破壊兵器に特化したテロとの戦い戦略を実施したのであった。


註93 ここも論理破綻が現れている箇所であろう。核兵器の「テロリストによる使用」、「事故による使用」、その「国内での不法な使用」の間で「核兵器の使用の蓋然性」に違いはない。どれも同程度の危険がある。別に「テロリストによる使用」特段危険というわけではない。ここは「国家による使用の危険は小さくなったが、テロリストによる使用の危険は増した」ことを強調するために( )で但し書きをつけたわけだが、かえって「テロリストによる使用の危険」の胡散臭さを際だたせる結果になっている。
註94 「NPT体制外」にある「供給ネットワーク」と書けなかった理由は、自ら主導する「核供給グループ」もNPT体制外にあるからだ。カーン博士の供給ネットワークも、「核供給グループ」のその点では同じである。従って「アメリカの主導するネットワーク」は安全だが、その他は違法で不法で危険だ、という理屈になる。これはまさに「オレがルールブックだ!」
註95 エリツィン時代、アメリカはロシアを支配したかに見えた。プーチンは違った。ロシアとアメリカは、国連安全保障理事会の永久常任理事国(P5)、NPTが確認した核兵器保有国という点では、利害が共通している。しかし「原子力発電市場」ではそうではない。「原子力」の「軍事利用」では利害が一致しているが「平和利用」では全く相反している。
註96 ペリーはブッシュ時代に相当腹を立てているようだ。


直近の「挑戦」と「機会」

 2009年、新政権がワシントンに興り、この2つの政策要素(「挑戦」と「機会」のこと)に対する関わりについて声明した。(大統領)候補として核政策問題の確固とした演説の中で、オバマ候補は2つの約束をなした。1つは究極の核廃絶を可能とするかも知れない条件をアメリカが創りだしていくことに再び関わること。2つは、アメリカは核兵器が存在する限り、究極の核軍縮(すなわち廃絶)を行わず、強力な抑止力を維持していくこと。これが不可避的な双子の政策の直近の表明である。(註97)アメリカの前に存在する疑問は、新政権が(条件の創設と抑止力の維持の)それぞれについて、いかに新たな環境にその政策を適応させていき、どこで「差引勘定ゼロ」(trade-off)となろうが、必要な均衡を達成するかということである。「核の国」(“nuclear realm”)において何が特段の「挑戦」であろうか?またいかなる「機会」をこの国は捉まえねばならないのであろうか?委員会の見解では、次の5つの要素が際だっている。

<第1>: 核テロリズムの脅威は深刻であり、高レベルでのアメリカの取り組みに引き続き値する。この「挑戦」の対応に成功するには強力な国際参加のもと、極めて包括的な努力を要する。それは引き続き以下に議論する通りである。
<第2>: 核拡散に向かい合った「挑戦」もまた同時に重大である。この脅威を大げさに言い立てないことが重要である。というのは、前にも論議したとおり、不拡散は多くの局面でこれまで成功してきたし、これからもそうあり続けることができるからだ。しかし、この脅威を過少視しないこともまた重要である。もしわれわれが現在の「挑戦」に成功を収めないなら、われわれは「転換点」(“tipping point”)に立っていることに気付くことになるかも知れない。そこでは(転換点では)多くのこれまでなかった諸国が彼ら自身の核抑止手段(すなわち核兵器)を必要だと結論づける。(註98)もしこの「転換点」を誤って取り扱うなら、われわれは「拡散のカスケード」に直面することになるかも知れない。
<第3>: アメリカの拡大抑止戦略及び計画の採用に関連した「挑戦」がある。ヨーロッパにおける拡大抑止に対する要求は進化しつつある。それはロシアとの関係が変化していることに基因している。ロシアの通常軍事力の威圧に決定的に脆弱な幾つかの同盟国の考え方、また中東から別な核脅威が生じていることにも基因している。アジアにおける拡大抑止力の要求はまた同時に進化している。それは北朝鮮が核の入り口に立っていること及び中国がその戦略的軍事力を近代化しつつあることに基因している。中東においては、色々な国が安全保障の保証者としてアメリカに依存している。そして疑問は、核軍事化した地域大国が現れるかどうか、あるいはいかに現れるか、ということだ。これら国々はアメリカからの明白なかつ信頼性のある反応を要求している。もしこれら安全保障の要求に応えることに失敗するならそれは深甚な反響を呼び起こす。(註99)北東アジアや中東における潜在的な「核候補国」をざっと見渡してみると、多くの拡散候補国は(アメリカの)友好国や、時には同盟国ですらある、ことに気がつく。これら友好国や同盟国が核兵器を追求する決定をしたなら、それはアメリカの利益にとってかなり大きな打撃となるだろう。(註100)
<第4>: 中国は今日アメリカの戦略的風景の中では、ますます重要である。過去数十年にわたって、中国を国際的孤立から表舞台にたつことを鼓舞しそしてその繁栄と安定を促進することに努力を注いでいた。(註101)いくらかの成功を見ながらも、国際システムにおける責任ある「共通の利害関係者」(“stakeholder”)賭しての役割を担わせようとしてきた。しかし、中国の増大する冨はまた、中国の増大する軍事力をももたらしている。今から10年あるいは20年先を見てみると、(軍事力は)さらに増大するだろう。委員会の見解では、中国との戦争の可能性は低い。主要な潜在的引火点は台湾との関係においてではあろうが。台湾では中国とアメリカは相当な違いをもっている。しかし北京とワシントンは日常的に平和的再統一の原理について繰り返し関わり合って来ているし、さらにその上、安全保障状況の改善にははっきりした証拠がある。核戦争の明白な危険となるとさらに(その可能性は)低い。しかし中国がその力を増すにつれ、中国の戦略的意図はかなりの程度不確定性を帯びてくることになり、従って注意深くその軍事的危険を管理していく必要性はある。

 中国は戦略的運搬システムあるいは核弾頭の数量に関する情報を公開していない。核弾頭の貯蔵はおよそ400と報告されているが、そのうち実戦配備のものは恐らく半分より幾分少ないであろう。中国の防衛白書によれば、中国は短距離、中距離、大陸間弾道ミサイルの核弾頭を保持しているという。中国は現在おそらく、アメリカ大陸を直接攻撃できる能力をもった大陸間弾道ミサイル(ICBM)を30程度保持しており、ハワイ、アラスカを攻撃できるものを10かそこら持っている。またアジアにおける同盟国や友好国(そしてそこのアメリカ軍基地)に到達できる能力をもった中距離、あるいは準中距離核ミサイルをもっと多く、恐らくは100以上のミサイルを持っている。中国は、他からの核威圧(“nuclear coercion”)を防止するために(中国はそれを対核抑止“counter deterrence ”と呼んでいる。)、新しい核兵器を含む戦略態勢を維持しているといっている。中国は引き続き「先制不使用」(“no-first-use”)政策を続けると言明している。しかしある中国政府の高官の声明では、この関与は条件次第になるかもしれない、と示唆している。

 最近の中国防衛白書は、「高度技術条件下での地域戦争」とまた核抑止力の条件下での要求に対応するため中国の軍事力の近代化を主導することを明確にしている。特に「自己防衛的核戦略」への信頼性を確保するためその核軍事力を強化するとしている。中国は道路移動型ミサイルや戦略ミサイル潜水艦の小規模な軍事力を配備することによってその核ミサイル軍事力を多様化しつつある。そのICBM能力はこれから15年間で2倍以上になるだろう。その能力や意図に関して透明性が欠けていることはアジアにおけるアメリカの同盟国や友好国にとってかなり大きな心配の種になるだろう。

 ここで現れてくる「挑戦」は乱暴に云ってしまえば、ロシアに関する「挑戦」に類似している。政治的目的を達成すること(たとえば、中国に共通利害関係者としての責任を持たせること)。その一方で、アメリカの核抑止力で防衛し、またたとえ中国がその戦略態勢を近代化し、多様化し、建設したとしても安定性を促進するような方法で、軍事的関係を何とか保っているのだが。


註97  この点はオバマ政権の核兵器政策の基本として確認し過ぎるということはないほど重要なポイントだ。「核兵器廃絶の条件を創り出す」ことの実体が極めて模糊としているのに対して、「核抑止力」維持・強化政策のいかに具体的なことか。
註98  時々、アメリカの支配層は「被害妄想」に責めさいなまれているのではないか、という疑念が頭をもたげる。ここなどは好例だろう。自らのプロバガンダに自ら自家中毒にかかっているという感じがする。「プロバガンダ自家中毒性被害妄想」だ。いったい、どの国が核兵器を持ちたいと考えているというのだろうか?
註99 ここもイランを念頭に置いている。イスラエルのイランに対する過剰反応を念頭に置いて読むとわかりやすい。
註100 北東アジアというのは、とりもなおさず日本、北朝鮮、韓国だ。北朝鮮は核兵器保有国だから、残りは日本と韓国だ。この両国が核兵器を持とうとすることそのものが、アメリカの利益にとって打撃になるといっている。
註101 ここは事実だ。アメリカの国際金融資本にとって「中国」は「蜜の地」だった。戦前から「中国市場」はアメリカ国際金融資本にとって開放されるべき市場だった。太平洋戦争には、アメリカと日本の中国支配権をめぐる戦いという要素が色濃かった。やっと日本を葬り去ったと思ったら、国共内戦で国民党が敗れたのは大きな誤算だった。しかしアメリカの国際金融資本はあきらめなかった。1971年、キッシンジャーが中国を訪問して、市場開放させ永年の念願を実現した。そのためにアメリカは自国市場を中国に開放することもやった。その後いろいろな局面で中国を引き立て、経済的に中国の便宜を図ってやった。そのことが、アメリカの支配層の口から聞けるとは思わなかった。


ロシアとの関係

<第5>:  (この第5点の記述はこれまでのような箇条書きになって居らず、中国に関わる記述として一連の流れの文章になっているのだが、箇条書きとしての表記をする。)

 このことはわれわれをロシアに、第5の重要な「挑戦」と、「機会」の問題として連れ戻す。ロシアと西側社会との関係を20年前には基本的に、またかなりの程度前向きなものに変革することができたのだが、その汗をさらに充実させる形での成功が見られない、それで失望するというに足る十分な理由がある。近年反米感情がロシアの指導者の間から聞こえてくる。グルジアに対する軍事手段の使用、その核更新計画、そして(覇権の?)新たな強調、これらすべては、一体望ましい変革を達成する努力が成功できるのだろうかという疑問がわき起こる。またロシアの西側との政治的関係に関する不確定性が続いていること、また安全保障上の脅威に対峙していることは、強調されねばならない。

  委員会の見解では、ロシアに深く関わる努力は重要問題として残る。その上さらに、幾つかの約束を提示することは続く。メドベージェフ大統領は、オバマ政権の、全体的な両国関係を「リセット」(“reset”)しようというイニシアティブに対して明らかに受容的だ。さらに、われわれは多くのことに失望しているとはいえ、ロシアはかつてソビエト連邦がそうであったような、アメリカに対する地球規模での「挑戦者」の役割に戻っていないことを拳々服膺することは大切である。ロシアはヨーロッパを侵略しようと準備すべくその軍事力を国境線に集結させているわけではないのだ。ロシアはその核軍事力を強化しているとはいえ、全体的に云えば核の優位性を模索しているとはみえない。実際の所、ロシアは国内的な経済変革及び旧ソ連諸国(near-abroad)に大きく焦点をあてており、そこでは、多くの「挑戦」があるだけでなく、西側と協力するいくらかの「機会」がある。ロシアとアメリカの間に直接の軍事的対立が発生する危険性は、冷戦時代のそれよりはるかに低い。しかし、核の威圧の危険性は自ずと別な話である。結局の所、ロシアはその近隣諸国を威圧するのに核兵器を用いている。それにはアメリカの同盟国を含んでいる。これがアメリカの核戦略とその能力を適切に保っておく問題である。将来のある時期においてこれら評価はさらに悪いものに変化していくというのは考えられることである。アメリカはそれら可能性に対して防護しておく必要がある。

 ロシアは今日その軍事力を幅広い範囲で近代化することに携わっている。このことはその通常軍事力とその人員レベルの全体的な規模と構成がかなりの程度縮小することを伴っている。(註102)それはまた戦略的軍事力の近代化を伴うことであろう。この努力に駆り立てる契機を理解しておくことは重要である。一つには時代遅れとなりつつある既存システムを入れ替えることである。もう一つは通常兵器の構造的弱点を補償することである。ロシアの近代化への野望は現在のエネルギー価格の崩壊が続く限り禁止的なものになるだろう。(註103)

 最近の戦略的近代化計画は様々な要素を含んでいる。今ロシアは新たな大陸間弾道弾(当初は新たな単頭型核弾頭。しかし多頭型核弾頭を格納する能力を有する。)、新たな弾道ミサイル潜水艦、そしてそれに関連した新たなミサイルと核弾頭、地中貫通弾を含む低出力の戦術核兵器。超音速の滑空ミサイルの研究開発にも携わっている。もしこうしたことを成功裏に進めるとすれば、この計画は、既存の軍事力のさらに近代化した軍事力の出現を結果することとなり、もし必要と(彼ら)が見なせば、実戦配備能力の大幅な改善となるだろう。一体これらの成功は達成されるのか、あるいはいつなのかというという問題は、ものごとを見当する要素の一つだし政治的関与の要素の一つである。

 通常軍事力の弱点を補う努力の一貫として、ロシアの軍事的指導者は非戦略核軍事力(NSNF。特に戦場で戦術的に使用する意図を持った核兵器)に、より重点を置いている。ロシアはその広大な領土を防衛できる能力を有していると自らみなしてもいないし、近接した利益を通常軍事力で防衛できるとも考えていない。これは冷戦時の間の状況とは完全に逆転している。その時はアメリカもロシアもそれぞれ数千の戦術核兵器を実戦配備していた。その時、アメリカとその同盟国は、ソビエト連邦とその同盟国が展開する数量的に大きく優勢な通常軍事力に反発し憂慮した。そしてヨーロッパにおいて(アジアにおいても)、そのために核抑止力を構築したのである。ソビエト連邦は、もともとはNATO軍との大規模戦争で使用の潜在性を模索してNSNF(非戦略核軍事力)を構築した。そして、軍事のこのカテゴリーにおける能力で劣勢に立っていると見なされるもとを避けたのである。

 冷戦が終了した時、前にも触れたように、これらNSNF(非戦略核軍事力)は、PNI(大統領核イニシアティブ)や1987年の中距離核軍事力協定(the Treaty on Intermediate-range Nuclear Forces )の合意のもとで削減された。いうまでもなく、ロシアは極めて多くのそのような兵器を留保しているといわれる。老練なロシア問題の専門家は、ロシアは3800の戦術核兵器を実戦配備しており、それを大きく上回る数量を貯蔵している、と報告している。またロシアの軍事専門家は、NATO軍を叩くために極めて低出力のスカルペル(“scalpels”)(註104)の使用について書いている。新しく設計された核弾頭、新たな核弾頭推定製造能力、イスカンデル短距離弾道ミサイル(註105)(西側ではSS-26として知られている)(SS-26というネーミングはアメリカ国防省のコードネームである。)に代表されるような精密搬送システム、こういった要素を組み合わせて考えれば、地域的紛争に対してロシアが核兵器の使用をもって威嚇する新たな可能性に道を開くものである。

 中国のようにロシアは、アメリカやその同盟国がこの問題に関して欲しているような透明性を見せていない。ロシアはNSNF透明性手段提案を何度も拒絶しているし、NATOからの情報提供の要請も拒絶している。そしてNPI(大統領核イニシアティブ)で関わっていることももはや遵守していない。

 たとえ、アメリカがロシアと深く関わる努力をし、ロシアがもはや孤立化や封じ込めを恐れる必要がないことを保証したとしても、アメリカは「核抑止」が、どこでであれ必要ならば、それが有効であることを保証する必要がある。またアメリカはロシアとの戦略的軍事関係において「安定性」に引き続き関心を持ち続けるべきである。アメリカは、今現在そうしているように、同盟国の利益を護り続けるべきである。拡大抑止力が信頼性と有効性を維持しうると保証するためには、アメリカは、もしかすると必要とはみなされない数量やタイプの核兵器能力を維持する必要があるかもしれない。仮にアメリカが自身の防衛のみに関心を持っているとしてもだ。

 例えロシアと新たな関係を含んだ核態勢を採用したとしても、アメリカは、様々な意味で地球規模での核の危険を削減するに当たりロシアが脆弱なパートナーであることを認識しなければならない。ロシアはNPTを支えるにあたって、また微妙な核技術や核分裂物質の有効な輸出管理システムを確かなものにするにあたっても、重要な役割を演じている。その(ロシアの)国連安全保障理事会に関する決断は、IAEAによって提起される法令遵守問題を取り扱う努力に対して決定的である。しかし、ロシアはイランを核抑制しようとする国際的な努力に関して欠くことのできない存在かもしれない。(註106)

 最近の安全保障環境の中の、この鍵を握る要素を再検討するとわれわれには2つの結論が残る。

 ひとつは、アメリカは不確定な未来へ向けて、核抑止力を維持することが必要なこと。結局の所、この再検討で描き出したように、多くの異なる「挑戦」が残っている。明らかに、冷戦の時のように深刻ではない。しかし、この「挑戦」が数年以内に単純に(必要なくなって)消えていくものでもないし、さらに悪くならないと考える理由はない。

 もう一つの結論は、ロシア、中国、イギリス、フランスは、彼らが考える「挑戦」計画が実現可能だとする核抑止を確かなものとする包括的計画を有していると云うことである。程度の差は色々だが、彼らは新たな搬送システムや核弾頭計画を実施に移している。この計画のあるものは、既存の能力を別な計画に置き換えようとするものだし(たとえばイギリスの例のように)、またあるものは、既存の能力を入れ替えると同時に新たなものを創造していこうという計画だ。(フランス、中国、ロシアのように)

 アメリカは主として、「核貯蔵管理計画」(the Stockpile Stewardship Program)や寿命延長計画(the Life Extension Program)などを通じて、その核兵器に対する自信を維持しようとしている。これら計画はこれまで特筆すべき成功を収めてきた。しかし、寿命のあるアメリカの搬送システムや核弾頭に対してその核抑止力を維持するのに投資すべきか、あるいはいかに投資すべきかという問題について多くの疑問が出されている。ほかの4つの核兵器保有国は、これら状況に直面している。そして難しい決断をしながらも前に向いて進んでいる。


註102  ここは笑ってしまう箇所だ。アメリカの軍事力の近代化を推し進め、コンピュータ化・電子化・スマート化を推進したのは国防長官時代のペリーではないか。そのため「単純労働」兵士は削減した。経済混乱をへてロシアはペリーがやったことを15年か、20年遅れで実施しているに過ぎない。
註103  ところがなかなかアメリカの考えているようにことは運ばない。シナリオでは石油を中心とする「エネルギー価格体系」は崩壊するはずだった。また、2007年外交問題評議会のリチャード・ハースは「石油の需要は今年がピーク」と宣言して、世界のエネルギー体系は「石化燃料」から「原子力」へと大転換するはずだった。石油価格の崩壊は、ロシアを弱体化させる。しかしそうは行かなかった。一つにはドル価値の下落だろう。総体的にドル表示の資源は価格が上がる。ペリーの政策が実現するにはアメリカ経済が強力でなければならない。しかし事態は全く逆の方向へ向かっている。
註104 スカルペルは「RT-23(ロシア語:РТ-23)は旧ソビエト連邦が開発した大陸間弾道ミサイル。アメリカ国防省の識別番号はSS-24、NATOコードネームはScalpel(外科用メスの意)。モスクワ条約に則り2005年までに全廃を完了している。」と日本語Wikipedia<http://ja.wikipedia.org/wiki/RT-23_
(%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB)
>は書いている。
註105 イスカンデルは「9K720(ロシア語:9К720 "Искандер"ヂェーヴャチ・カー・スィムソード・ドヴァーッツァチ・イスカンヂェール)はロシア製の短距離・固体燃料推進・移動式・戦域弾道ミサイル複合である。コロムナの機械製作設計局(KBM)による設計で、2006年にロシア連邦軍に採用された。北大西洋条約機構(NATO)の用いたNATOコードネームでは、SS-26 Stoneと呼ばれた。」と日本語Wikipedia<http://ja.wikipedia.org/wiki/9K720>は書いている。
註106 イラン問題はアメリカにとって最重要課題である。イランを潰すためには、直接軍事力による以外には、国連安保理事会のP-5の一致団結した協力が必要である。


原子力情報(Nuclear Intelligence)(註107)に関する考察

 アメリカは外国の核開発に関する評価を行う「アメリカ統合情報機関」(the Intelligence community)に、その情報収集と分析を依存している。政策決定者は、そのような情報の長所と短所を正当に評価すべきである。様々な委員会が大量破壊兵器情報の欠点を浮かび上がらせてきた。そして勧告を実行段階に移している。これらの国(核兵器保有国)に関する情報は、まだ企画中のものまで含めて不完全だ、頭に置いておくことは重要である。それは非核兵器保有国が核兵器を追求している場合でも同様だ。アメリカはロシアの兵器敞に一体どれほどの核兵器があるのか正確には知らない。特に非戦略核兵器の場合はそうだ。可能な製造率の知識についても不完全である。同時にロシアであろうが、中国であろうが、他のどこであろうが、核実験場で進行中の活動についても完全にわかっているというわけではない。


結論的考察

 われわれは今潜在的転換点に立っている。これ以上の核拡散は可能であるし、それは核テロリズム、核の威嚇、そして恐らくは、核の実際使用の危険性を大きく増大させる。平和目的−エネルギー生産―の核分裂物質、技術、そしてその経験や知見の拡散はその危険性を増大させる。(註108)主要大国間の核の優位性を求めての競争を新しくするなどとは問題外である。しかし、われわれはまた、さらにより良き転換点についても想像をめぐらすことができる。結局の所、多くの変化にもかかわらず、われわれは今のところ核テロリズムを防止することに有効性を持っている。拡散を遅くし、核大国間の軍拡競争に終止符を打ちつつある。これは慎重な楽観主義を導く原因要素である。こうした「挑戦」に対応するため、われわれは、技術革新的でありまた適応性に富む必要のあることを学んできた。今日、その両方(技術革新的であり適応性に富むこと)が喫緊であることの意味がそこにある。核の破滅を防止すべく、成功を続けていこうと思うなら、核の危険を削減する努力を積極的に継続していかなければならない。(註109)

 2つの不可避的なことがこの分析から導かれる。第1、核の危険を削減するには、アメリカは核抑止を強力で効果的であることを保証し続けること。これには、同盟国に対する拡大核抑止も含まれる。第2,アメリカは追加的な政治手段を通じて核の危険を削減する幅広い国際的な取り組みを主導する「機会」を確保しなければならない。

 この目的に向かって、アメリカの戦略態勢と軍事支援の未来に関して、そして政治戦略の未来に関してとらるるべき決断の長いリストがある。これらの決断は相互に連関があることを認識しなければならない。同時にそれら(一連の決断群)が政治的に見直すべきことはすでに証明された。

 幅広い用語を使えば、アメリカは再び、いかにその核抑止軍事力を維持するかに関する決断に直面していることになる。同時にまたアメリカは、核拡散を防止し、既存の核兵器の数量を絶対最小値にまで減らし、そして拡散者やあるいはまたテロリストによって転用されないように、核兵器や核分裂物質により良き保護を与える、そのようにする最良の決断に直面している。核抑止軍事力を維持する計画は大きくアメリカの国家計画である。しかしその一方、それらの実施は、基本的に同盟国とともに実施する国際的要素である。対照的に、軍備管理及び不拡散とそれに関連した活動は、その本来の性格からして、国際的性質を持っており、その成功には可能な限り幅広い国際的支援が必要である。2つのこと(国内的課題と国際的課題、あるいは核抑止力の維持と国際的不拡散努力)が対立し、「差引勘定ゼロ」となる時には、このこと(可能な限りの幅広い国際的支援)は重要となる。たとえば、アメリカの核兵器態勢に不必要なまでに重点を置いたように見える政策課題は、核の危険を削減しようとする国際的協力を腐食させる。その逆に(アメリカの)一方的な削減を重点とする政策課題は、敵に対する核抑止力を弱体化させ同盟国への保証を弱める。これら二つの不可避的事項の均衡を取っていく事が必要である。この報告は以下、それを実施するための勧告を列記する。

 アメリカの政策の形成においては、政策形成およびその実行における議会の重要な役割を認識しかつ実際の所その点に力点をおきたいと願っている。冷戦時代を通じて、立法府と行政府は、核政策問題については極めて高いレベルでまた持続可能な相互作用を保ってきた。その違いが時として強まった場合でも、結果は大きくは一貫性のある手段だったしまたアメリカの核戦略においてはまったく超党派精神を発揮してきた。冷戦が終了してからの期間では、そうした相互作用はあまり頻繁ではなくなったし、違いが大きく際だつこともなくなった。実際の所、違いは、現在の環境のための基礎構造や核態勢に向かって進展しようとする際の障害になっている。「核の世界」において要求されるアメリカの利益となる政策の一貫性を保証するためには、立法府における執行リーダー間の対話を新たにすると云う真剣な努力がなされなければならない。そしてこの問題に対するリーダーシップを取る、そして将来の段階へ向けてのコンセンサスを得るという真剣な努力がなされなければならない。

註107  “Nuclear Intelligence”はどう日本語に置き換えたらいいのか?とりあえず「原子力情報」とした。全然しっくりこない。
註108 「われわれは今潜在的転換点に立っている。これ以上の核拡散は可能であるし、それは核テロリズム、核の威嚇、そして恐らくは、核の実際使用の危険性を大きく増大させる。平和目的−エネルギー生産―の核分裂物質、技術、そしてその経験や知見の拡散はその危険性を増大させる。」恐らくはこの報告書で最も重要な結論の一つであろう。これまでも見たように核テロリズムの実体が極めて影薄いものなら、「核テロリズム」を口実として、「平和目的の原子力エネルギー産業とその市場」の独占を図るものだろう。オバマ政権はこの方向での実現を目指して、今年のNPT再検討会議の中心議題とするだろう。15年前に較べてはるかに力を持って来、また団結力を強めた新興国や途上国がこのオバマ政権主導の「核独占」をすんなり認めるかどうか。
註109  何度も指摘することだが、もし「核の危険」が喫緊の課題なら、直ちに「全廃交渉」にはいるべきだろう。アメリカだけは保持し軍事支配力の要としたいと考えるから、このようなディレンマが生まれる。
 

この分析では、以下の結論的見解と勧告を指摘したい。


結論的見解(Findings)

1. 核時代を通じて、アメリカの政策は、核抑止力と、軍備管理や不拡散などの政策を両方絡ませつつ均衡のとれたアプローチをもって核の危険を削減するという避けられない方法によって磨かれてきた。過去60年間(註110)以上にもわたって環境は進化してきたが、その環境はリーダー達に、技術革新的であることと適応的であることを強いてきた。よってアメリカの戦略政策にははっきりした一貫性がある。
2. 冷戦が終了して以来、アメリカの核安全保障環境は相当な変化を見せた。核のハルマゲドン(Armageddon)の脅威はおおむね消え去った。しかし新たな脅威がはっきりした姿を取り始め、全体的な環境はさらに複雑化し、かつある意味不安定なものとなっている。
3. アメリカの戦略態勢及び政治信条(doctrine)は、また同時にその間の期間、大きく変化した。アメリカの核軍事力は冷戦終結時に比較すれば、小さな部分にすぎなくなっている。そして国家軍事戦略及び国家安全保障戦略全体の中で、アメリカの核への依存は、大きく低減している。
4. アメリカやその他の国に対する核テロリズムは、極めて深刻な脅威である。このことははるかに国際的に協調的な対応を要する。その強調においてはアメリカが主導しなければならない。
5. 核とミサイルの拡散は、グローバルな安全保障環境において、相当程度の否定的な影響を与えている。核物質や、その技術、そして専門的な知見や経験がこれ以上、管理されないまま広がっていくことは、将来の拡散の度合いを加速する。またそれは間違いなく核テロリズムの危険性を増す。
6. 核の危険性を削減するパートナーとしてのロシアをさらに深く関与させる「機会」は重要であり、この機会を捉まえるべきである。アメリカは、同時にロシアとの核を中心とした関係において、核抑止、保証、安定性といった課題に関心を持ち続けなければならない。
7. 中国を関与させる「機会」も重要な意義を持つ。しかしここにおいてもまたアメリカは戦略的協力の「機会」に関連して、核抑止と安定性の間の均衡を取らなければならない。
8. 主要な大国間の「核関係」の進展及び核拡散は、アメリカの同盟国や友好国に対して、アメリカに対するのと最低限同等なレベルの影響を与える。進化発展する安全保障環境の中での、拡大抑止力や拡大保証の要求に関する彼らの見解は、アメリカが理解しなければならないし、重視しなければならない。
9. 核兵器の廃絶を実現するかも知れない条件は、今日整っていない。そのような条件を整備するには世界政治秩序の基礎的変革が必要であろう。いうまでもなく、議会委員会は核の危険を削減することのできる、多くの段階での提言を勧奨する。
10. 将来は不確定であるため、アメリカは実施可能な核抑止力を維持しなければならない。NPTが確認したその他の核兵器保有国は、新たな国際環境に対応するため、その核軍事力の包括的近代化計画を実施に移している。
11. 大統領府と議会はこの問題に関してその対話を新たにする必要がある。


註110  「過去60年間」ではなくて原爆が誕生して以来の「過去65年間」としみたらどうなるか。これまで述べてきたアメリカの核兵器保有正当化論は、根底から音を立てて崩壊するだろう。


勧告(Recommendations)

1. アメリカは、核抑止力、軍備管理、そして核不拡散の間の均衡をとりつつ核の危険を削減していくアプローチを追求し続けるべきである。お互いに単独要素に重点を置くと、アメリカとその同盟国に対する核の安全保障性を削減することになる。
2. アメリカは、地球規模での核兵器廃絶が許されるかもしれない国際的環境が整うその日まで、核兵器を保有しなければならない。
3. 核テロリズムの深刻な危険性について言及すれば、アメリカは、核抑止力、核不拡散、そして軍備管理努力を通じておこなう国際的協力関係を再活性化させること、また強力な情報機関が必要である。核テロリズムに対する最良の防衛方法は、テロリストから核爆弾や核分裂物質を締め出しておくことである。
4. アメリカは、核抑止力、拡大核抑止力、そして保証、の進化する要求に対応した戦略態勢を採用すべきである。保証への要求を理解する努力の一部分として、同盟国に対する意見開陳(consultation)する段階は拡大されるべきである。
5. 外国における核兵器能力、計画、意図などを把握しようと努める「アメリカ統合情報機関」(the Intelligence Community)の情報源や焦点の当て方に対してより低く評価するよう逆転すべきである。幾つかの例外を除いて、この話題は冷戦の終結以来、高いレベルでの注意を惹いてこなかった。後に討論するように、諸核兵器研究所が、この問題では重要な役割を担っている。
6. 大統領府と議会の核戦略に関する対話の精神及び対話の実践は、政策継続性や超党派性の道を整備するにあたって大いに助けとなるが、これは新たにされるべきである。上院は「軍備管理オブザーバー・グループ」(the Arms Control Observer Group)(註111)を見直すべきである。

註111  “the Arms Control Observer Group”は、1999年5月の上院決議に基づいて再建設置されたものを指していると思う。この決議は全会一致で可決された。超党派を旗印にしている。詳しくは次<http://www.govtrack.us/congress/bill.xpd?bill=sr106-75>