(原文:http://www.doug-long.com/stimson4.htm )
(スティムソン日記の註)

1945年5月29日
マーシャル将軍との議論のメモ



 陸軍長官(スティムソン)は、大統領演説の案件と日本に関連した案件に関し、国務長官代行(ジョセフ・グルー)及びフォレスタレル氏(海軍長官)との先の会談について言及した。
【大統領は5月31日演説を行う予定になっていた】

 陸軍長官は、動きを延期することは健全であると感じている。
【動きとは日本に対する降伏勧告を指す】

 当面の間考慮すべき唯一の延期はこの案件であるが、しかしながら、われわれは、S−1の採用に際してその準備段階として、再度考慮すべきである。
陸軍長官は、東京の炎上【3月9日−10日および3月23日−26日の焼夷弾による空襲のこと】に言及し、可能な方法やより大きな爆弾の採用などについて語った。
また陸軍長官は、ブッシュ博士(バニーバー)からの手紙やコナント博士(ジェームズ)からの手紙について言及し、他の諸国に対して製造の性格についての公開問題や同様な問題を一般的に論じたブッシュ博士の意見についても言及した。
マーシャル将軍はそれらの手紙を手にとって読んで、できるだけ早く自身の提言を述べると云った。
マーシャル将軍は、これらの兵器(原爆のこと)は最初は、たとえば大規模な海軍基地など軍事目標にのみ使用し、そしてその効果が期待するほど完全なものでない時に、避難警告をした上で、たとえば産業地帯に破壊するつもりであるなどと日本人に告げた上で、日本の大きな産業地帯に対して使用するのが良いと考えていると云った。
 個別の指定はしないので日本にはどこが攻撃されるか分からない。
対象となるいくつかの候補地の数だけをあげて置いて、間をおかず攻撃するのがいいと言った。
われわれが警告をするのに全力をあげたと言う記録だけは残すべきだ。
警告を発することによって、われわれは、そのような兵器を使用するという不健全な考え方から生ずる不名誉(opprobrium)の埋め合わせをしなければならない。
【実際には広島に原爆が投下されたときにはそのような警告は一切なかった】


 それからマーシャル将軍は、新兵器がもたらす刺激や興奮、新兵器開発に携わった人々のこと、注意深く対処しなければならない
戦術のこと、それから自殺的行為を覚悟した日本の断末魔の防衛戦術などについても語った。
マーシャル将軍は、狂信的で自暴自棄の防衛戦術で発生する損害を避ける方法を模索している、なにか新しい戦術が要求されると云った。
それから将軍は毒ガス兵器使用の可能性についても言及した。
極めて限定的な使い方、たとえば、戦闘中の孤立した島とか、あるいは正に発生せんとしている島とか、についても語った。
採用しうる毒ガスの種類についても言及し、毒ガスの新兵器とか大きい威力のものは必要ない、浴びせて弱らせて、戦闘能力を奪う程度のものでいい、たとえばマスタードガスとか、敵を遠ざけておく程度のもの、と語った。―中略―


 陸軍長官は、その週に科学者と産業人との会議があるので、将軍を出席させると云った。
将軍は再びこの2通の手紙を読んで、自分の見解をまとめたメモを作成すると言った。


【この会談のメモはJ・J・マッコイが作成した】
【この手紙はブッシュ博士とコナント博士が作成したもので、手紙と2本のメモランダムからなっている。1944年9月30日にスティムソン当てられたものである。
この内容は、1945年5月15日の暫定委員会にも提出された。
この手紙は、メモを要約したもので、次のようにはじまっている。
  「核競争を防ぐ望みはまだあります。
   将来の世界平和をあるいはもたらしさえするかも知れません。
   この主題について国際的に科学者が交流し、技術的な交換を行って、国際的な委員会が
   各国間の同盟組織の下に、査察の権限を持つことによって、それは可能です。」 】