(原文:http://www.doug-long.com/stimson2.htm )
(スティムソン日記の註)

1945年5月9日
暫定委員会初会合



「S-1」はマンハッタン計画の暗号名、または原爆のこと。この日1945年5月9日(水)、暫定委員会の第1回会合が開かれた。この日の議事録は次。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Interim%20Committee1945_5_9.htm>。
 
  "At ten minutes to ten my first conference of the Interim Committee which I am appointing in S-1 got under way. Everybody was present except Dr. Conant, viz: Byrnes, Bush, Compton, Bard, Clayton, Groves, Bundy, and Harrison and myself. Several of the members did not know the basic facts in the matter and I explained them to them, and we had a talk over the whole subject until nearly eleven when Harrison and Groves took them off into another room to go further into details."

「10時10分前、S-1において私が指名した暫定委員会の初会合が始まった。コナント博士以外すべて出席した。すなわち、バーンズ、ブッシュ、コンプトン、バード、クレイトン、グローブズ、バンディ、そして私自身である。」

このうち、グローブズとバンディは正式委員ではない。議事録では招聘参加者として扱われている。)

  「このメンバーのうち数人は、この問題における基礎的事実に関して知らなかった。そして私は説明した。ほぼ11時頃までこの議題全体についてわれわれは話し合った。11時頃、ハリソンとグローブズは、さらに詳細にわたるために別室へと出て行った。」

ダグ・ロングはここで興味深い解説をいれている。ロングの解説は『 』で表示。

  この会議議事録では、原爆の使用すべきかどうかに関する勧告における委員会のいかなる機能についても触れていない。また原爆を使用すべきかどうかに関する勧告を可能とするような基本的軍事情報、外交情報も委員会には提供されていない。』

  ロングですら、「原爆の使用」は日本との戦争の関わりの中で行われた、と考えている。だから、原爆の使用をすべきかどうかの勧告に関する委員会の権能、それを判断する軍事、外交上の情報が提供されていないことを不思議と感じている。私も最初感じた不思議である。しかしこれは「対日戦争に影響を与えるために原爆が使用された。」という刷り込みがわれわれの頭の中にあったために生ずる不思議であろう。しかし、これまでのスティムソン日記や、ハリソン文書、また暫定委員会の議事録を素直に読めば、日本に対する原爆の使用と対日戦争にはほとんど連関がないことが見て取れる。日本に対する原爆の使用は、常に戦後「原子力エネルギー体制」構築という文脈で論じられている。)