【安倍晋三と日本型ファシズム】 2014.2.4

<参考資料>日本の冒険主義的な国粋主義
−ニューヨーク・タイムズ(NYT)

<http://www.nytimes.com/2013/12/27/opinion/risky-nationalism-in-japan.html?_r=0>

 
 
NYT “編集委員会” とは何だ?

 日本の首相安倍晋三が、突如として靖国神社参拝を行ったのが2013年12月26日。即座にアメリカ国務省が、「日本は価値の高い同盟国であり友人です。それでもやはり(Nevertheless)、アメリカは日本の隣人たちとの間の緊張関係を一層悪化させる(exacerbate)日本の指導者による行動に失望を覚えます。」とする、いわゆる国務省『失望声明』を発出したのが12月26日。同じ日付の12月26日、ニューヨーク・タイムズは「編集委員会名」で『日本の冒険主義的な国粋主義』(“Risky Nationalism in Japan”)と題する“社説”を掲載した。今回問題にするのがこの記事である。支配層の保守的傾向を代表する新聞がウォール・ストリート・ジャーナルだとすれば、ニューヨーク・タイムズはアメリカ支配層のどちらかといえばリベラル・進歩主義的傾向を代表する新聞である。だから、この記事はアメリカ支配層のリベラル的傾向をもつ世論の、安倍政権に対する警告だと考えることもできる。(私は明瞭にそう読みとっている)

 まずこの記事のタイトルである。“Risky Nationalism in Japan”という英語のタイトルをどう日本語に訳出すべきか?名詞形の“risk”には、“危険”や“危機”を示す幅広い意味が含まれている。その意味では肯定的ニュアンスや否定的ニュアンス、また客観的な“危機”を示す中立的な意味も含んでいる。が、形容詞の“risky”となると一挙に否定的な意味合いが強くなる。たとえば“risky business”といえば“危ない橋を渡る”と訳出してもさほどオリジナルのニュアンスを損なわない表現だ。これはもう一つの形容詞“riskful”と比べてみてもわかる。”riskful”は単に「危険の多い」とか「危険に満ちた」とかいう意味合いの形容詞で、それ自体にあまり肯定的意味も否定的意味も含まない。しかし“risky”はそうではなく、むしろ「向こう見ずな」とか「冒険主義的な」とか訳出した方が適切な言葉である。

 “Nationalism”になると肯定的ニュアンスから否定的ニュアンスまでの極めて幅広い。民族自決という時の「民族主義」という言葉でも使われるし、「盲目的愛国主義」という意味でも使われる。「国家主義」、「国粋主義」など否定的ニュアンスを持った言葉としても使われる。日本語に移すことが不可能な言葉、といっていいかもしれない。かといって、「ナショナリズム」とカタカナで表記しても事情は大して変わらない。このカタカナ語から受ける意味合いは受け手によって千差万別だからだ。

 そこで結局、この記事のタイトルを「日本の冒険主義的な(向こう見ずな)国粋主義(安倍晋三の体質を考えれば国家主義)」と訳出することにした。

 次の問題は、この記事の書き手である「編集委員会」(The New York Times Editorial Board)である。アメリカの新聞は特に個人名での記事(署名記事)が圧倒的に多いので、「編集委員会名」での記事は珍しいな、と思って調べてみたらニューヨーク・タイムズに限っていえば、さほど珍しくもない記事のようだ。毎日1〜2本掲載している。(たとえばhttp://topics.nytimes.com/top/opinion/editorialsandoped/editorials/を参照のこと)

 2013年8月2日付けで更新されている『ニューヨーク・タイムズ編集委員会』の記事では次のように説明している。
 編集委員会は幅広い専門分野の19名のジャーナリストから構成されている。その主要な責務は『ニューヨーク・タイムズ論説』(“The Times’s editorials”)を執筆することである。これは委員会、編集長及び発行人の声を代表するものである」

とし、編集委員会の記事が、単に委員会に止まらず編集長や発行人まで含め、いわばニューヨーク・タイムズ全体の意見を代表するものだと受け止めて良い。この記述を続ける。

委員会はタイム論説部(“Times’s editorial department”)の一部であり、論説部はニュース部(“the Times newsroom”)から独立しており、『編集長へのレター』(“the Letters to the Editor”)や『意見・論説』(“Op-Ed”)などの記事欄を担当している」


靖国は天皇のために死んだ人間を“神”とする

 これでおおよそ「編集委員会」の性格も理解できたものとして、この記事の中身に入ってみよう。(なお記事部分は太字で、「 」にいれて表記する。その他の記述は私の説明や補足である。またニューヨーク・タイムズ紙はNYTと表記する)

 木曜日(2013年12月26日)、政権について1年後、安倍晋三首相は『ヤスクニ』、議論かまびすしい神道神社に参拝した。ヤスクニ神社は日本の戦死者を尊崇している。この戦死者の中には第二次世界大戦中の戦争犯罪人も含まれている」

 このNYTの記述はやや不正確である。靖国神社は単に戦死者を祀った神社ではなく、明治以降歴代天皇のために戦い戦死した軍人・軍属を神として祀る神社である。もっといえば軍人・軍属だけでなく、広く天皇のために戦争中なくなった日本国民を神として祀っている。

 あまり靖国神社そのものに深入りしたくはないが、以下は日本語ウィキペディア『靖国神社』の中の『祭神の内訳』の記述。

「祭神の内訳
祭神の主な内訳は、以下の通り(2004年<平成16年>10月17日現在)。戦争・事変名は年代順ソート。
戦争・事変名 柱数 備考
戊辰戦争・明治維新
7751柱 新政府軍側のみ。遊就館の靖国の神々の一覧表では「明治維新」のみ。(彰義隊や新撰組を含む)旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外となる。
西南戦争 6971柱 政府軍側のみ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外
台湾出兵(別名:征台の役) 1130柱 遊就館の靖国の神々の一覧表では、「台湾討伐」とある。
江華島事件 2柱 公文録・明治八年・第三百七巻・朝鮮講信録による
壬午事変 14柱 公文録・明治十五年・第百八巻による
京城事変(甲申政変) 6柱 公文別録・朝鮮事変始末・明治十七年・第二巻による。遊就館の「靖国の神々の一覧表」では、壬午事変、江華島事件、京城事変はなぜか一覧表にない。
日清戦争 1万3619柱  
義和団事件 1256柱 遊就館の「靖国の神々」の一覧表では、「北清事変」とある。
日露戦争 8万8429柱 常陸丸事件英国人船員は対象外。但し6月15日斎行の常陸丸殉難記念碑前での慰霊祭では、等しく慰霊されている。
第一次世界大戦 4850柱  
青山里戦闘 11柱  
済南事件 185柱  
中村大尉事件外 19柱 『第1511号 7.4.23 靖国神社臨時大祭祭式次第書並に先着諸員の件(2)』による
満洲事変 1万7176柱  
支那事変(日中戦争) 19万1250柱  
大東亜戦争(太平洋戦争) 213万3915柱 第一次インドシナ戦争などの「大東亜戦争後のアジア独立戦争」で戦没した者も含む。『ベトナム独立戦争参加日本人の事跡に基づく日越のありかたに関する研究』による
246万6584柱」  

 表中「柱」とあるのは、神道では神格を「柱」(ちゅう)と数えるからである。表を見てわかるように、西南戦争や戊辰戦争などの日本国内内戦で、天皇側ではない日本人(いわゆる『官軍』に対して『賊軍』)は、祀られていない。また日本国内内戦が一段落すると、明治政府はすぐさま台湾や朝鮮半島への侵略戦争に突入するが、以降靖国神社の神はすべて日本の侵略戦争で生じている。見ていて暗然とする表である。「246万6584柱」という数にではない。その侵略戦争の数の多さと「246万6584人」の日本人戦死者(中には女性や朝鮮半島出身者や台湾出身者が含まれる)という数の「侵略戦争の神々」の背後には、その数十倍に上る侵略された側の死者が存在するからだ。安倍晋三が靖国神社参拝することがどうかこうかという議論のはるか以前に、21世紀の日本に、天皇のための「侵略戦争の神々」を祀る神社が存在し、年間600万人の日本人が、この神社に詣でるという事実をよく考えてみなければならないだろう。

「失望声明」は明瞭な安倍批判

 NYTの記述に戻る。

中国と韓国は素早くこの動き(安倍の靖国参拝)を批判した。そして同様にアメリカも批判した」

 ここは気になる記述である。原文は「批判した」(criticized)であり、続いて“as did the United States”となっているから、当然アメリカも批判した、としか読めない。そう、国務省のいわゆる「失望声明」はアメリカの明瞭な「靖国参拝」批判声明だったのである。問題は、(ホンネは別として)安倍晋三自身が自分の行為(行動でもある)がアメリカによっても批判されたという自覚がないことである。通常国会での答弁は「自分は誤解されている。丁寧な説明をすればわかってもらえる」と思いこんでいるということでもある。(ホンネは別として)

安倍氏の参拝はすでに緊張状態にある中国と韓国の関係を悪化させた。両国は靖国神社を、侵略主義と植民地主義の日本の帝国主義戦争のシンボルとみなしている。アメリカ大使館は、『日本と諸隣国との緊張をさらに悪化させる日本の指導者の行動にアメリカは失望しました』と声明した。
 疑問はなぜ安倍氏が、今靖国参拝を決断したかである。日本の首相が最後に靖国神社に参拝してから7年が経過する。日本政府要人の間では、靖国神社参拝は中国・韓国に対して象徴的な嫌悪感を催させ(repugnant)、両国関係に有害な影響を与える、との認識があったからである。両国と日本との関係は2000年代半ばよりもさらに悪化している。中国の指導者も韓国の指導者も、安倍氏が2012年に首相に就任して以来、安倍氏と会談することを拒否している。(最初の首相在任は2006年から2007年だった)その理由は、1つには東シナ海における領土問題であったり、韓国の“コンフォート・ウーマン”問題であった。コンフォート・ウーマンは第二次世界大戦中に日本兵によって性奴隷を強いられた女性たちのことである」

 ここで使用されている英語は“comfort women”である。これは「慰安婦」の直訳英語である。だからここでも素直に「従軍慰安婦」と訳せば良かったのだが、「従軍慰安婦」という言葉にはもともと『性奴隷制度の被害者』という意味合いはなかった。「戦争の時、軍隊について回って兵隊相手に売春業を営む女性たち」という意味合いで使われた言葉だし、今でもここで問題になっている「従軍慰安婦」が「兵隊相手の売春婦」という意味合いで使われるケースが圧倒的に多い。たとえばつい最近ではNHK会長に就任したばかりの籾井勝人が、そういう認識に立って「従軍慰安婦はどこに国にもあった」とお粗末な発言をして問題を起こしたばかりだし(三井物産出身の“国際人”というふれこみだったが、とんだ国際人である)、また現在大阪市長の橋下徹が同趣旨の発言をして顰蹙を買った。国際的に問題となっている、特に国連人権委員会(現在は国連人権理事会に昇格している)が問題にした、そして各国議会が反対決議をあげた「旧日本軍性奴隷制度」はもちろんそういう意味合いの概念ではない。旧日本軍が国家的かつ組織的に各国の女性(特に朝鮮半島や中国の女性が最大の被害者)を拉致監禁し、性的陵辱、拷問、強姦や殺人を行った事件のことを指している。従って国際的には(私もそうだが)、問題になっているのは「旧日本軍性奴隷制度」なのであって、決して「従軍慰安婦という存在」なのではない。その性奴隷制度の被害者が、NYTがここでいう“コンフォート・ウーマン”という英語表記なのだ。NYTの編集委員会も「旧日本軍性奴隷制度」という文脈でこの言葉を使っている。日本国内での認識と国際的な認識とでは、全く違う事柄を論じているほども違いがある。そこで“コンフォート・ウーマン”を日本語表記の「従軍慰安婦」と訳し返してしまうと、認識のギャップはいつまでも埋まらない。一端「従軍慰安婦」という概念を離れて、「旧日本軍性奴隷制度」の被害者としての“コンフォート・ウーマン”という概念を踏まえてこのNYTの記事を読まなければ意味がない。従ってあえて「従軍慰安婦」と訳さずに“コンフォート・ウーマン”とカタカナ表記にした次第である。

靖国参拝はある政治課題の一部

逆説的に聞こえるかも知れないが、安倍氏に“靖国参拝はいい考えだ”と思わせたのは中国と韓国なのだ。日本はある小島群(islets。尖閣諸島のこと)を過去長い間実効支配してきたが、中国の好戦的な動きが日本の大衆をして中国からの軍事的脅威が存在すると確信させた。この問題は、安倍氏をして、中国からのあらゆるシグナルを無視せしめる効果を持った。そして安倍氏の最終目標である、日本の軍隊を厳密に領土防衛のための存在から“どこでも戦争できる”(can go to war anywhere)存在へと作り変えることの追求を覆い隠す効果も持った。靖国参拝はその政治課題全体の一部なのである」

 なかなか、意味深長な一節である。尖閣列島問題での中国の好戦的な動きとは、一連の航空識別圏設定や尖閣列島付近へ軍艦を遊弋させるなどの動きのことだろう。中国側からすれば様々な言い分があるだろうが、これを「好戦的」(“belligerent”)とNYTはとらえていると言うことだ。しかしこれは全体から見れば、大きな問題ではない。そしてこの動きが日本国内に中国からの軍事的脅威があると日本人に思わせた。これも日本人全体がそう思っているわけではないし、安倍政権と朝日新聞などリベラルと思わせるマスコミも含め、日本の大手マスコミが煽りに煽ったせいもある。実際、この煽り方は戦前大政翼賛体制の下での日本のマスコミを思わせるほど、不気味な煽り方だった。(今もそれは続いている)これも全体から見れば大きな問題ではない。この一節の最大の問題は、NYTが、この問題を捉えて、安倍が現行日本軍(すなわち自衛隊のこと)を専守防衛の軍隊から、海外進出できる軍隊に作り変えようという目標(これは事実)のため利用しようとしている(これも事実)と指摘し、靖国参拝はこの課題達成のための一環だ、としている点だ。これが一節の最大の問題だ。

 「靖国参拝はその政治課題全体の一部なのである」は原文では、“The visit to Yasukuni is part of that agenda.”である。“that agenda”はいうまでもなく、現行日本軍を専守防衛の軍から国外進出可能な軍へ変革する政治課題のことである。“靖国参拝”が何故“どこでも戦争できる日本軍創設”という政治課題の一部なのか、なぜNYTはこういう捉え方をしているのか、ここが最大の問題であり、また疑問でもある。

昭和天皇、平成天皇はなぜ参拝を拒否したか

 先を続けよう。

韓国の、“コンフォート・ウーマン”問題に関する日本の不承不承の姿勢に対する長く続く批判、あるいは朴槿惠(パク・クネ)大統領の安倍首相との会談拒否の姿勢、この会談は日本市民の間に存在する対韓不信のタネを蒔いてきた課題について話し合おうとするものだ。世論調査によれば、日本の市民のほぼ半数近くが韓国を軍事的脅威とみなしている。有権者の間にあるこうした見解は安倍氏に、北京やソウルの反応を無視して行動するライセンスを実に効率的に与えることにもなってきた。

三大全国紙−読売、朝日、毎日−は靖国参拝について、特に安倍氏が政権を取った年に、論陣を張ってきた。そして安倍氏にとってまた彼の国粋主義的支持者にとってさらに重要なことに、明仁天皇
(平成天皇)が前代裕仁天皇(昭和天皇)同様靖国神社参拝を拒否していることである」

 日本語ウィキペディア『靖国神社問題』の項目に『天皇親拝』という記述がある。長くなるかもしれないが引用する。

昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度(1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年)靖国神社に親拝したが、1975年(昭和50年)11月21日を最後に、親拝を行っていない。この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたからという仮説があったが具体的な物証は見つかっていなかったが、・・・宮内庁長官を務めた富田朝彦が1988年(昭和63年)に記した「富田メモ」、及び侍従の卜部亮吾による「卜部亮吾侍従日記」に、これに符合する記述が発見、2006年になって「富田メモ」に、昭和天皇がA級戦犯の合祀を不快に思っていたと記されていたことがわかった。以下は(富田メモ)の該当部分。

私は(昭和天皇)或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ』

 日本経済新聞社「富田メモ研究委員会」は「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」と結論付けた。他の資料として有名なものに卜部亮吾侍従日記などがある。富田メモ以降、合祀問題を原因とする解釈が現在のところは有力ではないかとされる事が報道的な見方としては多い“

 ここに出てくる松岡は、松岡洋右である。松岡洋右は外交官だが、日本が国際的に孤立するきっかけになった国際連盟脱退の立役者であり、後にナチス・ドイツとの連携を深める三国同盟を締結した。泥沼の太平洋戦争にひきずり込んだ責任者の1人、といういい方は許されよう。A級戦犯に指定されたが極東軍事裁判中に病死。白鳥はやはり外交官の白鳥敏夫。昭和天皇が白鳥を嫌った理由は、彼が満州事変時、軍部と組んで「反英米外交」を展開し、泥沼の日中戦争のきっかけを作ったからだろう。国際連盟脱退はもともと白鳥の案だと見られている。極東軍事裁判ではA級戦犯として終身禁固の判決を受けた。服役中に病死。筑波は第5代靖国神社宮司の筑波藤麿。日本の元皇族で旧名、『藤麿王』。日本語ウィキペディア『筑波藤麿』には次のような記述が見える。「1946年(昭和21年)、靖国神社宮司に就任。宮司在任中に、いわゆるA級戦犯合祀が討議された。合祀はするものの、時期については慎重に判断すると決まり、結局在任中には合祀しなかった」

 松平は大正・昭和期の宮内官僚だった松平慶民(よしたみ)。敗戦時に宮内大臣だった。最後の宮内大臣。従って“松平の子”は海軍軍人だった松平永芳(ながよし)。戦後自衛官を経て1978年靖国神社宮司となった。そしてこの松平永芳が第6代宮司に就任するとすぐにA級戦犯を合祀したことになる。

 裕仁がA級戦犯合祀の靖国神社に生涯足を向けなかったのは何故か、という課題は極めて興味深い話だが、そこに入るとこの記事のテーマが景気よく横道に逸れるのでやめておく。ここで確認したいのは裕仁の子である明仁も忠実にA級戦犯合祀の靖国神社に参拝していないという事実である。

安倍の究極の目標は平和憲法を書き換えること

 NYTの記述を続ける。

安倍氏の究極の目標は日本の平和憲法(pacifist Constitution)を書き換えることである。この憲法は戦後占領時代にアメリカ人の手によって書かれたものである。この憲法は交戦権を制限している。(restricts the right to go to war)ここでは、明仁天皇も、彼には憲法上政治的権力はないとはいえ、不承認である」


 ここの記述は極めて曖昧である。問題は「明仁が不承認」の対象は一体何だ、といっているのかだ。
原文を引用すると“Here, too, Emperor Akihito disapproves.”である。交戦権を規制している平和憲法を不承認しているのか、「交戦権」を不承認しているのか、「平和憲法」を書き換えることを不承認しているのかが、記述上非常に曖昧である。どちらにせよNYTの記事は、憲法上政治権力を持たない明仁天皇の思惑を忖度していることは間違いない。なおこの記述は「日本国憲法は戦争を放棄している」と書かれていない。「交戦権を制限している」としている。日本の伝統的な憲法学者とはやや異なった解釈をしていることが注目される。先を続ける。

安倍氏の靖国参拝の数日前、自身の80歳の誕生日に寄せて出したコメントの中で、“貴重な価値のある平和と民主主義”を維持するため、1945年後憲法(日本の用語では戦後憲法)を執筆した人たちに“深甚なる謝意”(“deep appreciation”)を表明している」

 80歳の誕生日に先立つ2013年12月18日、平成天皇明仁は記者会見を行った。天皇の記者会見はあらかじめ質問が用意されて提出され、それに天皇が答えるという形式なので、そこで語られた内容は事実上の声明とみなして差し支えない。
(憲法上単なる象徴であり、政治権力を持たない筈の日本の天皇がこういう形でじわじわと社会的・政治的影響力を発揮し始めている)
 宮内庁のWebサイトから、この時の記者会見で該当する日本語原文を抜き出してみよう。

・・・連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
(<http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html>)

 非常に微妙な言い回しではあるが、NYTの記事がいうように「平和と民主主義をもたらした憲法を書いてくれた知日派の米国人に感謝する」と読めなくもない。ついでにこの該当個所の英語訳も見ておこう。

 After the war, Japan was occupied by the allied forces, and based on peace and democracy as values to be upheld, established the Constitution of Japan, undertook various reforms and built the foundation of Japan that we know today. I have profound gratitude for the efforts made by the Japanese people at the time who helped reconstruct and improve the country devastated by the war. I also feel that we must not forget the help extended to us in those days by Americans with an understanding of Japan and Japanese culture. ”
(<http://www.kunaicho.go.jp/e-okotoba/01/press/kaiken-h25e.html>)

 日本語よりもさらに強い調子で、「日本と日本文化に深い理解を持って協力してくれたアメリカ人」に対する感謝の気持ちが表明されている。

竜頭蛇尾の終わり方

 ここにおいてやっと先ほどの疑問は氷解する。NYTの編集委員会は、天皇明仁は、平和憲法を変えることには不承認である、と理解している、ことは確実だ。先を続ける。

だから、もし歴史が問題ならば、中国も韓国も東京において同盟者を見つけるだろう。そして中国と韓国は安倍氏と対峙すべきだ、そして彼らの政治課題を解消すべきだ。彼らの会談拒否は安倍氏に彼が欲していることにお墨付きを与えるだけだ。日本の軍事的冒険はアメリカの支持があって初めて可能なことだ。一方で、アメリカは、安倍氏の課題(アジェンダ)は地域の利益にはならない、ということをはっきりさせる必要がある。まことにアジアにとって必要なのは国家間の信頼(trust)なのであり、安倍氏の行動(靖国参拝)はその信頼を害する(undermine)のだから」

 記事はここで終わっている。天皇裕仁や明仁まで持ち出し、安倍の靖国神社参拝問題の核心に後一歩まで迫りながら、この説教臭い終わり方はいかにも竜頭蛇尾の感を免れない。第一、中国や韓国は日本と首脳会談はしない。彼らに当面その必要性が、せっぱつまってないからだ。首脳会談の必要性があるのは安倍の方である。もちろんアメリカは、この東アジアの3つの大国が信頼関係で結ばれて欲しい。またかつてのようにアメリカがこの3国に圧力をかけていうことをきかせる力がなくなっていることも事実だ。

 また、靖国参拝、国務省の『失望声明』、このNYTの論説と時差がありながらも12月26日と同日に発生しているため、編集委員会の側の準備不足もあったろう。つまりどこまで踏み込むかの合意を得る時間的ゆとりがなかったろうことも容易に想像できる。大上段に太刀を構えたものの、まだ振り下ろしていない感じがある。ここはNYTが本当に踏み込みたかったテーマをあれこれ忖度してみる価値がありそうだ。また、考えてみるためのヒントがないわけではない。ひとつはこの記事のタイトルである。

 『日本の冒険主義的な国粋主義』(“Risky Nationalism in Japan”)―。もう一つは国連安保理事会の永久常任理事国5か国のうち、中・露・米・英の4か国までが強弱の差こそあれ、「安倍靖国参拝」に批判的であり、うち中・露の2か国が明瞭に戦後世界秩序、すわなち第二次世界大戦戦勝国による戦後世界秩序体制の危機、という捉え方をしていることだ。NYTの編集委員会が本当に踏み込みたかったことは何なのか・・・。