(原文:http://www.doug-long.com/stimson2.htm )
(スティムソン日記の註)

1945年4月25日
大統領に「原爆計画」の詳細を説明



ハリソンはジョージ・ハリソンでニューヨーク生命保険会社の社長。この時はスティムソンの顧問で陸軍省における片腕。バンディはハーベイ・バンディでスティムソンの補佐官。後に活躍するバンディ三兄弟の父。「S-1」はマンハッタン計画、または原爆のこと。

 「私は今日の午前中の前半、ハリソンとバンディと一緒に、昨日バンディと共に下書きしたS-1に関する短いメモランダムを見直しをして過ごした。私はまたそのメモランダムをマーシャル(陸軍参謀総長)に示し、入ってきたグローブズにも示した。最終的に全員が承認して、それを脇へ下げて、一仕事終わった。」

このメモランダムは興味深い。「 トルーマン大統領へのヘンリー・スティムソンのメモランダム 1945年4月25日」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/stim-memo/stim19450425.htm>を参照の事。このメモランダムでは、暫定委員会設立の提案をしている。その目的は、近い将来の、あくまでこの兵器の国内的及び国際的管理の問題であり、将来の核兵器競争やそれに失敗した場合の人類の破滅の可能性にも言及している。さらに重要なことはマーシャルやブローブズもこの見解に賛同していると云うことだ。この兵器を対日戦争で使用して戦争を終結するかどうかなどという点は一切論じられていない。

  「私は、正午にS-1に関するホワイトハウスでの大統領との会議に向かった。グローブズ将軍はそこで私と落ち合うことになった。しかし彼は秘密の道を通らなければならなかった。というのはもし、今や毎朝大統領控えの間にたむろしている大勢の新聞報道陣がもしそこでわれわれ2人一緒のところを見れば、彼らは私が何の用事で大統領に会いに来たかについて間違いなく勘ぐるからだ。だから、グローブズの幕僚秘書官の(フランク)マッカーシー大佐が、大統領の近くの部屋に通ずる地下通路をグローブズ将軍が通れるようにアレンジした。そして私と大統領の会談がうまくいくまでそこで待機した。会談は全く順調だった。最初に私は昨日と今日書いておいた文書を大統領に見せた。それはS-1働きの政治的視点に関するものであり、多くの人々に絡んだ問題に関するものである。彼は注意深くそれを読み大いに興味を持った。それから私はグローブズ将軍と彼の製造運営に関する話の方へ進めていった。グルーブズと私、それからこの報告で大統領にこの問題を説明した。大統領は(報告書を)一部取り、残りはわれわれが取った。そして一通り読んだ後で、家rの質問に答えた。そして彼にこれまでの経過すべてを話し、それがもたらす問題について話した。実際のところ私はこれが彼の関心をとても引いたと思う。彼はこの問題にとても上機嫌だった。彼は、彼がトルーマン委員会の委員長だったとき、この計画に話が進むのを私が拒否したことを覚えていた。かれはこの計画を調査していた。そして私がその時取った道筋(すなわち説明の拒否)以外、私が説明できなかった理由を今よく理解できるといった。」

上院トルーマン委員会は軍事支出に関する調査委員会でトルーマンが委員長を務めた。副大統領は上院の議長を務めることになっている。)

  「45分ほど大統領と過ごした後、私はホワイトハウスを辞した。私は今朝の面談についてハリソン、バンディと話をした。2人とも大きな進展だったと思っているように見えた。私もそう思う。」