No.14 平成18年10月14日
潰された米下院従軍慰安婦制度非難決議


月6万ドルの歴史専門日本ロビイスト

 2006年10月5日付けのハーパーズ・マガジン(Harper’s Magazine)電子版に、「冷ややかな慰安:日本のロビー活動、第二次世界大戦中の性奴隷制度非難決議を阻止」というちょっと刺激的な記事が掲載された。
(原文はhttp://www.harpers.org/sb-cold-comfort-women-1160006345.html)

 記事の骨子は、長い間、韓国系アメリカ人・人権団体・宗教団体の連合は、米議会に
旧日本軍による従軍慰安婦制度を非難する決議をさせようと働きかけていたが、今年に
なって米下院に非難決議案が上程された。その決議案が9月13日に下院国際関係委員
会を通過して本会議通過を待つばかりになっていたが、ブッシュ政権の思惑と日本政府
のロビー活動のために本会議通過が難しくなってきた、という内容だ。

 興味をお持ちの方はこの記事の全訳を掲げておいたので一読されると良い。(全訳)

 掲載された雑誌が、継続する雑誌の中ではサイエンティフィック・アメリカンに次い
で二番目に伝統のあるハーパーズ・マガジンで、筆者が同誌の花形編集者の一人、ケ
ン・シルバースタインだから、ソースもしっかりしているし、全体としても信用できる。
(良質な雑誌の同誌はいまや穏健左翼的論調といわれている。)

 この記事によれば、日本政府の雇っている日本ロビイストは複数存在するが、そのう
ち大物はロビイング事務所、ホーガン&ハートンに所属する、ロバート・ミッチェルだ
という。ロバート・H・ミッチェルは、イリノイ州選出の共和党下院議員を38年間勤
めたあとロビイストに転向したと言うから、なるほど大物だ。当然現共和党首脳部にも
影響力が大きい。

 日本政府はミッチェルの所属する事務所とロビイング契約を結んでおり、対象は第二
次世界大戦中の歴史問題だけに限定している。この中には戦時捕虜虐待問題や従軍慰安
婦問題なども含まれている。日本政府がこの事務所に、毎月支払っている金額はおよそ
6万ドルというから、年間1億円弱の契約だ。


従軍慰安婦という名前の性奴隷制度

 従軍慰安婦問題について、シルバースタインはどうとらえているのか、まずそれから
見てみよう。彼はこう書いている。
 「1930年代の初頭から、日本は主として朝鮮半島、中国、フィリッピンからおよ
そ20万人ほどの女性や少女をかき集め、軍隊の『士気』」を高めるため日本兵を相手とする売春を強いた。日本はこの性奴隷のことを『慰安婦』(comfort women)と称した。
その多くは強姦され、暴力を振るわれ、性病にかかったり、『働き過ぎ』で使い物になら
なくなった後は殺された。中にはあまりの辱めのために戦争が終わったあとも故郷に帰
ることができなかったり、自分の受けた体験に沈黙を守り続けた人も多い。」

 おおざっぱではあるが、シルバースタインはほぼ正確に、「従軍慰安婦」問題を取らえ
ていると言っていい。注目すべきことに彼は、こうした女性たちのことを「性奴隷」と
呼んでいる。「慰安婦」という通称は使っているものの、彼女たちが受けた被害の実態を
よく表している言葉、「性奴隷」と言っている。実際、「従軍慰安婦」とか「慰安婦」と
か言う言葉自体が旧日本軍隊の考え出した言葉で、これほど実態とかけ離れた言葉もな
い。偽善もいいとこだ。

 シルバースタインの認識はおおよそ誤ってはいないものの、言葉使いを1カ所間違え
ている。彼女たちが強いられたのは「売春」ではない。およそ売春行為といえるもので
はない。強いられたのは集団強姦である。つまり「慰安婦」という言葉そのものが実態
を覆い隠す「透明マント」の役割を果たしている。
 
 中国大陸を侵略した日本軍は、手当たり次第に「現地調達」と称して、村々を襲い、
略奪・放火・暴行の限りを尽くした。そして必ず村々で娘たちを拉致し、駐屯地(たい
がいどこでも小高い山の上に設置した)につれて帰り、連日輪姦・強姦を繰り返した。
中には13−14歳の少女も少なからず含まれていた。そうして女性たちに性的暴力を
振るう場所を「慰安所」と称したのである。拉致・監禁された、少女を含む女性が、毎
日10人から20人の日本軍兵士に強姦され続け、それが20日も40日も連続してお
こなわれる行為を「売春」と呼ぶことはできない。「慰安所」は多くの場合慰安所では
なく「集団強姦所」だった。
 
 日本軍の指導部は「兵隊の士気を高める行為」として密かに黙認したか、あるいは時
には絶望的になった兵士の性的はけ口としてこれを奨励したのである。
 
 詳細な実態調査と分析が「慰安婦」・戦時性暴力の実態(緑風出版)という本に、様々
な様相にわたってレポートされている。一度読んでごらんになるといい。しかも、この
問題の研究はやっと始まったばかりというから驚く他はない。
 

 シルバーマンの記事は、こう続いている。
 「戦後日本は長い間、こうした慰安婦は自ら進んで売春をおこなったのだと主張して
いた。しかし、1993年、旧日本軍が組織的に性奴隷制度を構築・運営していた証拠
となる文書が発見されるに及んで、初めてその事実を認めた。そして90年代の半ば頃
準政府基金の<アジア慰安婦基金>を創設し、賠償しようとした。しかし、決して日本
政府が直接賠償しようとしなかった。多くの被害者やその家族は基金からの受け取りを
拒否した。」
 
 ここで、シルバースタインが、アジア慰安婦基金(原文ではAsian Comfort Women
Fund)というのは、日本語名称アジア女性基金のことである。これも偽善に満ちた名称
だ。多くの被害者やその家族が、この基金からの現金受け取りを拒否したのは、日本政
府が、旧日本軍の性奴隷制を積極的に認め、その責任を取ろうとしなかったからである。
 
 アメリカの諸団体が「旧日本軍性奴隷制度」、すなわち日本では「従軍慰安婦問題」、
に対する非難決議させようを米議会に圧力をかけたのは、この問題を明らかにしようと
しないばかりか、隠蔽しようとする日本政府に抗議する目的ばかりではない。2度とこ
のような問題が起きないよう、世界に警告を発するためでもある。
 
 この決議案のもっとも重要なポイントについて、「アジア・ポリシー・ポイント」の理
事、ミンディ・コトラー氏(女性)はこういっているそうだ。
 「現在も続いている戦争時の強姦や下劣な犯罪者に対する歯止めになると同時に、将
来世代の女性たちを類似の犯罪から守ることになる。」
 
 確かにその通りだ。
 
 もし日本政府が、旧日本軍の性奴隷制度の実態解明を進んで行い、その内容を公表し、
被害者や被害国に率直に謝罪し、進んで賠償をおこなったとしたどうだろうか?
日本に失うものがあるだろうか?

 恐らくはその逆だろう。日本からの侵略被害を受けたアジア・太平洋諸国は逆に日本
を信頼し、心からの友人として迎えてくれるだろう。また、その性奴隷制を構造的に明
らかにすることによって、世界の人がこの悲劇から多くを学び、このような悲劇を二度
と起こさない方向に動いていただろう。そうしたら、旧ユーゴスラビア内戦で起きたよ
うな組織的集団レイプ事件は起きなかったかも知れない。

 国際政治はそんなきれいごとではない、としたり顔で解説する人がいるとすれば、戦
後ドイツをみるがいい。時効なしのナチス戦争犯罪追及をドイツ連邦政府が一貫して行
った結果、ドイツはヨーロッパ諸国の信頼を勝ち取って、ヨーロッパは団結を深め、今
のEU連合が成立した。ドイツ抜きでEU連合が成立しなかったとすれば、「ナチス戦争
犯罪追及」なしに、EU連合は成立しなかったともいえるのである。

 「旧日本軍性奴隷制度」(いわゆる従軍慰安婦問題)もそのように解決すべきだろう。


日本ロビイスト、ミッチェルの工作

 しかし、実態はその方向に進んでいないようだ。シルバースタインによれば、200
6年4月4日、民主党のレーン・エバンズ議員(この人もイリノイ州選出)共和党のク
リス・スミス議員(ニュージャージー州選出)と共に、「旧日本軍性奴隷制度非難決議
案」を提出した後の5月下旬、日本ロビイストのロバート・ミッチェルは、下院の国際
関係委員長のヘンリー・ハイド氏(共和党。この人もイリノイ州選出)を訪れている。
当然2人とも旧知の間柄だ。この時ミッチェルはハイド委員長に次のように言ったと伝
えられる。

 「この決議案が下院を通過すると、日米同盟関係に重大な一撃を与え、有害だ。性奴
隷制度は60年以上も前の話だ。過去のことは水に流そう。(bygones should be
bygones)」

 つまりミッチェルはこの決議案を、米下院はもちろん国際関係委員会も通すな、とい
った。

 ミッチェルにとって協力な援軍もあった。ブッシュ政権だ。ブッシュ政権は、日本を
アジア・太平洋地域における対中国問題の「強力な防波堤」と見なしている。どんな問
題であれ、この重要な日米同盟関係にヒビが入るような事態は避けて通りたい。つまり
決議案つぶしに密かに動いた。実際この時期、ブッシュ政権が発表した「旧日本軍性奴
隷制度」に関する報告はかなり現日本政府に好意的な内容だった

 時はちょうど日本の小泉純一郎首相の訪米が発表されたときでもある。下院決議のタ
イミングとしては最悪だ。こうして決議案は、下院国際関係委員会の段階でいったんは
潰されそうになった。

 しかし突如2006年9月になると事態は急変する。ハイド委員長が決議案可決に向
けて大きく舵をきったからだ。

 8月の議会休会中に、ハイド委員長は、韓国と少なくとも2つのアジア諸国を歴訪し、
旧日本軍の性奴隷制度(従軍慰安婦制度)について、胸を打つ経験をしたようだ。さら
に重要だったことは、「小泉の靖国神社参拝だった」とシルバーマンは書いている。
8月15日、日本が無条件降伏をした日にこの参拝は行われている。ハイド委員長には、
この挑発的な行為に対して、怒りの声が多く寄せられた。

 こうしてハイドは決議案成立への決意をしたようだ。委員会内でいくつかの妥協の末、
決議案は、全会一致で委員会を通過した。


旧日本軍性奴隷制度を正確に捉える決議案

 ここでこの決議案を見てみよう。(原文は、米議会図書館のTHOMASというホーム
ページhttp://thomas.loc.gov/から、「H.RES.759」というキーワードを入力すると検索できる。全訳は別に掲げておいた。この決議案は4月4日に提出されたものであり、下院国際関係委員会を通過したものとは若干異なっているが、大筋そのままである。)

 骨子は、「日本政府が第二次世界大戦中に実施した組織的性奴隷制度(日本では従軍慰
安婦問題)の存在を認め、その責任をとるべきだ」という内容で、直接非難という言葉
は使われていない。

 しかし、

「慰安婦の性奴隷制度は、日本政府が公に関与し、編成したものである。
 この関与・編成には集団強姦(gang rape)、堕胎の強制、性的暴力、人身売買、
 その他人道に反する数々の犯罪を含むものである。」
「これら慰安婦は自分の故郷から攫われてきたか、あるいは虚偽の仮装で誘
 い込まれ性的奴隷労働に従事させられたものである。」
「慰安婦の恥辱に関連した理由から、その多くは長い間沈黙を守り続け、こ
 のことがつい近年まで、その体験が明らかにならなかった原因である。」
「歴史家はこの奴隷状態に置かれた慰安婦の数を約20万人と結論している
 が、現在まで生き残っているものはきわめて数少ない。」

などその指摘はなかなかに正確で、鋭く問題の本質を衝いている。

そして決議案は次の4つを日本政府に求めている。

(1) 公式に、1930年代から第二次世界大戦の期間中、アジアおよび太
平洋の諸諸島の植民地的占領地域における、世に慰安婦として知られ
る若い女性の性奴隷制度の存在を確認し、責任を取るべきである。
(2) 人類に対する恐るべき犯罪行為を現在および将来の世代に教育すべき
である。
(3) 慰安婦の隷属・服従や奴隷化が二度と起きないように、公に、強
く、また繰り返しこの主張を論じるべきである。
(4) 慰安婦に関し、国連およびアムネスティ・インターナショナルの
勧告に従うべきである。

 (2)に関しては、「従軍慰安婦問題」に関する記述を、日本の教科書から削除
するよう日本政府が推奨していることに、強い懸念を示している。

 日本に原爆投下という戦争犯罪を犯しているアメリカが、「性奴隷制度」に関す
る非難決議をなそうとしていること事態がおかしい、という議論が聞こえてきそ
うであるが、それは問題の本質を見誤っている。

 今、重要なことは、まず事実を詳細に明らかにすることだ。ことは「歴史認
識」の問題ではない。「歴史事実」の問題だ。そしてその原因をはっきりさせ、責
任のあるもの、犯罪を犯したものを特定し、処罰することだ。そして、決議案も
言うように、
 「慰安婦の隷属・服従や奴隷化が二度と起きないように、公に、強く、また繰
り返しこの主張を論じるべきである。」

 このことが類似の事件が起きない歯止めとなる。この点がもっとも重要だ。

 原爆は「広島」「長崎」の後、一度も実戦で使用されていない。それは、曲がり
なりにも、その悲惨さが、世界に伝わったからである。そのことが実戦使用の歯
止めになった。広島や長崎の被爆者が繰り返しまた繰り返し、その悲惨さを世界
に訴えたおかげである。

 旧日本軍による悲惨な「性奴隷制度」(日本では従軍慰安婦制度)の実態解明を、
もし、加害者である日本政府や我々が本気で取り組まないのなら、そのきっかけ
を米下院議会が作っても、一向構わない。

 原爆の問題にしても、単に悲惨さを繰り返すだけではなく、これを「戦争犯罪」
「人道犯罪」としてきっちり整理し、その責任者を戦争犯罪人として処罰してい
たなら、今日の核拡散の状況はかなり改善されていたに違いない。また進んで核
兵器を保有すること自体が犯罪、という国際共通認識ができていたかも知れない。

 重要なことは、1度起きたことは2度と起きないように手当することだ。これ
が歴史に学ぶと言うことだろう。

 今のところ、米下院で「旧日本軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)」非難決議案が
成立する可能性は極めて低くなった。

 9月13日に下院国際関係委員会を全会一致で通過したこの決議案が、下院本
会議に上程され、採択されないと言うことはこれまでの慣例からしてちょっと考
えにくいことだ。しかし、今年は中間選挙の年だ。11月の中間選挙のための下
院休会に間に合うように、カレンダーを決定するデッドラインは、9月の最終週
だった。その最終週までにこの決議案は、審議案件の中に入れられなかったので
ある。

 シルバースタインによるとこの問題に関するキーパーソンは二人いる。一人は
下院議長のデニス・ハスタード議員だ。彼もイリノイ州選出で、ロビイストのミ
ッチェルとは永年同僚だった。この決議案に対するハスタードの態度は明確では
なかった。もう一人は下院共和党のリーダー、ジョン・ボーナー議員の動向だっ
た。彼もこの決議案に関する態度が明瞭ではない。

 今はっきりしていることは、ロバート・ミッチェルは、この決議案が9月13
日に国際関係委員会を通過した直後、下院議長のハスタードと下院共和党有力者
ボーナーの両方に会いに行って工作したことだ。

 回答は9月25日の週になってはっきりした。ボーナー議員の事務所は、この
決議案がその週の下院本会議には上程しないことを明らかにしたのだ。中間選挙
のある年では、次の本会議は来年の1月3日以降となる。恐らくは、この決議案
は、相当書き換えられるであろう、というのがシルバースタインの予測である。

 ハスタードの態度もはっきりした。彼もこの決議案には反対の意向を明らかに
したのである。ハスタードは、下院議員引退後は駐日アメリカ大使のポストを希
望していると伝えられる。

 まったくの想像だが、ブッシュ政権は駐日大使のポストと決議案反対を引き替
えにしたとも考えられる。来年以降ハスタードが駐日アメリカ大使になれば、想
像が当たっているかどうかがわかるというものだ。

 大物ロビイストを雇った日本政府は、ブッシュ政権の支援もあって見事、「旧日
本軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)」に対する米下院非難決議案を阻止したという
構図だが、これが安倍晋三首相のいう「美しい日本」の姿なのだろうか?

 「美しい日本」とは、過去に犯した誤りを自ら積極的に追及し、その理由や原
因を明らかにした上で、2度と再び同じ種類の誤りを犯さないように担保し、周
辺諸国の信頼を勝ちとっていく日本ではないのか・・・。