(原文:http://www.doug-long.com/stimson8.htm)
(スティムソン日記の註)

1945年7月21日
原爆実験成功の詳報


 (トルーマンは原爆を、ソ連との交渉のカードに使うべく、ポツダム会談を2週間以上延ばした。
そして目論見通り、会談の始まる前日アラモゴードで原爆実験は成功する。
すでにポツダムに到着していた、トルーマンもバーンズも、そしてスティムソンも、ワシントンからの実験詳報を待っていた。スティムソンはこの日記をポツダムで書いている。)


 11時35分、グローヴズ将軍の特別報告が、特別クーリエによってもたらされた。
それは驚くべき強力な文書だった。明確で良くできており、われわれを支える文書として最高度の重要性をもっていた。
実験の大きな成功に関する完全で雄弁な報告書であった。
予測していたよりS−1は、はるかに大きな破壊力を持っている。
できるだけ早い時間に大統領に会えるよう面会を申し込んだ。それは3時30分だった。
 3時に統合参謀会議から戻ってくるマーシャルを見つけ、彼の宿舎に急いだ。グローヴズの報告をマーシャルに読ませ、それを確認させた。

 それから、リトル・ホワイトハウスに行って、トルーマン大統領に面会した。
私はバーンズ長官も呼び入れることを求め、その報告書を読み上げた。
それから議論した。2人ともこの上ない喜びようである。大統領はその報告書でみるみる元気づいた。面会の間中、何度も何度もそのことについて私に語った。
彼はその報告書で完全に自信をつけたといった。そして私にポツダムに一緒に来てくれて、このような形で助けてくれてありがとうといった。

 それからリトル・ホワイトハウスを辞去し、バンディ(陸軍長官補佐官)を連れ出して、首相(チャーチル)の宿舎へ向かった。
そして、彼とチャーウエル卿(チャーチルの側近)にこの問題を確認した。
私はチャーチルに報告書を手渡し、彼は読み始めたが5時ちょっと前に中断した。
5時から3巨頭会談が始まるので、そちらに急がなければならなかった。
彼は翌朝までに読みあげておくから明日その報告書を返却したいと依頼した。

 夜10時半ごろ、2本の電信がハリソンから到着した。
電信は原爆は予定より早く使用できるという内容だった。
それからハリソンは要請している案件のうち、私の決定を覆して欲しいという内容の電文だった。
 (この案件というのは、京都への原爆投下だった。グローヴズは京都を、原爆投下の第一目標としたい、としていたのである。)
 私は返電を打って、云った。決定を覆すだけの新しい要素は何もない。
逆にそちらに新要素があるなら、確認したい。

(スティムソンは京都を、第一投下目標とすることに反対し続けた。)