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第14回伊方原発再稼働を止めよう! 3月2日報告

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みなさま

第14回伊方デモ3月2日に応援参加しました。
主催者の原田さんが広島での3.10イベントで忙殺されておりまして
かわりに網野がご報告いたします。

参加者は5人、
主催者の原田さん、哲野、網野、廃炉マトリョーシカさん、牧山さんでした。

▽今回チラシ
http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20130302.pdf
告知版では重要な誤りがありましたので、訂正しております。
誤りはヒトの細胞の大きさです。告知版では5-6ナノメートルとしておりましたが
これが誤りで、5-6ミクロンでした。
この報告版でお詫びして訂正いたします。
尚、チラシはすでに誤りを訂正しております。

今回は手前のプラカード右上、過日亡くなられた広島の反原発活動家であり
薬植物研究家である故堀啓子さんの名刺をプラカードに加え
一緒に歩いてもらいました。
折しもこの伊方原発再稼働反対ウォークの時刻が堀さんのお葬式の時刻でした。
故堀さんは伊方原発再稼働に一貫して反対しておられた方です。
http://satogurasi.exblog.jp/

先週に比べると寒かったです。
オマケに翌日日曜日が雛祭りとあって、街は休日というよりお祭りモード。
みんな(頭が遊びで)忙しそうでした。

3時になって出発です。

最初、哲野とシカさんがプラカード役。
原田さんがスピーチ
網野と牧山さんがチラシ役にまわります。

原田さんがスピーチを始めます。

原田「お騒がせします。
    私たちは、伊方原発再稼働に反対している市民のウォークです。

    現在原子力規制委員会が原発再稼働の新安全基準をほぼ決めました。
    その新基準に照らすと、四国電力伊方原発が再稼働の最有力候補です。
    伊方原発は広島から最も近い原発
    わずか100kmしか離れていません。

    伊方原発ではプルサーマル炉の再稼働が有力です。
    プルサーマル炉はもともとウラン燃料を燃やすために設計されたものです。
    その原子炉にウランとプルトニウムを混合して入れて燃やす
    非常に危険な原発です。

    また、伊方原発は日本で最大級の活断層帯である南海トラフがすぐ近くにあります。
    が、現在の基準ではこの南海トラフが地震を起こしても原発の安全性には影響がないとされています。
    非常におかしな話です。

    また、中国電力の島根原発も再稼働の可能性もあります。
    中国電力は現在山口県の上関原発を計画準備中です。
    広島からわずか40km離れた岩国の米軍海兵隊基地には
    来年、現在厚木をベースとする核攻撃空母航空団の
    第5空母航空団が母基地を厚木から岩国海兵隊基地に移設する予定になっています。
    こうしてみると、私たち広島市民は4つの核に取り囲まれることになります。」

街の雰囲気は警察の方が言った通り、
本通りの電停から東側は大賑わい。全くのお祭りモードでした。
プラカードは、チラチラ見る人もいるのですが
ほとんど、反応が無いように感じました。

途中、先頭二人の歩く速度が速いので
哲野からスピーカーとプラカードを取り上げ、網野が先導役に回りました。

次は哲野のスピーチです。

哲野「みなさん、原子力規制委員会は御存じでしょうか?
    原子力規制委員会は前の経産省旧原子力安全・保安院、原子力安全委員会
    文科省傘下だった放射線審議会の機能を受け継ぎ、
    そのほか原子力施設の監視機能を併せ持つ、また絶大な権限も持っている
    新しい原子力規制組織です。

    その原子力規制委員会は、いま、関西電力大飯原発以外すべて停止している原発の再稼働のため
    新安全基準をほぼ決定しました。
    その安全基準に照らしてみますと、四国電力伊方原発がほぼいまのまま
    再稼働申請が出来る見通しです。
    先日朝日新聞が日本の原発の再稼働について特集を組みましたが
    見出しに「再稼働できる原発はほぼゼロ」という意味合いの記事を2ページにわたって
    掲載しましたがこの記事は正しくありません。
    というのは、伊方原発のような加圧水型原子炉には一定の猶予期間を与えて
    原子炉に安全装置を取り付けることを認めており
    猶予期間を考えれば、伊方原発はほぼ条件を満たしています。

    (網野:あの記事の狡さは、加圧水型、沸騰水型の原子炉をわざと区別しない書き方でした。
         よく報道の看板を掲げられるものです。)

    伊方原発には3つの原子炉があります。
    そのうち2つは年数も30年以上経っており、また、現在の基準では小規模原子炉なので
    おそらくこの2つは再稼働申請しないと思います。
    一番新しい3号機が再稼働の対象だと思われます。

    広島市民にとって最悪なことにこの3号機はプルサーマル炉です。
    プルサーマル炉では、プルトニウム239も燃料として使用します。
    日本の原発は軽水型と呼ばれる原子炉ですが、軽水型はウラン燃料を使用することを念頭において設計されています。
    ここにプルトニウム239を燃料として使用することは
    ただでさえ危険な原発をさらに危険にします。

    例えばプルトニウム239は、核分裂の際、ウラン235に比べて熱エネルギーが40倍も大きい
    また、プルトニウム燃料の容融点はウラン燃料よりも70度も低い、数え上げればキリがありませんが
    プルサーマル炉は非常に危険な原子炉だと言わざるを得ません。
    四国電力は3号炉に40体のプルトニウム燃料(MOX燃料)集合体を入れる許可を取っていますが
    実際に四国電力は16体しか入れていません。
    これはMOX燃料の危険性を十分認識した結果だと思えます。
    今の情勢では7月18日以降、伊方原発が再稼働することはほぼ確実です。
 

    広島市民のみなさん、広島から遮るものなしに直線でわずか100km、
    これはちょうど広島市から福山市までの距離ですがその広島から最も近い
    伊方原発が再稼働する、しかもプルサーマル炉である3号機が再稼働する、
    このことは覚悟しておかねばなりません。
    そして警戒を強めねばなりません。」

次に廃炉マトリョーシカさんにマイクがわたります。

シカ「広島市民の皆さん。
   今日もまた、中国山地を越え遣って来ました。
   ほかならぬこの広島の地に遣って来ました。
   何度でも、幾度でも越えて遣ってくるでしょう。
   2013年は、私にとってどうしても越えなければならない年だからです。
  2011年3.11に反転した歴史。
   そして、その歴史のうちに包摂された私自身の歴史。
   通時性と共時性のうちに私の一切が試されているからです。

   正直「未来」のことはわかりません。
   預言者でもなければ、断言もできません。
   かつて学生の頃、心の底から全身で感じ、震えた恐怖も今はありません。
   また、阪神淡路大震災の記録映像を、「これがそれなのか」と、見間違えた際の自嘲も知っています。
   一切は、私以外の他人にとっては意味の無いことでしょう。
   そして、2011年3.11は、普段と変わらぬ日常の中で起こりました。

   広島市民の皆さん。
   2011年3.11は、「未来」に直接つながっています。
   何度でも、幾度でも越えて遣って来ます。
   2013年「未来」が、どちらに向かうのか。
   私の一切が試されているからです。

   今ここで、私が最も危惧して来たことを敢えて挙げておきます。
   「ふくしま集団疎開裁判」のことを御存じの方も多いと思います。
   2012年10月1日、本の泉社からマイブックレットNo.22「いま 子どもがあぶない」
   福島原発事故から子どもを守る「集団疎開裁判」が出版されています。
   そのブックレットの29頁脚注2。
   それ自体は単なるケアレスミスですが。
   最初、それを目にした時、暗澹たる思いに駆られました。
   あれから数か月。糊口に墨を含む思いがさらに広がっています。
   Percent Of Fukushima Children Have ....
   2月23日、前回広島に遣って来た時、新宿での声は、この空の下私の耳に届いていたでしょうか。

   「時間が無いよ。」「時間が無いよ。」

   私自身の力は、この現実の前に無力です。
   どうぞ皆さん、一人でも多くの方がこの現実に気付き声を上げてください。
   誰の目にもわかる結果が出てからでは遅いのです。

   中国電力島根原発の再稼働は私たち島根県の人間にとって
   目の前に迫ったもっとも心配な出来事です。
   私たちはこの島根原発を再稼働させまいと訴訟に踏み切ります。
   広島のみなさん、どうか中国電力の島根原発の再稼働を止めてください。
   広島のみなさんが動けば、中国電力も再稼働を強行することはできません。
   どうかよろしくお願いします。」

再びマイクは原田さんに渡りました。
そして四国電力の伊方原発は広島からも最も近い原発であること
再稼働が一番間近なこと、を訴えました。
最後に、私も少しスピーチしました。

網野「原発をとめるために声をあげないといけないとお伝えしていますが
    デモに参加してくださいと言っているわけではありません。
    政治意思を示さなければならないと申し上げております。
    原発再稼働までのロードマップを見ますと
    最終的に内閣が政治判断で再稼働するかしないかを決定することになっております。
    残念ながら私たちはここにかけるしかありません。
    市議会、県議会で議決が必要になっていきます。
    市議会、県議会を動かす必要があります。
    再稼働を止めるためには私たち広島100万市民の
    「再稼働反対の政治意思」を示す必要があり
    その方法として再稼働反対の議決をさせる
    必要があるということだけ理解しておいてください。」

元安橋直前の信号待ちで、信号待ちをしている人全員とスピーチ中の網野は目が合いました。
私は一人一人の目を見ながら、スピーチできたわけです。
間違いなく、みなさん、聞いてくれていました。

ちょうどスピーチの間に元安橋に帰ってウォーク終了

やっぱり立ち話。
直ぐ解散というわけにはいきません。
今日の反応はどうだったか・・・

網野「今日は反応が悪いと感じました。チラシも受け取りはあんまりなかったんじゃないですか?」
牧山「そんなことないですよ、結構受け取ってもらえましたよ、私」

実はチラシ撒きはほとんど牧山さんがやったようなものです。

哲野「僕も、4枚は渡した。2人はお店の人。あと2人は取りに来た。」
網野「なにそれ。働いてないじゃない。
    そうそう、それより、電停のところの信号待ちで、おじさん2人が
    「原発反対?なにゆうとるんじゃ!」と怒ってるおじさんがいたね。」
哲野「うん。それ、僕も知ってる。
    で、チラシいりますか?と聞いたら『ばかっ!!』って言われた。」
網野「原発推進派の人って反対の人の意見を全く聞かないよね。」
哲野「ま、それは原発反対派にもあてはまる部分はあるけど
    反対派は反論しなきゃいけないからどうしても推進派の言い分をよく調べて研究してるよね。
    それに対して賛成派は表向き反対派の意見をほとんど聞いていない。
    ひとつには、反対派の言い分は情緒的、感情的、非科学的という
    刷り込みがあるせいだろうね。」

シカさんからその後メールがきました。
以下転載紹介いたします。

============
本日3月3日 「さよなら島根原発・未来のために」 簡単な報告を。

会場:くにびきメッセ国際会議場http://www.kunibikimesse.jp/24.html
 13:30 開場
 13:40 ミニライブ ギター ヤマイヌノフグリさん  
歌 梶谷美由紀さん(東京から大田市に子どもと避難)
初っ端、あの忌野清志郎
[Love Me Tender/なに言ってんだ]
http://www.youtube.com/watch?v=AqpjFCDIh4w&feature=player_detailpage

シカ世代には、かなりのインパクション。 しかも、2番は出雲弁バージョン。
                  
締めは、避難している母親の間で広まっているとか [椰子の実] 
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=H58nV1VEOQM

 14:00 司会(松永・勝部)
     代表挨拶(杉谷) 3月9日(土)「つながろうフクシマ! さよなら原発大集会」
                                       東京・明治公園 
                大江健三郎氏のアピールを一足早く紹介
     講演 長谷川健一さん 飯舘村酪農家 ウシさんたちの痛ましい悲劇
     本日のメイン、全国各地139回目の講演
 15:45 集会アピール〈後日改めて〉
 16:00 パレード メッセ→中電前(芦原さん要請書提出)→松江市内→JR松江駅

集会参加者は、会場最大収容人数のほぼ9割、満員。
飯舘村の写真展を皮切りに、おそらくこの日のために多大な労力を割かれたことと推察。
なお、芦原さんとは集会前の多忙の中、若干会話。
3号機裁判の具体的な進捗は4月に入ってからとの事。
12:00前に会場入りしたので、皆に交じって当日配布のチラシ組みのお手伝い。
最大の誤算は、前回渡辺満久さんの講演が20~30人程度だったので、
第14回の伊方チラシ、事前にもっと印刷を御願いしておけばよかったと。
一応手元にあったチラシは許可を得て、全部会場で配ったけれど。
大海の一滴。若い人も多くかなり読まれていました。

集会参加者の半分以上がパレード。
途中、何台か車から手を振ってもらったので、シカも。
昼前にJR松江駅前で署名をしていた人たちと、
「ご苦労様です。それでは、また。」と帰路。

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以上報告いたします。