【参照資料】フクシマ放射能危機と汚染食品 2012.6.9

<参考資料>食品安全委員会 
食品安全評価ワーキンググループ 第1回会合 議事録解説

 
核利益共同体に魂を売り渡した
日本の食品安全委員会

その① 違法状態を解消しようとする厚労省


事態は完全に政治問題

 2011年3月11日、東京電力福島第一原発事故で「フクシマ大惨事」がはじまった。「フクシマ大惨事」と書き、「福島大惨事」と表記しないのには立派な理由がある。今私たちが直面している大惨事(それはまだほんの序章にすぎない)は決して「福島」だけに限定した話ではない、ということだ。確かに惨事の地元「福島」は、苛酷な状況にある。しかし問題は「福島」にとどまっていない。それは日本全国を、あるいはチェルノブイリ大惨事のケースを参照すれば、東アジア全体を覆う大惨事になる可能性がある。少なくとも日本全体を覆う大惨事となる可能性が、今のままで進行すれば、ある。「今のままで進行すれば」と書いたのは、主として日本政府の対応が、核(原子力)利益共同体の利益になる方向で事態の収束(そのような収束はあり得ないのだ)を計ろうとしているところにある。

 今や事態は完全に「政治問題」になった。

日本政府の態様は、1986年のチェルノブイリ原発事故で核利益共同体と政権の威信と統治力の維持に汲々とした、旧ソ連政府の姿とダブって見える。いや事故直後数十万人規模での集団避難を実施した旧ソ連政府の方がまだましかもしれない。日本政府の姿は、むしろ避難を拒み汚染された土地へ民衆の帰還を促すベラルーシのアレクサンドル・ルカシシェンコ独裁政権の方に近いかもしれない。少なくとも旧ソ連政府は放射能に汚染された土地に大衆の帰還を促すなどという政策はとらなかった。

 フクシマ大惨事は様々な形で私たちの生活を根底から破壊しようとしているが、中でもとりわけ重大な危険をもたらしそうな要因は、「フクシマ放射能危機」だろう。フクシマ放射能危機は、広汎な内部被曝による私たち市民社会全体のさまざまな健康損傷、従って「生活の質」の基盤が根底から脅かされる、という形で現れる。その、内部被曝の、ほとんどが、放射能汚染食品摂取によってもたらされることが、チェルノブイリ大惨事の経験から判明している。


当初から認識された汚染食品問題

 福島原発事故の後、政府も手を拱いていたわけではなかった。特に放射能汚染食品が危機の起爆剤になるだろうことは当初から認識されていた。

 2011年3月17日、事故から1週間後、日本の厚生労働省は『放射能汚染された食品の取り扱いについて』と題する通知を「全国各都道府県知事」、「各保健所設置市長」、「各特別区長」あてに出した。この通知は『・・・食品衛生法の観点から、当分の間、別添の原子力安全委員会により示された指標値を暫定規制値とし、これを上回る食品については、食品衛生法第6条第2号に当たるものとして食用に供されることがないよう販売その他について十分処置されたい。』としそれぞれの食品群の汚染上限値を通知した。

 これがいわゆる「暫定規制値」である。暫定規制値は次のようなものだった。



注)100 Bq/kg を超えるものは、乳児用調製粉乳及び直接飲用に供する乳に使用しないよう指導すること。

 一読しておわかりのように、きわめて高い許容限度値(上限値)である。この時の考え方の枠組みは、年間5mSvの実効線量を食品摂取のみで吸収することが前提になっている。

(なお、Svは実効線量の単位である。ICRPは生体が放射線を吸収した時の線量を吸収線量と呼んでいる。これに対して無機質の物体が吸収した時の単位がGy=グレイである。ところが、放射線の線種-X線、ガンマ線、ベータ線、アルファ線など-によって電離エネルギーが異なることから、それぞれの線種に荷重係数を設けている。こうして荷重係数を掛けて出てきた線量を等価線量、または線量当量と呼んでいる。次に等価線量は、吸収する臓器や器官によって生体に対する損傷の度合いが違う、と考えて臓器による損傷係数を設けている。これが臓器荷重係数である。先の等価線量にこの臓器荷重係数を掛けて出てくるのが実効線量である。この考え方を踏襲して、吸収線量から実効線量に至る過程でかけられる係数=まとめてリスク係数と呼んでおくが、リスク係数を調整変更すれば、それぞれのリスク体系における実効線量が出てくることになる。こうした「ICRP・Sv」に対して、欧州放射線リスク委員会=ECRRは全く独自のリスク体系から実効線量を導き出している。これらを区別するために時々「ICRP・Sv」、「ECRR・Sv」という言い方をする時がある。またこれらとは別にドイツでは、「ドイツ放射線防護令」が定められ、独自のリスク体系から独自の実効線量を定めている。この記事で使用する「Sv」は特に断らない限り、「ICRP・Sv」である。「ICRP・Sv」自体は電離放射線のリスクを過小評価の3乗くらいしたインチキなしろものではあるが、その説明は別な機会に譲る。)


「暫定規制値」の問題点

 この3月17日の「暫定規制値」は、大きな問題点を2つもっていた。一つはもちろん「年間被曝を食品摂取だけで許容する。しかもその上限値は5mSv」という考え方だ。「公衆の被曝線量自体が年間1mSV」なのに、食品摂取だけで5mSvとはどういうわけか?明らかに、これは緊急時の対応である。しかし日本の「食品衛生法」は「平時」「緊急時」の区別をつけていない。「平時」「緊急時」の区別をつけるのは、あくまで一般大衆に被曝を受忍させたい「ICRP的世界」だけで通用する話だ。(大体人間の体が、「緊急時」と「平時」で放射線に対する抵抗力が変わるわけがない。神様もそのように「核利益共同体」のご都合に合わせて体を作ってくれていない)

 このまますすめば、食品衛生法違反である。(当時の状況がすでに食品衛生法違反だった)

 もうひとつの問題が、手続きの問題である。日本の食品衛生管理(食品衛生法)の考え方では、食品の安全に対する評価(リスク評価)に基づいて安全行政(リスク管理)がおこなわれることになっている。そのリスク評価を担う行政機関が内閣府に属する食品安全委員会である。厚生労働省や農林水産省は、食品安全委員会のリスク評価に基づいてそのリスク管理(たとえば放射能汚染食品の規制)をおこなわなければならない。それが日本の法律が定めた手続きというものだ。ところが、3月17日の「暫定規制値」は、こうした手続きを全くすっ飛ばしている。言ってみれば、厚労省が「リスク評価」と「リスク管理」の両方をやってまっているのだ。これは厳密には違法状態である。


ICRP・IAEAに偏った評価

 この「暫定規制値」が発表された昨年の3月の時点でこのことに気がついているものは少なかった。福島原発の直接の放射能危機のためにそれどこではなかったのである。(お恥ずかしながら私自身もこのことに気がついていなかった。このことに気がつくのは、内部被曝の問題から日本の食品放射能汚染問題とその行政のありかたを調べていってからである。すなわち今年になってからである。)

 しかし当時でも数少ないながらこのことに気がついている人たちがいた。それは他ならぬこの問題の専門家、厚労省の官僚たちであった。厚労省の官僚たちは、事態の違法性を少しでも緩和しようと、3月29日になって食品安全委員会に『「放射性物質に関する緊急とりまとめ」の通知について』と題する答申とも意見書とも、「評価書」ともつかぬ一種不思議な文書を出させた。この文書は、「暫定規制値」の内容評価について、「食品安全委員会 委員長 小泉直子」名で当時の厚労相・細川律夫あてになっている。中で『食品安全基本法の第23条第2項の規定により通知します。』という体裁をとっている。

 食品安全基本法というのは、『第23条 (食品安全)委員会は、次に掲げる事務をつかさどる。』というもので、その第2項は、『次条(第24条)の規定により、又は自ら食品健康影響評価を行うこと』と定めている。つまり食品安全委員会は「自ら食品健康影響評価」をおこなった、という体裁をとった。それではなぜ「通知」という言葉を使ったのか?それは、食品安全委員会の審議を経ず、あくまで委員長・小泉直子の意見という体裁をとったからだ。本文でも「正式な評価書」とは述べていない。あくまで「放射性物質に関する緊急とりまとめ」という曖昧な表現をせざるを得なかった。違法状態は解消されていないのである。(何しろ一週間ででっち上げたしろものである。それにしては良くできている)

 この「緊急とりまとめ」では、『本件に関連する知見を有する専門家を幅広く参考人として食品安全委員会会合に招聘し、他の案件に優先して集中的に議論を行い、その結果を緊急的にとりまとめることとした。』(p6)としたものの、その実情は『食品安全委員会としては、今回の緊急とりまとめに当たり、国民の健康保護が最も重要であるという基本的認識の下、国際放射線防護委員会(ICRP)から出されている情報を中心に、世界保健機関(WHO)等から出されている情報等も含め、可能な限り科学的知見に関する情報を収集・分析して検討を行った。

 なお、ICRP は1954 年に「すべてのタイプの電離放射線に対する被ばくを可能な限り低いレベルに低減するために、あらゆる努力をすべきである」と提言し、1997 年に「経済的及び社会的な考慮を行った上で合理的に達成可能な限り低く維持する」との勧告を行っている。』(同p6)と述べているように、ICRP放射線防護行政を100%受け入れる内容になっている。とても「幅広く」などといえたしろものではない。

 しかも、食品安全行政に、「平時」と「緊急時」の区別が存在するのか、という根本問題に何一つ答えていない。


正式な評価書作成の必要

 この「緊急とりまとめ」の「8.今後の課題」の中で『今回は、緊急的なとりまとめを行ったものであり、今後、諮問を受けた内容範囲について継続して食品健康影響評価を行う必要がある。・・・また、内部被ばくを考慮すると、放射性セシウムの食品健康影響評価に関しては、直接評価要請はなされていないが、ストロンチウムについても曝露状況等も把握した上で改めて検討する必要があると考えられる。』(同p25)と自ら述べているように、違法状態を解消し、厚労省の役人から資料を提供されて急きょでっちあげた「緊急とりまとめ」ではなく、「食品安全委員会独自の議論に基づく正式な評価書作成」の必要性ありと認めている。そこには、永年独自の食品安全評価を行い、いささかなりとも、国民の食品安全の維持向上に寄与してきたという食品安全委員会の矜恃が感じられないでもない。

 こうして、食品安全委員会の中に、「放射性物質の食品健康評価に関するワーキンググループ(WG)」が立ち上げられ、4月21日に第1回目の会合が開かれるのである。

 この記事は、第1回WG会合の議事録を検討しながら、「フクシマ放射能危機」に今政府がどう対応しようとしているか、その内容は私たちの生活に、とくに「生活の質」にどう関わってくるだろかを考え、市民の立場でその対応策を検討してみようというものだ。

 ずいぶん前置きが長くなって申し訳ないが、この議事録検討の前に以上のような背景情報を知っておいてもらいたかったのである。


専門参考人は「核利益共同体」がズラリ

 第1回会合は、東京・赤坂にある食品安全委員会の中会議室で開催される。この日の出席者は、以下のとおりであった。

 【専門委員】 圓藤 吟史 大阪市立大学大学院 医学研究科・教授
  遠山 千春 東京大学大学院 医学系研究科・教授
  花岡 研一 水産大学校 水産学研究科(食品科学科兼任)・教授
  山添 康 東北大学大学院 薬学研究科・教授
  吉田 緑 国立医薬品食品衛生研究所 安全性生物試験研究センター・理部第二室長
  吉永 淳 東京大学 新領域創成科学研究科・准教授
  鰐渕 英機 大阪市立大学大学院 医学研究科・教授

 他に専門委員としては、川村孝(京都大学環境安全保健機構健康管理部門長・教授)、佐藤洋( 国立環境研究所・理事)、津金昌一郎(国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部長)、手島玲子(国立医薬品食品衛生研究所 代謝生化学部長)、林真(食品農医薬品安全性評価センター長)、村田勝敬(秋田大学大学院 医学系研究科・教授)がいる。つまり13名の専門委員のうち、7名が出席で6名が欠席というわけだ。皆忙しい人たちばかりだということは理解できるにしても、WG主役の専門委員の熱のなさも反映している。

 食品安全委員会の常勤委員は委員長の小泉直子(公衆衛生学。兵庫医科大学教授)、熊谷進(微生物学。国立予防衛生研究所出身。東京大学名誉教授)、長尾拓(有機化学。国立医薬品食品衛生研究所出身)、廣瀬雅雄(毒性学。国立医薬品食品衛生研究所出身)の4名。

 野村一正(時事通信出身で「農林経済」編集長を経て農林中金総合研究所顧問)、畑江敬子(家政学。昭和学院短期大学学長)、村田容常(サッポロビール出身。お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授。生産流通システムの専門家ということらしい)の3名が非常勤委員。この日は7名全員が出席している。

 どうも学界のヒエラルキーでは、専門委員の方が食品安全委員会の委員より格上、という印象が否めない。(なお小泉ら食品安全委員会委員は9回のWGを通してほとんど全員が出席している。)

 専門委員や食品安全委員の中で放射線に関する専門家と呼べるのは、遠山千春、津金昌一郎ぐらいであろうか。あとは化学や公衆衛生学、あるいは食品衛生の専門家であり、中にはなぜこの人が専門委員になったのかな、厚労省の「イエスマン」だからかな、と言う人もいる。

 それに対して、専門参考人の顔ぶれは結構ドスが効いている。以下がこの日出席した参考人である。

 佐々木康人 日本アイソトープ協会 常務理事
 祖父江友孝 国立がん研究センター がん対策情報センター がん情報・統計部長
 寺尾允男  元食品安全委員会 委員長代理
 中川恵一  東京大学医学部附属病院放射線科 准教授
 松原純子  元原子力安全委員会 委員長代理

 佐々木康人は放射線医学総合研究所長・理事長を経て日本アイソトープ協会の常務理事と言うことであるが、何より日本におけるICRP(国際放射線防護委員会)の大物である。ICRPの主委員会の委員をつとめたこともある。日本の放射線医科学の権威中の権威。祖父江友孝は環境医学が専門。国立がんセンターに長く勤務した後、2012年からは大阪大学大学院で医学系教授に納まっている。もちろんICRP学派の1人。中川恵一は専門は放射線医学。ICRP学派の次世代を担う人材と目されている。松原純子は元原子力安全委員会の委員長代理。専門は何か私にはわからないが、永年「原発は必要、安全」、「低線量被曝は害がない」などのキャンペーンの先頭に立ってきた。しかし2011年3月30日の「原子力専門家の緊急提言」(<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/fukushima/20110401.html>)に名前を連ねたりもしている。

 こうした専門参考人の顔ぶれや事務局が提出した資料をみると、このWGが全くICRPのイデオロギーで固められようとしていることが推察できる。

 事務方の経歴も調べておきたいところだが、できなかった。


「厚労省が数値をお決めになったわけです」

 会合は事務方の前田評価調整官の司会で開始され、まず食品安全委員会の小泉直子のあいさつではじめる。小泉は『科学的知見に基づき、中立公正かつ客観的なリスク評価を行う』(議事録p2)ことを依頼する。ここで小泉は4つのキーワードを使っている。ずなわち、「科学的」、「中立」、「公正」そして「客観的」である。9回の会合を終えてできあがった「リスク評価書」は、ICRPの学説をその基礎とする限り決して「科学的」とは言えず、ICRPの学説を下敷きとする限り、その結論は「産業界」や「核産業・核利益共同体」の利益を最優先させざるを得ず、その意味で決して「中立」でも「公正」でも「客観的」でもあり得ないことは記憶しておかなければならない。

 また3月29日に公表した食品安全委員会『「放射性物質に関する緊急とりまとめ」については『・・・国民の皆様に科学に基づいた冷静な対応をお願いしておりますが、厚生労働省の行っている管理措置のもとになった数値はかなり安全性を見込んだものであることを科学的に明らかにすることができたと考えております。』と「暫定規制値」を「科学に基づいたしかもかなり安全性に基づいた」規制値であるとし、食品安全委員会の立場と低レベル電離放射線への評価を明確にしている。

 2011年3月17日の暫定規制値が科学に基づいたものであるかは、後で論ずる機会があろうと思う。先を急ごう。

 小泉のあいさつに続いて前田評価調整官は、配付資料の確認をおこなう。配布資料の中に資料1「食品影響評価について」と題する文書がある。この文書は、3月17日の後、3月20日になって厚労大臣名で放射能に関する食品健康影響評価の依頼書である。この時には魚を除く「暫定規制値」がすでに発表されていた。(魚について野菜と同等とする、という暫定規制値が示されたのは、4月6日)いわば、依頼の前に「暫定規制値」が発表されていた。(この点について厚労省は、すでに原子力安全委員会から示されていた「飲食物摂取制限に関する指標」を使った、と弁解している。が、これは弁解にもならない。原子力安全委員会は食品安全基本法とはなんの関係もないのだから)

 この点をやんわり衝いたのは、専門委員の遠山千春である。

 『遠山専門委員:・・・暫定規制値を決めたり、あるいは・・・厚生労働省の方で飲料水その他に関して数値を決められましたわけですよね。そのときには、これらの数値についての妥当性ついて、諮問を受けていませんよね。つまり厚生労働省のほうでそれらの数値をお決めになったわけです。』(p7)

 これは遠山の指摘が正しいのであって、厳密に言えば、厚労省は越権行為を犯していることになっている。

 これに対して食品安全委員会事務局の評価調整官前田は、『ICRPですとか、IAEAですとかWHOですとか、そういう国際機関の評価などをもとに緊急とりまとめをさせていただいた』と余計なこと言っている。公式の説明は、原子力委員会の「飲食物摂取に関する指標」を使ったのではなかったか?結局「原子力委員会云々」は体裁で、ICRPやIAEAなどの国際核推進機関の資料を使って厚労省が独自に決めたことをここでバラしている。WHOの資料を使った、といっているが、WHOは1959年にIAEAと協定を結んで、「放射線問題についてはWHOは独自のリスク評価も管理も行わない」ことになっている。第4代WHO事務局長・中嶋宏の表現を借りれば、「WHOはIAEAに従属す」である。WHOの資料とはとりもなおさずIAEAのリスク評価に他ならない。

 前田は続けて

 『そしてまた、野菜とか牛乳とかについても、より精密な基準値をつくるために、・・・もう魚だけではなく、野菜も牛乳もそれらもみんな含めた形での(厚労相からの)諮問というふうに考えているものでございます。』(p7)

 とゼロからの諮問であることを明らかにしている。


座長は事前に山添できまり

 続いて議事は座長の選出に入る。前田は「どなたかご推薦があれば、よろしくお願いします。」と述べ、これに呼応するかのように国立医薬品食品衛生研究所 安全性生物試験研究センター・理部第二室長の吉田緑が、東北大学大学院薬学研究科・教授の山添康を座長に推薦する。前田は「ほかにご推薦はございますでしょうか。」と促すが、大阪市立大学大学院 医学研究科・教授の鰐渕英機が、『私も経験豊富な山添先生でいいかと思いますので、ご推薦申し上げます。』と応じる。

 ここまで読んで、「ハハーン、座長は山添で根回しが済んでいるのだな」と見当がつく仕組みになっている。山添ではいけない、と野暮なことを言う人間はいない。これですんなり座長は山添に決まる。

 山添の専門は「放射線」や「放射能」ではない。専門は薬学である。中でも「薬物動態学」が専門で体の中に入った薬物が体の中でどのような動きをするのかを研究することが目的らしい。またそうした立場から、環境や発がんの仕組みなども研究テーマに入っている。また所属学会は、日本薬学会・日本癌学会・日本環境変異原学会である。日本環境異変原学会では2010年-2011年度の学会長も務めている。その時の会長あいさつの中で次のように述べている。(日付は2011年5月だから、このWGの座長に選出された後のことである。<http://www.j-ems.org/about/message.html>)

 『・・・放射線の影響を評価するデータは十分でなく、しかも放射線の人体影響については、低線量域暴露による影響が明確でないため、評価にたどり着くためには閾値と補外の妥当性の議論を避けて通れないのが現状です。このためICRPなどが示している20 mSvなどの値は、ALARAの原則に基づいた安全側にたった管理基準であり、具体的な研究結果から導かれたリスク評価の結果として得られたものではありません。したがって社会状況や作業環境によって管理基準が一時的に変更されることがあり、一方で恣意的とされ不信感を生じることになります。』


より悪質に進化したALARAの原則

 ALARA(アラーラまたはアララ)は、国際放射線防護委員会の放射線防護の一大原則であり、”as low as reasonably achievable”(放射線被曝は合理的に達成できる限り低く)の頭文字をとったものだ。1977年のICRP勧告で打ち出された。

 それまではどのような原則をとっていたかというと、1965年勧告で打ち出された”as low as readily achievable”である。これも頭文字は「ALARA」なのだが、意味合いは相当違う。1977年の「ALARA」では、「合理的に」達成できる限り低くという意味で、この「合理的に」にはもちろん「経済合理性」である。「原発は普段に放射能を出すが、この放射能で人体に損傷を受ける社会的な損失と、原発を稼働させることで社会全体が受ける利益と比較考量した場合、社会的な利益が大きい範囲で、つまり経済合理性がある範囲で、放射線被曝はできるだけ低く」という考え方だ。1965年の「ALARA」がもつ曖昧性を剥ぎ取り、はっきり「経済合理性」の重要さを打ち出した原則だ。

 1965年の「ALARA」の前は、1958年の勧告で打ち出した“as low as practicable”(「ALAP」)の原則だった。この原則では、「経済合理性」は全く背後に隠れて、実際に実行可能な限り低く、を打ち出している。それでは、原発をすべて廃止せよといっているのかというとそうではなく、原発操業では放射能排出は避けられない、だから放射能排出をするな、というのは実際的でない。原発は放射能排出をすることを現実として認めて、その範囲で被曝を少なくしなさい、という意味だ。

 1958年勧告で打ち出した「ALAP」の原則の前は、1950年ICRPが事実上スタートした年に打ち出した、“to the lowest possible level”(可能な限り低く)という原則である。この原則にしても、放射能を排出する原発自体を否定したものでなく、放出を認めた上で被曝を可能な限り低くしなさい、という意味である。

 意味合いとしては、普段の放射能排出という宿命から逃れられない原発の存在を認めた上で、被曝を最小化する、という考え方だが、現在の「ALARA」に発展していく過程は、同時に「原発から受ける社会的利益」と「原発から放出される放射能で受ける個人的不利益」と比べて、社会的利益が大きくなるように(経済合理性)とする考え方がより露骨に表現されていく過程でもある。(以上は中川保雄「放射線被曝の歴史」 発行:株式会社技術と人間 1991年9月20日 初版第1刷の「ALARA原則の変遷」を参照した。またこの原則の変遷は、<http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/028/028.html>に表としてまとめてある)

 また先の山添のあいさつの中で述べられている、「このためICRPなどが示している20 mSvなどの値は、ALARAの原則に基づいた安全側にたった管理基準であり」は、2007年のICRP勧告でさらに拡大延長したALARAである。言い換えればより悪質に進化したものである。

 こうした見ると座長の山添は、単に厚生労働省にとって使いやすい学者というだけでなく、ICRP学説を外周から補強する立場の学者だということができよう。


(以下その②へ)