【世界各国の基礎データ】および【アメリカ経済】
(2010.11.12)
<参考資料>中国格付け会社「大公国際信用評価」、アメリカを2ランク下げる アメリカ経済に対する「臨終宣告」にも等しい報告書 第1回
 

根本的なアメリカ経済批判

 2010年11月10付けの外交問題評議会からのメールマガジンを見ていたら、「環太平洋」地域のニュースとして「中国格付け機関、アメリカ負債格付けを下げる」(PACIFIC RIM: Chinese Credit Agency Cuts U.S. Debt Rating)という記事が出ていて、11月9日付けの新華社電(北京発)が引用してあった。(<http://news.xinhuanet.com/english2010/business/2010-11/09/c_13599002.htm>)

 私はやっぱりそうかと思った。この中国格付け機関というのは大公国際信用評価有限公司で、この7月に世界50カ国を選んで、国家信用(国債)の格付けを発表したばかりだが、その中でアメリカの格付けは、「AA Negative」(私はAA弱含み、とした。「中国、各国国債を格付け」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/world_data/china2010_1010.html>を参照の事。)となっており、私は随分甘い評価だな、と思っていたからだ。2ランクぐらい下げても当然と思いつつ、今度は「大公国際信用評価」のサイトに飛んで確認してみた。(<http://www.dagongcredit.com/dagongweb/index.php>)再格付けの理由についても知りたかった。

 そこに掲載されている格付け報告(<http://www.dagongcredit.com/dagongweb/english/index.php>からPDFファイルでダウンロードできる。)を一読して驚いた。

 格付け報告というよりも、根本的なアメリカ経済批判になっており、本当は中国はアメリカ経済をこのように見てたんだな、世界経済の混乱を恐れて言わなかっただけなんだな、と思った。そしてこの11月初旬のアメリカ連邦準備制度(以下Fed。日本でいうFRB)のいわゆる「量的緩和政策」(それは事実上、ドル大量発行によるドル借金踏み倒し政策である。)に堪忍袋の緒が切れて、この発表になったのだ、と思った。また2009年にこの会社が設立されたいきさつから見て、ここでの見解は中国の公式見解とみなしていいのだと観じた。

 そこでこの報告書をしっかり読んで見ようと思った次第。(文中『 』は報告書の引用である。)

 この報告書はまず、2010年11月付けでアメリカの国家信用(Sovereign Credit。要するに国債のこと。)を現地通貨においても外国通貨においても「AA弱含み」から「A+弱含み」に格下げすることを宣言する。

 同社の格付けヒエラルキーは、最高が「AAA」、それから「AA+」、「AA」、「AA−」、「A+」、「A」、「A−」、「BBB」・・・のランクとなり、それぞれのランクが「安定」「弱含み」の評価があるから、「AA」から「A+」への評価替えは2ランク格下げとなる。あるいは「安定」「弱含み」も一種のランクだと考えれば、「AA−安定」、「AA−弱含み」「A+安定」を飛ばしているので4ランク格下げという見方も出来よう。

 格付け表をご覧いただければわかるが、「A+弱含み」といえば、エストニア「A+安定」、ロシア「A+安定」、ポーランド「A+安定」などよりも下にランクされることになる。

アメリカは負債返済の意図があるのか

 さてその理由である。前文的パラグラフでいきなり次のようにいう。

この格下げは、悪化する負債返済能力とアメリカ政府の負債を返済していこうとする意図のドラスティックな低下を反映したものである。(drastic decline of the government’s intention of debt repayment.)

 返すつもりがあるが返せない、返す能力がない、というのはやむを得ないとしても、この報告書は、アメリカ政府には負債を返済する意志がそもそもない、その意図をドラスティックになくしている、と断じている。

 なぜ、この報告書はアメリカに借金を返すつもりがなくなりつつある、と断ずるのか?(実はもう2年も前からインターネットの世界では公然とこの議論がなされていた。)

アメリカの経済発展モデルおよび経済運営モデルにおける深刻な欠陥は、アメリカの国家経済を長期にわたる不況に至らせ、基本的にアメリカの国家信用を下げるに至らしめている。

アメリカ連邦準備制度による一連の「量的緩和」(quantitative easing)政策はアメリカドル切り下げの明らかな傾向をもたらし、アメリカにおける信用危機の深化と継続をもたらしている。』

 元が論文調なので私もついそれに引きずられているのだが、要するに、ドルを過剰発行してしまっていることが、ドルの価値を下げているばかりでなく、アメリカで一向に解消しない「信用危機」を長引かせているばかりか、さらに深刻化させている、といっているのだ。

 それは、基本的にはアメリカの「経済発展モデル」とそれを支える「経済運営モデル」に根本的な問題があるといっているのだが、それではアメリカの「経済発展モデル」とは一体何か?という事になる。それは後で具体的に分析され、手厳しく批判されているのだ、ともかく―。

そのような動きは、完全に貸し手(the creditors)の利益を侵害しており、アメリカ政府の負債返済の意図の低下を示している。』

 借金を解消するには基本的に2つの方法のどちらかしかない。

1. 一生懸命働いて稼いで収入を増やし、出費を抑えて手元に余剰金を残し、そこから返済すること。
 2. どんな手段をとってもいいから、踏み倒すこと。

 アメリカが今行おうとしている「ドル安政策」を「通貨戦争」だと捉えている人には、この報告書が述べていることは到底理解できないだろう。現在発生していることは「通貨戦争」ではない。アメリカ政府による「ドル借金踏み倒し」だ。

通貨切り下げでは危機は解消できない

 この報告書は、アメリカ政府は「踏み倒し」を行おうとしている、と述べている。しかしどんな手段を使って「踏み倒し」をしようとしているのであろうか?

分析は、アメリカが現在直面している危機は、究極的には通貨切り下げでは解消できないことを示している。それどころか、全般的な危機が、「貸し手」の意志に反するアメリカ・ドルを継続的に切り下げようとするアメリカ政府の政策によって、その引き金を引かれるかも知れない。』

 ここで言う全般的な危機とは何を指しているのか?それは言うまでもなく、現在好調な新興国(中国、ロシア、インド、ブラジルなどのBRICs諸国、成長著しいインドネシアなどの東南アジア諸国、イラン・トルコなどのイスラム諸国)や次世代の世界経済を担うとみなされるアフリカ諸国までも巻き込んだ世界的な経済の大混乱を指しているだろう。

 そしてこの報告書は自身の立論の正しさを大きく4つの視点から眺めて立証しようとする。その第1点目が次の視点である。

「1.アメリカ政府は、グルーバルな戦略的視点から、自身の国家経済発展モデルおよび経済運営モデルを今もって反省していない。そのことは経済発展における受動的な状況を根本的に変えることを極めて難しくしている。」

金融危機発生の後、アメリカ政府は危機救済と経済回復の目的をもった一連の政策を採用した。

例えば、政府は不良資産を直接購入し、金融機関や危機に手ひどくやられた実体的な企業に資本を注入した。社会保障、教育、エネルギー分野に対する投資を増やした。低所得層や中間階層家庭に対する税率を下げた。金融監督の仕組みを調整した。等々である。

その効果を振り返ってみると、政府の努力はほとんど成功していない。初期の期待からすると失敗である。“信用危機”(The credit crunch)は依然として進行しており、さらに深まってすらいる。』

 念のため、ここで云う「信用危機」と「金融危機」とは似ているように見えるが、違う。金融危機とは、誤解を恐れずに言えば、金融機関が危機に直面することである。信用危機とは、お互いに相手を信用できずに「信用」(credit)を与え合わないことである。実体経済社会における信用創造ができないことである。この報告書の書き手は“信用危機”(The credit crunchまたはThe credit crisis)をそのような意味で厳密に使っている。金融の立場から言えば金融危機の方が深刻かも知れないが、家計経済の立場から言えば「信用危機」の方がはるかに深刻である。

通貨危機の段階に来ている

信用危機のたどる進展過程は、負債危機(金が借りられなくなること)、経済危機、通貨危機、全般的危機であることを示してきた。現在のところ、アメリカの信用危機は、通貨危機の段階に発展している。

国家危機を救済するため、アメリカ政府は、あらゆる犠牲を払ってドルの切り下げを行うという極端な経済政策に救いをもとめた。そしてこのことは、国家経済における発展モデルおよび運営モデルの中に深く根差した問題を露呈することになった。

アメリカ政府は、“信用危機”の淵源、そして近代信用経済における発展的法則を理解することに失敗している。そして伝統的な経済運営方法の思考態度に拘泥している。そのことで。アメリカの経済発展、社会発展は長期の景気後退の段階に入るだろう。アメリカ経済が復活する適切な径をアメリカが見つけるのはむつかしいだろう。』

 アメリカの「経済発展モデル」、「経済運営モデル」とは何かという問題は、今おくとして、これらに対する深刻な反省と克服がない限り、アメリカ経済の真の問題は発見できないし、アメリカ政府(オバマ政権)は、アメリカ経済再生の径を見いだすことはむつかしい、とこの報告書は指摘している。その具体的中身はこれからおいおい触れることにして、私の興味は、これがアメリカ経済を誰が支配しているのかという問題とその支配者が没落して別な支配者(これはアメリカ国民、と考えてもいい。)が登場すれば、解決できる問題なのか、と言う点である。いや、話を混ぜ返すのは、今、よそう。

この判断を裏付ける主要な証拠は以下である。

第一に。

信用拡大政策(より具体的には、量的緩和政策に代表される厖大なドル通貨市場供給政策など)は、アメリカの経済的ファンダメンタルズ(経済基盤といってもいいだろう)と経済的メカニズムの両方を変えてしまった。アメリカにとって「信用拡大」は経済発展のエンジンとして、基本的国家政策である。』

 アメリカはもう産業国家ではない、金融国家だ、それがアメリカの基本的国家政策だ、とこの報告書は云っている。それはいつ頃からなのか?2007年アメリカの総労働力人口は1億5500万人だった。この年、アメリカの平均失業者数は700万人だった。従って就業者人口は約1億4800万人だった。その時すでにその就業者の内訳は、【経営・専門職(35.5%)】、【技術・販売・管理補助職(24.8%)】、【サービス業従事者(16.5%)】、【製造業・鉱業・運輸業・手技職従事者(24%)】、【農業・林業・漁業従事者(0.6%)】だった。

 2010年公式統計による失業者は、6月度で1460万人に達している。しかし就業者の構成に大きな変化があるとは思えない。
 
 2007年アメリカのGDPは、13.64兆ドルだった。その産業別内訳は 【農業(0.9%)】、【工業(20.6%)】、【サービス分野(78.5%)】だった。
 
 この報告書の云う「アメリカの経済的ファンダメンタルズ」・「経済的メカニズム」が劇的に変化したのはいつなのだろう?逆にいうと「信用拡大政策」がアメリカの基本的国家政策になったのはいつ頃なのか?

借金関係が基本的経済関係

高度に発展した国内信用政策の結果、「貸し手」と「借り手」の信用関係は、社会構成員の間の基本的経済関係となった。』

 これは企業と金融機関、金融機関と金融機関との「信用関係」を思い浮かべるよりも、むしろクレジット・カード決済システム、住宅ローン、自動車ローンなどを思い浮かべる方が適切だろう。(クレジット・カードによる信用創出、住宅ローンによる信用創出、自動車ローンによる信用創出は一体どれくらいの額にのぼるのか?またこの信用政策はそのまま日本に当てはまりつつある。GEが金融会社に変身したのはいつ頃なのか?ソニーが金融業に進出したのは確か盛田昭夫が生きていた頃だ。)

これに加えて、国際的な信用システムは、これはアメリカを中核とするのだが、国際的な信用拡大を基礎において構築されていった。そして国際的な信用関係は、アメリカと他の国際社会のメンバーとの基本的な経済関係となった。』

 これは、とりもなおさず「信用関係」を中心とする「世界のアメリカ化」だ。これがアメリカによるグローバリゼーションの本質なのだろう。

このようにしてアメリカの経済基盤は変化していった。そして「信用関係」は経済発展および社会発展の支配的駆動力となっていった。信用関係のパラドキシカルな動向は、アメリカの経済的、社会的発展を決定した。』

 ここでいうパラドキシカル(逆説的)動向というのは、恐らく信用関係を駆動力に発展を見せれば見せるほど、経済を、社会を空洞化していく、破壊していく、という意味のことだろう。もし信用関係が真に発展の原動力になるなら、その信用関係は実体経済に基づいてなければならない。もし、アメリカの主要な「信用関係」が仮想経済(虚業)に基づくものならば、それは一種の「花見酒経済」とならざるをえない。真の付加価値創造が行われていないからだ。

「信用」の酷使のために、1985年にはアメリカは純負債国となった。以来、その経済および社会活動は、完全に厖大な量の負債を基礎としてきた。「貸し手対借り手」関係の地位は、アメリカ経済の発展モデルやその成果に影響を与えたばかりでなく、国が経済体制を選択する基盤を形作り、戦略的選択を決定する基盤を形作った。』

 かくて、アメリカは借金国家となり、「借金国家の、借金国家による借金国家のための政治」と国家戦略を展開することとなった。

倒錯した「信用市場」

信用拡大はまた、アメリカの「信用需要」(credit demand)のメカニズムを形成し、市場は信用需要を創出する支配的力となった。』

 つまり信用需要があって、それが信用拡大を実現するのではなく、全く逆に、信用拡大を実現するために信用需要を創出することになった。信用市場はそのための支配的力として働いた。これは「信用市場の倒錯」、あるいは逆立ちした「信用市場」と呼ぶべきだろう。(だんだん誰かさんの口調に似てきたなぁ。ヤバイなぁ。)

「社会的信用」(social credit)のアメリカによるグローバリゼーションは高いレベルに達した。その30%は国外資本からやってきている。それゆえ、通貨供給や利子率といった通貨政策的手段を通じての社会的信用需要を調整する国家的能力は大幅に弱体化している。』

 全く偶然だろうが、アメリカの財務省証券(国債)に占める国外保有者のシェアは、2009年6月末についに30%に達して、以来それを切ったことがない。(「財務省証券(アメリカ国債)の保有者」<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Economy_of_the_US/05.htm>)

信用需要のメカニズムの形成における変化は、基本的に経済における市場の支配的役割を強化してきた。そのことは、社会的信用関係志向型の市場(これは先ほどの逆立ちした市場という意味に解釈していいだろう。)は、アメリカの経済的・社会的発展に100%の影響を与えるだろう。

アメリカにおける「信用関係」の地位(the status)は、その経済構造に影響を及ぼす実際価値(仮想価値でなく)を創造する、国の力を抑制する。大きな負債の重荷は、それは実際の負債を返済する能力をはるかに超えているのだが、国家機関(the state apparatus)をして、実体経済による価値創造の速度を越える形で国の資本需要を満たそうと強制する。』

 何ともわかりにくい言い回しだが、アメリカの大きな借金そのものが、アメリカの実体経済が産み出す新たな冨をはるかに越えてア、メリカの資本需要を満足させようという政策を、国家機関、この場合は連邦政府、もっとわかりやすく云えば、オバマ政権にとらせている、という事だ。(大統領オバマはアメリカの支配層に使い捨てにされるかも知れないな。)

いつまで「ニューノーマル」が続けられるか

仮想経済(!。virtual economy)の過剰拡大は、アメリカのおける「信用関係」のパラドキシカルな運動の結果である。』

 ここで「信用関係」といっているのは、「経済的信用」を媒介とした「人と人の関係」と解釈できるだろう。「パラドキシカルな運動」とは、前述の通り、拡大発展させようと運動体が動くと、主体そのものを破壊してしまう、そのような運動のことだ。つまり仮想経済(アメリカの金融経済は仮想経済そのものである。ニューヨーク証券市場の株価は投機を反映しているが、今や実体経済を反映するものではなくなった。先日テレビで寺島実郎が、アメリカ経済は回復基調にある、ニューヨークダウも上がっている、といっていたが、馬鹿げた話だ。)が自己増殖しようとすればするほど、実体経済を壊していく、そのような運動のことを指しているのだと思う。

 数学の世界で虚数(imaginary number)という概念がある。「2乗した値がゼロを超えない実数になる複素数」と定義される。全く役に立たない想像上の概念かというとそうでもなく、信号処理、制御理論、電磁気学、量子力学、地図学等の分野を考えるには必要な概念なのだそうだ。虚数もまた必要だ。しかしこの虚数が「実数」づらをして、実数の世界にしゃしゃり出たら、どうだろうか?数学は大混乱に陥る。アメリカの仮想経済はちょうどこの実数の世界にしゃしゃり出た「虚数」に似ている。

このように、大公国際信用評価(以下大公)は、アメリカにおいて信用拡大政策が手つかずに残るままであるかぎり、国家経済の金融化発展モデルが変化しないであろうし、長期景気後退に導く鍵となる要素が重要な役割を演じるであろうと信じている。』

 アメリカの外交問題議会の理事長、リチャード・ハースによれば、「低経済成長」(これ自身上げ底だが)、「高止まりする失業者数」、「積み上がる負債」の三つを指して、「ニューノーマル」という言い方がニューヨークやワシントンDCで云われているそうだ。(「50年のアメリカと日本」の「ニューノーマルという言い方」の項参照の事。<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/CFR/06.html>)

 いつまでその「ニューノーマル」を続けられるのか、いや大量の失業者を前にして、いつまで「ニューノーマル」が許されるのか・・・。

 (以下次回)