No.32  (2011.5.20)
福島原発事故:その放射能の影響と欧州放射線リスク委員会勧告

朝日新聞に見る「放射能と健康との関係」 悪質な原発業界・ICRP宣伝記事 第2回
放射線被曝に関する正しい知識と理解の獲得は私たちの「生存権」

「少量なら人体に影響はない」?!

  では朝日新聞の記述を見ていこう。
(<https://aspara.asahi.com/column/eqmd/entry/jmQcKjETCJ>)


 この記事は岡崎明子という記者と編集委員の浅井文和という人物の署名記事である。

 最初に『Q 体へのリスクは? 大量に浴びると高まる』が大きな見出しで使ってあり、『Q 放射線を浴びるとどんな影響があるの?』という質問に対して『細胞の中の遺伝子が壊れたり、構造が変わったりする可能性があるが、少量の放射線なら人体には影響しない。しかし大量に浴びると、体に備わっている修復能力が追いつかなくなる。すると、体にいろいろな障害が出るんだ。』と答えている。

 「大量」、「少量」がどれほどの量なのか不明で極めて曖昧な言い方だが、別図に「被曝線量と体への影響」が掲げてあり、リンパ球の減少が、500ミリシーベルトの近辺で記入してあり、「1000ミリシーベルトの近辺に10%以上の人が吐き気」と書いてあるので、500ミリシーベルト、少なくとも1000ミリシーベルト(1シーベルト)以上を大量の被曝と云っている、ということがわかる。


(上図は前出のサイトからコピー貼り付け。出典は「ICRPなどによる」としてある。)

 またこのタイプの図はよく使ってあり、例えば放射能影響研究所(放影研)のサイト、「放影研のこれまでの調査で明らかになったこと」(<http://www.rerf.or.jp/rerfrad.pdf>)の中でも次のような表が掲げてある。


 それでは朝日新聞の言う、少量というのはどれくらいかというと、上図右側が比較的少量を部分拡大した図だが、100ミリシーベルトを「健康に影響がでる 危険が高まるレベル」とし、20ミリシーベルトを「国の避難区域の目安となる年間被曝線量」としている。

 だから、ここで少量といっているのは恐らく10ミリシーベルト未満のことを言っているのだな、と見当をつけておこう。

 次に朝日新聞が掲げている図をよく見てみると、すべて外部被曝の例ばかり出ていて、この図には内部被曝の例はまったく出てこないことに気がつく。しかし、先ほどのQ&Aのやりとりは内部被曝と外部被曝の区別をしていない。

 だから先ほどの答えは次のように言い換えることができる。

 『少量の放射線なら人体には影響しない。』は『10ミリシーベルト未満(1ミリシーベルト未満でも事情は全く変わらないが)の被曝なら、内部被曝と外部被曝にかかわらず、人体には影響しない。』ということになる。

 下図の「ICRPモデルの原型」を見てもわかるとおり、朝日新聞のこの記事は、ICRPの「低線量被曝」領域の仮説をそのまま「科学的真実」として扱っている。そのことを本当らしく見せかけるために使っている「被曝」の例は、全て外部被曝の例というわけである。


(上図黄色の領域「低線量被曝」の領域は、特に「内部被曝」ではあくまで仮説である。しかもまだ検証されていない仮説である。この仮説を朝日新聞の記事は「科学的真実」として扱っている。)

「絶対安全な被曝線量」は存在しない

 しかしそのICRPにしても朝日新聞が言い切るように「少量の放射線なら人体には影響しない。」とは言っていない。ICRPに限らず全て放射線影響を研究する学者・研究者は、「放射線被曝には安全値はない」というのが一致した見解だからだ。欧州放射線リスク委員会(以下ECRR)に参集する科学者のみならず、ICRPの学者、WHOの見解、基本的にはICRP派の科学者の集まりである全米科学アカデミーの学者も一致して、その点を指摘している。(日本の東大を中心とする原発御用学者は別だが。)

 先ほど引用した放影研の「放影研のこれまでの調査で明らかになったこと」の中でも、

がんのリスクは被曝線量に直線的で閾(しきい)値がないという考え(国際放射線防護委員会などの考え)で計算すると、100ミリシーベルトでは約1.05倍、10ミリシーベルトでは約1.005倍と予想されます。ただし統計学的には、約150ミリシーベルト以下では、がんの頻度における増加は確認されていません。』

 と述べ、話をまず「がん」に限定し、「増加は確認されていません。」と慎重な言い回しをしている。朝日新聞のように「少量の放射線なら人体には影響しない。」とは言い切っていない。放影研の言い方は、いわば「誤解するのはアンタの勝手よ」というわけだ。

 なぜ「放射線被曝には安全値はない」というのか?

 それは放射線内部被曝にはいまでもわからないことが多いからだ。特に1990年代以降、遺伝子研究(ゲノム研究)が発達してきて遺伝子間コミュニケーションの極めて複雑でダイナミック(動的)な仕組みが次第に明らかになるにつれて、例えば、ほんの100万分の1m(1ミクロン)の放射性物質の粒子(パーティクル)が、体の臓器(例えば肺)の細胞に付着したりすると、放射性物質粒子が付着した隣の細胞が突然変異を起こして病変の原因になること(バイスタンダー効果)がわかってきたり、あるいは「ゲノム不安定性」という要因が発見されたりして、放射線の内部被曝の影響については未知の領域がどんどん拡がっているからだ。それが明らかにならない以上、「少量の放射線なら人体には影響しない。」とはとても言い切ることは出来ない。それどころか後にも詳しく見るように、ごく微量の放射性物質が様々な身体的異変の原因因子になっていることがわかって来ている。

  左の写真は肺組織内の2μm酸化プルトニウム粒子による星形のアルファ飛跡。すなわち肺に2ミクロンの酸化プルトニウムが付着して放射線を出し続けているところの写真。臓器に放射性物質の微粒子が付着すると対外に排出される可能性は非常に小さい。すなわち半減期を考えれば生涯にわたって放射線を出し続ける慢性被曝の状態となる。ICRPのリスクモデルはこのような状態は全く想定していない。(ECRR2003年勧告の表紙より)(<http://www.inaco.co.jp/isaac/
shiryo/pdf/ECRR2003_00-04.pdf
>)

 だから朝日新聞の先の記述はICRPモデルの宣伝に熱心なあまりフライングを犯している。言わば贔屓のひきだおしというヤツである。官房長官枝野幸男のような「ただちに、健康に影響はありません」といった慎重な言い回しを学ぶべきだろう。

東京消防庁・警防部長の言ったこと

 私は、このシリーズの第1回で、

・・・ICRPはこの領域(低線量内部被曝)の研究をほとんど行ってこなかった。放射線の人体に対する影響は、ほぼ直線的に(右肩あがりに)被曝線量に比例するというに合致しない現実はすべて「放射線被曝ではない別な原因による病気の発症」であるとして、それらデータを捨ててかかったのである。だから低線量被曝における放射線障害の領域におけるICRPの仮説は、いまだに仮説であり、永遠に仮説のままであろう。
 そもそもICRPには低線量被曝領域における「直線型応答仮説」を検証しようという気はさらさらない。』

 と書いた。ところが矛盾するようだが、私はそう思っていない。ICRPを支持する医科学者の一部は、「極低量放射線による人体への影響」を詳しく研究していると思っている。ただその成果が一般に公開されていないだけだ、言わば軍事医学として機密扱いとなっているだけだと思っている。全く想像で何の具体的な証拠もない。

 私がそう考える理由は、もし、核戦争や核事故が発生した時(それはないと考える方が不思議だ)、「プロバガンダ用放射線防護策」では自国兵士や自国民を防護できない。だから放射性物質の影響、特に内部被曝の影響を十分研究しているはずだ。しかしそれは、軍事医学研究に属する内容で、恐らくは軍事機密になっているだろうと考えるからだ。

 そう思っていたところへ、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の記者会見において、福島第一原発の3号機使用済み核燃料プール鎮圧(大量放水による冷却作業)に立ち会った東京消防庁警防部長・佐藤康雄が興味深いことをいったのである。彼は記者会見で次のように述べた。

(福島原発進入に際して)一番注意したのは大きく二つある。

 一つは呼吸管理であります。

 放射能の汚染で一番恐ろしいのは体内被曝と言われているので、門を入るところ、・・・、ここからすでに呼吸器を着装して、すべての作業を終えて戻ってこられるようにということで11型呼吸器、約2時間使える呼吸器を全員に装着させました。・・・呼吸管理が一番大事です。』
(東京消防庁記者会見を参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/
hiroshima_nagasaki/fukushima/20110319.html
>)


 佐藤は内部被曝、特に呼吸を通じての内部被曝にもっとも留意した、と言っている。

 ICRPの見解からすれば、これまで見てきたように「内部被曝」が特に危険という話にはならない。危険なのは高い放射線量なのであって、低くなればなるほど問題は小さくなるはずだ。とすれば警防部長・佐藤のコメントはどう解釈すればいいのか?

 一つの解釈としてはハイパーレスキュー隊内部での放射線防護教育が、外部被曝より内部被曝を重要視する内容になっていると云うことだろう。推測の上に推測を重ねるようで申し訳ないが、なぜハイパーレスキュー隊内部の放射線防護教育が「内部被曝」重視の内容になっているかという疑問が湧く。

 ハイパーレスキュー隊(特に第三本部)は、核・生物・化学事故対応の特別部隊であることを考えると、核事故に対応する知識の一つとして放射線防護教育は当然行われているだろう。その際には恐らく、ICRP公式の見解(例えば今ここで問題としている朝日新聞の記事のような)に基づく教科書ではなく、一部非公開となっているアメリカの軍事医学研究に基づく教科書が使われていることだろう。それでなければ実戦に役立たない。

 放射線内部被曝に関する研究は軍事医学研究の一環として、恐らくアメリカを中心に行われているだろう、という推測に、佐藤のコメントは一定の裏付けを与えたことになる。

内部被曝を扱うNCRP第二委員会

 ICRP派の医科学者たちは、実は内部被曝に関して深いそして幅広い研究を行っているのではないか、という私の疑問に、ECRR2010年勧告は、全く別な方向から次のように光をあてている。

 引用するのは同勧告第5章第2節「外部および内部被曝のICRP放射線被曝モデルの歴史的由来」および第3節「原子爆弾による被害研究における最近の議論」である。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ecrr2010_chap1_5.pdf> このPDFテキストの42Pから46Pまでを抜粋引用)

 話は第1回のところでも引用したNCRP(アメリカ国家放射線防護審議会- National Council on Radiation Protection)から始まる。(第1回の「ICRPは国家放射線防護審議会の国際版」の項参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/031/031.html>)

NCRP には核リスクの様々な側面を調査する8つの分科委員会がおかれていた。そのなかでも最も重要なものは、ジー・フェイラ(G. Failla)が議長で外部放射線被ばく限度に関与していた第一委員会と、ズィー・モーガン(Z. Morgan)、オークリッジ主席保健物理学者、が議長で内部放射線被ばくリスクに関与していた第二委員会の2つであった。』

 放射線リスクを勧告する“独立の機関”としてのアメリカ放射線防護審議会(NCRP)には、8つの分科会があって、そのうち最も重要なのは「外部被曝」を担当する第一委員会と「内部被曝」を担当する第二委員会だった。つまり当初NCRPは「内部被曝」を「外部被曝」から独立した別な被曝メカニズムをもつものとして考えていたわけだ。

 NCRPが成立したのは、第1回で触れたように、ほぼアメリカ原子力委員会(AEC)が出来たのと同じ頃だから、1946年8月頃と考えられる。

 内部被曝は、放射性降下物(具体的には放射性物質のチリやホコリ)、あるいは地上地中に散らばった残留放射性物質を体内に取り込むことによって発生する被曝である。

 ところが、1945年の9月にはマンハッタン計画の陸軍側最高責任者、レスリー・グローブズは最初の核実験場となったアラモゴードに全米から選りすぐったジャーナリストを30人集めて、「アラモゴードには残留放射能はない」と宣伝し、デマ記事を書かせた。
 
 またほぼ時を同じくしてグローブズは自分の片腕のトーマス・ファレルを日本に送り込み「広島には残留放射能はない」と記者発表させた。アメリカの公式見解としては原爆による放射線障害は核爆発時の一次放射線だけであり、その他の放射線障害は発生しなかった、というものだ。この見解はその後の日本政府の公式見解としても採用され現在に至っている。だから公式には「内部被曝」は、主たる原爆放射線障害としては発生していないのだ。

 だからこの時点でNCRPが「内部被曝」を外部被曝と独立させて研究調査の対象としたのは、表向きの発表と内部での本音が大きく異なっている事例として興味深い。

反核論者に変貌したモーガン

 もう一つ興味深いのはこの第二委員会の長がオークリッジ主席保健物理学者のZ・モーガンだったという点だ。このZ・モーガンは明らかにカール・Z・モーガンだろう。

 モーガンは放射線健康物理学者(radiation health physics )としてマンハッタン計画に参加し、当時ウランの兵器級核燃料を製造していたテネシー州のクリントン工場に隣接するオークリッジ研究所に勤めていた。戦後オークリッジ研究所が国立オークリッジ研究所となった時、主席保健物理学者になり、その資格で第二委員会の委員長を勤めたものだと思う。恐らくはクリントン工場では、工場内放射性物質による内部被爆問題が発生しておりそれが彼の専門分野になったものだと思う。

 カール・ジーグラー・モーガン(Karl Ziegler Morgan) は、1972年に国立オークリッジ研究所を退職し、いくつかの大学の教授職を歴任する中で反核兵器論者・反原発論者に変貌していく。シカゴ大学の冶金工学研究所にいたというから元来が反原爆論者だったのかも知れない。1982年、50年代に行われたネバダ核実験場での核実験で健康被害を受けたとして住民1200人がアメリカ政府を相手どって訴訟を起こした時、75才になっていたモーガンは、政府の放射線防護は不十分だったとして原告側の証人として証言した。ナバホ・ウラン鉱山の労働者健康被害裁判の時もカー・マギー社を相手取ったカレン・シルクウッド事件(Karen Silkwood Case <http://en.wikipedia.org/wiki/Karen_Silkwood> 日本語では「カレン・シルクウッド」)の時も反核の立場から法廷で証言した。
 (以上モーガンについては英語Wiki「Karl Z. Morgan」などによる)


ブラックボックスが封印された瞬間

 だからモーガンが第二委員会の委員長になったということは、必ずしもNCRPが望まない方向で結論をまとめていった可能性が大いに考えられる。

 NCRP はそれ自身の外部被ばく限度を1947 年に決定している。
 それは週間0.3 レム(3mSv)であったが、既存の週間0.7 レム(7mSv)を引き下げたものであった。後世になって我々は、この値が今日労働者に対して許容されているものの20倍であり、公衆の構成員に許容されているものの1000 倍以上であることに気づくのである(すなわち、欧州原子力共同体基本的安全基準指針と比べて)。』

 NCPRが1947年に決定した被曝許容値は、1週間に0.3レムだった。1レムは10ミリシーベルトなので、年間許容シーベルトに換算してみると1年間50週としてみれば、年間許容最大値150ミリシーベルトという数値になる。それでもそれまでの許容値の1週間7ミリシーベルト、すなわち年間最大許容値350ミリシーベルトから見ると大幅な制限引き下げだった。今日欧州原子力共同体(ユートラム)の定める公衆被曝線量の最大値から見ると1000倍以上の値である。

 1週間の被曝線量0.3レム=3ミリシーベルトという値は、外部被曝を担当する第一委員会の出した結論だったが、モーガンの第二委員会はなかなか結論がでなかった。というのは、

 体内の臓器や細胞への内部被ばく源となる、実に多種にわたる様々な放射性同位体がもたらす被ばく線量やリスクとを決めるために容易に適用できる方法を見出し、そして、導かれた値が正しいと簡単に同意するのは極めて難しいことを見いだしていたからである。』(「同2010年勧告」)

 要するに放射線の内部被曝のメカニズムを見いだし、その各臓器や人体全体にわたる影響を調べ、被曝線量の最大値を決定し、その正しさを検証するなどという作業は、問題と誠実に取り組もうとすればするほど困難な作業だったのである。なかなか出てこない第二委員会の結論にNCRP はしびれを切らしてしまった。そして1951年に第二委員会の審議をうち切ってしまった。

そして、おそらくはリスクに関してある誘導操作が必要であったがために未解決のままで内部放射体について報告書を準備するよう主張した。』

 要するに、わからないのであれば、適当に作文してしまえ、というわけである。

 そしてNCRPはこの時点からさらに遅れて1953年に放射線被曝リスクに関する報告書を完成し提出した。

 ECRR2010年勧告、第5章2節はこの時のいきさつを叙述した後で、

 『これこそが放射線リスクのブラックボックスが封印されたまさにその瞬間であった。』と書いている。(前出日本語訳テキストの42P)

「原爆被爆者調査」への根本的批判

 こうしてNCRPの国際版であるICRPもこの「封印されたブラックボックス」をそっくりそのまま引き継ぐことになる。

 この記述から推測されることは、テネシー州オークリッジにあったクリントン兵器級ウラン核燃料製造工場でも、ワシントン州にあったハンフォード兵器級プルトニウム核燃料製造工場でも低線量での内部被爆問題は発生していた。また広島原爆・長崎原爆における低線量内部被曝障害はある程度わかっていた。そうしたデータをもとにしてNCRPの第二委員会で許容被曝線量を決定しようとしたが、あまりに問題が複雑で結論が出せなかった。それにしびれを切らしたNCRPは審議を打ち切って、低線量内部被曝に関する議論を封印し、ブラックボックス化した上で、高線量外部被曝のリスクモデルをそのまま低線量域に直線的に伸ばし、それを内部被曝にも当てはめた、ということだ。

 その際、データ的根拠の一つとしたのが原爆被爆者寿命調査だが、これも直線応答型のリスクモデルに合致する部分だけを取り上げているのではないかという疑いをシロウトの私ですらもつ。私だけではない。欧州放射線リスク委員会の科学者たちは、ICRPリスクモデルの有力な根拠となっている原爆被爆者寿命調査(A-Bomb Life Span Studies-LSS)に対しても根本的な批判を加えている。

 欧州議会は、「近代科学技術が人間社会にどのような影響を与えるか」を評価するSTOA機構(EUROPEAN PARLIAMENT Science and Technology Options Assessment <http://www.europarl.europa.eu/stoa/default_en.htm>)を持っているが、その会合において欧州放射線リスク委員会は1998年2月、「ヒロシマ調査」に基礎を置いたICRPの低線量リスクモデルとその方法論を批判した。(この批判は当時のSTOAの議事録には適切な形で記録されなかった。)

 その時ECRRの科学幹事、クリス・バスビー(Christopher Busby。イギリスの科学者で北アイルランドにあるウルスター大学の客員教授。<http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Busby>)は批判の要点として次の点をあげた。

リスクモデルのヒロシマベース(Hiroshima basis)には不備がある、研究及び参照グループが正常な集団を代表していない。

 本来科学的な疫学研究において、「研究グループ」すなわち研究の対象とする集団とそれと比較参照する集団、「参照グループ」は適切に選択していなければならない。「ヒロシマベース」の研究は参照集団が不適切でありそこから有意味な研究成果を引き出し得ない、という批判である。具体的にはヒロシマベースの研究は、「参照グループ」も被爆者集団から選択されていた、という事実を指している。

リスク評価のICRP の基礎(ICRP basis)は非民主的であり、その委員会の構成員と歴史的由来によって偏っている。

 この批判はこれまで見てきたとおり、ICRPは本来核兵器の保有や原子力発電の存在を医科学的に正当化する目的をもって設立されたという歴史的由来に係わる批判である。

リスクモデルのヒロシマ及び他のベース(basis)は、被ばく線量単位に本質的に含まれている平均化と他の誤差とによって、内部被ばくからのリスクについて情報を与えることが不可能である。被ばく線量の単位自体(シーベルト)には、不適切な値の評価が含まれており物理学的な単位ではない。

 吸収線量の単位であるシーベルトの概念そのものが内部被曝リスクを科学的に評価する単位ではない、という批判。「シーベルト」という放射線被曝線量単位は、被曝を平均化する概念として成立している。たとえば、被曝した臓器全体に対して「何ミリシーベルト」だった、という風に放射線がある臓器全体に被曝したものとして使用している。しかし実際に内部被曝によるリスクは、臓器全体にいきなり及ぶものではなく、ある細胞に一点付着したわずかな量の放射性物質(低線量被曝)から発生するケースの方が多い。もともと低線量内部被曝に対して、被曝線量の身体への平均化概念から生まれるシーベルトは有効な単位ではない。ここで先ほどの肺に付着したプルトニウム酸化物の写真を思い出して欲しい。内部被曝とは典型的には、放射性物質の極微粒子が体内の臓器に付着して発生する。この極微粒子が障害の発生源である。障害の発生源が仮に10ミリシーベルトなら危険で、1マイクロシーベルトなら安全ということは言えない。ところが「シーベルト」という単位そのものが、一定の大きさの放射線吸収量を臓器全体の平均吸収量として、臓器全体に平均化する概念であり、すくなくとも低線量内部被曝を科学的に考えるには適切ではないという批判である。

リスクモデルのヒロシマベース(Hiroshima basis)は降下物や残留汚染からの内部被ばくによる寄与を含んでいない。

 「ヒロシマベース」はそもそも原爆の核爆発時の中性子線やガンマ線などによる放射線による主として外部被曝だけを問題としており、アルファ線やベータ線を放出する核分裂物質を大量に含んだ爆発後の放射性降下物や残留放射能を問題としていないという批判である。この批判はすでに仮説からする批判ではなくなった。2002年から続いた日本での「被爆者集団訴訟」では、少なくとも司法も認める「事実」となっている。
(日本の司法が認める事実だから、科学的真実とは必ずしもならないが。少なくとも政治権力べったりの日本の司法の判断としては画期的であり、それだけ原告側の論拠は誰が見ても揺るぎないものだった、ということだ。)

再び光が当てられる草野信男の研究

 さらにECRRはその2010年勧告において、03年以降ABCCやその後進である放射能影響研究所などが主として行ってきた原爆被爆者寿命調査(LSS)(たとえば<http://www.rerf.or.jp/library/archives_e/lsstitle.html>)などを参照の事)の解釈に新たな進展が見られているとして次のような事例を上げている。

『1. 合衆国が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)がその研究集団を選択し、比較を開始したのは原爆の投下から既に7年が経過してからだった。ガンはその早い時期に進展しABCC によって数え落とされたので、したがって、ガンと白血病の全発症数はABCC によって一覧表にまとめられたものよりも高いということが指摘され続けてきている。この時期の症例総数を公表した報告書が発見されたので、今ではこれが真実であることが知られている(Kusano 1953)。』

 戦後アメリカが作ったABCCによる疫学的な被曝調査は、アメリカ軍による占領体制が解除され日本が独立した後の1952年になってから開始された。(サンフランシスコ講和条約が調印されたのは1951年9月8日であるがその発効は52年4月28日である。この時をもって日本は戦後再び一応独立国家になったとみなすことができる。)

 しかしその時までに広島や長崎では大量のガンや白血病が発生していた。こうした症例をABCCは数えていない。占領時代、すなわち1945年8月以降から1952年4月までに発生したガンと白血病についてはその報告書が「発見」されたので、今日ABCCの報告よりもこの報告書が真実であると知られている、ということだ。

 ところで、この報告書「Kusano 1953」とはいったいどんな報告書なのだろうか?

 2010年勧告英語原文に「すべての参照文献」という項目がついているので、それで調べてみると、この部分の参照文献は、

Kusano N, (1953) Atomic Bomb Injuries; Japanese Preparatory Committee for Le Congrès Mondial des Médicins pour lÉtude des conditions Actuelles de Vie Tokyo: Tsukiji Shokan.」

 という本であることがわかった。

 この本は東京大学・教授、草野信男が編纂した「Atomic bomb injuries」という英語の論文集で「原爆症」という日本語の副題がついている。(<http://www.worldcat.org/title/atomic-bomb-injuries-genbakusho/oclc/33963643&referer=brief_results>)

 発行元の東京・築地書館にといあわせてみるとこの本は1995年に再発行されており、ECRRが使ったテキストはフランス語のタイトルがついているので、フランス語訳された本と見られる。

 草野信男は2002年5月15日付け共同通信の記事によると、

草野信男氏死去 

 草野 信男氏(くさの・のぶお=元原水爆禁止日本協議会代表委員、元東大教授、病理学)14日午後5時58分、老衰のため東京都港区の病院で死去、92歳。東京都出身。自宅は遺族の意向で公表しない。葬儀は故人の遺志で近親者だけで行う。関係者がお別れ会を予定しているが、主催や日取りなどは未定。
 1945(昭和20)年8月、東大伝染病研究所(現・医科学研究所)の一員として原爆投下直後の広島を調査した。53年5月には、世界で初めて原爆の被害実態をウィーンの国際医師会議で報告。英文の著書「原爆症」(築地書館)にまとめた。55年の第1回原水爆禁止世界大会以来、84年の原水協の内紛まで大会に参加した。  近年もチェルノブイリ救援などに取り組み、95年には「原爆症」を再刊。世界の図書館、科学者に贈るなど原爆被害の悲惨さを訴え続けた。』

 ということらしい。(だがこの本は単に「原爆被害の悲惨さを訴え続けた」本ではないようだ。)

 この本をECRRが入手し、検討を加えた結果、現在のICRPのリスクモデルの基礎の一つとなっているABCCの寿命調査のデータが信頼の置けないものであることを証明する報告書であることを確認し、「2010年勧告」に追加した、といういきさつのようだ。

瓦解するICRPの論拠と沢田昭二の研究

『2. 被ばくとガンや白血病の臨床的発現との間の時間的ずれ、すなわち遅延期間(lag period)は、現行のリスクモデルにおいては一貫して5 年よりも長いとされてきている。このことがほとんど被ばく直後に白血病やリンパ腫が進展している数多くの状況において、政府やリスク評価機関が被ばくとの因果関係を否定することを可能にしていた(原爆実験参加退役軍人、湾岸戦争やバルカン紛争においてウラン兵器に被ばくした退役軍人)。初期の日本人の報告書は、原爆投下後の最初の年に白血病の症例が増加しはじめ(最初の症例は被ばく3 ヶ月後)、そして、原爆投下時には居合わせなかったが後になって被爆地に入市した人たちの間でも発症があったことを示している(Kusano 1953)』

 被曝とガンや白血病発症には時間的ずれがある、とICRPは指摘し続けてきた。この時間的ずれはICRPのリスクモデルでは5年以上としてきた。この仮説も、結局は「ヒロシマベース」を基にしている。原爆実験参加退役軍人(特にフランスとアメリカ)は様々な障害を発症している。湾岸戦争やバルカン紛争(これはユーゴスラビア内戦のことである)に参加した多くの軍人も劣化ウランの粉塵による内部被曝で様々な病気を発症した。この時もICRPの時間遅延仮説を使って、「こうした病気の発症はウランなどの核分裂物質の影響とは言えない。というのは発症するとすれば、そんなに早い時期であるはずがない」と主張した。

 仮説は生起した事実で検証される。ところがICRP派は仮説を絶対真実とみなして「事実」を否定するという、典型的な詭弁の一種を使っている。おそらく「フクシマ危機」で発生する様々な放射線障害についても同じ手を使って説明しようとするだろう。

 しかし草野らの研究の成果は、原爆投下後(被爆3ヶ月後)から白血病やガンの増加が始まっており、また入市被曝でも発症が見られた。このことはICRP仮説、すなわち時間遅延仮説や直接外部被曝原因仮説が正しくないことを強く示唆している。いわば仮説の基となる事実関係が崩れてしまっているのだ。

『3. 財団法人放射線影響研究所(RERF)によって公表されたガン以外のデータ(例えば、脱毛や火傷)が、最近サワダによって分析され、これらの症状を引き起こすことのできる線量を即発放射線から受けるには爆心地から余りにも離れたところの住民に著しい健康障害があったことが示された。サワダの分析は2009 年のECRR 国際会議で発表され、また出版されているが、放射性降下物への内部被ばくへの異常なまでに大きな効果が示されている(Sawada 2007、ECRR2009)。同様の指摘は、1999 年にスチュワートとニールによる分析の中でも行われている。(Stewart & Kneale, 1999)。』

 ここで「サワダの分析」と言っているのは、もちろん沢田昭二らの研究のことである。この研究は、一連の「被爆者集団訴訟」で原告側の証拠として採用された。沢田昭二は、これまでの研究とは独立の研究を行い、原爆投下後の被爆者の放射線障害の状況が、ABCCなどの公表されているデータとは全く違って、場合によれば、直接外部被曝よりも内部被曝の方が重い症状が出ていることを論証し、ECRRで報告した。ICRPはその根拠の一つを「原爆生存者生涯調査」に置いているので、ICRPモデルの論拠がまた一つ崩れたことになる。(なお沢田の報告の一端は次の論文で読むことができる。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/sawada.html>)

ABCC=放影研への鋭い批判

 ECRRの2010年勧告は、主としてABCC=放影研が行ってきた「ヒロシマ研究」から、「被曝の結果」、特に「低線量内部被曝の影響」を説明あるいは予測することの間違いを次のような表に示している。(前出「ECRR2010年勧告」のP46。青字は私のコメント)

間違い発生の機構 備考
不適切な参照集団 研究集団と参照集団とがともに降下物からの内部被ばくをうけている。
(広島・長崎の生存者で内部被曝を受けたものはいないと考える方が科学的ではない。)
高線量から低線量への外挿 細胞は高線量では死滅し、低線量で突然変異を起こす。
(だから高線量で発生した事象をそのまま低線量での事象に拡大延長して類推することは非科学的)
急性被ばくから慢性被ばくへの外挿 先行する被ばくによって細胞の感受性は変化する。
(急性被曝と慢性被曝は全く異なる影響を細胞に対して与えている。)
外部被ばくから内部被ばくへの外挿 外部被ばくは一様な線量を与えるが(単一の飛跡)、内部被ばくでは放射線源に近い細胞に高線量を与えうる(多重のあるいは連続的な飛跡)
 線形しきい値無しの仮定 明らかに真実ではない。
(少なくとも内部被曝は全く異なるメカニズムを持っている)
日本国民から世界の人たちへの外挿 異なった集団が異なった感受性を持つことは非常によく明確にされている。
(放射線への感受性は、個人によっても人種、民族集団によっても大きく異なることがわかっている。日本人=広島・長崎の被爆者に当てはまったことが、世界中の人たちに当てはまるとは限らない。)
戦争生存者からの外挿 戦争生存者は抵抗力の強さによって選択されている。
調査があまりにも遅く開始された 初期の死亡者数が失われている。最終的な死亡者数が正確でない。
ガン以外の疾患が除外されている 入市被ばく(後の被ばく; later exposures)に対する全ての健康損害が無視されている。
(たとえば全身倦怠、心臓疾患などは全く被曝の影響ではないとしている。)
重篤な異常だけに基づいてモデル化された遺伝的傷害 軽度の影響を看過し、出生率における性別比率を無視している。

 ECRRによるICRPに対する批判は、こうしてICRPリスクモデルの基礎となった「ヒロシマ研究」の誤りを具体的に指摘するところまで進展することになった。

 ICRP派の医科学者(日本では文科省、各放射線影響研究所、東大、広島大学、長崎大学をはじめICRP派でない医科学者をさがすことは、わら山の中から1本の針を見つけ出すより難しい。)は少なくとも、こうしたECRR派の批判に対して、丁寧な再批判を行わなければならないだろう。「たわごと」として「権威」をかさに着て無視することに許されなくなっている。

正しい知識と理解こそが子供たちを護る

 くりかえしなるが(そして何度でもくりかえすが)、今私たちは福島原発事故による放射能の影響を、このICRPリスクモデルを基準に考え行動している。日本の子供たちの健康、特に福島の子供たちの健康をこのICRPリスクモデルを基準にして考えている。食品の安全基準もこのICRPリスクモデルを基準に考えている。

 仮にこのリスクモデルが低線量内部被曝の領域では全く通用しない、全くデタラメなシロモノだとしたら(私個人は、今そう確信している)、私たちは何を基準に、自らを、子供たちを護ったらいいのであろうか?

 2010年勧告を完成するにあたり、2009年5月、ECRRの科学者たちはギリシャのレスボス島(そう、あのレスボス島である)に集まり研究発表と報告を行った。そして閉会時、世界へ向けて「レスボス宣言」を出した。そのレスボス宣言の中に次のような一節がある。

『7. 人々が被曝した放射線のレベルを知り、その被曝によって潜在的な結果についても正しく情報を与えられることは、個々人における人権である』
(沢田昭二訳。沢田自身もレスボス会議に参加した。)

 その通りである。私たちが放射線被曝に関する正しい知識と理解をもち、自らあるいは子や孫(子供たちは自ら護るすべを持たないことを想起せよ)、友人や隣人を防護することは、私たちの基本的人権の一つであり、私たちの当然な「生存権」である。
 
 私たちは正しい放射線被曝に対する知識と理解を持つことでしか、自分自身を守ることはできない。

 ここでこのシリーズの本題である、朝日新聞の「いちからわかる 放射能と健康との関係」の記述に戻ろう。

細胞の中の遺伝子が壊れたり、構造が変わったりする可能性があるが、少量の放射線なら人体には影響しない。』

 とこの記事は冒頭で以上のように断言している。ICRPの宣伝に汲々としているこの新聞は、こう書き、私たちの正しい放射線被曝に対する知識と理解を妨げることで犯罪行為を犯している。この記事全体は他に色々な箇所でICRP宣伝を繰り返している。それらの批判検討は、次回に見てみよう。

(以下次回)