2010.12.12
第15回(最終回)「アレが間違いでないなら、世の中、間違っていることなんかない」

  この長いシリーズ・インタビューも今回で最終回を迎える。このインタビューが実際に行われたのは2010年の6月中旬から7月中旬にかけてである。これまで、その間、実に色々なことがあった。中でも9月15日のオバマ政権による臨界前核実験(英語では ”subcritical nuclear test” だから、これは準臨界核実験と訳すべきだろう。「臨界前」とか「未臨界」と呼ぶのは、実験の中身から見ても意図的な誤訳に近い)は、オバマ政権核兵器予算の割り当てからして、十分に予測がついたとはいえ、このシリーズのテーマからしても最大の事件の一つだろう。もしこの件が、インタビューの話題に入っていれば、「ほら、いわんこっちゃない。いつまでオバマに騙されているんだ。」と平岡は怒り狂ったに違いない。

 このシリーズの冒頭にお断りしたように、12時間のインタビューを終えた後、私は、平岡の話をまとめようという気持ちをすでに放棄していた。それよりも平岡の話を丁寧に追跡して学んでいこうとした。(それは、私にとって、一定の成果をおさめた。)しかし、そのために、このインタビュー記事が、常識を外れて長くなってしまった。これを読んでくださる読者の人にも、また平岡敬にもお詫びしなければならない。しかし私のサイトを「アクセス解析ソフト」で調べてみると、このインタビュー・シリーズへのアクセスが私の予想をはるかに超えて高いこともわかった。平岡の話に耳を傾ける人が、予想外に多いということだ。(心強い話ではある。)

 お読みになっておわかりのように、平岡にしたところで、自ら提唱する「ヒロシマの思想」をまとめ上げているわけではない。むしろ広島の市民や日本の市民が、行動し、議論しながら鍛え上げていくのが「ヒロシマの思想」だろうと思う。ただ、平岡の話には、その種だけはいっぱい詰まっている、というのが私の率直な感想だ。



安保条約とマスコミ

哲野 アメリカ軍基地を追い出すのは、フィリピンでやったことなんだから、日本で出来ないことはないはずですよね。
平岡 出来ないはずはない。その気になればできる。でも、やっぱり広範な国民の声というのがバックにないと、外交だって出来ないしね。役人だけの交渉じゃ駄目です。テーブルの上のね。やっぱりそれを支える国民の声が必要だ。
哲野 それからはっきりとした意志表示と。そういう意味では日米安保賛成派は結構多いですよね?
平岡 そうかもわからんね。
哲野 世論調査で言うと、6割くらいが賛成かな?
平岡 (さえぎるように)それはね、かなりマスメディアの洗脳というかな?マインド・コントロールみたいなものがあると思う。安保条約がなくなったら怖いというか。攻めてくるという話でしょ?攻めてくるのはついこの間までソ連だった。もうソ連の脅威がないから、今は北朝鮮。中国(が攻めてくると)はなかなか言いにくいんよね。経済的にこうなって(と手で急上昇の仕草)しまってるからね。
哲野 で、安保条約の問題について言えば、マスコミの報道って言うのは、安保条約の具体的な中身についてあまり踏み込んだ報道ってないですね。
平岡 やってませんね。ですからまぁ・・今頃色んな陰謀説が出てきてCIAやら色んな工作が・・まこれは事実でしょうから、アメリカはあらゆる国でやってますからね。親米政権を作る事、反米の芽を摘むこと、それは一生懸命やってますから。で、なんかあったら武力で倒すと。これはずっと、戦後の歴史を見たら全部そうですよね。日本にも恐らく、親米派をたくさん作っていく、アメリカの代理人をたくさん作るというのはアメリカの国策だろうという気がしますね。アメリカの代理人は誰かわかりませんけど、だいぶ、それらしい人は居ますよね。(笑う)アメリカの代弁者・・・。(笑う)
哲野 あの、船橋洋一とか・・・。(笑いながら)
 平岡 要するにCIAから、まぁ岸(信介)もそうだったし、正力(松太郎)もそうだったと。まぁこれは公文書で明らかになったわけですからね。
哲野 正力の場合は明らかにCIA要員だったと書いてありましたね。
平岡 で、しかもそれは向こうの文章で明らかになっているわけだから。そうすると、そういう連中は他にもいるはずだ、たくさん。

核兵器廃絶の思想

哲野 また話を戻しますけれど、「核兵器廃絶」の問題の一つの道筋。
おっしゃたように、地球上に「非核兵器地帯」を作っていく、というのが一つありますね。

「非核兵器地帯」はもともと、外務省の指摘の様に、あくまでNPT不拡散体制の補完、あるいは核兵器保有国の「核不拡散」に対する二重三重の「保険機構」だったという側面はあるけれども、ただ、先ほどズバッと言われたように、これはもう核兵器廃絶の一つの有効な手段だとみんなが見なし始めているし、現実にそういう役割を果たしてきつつある。だからこそ、あれだけ中東非核兵器地帯に、今回NPT再検討会議で非核兵器保有国はこだわった、固執したわけですよね。それは、そこまではわかった。

他に核兵器廃絶の道筋と言えるものは、考えられるでしょうか?

例えば、こんな事考えたことがあるんです、僕。

麻薬、アヘン。1840年、いわゆるアヘン戦争が起こった。特に、時のパーマストン内閣は、イギリス商人が持ち込んだアヘンを全部焼き捨てたのは、あの時年間消費量の半分だったと言われているけれど、中国政府、清国政府に対して懲罰を加えなければいけないという事を決定して、イギリス議会もそれを承認して、軍艦20隻、軍隊を送り込んで、アヘン戦争が始まり、それが中国侵略の一つの糸口になった、という歴史がある。

それを考えてみた時に、その時、アヘンを扱っていた人達っていうのは、考えてみればイギリスの一流のビジネスマンであったりしたわけですよね。たとえばジャーディン・マセソンなどという商社は、中国に対するアヘン貿易でその礎を築いている。

そうした一流のビジネスマンを支持している人たちは、一流の政治家であったり、一流の学者やジャーナリストたちであったわけですね。つまり、少なくとも19世紀中ごろまでのイギリス社会では、アヘンを扱うこと、麻薬を扱うことは犯罪ではなかった。一つの国家ビジネスとして、まともなビジネスとして認められていた。

それからわずか100年も経たないうちに、麻薬を扱う、アヘンを扱うということは人間のクズだという風に、人間の考え方が変わってきた。つまり人間の考え方が変わる、思想が変わるということの重要性は、アヘンでも見ることができる。

ま、人間の考え方が変わった、というよりも支配層の考え方が変化せざるを得なかった、と云った方がいいのかもしれませんけれど・・・。

それから近代奴隷制度もそうだったですね。例えばアメリカ建国時代、アメリカ民主主義の担い手だったジェファーソンにしても、ジョージ・ワシントンにしても、実は、奴隷所有者でなかった人はほとんどいない。ほとんどが奴隷所有者だった。その時代から約100年も経ってない1861年でしたっけね?南北戦争が始まったのは。いわゆる経済的な絡みもあるにしろ、奴隷制度は、これは悪いことであるという思想が、やっぱりその間、浸透した。

つまり核兵器についても同じような、人間が核兵器に対して持つ思想は変遷していく、或いは劇的に核兵器に持つ見方が変わっていくというのは、「核兵器廃絶」への一つの力にはならないだろうか?そういう質問なんですけど。すいません。前置きが長くて。
平岡 なるでしょうね。なると思いますよ。少なくとも95年のああいうICJの勧告的意見が出て、「核兵器の使用は非人道的」である、そういうものが積み重なっていく・・・。
哲野 ちょっと弱かったけど。(笑う)
平岡 モチロン弱いよ。条件付きだしね。抜け道はあるんだけれども。少なくとも、核兵器の製造、使用はもちろん配備までも、これは国際法に違反すると、いう事を言ってるわけですよね。やっぱり色んな国際社会における考え方のスタートになったと思うんです。核兵器に関して言うならば、これを(ICJの勧告的意見を)否定してしまったら、基礎ができない。軍備上の問題で制限しようとかなんとかいうような、小手先の話になる。

そうじゃなくて根底から、これは持ってはならないものだ、国際法に違反するというより、人類への罪という意味になるんです。あれはね、確か。非人道的な兵器だと。

まだ充分に浸透してはいないけれども、これを全く無視して、核保有国が全く勝手にふるまうという事は、ちょっと出来なくなっていると思うんですね。
哲野 ええ、そういう意味では、確かに、一つ一つのそういうものの考え方が、直接間接に核兵器保有国を縛りはじめたとは言えますよね・・・。
平岡 縛りはじめた。まだ充分とは言えないですよ、もちろんね。あの辺はスタートで、それからボツボツ、と国際的に作っていく・・・核兵器不使用条約だとか、あるいは、一歩進んで、禁止条約だとか。禁止条約という限りは、そこに「核兵器の犯罪性」っていうことを謳わなきゃいけないですし。そこまで行けるかどうかですね。ホント、行かないと、核兵器はなくならない。

もう一方はさっき言われたように、人間の問題というかね・・・これはなかなか難しい。宗教まで行くから。人間の考え方が本当にそうなるかどうか。
哲野 人間の考え方が本当にそうなるかどうかというのは?
平岡 欲望をコントロールできるかどうか。出来ないからこそ、原発ビジネスというのがね、横行するわけでしょ。核企業は儲けたいと!みんな。

人殺しの兵器を作るのは恥ずべきことという思想

哲野 しかし、しかしですね、その間には僕、大きな飛躍があると思うのは、今我々は資本主義社会の中で生きていて。
平岡 生きてる、生きてる。
哲野 人を騙すんじゃなくて、真っ当に利益を上げるのは「善」という社会で我々は暮らしているわけですから、原子力ビジネスがですね、真っ当なビジネスである限りは・・・。
平岡 (あえて遮って)これは戦争商人という言い方がありますね。兵器を作って。コレがいいかどうか、まっとうなビジネスかどうかっていう話になる、最終的には。
哲野 なるほど。
平岡 日本もやってるんですよ。兵器作ってますよ。ただまぁ、コッソリやってますしね。
哲野 ただ、産業界は・・・。おおっぴらにしたい・・・。
平岡 (笑いながら)輸出を認めろと言い出したですね。だけど本来は、これは恥ずかしい商売だ、と考えなきゃいけない。
哲野 「死の商人」と言われるわけですから。(笑う)
 平岡 死の商人。だからこういう事がもっともっと、我々、言わないといけないんだと思うんです。人殺しの兵器を作って儲けるってことは恥ずかしいこと。でも人間っていうのは欲があるから、人殺ししても騙しても何してもいいから儲けたいっていう人間が大多数なんですよ、この世の中では。それがある間は、やっぱり一方で核兵器の問題も・・通底してますからね。基本的に人間が欲望をコントロールできるような、そういうような一種の倫理教育というか、人間改造の教育を一方でやりながら、現実的に、具体的な政策を積み上げて行くと言う、そういうのが要るっていうような気がするんですよね。

戦争ビジネスは麻薬、売春並みの人間のクズ

哲野 しかし、しかしですね、
平岡 (苦笑しながら)難しい?
哲野 いや、僕はその以前に、利益を上げることは善という、儲けることはいいことなんだという考え方が・・・。
平岡 だって何やって儲けてもいいっていったら、人殺しをやって儲けてもいいってのと同じでしょ?
哲野 (笑いながら)麻薬に手を出して、売春に手を出して・・・。
平岡 そうそう。
哲野 なるほど・・・。
平岡 あるいは売春・・・それがいかんというのは、あれは人間性を踏みにじるから、「人間の尊厳」を傷つけるからいかんと言っているわけ。やっぱり戦争自体も「人間の尊厳」を傷つけるわけだから、その戦争を助けるような兵器だとかいうものは作るまい。それは人間のクズである、という考え方が根付かんといかんね。
哲野 核兵器とか戦争ビジネスというのは麻薬、売春を扱うのと同じ、奴隷商人と同じレベルだという考え方が・・・。
 平岡 そうそう。そう。人間の尊厳。それを広めていかなきゃいけない。定着しなきゃいけない。それが根底にあって、初めて核兵器否定をする論理というのが産まれてくるわけですね。
哲野 なるほど、なるほど・・
平岡 ・・ような気がするんですよ。そこをうまく繋げていくと言うか、体系的にキチッと本にしたいんだけど、なかなか・・・(苦笑い)暇がないというか。僕の能力じゃ手に余るなという感じが。
哲野 いや、それだとわかりますね。そういうことだとわかる。つまり、何をして儲けてもいいってわけじゃないですから。それは、あるいは国際的な良識を、良識のコンセンサスというのか、グッドセンスというのか、その基準は定着はしてますよね。

ただ、時と時代によって、また或いは場所によって、基準がちょとずつ変わってるだけだから。例えばアメリカの基準で言えば、兵器ビジネスってのは決して悪い事じゃない・・・。今はそういうことになっているけれども・・・。
平岡 例えば銃を持つって、アメリカは銃社会だと言いますがね、これは憲法で認められた権利だというわけでしょ?身を守る・・。だけど果たして銃社会がいいのかどうかっていうのが・・。これは・・日本では銃を持たないってことになってます。銃を持つのはヤクザであると。その辺の常識が世界でどこまで通用するかっていうようなね。

核兵器廃絶1本槍では、やはり弱い

平岡 「ヒロシマ」はやっぱり非武装ということを言ってるわけだから。日本もそれを言ってるわけですからね。日本の憲法の根底には、やっぱり「ヒロシマの体験」っていうのが、ずうっあって、それが、戦後新しい憲法を受け入れられたわけ。

「押しつけ」であろうとなんだろうと、日本人全体はそれを歓迎した、という事実があるわけですよね。それが本当に占領軍の押しつけで、本当に嫌だったら、そんなもの占領が終わってすぐに直ぐに変えてますよ。
哲野 あれは確かにマッカーサー憲法だったけれども、日本人が・・・。
平岡 いい。あれは日本人にとっていい・・・日本人が求めていたことが、そこに書かれてあったんです。表現は別としてね。
哲野 日本人の要求だった、ここまで定着してきたんですよね。それ以上にも以下にも考えようがない。
平岡 そうなんです。戦前の社会に比べてやっぱり戦後、一定の問題はあるけれども、しかし少なくとも個人の人権だとか、言論の自由だとか、そういうものが認められてきた。ただ、自分で勝ち取って来たものでないだけに、弱いね。
哲野 弱い。確かにその通りですね。自ら血を流して・・・。
平岡 自分達の力で勝ち取ったと、作ったというものじゃないから、非常に守る力が弱いですよね。これは。それを権利が侵害されても何とも思わない。
哲野 思わない。ピンと来てない。
 平岡 ええ、来てない。
哲野 それは確かにある。で、その、核兵器の道筋という中で、核兵器を廃絶していこうという、先ほどは非核兵器地帯が一つのツール、道筋になるであろうというお話。それともう一つは、核兵器廃絶の思想を、日本だけじゃなくて、世界的に定着させれば、これは大きな力になる。かつて麻薬や売春や、奴隷取引がそうであったように、これは一つの人間の大きな力になっていくだろうという話。
平岡 これは基本的には「人間の尊厳」というようなね、これは国際社会で今ようやく「人間の尊厳」というのが言われるようになってきたんですよ。「人間の尊厳」を損ねるもの、これはやっぱり否定していくという考え方。その最たるものが核兵器なんだということなんですが・・・。これはもう、とにかく、敵味方なく、皆、殺傷するわけですからね。しかもその影響はずっと後代まで残っていくという。極めて非人間的な兵器だ。そうするとこれは、人間の尊厳を損なうものだということで、否定の論理は出来るんだけれども、しかし実際に国際社会の現実の中で実現していこうと思うと、非常に難しい。色んな障害がある。ですから日本の場合はさっき言ったような、自らが決断してそういう事をやらない限りですね、今の状況じゃ出来ないですよ、これは。今、アメリカに言われて総理が変わるんですから。(笑う)
哲野 そういう風に見ておられますか?
平岡 僕はそういう風に見てます。アメリカの命令ですよ、そりゃあ。間違いなく。
哲野 鳩山はクビになったんですよね。
平岡 クビになった。(笑う)お前、ダメって。(笑う)だから菅(直人)もひれ伏したでしょ?全く。だから、鳩山よりもいらんこと言うわけですよ!
哲野 全面降伏ですよね。
平岡 (菅が)全く別なところにいた人ならいいよ。鳩山を支えなきゃいけない責任を果たさずにね、彼の足をひっぱったというのは・・・やだねえ。
哲野 核兵器廃絶の道筋には、非核兵器地帯とかそれから、核兵器禁止条約とか・・・。
平岡 だけど、核兵器禁止条約を作っても、既存の核兵器を解体して、なくしていくっていうのは、物凄い作業があるわけよ。何十年かかるかわからんけどね。仮に禁止条約が出来てもですよ。

だけど、第一歩はやっぱりこれは使えない兵器だ、はっきりさせることだね。

そしたら、後はどうするかっていうのは、国際的に知恵を出さなきゃいけないけども、だけど、大事なことがある。核兵器がなくなっても通常兵器があるってこと。通常兵器がある間は、やっぱりアメリカが一番強いんですよ、今の状況では。

そうすると(これに対抗して)核兵器を持ちたいという国はいっぱい出てくる。

だからここの矛盾をね、どうするかっていうのは、武力紛争がなくても、生きていけるような国際社会を作っていく、それが一本伴わないといけないと思う。核兵器だけをなくそうって言っても、僕はなかなか、無理だって気がしますね。

非常に難しいんだけども、しかし人類の理想としては、もう一つ、ひょっとしたら国際連邦だとか、そういうことがあるかもわからん。将来ですね。世界連邦主義というかね、皆平等になって・・・。つまり国家主権を否定して、武装を全部解除するという様な、そういう、やっぱり理想みたいなものが一方にないとですね、核兵器だけなくしたって通常兵器が残ってるようじゃ紛争の種は残るし、アメリカが一番強いとするならば、それに不満を持つやっぱり国が色々あるわけよ。そこが普通の兵器で武装するか、やっぱり核兵器を持とうかって気になりますからね。

核兵器廃絶のたった一つの理由

哲野 核兵器をなくさなきゃいけない理由を、たった一つだけ挙げよと言う質問をされたら、どうお答えになりますか?核兵器をなくさなければならない理由を、たった一つだけ挙げよ・・・。
平岡 たった一つ・・・。
哲野 一つに絞って言えば、何になると思われますか?
平岡 これはね、皆殺しにする思想が生み出した兵器だからです。人間の皆殺しっていうのは民族抹殺もあるけれども、要するに人間の社会を殺していくというようなね。アウシュビッツもそうなんだけど。そういう兵器、そういう思想を体現する兵器だ、しかも、非常にコスト安くね。と、僕は思ってるんですよ。

人を殺すのは、鉄砲でも、刀でも殺すんですよ。だから核兵器とどう違うかと言われたら、死については同じだけれども、少なくとも核兵器を使うっていう時には、そこに人間がない。あのね、普通の兵器はやっぱり人一人殺していくわけですね。核兵器は、無差別にパーッと殺してしまう、皆殺し。
哲野 まさしく、「虫けら」のように。
平岡 虫けら・・虫けらのように。つまり、人間がいない。人間の存在を認めたら使えないはずなんです。だけど、人間でないようになってしまうんですね。遠隔操作ってこともあるだろうし、まぁ、今の無人機と一緒ですよね。ゲーム感覚ですよ。ボタンを押してね。で、戦争の形態がそうなってしまうと人間が堕落していって。本来は名乗りを挙げてね、一対一でこうやってたのが、もう、今は・・皆殺し。

それを象徴するのが核兵器だな。こういう思想を体現したのが、僕は核兵器だと思うんですよね。
哲野  あの、さっき核兵器を廃絶しなければいけない理由を、たった一つだけ挙げてくださいと言った時の答えの一つの候補として、地球自体を破壊するから、という答えはどう思いますか?
平岡 核兵器が?まぁ、そりゃ環境の問題もひっくるめてね、地球自体を破壊する・・だけどね、そこには地球自体をいうと、それに対置する「人間」がちょっと消えてしまうんでね。
哲野 フーム。
 平岡 私とすれば、やっぱり人間を皆殺しにする兵器だ、非人道的兵器だと言いたいわけで。それを地球全体へ拡散してしまうとね、じゃあ他の環境問題と一緒じゃないかということになる。確かに環境問題も大事なんだけども。なんかそんな感じがしますよね。確かに、地球、「核の冬」と言われるように、地球が破滅する可能性ありますよね。そりゃ人類が破滅するということだ。だけど、それは基本的に人間が住めなくなるということであって・・・。本質的には、人間そのものがが皆殺しになる、ということだと思う。
哲野 僕はもうちょっと違う考え方を持っていて。
平岡 違う?あ、そうですか。
哲野 あのー、宇宙の歴史を勉強しているとですね。
平岡 うん、うん。
哲野 宇宙学者が常に問題にしていることは、人類のような知的生命体が地球以外にあるか、ないかという問題。で、これは以前には、沢山あるという見方が主流だったんです。何しろ恒星だけでも何十億個とあるわけですから、確率の問題からして、ないわけはない。ところが、最近では、そんなにはないよ、という考え方になってきた。それは、地球の今までの歴史が、実はもの凄く沢山の偶然に・・・。例えば、銀河系の中における太陽系の位置であるとか、太陽系の中における地球の位置であるとか、ちょうど木星が、位置的に地球の防御シールドになってたという歴史がわかってきたり、あるいは、その地球の歴史の中でも、もしあの時これがなかったら、この時はこれがあったらと、つまり無数の偶然の上に地球という水の惑星が成立したんであって、その地球という水の惑星が成立したこと自体が一つの奇跡に近い上に、その上に人間という知的生命体が発達する歴史・・。例えば6500万年前に、ユカタン半島沖に。
平岡 惑星かなんか、衝突したんでしょ?惑星かなんか、衝突したんでしょ?
哲野 ええ、小惑星が衝突して、全盛期だった恐竜が絶滅した。その時、ほ乳類は実に細々と恐竜の目を逃れて暮らしていたんですが、もし、あの時恐竜が絶滅しなかったら、おそらくはほ乳類全盛の時代はなかったろう、人類は今の地位ではなかったろうとか。色んなもう、偶然が色々わかってくるにつれて、人類みたいな知的生命体が存在する確率ってのは、ほとんど奇跡に近いものだってことがだんだん宇宙学者の中で合意されて、以前の、知的生命体の存在する星は、沢山あるはずだっていう議論がだんだん薄くなってくる。ていうと、地球っていう存在は一体なんだろうかっていう風にものを考えてみた時に、これは人を含めて、人間を含めて、全て生きとし生けるものを育んできた一種の・・・以前、「宇宙船地球号」という言い方がありましたね?
平岡 ええ、ありました。
哲野 そういう考え方をすると、地球対人類という、ものの考え方がだんだん僕の中で薄れて、人類も含めた地球、水の惑星、宇宙の中の一つの奇跡、という考え方にだんだん近くなってくると、地球を滅ぼすということは、人間を含めた、全て生きとし生けるものを滅ぼすんだという考え方に僕自身が近くなってきたために、核兵器の問題を考える際に、一個だけ挙げろというと何になるかというと・・・。ま、どの一個を挙げても本1冊が書けるくらいの説明がつくんだけども、そういう考え方になってきた・・・。
平岡 だんだん、アレじゃない。哲学・宗教の世界じゃない。
哲野 (苦笑)
平岡 いや、そうなる。そりゃ。僕は、まだ知的生命体っていうのは、宇宙の無限の広がっていく中で、地球以外にあるかもわからん。あると思う、どっかで。ないかもわからんけど、まぁあるだろ。それともう一つは人類もどっかで滅びるんですから。それが核兵器で滅びるかは別としてね。生きておっても必ず滅びるだろう。人類はいつかは滅びるであろう、と。
哲野 まあ、地球自体が、太陽の膨張で・・・、赤色矮星化していきますから・・・。
平岡 そうそう。滅びるかもわからんですね。

核兵器は専制主義者の兵器

哲野 滅びますから。これは。何十億年か先だけども。(笑う)広げて行くと際限なくなりますから。取りあえず、平岡さんとしては人間を根底から否定する・・・。
平岡 「人間の尊厳」をね。抹殺する、その非常にシンボリックなもの。だから核兵器だけじゃなくて、本来はそれ以外の兵器も反対だし、さらにはもっと言えば、私たちのこの社会を作っている中での貧困だとか、差別だとか、或いは人権侵害、病気、それから環境問題も含めてね、そういう暴力を否定していくということになる。核兵器はその象徴じゃね。
哲野 ただし・・・。
平岡 うん。ただ、僕が、核兵器廃絶だけじゃ駄目なんだ、もう一つその先に自分たちがどんな社会を作るのかという、その理想を描かなければならない。それを、ヒロシマが描いてないんですよ。核兵器さえなくなれば平和が来ると思っている。そういう論理になってるから。そうじゃないと、やっぱり、核兵器廃絶の先に、自分たちの望む社会というか、自分たちの未来像をキチッと持った上で、核兵器廃絶を位置付けていかないといけない。核兵器廃絶だけが最終目標と言ったらね、ちょっと・・・。じゃ違う兵器はどうするのか。同じような人類絶滅兵器が出てくるかもわからん。
哲野 出てきます。もう出てきています。
平岡 ね。そういうものに対して反対する論理的根拠は何か。ヒロシマはやっぱりそれをしっかり考えて、言わなきゃいけないですね。そういう問い詰めをまだあんまりやったことないんですよ、ヒロシマの人間は、我々も含めてね。
哲野 ジョージ・オーウェルは1945年10月に書いたエッセイで、「あなたと原爆」というタイトルですが、その中で核兵器、いわゆる原爆ですね、原爆は強国、強いものの兵器、専制主義者の兵器だが、マスケット銃は弱いものの兵器だと言ってる。マスケット銃や火炎瓶は。つまり、マスケット銃や火炎瓶は、民主主義的な兵器だけれども、核兵器は、専制主義者の兵器、非・反民主主義的な兵器であるといっている。
平岡 民族解放戦争で、核兵器は持てないだろうからね。あの辺がちょっと難しいところですよね。浅井さんといっぺん、議論したことあるんだけれども、浅井さんは民族解放闘争は認めるって言うわけよね。でも、全ての武力に反対したら、否定しなきゃいけんでしょ?
哲野 そうです。論理的にはですね。
 平岡 論理的には。
哲野 結局はガンジーの思想になっていくわけですけど。
平岡 そうそう、非暴力・非抵抗ね。それで・・そうなるんだけど「ヒロシマの思想」の場合も。だけど、浅井さんはそれじゃアカン、民族解放闘争、レジスタンスは認めるってね。それはちょっと反論しにくいよね。
哲野 自衛権、自己防衛権があるから、認められているから、その意味ではベトナム戦争におけるベトナム人民の戦いは、確かに、暴力的な対抗手段は採ったけれども、それ以外に手段がない場合には許されるという考え方は、あまりに納得できますね。
平岡 ああ、それはわかりますね。わかるんだけど、じゃあ「ヒロシマの思想」と、どう切結ぶのかという・・ヒロシマは。
哲野 ガンジーの思想にも魅力は感じますね。ガンジーの思想にも確かに魅力は感じる。要するに絶対非暴力を貫くことが、本当に暴力に対する最も有効な手段であると言うあのガンジーの思想にも、浅井さんには申し訳ないながら・・・(笑う)
平岡 いやいや。
哲野 魅力は感じる。

沖縄の阿波根さん

平岡 沖縄でね、阿波根さんって言うのがね、阿波根・・・。
哲野 アワゴン?

阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう 1901年3月3日 - 2002年3月21日)は、日本の平和運動家。戦後の沖縄県で米軍強制土地接収に反対する反基地運動を主導した。沖縄県の本部町に生まれる。17歳でキリスト教徒となり無教会主義に強い影響を受ける。成人して伊江島へ渡り結婚。1925年にキューバへ移民。その後、ペルーへ移り1934年に日本へ帰国。

帰国後は京都や沼津で学び、伊江島に帰った後はデンマーク式農民学校建設を志し奔走する。建設中の学校は沖縄戦で失われ、一人息子も戦死する。敗戦後、伊江島の土地の約六割が米軍に強制接収された際、反対運動の先頭に立った。「全沖縄土地を守る協議会」の事務局長、「伊江島土地を守る会」の会長を務め、1955年7月から1956年2月までのあいだ、沖縄本島で非暴力による「乞食行進」を行い、米軍による土地強奪の不当性を訴えた。(以上は日本語Wikipediaの丸写し。<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%
E6%B3%A2%E6%A0%B9%E6%98%8C%E9%B4%BB
>)主な著書に、『命こそ宝―沖縄反戦の心』(岩波書店、1992年)、『米軍と農民 沖縄県伊江島』(岩波書店、1973年)、『人間の住んでいる島−沖縄・伊江島土地闘争の記録』(写真記録 自費出版、1982年)など。
平岡 もう亡くなった人なんだけど、これが非暴力否定、米軍基地の問題でね。やったんですよ。この人は凄かったですね。全くのお百姓さんというか、島の人なんだけど、絶対手を後ろへやってね、アメリカにモノを言うという。暴力を振るわない。その代り言論でやるんだって言ってね。結局、基地の問題であの人と知り会うたんですが。
哲野 戦略的には正しいかもしれませんね。あのガンジーの思想ではなくて、つまりマスケット銃で戦ったって勝てないわけだから。
平岡 (吹き出すように)そうそう。
哲野 勝てない戦争はやんない、と。勝てる戦争・・・唯一勝てる戦争は、非暴力の抵抗戦争であるという開き直った考え方も確かにあり得ますよね。
平岡 この人の抵抗力っていうのは、なかなか凄い・・・。

「ヒロシマ」は何が出来るか?

哲野 で、今日そろそろ、これで最後の質問にさせていただこうと思うんですが、核兵器廃絶の道筋をさっきから続けて考えて、「核兵器廃絶の思想」を形成することが大事だ。これがやがて力を持っていく。もうすでに力を持っているかもしれない。で、そういうところまではお話の中身だったと思います。

その思想の形成に、これはあくまで日本の思想ではなく、地球市民の思想ということですが、麻薬や奴隷売買や売春を否定するように、「人間の尊厳」を否定する核兵器を真っ向から否定していく、体系的な思想を地球市民が持つということは、実は大きな財産になっていき、それが核兵器廃絶を多分準備していくだろう、そうおっしゃっているんだと思います。

で、そういう地球市民の核兵器廃絶の思想・・・そういう核兵器廃絶の思想にはきちんと「平和の思想」というものが出来てないといかんのだけども、ま、順序として、核兵器廃絶の思想をこれから準備していく、あるいは今、地球市民は準備しつつあるのかもしれないが、さて「ヒロシマ」はなにが出来るじゃろうか、何をすべきじゃろうか?という、質問ですね。で、その思想を準備するにあたって。もちろん、被爆者の悲惨を訴えると・・・。
平岡 被爆体験がね。ありますね。
哲野 これはおそらく、出発点になるんでしょうね。ただ、それだけでいいのかって話ですよね。
平岡 そうそう。体験を喋る人がいなくなる。その時に、書いたもの、まぁ書いたものは残るかもわからん。あるいは映像で残るかもわからんけれども、結局その生身で訴える人がいなくなったときに、じゃあその平和を訴えるその思想みたいなものがないと、伝わらないじゃないかという気がするんですよね。

体験というのはこれは絶対伝えられないのよ。とにかく私はそんな気がして仕方がない。被爆者自身もどかしい。自分がこんな体験したんだけども、今こういう人はいないけれども、とにかく、もう一遍落ちりゃいいと。そしたらわかるよ、という様な人がおった、昔はね。

今は、そんな事言わない。柔らかいというか丸いというか、整理された体験談・・・。

昔はもっと激しかったですよ。「そんな事聞いてなんするんなら」って言われてた、僕らがね。そして、「あんたグジグジ書いて飯食ってるかもしらんけども、もう一遍落ちたらわかる。」、あるいは「落としたい。」そういう人が居たわけ、沢山。本当に被爆者で苦しんでいる人達。

今は、皆、豊かになってね、そういうナマの言葉が出てこないですね。整理されて。平和のためだとかね、皆さんがもう二度とこういうことにならないように言うんですっていう形になるでしょ?

僕はそういう事聞いたって全然心打たれない。むしろ「もう一遍落ちた方がいい。」、「アンタにわかるか」と言われた方がね、凄かったんだな、という気がするんです。

そういう証言を聞くことが無くなったんです、僕らは、もう。

そうすると、やはりそういう人が絶えて逝った後、そういう人たちの思いを込めた思想みたいなものがね、出来ないかなぁと。それは、恨みつらみも含めてですよ。

で、今は、恨みつらみを言わないんですよ。言わないで綺麗ごとの平和の訴えをしてもね・・。やっぱ根底にそういうものがあったはずなんよね。

人間にはね、その恨みつらみを抑え込んできたのが、僕は平和主義というか平和運動・・ヒロシマの平和運動の欠陥だったと思うし、もっともっと言えない状況があった。

占領下時代でね。じゃ占領時代が、済んだあとで、言ってるかというと、もうその後言わなくなった。それを言うと、なんか「平和を阻害するもの」だとか、「憎しみを掻き立てたって平和は来ない」とかね、なんか、もっともらしい論議なんだけども。

そういう話では、今現に、苦しんでいる世界の人達・・・との感情の共有が出来ないと思う。彼らは憎んでいるわけですよ。自分たちはこんなひどい目にあった、或いは家族が散りじりになった、殺された、そういう人達と戦争否定で手を結んでいくときに、憎しみがわからなければね。

今の人たちは解って押し殺しているのか、或いはそれを表現する術を知らないのか、或いは憎しみがないのかもわからん。憎しみが。憎しみがあったら、例のオバマジョリティなんていうのはね、絶対許さないはずなんですよ。
哲野 もう、理屈抜きに感情で反応していきますよね。
平岡 ええ、ええ。ところがその、反米的な事をいう様な事が憚られるというようなね。マインド・コントロールされてるかもわからん。日本全体が。で、被爆者もそうなってるかもわからん。ですから、まぁ・・許す、許すと言ってしまうんですよね。で、あの辺が僕はちょっとわからないんです。許すっていうのが。僕は許せないこといっぱいあるもん。
哲野 そういうレベルで留まっていたんでは、核兵器廃絶の思想に、ヒロシマが思想の点で貢献することは出来ない、ということですか?。
平岡 出来ないかもわからん。うーん。そうね・・誰だってあるはずなの、憎しみ。ただ、それは報復しようとか言うんじゃないんよ。憎しみを忘れたらね、平和への希求の身持ちだって、全く力がないんだって気がするね。

何故我々平和を求めて行くのか。憎しみっていうのは忘れるべきじゃないしね。僕は随分あるんですよ。先生に理由なく殴られた、あの憎しみは忘れられないね。理由が納得できればね、そりゃあ俺が悪かったと言う。で、納得できるかもわからん。自分が納得できないことがあるでしょ?それを忘れちゃいかん。原爆だって納得できないはずなの。

今、被爆者は、それを納得させようとした平和運動も、或いは日本の空気もね、或いはアメリカのマインド・コントロールかもわからん。憎まないように、憎まないように・・っていうのは。

「怒り」を忘れて沖縄と感情共有できるか?

哲野 そういう今の話を聞いてて、僕は広島市議会議長だった、任都栗司がね、トルーマンに出した広島市議会の議決文を思い出すんだけども、非常に長い議決文であれは任都栗さんが書いたんだと思うけど。彼の怒りだけは本物でしたね。怒りだけは共有できた。

   「トルーマンとのやりとりを伝える広島市議会会議録」1958年、広島市議会のトルーマンへの抗議決議文<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_shigikai_s33_2_13.htm>を参照の事。
平岡 そうそう、怒りはね。だから沖縄の怒りをね、(怒りを忘れた)我々ヒロシマが共有できるかどうかっていうのは、問題はそれなんよね。だから、他人事なんです。で、案外被爆体験もね、他人事になってしまってる。そりゃ被爆者が聞いたら怒るかもわからんけども、もっと怒れよと。まぁ言いたいよね、なんで怒らんの?なんで許すのかってね。
哲野 それは怒って憎しみを増したら、いけないから。
平岡 平和を阻害するからってことでしょ?
哲野 だからある意味、自分の感情を押し殺しつつ、建前論を述べている。
平岡 それでいいんかいなって言うこと。・・・。そういう感性で他の世界の苦しんでいる人達、或いは沖縄にしろ、岩国にしろ、そういう人たちの気持ちが解るんか、解らんのか。で、イラク・・まぁ僕はイラクの人達と会った時に、なんで広島は憎まんのかって言われた時ね・・。
哲野 イラクの苦しみが理解できないんだ?っていう・・。
平岡 で、自分たちは憎んでいるわけよね。アメリカにあれだけやられて。
哲野 そりゃあ当然でしょうねえ。
 平岡 そりゃナマナマしい・・・。(笑う)65年前のあの時とは違って。時がすべて癒すけれどもね、しかし理不尽な事についての怒りというものを忘れたら人間じゃないだろうと。ねえ。そりゃ理不尽なね、納得できないことをね、やっぱり納得できないまま、押し殺してしまうのは自分を裏切ることになるだろうしね。人間としての誠実な生き方じゃないわね。その表現は色々ありますよ?仇を撃つというのも一つはあるかもわからん。しかしそれはやっぱりそれはいかん。そこで核兵器をなくするんだということになるんなら、やっぱり憎しみが原動力ですよね。
哲野 あのー英語では、怒りという言葉の一つの表現に、「anger」もう一つ「outrage」っていう言葉がある。Angerとoutrageはどこがどう違うのかっていうことをこう、考えてみた時に、どういう風に使われているのかということを調べた時に、意識的に調べたわけじゃないんだけれども、Angerっていうのは個人的な、個別的な怒りを指しておるのに対して、outrageはもうちょっと一般的な、社会的な怒り。つまり、個人的な怒りを高めて昇華したいわゆる、日本語で訳すと公憤・・・。
平岡 公の憤りね。
哲野 ええ。そういう言葉があるじゃないですか。むしろ、outrageというのは怒りと訳すよりも、そういう公憤という・・ただ、公憤という言葉には、どちらかと言えば独りよがりなニュアンスを含んでますよね。「みんなのために俺は怒っているんだ」っていう、そういう意味合いでも使うことがある。
平岡 あ、なるほどね。
哲野 ところがoutrageっていう言葉は、もうちょっと客観化された、相対化された怒り。
平岡 だからやっぱり、ヒロシマの怒りはどこに行ったのっていうのはね、僕ら今になって考えるんだけど、怒りを。それにメディアが手を貸してきたんかもわからんけども。
哲野 ただその広島の怒りというのは?
平岡 初めはあったのよ。ヒロシマの怒り。「怒りのヒロシマ」、「祈りのナガサキ」と言われてね。その怒りがどういう意味だったのかわからんけどね。
哲野 アメリカが憎いという怒りは、もちろんあって良いんだと思うんだけども、そうではなくてもうちょっと相対化した、客観視した怒りというレベルにまで、ヒロシマはそれを高めてきたかということになりますけども。
平岡 岡本弁護士ってのが一生懸命、総括しようとした男・・最初、アメリカを訴えようってね。やっぱり法的な決着をつけようという思いがあったんでしょうね。これは。キチンと。ただ単なる、個人的な怒りだったら、「?」ってなるんだけど、やはりそれを社会で認知させるためには、裁判という形をとってね、そこでアメリカの犯罪性を立証していこうと。

    「原爆裁判を」を闘った弁護士岡本岡本尚一。このシリーズの第4回「核の傘」と「核兵器廃絶の関係」の「原爆裁判、1955年」の項参照の事。(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/hiraoka/4/4.html>)

それはこういう社会では、当然やらなきゃいけないことなんよね。個人の恨みつらみをその、ただ個人で留めるんじゃなくて、それがきちっと理由のある怒りであるということを、世間に知らせるためには、裁判っていうのは、一つの方法なんですよ。   
哲野 「民衆法廷」もありましたね。
平岡 「民衆法廷」がありますね。ただあれは、全く広島でも大きく扱われなかった。つまり権威がないと見たんだろうね、マスコミ、マスメディアあたりは。

でも、本当言えば、アメリカは民衆の名において裁いてるんだけども、ああいうことがキチっとされないといけない。法的責任っていうのをね。それによって初めて核兵器廃絶の法的根拠というか、理論的な根拠が生まれるわけだからね。で、そういう努力がちょっと足りなかったかなって気がしますね。

   「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」。同じく第4回の「原爆裁判、1955年」の項参照の事。

やはりアメリカの責任をはっきりさせること

哲野 足りなかった気がしますね、っていうことは、そういう努力を広島はこれからしていかなきゃいけないという意味と考えていいわけですか?
平岡 していかなきゃいけない。そうです、ええ。つまり、本気で核兵器廃絶を目指すなら、よ。ただ単なる憎しみだけじゃなくて、これが、いかに間違って、人類社会にとって間違っているかということをちゃんと理論付けして・・・。あるいは国際法で。ま、国際司法裁判所も一つなんだけど、あれは勧告的意見ですからね。あるいはどっかでキチッとした裁判をやっていくという事が非常に大事やね。
哲野 今のお話で言うと、事実関係を明らかにしていかなきゃいけない、という事があるんで、或いは今の中には政治的なアプローチ、法的なアプローチ、それから道義的なアプローチの中に、歴史的なアプローチも入るかもしれませんね。
平岡 入るでしょうね。
哲野 歴史的に決して明らかになったとは、まだ・・・。
平岡 まだ言えませんね。わからない。僕らもなんであんなことをしたんかって色んなことが明らかになっていない。僕個人の立場では色んなことを言いますけどね。だけど本当の事はわからない。どういう理由で落としたのか。だけどなんとなしに、ヒロシマの立場で言えば、やっぱり実験しやがったなという、だけの話。実験されたなぁっていう気がしてしょうがないですね。だから調べたんだろうと。直ぐ。ABCCが来てね。あれだけ、10万人ですよ。被爆者と非被爆者と5万人ずつ、データ取って合計10万人のデータ。そりゃよそではできないもん。あれは。
哲野 そりゃあ・・データ欲しかったでしょうね。
平岡 それは、もちろん核戦争に備えてのデータだからね。
哲野 そうです。それが米国戦略爆撃報告の中にそういうところが出てくる。
 平岡 そう?僕はしっかり読んでないけど。どうしても実験説にね(笑う)他にその・・それだけじゃないと思うんです、要素が複合して落としたんだろうけどね。非常に広島にとっては、人間としてはね、実験しやがったなという気がしてしょうがない。
哲野 ちょうど、戦略爆撃報告では、キドニー・シェイプと言われる、いわゆる腎臓の形をした、ま、比治山のこと・・・比治山があったんで、そっちの裏の方ではこうだったという記述がでてるけども。あれも凄いデータですよね。
平岡 だからどうしてもね、実験という疑いを消すことは出来ない。
哲野 で、そこで得られたデータというのは、軍事的にアメリカを核戦争からどう守るかという風に使われてきたことは、これはもう間違いないわけですから。
平岡 もうアメリカが核戦争に備えてのデータでしょう。そういう事でしょう。間違いない。
哲野 ただ、そういうことも含めて、色んなアプローチをしながら、事実関係を明らかにし、原爆投下の犯罪性を明らかにしていくことが、やはりこれからのヒロシマ・・・。
平岡 核兵器禁止をやる根拠、の最初のスタートだね。やっぱり犯罪性を明らかにしていくということでしょうね。
哲野 それをまたヒロシマ・ナガサキがやるから、世界的に・・・。
平岡 影響力あるし、説得力がありますね。だからまあ、皆、思ってるんですよ。あれはやっぱり使ってはならん兵器だなというのは、だいたい皆、思ってる。当事国を除いてはね。だからアメリカは最後まで離さん、というわけだから。使いたい。やっぱりそれを使わせないというのは、ヒロシマの主張、或いはそれを間違っていたと言わせる運動が出来るかどうかだね。今までやってないから。

ヒロシマの思想は市民が創らなければならない

哲野 逆に言うと、そういう運動をしながら議論をしていく中で、具体的な説得力のある「ヒロシマの思想」が形作られていくかもしれませんね。
平岡 そうですね・・・。やっぱり、あれが間違っていた、という事を納得させなきゃ。あれが正しかったと言ってるんだからね。それが間違ってたんだということを納得させる。それが大変なのよね。今でもあれが正しかったというのが、アメリカでもおそらく60%以上・・・去年の世論調査では6割ですね。だから、大変な事だけど、間違っていたということはやっぱり言い続けなきゃいけんだろうし。

やっぱり、アメリカがまず、その過ちを認めなきゃいけない。そういう事が許されない時代の流れっていうのがあるわけですね。そういう中で核兵器は、使ってはならない兵器だという時代の潮流、思想、これは21世紀に確立させなきゃいけないね。

20世紀にその萌芽があったんだけど、やっぱり21世紀に国際社会で確立させる、そのためにヒロシマが何を為しうるか、というのが、恐らく問題意識の中心なんだろうと思う。「あれが良かった、正しかったんだ」と我々認めてしまったら、もう核兵器を否定する根拠はない。
平岡 だから今度、アメリカが、「これは悪い国だ」、例えば北朝鮮なりイランなり認定するわけですからね。そしたら使うよって。日本も悪い国だから使った、全く同じ論理です。

悪い国・・・、いい悪いを決めるのは、アメリカの価値基準ですから。だけどそれは、今、あからさまにやることは難しいから、色々、国際社会でですね、うまい事抱き込んで、国連みたいなの使ってね、何とかレッテル貼るんだけど。

しかし、所詮はアメリカがやったことですよ。あれは間違ったということをやっぱり、言わさないとね、核兵器廃絶運動のスタート・・・もう一遍スタート地点に立たないといけない。

それが出来たら、初めて「過ちは繰り返しません」が生きてくるんですね。繰り返さないためにはアメリカの過ちを認めさせることだ。

それを抜きにして、オバマさん来てください、招く運動だとか、というようなことを言ってると、何を考えてんだ、という事になる。ヒロシマにくれば、資料館を見て、被爆者の話を聞いたら、核兵器廃絶という気持ちになるだろう・・・というが、歴代総理が広島に来てるんだけど、その気になってないのはどういうことだって話よ。
哲野 広島の悲惨を知れば、核兵器廃絶論者になるっていうのは、もう今やはっきり根拠のない思い込みだということは、もう明らかですね。
平岡 思い込みですよ。そんな悲惨ってのは世界中にいっぱいある。
哲野 もう一つ言うと、アメリカ人の心理の中に、自己正当化の論理も働いているということ・・・。
平岡 入ってる。働いているでしょうね。間違いなくそれは。
哲野 1963年だけども、レオ・シラードがUSニュース&ワールドリポートにインタビューを受けている。そこで、トルーマン政権の原爆投下について論じてる。

インタビューの中で、記者が、「アメリカは良心の痛みを感じていると思いますか?」という質問をした時に、レオ・シラードは、「ジョン・ハーシーのヒロシマっていう本が出たでしょ。あれ、イギリスではさっぱりだったけど、アメリカではベスト・セラーになった。なんでそうだと思いますか?」聞き返しておいて、レオ・シラードは、「それは広島に原爆を落としたのがアメリカであって、イギリスではなかったからだ」と答えている。

つまりアメリカ人は1963年の時点ですけれども、広島への原爆投下が心のどこかに棘・・棘に相当する言葉が僕、忘れちゃったんだけども、「棘となって突き刺さっているからだ。でも私はまだそれを良心の痛みとは呼びませんね」という答えをしてますけども。その、レオ・シラードの棘っていうのは、未だにアメリカ人の中には・・・。

   「レオ・シラード・インタビュー」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/reo.htm>)「原爆投下のブーメラン」の項参照の事。
 平岡 ありますね。僕はあると思いますね。こだわるでしょ?やっぱり。
哲野 それが自己正当化に繋がっているという側面はあるでしょうね。
平岡 あるでしょうね。
哲野 ということは、やっぱり事実関係をアメリカ人の目の前でも明らかにしていくということは、非常に重要な事になってくる。
平岡 大事ですよ。それはね。あれが間違ったことでなければ、間違ったことなんてないです。この世に。(笑う)
哲野 それインタビューの最後の言葉で使おう。「あれが間違ってなければ、間違っていることなんて、世の中にはない」
平岡 いや、だってねぇ・・あれが間違ってなければ、今度、核兵器をなんぼでも使える。
哲野 そうそう!
平岡 理屈だけつけとけばね。
哲野 いや、現実に今我々はそういう世界に生きているわけですからね。
平岡 これを否定しなきゃいけないでしょ?こういう考え方を。或いは論理を打ち破らなきゃいけない。やっぱりあれは間違っていたと。で、間違った理由は沢山、これまで挙げてきたけれども色々ある。「人間の尊厳」っていうことから始まってね。これはもう国際的な常識になりつつある、もうなってると思うんですよ、これは。

それに、抵抗しているのがやっぱりアメリカを中心とした核保有国。それがいるからこそ、北朝鮮もインドもパキスタンも皆使おうとする。根源はやっぱりあそこにいくじゃないですか。基本的に「使った」。歴史的に考えても、使ったのはアメリカしかないんだから、使ったことは間違いでしたとアメリカが言えばね、これはもう他の国も使えないわな。各国も間違いだって。そういう論理構成だっていう気がしますけどね。
哲野 だから、それがいかに歴史的に見て、或いは事実関係の上からも、政治思想の上からも、それから地球環境史とか、地球文明史の立場から見ても、いかにそれが誤りであったかということを、色んなアプローチを使って明らか、事実関係を証明していかんにゃいかんですね。
平岡 そうですね。
哲野 だけど、そのために、広島平和研究所を作ったんじゃないんですか?今言えば。
平岡 それは・・・。
哲野 話を蒸し返すようですが。それは、今、責めてるわけじゃないんですが。
平岡 まぁそのためというかね、政策を作って欲しかった。ヒロシマの思いをどうやって国際社会に提示できるかね、キチッと納得できるような・・・。
哲野 いわゆる理論化。科学的な議論ですね。
平岡 うん。その前段のね、そうした政策を支える思想をね、我々が考えなきゃいけないんだ、「ヒロシマの思想」をね、我々がね。 

(本シリーズ了)