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第97回広島2人デモ 4月25日報告

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みなさま

毎度お騒がせしてしております。
第97回広島2人デモの報告です。

哲野「さっきね、ある人に奨められてテレビのドキュメンタリーを見たんだ。なかなか見せたね」
網野「おや珍しい。テレビのドキュメンタリーを褒めるとは。日本の?」
哲野「うん。僕が見たテレビのドキュメンタリーでこれは、と思ったのは
   ドイツのZDF、スイステレビの番組、それからヒストリーチャンネルのチェルノブイリもの
   くらいで日本の番組はどれもこれも、酷い内容。
   僕だって褒めたいけど褒める番組がない。
   特に酷いのはNHK。あれ、いつだったけなぁ。
   市民運動の人に奨められて一緒に見たときがあったろ。」
網野「ああ、ちょうど年末付近で。
   『追跡!真相ファイル 低線量被ばく・揺らぐ国際基準』でしょ」
哲野「そうそう、あれは2011年の暮れだったね。
   福島事故の後でそれまでは後ろに隠れていたICRPをNHKが取り上げた。
   地名も出さずにイリノイ州のドレスデン原発付近の健康障害を扱っているように見せながら
   実際登場させるのはがんや腫瘍だけ。
   実際には広汎な健康障害が現れているのに全く触れない。
   ICRPを批判しているように見せながら、実際にはICRPの擁護をやっている。
   傑作だったのはICRP本部を訪ねたというくだり。
   ICRPに本部なんかあるもんか。
   単に科学幹事が住んでいるカナダのオタワを訪ねてICRP本部を訪ねたと言っている。
   もっと傑作だったのは、ICRPの放射線許容量を巡って大議論が行われたという会議の模様。
   内容を聞いてみると放射線許容量の話ではない。
   線量率係数をいくらにするか、と言うだけの話。
   酷い番組だった。」
網野「それで褒める番組はなんなの?」
哲野「それが言いにくいんだけど、日テレのドキュメンタリー。」
網野「はぁ~?!ウソでしょ!」
哲野「いやそれが嘘じゃない。日テレはいまだって正力の亡霊に支配されてる。
   そこであんな番組をつくるかなと思って」
網野「だとしたらあれじゃない?あまりに勉強不足過ぎて
   国としてはやってほしくない路線をやっちゃったんじゃない?」
哲野「いやそういう批判はマズイよ。まず見てから言わなきゃ。」
網野「なんていう番組?」
哲野「『チェルノブイリからフクシマへ 未来への答案』という番組」
網野「どこが良かったの?」
哲野「今回のチラシはチェルノブイリ事故から日本の未来の状況を見てみようと
   そういう企画だったよね。
   特に低線量の内部被曝影響、これは日本の未来に暗い影を落としている
   チェルノブイリに学んで最優先で取り組まなければならない課題だよね。

   実は大きな課題はもう一つある。
   事故を起こした福島第一原発そのもの。
   この番組はチェルノブイリ原発の現状から福島第一原発の未来を見てみようという企画だ。
   特に僕が関心したのは、チェルノブイリ原発で今終息にあたっている要員の研修や訓練や
   彼らの動機。実によく教育・訓練してから事故現場に送り込んでいる。
   給料もいい。年金も普通より15年も早く支給されるようだ。
   だから応募に来ている人たちもイタリア人やドイツ人やポルトガル人などヨーロッパから幅広くやってきている。
   こうしないと質の高い苛酷事故終息作業は不可能だ。
   それでもチェルノブイリの廃炉の見通しは現場の人に言わせれば全く目処がたっていない。
   ウクライナ政府の報告書では2064年を目標に廃炉にすると言っているけど
   現場の声を聞けば、ウクライナ政府の希望的観測だということはなんとなく見当がつく。

   福島第一原発は今どうだ。
   95回のチラシでやったように、第二苛酷事故の兆候がたくさんでてる。
   http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20140404.pdf
   汚染水問題どころじゃない。
   お手軽にかき集めた作業員、ろくすっぽ訓練も教育もされず、現場に送り込んでる。
   福島第一原発は工事現場じゃないんだから。
   ちょっとしたミスが第二苛酷事故に直結するような現場だ。
   東京電力だってよくわかっていると思うんだけども金がなきゃ背に腹は代えられない。
   第二苛酷事故が起こって、またぞろ想定外だった、というつもりなのか
   一番責任があるのはやはり安倍内閣だろうね。
   全部東電におっかぶせて、復興だ、帰還だ、アベノミクスだ、オリンピックだ…
   目の前に迫っている危機に全く鈍感、無頓着。
   これで第二事故が起こらなきゃいいけど、我々は運を天に任せてるのと同じだ。

   チェルノブイリ原発では、事故当時の幹部はほとんど刑事告発された。
   当然だよね。それぐらいの犯罪行為だったんだから。日本ではその仕組みはない。
   事故が起こっても、次に事故を起こしても、なんの刑事責任も問われない。
   想定外でしたと言えば済む。我々は想定外で済まされちゃかなわない。
   要するに現場の作業要員が第二苛酷事故のリスク要因になりつつある。
   チェルノブイリ原発に現在終息に当たっている現場の人はちゃんと指摘してたね、あの番組では。
   現場の事故鎮圧終息に当たる作業員、マネージメントは最重要課題だよ。
   これから50年、100年続くんだから。この危機感が日本社会全体で共有されていない。
   その問題の重要性を極めて具体的に描き出しているね、あの番組は。」
網野「じゃ、あとで見てみようか。
   それにしてもチェルノブイリは本当に学ぶことが多い
   これに学べば、日本の被害はウクライナのようにならなくて済むかもしれないのに…」
哲野「本当そうよ。ウクライナやベラルーシや南ロシアでやった失敗を参考にすれば
   将来の様々なリスクは回避できる、とまでは言わないけど
   少なくとも最小化にむけて努力が出来る。」

というわけで、今回のチラシのテーマは翌日がチェルノブイリデーということで
「チェルノブイリからフクシマが見える」です。

この日は天気もよく、暖かな日でした。

集合場所で待っていると、警察の方が来たのでいつも通り指令書の確認をし、チラシを渡して説明していると
ツナさんが登場。
音楽が鳴ったので3人で出発です。

▽第97回チラシ
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20140425.pdf

スピーチのトップバッターは哲野です。
チラシの内容を要約して説明しかけたところに、じゃけえさんが現れました。
これ幸いと哲野はマイクをじゃけえさんに押し付けます。
ツナ「哲野さん、まだ何にも言ってないじゃないですか!」
哲野「いいのいいの、はじめは、じゃけえさんの方がいいの。
   ボクまたあとで順番回ってくるから。」

いきなりマイクを渡されたじゃけえさん。
最近はいつものことなので、慌てずスピーチをはじめます。

じゃけえ「広島には原爆が投下されました。
   福島原発事故で放射能が放出され、同じように核によって被害を受けましたが
   その被害の質と規模は全く違います。
   ヒロシマが復興出来たようにフクシマが復興できるかといえば、そうではありません。
   放射能による被害の質も量も全く違うからです。
   ヒロシマとフクシマは比べることができません。
   ヒロシマのようにフクシマが復興することは残念ながらできません。

   しかしチェルノブイリの歴史を知ることによって
   日本が抱えている放射能による被害を抑えることができます。
   チェルノブイリを見ることによって日本の未来を予測することができます。
   それを知ることで健康被害による人口減少を抑えることができます。
   今の日本政府の被曝対策では、チェルノブイリにならうどころか、
   チェルノブイリ以上の健康被害がでてくることが予想されます。

   みなさんご存知かと思いましすが28年前にチェルノブイリ原発事故が起こりました。
   同じ原発事故ですがチェルノブイリ原発事故とフクシマ原発事故ではまたちょっと違っています。

   チェルノブイリ原発事故は終息していますが現在だに健康被害が続いています。
   チェルノブイリの廃炉予定は2064年となっています。
   かたや日本は3年経ったいまも福島原発事故は全く終息していません。
   終息する目処も立っていません。
   第二事故の可能性を抱えたまま事故は継続しています。
   放射性物質はいまだに放出され続けています。

   私たちはチェルノブイリに学ぶ事が出来ます。
   しかし今の日本政府が行っていることは全く真逆のことです。
   チェルノブイリでは被曝対策が遅れたために人口減少がおびただしい数になってしまいました。
   チェルノブイリ事故が起こったのは1968年で、
   1993年から2011年の20年間で約650万人、人口が減少しました。
   今の日本の被曝対策ではこれ以上の被害が出る恐れがあります。

   2008年の時点で両親が被曝した子どもたちの中で、健康な子どもの割合は2割に満たない状態です。
   放射能汚染地域に長くとどまるほど健康被害が現れる確率が高くなっています。

   低線量内部被曝による被害を日本政府は認めていません。
   それを認めれば放射能汚染地域からたくさんの人たちを避難させ
   高濃度放射能汚染食品を流通させることができなくなるからです。
   その補償をすることができないので低線量内部被曝による健康被害を認めずに
   高濃度放射能汚染地域の人々をそのまま生活させ
   放射能に汚染された食品が流通しつづけています。…」

次にマイクはツナさんに渡ります。

ツナ「毎度お騒がせしております。広島2人デモです。
  2人デモですが只今4人で歩いております。
  28年前の明日、1986年4月26日、現地時間で午前1時24分
  ウクライナにある原子力発電所、チェルノブイリ原子力発電所が大爆発事故を起こしたことは
  みなさんご存知か、聞いたことがあるなということがあるくらいかと思います。

  2度にわたる爆発で巻き上げられた塵、この塵は多くの放射性物質を含むものでした。
  その放射能が私たち生きている者にとってどんな影響をもたらすものかは
  今お配りしているチラシを読んで是非知っていただきたいと思います。

  私からは、その時何千キロの距離を流れたチェルノブイリの雲の下で
  何が起きていたか、人々はどのように生きて行かねばならなかったか
  『チェルノブイリの雲の下で』という本がありますので
  こちらを引用しながら紹介していきたいと思います。
  人々が恐怖と不安にさいなまれ、どんなに苦しんだかを記録し
  それを語り伝えることは、それを体験した人の義務です。
  私たちは25年遅れて、今これを体験しております。…」

と、本の引用をし、フクシマ事故の放射能にあまりに無警戒な日本の社会の問題点を指摘しました。
そして、ケネディ大統領のコメントを次のように引用しました。

ツナ「歴史上最も有名な偽善者、ケネディ大統領のコメントを引用します。
   ケネディの言葉ですが、言ってることは真実です。
   大気圏核実験禁止条約が締結されたときのコメントです。

   (正確には『大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約』
   -Treaty Banning Nuclear Weapon Test in the Atmosphere, in outer Space and under Water
   日本ではなぜか部分的核実験禁止条約という言い方が一般的ですが
   この条約の主旨、目的からして部分的核実験禁止という言い方は当たりません。
   大気圏核実験で危機的なまでに汚染した地球環境に対して
   世界中の激しい抗議に核保有国ーアメリカ・旧ソ連・イギリスーが協定せざるを得なくなったのが実情です。
   なお、アメリカはケネディ政権下で最多の大気圏核実験を行っています。)

  統計学的な観点から我々の子や孫の世代で核実験のために死亡する人は
  いたって少数である、という見方も存在しよう。
  しかし、我々の死後、奇形児が生まれたり、死者が出たりするのは我々全員の問題なのだ。
  我々の子や孫は、単なる統計学上の数字ではない。
  だからこそ我々はこのことに無関心であってはならないのである。」

次にマイクは哲野に渡ります。
そこでKさんが登場、これ幸いと哲野がチラシの束をKさんに渡します。

哲野「広島2人デモと申します。
   原発や被曝のことについて色々調べたことをお伝えして歩いております。
   明日4月26日はチェルノブイリ事故が起こってからちょうど28周年になります。
   チェルノブイリ事故の影響は今どうなっているのだろうか
   今お配りしているチラシやプラカードにも一部書いておりますが
   非常に不思議な事が起っております。

   事故に一度も遭っていない、事故から5年以上も経って生まれた子どもたちの間に
   慢性疾患を持っている子の割合が年と共に増えている。
   被曝した両親に生まれた子ども、被曝した両親というのは、
   ウクライナ国家に登録されている人たちのことですが
   2008年には80%までが何らかの慢性疾患を持っている、
   非常に不思議な事です。
   チェルノブイリ事故から28年も経った、ウクライナで起こっている一つの例です。
   さらにウクライナの死亡原因2010年のデータですが、心臓疾患、
   これは心筋梗塞、狭心症など心臓に関わる病気一般ですが、
   死因全体の49.36%を占めています。
   さらに、第二位は脳血管障害、これが15.43%。この2つの死因で約64%を占めています。
   普通の国ではありえない死因構成です。
   これが低線量内部被曝の影響かどうかについては議論が分かれるところですが
   少なくとも、この報告をしたウクライナ政府は
   低線量内部被曝の長期的な影響を認めないわけにはいかないと述べています。
   私も、また、そうだと思います。
   低線量内部被曝の長期に渡る執拗な影響が主な原因だと考えないわけにはいきません。

   現在はセシウム137、ストロンチウム90、大量に発生したプルトニウム241が
   核崩壊して生成するアメリシウム241などが主な原因の放射線核種だと思います。
   これが事故から28年後の姿です。
   問題はフクシマ事故の放射能に直面する私たち日本の社会です。
   汚染されているのは決して福島県や福島地方ばかりではありません。
   もちろん福島原発から離れるにつれて、汚染の度合いは低くなってはいくんですが
   事故前に比べれば日本社会全体が放射能汚染されているといっても間違いではありません。
   今私たちはチェルノブイリから学ぶことができる。
   真剣に学ぶことによって、これから起ってくるだろう放射線被曝による広汎な被害を
   軽減、最小化できる、また、ウクライナやベラルーシの人たちもそれを望んでいる。
   そうすることによって彼らの犠牲は無駄でなかったことになります。
   このことを皆さんに申し上げたいと思います。」

哲野のスピーチ中に、原田さんが登場。
網野と一緒に先頭でプラカードを持って歩きます。
次にKさんにマイクが渡ります。

Kさん「福島原発事故の後、半年間の調査で6都県の母親の母乳から
   放射性物質が検出されていたことが、いまになって明らかになりました。
   http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_sougou/article/77531
   それがどういうことか、考えてみてくれませんか。
   母親が放射能汚染された水、空気、食べ物、それらを摂取したら
   母乳も放射能汚染するということです。
   みなさんはほんのわずかな毒だからといって、自分で食べたり飲んだり
   子どもに与えたりしますか?
   空気が汚染されていたら、しかたないとあきらめますか?
   身体に害があるとわかっているものを、摂りこんだりしないはずです。
   放射能汚染食品を摂取するということはそういうことなんです。」

次は原田さんのスピーチ

原田「明日は28年前にチェルノブイリで事故が起こった4月26日です。
  そして3年前、日本の福島で原発苛酷事故が起こりました。
  1945年に原爆に遭った広島はこのように復興しましたが
  原爆と原発の事故は全く違います。
  原発苛酷事故に遭えば復興は出来ません。
  広島原爆で残留放射線の影響で低線量内部被曝の被害者がいなかったわけではありません。
  例えば私の知人は草津に住んでいましたが、40歳代で癌を発症し体中転移して亡くなりました。
  被爆直後、汚染された野菜を成長期に食べていたのです。
  しかし広島原爆の場合は放射能量が全然違います。
  ですから私の知人のような人は、フクシマ事故の放射能で大勢出てくる、と思います。
  これから福島で、東北地方で、そこで捕れた食べ物を食べている全国の私たちに
  こうした健康被害が現れると考えておかなければなりません。
  日本の未来はいま、ウクライナやベラルーシで起こっていることから見えてきます。」

最後は網野です。

網野「毎度毎週お騒がせしております。
   広島2人デモです。毎週金曜日、6時から7時くらいの間
   本通りと金座街を歩いてみなさんに原発や被曝のことをお伝えしております。
   普通の市民です。よく共産党か、社民かと聞かれるんですが、
   全くどこの政党も支持しておりませんし、関与もしておりません。
   また宗教団体かと聞かれることもありますが、宗教団体ではありません。
   みなさんと同じ普通の市民です。
   原発や被曝のことを語るのは政治活動ですが、私たちは政治党派活動は一切いたしません。

   明日はチェルノブイリ事故が起こってちょうど28年目になります。
   ウクライナでもベラルーシでも被曝対策が遅かったために、
   多くの人が低線量内部被曝で健康損傷を起こしたり亡くなったりしています。
   私たちはチェルノブイリ事故から学んで、私たち自身を守ることができます。
   是非とも一緒に調べて考えてください。

   それから福島や東北の人たちが、広島も復興できたんだから私たちも復興できると
   言っていると、良く耳にします。
   みなさん、そういう人たちには言って上げて下さい。
   低線量内部被曝ということでは広島原爆ははるかに少ない放射能量でした。
   だから幸いにも復興できました。
   しかし、福島の高濃度汚染地域に降り注いだ放射能は桁が違います。
   残念ながら復興はできない、と言って上げて下さい。
   そして一刻も早く、より放射能汚染している地域に移り住むように
   そうできるように、国に責任を取らせるように、と言って上げて下さい。
   そのことをチェルノブイリ事故は教えてくれています。」

元安橋に帰ってデモ終了。
3人スタートのデモは、終わったら6人
40部用意したチラシは35部売れました。

街の反応は、先週に比べれば手ごたえが薄かったです。
ひとつにはチェルノブイリ事故が人々の記憶から薄れていることがあるかと思います。
もう一つは広島の人たち自身が「被曝」が本当にはわかっていない、と私は思います。

このあと、じゃけえさんの招集で、哲野・網野事務所で
前々から課題になっていた、広島2人デモ継続について話し合いが行われました。
仕事で2人デモに参加できなかった大歳さんも、遅れて参加、計7名の協議となりました。

いきさつを説明すると長くなりますので(脱線タイムが長すぎたせいもあります)
結論だけ報告します。

1.100回以降も広島2人デモは継続すべき
2.チラシは今の質レベルを維持・向上すべき
3.毎週金曜日にこだわらず、隔週程度でもいいのではないか
4.上記要件を守る範囲で現実の運用は哲野・網野に一任

と決まりました。
以上ご報告いたします。