(2010.3.31)
アメリカの戦略態勢<America's Strategic Posture>


第2章 核態勢論(On the Nuclear Posture)


 第2章「核態勢論」については、中身を読んでさえもらえば、オバマ政権の核兵器政策が手に取るように理解できる。今オバマ政権が準備中の「核態勢見直し」についても、大筋回答を出している。これを四でもらえば、「核兵器廃絶を目指すオバマ政権」などという表現が、たとえ枕言葉としても全然不似合いな、それとは逆に核兵器の力を十二分に利用し尽くそうという意図が了解されるだろう。

以下本文。

 核態勢の組み立ては、対象とすべき戦略目的への理解から行わなければならない。これ以前の章において、委員会は、アメリカやその他の核兵器保有国がその核兵器敞を放棄することを許すような国際的条件が、今存在しないことを議論してきた。(註112)それでは、それら(核兵器)は何の目的で存在しているのであろうか?その目的への理解はいかにして(核態勢の)組み立てを導いていくのであろうか?

 まず定義から開始することは重要である。核態勢は次のような要素から成り立っている。

1. 実戦配備戦略核兵器の兵器敞
2. 前線配備戦術核兵器の兵器敞
3. 核兵器搬送の3本柱。(陸上基地発射ミサイル、海上基地発射ミサイル、爆撃機)
4. 前線配備搬送システム(潜水艦発射巡航ミサイル、通常弾頭及び核弾頭両方を装備できる航空機。いわゆる二重機能航空機)
5. 実戦配備予備の核弾頭貯蔵
6. 核弾頭に使用できる核分裂物質
7. 関連した命令・指揮、管理、情報システム
8. 以上のような能力を製造するのに関連したすべての基礎構造物。また物理的及び人的資源の両方が、こうした能力の維持には不可欠である。
9. アメリカの軍事的、国家的安全保障戦略における核軍事力の役割を特徴づける宣言的政策。(註113)

 これに加え、アメリカとロシアは、廃棄処分を待つ大きな数量の核兵器を保有している。

 核態勢は最大の要素とはいうものの、アメリカの戦略的軍事態勢における唯一の要素というわけではない。戦略的軍事態勢にはミサイル防衛システムなどの防禦能、そして非核兵器戦略攻撃手段なども含まれている。この章での焦点は上記リストの項目1−5に合わせる。アメリカは、上記リストの2及び5の項目に関連した特定数字は機密にしたままであることを特記しておく。


基準の定義(Defining Criteria)

 アメリカの核軍事力の運用と発展を導いてきた多くのコンセプトと基準は核時代を通じて振り返ることができる。これら(のコンセプトと基準)を以下に短くリストにしてみよう。

核兵器は特別な兵器である。単に爆発兵器より強力だというに止まらない。
核兵器は抑止力のためのものだ。そして最後の手段としてのみ使いうる。(註113)
アメリカの核軍事力は、他のどの核兵器大国のそれより劣っていてはならない。
核軍事力は、鍵となる同盟国の安全保障に対する関与を支援する。(註114)
戦略核軍事力の3本柱(triad)はアメリカの活性力(resilience)、生存力、柔軟性にとって貴重である。(註115)
核兵器の安全性、安全保障性、そして承認された管理(法的正当性のある管理ということ)は基本中の基本である。
(核の)不使用の伝統は、アメリカの利益に役立つ。そしてアメリカの政策とその政策能を強化するはずである。(註116)


註113  ところが、広島と長崎ではそうではなかった。この2つの核兵器使用は最後の手段ではなかった。全く別な目的で使用された。これが「最後の手段」だった、という宣伝は1946年、アトランティック・マンスリー・マガジン12月号に掲載されたカール・テーラー・コンプトンの「もしも原爆が使用されなかったら?」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/
kono/Karl_T_Compton_If_the_Atomic_Bomb_Had_Not_Been_Used
_Japanese_2.htm>
)をもって嚆矢とする。コンプトンから掲載誌を送られたトルーマンはコンプトンに次のように返事を書いた。
アトランティック・マンスリーからの記事『もしも原爆が使用されなかったら?』を送っていただき、誠にありがとうございました。私は、また元陸軍長官、ヘンリー・L・スティムソンに事実関係を整理し直し、何らかの記録の形にするように頼んでいるところです。彼はそれをしてくれていると思います。あなたのアトランティック・マンスリーでの記述は、あの時の状況を見事に分析しています。ただ一点、最後の決断を下したのは大統領でありました。そしてその決断は、すべての状況に関する完全なる調査のち下されたのであります。到達した結論は、基本的にあなたが記事で述べている通りであります。」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Truman_to_Karl_
compton_19461216.htm
>)

 こうして、このスティムソン署名入りの論文は翌47年ハーパーズ・マガジン2月号「原爆使用の決断」(*The Decision to Use the Atomic Bomb)として結実する。この論文はありもしない事実と時間軸をずらせた詐術で塗り固めた論文だった。こうして日本への原爆の使用は「最後の手段だった」とするプロバガンダ・キャンペーンの火ぶたが切って落とされ、それは今に続いき、この「ペリー論文」でもこのプロバガンダが踏襲されている。
註114  たとえば、日本という同盟国をとって見よう。日本は「核兵器で護って欲しい」とする勢力と「核兵器のような危険なもので護って欲しくない。それは我々の市民生活を危険にさらしている。」とする勢力とに分断されている。多くの日本人はこのはっきりした「分断」「断絶」に無自覚である。しかし、それに無自覚であろうがなかろうが、日本の中にこの「分断」は存在している。多くの日本人にとって、そして東アジア市民にとって不幸なことは、「核兵器で護って欲しい」とする勢力が政治権力を握っていることだ。そしてこの分断があたかも存在しないように振る舞っている。(自民党政権のことではない。民主党政権のことだ。) そしてペリー報告のこの箇所でも指摘されているとおり、アメリカの支配層は、「核兵器で護って欲しい」とする勢力に耳を傾け、あるいはそれを口実に日本を「核の傘」の下に置いている。一方「核兵器のような危険なもので護ってもらわなくて結構」とする勢力に対しては無視を決め込んでいる。そして、この分断に無自覚な多くの日本人は、「唯一の被爆国」「被爆者の悲惨」を表看板にして、口先だけの「核兵器廃絶」を訴えている。これ以上は、欺瞞であり、ペテンであり、偽善であり、裏切り行為である。
註115  屁理屈のたわごとである。これを「たわごと」と言い切ってしまわない限り、彼らの言説がなにか有り難い、社会科学的ご託宣のように聞こえるであろう。これはご託宣ではなくてゴタクである。ガラクタである。
註116  ここはアメリカの道義的、人道主義的指導性の根幹に関わる部分である。註113でも触れたとおり、アメリカは世界で唯一の「核兵器実戦使用国」であり、彼らの道議性、人道性、近代民主主義的指導性は最初から薄汚れている。イランをはじめとする多くのイスラム諸国、アメリカ帝国主義に苦しめられたラテン・アメリカ諸国の指導者の中には、この点を厳しく衝いているものも多い。この点は当初からアメリカの指導層にも自覚されていた。たとえば、原爆の投下のわずか2ヶ月前、最初の原爆実験の1ヶ月前の1945年6月11付けでトルーマン政権に送付された、「マンハッタン計画」シカゴ冶金工学研究所の科学者委員会が提出した報告書「政治ならびに社会問題に関する報告」(いわゆるフランク・レポート)の中で、この科学者たちは、日本に対して原爆を使用するのではなく、「全面的核戦争防止協定」を締結すべきだと訴え、もし日本に対して原爆を使用したならば、と、この科学者たちは次のように指摘している。

 もし全面的核戦争防止協定が、なににも替えがたい最高の目的だと、われわれが見なすならば、またそれは達成可能だと信じているならば、原爆をこのような形で(無警告で日本に対してしようすることを指す)、世界に登場させると、いとも容易に条約の締結成功の機会を打ち壊すことになる。ロシア、また同じ同盟国や中立国ですら、われわれの方法論と意図に対して不信感を募らせ、深い衝撃を与えることになるだろう。何千倍も破壊的でロケット爆弾のように無差別的な爆弾を秘密裏に準備する能力を持ち、かつ突然その兵器を発射するような国が、自分だけしか持たないその当の兵器を国際条約で廃止しようとの主張が信頼されるかというと、その主張を世界に納得させることは難しいであろう。』
(「フランク・レポート」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/flanc_report.htm>

 つまり、これを使用した途端、この問題に関してアメリカの道義的リーダーシップは失われるだろうと云うことだ。

 また、原爆の使用がアメリカの良質な知識人層に与えた失望感も大きかった。レオ・シラードは先の委員会の7人の委員の一人だったが、1960年USニューズ・ワールド・レポートのインタビューに応じて次のように述べている。<( )内は私の註である。>

『Q. シラード博士、日本に対する原爆投下問題に関する1945年時の博士の姿勢はどんなものだったですか?
A. 全力を尽くして反対しました。しかし私が望んだほど効果はありませんでした。
Q. あなたとおなじように感じた科学者は他にいましたか?
A. とても多くの科学者が同じように感じていました。これはオークリッジ(テネシー州のオークリッジ工場。ウラン燃料を生産していた)やシカゴ大学の冶金工学研究所においては特にそうでした。ロス・アラモス(ニューメキシコ州ロス・アラモス研究所。Y計画を担当)の科学者たちがどうだったかは分かりません。
Q. オークリッジや原爆計画のシカゴ支部では、意見の分裂はありましたか?
A. こういう風に云っておきましょう。創造的な物理学者はほとんど例外なしに原爆の使用に関して不安と疑念を持っていました。化学者たちも同じとは云いませんけどね。生物学者たちは物理学者とかなり同じ感じ方をしていました。
Q. いつあなたの中に不安がもたげましたか?
A. そうですね、1945年の春頃、原爆の使用に関しては心配をし始めました。しかし自分たちのやり方に疑念を憶えたのは、シカゴにいて、日本の各都市にかなり大規模に焼夷弾(incendiary bomb)が使われていると知った時でした。
もちろん、これは私たちの責任ではありません。実際私たちは何もできなかったのです。でもマンハッタン計画での私の同僚の一人がこのこと(日本の各都市に対する無差別焼夷弾攻撃)に悩んでいたのを、はっきり憶えています。』
『Q. ロシアを含む他の国々が、原爆の使用という同じ機会に直面したら、アメリカがしたのと同じことをしたと思いますか?
A. ねぇ、いいですか、この質問に対して答えることは完全にあてずっぽうですよ。しかしながら、こういうことはいえます。全体的に云ってみて(by and large)、アメリカ政府は正しい人道主義からものを考えて筋道を追っていった、というよりも、損得勘定(expediency)から考えて、追っていったということです。

そしてこれが全て政府というものの普遍的原則だということです。(ここに、ハンガリー系ユダヤ人、シラードの深い絶望が見て取れる)

 戦争の前、私はアメリカの政府だけは違う、という幻想を抱いていました。この幻想はヒロシマの後(after Hiroshima)、完全に吹っ飛びました。ご記憶のこととは思いますが、1939年ルーズベルト大統領は、人が大勢住む都市に対して爆撃を加えることは、あまりに好戦的な行為だとして、警告を発しました。これがぴったりくるし当たり前だと思うんですよね。それから戦争の間、全く何の説明もなしに、日本の各都市に焼夷弾攻撃を募らせていきました。これが私を悩ませたし、多くの友人たちを悩ませたのです。
Q. それで幻想が終わった?
A. はい。これが幻想の終焉でした。でもね、分かってもらえますでしょうか、焼夷弾を使うことと、破壊を目的として自然の新しい力を使うことの間には、それでも大きな違いがあるんです。それでもこれを使うのは、はるかに大きい一歩なのです。原子力は全く新しいエネルギーなんです。破壊を目的として原子力を使うことはとても悪い先例を作ったと思っています。そうしてしまったことによって、戦後の歴史に大きな影響を与えることになったと考えています。』
『Q. もし日本に原爆を落とさなかったら、この世界はどのように変わっていたでしょうか?
A. もし日本に原爆を投下せず、代わりに示威行為で止めていたとしたら、また、そ の上、戦後われわれが本当に核兵器の世界から逃れたいと思ったとしたら、恐らくは、逃れることができたでしょうね。

 (シラードは知ってか知らずか、核兵器廃絶問題について論じている。今戦後60年を経た世界が、核兵器を廃絶できない根本原因はヒロシマに対する原爆投下にある、と言っているわけだ。シラードは思想的にも政治的にもヒロシマを解決しなければ、核兵器廃絶運動の出発点ができない、と言っているのに等しい)

  今、世界が善い方向に向かっているのか、どうなのか、私には分かりません。

  (シラードがこのインタビューを受けているのは1960年であることを想起せよ。)

 でも、もし(原爆投下がなかったとしたら)、この世界は今と全く違ったものとなったろうことは請け合います。
Q. 核兵器競争は避けることができた?
A. 私は、核兵器競争は避けることができたと思います。イエスです。しかし、その他の政治課題では、ロシアとの軋轢は続いているでしょうね。
Q. もし、私たちが原爆投下をしなければ、ロシアは原爆や水爆をこんなに早く開発できたでしょうか?またヒロシマの後、ロシアが諜報活動や開発研究を通じてこんなに急いだでしょうか?
A. ロシアには、他の選択肢はありませんでした。彼らが開発を急いだのは、アメリカに核の独占を許したくなかったからです。』
『Q. アメリカ人は、原爆(投下)に対して「罪の意識」を感じているでしょうか?
A. 私は、それを「罪の意識」そのものとはよびません。ジョン・ハーシーの書いた「ヒロシマ」という本を憶えているでしょう。アメリカでは大変な反響を呼びましたが、イギリスではさっぱりでした。なぜ?

  (ジョン・リチャード・ハーシーはアメリカの作家・ジャーナリスト。北京生まれ。ピュリツアー賞を受けている。ヒロシマは原爆投下後ちょうど1年経った1946年のニューヨーカー・マガジンの8月号に掲載された記事。後に本として発行された。原爆の被害にあった6人の個人に焦点をあてて、その悲惨さをレポートしている。ハーシーについては次のURLへ:http://en.wikipedia.org/wiki/John_Hersey。「ヒロシマ」については次へ:http://en.wikipedia.org/wiki/Hiroshima_%28Hersey%29

それは原爆を投下したのがアメリカであって、イギリスではないからです。意識の下のどこかで、われわれは原爆のくさびを打ち込まれているのです。イギリス人にはこれが全くありません。でも私はそれをまだ「罪の意識」とは呼びませんね。
Q. この感情は、それが一体何であれ、実際上何かわれわれに影響をあたえているでしょうか?
A. 普段に働いている自己抑制に対する義務感にかかる力は大きいものがあります。われわれはこの義務感に照らして恥じない行動を取らなかったのです。曰く言い難いところで(in a subtle sense)、科学者の多くがこの感情に影響を受けています。このことが引き続き原爆の仕事を続けようという意欲を減退させているのです。
Q. ヒロシマは水素爆弾の開発に影響を与えましたか?
A. 5年は遅れた、と云っておきましょう。もし普段に働いている自己抑制に対する義務感が立派に全うされたとしたら、多くの科学者は引き続き原子力開発の仕事を続けたでしょう。実際には、多くがそうしなかった・・・。』(「レオ・シラード・インタビュー<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/reo.htm>

 「ペリー報告」では「不使用の伝統は、アメリカの利益に役立つ。」と云っている。もし「不使用の伝統がウソでなく真実なら、それはアメリカにとってなにものにも代え難い「利益」となったであろう。しかし「不使用の伝統」はウソである。だからアメリカの「利益」も所詮「拵えごとのの利益」でしかない。


 このアプローチ(先に示された「コンセプトと基準」で示唆されているアプローチのこと)を新たなものとするには、アメリカが堅持する核兵器の目的という基本的な質問に立ち戻ることが必要だ。基本的な意味においては、核兵器の原理的機能は変わっていない。すなわち「抑止」だ。アメリカは核兵器が使用されない条件を創り出すために、これら核兵器を持っている。(註117)しかし、委員会は多くの要素を包含するものとして抑止の概念を極めて幅広い見地で捉えている。

 ひとつの決定的要素は、拡大抑止だ。そして拡大抑止がアメリカの同盟国とパートナーに保証を与えていることだ。この前の章でしてきた通り、最近の安全保障環境において、彼らに対する保証は、アメリカにとっての最優先事項として残っている。(註118)ロシア、中国、そして核拡散に関する拡大抑止は重要な「挑戦」である。ある種のアメリカの同盟国は、拡大抑止は主要大国の間での「核パワー」の中心的均衡における安定以上のものはほとんど要求されないと信じている。しかし別な同盟国は、彼らの要求はある極めて特別なアメリカの核能力によってのみ対応しうると考えている。(註119)この指摘は委員会をその作業においてもっとも基本的なところに立ち返らせてくれた。あるロシアに近いところに位置している同盟国は、アメリカのヨーロッパにおける非戦略軍事力は、モスクワからの核の威圧に対して必要欠くべからざるものと信じている。そして実際にロシアの核の新規更新に直面して、アメリカ及びNATOの軍事力近代化は、(ロシアと西側の)均衡の意味を再構築するのに必須だとも信じている。(註120)一つの特に重要な同盟国は、委員会に対して非公式に、アメリカの拡大抑止力に対する、アメリカの特別な核能力が、危険に際して極めてバラエエティに富んだ目標を保持していることに、その信頼性が依存している、と主張している。そして、状況の要求に応じて目に見える形にしろ、秘密裏にしろ、軍事力を実戦配備することでその信頼性が依存する、と主張している。(註121)

 はっきりしていることは、アメリカの核態勢は、ヨーロッパとアジアの両方におけるアメリカの同盟国との高いレベルや実在的な協議をしないで再設計すべきではないと云うことだ。われわれはそのような協議の結論を予め判断できないと云うことでもある。この問題に関する委員会自身の諮問の結果は、ヨーロッパとアジアの同盟国及び友好国の拡大抑止や保証に関する要求は決してすべてが同一という訳ではないという事を気付かせてくれる。またこれら、他者に対する拡大保証及び拡大抑止の要求に関する関心は、アメリカが自国防衛のためには全く基本とは云えないようなタイプや数量の核兵器をも保持する義務を課かもしれないという事実も気付かせてくれる。(註122)

 アメリカの同盟国を保証する戦略の一環として、アメリカはロシアとの戦略的対称性(註123)を放棄すべきではない。全体的対称性はヨーロッパにおける同盟国にとって重要である。アメリカの軍事戦略において、核兵器に重きを置かないという名目のもとに、態勢の優位性をロシアに譲り渡すべきではない。実戦配備の戦略核兵器の均衡においては、近い将来そのような事態は起こりそうにない。

 しかし、非戦略核軍事力の分野ではその均衡は存在しない。そこではロシアはかなりの数量的優位を謳歌している。すでに述べたように、ロシアはウラル山脈の西では、軍事作戦に展開しうる明白に支援できる数千の核兵器を貯めている。アメリカはNATOとの核兵器共有協定において支持されているそれは小さな数字しか配備していない。(註124)アメリカが配備している詳細な数は機密事項であるが、それは冷戦期のもっとも大きかった時期の約5%でしかない。非戦略核兵器におけるアメリカとロシアの数の非対称性そのものは、(アメリカの自国防衛そのものにとって)不必要である。しかし中央ヨーロッパにおけるアメリカの同盟国にとっては、その非対称性は厳しいものであり心配の種である。もし実戦配備の戦略核兵器の数が削減されまたその削減が続くなら、この不均衡(すなわち非戦略核兵器の不均衡)はますます明白になり、同盟国への保証力は低下する。このことは軍備管理アプローチの緊急性を示している。次からのセクションでさらに詳しい議論をするであろう。

 われわれの幅広いコンセプトにおいて、抑止におけるもう一つの要素は、「そうしないように説得する」ことである。ロシア及び中国がこれからどう出るか不確実な時期においては、また彼らの国際的役割が不確実な時期においては、アメリカは、戦略的協力を強化することによって、歓迎すべからざる競争を弱めていく道を模索すべきである。結局、アメリカはその核軍事力を、ロシアと中国が核の世界における新たな有利性をもとめアメリカと競争しようという気持ちを挫くように構成すべきである。アメリカは、その現存する(核兵器)搬送システムや保持核弾頭の供給、あるいはアメリカの(核兵器のための)インフラストラクチャアにおいて、に関わらず十分な能力を保持すべきなのであって、軍備管理協定を破ったりすることでアメリカに対する核の優位にたつなどということは不可能である、とロシアの指導者に強く印象づけるべきだ。アメリカ(とロシア)はまた十分大きな核軍事力を保持すべきなのであって、中国がアメリカと戦略的対称性のある態勢や、アジアにおける戦域での戦略的優位性を確保しようとする誘惑を断ち切るべきである。(註125)

 「そうしようとしないよう」に説得する、この議論は「防護すること」(hedge)に関連した必要性をわれわれに思い出させる。これから数十年にもわたって採用するかも知れない、いかに軍事力に対応すべきかという諸決断は安全保障環境の性質に関する判断を含んでいる。その判断は何度となく変化するかも知れない。安全保障環境は良い方向に変化するかも知れない。しかしそれはまた同時に悪い方向へも変化するかも知れない。これはある人が「地政学的サプライズ」を管理することと特徴付けたように、ひとつの「挑戦」である。「防護すること」はそうしたサプライズ、もし起こるとすればだが、アメリカやアメリカの同盟国の安全保障が悪い方向に行かないようにする、その可能性に対する、基本的には保険である。「防護すること」は戦略態勢において、ある種の弾性エネルギー(resilience)の創造に関わってくる。核軍事構造における防護は色々なやり方で実施することが可能だ。ここ近年、ロシアがその核の優位を確保することによって発生する新たな(核)競争の可能性に対して防護してきた。ロシアはその保有核の数量を大きく維持しているしまた既存の運搬システムに対してそれら保有核を更新しようという逆の選択をとっている。しかし防護はその戦略コストなしではあり得ない。とりわけ、適切でない不透明性の結果、望ましくない軍拡競争を刺激するような本来的な危険がそうだ。

 考慮すべき抑止をより幅広い見方で捉えつつ、われわれは、より狭い質問、すなわち、いかに核軍事力を設計すべきかという質問に立ち戻ることができる。その核軍事力とは、可能な挑戦を深く考え、そしてアメリカにとっての決定的利益に攻撃を加えようとしている国の指導者(達)のコスト効率的な計算に影響を及ぼすことのできる実効性のあるものだ。

 抑止(保証と共に)は、それを凝視するものの眼前にあることを確認するのは重要だ。潜在的な敵が抑止される(そしてアメリカの同盟国が保証される)かどうかは、潜在敵がアメリカの能力と意図を理解するかどうかにかかっている。その能力は十分に可視的でなければならないしまた十分に印象を焼き付けるものなくてはならない。しかし抑止とは、目標命中確率の累計を総合計する以上のものである。そして抑止とは、核軍事力の単に技術的側面で特徴付けられる機能なのでもない。抑止は、同時にアメリカの意図と能力をはっきり知覚するところに、またそれら要素に伴う宣言的政策にも由来する。

 冷戦時代には、抑止における計算は比較的単純だった。大統領はずらりと並んだ一連の危険な目標に狙いをつけた指針や軍事的に構築されたシステム、そうする(核抑止を実施する)作戦計画などを承認した。抑止効果は、敵が計算しうる予測できる損害、また敵が堪えうるコストの不確実性あるいは敵が損害を確実に予測すらする、ことから発生すると理解されている。(註126)アメリカは、その抑止力が目に見える形で信頼性に冨み効果的だと保証することに骨身を惜しまなかった。これは強力な宣言的政策やアメリカが核抑止に対する関与から後へ引かせることは極めて難しいという事件におけるその他の政策などを通じて行う保証も含まれていた。

 今日の世界では、この単純なアプローチを繰り返し模写することでは難しい。安全保障環境がより複雑でより流動的に成長したため、アメリカは一連の多様化した敵、環境、核抑止力に関連しているかも知れない脅威などの組み合わせに直面することになった。このことはアメリカが、その軍事力に対するこれまでの要求と共に作成する計画において、核軍事力と非核軍事力の選択的かつ柔軟性に富んだ連続体が必要であることを意味している。その軍事力とは、十分な殺戮性を有しまた信頼性をもって、一連の適切な(攻撃)目標を威嚇することを確実に結果しうる、そのような軍事力のことである。また効果的な抑止力へ向けた力強い「挑戦」のことを確認するのは重要である。というのはその「挑戦」は、無知で極めて野望的で雑音に満ちた意思疎通と相互理解に欠けた世界をより開けたものとするからである。将来の抑止力を効果的に機能させるためには、抑止される国家の戦略的思考に対する洞察力を増進することが根幹である。そうすることによって、われわれは、彼らの動機を理解でき、危機においていかに彼らと効果的に意思疎通を図れるかについて理解ができる。しかし、どんなに的を射た詳細であれ文脈であれ、それらを注意深く精査しても、抑止は不確かである。(註127)驚くには当たらないが、すべての国家は彼らが価値あると考えるものを護ろうとする。そしてその中のある国は、彼らがもっとも価値の高いものだと考える資産を護るため相当な努力を費やす。そしてもしあったとして、それら資産は核の脅威に最も脆弱だとして描き出す。

 もうひとつ追加的に(核態勢を)構築する際の議論すべき要素がここにある。

 :もし抑止が不確かなものであり、信頼するに足らざるものであることが証明されれば、戦争が開始されたとき、攻撃者からの損害を制限できるような目的を持った戦略的軍事力もまた構築しなければならないという点だ。

 そのような「損害限定的能力」は重要である。というのは、国家であっても事故やあるいは違法な(核兵器の)発射がありうるし、またテロリストによる攻撃もありうるからだ。損害限定は、ミサイル防衛を含む能動的防衛(active defense)によって達成されるばかりではなく、アメリカやその同盟国に対してまさに発射されようとしている軍事力を攻撃する能力によっても達成される。(註128)


註117 「アメリカは核兵器が使用されない条件を創り出すために、これら核兵器を持っている。」:オバマ政権の高官達やアメリカの核兵器理論家がよく口にする言葉である。理屈としては、@アメリカは核兵器の不拡散に努力する。Aこれは他国が核兵器をもたないことを意味する。Bするとこれは核兵器が使用されない条件を作りだしている。Cだからアメリカの核兵器は核兵器が使用されないために存在する。ということになる。理論的には矛盾を起こしている。というのは核兵器が使用されない条件とは唯一「核兵器廃絶」だからだ。また実際的にも矛盾を起こしている、アメリカが核兵器を持つ限り、核兵器が使用されない条件は満たされない。というのは、アメリカこそ実際実戦で核兵器を使用したという歴史があり、いまだにそれを正当だとしているからだ。もっとも危険な国がアメリカだ。「核兵器は一度使うと、それを再び使おうとする誘惑に打ち勝つことはむつかしい。」(「フランク・レポート」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/flanc_report.htm>
註118 「ヨーロッパの同盟国に拡大抑止による保証を与えることはアメリカの最優先事項である。」:これが、アメリカがヨーロッパに依然として戦術核兵器を配備している理由である。冷戦が終了して、ヨーロッパに核兵器を配備する理由はなくなった、といわれるが、アメリカの支配層はそう考えてはいない。ドイツで「核兵器国外撤去」の運動が起こっているが、アメリカはあきらめてはいない。
註119 しかし別な同盟国は、彼らの要求はある極めて特別なアメリカの核能力によってのみ対応しうると考えている。:アメリカ科学者同盟の核情報センターのディレクター、ハンス・クリステンセンによれば、また「しんぶん赤旗」の指摘に依れば、この「同盟国」は日本である。麻生政権は、アメリカが打ち出したトマホーク退役に対して「戦略態勢議会員会」に対して書面で抗議した。理由は日本の安全保障が維持できない、というものだった。別な言い方をするとアメリカの「核の傘」(拡大核抑止力)が機能しない、のが理由だ。しかしトマホークはすでに時代遅れで、アメリカの攻撃型原子力潜水艦も常時配備していない。ハンス・クリステンセンは、日本の政府高官はアメリカの拡大抑止力に関してトマホークの役割を非現実的なほど過大評価している、と指摘している。また「赤旗」は「自民党政府は核兵器廃絶を目指すアメリカの足を引っ張っている。」と指摘した。しかし私は、麻生自民党政権は外務省の橋渡しで、アメリカの「核ビジネス・ロビー」からの依頼で動いたのだと考えている。(「日本、トマホークそして拡大抑止」ハンス・クリステンセンのブログ<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/USA_SP/
strategic_posture_etc02.htm>
を参照の事。)
註120 しかし実際には、ロシアの核兵器の近代化は、アメリカに遅れること10年以上、プーチン政権の時にやっと始まった。ロシアの核近代化は、アメリカに対抗する形で行われている。
註121 「一つの特に重要な同盟国は、・・・軍事力を実戦配備することでその信頼性が依存する、と主張している。」:これも日本の麻生政権のことを指している。註119参照の事。
註122 「またこれら、他者に対する拡大保証及び拡大抑止の要求に関する関心は、・・・核兵器をも保持する義務を課かもしれない。」:ここも日本の要求をベースにした記述。具体的には、トマホークはもうアメリカの核戦略態勢にとって不必要だが、同盟国日本が要求するなら、アメリカは保有する必要があるかもしれない、という意味。トマホークの製造メーカー、ゼネラル・ダイナミクスに取っては嬉しい話には違いない。
註123 戦略的対称性:もとの言葉はstrategic equivalency。
註124 「しかし、非戦略核軍事力の分野ではその均衡は存在しない。そこではロシアはかなりの数量的優位を謳歌している。すでに述べたように、ロシアはウラル山脈の西では、軍事作戦に展開しうる明白に支援できる数千の核兵器を貯めている。アメリカはNATOとの核兵器共有協定において支持されているそれは小さな数字しか配備していない。」:アメリカとロシアの戦術核兵器の対称性、均衡に関する記述だが、非常におかしい。ロシアは自国領土内に配備しているのに対して、アメリカは自国から出て他国(記述の表現では同盟国)に配備している。圧倒的にアメリカが有利だ。
註125 ここの記述は極めて興味深い。まずアメリカはロシアが対抗しないように圧倒的に優勢な核軍事力を保有して、ロシアをその気にさせないことが重要だ、と述べ、次には中国に対しては、アメリカはロシアと組んで、圧倒的な核軍事力を中国に対して誇示し、中国をその気にさせないことが大事だ、と説いている。実際上冷戦時代と全く同じ「核兵器独占体制」を継続していこうと考えているわけだ。
註126 ここは「抑止」一般の概念を説明している。「抑止」とは「敵が攻撃することの損得勘定を計算した結果、自分の方の損害が大きいと判断したら、攻撃しない。」ことだ。と説明している。もちろん損得勘定を度外視した相手「テロリスト」や「ならずもの国家」には、理論的には全く通用しない概念だ。そしてこうした「抑止」を同盟国にまで拡大して同盟国を護ることを「拡大抑止」と呼んでいる。そして同盟国に「拡大抑止」を与えることを「保証」と呼んでいる。しかし保証とは、同盟国が絶対他国から攻撃されないことを「保証」という。それでは、「抑止」は絶対的に信頼できるか、というとこれは心もとない。この中でも指摘されているように「将来は不確実である。」つまり「拡大抑止」による保証は、実際の所「保証」の名に値しないものだ。「抑止」の概念は基本的には詭弁論法である。詭弁論法に依って論を進める限り、論理が積み上がっていかないため、常に議論は堂々巡りをはじめる。
註127 「しかし、どんなに的を射た詳細であれ文脈であれ、それらを注意深く精査しても、抑止は不確かである。」:私も抑止理論は不確かなものと思う。今ここでの問題は何故その不確かな理論に、また歴史的に検証もされていない理論に地球と全人類の運命を賭けるのか、ということである。抑止は相手が攻撃しないだろうという期待に全運命を委ねている。どんなにその上部に精緻な理論を構築しても、理論の前提が希望的観測・期待値に依存している限り、まったく保証がない。
註128 「もうひとつ・・・議論すべき要素がここにある。:もし抑止が不確かなものであり、信頼するに足らざるものであることが証明されれば、戦争が開始されたとき、攻撃者からの損害を制限できるような目的を持った戦略的軍事力もまた構築しなければならないという点だ。

 そのような「損害限定的能力」は重要である。というのは、国家であっても事故やあるいは違法な(核兵器の)発射がありうるし、またテロリストによる攻撃もありうるからだ。損害限定は、ミサイル防衛を含む能動的防衛(active defense)によって達成されるばかりではなく、アメリカやその同盟国に対してまさに発射されようとしている軍事力を攻撃する能力によっても達成される。」:

核抑止理論は「戦争防止理論」として極めて脆弱な理論だし、歴史的にも検証されていない。核抑止論者はあるいは云うかも知れない。「1945年9月以降は、核戦争は起きなかった、これは核抑止論が有効だった証拠だ。」しかし同様に次のようにも言える。「1945年9月以降、核戦争は起きなかった。これはヒロシマ・ナガサキの惨禍がいかに深刻な事態をもたらすかを各国の指導者をはじめ、地球市民が骨身に滲みて理解した証拠だ。」

  つまり核抑止論は、実際的に検証された理論ではないのだ。こうした脆弱な核抑止論に立脚して、核兵器を保有することは極めて危険だ。上記記述はその危険を率直に認めたものだ。人間はミスをする動物である。そのことから核兵器戦争が起こるかも知れない。またどの国家も盤石な民主主義が成立している訳ではない。クーデタで政権を取ったり、あるいは違法で狂信的な軍国主義者(それはテロリストよりもはるかにたちが悪い。)が、自国の核兵器を使用するかも知れない。(私はロシアや中国のケースではなく、アメリカやイスラエルのケースを想定している。実際その方がありそうだ。)またここでテロリストの危険がでてくるとは驚きだ。「テロリスト」や「ならずもの国家」に対しては、冷静な損得勘定は期待できない、とはこの報告書の一つの重要な主張ではなかったか。ここにテロリストが登場してくるのは、論旨として支離滅裂である。

  この報告書は、核抑止論の脆弱性は無視したまま、抑止が効かなかった時のことを論じている。それが「損害限定論」である。抑止が効かず、核攻撃されたら、損害を最小限に止めようという議論である。そしてそのための軍事力(核能力)が必要だと説く。それが「ミサイル防衛」だ。損害限定論の中には、さらに進んで先制攻撃論も含まれる。「相手が攻撃して来る前に、先に攻撃する「能動的防衛論」(active defense)がそうだ。

  外交問題評議会・理事長、リチャード・ハースが最近発表した論文で、イランに対する軍事的攻撃を呼びかけ、「アメリカやイスラエルがイランを攻撃するのは、防護的攻撃だ。」と云った。(「イラン核疑惑:外交問題評議会理事長、リチャード・ハース、対イラン戦争を呼びかける」を参照の事。) こうなると「アメリカとの戦争は日本の防衛戦争だ。」と主張した天皇制軍国主義日本の主張と寸分変わらなくなる。

 また彼らは無責任でもある。拡大核抑止力(核の傘)で日本を防衛する、それを保証すると云いながら、実はその保証は不確実なものだという。オバマも09年4月プラハでチェコの市民を前に「しかしご安心下さい。皆さんの安全はアメリカが核兵器で守ります。」といった。(「アメリカ合衆国大統領 バラク・フセイン・オバマのプラハにおける演説」の「オバマの核抑止論」の項参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_04.htm>

  しかしプラハでのオバマの約束も、日本の核の傘の保証も、その実不確実なものだというのだ。保証は保証ではない。

  たとえば、北朝鮮(朝鮮人民共和国)が日本に核兵器を撃ち込んだとしよう。(現実的にはおよそありようがないが・・・。)それは日米安全保障条約体制では想定されている事態だ。アメリカは「損害限定論」をもって、日本の核被害を最小限に止めたとしよう。そして、「ならずもの国家」北朝鮮が二度とこのようなことをしないように核兵器で大量報復したとしよう。そして北朝鮮という国がその国民と共に、この地球上から消え去ったとしよう。それでアメリカは日米安全保障条約に基づいて日本の安全を守ったというだろうか?われわれは安全を守ってもらったということができるか?

 よく考えて見て欲しい。そもそも自国の安全をアメリカに限らず他国に委ねようという発想が出発点から間違っていたのだ。われわれは、憲法の規定がどうあれもう二度と戦争はしない。これは固く固く決めたことだ。だから軍隊もいらない。今まで見たように「抑止力」なるものも実は不確実だ。核の傘は、その実「破れ傘」だ。確かに他国から侵略されないという保証はない。しかしそれは抑止力に保証がないのと同量同質だ。ならば、戦争が起きないような、他国から侵略を受けないような国際的仕組み作りに精出すべきではないか。何より自分の運命を自分で決めることができる。

  「破れ傘」の中で自己欺瞞を延々と続けるよりはるかに意味があり、現実的、生産的ではないか。

  どうだろうか?もうわれわれ日本の市民は、こうした軍国主義者どもの主張に耳を傾けるのは、やめるべきではないか。彼らの主張に無批判でいることはやめるべきではないか?それがいかにアメリカの偉い政治家や理論家や大学の教授やシンクタンクの云うことで、科学的な外観で装いをこらそうが、彼らの主張の多くは、戦前の天皇制軍国主義者の主張とそっくりうり二つなのだ。舶来や唐渡りや南蛮渡りを無批判にありがたがるのはもうやめようではないか。

  そうではなくて、われわれの将来はわれわれ自身が、自分の頭で考えて、真剣に議論し、われわれの運命をわれわれが決めるべきではないか。



核軍事力の規模の決定

 委員会はアメリカの核軍事力の適切な規模の数字を特定して提出することを求められていた。委員会はそれができなかった。数量は多くのこれまで苦心して議論してきたことやこれから軍備管理について議論するような可変的な要素で決まってくる。また核兵器の数量は大統領の選択事項でもある。

 核兵器敞の規模やその属性については大統領がその軍事顧問や政治顧問と密接な協議の上決定すべき事項である。大統領は核抑止力を中心にして全体的な指針を提示する。しかし、危機に対応する核兵器の、目標とする特定の型やどの(規模の)レベルなら自信をもてるかなどは、大統領と国防省との間の広範囲にわたる相互作用の結果として生ずる技術的結論である。これらの決定は、高度に政治的な核抑止力の目標に対する評価、アメリカの大統領を、核兵器を使用すると威嚇することに導くかも知れない環境、使用すると威嚇しなければならない状況を意図的に創り出すような結論、などなどを反映していなければならない。(註128)またこうした決定(核兵器の規模と型に関する決定)は国家安全保障戦略の目的に関する選択を反映していなくてはならないし、同盟国かそうでないかに関わらず、アメリカが他の国と持ちたい戦略的関係の型をも反映したものでなくてはならない。

 必要な目標に関する国防省のアドバイスに基づいて、大統領はいかなる原理で目標戦略を導いていくか、(核)貯蔵の規模などに関する指針を提示する。またこうした決定は、拡大抑止、保証、あるいは(他国に対する核兵器を持たないようにという、あるいはアメリカと対抗しないようにという)説得などに何が必要かという評価をすることによって、十分な情報を手にした上でなされなければならない。

 これまで何年にもわたって大統領は、政治的、軍事的環境が変化していくのに応じてこうした指針を調整してきた。保証や(そうしないようにとする)説得が、重要な要素となりつつある一方で、これらには、これらの目的に合致した必要性に応じていくらの数量の核兵器が必要かを決定する、広く受け入れられる方法論がまだ確立していない。同盟国と、彼らが何を要求しているかに関する見解をより密接に協議することが、重要な第一段階となる。(註129)

 全体的な核貯蔵量の決定は、配備核兵器の数量と共に配備核兵器と非配備核兵器の必要な比率、及びインフラストラクチャーの反応性によってなされる。いったん大統領が、配備しうる(核兵器の)規模を決定すれば、三本柱(triad)及びまた国際的な状況の中で急に報復の必要性が生じたとき素早く実戦配備に回せる「非実戦配備」核兵器の貯蔵、形での防護を維持したいと考えるかどうかを決定する必要に迫られることになるだろう。この問題に関する大統領の決断は、全核兵器貯蔵量は一体どれほど大きくなければならないかという重要な要素を決定することになるだろう。

 委員会の基本的査定は、アメリカの軍事力の規模はロシアを圧倒的に引き離し続けることだというものだ。これはわれわれがロシアを敵だと見なしているからではない。われわれの同盟国があるものが、ロシアを潜在的脅威だと見なしているためであり、ロシアがアメリカを破壊するだけの能力を保持しているためである。地域核大国やテロリストによる攻撃を抑止するためには(註130)、要求される核兵器は比較的穏当なものである。(*ロシアに対するよりも数量は大幅に少なくていい、という意味。)中国を抑止するためには、要求される数量は大きくない。今日、ロシアがアメリカを直接攻撃する事態をありそうなことだと真剣に考える人はいない。あるアメリカの同盟国はロシアを恐れている。アメリカの保証をあてにしている。(註131)アメリカとロシアの戦略的関係におけるバランスと公平さに目をやれば、実戦配備戦略核兵器のバランスの先を思い描くことは重要である。ロシアの非戦略核兵器軍事力は全体の計算の中でとらえられなければならない。それは単にロシアの軍事ドクトリンの中でそしてその国家安全保障戦略の中で明白にその価値を増しているからばかりではなく、このロシアの進展にアメリカの同盟国が明白に憂慮を示しているからでもある。しかし、非戦略核兵器の分野でロシアに対して数量を(同等にしようと)追求する必要はない。ロシアは明らかな通常兵器における劣位を相殺しようとしているだけだ。(通常兵器においてはアメリカ、NATO軍がはるかに近代化が進んでおり、優位にあるという意味。)われわれは、戦略態勢の両方の側面(核兵器と通常兵器)において、究極の目標は戦略的バランスを保つことだということを心にとめておかねばならない。ロシアはこのことを通常にまた常に思い起こさせてくれる。

 このことは追加的(核兵器の)削減にどのような意味を持つだろうか?核貯蔵の大幅な削減はロシアと双務的に、また一定のレベルで、また他の核大国と共に、実施される必要がある。しかし非配備核兵器の削減可能性については、ロシアを待つ必要はない。もし核兵器インフラが更新されるなら、(非戦略配備の核兵器貯蔵に対する)依存や供給や保存核兵器を削減しうる。
アメリカもロシアも核兵器の新規製造をやめて20年近く経過する。聴覚兵器はかなり経年劣化して使い物にならなくなっている。むしろ廃棄や安全化をどんどん進めている。だから勝負は、保存核兵器の数量ではなくて、その更新や新品再生、近代化を実施する能力にかかっている。この点はアメリカが圧倒的に進んでいる。だからこの報告では、使い物にならなくなった核兵器の数量を較べてみても意味はない、といっていると解釈できる。)

註128 このことは核兵器を実際に使用しないまでも、核兵器を使うと威嚇する政策をアメリカが採りうることを示唆している。だから、「核兵器の先制不使用宣言」などは絶対にしないだろう。ここで考えて見なければならないことは「核兵器の使用」(the use of nuclear weapon)の概念だ。「核兵器の使用」とは文字通り核兵器を実戦使用することはもちろんだが、核兵器不拡散条約の精神においては、「核兵器」を使った威嚇も「核兵器の使用」に含まれる。アメリカが核兵器不拡散条約を遵守する姿勢をみせるなら、こんな政策は採りうる余地はないはずだ。
註129 オバマ政権の特徴の一つは、アメリカの核兵器の数や型を決定するに際して、同盟国との協議が必要だと言い出していることだ。結局これは、核兵器保有の幅と数量を確保することの口実に使われている。
註130 「地域核大国やテロリストによる攻撃を抑止するためには」という記述は、アメリカの核兵器理論家や「核抑止論者」が論理的にも破綻していることを示している。「報復を恐れないテロリストたち」には核抑止理論は通用しないと、自ら認めたばかりではないか。報復を恐れないテロリストをどうやって抑止するのか。
註131 「ロシアを軍事的脅威だと恐れているヨーロッパの同盟国」の存在が、また核軍事力の維持と実質的な拡大を行う口実に使われている。グルジアの南オセチア侵攻は、アメリカの軍事的後押しを期待してのことだった。結局アメリカはグルジアを後押ししなかった。そして、「ロシアのグルジア侵攻」という結果だけを引き出した。これだけで十分初期の目的は達したと見るべきだろう。一方、ドイツ領内から核兵器を撤去すべき、というドイツ市民の要求は知らん顔してほっかむりしている。アメリカの核兵器論者は結局「同盟国」から彼らが聞きたいことだけを聞く。


運搬手段について

 これから数年間の間、アメリカの政策決定者は、核兵器の運搬手段をいかに維持すべきかについて、困難で高くつく意志決定に直面することになるだろう。戦略的運送手段の3本柱は維持すべきなのかどうか?

3本柱はtriad。伝統的には大陸間弾道弾=ICBM、海洋発射型=潜水艦発射型弾道ミサイル=SLBM、戦闘爆撃機の3つが、核兵器運送手段の3本柱と考えられている。)

 この3本柱は冷戦時代を通じて、共に極めて高いものについたが、これから数十年間の間、そのすべてが再投資と入れ替えをしていかなくてはならなくなる。「(核兵器の)寿命延長プログラム」(Life Extension Program)はすでに開始されている。長いリードタイム(この場合は着手してから結果がでるまでの期間が長いことを指しているのだと思う。)は、(核兵器の)入れ替え計画が、最初の入れ替えシステムが軌道に乗る前に、10年間それ以上も早くスタートすることを余儀なくした。

 歴史の彼方に今や霞んでいる冷戦時代には3本柱として設計されたのなら、アメリカは今それを維持する必要があるのか?2本柱の方が好ましくないのか?委員会は2本柱の方が好ましいものとして議論をし、見直しを行った。しかし、現在の3本柱の延長を勧奨する。3本柱のそれぞれの「足」にはそれぞれの価値がある。(註131)


爆撃機軍事力は危機における拡大抑止力によって価値が高い。爆撃機の実戦配備は可視的であり、アメリカの関与のはっきりした意思表示になるからだ。爆撃機はまた可能性のある敵が、その航空防衛力に投資する対象としては、大きなコスト的重荷ともなる。
大陸間弾道弾(ICBM)軍事力は、予期される攻撃者に対して、極めて大きい数の核兵器でのみ攻撃を意図することを強いる。アメリカによる壊滅的な対応が確実である一方で、その(攻撃者の)軍事力は相当程度に枯渇する。(うち尽くす)ICBM軍事力は、高い管制力で即座の対応が可能である。そして今見えている将来において、中国を含んで小さい核大国が、アメリカに対して先制攻撃をかけて破壊するような有意味なICBM軍事力をもつだろうという見込みはない。
潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)は、現在のところ最も生存力の大きい軍事力である。ということは、アメリカからの報復を予期せずにアメリカを核兵器攻撃する攻撃者はいないことを意味している。

 三本柱の弾力性や柔軟性は価値が高いということは証明されている。実戦配備の戦略核兵器の数量が削減されていることでもそれはあきらかだ。それら(ICBM、SLBM、爆撃機)はシステム時代(system age)にあっては、またもしそれぞれの「足」の範囲内でのバックアップがシステムが削減されるようなことにでもなれば、その重要性をさらに増すだろうことは約束されている。もし三本柱の一つの「足」が運送手段の技術的問題、あるいは核弾頭問題の結果なくなってしまうとしても、のこりの2つの「足」は依然として信頼できる抑止を提供しうる。

 非戦略核兵器の運送手段についても維持すべきだろうか?2つのタイプ(の運送手段)がある。複機能航空機と巡航ミサイルである。
複機能というのは戦闘能力と爆撃能力の両方をもっていることを指す。また巡航ミサイルは弾道ミサイルと違って、発射後も自力で走行できるミサイルのことを指す。当然長い距離は走行できない。)

 前者は主としてヨーロッパにおける同盟国への拡大抑止に関連しているのに対して、後者はアジアにおける同盟国への拡大抑止に関連している。

 ヨーロッパにおいては、現在の複機能航空機の編隊はこれから10年以内に退役が予定されている。さらに先端的な戦闘機の将来の変形は、F−35あるいは統合攻撃戦闘機だが、その現在の複機能航空機に2016年からの交替が意図されている。NATOの同盟国は複機能航空機の近代化に関与しているし、アメリカも彼らと連携を進めるべきである。最近の国防予算は、確約された生産を予定する形での予算を組んでいない。(註131)

 アジアにおいては、拡大核抑止力は何隻かのロスアンジェルス級攻撃型潜水艦に搭載された核巡航ミサイル−トマホーク対地攻撃ミサイル/核(TMAL/N)に大きく依存している。この能力は、もし維持する段階が取られないならば、2013年に退役することになっている。(註132)アジアにおけるアメリカの同盟国(ここはalliesと複数形になっている。)は、(アメリカの)核計画と一体化されていない。また(ヨーロッパNATOの同盟国とは異なり、アメリカの)運搬システムへの関与を要請されてこなかった。委員会としてのわれわれの作業においては、アジアにおけるいくつかの同盟国がTMAL/Nの退役を非常に憂慮していることが明らかになってきた。

 アメリカの核抑止力の将来に関するこの再検討において、前回報告(委員会暫定報告書のこと)で指摘した問題、すなわちアメリカ国防省(DoD)がその核抑止責任で果たす能力及びそうする事に対する指導力への関与に関する深刻な憂慮のことを想起することもまた重要である。「国防省の核責任に関する全体的運営」に対する深刻な問題は2008年の「国防省核兵器運営に関する国防長官作業部会報告」(註133)で触れまた論議もした。2008年9月、「核抑止技術に関する国防省科学委員会作業部会」もまた同様に批判的だった。

 この委員会もまた、この2つの報告の鋭い指摘(thrust)を支持する。また議会に対してこれら報告を推賞する。また国防長官に対してこれら報告の勧告にしたがって迅速に行動することを主張するものである。

 アメリカは核の三本柱の長期的将来を考慮するものである以上、アメリカはまた産業インフラに関連した一連の問題についても注目しなければならない。

 戦略的抑止の2/3を支えるインフラ、SLBMとICBMは持続していない。もう10年以上も新たなミサイル生産計画はないし、ICBMやSLBMなどの後続計画も決定されていない。暫定的には、アメリカは固形燃料を使ったミサイルの開発計画をもっていない。(現在の所、宇宙発射能力をもつミサイルは液体燃料を使用している。すぐに退役を予定されているスペース・シャトルは例外。)アメリカがこうした種類のミサイルを放棄しないのだと仮定してみると、必要なときには入れ替えをするという選択肢を留保しておく必要がある。海軍も空軍もそのミサイルシステムの「寿命延長計画」が進行中とはいいながら、これらの取り組みは、大きな設計やシステム・エンジニアリングを伴うものではない。さらに、ミサイル駆動装置の多分ありそうな例外を別にすると、これら製造はすぐに終了を迎えることになる。産業界は、統一的にまた彼らが理解しているところでは、専門的な知見や経験は実際稼働する計画と共に維持できるということを強調している。核抑止軍事力が今日訓練できる技倆というものは、何年もの昔に最初に配備されたシステムを持続するのに要求されたもの以下(の技倆)にほとんど関連している。(註134)

 大きな直径をもつ弾道ミサイルの鍵となる部分を持続していこうという特別な取り組みに対する必要性は、1990年以来繰り返し認識されてきた。遠すぎない将来の話ではなく、現在の径においては、戦略ミサイルのためのユニークなインフラは、これから先いかなる新しい計画でも使えないだろうし、あるいは主要な問題に対しても対応しないだろう。配備システムで新たな開発が行われるべきであろう。

 能力(施設と共に人材も)の再構成は、それがいかなるものであれ、何年も何年もかかるものだ。

 この問題の解決策は、産業界でまだ経験の浅い人材に決定的な技術を伝えていくことのできる(開発)諸計画と共にあるし、次世代システム開発を支援する先端開発に対する資金手当てを伴うものであるし、また先端開発によって全部は支えきれない決定的分野を支援する計画を伴うものだ。

 委員会はこの能力の持続への必要性を強調するものである。インフラ持続に関して死活的な、ユニークな技術を保持していこうという決定は、開発計画に対する資金手当てを必要としている。しかし、その開発計画とは全面規模の生産を意味するものではない。

 複機能航空機についても同様にインフラ問題がある。F−35の請負契約業者(製造請負業者は世界最大の軍需産業ロッキード・マーチン社)は、F−35に対して核兵器能力を追加するに際して、その影響を国家核安全保障局(註135)参加の各研究所と評価するように義務づける予算措置が講じられていない。その結果、現在の「B61(註136)核爆弾寿命延長計画」研究は、B61を運送するだけの非戦略航空機としてのみ考えている設計者と意思疎通をするだけの限界に突きあたるであろう。さらに付け加えて云えば、「核の保証」(nuclear surety)(航空機が核兵器を要求される安全、保障、統御に対応しての運搬を保障すること)と結合するような新たなアプローチの考慮も遅延するだろう。歴史的に云えば、運送システムの基本設計のあと「核の保証」を付け加えようとすれば、極めて大きな、しばしば禁止的なコストが発生する。今日、近代的なデジタル技術は、全く別な非核兵器能力をもつ航空機標準に「核の保証」を「追加」することができるかも知れない。この構想の背後にあるコンセプトは、実際のシステムを実地的に探求することでしか、発展させられることができない。そのような見込みは、F−35やB61爆弾寿命延長計画研究のための核能力を技術的に処理するのと同時にすぐ発生しそうだった。F−35に対する資金手当てが遅延したことは、この新たなコンセプトの探求を阻んでしまった。そしてコストが大幅に上がってしまった。(註137)

 アメリカが、未来に向けてその戦略軍事力の計画を開始するに際しては、インフラと核抑止技術に関する憂慮に目を注いで、計画とその進行過程との関連性を強化していくような段階を取るべきである。競争力のある評価過程では、計画とその進行過程を特に注意しておかねばならない。抑止力のひとつひとつの要素は、分析家のチームがそれぞれ競い合うことによって厳重な査定をすることから、その利益を引き出すことになろう。そのような競争的査定を行う組織はアメリカ戦略軍(註138)と国家核安全保障局がその責任をもつべきである。しかしそうした作業にはそれぞれのプロジェクト事務局、主要なシステム請け負い業者、国家核安全保障局およびその他の部局の専門家なども巻き込むべきである。これらのチームは、設計、製造、統合性、飛行テスト、現場運営などを価値評価すべきであろう。究極的な目的は、アメリカの核抑止力の一つ一つの部分的要素をお互いに競争しながら見直しつつ、統合の成果を発揮することである。

 委員会は、命令指揮、統制、意志疎通などの見直しはしていない。それらはアメリカの有する戦争抑止手段のそれぞれ重要な要素ではある。しかしそれらは、またそれぞれの分科委員会の下に置くべき事柄でもある。

註131 「二本柱」の方が好もしいといいながら、最初から「三本柱」(triad)を結論としてもっていたかのようである。それが証拠に「二本柱」に関する議論の跡は全くないし、次の三本柱の得失に関する記述も、先に結論を決めておいて、後からつけた理屈のような説明である。
註132 「アジアにおいてはロスアンジェルス級潜水艦の搭載するトマホークにその拡大抑止を依存している。」という記述はどうであろうか?アメリカ科学者連盟の核情報プロジェクト」のディレクター、ハンス・クリステンセンによれば、現在300ほどアメリカが保有しているトマホーク・ミサイルは実際には、どの潜水艦にも常時装備していないそうだし、また太平洋における拡大抑止は、常時太平洋を遊弋している8隻のオハイオ級攻撃型潜水艦に常時搭載されているトライデントU型弾道ミサイルがその任を負っているという。ここの記述よりもハンス・クリステンセンの主張の方がはるかに説得力がある。ここでわざわざトマホークミサイルのことを持ち出したのは、結局「日本の要求」によって退役させないことの理由付けとしか思えない。(「日本、トマホークそして拡大抑止」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/USA_SP/
strategic_posture_etc02.htm>
を参照の事。)
註133  2008年、「核抑止技術に関する国防省科学委員会作業部会」:原文は“the 2008 Report of the Secretary Defense Task Force on DoD Nuclear Weapons Management”。空軍の核ミッションに関する作業部会報告のことを指していると思える。この委員会の副委員長でもある元国防長官のジェームズ・シュレジンジャーが委員長だったため「シュレジンジャー報告」と呼ばれることもある。(<http://www.defense.gov/pubs/phase_i_report_sept_10.pdf>
註134 1990年以降、アメリカは新たな核兵器開発やミサイル開発を行っていないため、産業界に、現場経験や現場技術を持つ人材が少なくなり、技術の継承がむつかしくなって来ていることを心配している、という意味である。委員長のウィリアム・ペリーは特にこの点を憂慮しており、もっと具体的な形で「委員長緒言」の中で触れている。
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/USA_SP/
strategic_posture_2.htm>
註135 国家核安全保障局:the National Nuclear Security Administration-NNSA。エネルギー省傘下の部局であるが、アメリカの核兵器政策の具体的政策執行行政組織。核兵器の開発研究・製造、貯蔵や近代化などに責任を負っている。ペリーは、このNNSAにもっと自律性をもたせて、大統領直属の組織にすることを提案している。(「国家核安全保障局について」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/obama_21.htm>を参照のこと。)
註136 B61核爆発装置:1960年代から80年代まで断続的に製造された核爆弾。モデル0からモデル11までのファミリーがあり、今でも現役実戦配備されている。2011年オバマ政権の予算では、このB61など3ファミリーが、近代化(精密兵器化・新品再生)の対象として予算要求されている。
(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/obama/USA_SP/
strategic_posture_2.htm
>、
http://en.wikipedia.org/wiki/B61_nuclear_bomb>を参照の事。)
註137 F-35:ロッキード・マーチン社の開発した統合打撃型戦闘機。2012年からの実戦配備が予定されている。現在コストで1機8300万ドル。オバマ政権は2010年F―35の開発に1年間で69億ドルの予算を組んでいるほどの大型プロジェクト。
(「アメリカの軍事予算 2010年」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/10.htm>

<http://en.wikipedia.org/wiki/F-35_Lightning_II>
を参照の事。)
註138 アメリカ戦略軍:U.S. Strategic Command。「第二次世界大戦での広島、長崎への原子爆弾投下を皮切りにアメリカ軍は核攻撃能力を保有することとなった。その後、核攻撃の指揮系統は、空軍や海軍に分散していた。冷戦終了後、戦略爆撃機および大陸間弾道ミサイルを保有していたアメリカ空軍戦略航空軍団と海軍の弾道ミサイル搭載潜水艦部隊を統合指揮するために発足した。部隊の目的は、核の反撃能力の保持による核抑止力・敵ミサイル攻撃の防御・早期警戒である。部隊の維持管理・部隊編成・兵器購入は通常空軍・海軍が行い、作戦立案・指揮系統を戦略軍が受け持つ。1992年に発足。2003年にはアメリカ宇宙軍も統合し、早期警戒任務も加えられた。」(日本語Wiki<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1
%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%88%A6%E7%95%A
5%E8%BB%8D>)


結論的見解(Findings)

1. アメリカの核態勢は、実戦配備戦略核兵器、前線配備戦術核兵器、戦略核兵器運搬システムの3本柱、前線配備核兵器(戦術核兵器)の運搬システム、実戦予備保存用核弾頭の貯蔵、核弾頭用核分裂物質の貯蔵、それらに関連した命令指揮系統、統御、情報システム、これら能力を製造するための関連したインフラストラクチャー(施設やソフトウエア、人的資源を含む)など多くの構成要素から成り立っている。
2. アメリカの戦略態勢にとって必要な核兵器のもっとも適切な数量はない。それは大統領から発せられた複雑な意志決定プロセスの中から決定されるべきである。それを決定するには戦略的文脈が精査されるべきである。政府の最も高いレベルでの政治的判断が必要である。異なる軍事的規模に関連した数量は戦略的文脈の中で設定されなければならない。
3. 全体的な態勢を定式化するに当たっては、アメリカは幅広い核抑止の概念を採用しなければならない。拡大核抑止力及び(そうしないようにとの)説得、不確定要素に対する防護措置は態勢の意味するところに従って設計される。
4. アメリカの軍事力の規模は圧倒的にロシアを凌駕していなくてはならない。地域核大国やテロリストからの攻撃を抑止するためには、要求される核兵器は比較的中量で構わない。中国を抑止するのですら大きな数量は必要ない。現在のところ、誰もロシアがアメリカを直接に攻撃することをありそうなことだと考えるものは誰もいない。ロシアに近接するアメリカの、幾つかの同盟国の中にはロシアに恐れを感じアメリカを(その安全を)確証するものとして見なしている。
5. アメリカは核兵器に対する依存を減らし、その貯蔵規模においてさらなる削減を行ったとしても、もしアメリカの軍事力の弾性や生存力を保持するならば、その安全保障性は維持しうる。非配備核兵器のかなりな貯蔵削減は、ロシアと双務的に行う必要はない。また一定程度までのレベルを維持するなら、他の核大国のあいだも同様である。またあるレベルでの前向きな非戦略核兵器の削減もロシアを待つ必要はない。アメリカはその核兵器への依存や保存核兵器、あるいはその供給についても、その核兵器インフラの更新さえするなら、削減しうる。

勧告(原文中見出し)

1. 核軍事力の構造は、多様な一連の国家的目的に対応してその規模を整え(そして整備し)るべきである。これは高いレベルでの戦略的文脈の精査を必要とする。配備核軍事力の削減はロシアとの双務的協定を基礎に行うべきである。
2. 核抑止への考慮は、幅広く定義し、次の世代のアメリカの戦略態勢の発展を知悉すべきである。
3. 戦略運搬システムの3本柱は価値を持ち続ける。核の3本柱のそれぞれの「足」は、安定に対してそれぞれ独自の貢献をなす。全体核軍事力が縮小するにつれ、それぞれの独自の価値はさらに際だったものとなろう。
 4. アメリカは非戦略核兵器の運搬システムの能力もまた同時に維持すべきである。そしてそれをするに際しては、ヨーロッパとアジアにおける同盟国と密接な協議を行うべきである。
 5. 軍事力態勢の設計や軍備管理は安定性を維持し、その中心目的としてアメリカの信頼性を維持すべきである。
6. 運搬システムを支援するインフラの継続的活力を確保するために段階的に進めるべきである。