(2011.3.18)
No.023

福島原発事故:シーベルトと人体への影響

 人体への影響とは

 2011年3月11日、東京電力・福島原子力発電所事故(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85>)が起きてから(地震発生は14時46分)、ほぼテレビに釘付けの毎日である。

 私の心配はこの「事故」が、チェルノブイリ原発事故(<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85>。なおこの日本語ウィキペディアの記述は専門家はなんというかわからないが、力作である。)に近い事故に発展するのではないかというものだ。想像したくもないが、そうなれば、ことは世界史的事件である。

 今ここで整理しておきたいのはそのことではない。テレビに登場する専門家(ほとんど何故か東大教授であり、赫々たる経歴の持ち主である)が、今回の原子力事故でいかに人体への影響がないか、を力説する点である。しかも発表されるデータについて「原子炉近辺でなければ、人体に影響がない。」と言い切っている点を自分の中で整理しておきたい。

 というのは、放射能の人体に対する影響について、私がこれまで勉強してきたことや読んできたことと著しく異なる印象を持つからだ。なにがどう違うのか・・・。

 第1に「放射能に対する人体」への影響は、個人差が大きいという点だ。これは広島原爆の影響についての様々な医学的データが証明している。

 第2に「人体に対する影響はない」ということの定義だ。言い換えれば「放射線の生体に対する影響」とは一体何か、という事である。

 この問題を考えるにあたり一体どこから手をつけていいのか?さしあたり、「発表データ」の理解と評価から入ろう。

 事故発生

 この事故は2011年3月11日14時46分日本の東北地方三陸沖で発生したマグニチュード9.0の地震に伴う大津波が直接の原因で発生した。東京電力福島第一原子力発電所は1号機(出力460MWe=MWeは「メガワットエレクトリカル」と読む。電気出力の単位。この場合、4億6000万ワットの電気出力をもつ原子炉、ということになる。表現は46万キロワット=kW、とキロワットの単位を使うことにする。以下同じ。)、2号機(784 MWe)、3号機(784 MWe)、4号機(784 MWe )、5号機(784 MWe )、6号機(1100 MWe)の6基の原子炉をもっている。このうち5号機と6号機は定期点検中で操業は停止しており、しかも今のところ、まったく以上はないのでしばらく忘れておこう。(なおこの箇所では日本語ウィキペディア「福島第一原子力発電所事故」の記述に従っている。)

 この日、3月11日(金曜日)は1号機から3号機が運転中であり、地震によって直ちに制御棒が差し込まれて自動停止した。ところが、15時42分、押し寄せた津波のため、すべての交流電源が失われた。さらに続いて15時45分、オイルタンクが津波で流失、原子炉の炉心を冷やすための「非常用炉心冷却装置」の燃料が失われた。その約50分後、16時36分には燃料切れのため、少なくとも1号機、2号機に冷却用の水を注ぎ込むことが出来なくなった。この時、東電福島原子力発電所の関係者の頭の中には最悪何がおこるか想定できた筈である。(だから、津波のため非常用電源機能が失われたことは、「想定外」であるにせよ、緊急停止した原子炉の炉心が冷却出来なくなったら何が起こるかは「想定内」のことだった。)

 19時3分、産業経済省・原子力安全・保安院は「緊急事態宣言」を発令、20時50分、福島県対策本部は、福島第一原子力発電所1号機の半径2kmの住人に避難指示を出した。(2km以内の住人は1864人)(保安院の「原子力関連 緊急情報 第19号」<http://kinkyu.nisa.go.jp/kinkyu/2011/03/830-19.html>による)

 それから約1時間半遅れて、内閣総理大臣から1号機から半径3km以内の住民に避難命令が出された。だからこの時、内閣総理大臣と日本の法律は、この緊急事態で危険な放射性物質が流れ出る可能性を想定していたことになる。

 日付が変わって3月12日・14時、保安院は1号機周辺でセシウムが検出され核燃料の一部が溶け出た可能性がある、と発表した。

 菅内閣・緊急災害対策本部の発表した2011年3月12日付け「東北地方太平洋沖地震について」と題する報告書(<http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/201103121400.pdf>)を見てみると、この日11時から14時ごろにかけて、冷却水が十分に注入できなくなった1号機の核燃料棒が水面に露出しはじめた状況がわかる。

10時04分  -50cm 
11時20分 -90cm
12時05分 -150cm
13時38分 -170cm

 これに伴い、発電所内の放射線監視ポストでの検出放射線の値も上がりはじめた。

MP1(11時28分) :12.5μSV/h
MP2(12時30分) :5.8μSV/h
MP3(12時25分) :3.8μSV/h

 「MP」というのは恐らく「モニタリング・ポスト」の頭文字であろう。「μSV/h」は「マイクロ・シーベルト・パー・アワー」と読む。「1時間当たりのマイクロ・シーベルト」の値の単位のことである。

 だから、監視ポスト1(MP1)では1時間に換算して12.5「マイクロ・シーベルト」の値を検出したことになる。

 監視ポストの値ではないが、12日発電所正門と展望台での測定結果は以下の通りだった。
   12日4時  12日4時45分
 発電所正門  0.07μSV/h  1.59μSV/h
 展望台  0.07μSV/h  0.57μSV/h

μ
シーベルトとは何か


 「0.07μSV/h」という値は一体どういう数字なのだろうか?1時間あたり0.7マイクロ・シーベルトの放射線が出ているということである。仮にこの値が1年間続いたとすれば、1年間は8760時間だから、「0.07X8760時間」で「613.2μSV/h」の放射線がこの正門では測定されることになる。自然界では1年間に換算して1000マイクロ・シーベルトから2500マイクロ・シーベルトの放射線が存在する。場所によっても大きく違うそうだ。

 1988年「国連科学委員会報告」によれば、全世界平均の自然放射線の量は2400マイクロ・シーベルトだそうだ。(「放射線科学センター」<http://rcwww.kek.jp/kurasi/page-41.pdf>)日本では平均1400マイクロ・シーベルト。

 全世界平均自然放射線の内訳は、空気中が1300マイクロ・シーベルト、食物などから350、大地放射線から400、宇宙線から350ということだそうだ。空気中や大地、食物などで地域的に違うのは、1945年以降行われた大気中核実験の影響も恐らく大きく関係している。
 
 日本でも東北地方は平均より低く1000マイクロ・シーベルト未満だから、正門での測定値1年間換算の値、613.2マイクロ・シーベルトは妥当な数字だろう。45分後に測定された値は1.59マイクロ・シーベルトだった。年間換算にすると、13.928.4マイクロ・シーベルトという数字だから、これは異常な値ということになる。状況証拠としては、1号機から漏れ出た放射線の影響でこの値が測定された、ということになろう。

生体の放射線吸収量

 ところで、今回「福島原発事故」で使われている放射線測定の単位は「シーベルト」である。そもそも「シーベルト」とは一体何の単位で、どんな意味をもつのだろうか?
 
 日本語ウィキペディア「放射能」によれば、「放射線を出す能力」が「放射能」と定義している。「放射能」の強さは、1秒間に崩壊する原子核の数で表される。崩壊する原子核の数が多ければ多いほど「放射能」は強いことになる。1秒間に崩壊する原子核の数の単位は「Bq」で「ベクレル」と読む。
 
 崩壊する原子核の数、といってもその数は原子によって違う。中には鉛のようにほとんど原子核崩壊しない原子もある。だから「ベクレル」(放射能の強さ)のモデルにはラジウムが使われている。
 
 1グラムのラジウムが1秒間に発する放射能の強さをかつては「1キュリー」と呼んでいた。これが今では国際単位に統一されて「ベクレル」表示になっている。
 
 ラジウムの原子核は、1秒間に370億個(3.7x1010の原子核が崩壊する。1個の崩壊で1個の放射線を出すから、ラジウムの場合はα(アルファ)放射線である。だからラジウムの放射能の強さは370億Bq(ベクレル)ということになる。
 
 ところが、放射能の強さと放射能の影響とはまた別な話だ。特に人体への影響と云うことになると、様々な要因が絡んでくる。放射能の強さがそのまま人体への影響の大きさということにはならない。
 
 そこで放射能の「人体への影響」を表示する単位として「シーベルト」が登場する。放射線が物質に当たった時その物質が吸収する放射線量は当然のことながら、放射能の強さに比例する。この「物質の吸収線量」はGy(グレイと読む)「1キログラムの物質に1ジュールの放射エネルギーが吸収されたときの吸収線量を1グレイと定義する」とされている。

 ジュールはエネルギー量の単位である。<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
 
 ところが、吸収する側が「生体」場合、吸収する放射線の量は、発する放射線によって異なる。わかりやすく言うと生体、つまり生き物の場合、吸収する放射線の量は放射線の種類によって違っている。「1グレイ」の放射線吸収量といっても、物質と違って生き物の場合は、吸収量が違うわけだ。そこで放射線の種類によって吸収する係数が決められている。例えば、X線やガンマ線では係数(荷重係数、と呼んでいる)は「1」だが、ラジウムなどで放射するアルファ線では係数は「20」である。

 だから物質と違って「生体」の場合は、「グレイ」で表示される放射線吸収量に荷重係数を掛けて吸収量を考えなければならない。こうしてできあがった吸収量の概念が「シーベルト」である。だから「シーベルト」は「生体」における放射線吸収量の単位だ、という事になる。言い換えれば、「シーベルト」表示をすることによってはじめて、放射線の人体に対する影響を考えることが出来るようになったわけだ。(以上日本語ウィキペディア「シーベルト」、「グレイ」、「放射能」などによる。)

 だから厳密に言って、「シーベルト」表示をするのなら、どの放射線について云っているのか明示しなければならないが、「福島原発事故」の場合は一切明示がない。これは「放射線一般」について云ってると考えることができ、この場合「荷重係数」は恐らく「1」であろう。だから特に明示が場合は「1グレイ」=「1シーベルト」と考えても良さそうだ。

 たとえば、福島県原子力センターは東電福島原発付近の放射能測定を行っている(<http://www.pref.fukushima.jp/nuclear/kanshi/index.html>)が表示は全てGy(グレイ)である。だが全く別な目的の、別な単位なのではなく、ほぼ「シーベルト」と同様な扱いをして構わないのだと思う。

「放射線障害」とは

 さていよいよ「放射線の人体に対する影響」のことである。

 この問題を考えるには、「放射線障害」について理解しておかなければならない。

 放射線障害については2つに分けて考えて見る必要がある。(厳密には3つに分けて考える必要がある。これにはついては後で触れる)

 放射線による「確定的影響」と「確率的影響」の2種類である。
 
 まず「確率的影響」から見てみよう。日本語ウィキペディア「放射線障害」は次のように説明している。

 放射線は、その電離・励起能力によって生体細胞内のDNAを損傷させる。』

 これまで使ってきた言葉を使えば、放射線物質から発せられる放射線の種類や吸収量の違いにもよるが、放射線は生体のDNAを攻撃し、DNAを傷つける、ということだ。ついでにいえば、放射線に生体が曝されることを「被曝」と呼んでいる。広島原爆の場合は「被爆」である。同じ「ヒバク」には違いないが、「被爆」の場合は、「被曝」に加えて「熱線」と「爆風」の3つの攻撃にあった。(「米国戦略爆撃調査団報告 広島と長崎への原爆の効果」・「その①緒言、攻撃と損害、広島まで」の項を参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/U.%20S._Strategic_Bombing_Survey/01.htm>)
 
軽度のDNA損傷は修復されるが、修復が不可能である場合にはDNAが損傷したまま、(細胞)分裂するか、もしくは細胞死を起こす。これらの影響が蓄積拡大して身体機能を低下させるようになったものが放射線障害である。』

と日本語ウィキの記述は続けている。まず一般的には無理のない説明である。

被曝によるDNA損傷が発生し、それが修復されることなく固定化された場合、細胞の活動が異常化し、がんや白血病を引き起こす場合がある。これは自然放射線レベルの少量の被曝でも発生する可能性がある。』

 別に放射性物質から被曝しなくても、これまで見てきたような「自然放射線」、例えば食物や紫外線や大地からの放射線を被曝した場合でも「放射線障害」は起こりうる。よく紫外線を浴びすぎると「皮膚がん」を起こすと云われるが、この場合がその「放射線障害」である。

 この場合医科学的に、「放射線」と特定の放射線障害の因果関係が証明しにくい。経験的にはそうではないか、と疑われても医科学的に証拠を出しにくいのだ。


 沢田昭二の例


 ひとつには、放射線の障害には個体差(個人差)が大きいこと。また放射線障害が発症するまで極めて長い時間がかかることがあげられる。個人差が大きいという例としては、名古屋大学名誉教授(物理学)の沢田昭二の例が挙げられる。沢田は1945年8月6日広島原爆の当日、爆心地からわずか1400mの地点で被爆した。熱線や爆風の影響は別としてこの距離だと、沢田は致死量に近い放射線を浴びているはずである。しかし、沢田には急性の症状は現れなかった。髪の毛すら抜けなかった。爆心地から4000m圏内にいた人の中で重篤な放射線障害が現れた人は数知れずいる。沢田がおかれた条件が良かったにせよ、ここから直ちに引き出せる結論で、「放射線障害の発症は個体差が大きい」以上のことは言えない。

 発症までに時間がかかる、というのは例えば広島原爆が原因で発症する「がん」は、昨年2010年に発症リスクのピークを迎えていた、という研究が広島大学原爆放射線医科学研究所から出ている。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/HS_JH/05.htm>を参照の事。)

 放射線障害とは、本来それほど時間のかかるものなのだ。しかし、医科学的証拠が見いだされない、といっても因果関係がないのではない。


 確定的影響

 しかし放射線障害の中には、明らかに障害と浴びた放射線との間に医科学的証拠を発見できるものもある。これが「放射線障害の確定的影響」と云われるものである。

 日本語ウィキでは、『多量の放射線に被曝し、特定の器官において多数の細胞が死滅した場合には、その器官の機能が損なわれ、生物体に身体障害を引き起こす。』としている。

 それでは「放射線障害の確定的影響」から見てみよう。先の日本語ウィキの記述では次のようにいう。

 その前に、単位の説明をしておかなければならない。「シーベルト」と「グレイ」は生体の放射線吸収量と物質一般の放射線吸収量の違いであることは先にも述べたとおりだ。そして現実にはほぼ同じ意味をもつ単位として使われていることも述べた。

 ところが今までは「マイクロ」のケタだったのが、一挙にその100万倍のケタに跳ね上がるのである。「μ」(マイクロ)は「100万分の1」の表示である。「確定的影響」の世界は、ケタが1ケタになる。別な言い方をすると余りにも放射線の影響がケタ違いに大きいため、障害の原因と結果の関係が医科学的も確定できるということだ。また本来個人差の大きい放射線障害の影響だが、被爆線量があまりにも大きいため個人差などはどこかに吹っ飛んでしまっている、ということでもある。

 前出日本語ウィキでは、「確定的影響」について「主に細胞死によって生体器官の機能が損なわれて生ずる影響である。」としている。わかりやすく言うと「確定的影響」とは放射線によって生体の中で「細胞死」に関する影響のことである。放射線障害という言葉に対して「急性放射線障害」という言葉を使う方が適切である。


 「生きる力」を破壊する

 この日本語ウィキは次のように分類している。なおこのデータではGy(グレイ)という言葉を使っているが、これは前述のように「シーベルト」と同義である。

【1Gy(グレイ)以上の被曝】
一部の人に悪心、嘔吐、全身倦怠などの二日酔いに似た「放射線宿酔」という症状が現れる。』

 お気づきとは思うが、この記述は表面何が出てくるかを説明しているだけで、人体の内部で何が起こっているかを全く説明していない。「気持ちが悪くなったり、もどしたり、全身倦怠感に襲われる」程度ならば、私たちが日常生活の中で経験することであり、別に重篤な状態ではない。しかし、人体の内部では前述のように身体のあちこちで細胞死を迎えており、放射線が「生命力」を奪い続けている状態である。だから、この記述は1Gy以上の被爆が人体に及ぼしている状況を説明した記述とは言えない。広島原爆の後、生存者たちの多くが「ぶらぶら病」と呼ばれる「病気」にかかった。医学的にはどこも悪くないのに常に全身倦怠に襲われて働くことが出来ず、いつも「ぶらぶら」していることからつけられた名称だ。だからこうした生存者たちは「怠け者」だとみなされた。しかし実際には放射線障害によって、「生きる力」が破壊されている状態である。

【1.5Gy以上の被曝】最も感受性の高い造血細胞が影響を受け、白血球と血小板の供給が途絶える。これにより出血が増加すると共に免疫力が低下し、重症の場合は30日から60日程度で死亡する。』

 ここからの記述は俄然医学的に描写されている。吐き気や倦怠感程度からいきなり、1ヶ月から2ヶ月で死亡する、といわれるとその余りの飛躍に釈然としないが、身体のあちこちで細胞死が発生し、生きる力が奪われている状態から、さらに進んで、いよいよ身体の器官が破壊され具体的な機能不全が発生している状況だ、と考えればさほどの飛躍ではない。なおこの記述では、「造血細胞」にのみ言及しているが、放射線に対して感受性の高い細胞は何も「造血細胞」(器官としては骨髄)だけではない。精巣や卵巣などの生殖器官、目の水晶体などもそうである。器官ではないが、お腹の中の「胎児」も感受性が高い。また消化器粘膜なども感受性が高い。また同じ細胞でも、より分化の進んでいない「幹細胞」は、分化の進んだ成熟細胞よりはるかに感受性が高い。逆に放射線に対して感受性の低い器官は、神経細胞で作られる器官や筋肉などである。今まで個人差の問題のみを取り上げてきたが、実は年齢差も大きい影響要因である。もちろん細胞分裂活動が活発な低年齢層の方が放射線の影響を受けやすい。60才より30才が、30才より20才未満が、20才未満よりも12才以下が、12才以下より3才未満が、3才未満よりも6ヶ月未満が、そして6カ月未満よりももっとも影響を受けやすいのがお腹の中の胎児である。


 米国戦略爆撃調査団の報告の記述

 広島と長崎の原爆の後、この原爆がどのような影響をもたらしたか、トルーマン政権が日本に調査団を送ってその報告書をまとめて大統領に提出した。これが『米国戦略爆撃調査団報告-広島と長崎への原爆攻撃の効果-』である。これを読むと、原爆開発の初期からアメリカの関係者が、放射線の人体に対する影響、特に遺伝子に対する攻撃能に注目していたかがわかる。その中の一節に次のような記述がある。

生存者で見る限り、放射線の影響は、第一次核分裂生成物の誘導放射能(induced radio-activity)や核蓄積物の残留放射能(lingering radio-activity)よりも核分裂の過程で放出されるガンマ線の影響の方が大きい。』

 とまず放射線の中のガンマ線が文字通り「殺人光線」だったことを指摘した後、

まだどのくらい影響するかははっきりしていないものの、放射線は明白に再生に影響を与えている。生殖不能症(sterility)は日本全体に見られるが、特にここ2年間の状況の下ではこれが当てはまるのだが、広島と長崎では放射線(被曝)に原因を帰すべき増加の兆候がある。爆心地から5000フィート(約1500m)以内にいた男性の3ヶ月後に関する精子数あるいは完全な無精液症。

放射線病で死にかけているケースでは精子形成(spematogenesis)に明白な影響が見られる。放射線による被害者の検死で、卵巣に関する研究はまだまとまっていない。しかし、妊婦に関する原子爆弾の影響については注目している。爆心地から3000フィート(約900m)以内にいた妊娠の様々な段階にいた婦人は、知られているすべてのケースで流産(miscarriages)した。6500フィート(約1590m)までですら流産するかまたは未熟児だった。未熟児は生まれるとまもなく死亡した。6500フィートから1万フィート(約1590mから3000m)までのグループでは1/3が明白に普通児だった。(原爆の)爆発後2ヶ月目、広島市の流産、堕胎、未熟児の発生率は27%だった。通常では6%である。放射線被曝以外の要素がこの発生率を上げているから、再生産における大量被曝の影響を突き詰めるには、1年間の通したデータが必要である。』
(前出報告書の「その③ 放射線症、日本の士気、降伏への決断」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/U.%20S._Strategic_Bombing_Survey/03.htm>)


 「急性放射線病」

 さて日本語ウィキの記述に戻ろう。

【5GY以上の被曝】 小腸内の幹細胞が死滅し、吸収細胞の供給が途絶する。このため吸収力低下による下痢や細菌感染が発生し、重症の場合は20日以内に死亡する。

【15Gy以上の被曝】 中枢神経に影響があらわれ・・・ほとんどの被曝者は5日以内に死亡する。』

 もうあまり説明を要しないだろう。ただ私が非常に気になるのは、この日本語ウィキの記述者が、なおも放線線障害(この場合は、確定的影響あるいは急性放射線障害のこと)の人体に与える影響を軽く見せようとしている点だ。それは「下痢」や「細菌感染」が発生し、などという記述にあらわれている。下痢や細菌感染は、人体全体が「生きる力」や「再生する力」を奪われて、人体が免疫力や抵抗力を破壊されていることの表面にあらわれたほんの一例に過ぎない。放射線の影響は「人間の生きる力」に対する直接攻撃なのだ、という本質的な観点が意図的にか、無意識にか外されている。

 以上が放射線の「確定的影響」に関する記述である。「確定的影響」は、かつては「急性放射線症」と呼ばれていた分野であることが見て取れる。1946年に発表された、先にも引用した「米国戦略爆撃調査団報告」でも「急性放射線病」(acute radioactivity disease)とはっきり記述している。

 この「急性放射線病」がいつの間にか、「放射線障害」というより一般化した言葉に代えられ、放射線障害には「確定的影響」と「確率的影響」があるといういいかたに変わっていったのか、私は調査研究していない。しかしその意図は明らかであろう。「放射線」の人体に対する影響を軽く見せ、核兵器や原発などに対する反発感情を軽減しようというところだろう。ここで詳細に記している余裕はないが、広島・長崎の原爆による放射線障害(放射線病)を過少評価する、という点から出発している。

 「急性放射線病」という言い方はもうすでに死語として葬られたのかと思っていたら、一部の放射線障害医科学者や研究者の間では「急性放射線障害」という言い方で使われているようである。広島大学・原爆放射線医科学研究所・教授の神谷研二が厚生労働省のある会合で発表したプレゼンテーション資料をインターネットで入手できるが(<http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/11/dl/s1112-7a.pdf>)、そこでは神谷は明確に「急性放射線障害」という言葉を使っている。

 しかもこの資料で神谷は、急性放線障害を「確定的影響」と「確率的影響」の2種類に分けた上で、急性放射線障害に対する言葉として「晩発障害」という言い方をしている。神谷が云う「晩発障害」が、時間をかけて発症してくる「放射線障害」のことである。

 このプレゼンテーションは、急性放射線障害(晩発放射線障害に対する言葉としての)に関する関係者の理解を深めることを目的にしたものらしいが、さすがに日本語ウィキの記述と違って、「晩発障害」という言葉で本来の放射線障害の事実を見落としていない。


 「確率的影響」

 それでは次に、放射線障害の「確率的影響」の内容を見ていこう。ここまで引用してきた日本語ウィキは次のように説明している。

主にDNA損傷が固定化したことで発生する影響である。被曝者本人に発現するがん、白血病のほかに、遺伝子の異常によって子孫に遺伝障害があらわれることもある。少量の被曝でも発生する可能性があり、被曝した線量が多くなるほど発生する確率が高くなる。被曝線量が障害の発生確率に関係するため、確率的影響と呼ばれる。』

 要するに、個人個人をとって見れば、放射線被曝と障害発生に明確な因果関係を見いだすことが出来ないが、グループで比較してみると、放射線を浴びたグループの方が、がんや白血病発生の割合が高くなっている、だからそこには因果関係があると見なければならない、しかも放射線被曝線量が大きくなればなるほど、発生の確率が高くなる、ということだ。なにも無理はない話だろう。広島原爆での放射線障害の経験とも一致する。

 ところがこの記述の後、「※」を打って次のような記述がある。『現在のところ確率的影響が医療被曝など50mSV以下の極低量の被曝でも被曝量と確率的影響の発生確率が比例するという証拠はない(むしろ動物実験からは否定的である)が、十分な安全確保を考え、低量でも比例関係が成り立つと仮定し(LNT仮説)安全基準が設けられている。』

 これはわけのわからない記述である。要するに、極低量の被曝と放射線障害の因果関係については不明である、むしろ動物実験では否定されている、しかし放射線に関する安全基準を考えて、双方に比例的な関係があるものと仮定して、様々な安全基準が設けられている、と云っている。

 要するにこの記述に従っても、極低量の被曝と放射線障害(これには神谷の云う晩発障害も含まれる)の因果関係はわからない、と云っている。いっそ因果関係はない、と言い切りたいところだが、それを否定する医学的証拠もない、だから因果関係があると仮定して、安全基準を設けた、という事らしい。この論者を今ここで「LNT仮説論者」と名付けておこう。

 「LNT仮説論者」の最大の特徴は、問題を「いかに安全基準を作るか」、という観点から眺めていると云うことである。別な言い方をすれば、放射線と人体の影響に関して純粋に医科学的立場から眺めているのではない、ということだ。わかりやすくいうと「ためにする議論」だということだ。

 「ためにする議論」の特徴は、引き分けに持ち込むことである。「そうとも云えるし、そうでないとも云える」という点まで行くとそこで議論はストップする。それ以上問題を掘り下げない。だから「LNT仮説論者」の中には、「放射線の確率的影響」を真剣に掘り下げて研究しよう云う学者や研究者はほとんどいない。

 我々のような一般市民にとって必要な研究は、放射線と障害に関する研究である。安全基準作成に関する研究ではない。

 だが、我々は広島原爆やその他の事例(過去の原発事故や核実験による被害など)から、経験的に放射線が時間をかけて、すべての「生きとし生けるもの」の遺伝子を攻撃し、損傷を与えることを知っている。

 人体に影響がない?

 さてここで、福島原発事故が発生して以来、テレビや新聞で高名な学者や研究者がなんと言ってきたかを思い出してみよう。

 典型的には、菅内閣の官房長官、枝野幸男の声明である。3月13日、福島第一発電所の周辺で1時間あたり1557.5μシーベルトの値が検出された。先にも見たとおり、この近辺では発電所正門でも0.07μシーベルトである。この時枝野は、「この値でも直ちに人体に影響を及ぼすものではない。安心して欲しい。日常生活では年間2400μシーベルトの放射線を浴びている。」と述べた。その他にもテレビに登場した東大の高名な学者たちは、「CTスキャン」やエックス線撮影ではもっと多量の放射線を浴びているので、数十μシーベルトや数百μシーベルトの値などは、人体に与える影響として全く問題にならない、と言い切っていた。ご記憶の方も多いだろう。新聞各紙も「東京・ニューヨークを航空機で往復すると200μシーベルトの放射線を浴びている。だから今の数値では全く問題にならない。」といった言い方をしていた。(これらデータのもともとの出所は資源エネルギー庁の出している「原子力2005」などである。つまり同じデータがぐるぐる回っているに過ぎない。)

 あからさまなトリック

 しかし、これら言い方には、あからさまな言葉のトリックが含まれている。まず自然放射線が世界平均で2400μシーベルトであることはその通りである。しかしこれは1年間の値である。1年間は8760時間である。だから1時間あたりに換算すると0.2739μシーベルトになる。「1年間のμシーベルト」と「1時間のμシーベルト」は異なる単位なのだ。異なる単位で数字を比較することはまず行わない。数字は同じ単位で比較しなければならない。「東京・ニューヨーク」を航空機で往復すると何時間かかるのだろうか?仮に20時間としよう。そうすると航空機に乗っている時の放射線の吸収量は、200μシーベルト÷20時間で、1時間当たり10μシーベルトになる。

 放射線吸収量「シーベルト」は量の単位である。その量を表現するために一定の時間を区切ってその時間内の量を表現しているに過ぎない。だから時間が問題なのではなく、その量の大きさが問題なのだ。しかしだからといって異なる時間内に測定された結果をそのまま比べることは出来ない。

 もっとも悪質な比較はCTスキャンやエックス線での吸収量の比較だ。胸部CTスキャン1回当たりの吸収放射線量では6900μシーベルトである。胃の集団検診でエックス線から受ける吸収放射線量は1回あたり600μシーベルトである。

 「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」(昭和32年法律第167号)(<http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S32/S32HO167.html>)は、放射線被曝の規制値を明示しているが、医療被曝については規制値を明示していない。これは絶対的にCTスキャンやエックス線が安全だから規制値を決めていないのではない。医療行為に伴う患者の被曝は、被曝の不利益よりも治療の利益が上回るので特に規制値を決めていない。

 テレビで東大の教授が、福島原発事故で測定された値が、エックス線やCTスキャンを引き合いに出しつつ、全く人体に問題のない値だ、という意味合いのことを述べていたが、少なくとも科学的な言い方ではない。

 枝野は、「1557.5μシーベルト」の値は直ちに人体に影響を及ぼすものではない、と断言していたが、これは何を根拠としているのであろうか?

 ここまでお読みの方はすぐに枝野が「放射線の確定的影響」の話をしていることを了解されるであろう。枝野自身自分が放射線障害全体を理解してこの声明を出しているのかどうかは甚だ疑問だが、このレベルの放射線に1時間程度触れているのなら別だが、1ヶ月、2ヶ月と被曝するならそれは誰にも「人体に影響がない」とは言えなくなる。

 枝野が、1557.5μシーベルト=1.5575mシーベルトの値が人体に全く影響がない、と言い切るためには、すぐにこの値が0.07μシーベルトに戻ることを前提としていなくてはならない。

 要するに晩発性放射線障害まで視野に入れるならば、枝野だろうが、東大教授だろうが「人体に直ちに影響はない」という科学的根拠をもたないのである。

 だからこそ先ほどの「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」では、「一般公衆が生活する事業所境界の外の環境は、3ヶ月で0.25mシーベルトを越えてはならない、としているのではないか。この値は1年換算では、1mシーベルトであり、1時間あたりに換算すると1.157μシーベルトである。1時間あたり1557.5μシーベルトは普通の生活環境では異常な値である。第一法律違反である。

 菅政府は、テレビなどを通じて「流言蜚語に惑わされず政府の情報に耳を傾けて冷静に落ち着いて行動して下さい。」と呼びかけているが、「流言蜚語」を流しているのはほかならぬ菅政府であり、官房長官枝野であり、NHKであろう。

内部被曝

 最後に「内部被曝」のことにも触れておかねばならない。琉球大学名誉教授矢ヶ崎克馬の研究では、放射性物質100万分の1グラム程度の摂取量で1シーベルト程度の被曝になる、という。(「隠された被曝」:新日本出版社)

 内部被曝は放射性物質を身体の中に摂取した時に発生する人体内部での被曝である。今回福島原発事故のケースでは、放射線内部被曝については全く考慮されていない。内部被曝が考慮されていないのは、「国際放射線防護委員会(ICRP)」が内部被曝について過少評価いるためである。実は現在福島原発事故で色々議論されている「放射線被曝による人体への影響」も、国際放射線防護委員会の勧告に基づいて考慮されている。その防護委員会は内部被曝による人体への影響を過少評価している、と矢ヶ崎は主張している。(リーフレット「内部被曝について考える」<http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~kameyama/JSAOKleaflet2.pdf>を参照の事。)
 
 日本語ウィキ「被曝」の中の「内部被曝」の項目では、次のように記述している。
放射線源を体内に取り込む経路には以下のようなものがある。
* 放射性物質を口から取り込む(汚染された飲食物を摂取するなど)
* 放射性物質が皮膚の傷口から血管に入る
* 放射性物質のエアロゾルまたは気体を肺で吸い込む』

 今回福島原発事故のケースに当てはめて云えば、「原発事故で発生した放射性物質の埃」を口や鼻から摂取し体内に取り込むケースだ。だからマスクや濡れタオルで口や鼻を覆いなさい、という対策にはそれなりに根拠のあることなのだ。
 
 ところが全く奇妙なことに、菅政府の発表する「放射線の人体への影響」の基準はすべて外部被曝について当てはまる基準であり、内部被曝については全く当てはまらない。というのは、内部被曝と外部被曝では放射線の人体に対する影響のメカニズムが全く違うからだ。(前出「内部被曝について考える」)
 
 国際放射線防護委員会が何故内部被曝を過少評価しているかは、またその勧告に基づいて作成された日本における被曝影響評価基準がほとんど「内部被曝」の問題を無視しているかは医科学的問題と云うよりも政治的問題でありここではそれ以上立ち入らない。
 
 結論としていえば、福島原発事故での放射線の人体への影響については、大きく「放射線の確定的影響」、「確率的影響」に加えて、「内部被曝」による影響の3つを考えなければならない。ところが、現在菅政府や経済産業省・原子力安全保安院、東京電力、またそれを学問的にバックアップする多くの学者、研究者、またそれを鵜呑みにして報道するテレビ、新聞などの支配的マスコミは、3つの影響のうち「放射線の確定的影響」のみを力説している。
 
 確かに原発事故現場で事態収拾に動いている直接従事者にとっては「確定的影響」が、現在ただいまの大問題となる。しかし多くの人間にとって問題となるのは、放射線の「確率的影響」であり、「内部被曝」の問題なのだ。特に「内部被曝」は全く別途の影響評価体系で考えなければならないだけにさらに深刻だ。
 
 しかし多くの人たちは、直感的に菅政府は本当のことを云っていない、正しい情報を公開していない、と云うことを知っている。だから安全だ、人体に直ちに影響はないと云われてもそれをまともに受け取っていない。本能的に正しい行動は、福島原発からできるだけ遠くに離れることだ、という事を知っている。
 
 しかしことは避難しただけでは収まらない。正しい解決は、正確な情報を把握して知恵を出し合うことだ。何が起こっているか、そしてそれは次にどんな事態をもたらすかを正確に予測しないで、解決策が出て来るはずがないではないか。
 
 もし今の政府が、「よらしむべし、知らしむべからず」の政策を続けるならば、そして私たちを彼らの都合のいい方向へ誘導しようとしているならば、この政府を倒す以外にはない。
 
 考えても見て欲しい。政治的には国境があるが、地球には境目も仕切りもない。全部つながっている。日本で放射性物質をまき散らせば、それは私たち日本人の問題である同時に地球に住む全ての人たちの問題でもあるはずだ。私たちにはそれを解決する責任がある・・・。