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達観の酒

哲野がしきりに新聞を読んでいる。

網野「何を読んでいるの?」
哲野「朝日新聞のbeに『達観の酒』というエッセイが出ていて、これがちょっと面白い。居酒屋探訪家の太田和彦という人が書いたものだ。」
網野「そう。beは面白いよね」
哲野「青いbeと赤いbeがあるけど、赤いbeが圧倒的に面白い。いつぞやも、愛読してきた『磯田道史の備える歴史学』に広島の土砂崩れと題する記事が出ていた。8月の例の多くの死者を出した土石流災害のことだ。磯田氏は多くの犠牲者が出たことを悔しくてならない、と書いていた。そしてすぐに浜松から新幹線に乗って東京都立中央図書館で最も死者が多かった八木地区に関する古い記録を探したと書いている。八木が広島市に合併される前の佐東町史を探し出して記録を読んだと書いている。ちょっと引用する。
『土石流が繰り返され、現物が残っているすぐ脇に県営住宅などの団地を建設していったことが、地元の町史にははっきり書いてあった。八木地区の団地造成は、1937年に三菱重工広島製作所(三菱重工祇園工場)の従業員団地の造成を相談されたことから、はじまった。そして、高度経済成長期には、グリコや雪印の牛乳工場の誘致とあいまって、団地化が急速に進んだ。この時代の日本人は技術と経済成長の信者であった。(基本的には今の経済界は変わっていない)自然はコントロールできると、人間の優位を驚くほどに信じた。土砂崩れにしろ、原発事故にしろ、この時代の思想のツケを後代の我々はいま支払っている。』」
網野「まるきりこのあいだの伊方デモのチラシの世界じゃない」
哲野「そうなのよ。あのチラシで広島市当局と広島市議会を大いに批判した。あの事故を人災とどうしても認識しない、その上で危機管理を推進するというわけだから。磯田氏は次のようにも書いている。『この八木村の土地台帳「地ぶり帳」(1762年)をみると、上楽寺という字がある。気になるのはこの地にある観音堂が「蛇落地観世音菩薩堂」と呼ばれ、さらに、近所に「蛇王池大蛇霊発菩薩心妙塔」と刻まれた碑が立っていることだ。土砂崩れを起こす大蛇の霊を祀ってなぐさめ、菩薩心をおこさせて、村の安寧を祈ってきたさまが想像される。』この蛇王池には蛇王池の碑が現在建っているそうだ。この碑を私財を投じて建てたのは地元の有力者で辻さんという人だそうだ。このことは中道元子さんが直接確認をしている。辻さんがこの碑を建てたのは1940年、太平洋戦争の前年だ。磯田氏が書いている1937年、三菱重工業の従業員団地がもう出来ていた頃だろう。この時にすでに土石流災害の危険は地元の人たちから警告を出されていたと考えることができる。」
網野「実際、中道さんからもそういう人が地元にいて、何度も何度も市の職員にお願いしてたのに、何の手も全く打たれなかったと聞いたしね。経済優先で災害の事は二の次だった、その意味ではあの土石流災害は人災だったんだよね。」
哲野「僕もそう思う。磯田氏はこの文章を次のように結んでいる。『上楽寺は元来「蛇落地」であったろう。それが江戸期には上楽寺という楽しそうな地名に変えられていたのだ。『佐東町史』には、「蛇落地観世音像」の写真もある。そのお顔は慈悲深い。みているうち、なんともやりきれなくなってきた。』磯田氏も明らかにあの土石流災害は人災だと考えているということだろう。このあいだ、広島市の調査報告書が公開されていたが、あの災害のことをいつの間にか広島豪雨災害と名前を変えていた。土石流災害ではどうしても人災の印象が強くなるからだろう。」(この記事は2014年9月13に日付朝日新聞beに掲載されています。また、第58回伊方デモのチラシは以下です。http://www.inaco.co.jp/hiroshima_2_demo/pdf/20150131.pdf
網野「それで話を元に戻すけど、さっきは何を読んどったん?」
哲野「そうそう、その話だった。酒の話だった。」
網野「そんなこというけど、酒なんかぜんぜんのめないじゃない」
哲野「いや、僕は酒は一滴ものまないけど、この太田和彦さんのものの見方が面白かったもんでね。ちょっと引用する。『60歳を超えて酒は焼酎が増えた。お湯割りの一杯はしみじみと心を落ち着かせ、無欲の心境になる。焼酎のよいところはタクアンのしっぽとか、じゃことか、簡単な肴が合うことで、美食珍肴とは無縁だ。』とこの人は書いているけど、これほんとなんだろうか?何しろ酒を飲まないのでさっぱりわからない。」
網野「うちの父は60過ぎて、焼酎が多くなった。」
哲野「そういうもんかね。続けるよ。『ビールは青春の酒で20代が似合う。ワインは恋愛の酒で30代。ウイスキーは男同士がふさわしい40代。日本酒は人の情がわかってきた50代の酒か。』ま、ようするに酒飲みはなんだかんだと酒を飲み続けるという話にも読めるし、こういう立て分けの仕方には異論があるだろう。しかしこれはこのエッセイの本論ではない。続ける。『その伝でゆくと焼酎は、年齢60代「達観の酒」と言いたい。社会のいろいろを経験して得た人生観が、あまり強い主張をせず懐深くゆったり引き受けるような焼酎に合う。ながく生きてきて、ものごとが見えてきた。社会的地位が高い・低いなどという価値観はとうに消えた。そういうことにこだわる人はつまらん人だとわかってきた。立身出世をはたした、経済的に成功した、それがどうした。頭がいいとか、リーダーシップがあるとかも、どうでもよいことになった。人生の価値観が変わったのだ。残ったのは欲得抜きの達観だ。酒との付き合い方も変わってきた。いつまでもぜいたくな美酒趣味でもあるまい。』酒を飲まないからわからないけど、60すぎてつまらん人と奥深い人の区別がやっとつくようになってきた、という点はこの人と僕も全く同感だ。欲も得もなく、反原発運動、反被曝運動に没頭できるのも、60をはるかに過ぎたボクたちの世代の特権かもしれない、と思いながらこの記事を読んでいたわけだよ。」
網野「それって年齢の問題なの?」
哲野「つまらん人と奥深い人の区別はやはり歳を取ってみないとわからん部分もあるね。確かに。でもここは、物理的な年齢ではないかもしれない。」
網野「どういうこと?」
哲野「だから、恐らく、60歳過ぎというのは、ひとつの例え話なのかもしれない。要するに僕らはもう、社会の主役じゃないんだ。脇役なんだ。裏方なんだ。社会の主役はやっぱり30歳代、40歳代、50歳代。それだけに物事が色々見えてくるのかもしれない。」
網野「欲得抜きで、達観した目で、反原発運動、反被曝運動に身を投じる人が増えてほしいね。運動とまではいかないにしても、欲得抜きで問題をしっかり考える人が増えてほしいなぁ。」

哲野とはこういう話をすると、延々と続きそうなので、この辺で。