【参考資料】ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ 2012.3.4

<参考資料> 朝日新聞主催シンポジウム
「食品の基準値 どう見る」をどう見る-前編

日本の新基準値とウクライナ・ベラルーシの許容制限値、
そして現行理想的な制限値

 朝日新聞主催の「食品と安全」シンポジウム

 朝日新聞2012年2月29日付朝刊に「食品の基準値 どう見る」という記事が掲載された。(広島版17面)どうも2月18日東京都内で開かれた「シンポジウム 放射線と向き合う~食品と安全」(朝日新聞主催)がそのネタもとらしい。このシンポジウムの出席者は、甲斐倫明(かい みちあき 大分県立看護大学看護科学大学教授)、安田とし子(「横浜の子どもたちを放射能から守る会」代表)、戎谷徹也(「大地を守る会」放射能対策特命担当)、鈴木英規(福島県いわき市農政水産課農業企画係長)、大村美香(コーディネーター 朝日新聞編集委員)の5名。

 出席者の顔ぶれを見て注目を引くのは甲斐倫明だろう。この記事で甲斐は国際放射線防護委員会(ICRP)専門委員と紹介されている。甲斐は職業被曝及び公衆被爆防護を主として扱うICRPの専門員会第4委員会のメンバー(< http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=10 >)である。

 このシンポジウムで基調講演を行ったのがこの甲斐だ。このシンポジウムが何を狙ったものかおおよそ見当がつこうというものだ。それを裏付けるように、この記事に掲載している「放射線セシウムの基準値」という表もひどいものだ。

 以下がその表である。


朝日新聞「食品の基準値 どう見る」に掲載されていた表
日本の基準値 日本の新基準 EU 米国 コーデックス
委員会
野菜類 500 一般食品
(野菜類、穀類、
肉、卵他)
100 一般食品 1250 全て 1200 一般食品 1000
穀類 500
肉・卵・魚他 200
飲料水 200 飲料水 10 飲料水 1000
牛乳・乳製品 200 牛乳 50 乳製品 1000
乳児用食品 50 乳幼児用食品 400 乳幼児用
食品
1000

(食品1キロあたり 単位:ベクレル)
コーデックス委員会とは、食品の国際規格などをつくるために世界保健機関と国際食糧農業機関による政府間機関

 上記表でアメリカはほぼ食品規制がないも同様の国である。またコーデックス委員会は放射能汚染食品に関しては、ほぼ独自の基準をもつことができない。世界的な原発推進機関であるIAEAのいうなりである。「EU」というのはどこの機関を指すのかわからない。

 もしこれが、欧州原子力共同体(EURATOM-ユーラトム)の「基準」という意味なら以下がその表である。これは1987年、チェルノブイリ事故の翌年に決定された。


フードウオッチ・レポート P32表3より
表中のアメリシウム241は誤植。アメシウム241

 確かにセシウムだけとってみれば、朝日新聞掲載の表通りだが、この時点ではセシウム、特にセシウム137の危険はまだ認識されておらず、ウランから直接生成されるプルトニウム、アメシウムなどのアルファ線核種が特に注意されていた時期である。

 このユートラムの許容制限値が決定後25年以上もたって全く議論なくすんなり容認されているかというとそれどころではない。大きな議論があるところだ。


 EUフクシマ指令による制限値

 特にそれまでのICRPリスクモデルを離れて独自のリスクモデルをもった2001年のドイツ放射線防護令による許容制限値が成立している。それが以下である。

ドイツのセシウム汚染食品許容限度
牛乳、乳製品、胎幼児用食品 370ベクレル(1リットルまたは1kg)
その他の食品 600ベクレル(1kg)

 ところが「フクシマ放射能危機」の発生で一挙に様相が変わる。

 EU委員会は2011年3月25日、実施指令によってこの高い新制限値の適用範囲を日本からの輸入食品、輸入飼料だけに制限した。指令では、ストロンチウム、プルトニウムについては言及されず、ヨウ素131とセシウム134、セシウム137に関してだけ制限値が遵守されているかどうか検査されなければならなかった。その他の第三国からの輸入に関しては、この規制は適用されない。

EUはそれによって、必要もなく日本自身では摂取が認められていない汚染食品の輸入を認めた。この問題が知れ渡ることになって、それに対して抗議が出てきてようやく、ドイツ食料農業消費者保護省の2011年4月8日のプレスリリースによると、EU委員会とEU加盟国は同じ4月8日にブリュッセルで、日本で有効な最高許容制限値を日本からの輸入食品、輸入飼料の新しい制限値とすることで合意した。2011年4月12日、このフクシマ指令の改正が公示された。』
(「福島原発事故後のドイツ、ヨーロッパ、日本の食品放射線防護値による健康への影響に関する鑑定」のp17<http://hiroshima-net.org/cat-crew/pdf/20110920_foodwatch.pdf>)

 ここで言っていることを整理すると次のようになる。

EU全体はフクシマ放射能危機が発生するまで非常に甘い放射能汚染食品許容限度しかもっていなかった。(前出ユーラトムの許容限度表参照のこと)
ドイツも極めて甘い限度しかなかった。(ドイツのセシウム汚染食品許容限度表参照のこと)
ところが「フクシマ放射能危機」で日本からの輸入食品・飼料の新しい制限値を決めざるを得なかった。そこでEU諸国は2011年4月8日に合意しこの新しい制限値、すなわち「フクシマ指令」を4月12日に公示した。

 そのフクシマ指令に基づく制限値が以下である。


フードウオッチ・レポート P18表2より

 全体的に厳しくはなっているが、セシウム核種に例をとってみると、乳幼児用食品は400ベクレルから200ベクレル、牛乳・乳製品は1000から200、なきに等しかったその他の食品(流動食を含む)は200から500ベクレルと日本国内基準に比べると厳しくなっている。上記表の註でも述べているように、日本にはストロンチウムの規制がないが、チェルノブイリ事故を経験しているヨーロッパではストロンチウムの規制がある。

 こうなってみると、放射能汚染食品規制行政上おかしなことが発生する。というのはヨーロッパ国内規制値より日本からの輸入規制値が格段に厳しくなり、規制上論理的な整合性がとれなくなってくるのだ。そこで、前出の「福島原発事故後のドイツ、ヨーロッパ、日本の食品放射線防護値による健康への影響に関する鑑定」は次のように述べる。

 それに伴い、日本の制限値が「暫定的に」1990年のEURATOM指令779号の制限値を代用する。「暫定的に」とは、日本側が万一その制限値を引き上げた場合、EURATOM指令の元の制限値まで制限値を新たに引き上げることを前提にしてという意味である』(同17p)

 こうして日本からの輸入制限値が、暫定的にEUの制限値になってしまったのだ。上記報告が指摘するように、「暫定的」にとはもし日本が規制を引き上げた場合、それに連動してEUも制限値を引き上げることができる、と云う意味だ。

 ところが、2012年4月から、日本は引き上げるどころか周知の如く、規制をさらに厳しくする。そうするとEUも日本からの輸入食品制限値を厳しくせざるを得なくなり、さらに新たな「暫定値」を設けなくてはならなくなると推測される。


 逆立ちしているICRPの理論

 そうすると朝日新聞のこの記事で掲げていた「EUの基準値」とは一体何だったか、ということになる。すなわち「3・11」以降、EU諸国では有名無実となっている制限値を、今なお有効な「基準値」として日本の読者に示しているわけだ。わかりやすく言うとこれは「ガセネタ」である。

 朝日新聞は「ガセネタ」まで示して、なぜ4月から実施される新たな放射能汚染食品制限値を世界に類を見ない厳しい規制としてみせかけなければならなかったか、という問題が出てくる。それは先にも紹介したICRP第4委員会委員甲斐倫明の基調講演とも大いに関係するのだが、それは後回しにして先に4月からの「新基準値」(正しくは許容制限値)が決して世界に類をみない許容制限値などではなく、放射能に汚染された国としては、極めて「危ない制限値」であることを見ておこう。

 1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故はベラルーシのほぼ全土、ウクライナの国土のほぼ3/4を様々な核種の放射能で汚染した。この汚染に対してまだ旧ソ連を構成する共和国だった両国は、ほぼ国際放射線防護委員会(ICRP)のリスクモデルを信用して全く無防備だった。一般民衆も放射能汚染にたいしてほぼ何も知らされず、全く無知だったといって過言ではない。

 当時旧ソ連政府がウクライナ政府に示した食品の規制値は以下の如くだった。

フードウオッチ・レポート P31表1より
制限値はB q / lないしB q / k g。年月日は制限値改正日。

この表を見ておわかりのように、ウクライナには汚染食品制限などないも同様だった。事故の翌年の87年には毎日大量に摂取する飲料水を1リットルあたり20ベクレルとした点は大きな進歩だったが、その他の食品は規制はないも同様だった。これは福島原発事故が発生して以来の日本の状況に酷似している。これら数値の根拠は、年間に摂取する食品から受ける被曝をICRPの定める「実効線量」から逆算して求められたものだ。ICRPの理論に従えば、

体内被曝(内部被曝)も外部被曝も受ける健康損傷は全く同じで被曝線量全体が問題である。 
この被曝線量全体は実効線量で表現される。 
 実効線量は放射線源から受ける放射線の人体における影響を問題にしており、放射線の線種(ガンマ線、ベータ線、アルファ線、中性子線など)に対するリスク係数と各臓器における臓器係数を乗じて求める。

 ということになる。この理論全体は科学的に見れば全く逆立ちした理論体系だ。被曝のリスクを算定するにあたって正しい問題の立て方は、放射線源の放射能の強さがまず問題にされるべきだ。そしてその放射能の強さが人体に与える影響を計量し、汚染食品の許容制限を設けるべきなのである。

 ところがICRPのやり方は全く逆である。人体に与える健康損傷を「実効線量」という仮説から出発して考える。そしてこの仮説をあたかも万古不易の「物理法則」であるかのようにみなして、食品摂取許容制限値を逆算して求めている。

 しかもこの実効線量は、線種による過小評価(たとえば、電離エネルギーや励起エネルギーの小さいガンマ線もはるかに大きいベータ線も共に係数1である)や臓器係数における過小評価を含んでいる。また、本来外部被曝と体内被曝が全く違うメカニズムが発生しているにもかかわらずその健康損傷を同じとしているところにも問題がある。分子生物学や細胞や染色体に関する研究が全く未発達の時代に完成した理論なのである。しかもこの理論は未だに仮説にとどまっている。

 さらに一番大きな問題は、電離放射線の人体に与える影響をほぼ「がん」(白血病を含めて)に固定してしまっている点にある。

 ICRPの「実効線量」の理論は全く現実を無視して机上で作り上げられた珍説なのである。この珍説を基にして汚染食品許容制限値を決めたところで、それが実際に効力を持つはずがない。


 事故後のウクライナの惨状

 ウクライナでもその通りのことが起こった。低線量電離放射線が主として食物摂取を通じて体の中に入り込み、がんや白血病などといったものではなく様々な健康損傷を起こした。そのためまず出生が減少した。さらに死亡が増加した。出生の減少・死亡の増加が同時におこれば、これは人口の激減を招かざるを得ない。「ウクライナの人口統計学上の大惨事」といわれるゆえんである。次のグラフはウクライナの人口変遷を示している。



(グラフの出典は「ウクライナ・ベラルーシの人口変動 激減する出生と激増する死亡」その①

 ここで出生と死亡だけに注目すべきではないだろう。というのは出生と死亡という表面上の数字の背後には厖大な数の様々なレベルの健康損傷と失われた「生活の質」が存在し、それはこのグラフでは全く表現できていないからだ。実際ウクライナでは大量の流産や人工中絶の数が報告されている。 

2011年4月ウクライナの首都キエフで「チェルノブイリ事故後25年:未来へ向けての安全」(“Twenty-five Years after Chornobyl Accident: Safety for the Future”)と題する国際科学会議が開催された。福島原発事故のほぼ1ヶ月後である。ウクライナ政府は緊急事態省が報告を行い、「チェルノブイリ事故後25年:未来へ向けての安全」と題する貴重な報告書を後世に残した。その報告書の中でウクライナ緊急事態省は次のように述べている。 
 チェルノブイリ事故の後10年間の間になした基礎的研究を分析し要約してみると、チェルノブイリ大惨事の健康影響は当初予測していたものと大いに違っていることを示していた。影響確率論(stochastic effects)では、身体症及び心身症(somatic and psychosomatic diseases)の形で極めて幅広い非腫瘍性形態で全てのカテゴリーの犠牲者が健康低下を見せていることを示した。

そのほとんどのケースで、疾病や死亡の原因となった。

2001年異なるグループの犠牲者を15年間観察した結果、ウクライナの科学者は、WHO(世界保健機関)、UN SCEAR(原子力放射線の影響に関する国連科学委員会)、IAEAやその他の機関からの専門家たちと共に、将来にわたる健康損傷を予測し最小化するための勧告を開発した。それによると、それから10年間(すなわち2010年まで)、病気発生数に関する傾向は、様々に多くの形での疾病、がんの可能性、これには影響を受けた人口集団の自然加齢を含んで、が増加しうる。』

(同報告書第7章5節第1項「大惨事の健康結果の最小化」< Minimization of the Health Consequences of the Catastrophe>p292)

 つまり、事故直後のICRPの予測モデルに基づく極めて楽観的かつ非科学的な予測は全く外れ、ウクライナの全ての人口集団で健康損傷が見られ、それは確実に死亡につながった。その影響は2000年代に入っても続いており、様々な病気(これには当然がんや老齢化に伴う病気の加速も含む)の増加を予測している。


 ウクライナ政府の独自の基準

 ウクライナ政府が自前で独自の放射能汚染食品許容制限値をもうけることができたのは、ソ連崩壊後(1991年。同年ウクライナ共和国が成立した)6年も経った1997年6月のことである。この規制は2006年に強化され、現在の「PL-2006」(Permissible Levels of 137Cs and 90Sr radionuclides concentration in food and drinking water-食品と飲料水に集積するセシウム137とストロンチウム90核種の許容レベル-2006年)が成立し現在に至る。それが下記の表である。


(数値はいずれもベクレル/1リットルまたはkg)

 前回の規制に比べると飲料水を2ベクレル、野菜(40ベクレル)やジャガイモ(60ベクレル)、パン・パン菓子類(20ベクレル)とするなど、日常大量に摂取する食品を厳しく規制している。さらに画期的なことは乳幼児用食品を設けてこれを40ベクレルとした点である。

 さらに97年の規制と2006年の規制を比較すると、気がつくのは規制品目がきめ細かくなっていることだ。これは97年から2006年の運用で、規制品目がまだまだ足りない、ということが指摘されたものと考えられる。


 改善に向かうウクライナ

 この食品規制の変遷とウクライナの人口統計グラフを重ね合わせてみると興味深い結果がでてくる。それが以下のグラフである。



 チェルノブイリ事故から急速に始まった出生率の低下は、1997年の規制を境に2000年代に入って底を打った観がある。2000年代半ばからは改善の兆しすら見える。一方死亡も97年を境にそれまでの急上昇がなだらかな上昇に変化しているかのように見える。2000年代半ばからは下落の傾向すら見える。

 もちろんこのウクライナの改善は「食品規制」のためばかりではない。前出のウクライナ政府緊急事態省報告を読むと、全国レベルでの医療システムの改善や健康損傷監視システムなど被害を最小化するための様々な努力が報告されている。こうした努力全体の成果がこの人口グラフの改善の結果になって現れていると見るのが妥当であろう。しかし、その様々な努力の出発点であり、基礎が「食品規制」だった、と考えるのも的外れではなかろう。どんなに改善努力をしても食品摂取で体の中の放射能が増加してしまっては、効果が薄いからだ。放射線被害対策はまず根元から取り組まなければならない。

 (お隣のベラルーシで支援活動をしてきた人の話を聞くと、食品規制がなかなか守られない実態も存在するようだ。考えてみれば当然だろう。商売人、生産者、流通業者はみんな必死になって生活を立てている。チャンスがあれば規制の枠をかいくぐってでも利潤を上げようとするだろう。だからウクライナでもベラルーシでも食品を口に入れる直前で検査する体制が整備されていった。しかしそれでも規制があるのとないのでは決定的な違いである。)

 上記ウクライナの放射能汚染食品許容制限値の表を見ていてお気づきになった人もあるだろう。規制の標的がセシウム137とストロンチウム90の2核種なのだ。これには理由がある。

 チェルノブイリ事故の後、事故を起こした4号機は石棺で覆われたことはよく知られている。しかし放射性物質がすべて放出されたわけはないし、石棺で覆われた4号機はまだ放射性物質が残っている。この残っている放射性物質はシェルター・オブジェクト(Shelter Object)と呼ばれている。先のウクライナ緊急事態省の報告書には、2010年末現在のシェルター・オブジェクトの核種の放射能の強さの表が記載されている。(同195p)それが以下である。



 上記表で登場する核種はすべてウランから、正確にいうとウランの同位体ウラン235から発生している。ウラン235はほぼ唯一の自然に存在する放射性物質である。したがってここに登場する核種はすべて人工放射性物質である。

 アルファ線崩壊核種はプルトニウムの同位体(238、239、240、241、242)、それにアメシウムの同位体(Am241、243)、それにキュリウム(Cm244)である。アルファ崩壊核種は人体にはいれば極めて危険だが、放射能の強さはほぼ10の6乗クラスでさほど大量ではない。この表をみて危険なのはストロンチウム90(6.63×10の8乗)、プルトニウム241(2.97×10の8乗)、セシウム137(2.97×10の8乗)の3核種だとわかる。

 イットリウム90(Y90)もストロンチウム90同様に危険であるが、ストロンチウム90の半減期が29.1年に対してイットリウム90は半減期が2.67日である。というよりもストロンチウム90がベータ崩壊してイットリウム90に変わり、イットリウム90はすぐにベータ崩壊してジルコニウム90に変わる。だから長い間残存して危険なのはストロンチウム90であり、イットリウム90はストロンチウム90と一体の核種だと考えることができる。

 セシウム137は半減期が30.1年と長い。この表ではベータ・ガンマ崩壊核種と分類されておりそれは間違いではない。が、セシウム137はベータ崩壊してバリウム137となる。この時大部分がバリウム137mを経由する。バリウム137mはガンマ崩壊をするので、ベータ・ガンマ崩壊核種に分類されている。

 結局長期的にみれば、原子炉からセシウム137とストロンチウム90が大量に放出され、極めて長い期間存在し、しかも放射能が強い(毒性が高い)ので、この2核種を食品規制のターゲットにしているわけだ。

 日本における食品規制は、まだストロンチウム90をターゲットにしていない。チェルノブイリ事故での例を見るとこれは不十分である。また「セシウム」として、セシウム137と134を合算して規制の対象にしているが、セシウム134は半減期が2年と短く、また137に比べると毒性が低い。長期的に見れば「セシウム」の中身は137の割合がどんどん高くなり、甘い制限値を作ると結局セシウム137の危険を過小評価してしまうことになる。


 ベラルーシの惨状

 さて次にベラルーシにおける食品規制を見ておこう。

 ベラルーシも一面ウクライナ以上にチェルノブイリ大惨事に苦しんでいる。人口変動も次のグラフのようにほぼウクライナと同様な変遷をたどっている。




 特にソ連の崩壊で経済混乱が発生して以来の死亡はチェルノブイリ事故発生の1986年から見ると2000年代半ばまでに1.5倍に達している。逆に生児出生はほぼ半分にまで落ち込んだ時期がある。この異常は明らかにベラルーシ全土に蓄積した(濃淡の差は大きいものの)様々な放射線核種、特に長期的にはセシウム137の影響である。特に事故当時も今もそうであるが、ベラルーシは農業国家であった。しかもウクライナ同様、住民には放射線の危険についてなんの告知も警告もされなかった。放射線に対する知識はまったくゼロだった。従って放射能に汚染された大地から取れた農産物、狩猟や採取で取れた動植物を無警戒に摂取した。このため食品摂取を通じての放射線体内被曝(内部被曝)のため、上記惨状となったものである。


     ベラルーシの病理学者で、主としてセシウム137にターゲットを絞って病理学的・解剖学的アプローチを行い、その健康影響を調べ研究したユーリ・バンダジェフスキーはその論文「放射線生態学上の問題」(2008年)の中で次のように述べている。
 軍事面や経済面で西側諸国に追いつき追い越そうとするあまり、旧ソ連の指導者たちは環境に対して、従って人々の健康に対して命にかかわるほど有害な影響をもたらす産業技術を不可避的に導入した。

 とりわけソ連邦によって実施された核実験をその考慮にいれるべきである。

20世紀の60年代に始まったベラルーシ、リトアニア、ラトビア、エストニア、ウクライナ及びロシアの広大な領土内での放射性元素による汚染はそのような所業の結果である。

 これら諸国の人口集団は、存在する放射性要因に関して何の情報もなかった。そして当然のごとく、その影響から自らを防護するなんらのすべももたなかった。』

 1986年のチェルノブイリ事故は、すでに(核実験のために)存在していた幾つかの欧州諸国における人口集団に対する放射線の影響をかなりの程度強めた。とりわけベラルーシに対してそうであった。

1960年代を手始めとして、ベラルーシの死亡率は常に上がり続けてきた。その一方で出生率は常に下がり続けてきたのである。』

 そして次のグラフを掲げている。



(上記グラフは太線が出生率であり、薄い普通線が死亡率である。単位は1000人あたりの人数。1992年あたりで完全に交わっている)


 広汎で深刻なセシウム137による健康損傷

 そしてバンダジェフスキーは次のように続けている。

 その結果として、人口動態インデックス(demographic index。バンダジェフスキーは出生率と死亡率の差違、と論文中で説明している)は1994年以来マイナスとなった。すなわち2003年では-5.5%、2005年では-5.2%にまで落ち込んでいる。

人口集団における高い死亡率は、心臓血管系の異変(cardiovascular pathologies)及び悪性腫瘍(malignant neoplasms)に大きく関係している。それらの着実な増加が毎年認められる。出生率の減少は男性・女性間の再生システムの異常(male and female reproductive system disorders)及び子宮発達異常(intrauterine development pathologies)が原因である。

セシウム137の人体各器官への蓄積が決定的に重要なシステムに悪影響を与えていることが判明している。決定的に重要なシステムとは主として、心臓血管(cardiovascular)、内分泌物やホルモン再生産器官(endocrine reproductive)、消化器系、泌尿器系及び免疫系(digestive, urinary and immune systems)、視覚器官(organs of sight)、胎児期の子宮発達(intrauterine development of the embryo)などである。』

 『  われわれは根拠の確実な、セシウム137に関する以下の見解をもっている。

 1) その核崩壊の過程のため体内で発生する突然変異(mutation)の源泉となっている。 
 2) 体内での規律的なプロセスを破壊する因子であり、潜伏している遺伝子の病理的素因を基盤にした病的なプロセスの創発(the emergence)や病気そのものを助長する因子。
 3) 細胞エネルギー器官を破壊するため大きな集積においては、決定的な臓器に有毒な病変を引き起こす』

(以上「放射線生態学上の問題-ユーリ・バンダジェフスキー 2008年」を参照のこと)

 こうしてベラルーシもまたウクライナに劣らぬ人口統計上の大惨事を迎えることになった。こうした大惨事を引き起こした低線量体内被曝は、ベラルーシが農業国家だったと言う点もあってほとんどが食品摂取で発生している。特に農業地帯の貧困家庭ほどこの傾向が当てはまる。ベラルーシ政府のある発表によれば、ベラルーシの体内被曝は96%まで放射能汚染食品の摂取によるものだという。


 ベラルーシ独自の食品制限

 ベラルーシ政府が本格的な食品規制に乗り出すのは、ウクライナ同様旧ソ連邦崩壊を経て10年近くもたった1999年である。その規制表が以下である。一目見てウクライナの規制より甘く、品目もまだ粗い。しかし、パン(40ベクレル)、穀粉(60ベクレル)、果物(40ベクレル)、飲料水(10ベクレル)など日常に摂取する食品については、かなり厳しい制限値を設けている。特に乳幼児用食品は37ベクレルとウクライナよりも厳しい。



 こうした汚染食品制限が末端まで厳格に守られたどうかは別として、その効果はすでに出てきたように見える。以下のグラフはベラルーシの人口変動に規制値設定を重ねたものである。



 ベラルーシの汚染食品制限は、1999年、2001年、2006年と更新されているが、2000年代半ばには死亡増加は歯止めがかかったかのように見える。また生児出生は明らかに2006年を境にして改善している。もちろんウクライナ同様、汚染食品制限がこうした改善の単一要因ではない。しかし汚染食品の制限を厳しくしなければ何事も始まらないことも事実だ。

 しかしベラルーシの情勢は予断を許さないかもしれない。というのはこの国では長く独裁政権がつづいており、現在の日本政府同様、民衆の健康を守るよりも、政権の安定や不安の沈静化の方に注意が向いているからだ。

 バンダジェフスキーは別な論文で次のように言っている。

 子どもたちの各臓器におけるセシウム137の重い苦しみ(burden)についてはさらに調査されなければならないし、異なる疾病の機序(疾病発生あるいは疾病原因のつながりと仕組み)について重点的に研究されなければならない。

 放射線汚染に曝された農地がますます広がって農耕地となり、放射能に汚染された食品が全国土にわたって出回っていることを考えるなら、これには(さらなる調査と研究)緊急の必要性がある。

 汚染地域における学童たちは学校の食堂(school canteens)において放射能汚染されていない食品を無料で提供されまた毎年クリーンな環境で、サナトリウムで1月間は過ごした。(いずれもベラルーシ国内での話である)

 経済的な諸理由によって(これは2000年以降のヨーロッパ、特に東ヨーロッパの景気後退によってベラルーシ政府が緊縮財政に入ったことを指すし、ベラルーシの独裁政権の非人道的な政策を指す、とも考えられる)、毎年のサナトリウム滞在は短縮されている。また幾つかの汚染地区の地域社会は、「クリーン」だと分類されている。このようにして国家からの「汚染されていない食料」の供給は終わりを告げつつある。』
(「子どもたちの臓器におけるセシウム137の慢性的蓄積」2003年)


 「フードウォッチ報告」の提言

 ウクライナやベラルーシにおける放射能汚染食品の規制が十分なのか、というと実はそうではない。

 ドイツ放射線防護協会の会長セバスチャン・プフルークバイルとやはりドイツの研究者トーマス・デルゼーは、食品監視市民グループ「フードウォッチ」から委託された調査研究報告「あらかじめ計算された放射線による死:EUと日本の食品放射能汚染制限値」の中で次のように述べている。

 現在有効なEUと日本の制限値は、健康障害に対して決してより安全な保護をもたらすものではない。その反対に、EUと日本の制限値は人間を政治的に計算されたリスクにさらし、放射線障害から発病したり、死亡するリスクをもたらす。消費者は安全性で揺れ動いている。

政治が制限値のリスクに関する疑問をオープンに解明してくれないからだ。政治は、人間がどういう保護を期待しているのか、どういう保護が可能なのかに関して議論しようとしない。

原子力関連施設の平常運転時に関するドイツ放射線防護令の規定も、十分な安全性をもたらすわけではない。しかしドイツ放射線防護令は、事故時に関するEU指令と比較すると、障害のリスクをかなり低減する。放射線防護令はドイツで有効な法だが、以下ではドイツ放射線防護令(第47条)の考え方を取り入れた場合の食品内の放射性核種の制限値を演繹してみることにする。』

 ドイツの国内放射能汚染食品許容制限そのものが、2001年成立したドイツ放射線防護令に定める公衆の年間被曝線量の上限0.3ミリシーベルトと矛盾する。ドイツ国内での食品制限にしたがって食品を摂取した場合、年間被曝線量0.3ミリシーベルトをはるかに超えてしまうのだ。この報告はその問題点をまず指摘し、次にドイツ放射線防護令が独自に定めるリスク係数(ICRPのリスク係数とは異なっている)に沿って計算し、あるべき「食品内の放射性核種の制限値」を求め次のように提示する。


フードウオッチ・レポート P27より

 上記表において、青少年(12歳超から17歳以下)が1kgあたり上限5.7ベクレルともっとも厳しい値となっているのは、この年齢層がもっとも放射線に対する感受性が高いためのではない。容易に想像されるように、この年齢層がもっとも大量に食物を摂取するからだ。セシウム137の体内蓄積は比率ではない。絶対値だ。大量に食物を摂取するればそれだけ大量にセシウム137の蓄積が大きくなる道理である。放射線に対する感受性はあくまで年齢が低くなればなるほど高くなる。そしてこの報告は次のようにコメントを付け加えている。

 評価の基盤に不確定要素があるので、われわれは、セシウム137の制限値はこどもと青少年に対して食品1キログラム当り4ベクレルを、大人に対しては8ベクレルを超えるべきではないと勧告する。そうしないと、0.3ミリシーベルトという制限値を守ることは保証できない。』

 繰り返しなるが、0.3ミリシーベルトはあくまでドイツ国内法による「公衆被曝線量の年間上限値」である。

 ストロンチウム90などの核種についてどうだろうか?それが以下の表である。


フードウオッチ・レポート P27より

私もこのフードウォッチ報告の提言制限値が妥当と思う。

 こうして見てくると、冒頭朝日新聞の「食品の基準値 どう見る」と題する記事の狙いはいったい何だったのか、という疑問が湧いてくる。結論から言って、この記事の狙いは「放射能汚染食品の新たな基準値」(基準値ではなく許容上限値なのだが)がいかに安全かを一般大衆に刷り込むことだ、という他はない。朝日新聞は一般大衆の健康を守る立場からではなく、経済界の「経済的健康」を守る立場からこの紙面を作っている。

 しかし長い目で見れば、それは「経済界の経済的健康」すら守ることにはならない。というのは「経済界の経済的健康」にとってもっとも重要な財産は、「健康で安定した家庭を営み、元気で労働できる」一般大衆の存在だからだ。彼ら(といっても私を含んで私たちのことなのだが)の存在こそが経済界の冨の源泉なのだ。経済界は近視眼的に対応して彼らにとっての「金の卵を産む鵞鳥」を絞殺しつつある。それは彼らにとっても自殺行為であるはずだ。

 朝日新聞はこうした近視眼的な経済界の要求を代弁してこの記事を作成している。その近視眼的イデオロギーは、甲斐倫明のシンポジウム基調講演に余すところなくしめされている。後編ではそれを見ていくことにする。               


(以下後編)