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ある方からの応援メールに対する返信

多くの方に、応援や励ましのメッセージを頂きました。
その中で、ひとつだけ、ある東京の方からのメールに対する返信を掲載いたします。

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はじめまして網野沙羅です。
U様、メールをありがとうございました。
お返事が遅れて申し訳ありません。
大変励みになりました。

無数の滴がなければ大河は生まれない。
広島はまだですが、いま東京の人たちは、一人一人が滴になっている、と感じました。

広島でも無数の滴を生んでいきたいと思います。

U様は被爆者でいらっしゃって、「被曝者を増やすことが許せない」とおしゃっている。
とてもうれしく感じます。

というのも今年の2月でしたでしょうか、
内部被曝に関する資料のチラシを配っていたら
「あたしは被爆者なの。こういうのはコワイから思い出したくないからいやなの」とチラシすら拒まれました。イベントのチラシではなく、食品内部被曝の資料をまとめたものです。

私は唖然としました。

福島事故を受け、着の身着のまま、友人を頼って小さな子供の手を握り逃げてきた家族が大勢いる。
原爆よりくらべものにならない放射能が出ているのです。
被害を訴えている人が居るのです。
なにより福島のことではない、今広島にいる私達も、日本全国も、世界の人々が有効な手立てをこうじなければ、これから食品のみならず放射能の汚染被害に遭うのです。
私達自身の新たな問題ですし、これからの人の事を考えば
なによりもまず被曝を良く知る被爆者が、先導切っていいはずなくらいの問題なのです。

でもそれにしても、被爆者であることは、何も関係ないのです。

いけしゃあしゃあと、「私は被爆者なの」と自分が被爆者であることを売り物にする。
水戸黄門の印籠のように、「自分は許される」とばかりに振り回す。

私はその感覚が全くわかりませんでした。
広島内部では被爆者運動は一種「被曝者援護」問題で
お金が出ればよかったと言う人がいますが
本当だったのかとすら思いました。
明らかにブランドものの綺麗なおべべを着て、指には大きな宝石をしていらっしゃいました。
老い先短いその人生を楽しむのは自由です。
しかし、「被曝者であることを振り回す」のは間違っていると思いました。

もちろん、こういう人はごく少数だと思いたいです。
そういう人にあたってしまっただけに、
やっぱりそういう人だけじゃないのだと、余計にU様のメールはうれしく思い
ました。

被爆者の人は日々生きるだけでも闘いだということも知っています。

私の祖母も被爆者です。
(といっても広島地元市民で被爆者が身内に居ないというひとはほとんどいないでしょう。)
私が小さい頃から脳内出血で倒れ、
奇跡的に一度は良くなりましたが
それでもただただ家族のために働き、身を粉にし、
体調が悪い事も言わず、愚痴ひとつこぼさず
2度目の脳内出血で倒れ、寝たきりになり
苦しんで生き、死んでいく様を傍で見てきました。

被爆者の方に、老体を鞭うつような事はしてほしくないのですが
出来る範囲で、と、被爆者の方が動いてくださることを
本当に心強く感じます。

話は変わりますが
私も小さい頃から「平和学習」と称して原爆を勉強してきました。
しかし何時まで経っても核実験は続く
それどころか日本は核の傘に入っていく
自衛隊募集のポスターすら恐ろしいと思ってたのに
当たり前になり軍備が進んでいく

着々と戦前へ戻っていくこと
そのことにたいして何も言わない大人や平和を訴える人
原爆反対を訴える人たちに違和感を感じ
形骸感を感じていました。

もっと言えば社会人になって初めて
あれだけ原爆反対の運動に参加したのに
それが全く効果のないものに参加させられて
ガス抜きにされていたことも知りました。
巨大なものに操られていたことを知りました。
利用されていたことも知りました。

そして地元の元ABCCが、今の放射線防護体制の方針を出す
ICRPの基礎になる被爆者のLSSが元になっているとも知りました。
内部被曝に関しては意図的に研究されていないことも知りました。

今の被曝は1回の外部被爆データをもとに作られているのです。
チェルノブイリの研究が活かされていないどころか無視されているのです。

広島と長崎の被爆者が利用されていた、
いまだに利用され続け、原発産業を推し進めるもとになり
フクシマを生んだ、このことを知りました。

私はその時から、心の底から湧きあがる怒りを覚えました。
慰霊碑に被爆者を祭り上げ、利用している広島市、外務省、日本政府も許せません。
(これではA級戦犯を奉る、どこぞの神社と変わりはしません)

私の死んだ祖母の尊厳を取り戻すためにも
死んでいった多くの被爆者のためにも
これからの人たちのためにも

ともすれば目をそむけそうになる今の現実を直視し
ともすれば私は職を奪われるかもしれない

でも、それでも少しずつでも積み上げて変えたいと思いました。
二度と同じ過ちを繰り返したくない。

慰霊碑にも刻まれた言葉です。
地に足をつけ、勉強しながら実践して行こうと思います。

すみません、長くなりました。
メール本当に励みになりました。
ありがとうございました。