(原文:http://www.doug-long.com/stimson8.htm)
(スティムソン日記の註)

1945年7月22日
一変したトルーマン



 9時30分、トルーマン大統領を訪問した。
その日はロシアとの関係を反映した私の書類を残した。
私は彼にこの書類はあくまで公式なものではないと言っておいた。
私の考えも熟していないが、あくまで私が正しいと信じている分析であり、こうあって欲しいと私が思っている計画である、といった。
理解を深めるために彼はみたいと云ったので、その書類を残しておいて今朝引き上げた。
彼は読んだ、賛成だ、といった。

 また、私はハリソンから来た2通の電報についても議論した。
予定が早められていることに対して、彼は非常に喜んだ。
特別投下目標(京都)に関しては、私が許可を拒絶したのだが、彼は強く私に確認をし、彼も同じように感じている、と述べた。

 10時40分、私とバンディは再びイギリス本部を訪問して、首相(チャーチル)とチャーウェル卿と1時間以上も話をした。
チャーチルはグローヴズの報告を完全に読んだ。
彼は昨日の3巨頭会談の時に気がついたこととして、何かが起こってトルーマンが極めて強硬になったこと、ロシアに対して威勢良く、また決定的な態度で対峙したこと、またロシアが受け容れがたいような要求に関しても断固としており、またアメリカも真っ向から対抗しているような、そういう態度になったことにも気づいた、と私に云った。
チャーチルは、「今はトルーマンに何が起こったか、私にも分かるよ」と云った。
この報告を読んだ後、会談に臨み、トルーマンは一変した。
トルーマンは、ロシアに対してあれこれ指図する様な物言いになり、会談全体の決定者のようにものをいうようになった。
チャーチルは、トルーマンがいかに突然元気づいた(pepping up)か、よく分かるし、チャーチル自身も同じように感じる、と私に云った。
彼自身の姿勢も同じようなったとチャーチルも云った。
チャーチルは今やこれに関する情報をロシアに出そうかどうしようかと心配しなくなっただけではなく、ロシアとの交渉で優位に立てるようにこれを使ってやろうかと傾きかけてさえいる。
われわれ4人の気持ち(チャーチル、スティムソン、バンディ、チャーウェル卿)は、最低限、この仕事(原爆の開発のこと)にわれわれが従事してきており、もしそれが成功裏に終わったら、使用するつもりだ、ということをロシアに云った方がいいという思いで、一致していた。

(スティムソンは、3巨頭会談に出席することを許されていなかった。
しかしチャーチルが感じたように、大統領が一変したことに気がついていた。
スティムソン付きの武官、ウイリアム・カイル大佐は22日の彼のノートに、「長官の大統領訪問はとても良かったようだ。長官はトルーマン氏が最初に一緒にベルリンに来たとき以来、相当変化した、と私に云った」と書いている。)