(原文:http://www.doug-long.com/stimson2.htm )
(スティムソン日記の註)

1945年5月3日
暫定委員会が完成



ハリソンはジョージ・ハリソンでニューヨーク生命保険会社の社長。この時はスティムソンの顧問で陸軍省における片腕。バンディはハーベイ・バンディでスティムソンの補佐官。「S-1」はマンハッタン計画、または原爆のこと。「S-1」はマンハッタン計画の暗号名、または原爆のこと。

  「S-1に関して、ジョージ・ハリソンやバンディと1日中いくつかの会議をもった。そして大統領に電話して、私が昨日大統領に会った時、大統領に告げたS-1に関する委員会のそのポジション(すなわち暫定委員会における大統領の個人的代表を占めるポジション)には、ジミー・バーンズがいいのではないか、といった。そして午後遅く、大統領が自分自身で私に電話してきて、私の助言について聞いたこと、そしてそれでいい、といった。彼はすでにサウス・カロライナにいるバーンズに電話をしており、バーンズは受諾した。だから私の委員会はこれで完成した。バンディとハリソンもこのバーンズ案を聞いて、大喜びだった。(tickled to death)そして今や、S-1で計画されるべき沢山のことを準備する仕事に取りかかることが出来る。」

  「1時にフランクフルター判事(フェリックス。最高裁判事)が訪問客としてみえた。彼は私の面会予約をしており、とても重要な要件だといった。彼がその要件を明らかにした時、いやはや、驚いた(by Jingo)、それはS-1に関する話だった。それを彼は、ロンドンで接触のあったデンマークの科学者から教えてもらった。そしてその科学者は今アメリカにいるという。」

 ( この科学者はニールス・ボーア。当時ボーアはマンハッタン計画に参加しており、ロスアラモス研究所にいた。) 

  「フランクフルターはS-1の問題をルーズベルト大統領とも話したことがあり、相当詳しい知識を持っていることも知った。彼はまさしくここ2−3日私が思い悩んできた問題で、最後には暫定委員会を指名することになった問題と同じ問題を心配していた。彼は、われわれがいかにこの問題を上手に扱っているかを知って救われた。」