【安倍晋三と日本型ファシズム】 2014.1.29

<参考資料>ダボス発言−戦後世界秩序の否定を
意図せず行う安倍晋三


 
「この男本当に大丈夫なのか?」

 靖国神社参拝に続いて、2014年世界経済フォーラム(いわゆるダボス会議)における安倍晋三の発言が西側世界にとまどいと波紋を広げている。「この男、本当に大丈夫なのか?」と・・・。

 スイスのダボスで開催されたダボス会議で日本の首相、安倍晋三がなにをいったのか、実は正確にはわかっていない。取りあえず安倍政権の機関紙的性格の濃い読売新聞から引用しておこう。

 1月24日付け読売電子版の記事である。

「日中は大戦前の…」発言報道、首相真意説明へ

 菅官房長官は24日午前の記者会見で、安倍首相が日中関係を第1次世界大戦前の英国とドイツの関係と「似た状況だ」と発言したと英国メディアなどが伝えた問題について、「外交ルートを通じて首相の真意をしっかりと説明する」と述べた。

 報道したイギリス放送協会(BBC)や英フィナンシャル・タイムズ紙などに対し、在英日本大使館の担当者が実際の発言を正確に説明する方針だ。

 首相の発言は22日午後(日本時間22日夜)、スイスでの世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で各国の報道機関幹部らと懇談した際のことで、政府は首相の日本語による発言の一部が正確に理解されなかった可能性があるとみている。

 首相は懇談で、沖縄・尖閣諸島をめぐる日中両国の武力衝突の可能性を問われ、「英国とドイツは、第1次世界大戦前、貿易で相互に関係が深かった。日本と中国も今、非常に経済的な結びつきが深い。だからこそ、そういうことが起きないように事態をコントロールすることが大事だ」と述べた』
  
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20140124-OYT1T00530.htm

「戦争状態に入る可能性がある」

 この記事によると、ことは各国の報道幹部との懇談での発言らしい。ポイントは安倍晋三が現在の日中関係を、
1. 『第一次世界大戦前のイギリスとドイツと似た状況だ』とし、
2. その理由を、『両国が貿易関係で結びつきが深かったにもかかわらず、戦争状態に入った』ことに求め、
3. 『だから、沖縄・尖閣諸島をめぐって戦争状態に入る可能性がある』とし、
4. 『だから、そんなことにならないよう事態のコントロールが必要だ』
としている。

 官房長官の菅義偉(すが よしひで)の釈明は、要するに安倍の発言の真意は『4.日中間のコントロールが大事』というところにあったのだが、“誤解されて”『3.日中間が戦争関係に入る可能性』がある、というところに焦点が当てられてしまった、というところにある。あるいはイギリスのジャーナリズムに対しては「第一次世界大戦前のイギリスとドイツの関係になぞらえた」ことが、刺激した、という解釈らしい。

 しかし上記の発言が事実だとすれば、安倍政権の機関紙的新聞・読売新聞が伝えるのだから、恐らく事実だと思うが、菅義秀の釈明は釈明になっていない。通訳が明らかに誤訳したというのならともかく、日本の首相の情勢認識として、「日中間のコントロールが必要だ」という話の価値(ニュースバリュー)と「日中間が軍事衝突の可能性がある」という話の価値とどちらが重いかを考えれば、明瞭だろう。日本の首相が「日中軍事衝突の可能性がある」と認識していること自体が衝撃的だ。誰にとっても。

タイム誌『日本と中国は戦争に入るのか?』

 以下は『日本と中国は戦争に入るのか?』(“Will Japan and China Go to War?”)と題するタイム誌(電子版)の1月22日付けの記事である。書いたのはタイム誌国際版編集長のボビー・ゴーシュ(Bobby Ghosh)である。長くなるかも知れないが引用する。この記事には、サブタイトルがついており「日本の安倍、不測の事態で火花散る衝突を懸念」(“Japan's Abe worries a conflict could be sparked by something unexpected”)というものだ。以下本文。

 日本と中国が軍事衝突の道にはまりこむことがありうるか?“環太平洋圏”(the Pacific Rim)を引き継いだ形の“アジア”は、領土論争をめぐる北京と東京の間の好戦的な“言葉の戦争”による可能性をじっくり考えてみなければならない状況に追い込まれている。軍事費の増大、あまつさえ、論議を呼んでいる、日本の戦死者のための靖国神社への安倍晋三首相の参拝である。しかし、極端なシナリオのギャンブルに打って出ようとするものですら、必ず“そんなことはあり得ないのだが・・・”とつけ加えることを忘れない。

 世界で第二位の第三位の経済大国が戦争で、それがどんな小さな軍事的小競り合いだとしても、失うものはあまりに大き過ぎないか、それは確かなことか?実際の戦闘に入る前に、他の諸国(特に太平洋で最大の強国、アメリカ)が両者を止めに入らないだろうか、それは確かなことか?歴史的な不平・不満、侮辱と感じたりするぐらいで戦争に突入したりはしない、それは確かなことか?確かなことだ。

 しかし、今日の午後、ダボス(スイス)の世界経済フォーラムでの記者や編集者と懇談した安倍は、
『そう、それは“確かなことだ”』と表明することをわざわざ避けた。(he was at some pains to avoid)

 そのかわりに安倍は何か全く予期せぬ出来事が“大火災の発火点”となりうると警告した。安倍はいう。『なにかある種の摩擦かあるいは紛争が、まったく偶発的レベルで、あるいは不注意によって海洋で発生するかも知れない』具体的例示はさけたものの、異なる文脈の中で、2014年は第一次世界大戦から100年目にあたると指摘した。集まったジャーナリストたちにとっては思い出すまでもない。災禍は予期せぬ出来事から始まったのである。“サラエボの暗殺”である」

第一次世界大戦勃発から今年で100年目

 ここで第一次世界大戦そのものをあまり知らない若い読者(がいるとしての話だが)のために、注釈を入れておく。日本語ウィキペディア『第一次世界大戦』は、次のように説明している。

 「1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。ヨーロッパが主戦場となったが、戦闘はアフリカ、中東、東アジア、太平洋、大西洋、インド洋にもおよび世界の多数の国が参戦した」戦争勃発のきっかけとなった事件が、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の世継、フランツ・フェルディナント大公が、ボスニアの首都・サラエボでセルビア民族主義者による暗殺事件とされる。1914年6月28日のことである。だから2014年6月は、この事件から100年目になる。

 どうでもいいことだが、このタイム誌のゴーシュ記者の文体は、オールド・アメリカン・コラムニストの文体そのもので、もって回ったいいかたに時々辟易する。報告記事や論評記事は文学作品ではない。(文学作品といってもいい優れた報告記事もある。しかしそれは結果として文学となったので、最初から文学を狙ったものではない) ゴーシュ記者を続ける。

 安倍が“アジアの巨人”との間の緊張関係を緩和する方策をもっていないことは、全くお手上げだ。
安倍はいう。『不幸にして、明確・明瞭なロードマップをもっていません』
『もしかすると』、とあまり確信もなさそうに、『北京と東京の間に軍事力レベルのコミュニケーション・チャネルを設定することが有効かもしれない』といった。

 さて、両国がもし軍事衝突に入ったら安倍はアメリカに何を期待するか?アメリカが日本の側に立つことを期待するかどうかという質問をかわして、安倍はアメリカと日本はすでに密接な軍事的結合を追求してきていると述べた」

戦争を否定しない安倍晋三への驚き

 この安倍とジャーナリストとの懇談は正式な記者会見ではなく、朝日新聞によると、“懇談”といった形のやりとりだったらしい。そして中の誰かが、「記事にしていいか?」と尋ねたのに対し、安倍は「どうぞ」といったという。ゴーシュ記者の記述が正しければ、中の誰かが(もしかしてゴーシュ記者自身かも知れない)、もし戦争になったらアメリカは日本の側につくかどうか、という質問をしたということだ。

 驚くべきことは、安倍が「そうなったら、アメリカは日本の味方をしてくれるだろう」と匂わせた、ということではない。この質問に対して、「21世紀の今日、日本と中国がどんな小さな軍事衝突であれ、戦争になることは絶対にありえない」といわなかった、ことだ。そしてこの驚きは私だけではなく、そこに集まったジャーナリストの多く(産経、読売の記者を除いて)が瞬時に共有したのではないか?そして多くが初めて安倍に根本的疑念をもったのではないか?「この男、本当に21世紀の世界の指導者の1人として大丈夫なのか?」と。ゴーシュを続ける。

 しかしながら、彼は論議の大きい靖国神社の自らの参拝については守勢に入った。中国を含む多くのアジア諸国は、合祀されている戦死者のうち戦争犯罪人は、日本による東南アジア占領の恐ろしい所業に責任がある、という。安倍によれば、彼は靖国に参拝した最初の日本人指導者ではない、前任首相たちは合計すると65回も靖国に参拝した、批判は安倍の意図を誤解した結果だという。」

『靖国参拝問題』へのアジア諸国の認識

 「安倍靖国参拝問題」での、アジア諸国の認識については、ゴーシュはやや甘いようである。アジア諸国、特に中国と韓国(従って北朝鮮も)の認識はおよそ以下のようである。

『1. 日本は、戦前の凶暴な軍国主義を完全に克服することを誓って戦後国際社会に仲間入りをした』

 この認識は、中国や韓国だけでなく、国連社会の共通の認識であろう。事実、日本はポツダム宣言を受け入れることによって、国土が灰燼に帰することを免れた。そのポツダム宣言は、第4条で、

 “日本帝国を破滅の淵に引きずりこむ非知性的な計略を持ちかつ身勝手な軍国主義的助言者に支配される状態を続けるか、あるいは日本が道理の道に従って歩むのか、その決断の時はもう来ている”

 と述べ、さらに第6条と第8条で次のように述べる。

 “日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた、全ての時期における影響勢力及び権威・権力は排除されなければならない。従ってわれわれは、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである。”

 “われわれは、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。”
 
 ポツダム宣言の重要な骨子の1つは、凶暴な日本型ファシズム勢力の徹底的な根絶やしを受け入れるか受け入れないか、という究極の取捨選択を迫ったところにある。だから最後条の第13章で、

 “われわれは日本政府に対し日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求し、かつそのような行動が誠意を持ってなされる適切かつ十二分な保証を提出するように要求する。もししからざれば日本は即座にかつ徹底して撃滅される。”

 と、受け入れなければ、徹底的に撃滅する、と宣言することになる。ポツダム宣言受け入れによる敗戦が無条件降伏だったかどうかの議論は今おくとして、ともかく日本の戦後はポツダム宣言を受け入れることによって出発した。

戦勝国=連合国(United Nations=国連)による戦後世界秩序構築の枠組み

 一方戦後世界秩序の枠組みはすでに前年1944年に国際連合(国連)構想が固まっており、ドイツ、日本の降伏に続く1945年10月に国連発足という形でスタートした。国連による世界秩序の回復・発展と平和の実現、という構想である。ところで国連とは、第二次世界大戦における連合国=United Nations、である。いいかえれば、戦後世界秩序は、第二次世界大戦における連合国=戦勝国が取り仕切るということだ。従って戦勝国の中心国である、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連(継承国はロシア)、中国(継承国は中華人民共和国)の5か国が特別な地位を占め、国連の最高意思決定機関である国連安全保障理事会での永久理事国(permanent members of the United Nations Security Council)の地位を占め、続いてこの5か国だけに核兵器の保有が許されるというNPT体制がスタートする。

 話は変わるが、戦後世界秩序が第二次世界大戦戦勝国による支配で成立している、それが国連である、という事実を日本の国民にできるだけ気づかせまい、とする外務省の努力は涙ぐましいものがある。国連安保理の永久理事国を“常任理事国”と訳したり、もっとも甚だしいのは『連合国』(United Nations)を『国際連合』と訳したり、あるいは第二次世界大戦戦勝国が国連を作ったという事実をできるだけ薄めて伝えようとしたり。外務省は『国連』http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/un.htmlという比較的大きなページを設けて国連との活動にスペースを割いているが、このページのどこを探しても国連がいかなるいきさつで成立したか一言も触れていない。知られたくないのだ。これに関して日本語ウィキペディア『国際連合』は面白いこといっている。

なお、英語表記の“United Nations”は第二次世界大戦中の枢軸国に対する連合国を指す言葉であり、“国際連合”は意図的な誤訳である。(中国語ではそのまま“聯合國”と呼ばれる。)」

 意図的な誤訳と言い切る以上何か確たる根拠があるのだろうが、私もその通りだと思う。

戦前軍国主義を肯定するのか、時計の針を巻き戻すのか?

 さて、アジア諸国、特に中国、韓国(従って北朝鮮も)の『日本の首相による靖国神社参拝問題』に関する基本認識を続けよう。出発点は、

『1. 日本は、戦前の凶暴な軍国主義を完全に克服することを誓って戦後国際社会に仲間入りをした』

だった。
『2. しかるに民間の宗教とはいえ靖国神社は、凶暴な軍国主義者、すなわち極東軍事裁判におけるA級戦犯を合祀している。つまり天皇のために死んだ神として祀っている。日本は凶暴な軍国主義者の権威や影響力、一言でいえば軍国主義の克服を誓って戦後国際社会=戦勝国による世界秩序、の仲間入りを果たしたのではなかったか?』
『3. 民間人がその主義主張に基づいて戦争犯罪人が祀られている靖国に参拝するのはやむを得ない。信教の自由は誰にでもある。しかし1国の政治指導者、特に時の首相が靖国に参拝するのは明白にその強烈な政治的イデオロギーを主張している。すなわちA級戦犯は戦争犯罪人ではない、従って日本は戦争には負けたが犯罪を犯したわけではない、と主張している。これは、日本の戦後の出発点であるポツダム宣言に反して、軍国主義を肯定し、時計の針を1945年以前に巻き戻すことを意味している』

 ということになる。

 特に日本の軍国主義で最大の被害を受けた中国の今回の反応は激越だ。たとえばアフリカ連合(AU)永久大使を兼任する解暁岩(Xie Xiaoyan)駐エチオピア中国大使は、安倍を「アジア最大のトラブルメーカーであり、世界は警戒しなければならない。この首相は日本を非常に危険な道に導いている。国際社会は日本がその道をさらに進んで行くのを止めるために、あらゆる手だてを講じなくてはならない」とまで言い切っている。
(以上はニューヨークタイムス1月16日付け記事、ハナ・ビーチ(Hannah Beech)記者の署名入り記事 “Chinese Envoy Calls Japanese PM Abe the ‘Biggest Troublemaker in Asia’”による)


 こうした批判にたいする安倍の弁解は、戦後史の素養に極端に乏しい一般日本国民に対してはともかく、国際的には弁解になっていない。安倍はいう。「全くの誤解だ。私は戦争で日本のためになくなられた人々に参拝しただけだ」

一見歴史認識問題だが実は高度な国際政治問題

 弁解になっていないどころか嘘も混じっている。第一に靖国神社は、戦争で日本のために死んだ人々を祀った神社ではない。戦争で天皇のために死んだ人々を祀った神社だ。たとえば西南戦争で逆賊として死んだ西郷隆盛は祀られていない。また、太平洋戦争でアメリカの戦略爆撃のために死んだ人たちは祀られていない。また広島・長崎の原爆で死んだ人たちは祀られていない。別に天皇のために死んだわけではないからだ。いや、靖国は軍人、軍属として死んだ人たちに限っている、といってみたところで事態はかわらない。合祀されている、絞首刑となった7人のA級戦犯のうち元首相広田弘毅は完全にシビリアンだ。靖国神社の合祀の基準は一見矛盾だらけに見えるが、天皇制を守る、当時の言葉でいえば国体護持のために死んだ人たちを恣意的に選んだだけだ。だから中には敬虔な仏教徒もいればクリスチャンもいる。宗教的理由で靖国神社に祀るのはやめてくれ、と厳重に抗議・撤回を求めて裁判になったケースすらある。

 A級戦犯を合祀している国家要人による靖国神社参拝は、戦前日本の軍国主義をどう評価するか、さらにいえば、戦前ファシズムを全面的に否定して出発した戦後世界秩序の体制を全面的に肯定するのか、それともこの体制に疑義を挟むのか、という問題を孕んでいる。痛烈を極める中国の批判が、ヨーロッパやロシアにわかりやすく、「靖国は日本のナチス神社だ」という意味合いのことを指摘するのも、この文脈の中では十分説得力のあることだし、また事実でもある。


アメリカ国務省『失望』声明

 国家要人による靖国神社参拝は、一見歴史認識の問題のように見えて、戦勝国による戦後世界秩序を認めるか認めないかという高度な政治問題なのである。安倍の詭弁に満ちた弱々しい説明では、到底歯が立たないほど高度な国際政治的問題だ。

 実際、2013年10月、日本を訪れたアメリカの国務長官ジョン・ケリーと国防長官チャック・ヘーゲルは揃って千鳥ヶ淵国立墓苑を訪れ、第二次世界大戦でなくなった日本人死者に哀悼の意を表して献花した。オバマ政権下ではNo.3とNo.4の人物である。これほどアメリカの明瞭な意志表示はあるまい。「戦争で死んだ同胞を悼むのなら、靖国ではなく、千鳥ヶ淵だ」と誤解の余地なく、アメリカの見解を示しているのである。そして、暮れも押し詰まった12月26日安倍の慌ただしい靖国参拝である。国務省は直ちに「失望した」とする異例の声明を発出する。東京のアメリカ大使館のWebサイトから、『安倍首相の12月26日靖国神社参拝に関する声明』(“Statement on Prime Minister Abe's December 26 Visit to Yasukuni Shrine”)を全文引用する。

2013年12月26日

 日本は価値の高い同盟国であり友人です。それでもやはり(Nevertheless、アメリカは日本の隣人たちとの間の緊張関係を一層悪化させる(exacerbate)日本の指導者による行動に失望を覚えます。

アメリカは日本とその隣国が、過去からの敏鋭な(sensitive)諸課題に対応し、諸隣国との関係を改善し、地域の平和と安定という私たちが共有する目標を前に進めるべく協力関係を増進するにあたり、建設的な道を見いだしていくことを希望します。

われわれは、首相(the Prime Minister)が示された日本の平和に対する積極的な関与(commitment)と過去への自責に満ちた悔恨(remorse)を表明されたことを心に留めております。(take note)

 短いがよく練られた文章であり、選ばれた言葉を使っている。こうした声明が即座に出されることは異例中の異例だが、私の興味はここでいう隣国なり隣人(いずれもneighbors)の中にアメリカが含まれているかどうか、と言う点だ。日本のマスコミの扱いは、中国との関係を心配し、また中国に気兼ねしてこのような『失望』声明となったという解釈だが、私はそうは思わない。戦勝国=連合国(United Nations)という戦後世界秩序構築の枠組みを考えれば、『隣人』には当然アメリカ合衆国も含まれている。この声明が発出された瞬間、戦後世界秩序を共に構築していくパートナーとしての安倍晋三には“黄信号”がともった、というべきだろう。(いやすでに“赤信号”かもしれない)

 『靖国神社参拝問題』は、高度な政治問題だということを十分認識していた人物の1人に昭和天皇裕仁がいる。だから裕仁はそれまで続けていた靖国神社参拝を、A級戦犯が合祀(いわゆる「昭和殉難者」)された1978年以来ピタっとやめた。

“Sino-Japanese war”(中日戦争)の危険

 タイム誌のゴーシュ記者は、この文脈で突如「靖国問題参拝問題」を挿入しているが、これは恐らくダボスでの「安倍記者懇談」の席上、「靖国参拝問題」が提示されたからだろう。ゴーシュ記者の記事はここで再び、「日中戦争」の話題に戻る。
 
 「安倍がいうところでは、戦争をすれば中国は失うものが大きい。北京政府がその適法性を維持するための経済成長を戦争は損なうことになるだろう、とのことだ。日本の首相は自国が被るコストについては全く触れなかったが、“中日戦争”(“Sino-Japanese war”)が世界経済にとって障害となることは認めた」

 記事はここで終わっているが、この最後の記述を信ずれば、安倍は、中国は経済成長しているので中国人民が共産党政権を支持していると思いこんでいるようだ。従って戦争で経済成長が損なわれれば、共産党政権は瓦解すると考えているようだ。いったい阿倍はどんなブレインを身の回りに配置しているのだろうか?この中国観はまるで、戦前日本政府が中国侵略の際に一貫して採り続けた希望的観測に基づく中国観を想起させる。

 私はアメリカ国務省の『失望』声明とともに、駐エチオピア中国大使・解暁岩の「世界は警戒しなければならない。この首相は日本を非常に危険な道に導いている。国際社会は日本がその道をさらに進んで行くのを止めるために、あらゆる手だてを講じなくてはならない」という言葉に満腔の同意を覚える。