(2011.4.8)
No.024
原発はいらない、直ちに停止せよ

 毎日、福島原発事故を注視している。仮に現在の危機が収まったとしても、日本の国民経済・産業経済への打撃は計り知れない。相場はすでに日本を見放しはじめた。地震直後、円需要が高まると見た投機筋は一時円買いに走り、円相場が高値に触れた。しかし福島原発事故が深刻化するにつれ、投機筋は円売りに転じた。この傾向は一時的なものではない。

 投機筋は円を、日本経済を見放しはじめた。それはそうだろう。福島県の農民は「風評被害」に悩まされている、という。漁民は放射能が検出されないのに買い手がつかない、という。しかしこれは風評被害ではない。放射能で汚染された地域の野菜や魚を摂取しない、これは人間の健全な判断だ。放射能で汚染された国の工業製品は買わない、これも健全な判断だ。放射能で汚染された国には住まない、そこに行かない、観光旅行をしない、これも健全な判断だ。誰も非難できない。

 地震のよる損害や被害は、そこに土地があり、人が住める限りはまた復興できる。破壊された町も、ふるさとも復興できる。だが、放射能で汚染された地域や国土の復興はそう簡単ではない。復興や活動の担い手である人間が住めないからだ。

 広島も原爆で破壊された。しかし復興できた。それは一つには広島原爆でまき散らされた放射能が、核爆発を起こした約1kg弱を含めて約60kgとわずかだったからだ。

 しかし福島原発のまき散らす放射能はそんなものではない。間違いなくトン単位である。危機が進行してさらにメルトダウンによる水蒸気爆発や水素爆発を起こせば、約10トンの放射性物質をまき散らしたチェルノブイリ事故を上回ることは確実である。
(「福島原発事故:今起こっていることとその最悪のシナリオ その③」参照の事。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/03.html>)


 そうなれば、日本経済は壊滅的な打撃を受けるだろう。理由は単純である。それは経済の担い手である人間がそこに存在できないからだ。為替投機筋はすでに敏感にその匂いを感じ取っている。

 自らの破滅的な運命を引き替えにして手にする原発の電力にどれほどの価値があろうか?
 
 今から約2時間半前、2011年4月7日午後11時32分頃、「東北地方を中心に強い地震があり、宮城県北、中部で震度6強、岩手県沿岸南部や宮城県南部などで震度6弱を記録した。震源は宮城県沖で、震源の深さは約40キロ。地震の規模を示すマグニチュード(M)は7.4と推定される。気象庁は宮城県沿岸に津波警報を出した。」
(日本経済新聞電子版
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C938
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 東北電力の女川原発は、「経済産業省原子力安全・保安院は8日午前零時過ぎの会見で、宮城県の女川原子力発電所で外部電源3系統のうち2系統が使えなくなったが、残りの1系統で給電を続けていると述べた。放射線を計測するモニタリングポストの値に異常は見られないという。」(ウォール・ストリート・ジャーナル日本国内電子版<http://jp.wsj.com/Japan/node_218261>)
 
 東北電力の女川原発にどんな事情があるのか私は知らない。彼らは彼らなりに深刻な事情があるのだろう。しかしどんな事情があろうと、地震で外部電源2系統が使えなくなるようなシロモノを作ってはいけない。今女川原発の1号機から3号機まで停止中である。とすれば原子炉は冷温停止中だろう。しかしそれも電源か確保できての話だろう。電源確保は原発の生命線だ。彼らの内部の事情は、決して日本の国土と経済活動の未来と同じ重さではない。
 
 前掲記事によれば、原子力安全・保安院(産業経済省、「原子力不全・不安院」の間違いではないか)はモニタリングポストの値に異常は見られない、という。当たり前だ。そうではなく、外部電源2系統が使えなくなったこと事態が異常で大問題なのだ。
 
 私は今、今日の午後(正確には前日の午後。今は4月8日の午前2時半だ。)、ある人との議論を思い出しながらこの記事を書いている。

 話題は福島原発事故と原子力発電一般の問題になった。私は「稼働中の原子力発電所は今直ちに停止すべきだ。」と主張した。地震が次々と起こっている。相手は自然なのだからやむを得ない。しかし、2011年3月22日現在、北海道電力で2基、東京電力で4基、中部電力で2基、関西電力で8基、中国電力で1基、四国電力で3基、九州電力で5基、日本原電で1基。合計26基の原発が稼働中である。
(<http://www.kikonet.org/research/archive/energyshift/list-of-nuclear-power-plant.pdf>を参照の事。)

 福島原発事故は、「想定外」(実際には「想定放棄」だったのだが)がありうることを私たちに教訓として教えてくれた。今日本列島近辺は明らかに活発な地震活動期に入っている。

 何が起こるかわからない。だから当面直ちに原子力発電を停止して様子を見るべきだ、というのが私の主張だった。今停止状態にしても1ヶ月以上は冷温停止状態にして冷やし続けなければならない。ちょうど東北電力の女川発電所のように。だから停止にしても絶対安全という保証があるわけではない。

 その人は「それだけでは説得力がない。」と云った。私はまじまじとその人の顔を見つめた。その人の云うことは、「今原子力発電を止めてしまえば、電力供給不足に陥り、経済活動が停滞する。非現実的だ。」ということだろう。

 私もそれはわかっている。わかっていて云っている。しかし現実はどうだろうか?地震直後、絶対的に供給電力が足りないと盛んに宣伝し、計画停電というパーフォーマンスを演じた東京電力の電力供給は、2011年4月8日ピーク時供給力4050万キロワットと予想されている。それに対して8日予想最大電力(18時-19時)は3350万キロワットである。差し引き700万キロワットの供給過剰である。
(<http://www.kikonet.org/research/ppwatch.html>を参照の事。)

 なぜ?東京電力は「気温上昇のため」「節電効果」と説明している。私はそうではないと思う。明らかに経済活動が低下しているためだ。経済活動が低下しているのは東日本大地震のためではない。「福島原発危機」のためだ。経済全体が逃げ腰になっているためだ。

 今管政府と東電は夏の電力不足のことを盛んに心配している。それを心配するより先に心配することがある。「福島原発危機」だ。情勢の如何によっては、夏の電力供給は全く心配しなくてもいいかもしれない。首都圏に人っ子一人いなくなるかも知れない、と考えてみたらよい。

 放射能汚染に曝されない、安全に経済活動の出来る国土があっての電力供給だ。目の前の電力供給のために、安全を「賭けもの」とするその人の発想が現実的なのか、それとも国土と経済活動の安全をまず担保して、それから電力供給を考える私の発想が現実的なのか・・・。

 しかし私はその人に、「原発の稼働を即時停止せよ、という私の主張に説得力があるかどうかは、私の問題ではなく、受け手の問題でしょう。」と云うに止めた。

 「受け手の問題」とは、今進行中の「福島原発危機」をどれほど重く受け止めるか、何を学ぶかの問題であることはいうまでもない。

 福島原発事故を調べている最中に、福島原発1号機(BWR-3)の開発メーカーであるGEがこのタイプの原子炉につけた設計番号が「Mk-1」(マーク1)であることを知った。
(<http://www.jnes.go.jp/content/000017303.pdf>を参照の事)
私はゲンを担ぐ方ではないし、Mk-1は決して珍しい設計番号ではない。にもかかわらず、これを知った時、私は厭な感じに襲われた。

 というのはマンハッタン計画(そしてその後進であるアメリカ原子力委員会)が広島原爆(リトルボーイ)につけた設計番号が「Mk-Ⅰ」だったからである。ちなみに長崎原爆は「Mk-Ⅲ」である。
(以上「Complete List of All U.S. Nuclear Weapons」
http://nuclearweaponarchive.org/Usa/Weapons/Allbombs.html>を参照の事。)